後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔29〕今回からは陳情ではなく請願です。「国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する請願」

2015年05月31日 | 市民運動
 信じられない世の中になってきました。
 70年安保世代の私は、日本という国は少しずつでも住みやすい国になるだろうと漠然と考えていました。ところがどうでしょう。21世紀になってから、おかしなことが次々に起こるようになってきました。教育の分野だけでも、こんなふうにです。
 1999年、石原慎太郎が都知事に当選します。東京都の教育はここで大きく右旋回します。簡単に書けば、教員も子どもも競争の世界に放り込んだのです。「日の丸・君が代」の強制もありました。2006年、第一次安倍内閣ができます。ここで決定的だったのが、日本国憲法とともに世界に誇れる教育基本法が改悪されました。残念ながら、権利としての教育から国家主義的・能力主義的な教育体系に変貌したといえます。
 そのような潮流の中で、昨年(2014年)、道徳の教科化という問題が起こり、反対の陳情を清瀬市議会に提出しましたが、不本意ながら不採択になってしまいました。そして、さまざまな教育問題がある中で、今年は国立大学に国旗・国歌を強制するという動きが出てきました。そこで、これに反対する請願を市議会に提出しました。今年は市民派の布施由女さんが市議に当選したということで、紹介議員になってもらって請願することができたのです。【6月16日(火)10:00~,総務文教委員会、清瀬市役所】で行います。よければ、傍聴に来てください。
  あっ、「『安全保障』関連法案の拙速な国会審議に反対する請願」も同時に出そうと思っています! 応援してくださいね。
  一つ付け足しです。自民党が教員免許の国家資格化を言い出しました。次から次へと、よくもまあ思いつくものですね。どうしてくれましょう。



    国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する請願
                     2015年5月28日
〔請願の趣旨〕
 安倍晋三首相は4月9日の参院予算委で、国立大の入学式などでの国旗・国歌の扱いについて「税金によって賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきではないか」と述べた。これを受けて、下村博文文部科学相は翌日の記者会見で「国立大の学長が参加する会議で要請することを検討している」と具体策に踏み込んでいる。
大学には学習指導要領が存在しないということの意味合いは、大学の「学問の自由」を考えた上でのことである。大学の自主性や自律性が尊重されるべきことは教育基本法にも規定されていることで、長い大学の歴史を紐解くまでもない。
 清瀬市議会としては文科相の「要請」に反対し、国に意見表明することを要請したい。

〔理由〕
 小中高校の具体的な教育指針である学習指導要領では、国旗掲揚・国歌斉唱が定まっているが、大学には学習指導要領はなく、規定もない。大学は教育・研究内容だけでなく、学内の運営全般にわたって「自治」が大原則であり、自主的な決定に委ねられる。それが根本的理念である「学問の自由」の支えでもある。
首相や文科省大臣の発言に危惧を抱く大学人の集まり、「学問の自由を考える会」の主張「国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する声明」は的を射ており、耳を傾ける必要がある。
「… たしかに教育基本法第二条は、教育目標の一つとして、『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う』ことを掲げる。しかし、伝統と文化とは何かを考究すること自体、大学人の使命の一つであり、既存の伝統の問い直しが新しい伝統を生み、時の権力への抵抗が国家の暴走や国策の誤りを食い止めることも多い。教育基本法第七条が『大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない』とするゆえんである。政府の権力、権威に基づいて国旗国歌を強制することは、知の自律性を否定し、大学の役割を根底から損なうことにつながる。」(4月28日)
 滝川事件、天皇機関説事件、矢内原事件など我が国の近代史を思い起こしてみたい。こうした時代に舞い戻ってはならぬと思う。

       清瀬市議会議長
        渋谷のぶゆき様

                            清瀬・憲法九条を守る会
                               福田三津夫

〔28〕 BS朝日「黒柳徹子のコドモノクニ」は未知のことを発見できる番組ですね。

2015年05月20日 | テレビ・ラジオ・新聞
 現在、BS朝日開局15周年記念ということで「黒柳徹子のコドモノクニ」が放送されています。毎週水曜日、午後10時からの1時間番組です。『コドモノクニ』は戦前に出された雑誌なので、私が知らないことも多くて、おもしろく毎回見ています。
 番組のサイトに次のような〔番組概要〕が出ていました。

黒柳徹子がBS民放初のレギュラー番組に挑戦!
藤田嗣治、竹久夢二、野口雨情、北原白秋…
大正から昭和にかけて愛された絵雑誌『コドモノクニ』を
つくった芸術家たちの人生をたどり、未来へ伝えたいメッセージをひもとく。
藤田嗣治、東山魁夷、竹久夢二、野口雨情、北原白秋、西條八十、中山晋平…。
絵画、詩、童謡…さまざまなジャンルで子どもたちのために本気になった大人たちの思いとは? 
黒柳徹子が今、未来へ続くメッセージを届ける。
現代の芸術家・著名人が『コドモノクニ』からインスピレーションを得て生み出す新作にも注目!

 まだ見ていない人のために、18回目までのメニューも紹介しましょう。

⑴片岡鶴太郎が巡るサトウハチローの世界
僕は不良少年だった…
童謡詩人が母に捧げた愛の詩
⑵児童文学者・村岡花子の命を懸けた物語
『赤毛のアン』 誕生の秘密
⑶奇跡のコラボ!村岡花子と中原淳一
発掘秘話!美智子さまとの出逢い…
⑷美智子さまが愛した童話作家・新美南吉
名作『でんでんむしのかなしみ』誕生秘話
⑸美智子さまが愛した詩人 まど・みちお
名作『ぞうさん』"幻の楽譜"を発見!
⑹日本画の巨匠・東山魁夷 
若き日に描いた童画の世界
⑺風景画の天才・東山魁夷
川端康成との交流秘話
⑻夏目漱石が絶賛した漫画家
コミック漫画の草分け・岡本一平
⑼芸術は爆発だ!岡本太郎 「太陽の塔」に込めたメッセージ
⑽子どもの心を見つめ続けた
絵本作家・いわさきちひろ
⑾子どもたちに夢を!
"童画の父"武井武雄
⑿伝説の絵雑誌を創った
編集者・鷹見久太郎
⒀竹下景子が巡る大正ロマン!
美人画の天才・竹久夢二
⒁竹下景子が巡る感動の旅!
名作童謡の作曲家・中山晋平
⒂安田祥子が巡る!
北原白秋 童謡の世界
⒃安田祥子が巡る!山田耕筰
「からたちの花」の秘密
⒄よみがえった幻の童謡詩人・金子みすゞ
⒅戦後70年特別企画
倍賞千恵子が読む、哀しみの戦争絵本!
⒆戦後70年特別企画
「原爆の図」を描いた女流画家・丸木俊!
⒇大正モダニズムを描いた画家・岡本帰一
㉑いわさきちひろが愛した童画家・初山滋
㉒加藤登紀子が巡る
日本のアンデルセン・小川未明
㉓加藤登紀子が巡る童謡詩人・野口雨情の世界
㉔やくみつる感激!躍動する動物たちの世界
「シャボン玉」「赤い靴」…

 『コドモノクニ』は1922年(大正11年)1月に創刊、1944年(昭和19年)に23巻3号をもって休刊されるまで通算287冊発行されました。
 「既に発行されていた各雑誌でそれぞれ専属的に活動していた画家たちを集め、個性豊かな童画を載せることにより、芸術的な絵雑誌として高い評価を得た。大判・多色刷で、創刊期の大正モダニズムを背景とした芸術性、デザイン性を重視した作りは子供向けという範疇を超えて新たな芸術総合雑誌ともいえるものであった。」(ウィキペディア「コドモノクニ」より) 

 番組で紹介された詩などを調べてみたらおもしろいことがわかりました。現在私たちが知っている作者名と異なる表記にびっくりしました。明らかな誤植もあり興味深かったですね。(国立国会図書館国際子ども図書館のサイトによる)

   風
       ニイミ・南吉(ママ)

風は煙を
とつてゆく
ふとい汽船の煙筒から

風は口笛
とつてゆく
後かんぱんの水夫から

風は帽子を
とつてゆく
ブリツヂの上の船長から

風は旗をば
とつてゆく
尖つてたかいマストから
*10巻10号(1930年9月1日)

  竹とんぼ
       金子みす(ママ)

キリリ、キリリ、竹とんぼ、
あがれ、あがれ、竹とんぼ。

二階の屋根より まだ高く、
お寺の松より まだ高く、
桂木山より まだ高く、

私のこさへた 竹とんぼ、
私のかはりに、あアがれ。

キリリ、キリリ、竹とんぼ、
あがれ、あがれ、竹とんぼ。

お山の煙より まだ高く、
雲雀の唄より まだ高く、
かすんだ空より まだ高く。

けれども、きつと忘れずに、
ここの小みちへ かアへれ。
 *15巻7号(1936年6月1日)


  雨ふれば
        まど・みちを(ママ)

雨ふれば
お勝手も
雨の匂してゐる。
濡れた葱など
青くおいてある。

雨ふれば
障子の中、
母さんやさしい。
縫物される針
すいすいと光る。

雨ふれば
通りのもの音、
ぬれてゐる。
時をり
ことり などする。
  *13巻14号(1934年12月1日)

〔27〕埼玉大学の授業評価調査集計結果が届きました。

2015年05月14日 | 講師実績
 ブログ〔10〕で書きましたが、昨年度で9年間の埼玉大学での非常勤講師が終了しました。私の師匠の村田栄一さんが、國學院大學の非常勤講師として10年間勤め、膨大な記録『大学の授業記録・教育原理』(社会評論社、全2冊)を残しています。村田さんは元小学校教師ということで、常に私の生き方の指針になった方です。このあたりのことは、拙著『実践的演劇教育論』(晩成書房)に書いていますので読んでみてください。
 村田さんの話を出したのは、埼玉大学もあと1年やりたかったな、ということを言いたかったからです。
 埼玉大学とも縁が切れたのですが、わずかに気になっていたのは、「学生による授業評価」のことです。ブログ〔10〕で次のように書きました。

 …最後なのでやる必要もないのかしれませんでしたが、一応「学生による授業評価」もしましたので、時間が到底足りません。学生たちはとても好意的に授業を受けてくれました。授業後多くの学生から「ありがとうございました。」「お疲れ様でした。」のことばをもらいました。9年目にして初めて学生から手紙をもらいました。…

 「学生による授業評価」は、毎回授業ごとにしっかりやっていました。小学校教師の時に、子どもたちに私の授業の評価をしてもらったことがありました。正直に言えば、私としてはそれほど参考になるということもないのですが、教育される人間が、教育する人を評価することは必要だと思っているのです。学生になればけっこうシビアな意見も書かれることもありますが。
 その「学生による授業評価」(特別活動論)が先ほど届いたのです。
 一読してびっくりしました。いつもはけっこう厳しいことも書く埼大生が私に最大の賛辞を送ってくれたのです。

・実践をもとにした講義だったので、身近に感じられました!
・とても楽しかったです。ありがとうございました。
・ありがとうございました。
・豊富な実戦経験から貴重な体験談を聴けたので良かったです。
・話が聞きとりやすかった(声が大きかった)。
・お疲れ様でした。
・毎回、とても熱意の伝わるおもしろい授業だった。
・初めて演劇教育というのを知りました! 小学校の先生となり実践できるように頑張ります。ありがとうございました。
・後期で一番好きな授業でした! 楽しかったです!
・まさに福田先生曰くの、良かったなと思える数少ない授業の1つでした。
・長い間、お疲れ様でした。
・お疲れ様でした。
・お疲れ様でした。とてもやさしいしゃべり方で、心がホッとしました!

 ただ1つ「改善すべき点」として書かれたコメントがありました。

・ビデオ教材をもう少し質の良いものがあると良いと思う(画質・音質)。

 この指摘は、歴史的にも貴重な卒業式や演劇の映像が古いこともあってのことででした。まあしょうがないかなと思っていました。
 (声が大きかった)というのは、マイクを使わなかったからです。80人以上の学生でも、肉声で語りかけたかったのです。私のもう一人の師匠が竹内敏晴さんです。彼は「わたしはマイクロフォンを使わない」という短文を書いています。興味ある人は探してみてください。

 今は、白梅学園大学での教育実習指導で頑張っています。担当した5人の学生はとてもやる気があり、間もなく実習開始となります。とても楽しくて、やりがいがある仕事で4年目になりました。