本日は2025年6月7日(土)、清瀬・憲法九条を守る会(創立20年)と清瀬・くらしと平和の会(創立10年)合同で、16波「東海第2原発再稼働反対統一行動」に参加しました。
今までは清瀬駅ペデストリアンデッキや清瀬駅南口で行うことが多かったのですが、初めて旭が丘団地で取り組みました。清瀬市議3期目のふせ由女の地元ということになります。
「東海第2原発再稼働反対統一行動」は今回、栃木、埼玉、千葉、神奈川そして東京の36団体が参加しています。3か月に1回ぐらいの取り組みで、今回は16回目になります。
人通りは多くはなかったのですが、ふせ由女の市議会報告などのチラシの受け取りが多かったので嬉しかったです。
本朝の朝日新聞の一面に「東電旧経営陣 賠償取り消し」という文字が踊りました。東京高裁のあり得ない不当判決です。世界最悪の未曾有の原発事故を引き起こし、福島原発崩壊事故から14年経つというのに、未だ2万4千人が避難していて福島に戻れていないのです。これだけの事故を起こしても誰にもその責任がないというのです。そもそも原発は国の推進事業、国策ですよね。東電と国はその責任を回避できるはずもありません。
まだまだ私達は「東海第2原発再稼働反対統一行動」を続けるしかありません。
◆いのちと人権を守る
鎌田 慧(ルポライター)
18日。日本女医会に呼ばれて横浜に行った。第70回定時総会のあと
「冤罪と死刑〜人質司法の現状〜」のタイトルで話した。
死刑囚・袴田巖さんの無罪判決と石川一雄さんの冤罪者のままの病
死。喜びと悲しみ。そのふたつがまだ強く残る
同会会誌(5月号)の「巻頭言」は「冤罪を通して人権を考える」
(前田佳子会長)「冤罪は重大な人権侵害であり、その最たる場合が死
刑判決です。「人間の尊い生命を奪う不可逆的な刑罰について関心を持
ち、考えていただきたい」との訴えである。
この会は1902(明治35)年に創立された。女性医師同士の交流や医学
の研究、普及ばかりか、男女共同参画の実現をも目指す、世界でもっと
も古くからある女性医師の会だが、わたし不勉強だった。
お医者さんにはこちらから教えてもらったり、お願いしたりする関係
だけで、呼ばれることなどなかった。
が、交流会で何人かの女性医師とお話しして知らされたのは「さよう
なら原発」の集会に参加されたり、夫婦別姓の運動で街頭に出ていたり
は普通だったのだ。
運動の中では「救急班」のお医者さんとしか交流がなかったが、その
日は、甲状腺の病気を患った福島の子どもを診てきたかたなども参加さ
れていた。
いのちばかりか、人権も守る医師との連帯。
このことに思いが至らなかった自分が恥ずかしかった。
(5月20日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)
■伝えたいことを書く(上)&(下)
鎌田 慧 連載コラム 「沈思実行」紹介
新聞やNHKニュースがSNSに 排除され始めた理由、
プラス「カネ」(広告費)
「言いたい事」よりも「言わなければならない事」を紹介し続ける
「週刊新社会」の連載より
◆ 伝えたいことを書く(上)
トランプのような人を人と思わぬ傲慢さ、カメレオンのように相手に
よって体内色素を変える石破茂首相、パワハラ出世主義者・斎藤元彦兵庫
県知事。
この人たちは人間観察の対象としては絶好だが、世界と日本の平和を
思えば不安な存在だ。
その存在を生みだしたのが新たに登場した、旧ツイッターやフェイス
ブックなど、SNS。
新聞、テレビなどオールドメディアは、場所を奪われたとも言われた
りする。
新聞の客観報道主義やNHKニュースなどに顕著な親方日の丸主義。
その高みにいる姿勢が、身近な感情を優先するSNSに排除され始めた。
筆者自身、活字世代でSNSには無縁な存在だが、若ものたちが新聞
ばかりか、テレビさえ見ないというのは、上品ぶった中立主義と権力主
義、その中途半端が嫌われているようだ。
たとえば、原発報道が典型だったが、福島第一原発事故まで、原発
反対の論調はまったくなかった。
大本営発表の延長だった。「原発はイエスバット」だったと、朝日記者
から聞かされていた。
今では信じられないのだが、つまり、原発は賛成。事故があった時は
批判する、というようなスタンスだった。
事故と言ってもトラブルのことで、運転トラブルや、事故手前の小さ
な事故は、めずらしくなかった。ひとつの事故の背後には、無数の事故
がある、というのは安全管理の鉄則だ。だが、原発に限って「安全神話」
だった。
それを振り撒く学者たちも自己催眠に陥っていた。もっとも危険な
存在だからこそ、「事故はない」「もっとも安全」と強調された。
もう一つの武器は、「カネ」だった。原発は巨大なスポンサーだっ
た。原発立地点の新聞には、毎週のように全面広告が載った。個別の
電力会社ばかりか、電気事業連合会、政府、それらが寄ってたかって、
広告を出していた。
福島第一原発事故の後、大江健三郎さん、坂本龍一さん、澤地久枝
さんなどと「さようなら原発」運動をはじめたのは、それまでは原発の
ことを書くだけだったからだ。
(2月26日「週刊新社会」第1392号『沈思実行』(230)より)
◆伝えたいことを書く(下)
国境なき記者団が発表する、日本の「報道自由度ランキング」は、
昨年70番目と前年より2ランク下がった。大統領の冗談か、と思われる
フェイクが横行している米国でさえ55位。G7ではもちろん最下位だ。
信じられないほどの日本ジャーナリズムの現在地だ。
前回も書いたが、日本ジャーナリズが信頼を失ったのには、原発を
推進したことが大きい。過剰とも言えるほどの広告費に買収された形
だった。たとえば、福島事故が起きたあと、わたしは大江健三郎、坂本
龍一、瀬戸内寂聴さんなどと「さようなら原発運動」をはじめた。
その年(2011年)の9月19日、最初の大集会を信濃町の明治公園で開催、
6万人だった。
この時、某紙の記者がきていたので、記事にするのでしょう、と聞い
たのだが、「さぁ」との答えだった。驚いた表情を見て「都内版」に入
れるように言います。その時は掲載予定になかったのだ。「ニュース
価値」とは、社会的価値ではなく、新聞社の判断、忖度によるのだ。
俄然、がんばって読者を一気にふやしていたのが、東京新聞だった。
一面に空撮写真つきで大きな記事を掲載した。「『3・11』をもって、
東京新聞は1面に載せる記事の「主役」を権力側から「民」の側に明確
に切り替えた」(菅沼堅吾『東京新聞はなぜ、空気を読まないか』)。
東京新聞は翌年7月16日の集会写真を1面上3段抜きで掲載。「さよ
うなら原発『17万人』集う 酷暑の中 最大規模」と大記事で報道した。
2面は登壇、発言した全員の写真と挨拶を扱った。
同紙の編集局長を務めた菅沼堅吾さんは「関東防空大演習を嗤わ
らう」(1933年)の論説を書いて陸軍を激怒させた、信濃毎日新聞の
主筆・桐生悠々の言葉にこだわってきた。
「言いたい事」よりも「言わなければならない事」を紹介し続けて
きた。この著書の基調は「気構え」である。それが権力と対決する精神
であろう。新聞の最大の使命は、戦争を防ぐことだ。
「蟋蟀( こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜」( 桐生悠々)。
巻末に引用されている。
(3月5日「週刊新社会」『沈思実行』第231回より)