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後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔803〕5月3日(土)、3万8千人が参集した2025憲法大集会(有明防災公園)、パレードまで完遂しましたよ!

2025年05月04日 | 市民運動

  2025年5月3日、憲法記念日。清瀬の仲間と会場の有明防災公園に着いたのは12時半頃でした。メインステージ開会は1時ですが、すでに多くの人が詰めかけていました。3人分の座る場所を確保するのに昨年より難儀しました。今年の参加者は3万8千人と発表されました。
  天気が良すぎてとにかく暑い! 滅多に被らない帽子を用意して大正解でした。撮影は福田緑。


  若い司会者2人が新鮮でした。ノーベル平和賞被団協の田中煕巳さんは93歳で登壇。プログラムに記載されてない方では沖縄の風の伊波洋一さんがスピーチしました。市民連合連帯のあいさつのの佐藤学さんは政治学者で、教育学者の佐藤学さんではありませんよ。
  3時頃豊洲コースのパレードに参加しました。さすがに暑くて堪えましたが、仲間とビールで乾杯、お疲れ様でした。

   お二人の「本音のコラム」もどうぞ。

◆再審法の改正を
  証拠の全面開示と再審開始決定にたいして検事側抗告を防ぐ

                         鎌田 慧(ルポライター)

 静岡地裁の村山浩昭裁判長が再審開始を決定、「これ以上、拘置を継
続することは耐え難いほど正義に反する」として、袴田巌さんの拘置と
死刑を停止して釈放した。
 が、静岡地検が即時抗告して審理は東京高裁に移され、再審開始決定
が取り消された。最高裁が東京高裁決定を取り消して静岡地裁で再審公
判が始まり、無罪の判決が出されたのは、村山決定から10年半経った20
24年9月。袴田さん逮捕から58年が経った。88歳。無罪判決まで生き抜
いた。

 その半年後、3回目の再審請求をしていた石川一雄さんが誤嚥(ご
えん)性肺炎で死去した。86歳だった。
  女子高校生誘拐殺人事件で一審死刑判決、二審で無期懲役。31年獄中
 にいて仮釈放されたが、本人は「視えない手錠をかけられている」と訴
えていた。冤罪を晴らせないまま世を去らなければならなかった無念
は、菟罪を訴えている人々の共通の思いだ。

 『駱駝が針の穴を通るように難しい」「開かずの扉」などと言われ、
これまでも帝銀事件、三鷹事件、名張毒ぶどう酒事件などの容疑者が、
再審を認められないまま他界した。福岡事件や菊池事件など冤罪を訴え
ながら処刑されたゲースもある。
 「疑わしきは被告人の利益に」が鉄則だが、証拠の全面開示とせっか
くの再審開始決定にたいして検事側抗告を防ぐ、再審法改正が早急に求
められている。
             (4月29日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)

 ◆改憲のハードル
  主権者の合意形成のない拙速な改憲論は空論

                           斎藤美奈子(文芸評論家)

 5月3日は78回目の憲法記念日。この時期になると必ず話題になるの
が改憲の是非である。
 昨年10月の衆院選で、自民、公明、維新、国民民主など改憲派の議席
が国会発議に必要な3分の2を割り込み、改憲へのハードルはいっそう
高くなった。

 思えばあれほど改憲に意欲を燃やした安倍晋三元首相でさえ悲願は果
たせなかったのだ。在任期間7年半。
 うち3年間(2016年7月の参院選後から19年7月の参院選前まで)は
衆参両院で改憲勢力が3分の2以上だったのに。改憲を望む人たちにし
てみればまたとない好機を逃したことになろう。

 なぜ彼は悲願を達成できなかったのか。
 単純にいえば、あまりに前のめりな首相の姿勢に人々が不信感を抱い
たからだろう。
 通常の世論調査では改憲賛成派が反対派を上回るのに、当時の共同通
信の調査(2016から2020年)では「安倍首相の下での改憲」に「反対」
が常に半数を超えた。有権者のバランス感覚だ。

 同じ共同通信の昨年5月の調査では改憲を「急ぐ必要はない」が65%。
 昨年11月の石破政権発足時のNHKの調査では、新政権が優先して取
り組むべき課題は景気・物価高対策がトップで41%。
 改憲をあげた人は2%だった。今年の調査結果はわからないけど、こ
れが憲法の現在地である。
 主権者の合意形成のない拙速な改憲論は空論にすぎない。
               (4月30日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」より)


〔800〕「石川一雄さん追悼集会」参加者の追悼の言葉に目頭が熱くなりました。

2025年04月18日 | 市民運動

 2025年4月16日、「石川一雄さん追悼集会」(東京・日本教育会館)に清瀬の仲間と駆けつけました。教師生活をスタートさせた70年から80年代にかけて、日本演劇教育連盟の夏の集会(2泊3日)が10年連続でこの会館をメインに繰り広げられました。私のクラスの上演劇もここで演じられたのです。ちなみにもう1回は日大芸術学部でのことでした。
  集会開始20分前に会場に入ると、800の席はほぼ満席状態でした。第2会場も用意されたとのことで、1000人くらいの方が参加したようです。会場を取り囲むように4,50の花輪が所狭しと並べられていました。


  ショートムービー、追悼のうた、開会のあいさつ、黙とうと続きました。
  追悼のことばはどの方も素晴らしく、心に響くものでした。とりわけ袴田秀子さん、福島瑞穗さん、鎌田慧さんのことばには目頭を熱くさせられました。


  最後の石川一雄さんのお連れ合い石川早智子さんの思い溢れる、しかし毅然とした闘う決意を滲ませた訴えは秀逸で心打つものでした。改めて一雄さんは良い方と結婚されたんだなと思いました。

 そもそも私が狭山事件と関わるようになったのは、70年代に狭山市に引っ越したときからでした。1977年5月22日(日)、初めて狭山現地調査に参加しました。参加者は2,30人ぐらいだったように思います。発行されたばかりの108頁の冊子を購入しました。
  石川一雄さんは無罪だなと確信したのはこの時でした。犯人を取り逃がした茶畑や善枝さんが亡くなっていた芋穴などを巡り、最後に石川さんの住まいに入れてもらったのです。勝手口の鴨居の上に善枝さんの万年筆がでてきたのは警察の3回目の捜索の時でした。その鴨居は誰にでもすぐ見える低いところにありました。専門の捜査員なら初回でも見逃すはずはないなとここで冤罪を確信しました。しかも万年質のインクの種類が異なるのです。
  もうひとつの決定的な冤罪の証拠は、脅迫状の筆跡です。ほとんど小学校に通えなかった石川さんに書けるはずもない、意図的に稚拙さを装った知能犯の存在を思わせるものでした。このあたりは鎌田慧さんが鋭く指摘していました。鎌田さんは石川さんが出獄してからほぼ初めてインタビューして『狭山事件』(草思社)を書いたのでした。

  最後に我が家の黄色と白色の山吹、もみじを石川さんに手向けたいと思います。
  石川一雄さんどうぞゆっくりお休みください。
  これからは石川早智子さんの第4次再審請求を支援していこうと思っています。


〔793〕〈続〉3月30日、清瀬市で「図書館感謝会」(住民投票で夢のある図書館を創るきよせの会主催)を開催、下宿図書館に行ってきました。

2025年03月30日 | 市民運動

  2025年3月30日(日)、本日の朝のことです。「図書館感謝会」は4箇所で開催されるのですが、私共は下宿図書館に行ってきました。一番利用しているのは中央図書館ですが、ここは午後4時に開催するということで、参加できないからです。
  開始時間の11時より十数分早く会場に着いたので、図書館を見学することにしました。図書館は下宿体育館と同じ建物ですが、2階にあることは知りませんでした。体育館にはスポーツや選挙開票見学でよく訪れたのですが。
  図書館の入口に持ち帰り自由の除籍図書が数冊並べられていました。そこにはなんと見覚えのある『小さい劇の本』があるではありませんか。私が長年所属していた日本演劇教育連盟編集の脚本集です。とても見捨てられずにいただいてきました。

 11時丁度、集会が始まりました。40名はいたでしょうか。顔出ししたくないという人は集合写真に写っていませんが。毎日新聞記者も来ていたようです(写真に写っている方のようです)。
 新聞といえば、なんと良いタイミングでしょう。朝日新聞の本日の朝刊に清瀬市の澁谷市政による図書館4館閉館にまつわる記事が掲載されていました。「図書館のあり方を話し合う有識者会議の発足前に、市が一部閉館の方針を委員に伝えていた疑いがあることがわかった。」というものです。


  さもありなん、最初から結論ありきで有識者会議を開催し、4館閉館を明記しないでパブコメを求めたのです。有識者会議もパブコメもアリバイ的に行ったことになります。ならば住民投票をすべきだったのです。定足数の6倍以上の署名が集まったのですからね。

    集会参加者が円になり、それぞれの思いを語りました。最後に図書館の人(館長さんのようです)に感謝状を渡して集会は終了しました。
 集会参加者やスポーツをする人が駐車場を数多く利用したのでしょう、満車でした。しょうがないので近くのコンビニに駐車したので、帰りにそこで売られていた野菜やお弁当を買いました。この日は絶好の桜日和で、柳瀬川の桜並木を眺めながらお弁当を広げましたとさ。

毎日新聞が記事にしてくれました。


 

  箭本啓子さんが紹介してくれた長田弘さんの次の詩ご存じですか。

 

ベルリンの本のない図書館   長田弘

ここが、そこだった。
そこでできることは二つだった。
立ちどまること。しゃがみこんで、
黙って、足下を覗きこむこと。
清潔な敷石だけの、静かな広場の真ん中に、
窓のように、一メートル四方の
ガラス板が敷かれている。
ガラス板の下は、明るい光の部屋だ。
誰も入れない、地下の、方形の部屋の、
四面はぜんぶ真っ白な本棚で、
本棚に本は一冊もない。
ここが、そこだった。
ベルリン、一九三三年五月十日夜、
空疎な精神は火に投じられなければならないと、
そして本を自由に読むことは犯罪であると、
二万冊の本が、ナチスの突撃隊の手で、
集まった大勢の人びとの前で
深更まで燃やしつづけられた、
オペラ座広場、いまベーベル広場の、
ここが、そこだった。
日の暮れ、薄闇が忍んでくると、
樹木一本、街灯一つ、ベンチ一つない、
灰色の石畳だけの、石の広場の、
本のない本棚しかない地下の部屋の、
(その部屋は「図書館」とよばれている)
明るい光が、赤い心臓のように、
そこだけ、いよいよ明るくなって、
敷石の上に滲むようにひろがってきた。
本は文字を記憶に変えることができるのだ。
だから一冊の本もない図書館がある。
ここが、そこだった。


〔792〕3月30日、清瀬市で「図書館感謝会」(住民投票で夢のある図書館を創るきよせの会主催)を開催。月刊「機」(藤原書店)も紹介します。

2025年03月29日 | 市民運動

 清瀬市の澁谷市政による図書館4館閉館を受けて「図書館感謝会」が開催されます。閉館されるのは今のところ下宿図書館、野塩図書館、竹丘図書館、中央図書館です。住民投票による閉館阻止はなりませんでしたが、せめて感謝の集いを開こうという趣旨です。私は時間の関係で下宿図書館に参加しようかなと考えています。

 もうひとつ紹介したいのは月刊「機」(藤原書店、2025年3月)です。藤原書店の宣伝誌ですがいつもながらなかなか充実しています。
 巻頭にはNHKの前身の東京放送局の総裁だった後藤新平の放送初日に語った言葉全文が再録されています。先日NHK総合で「後藤新平の大風呂敷」(歴史探偵)が放送され興味を持ちました。刺された板倉退助を助けた医師でもあり、関東大震災後東京大改造を成し遂げたのも後藤でした。鶴見和子、鶴見俊輔の母方の祖父でもありました。後藤によって書かれた「戯曲 平和」も読んでみたいものです。

 元小学校教師・公認心理士の宮田貴子さんの「僕たちのサードプレイス」という4頁にわたる文章に目が留まりました。文中に絵本『たんぽぽのこと』(竹内敏晴・長谷川集平)がでてきたからです。ネット検索すると『僕たちのサードプレイス』というご自身の著書に竹内レッスンのことが書かれていたのでした。竹内レッスンとは竹内敏晴さんが主宰する身体レッスンのことで、私自身が多く学んだことでした。


◆労働争議は犯罪か
  労働運動など社会運動への弾圧は戦争へまっしぐらだ

                              鎌田 慧(ルポライター)

 春闘は季語だった。
 春になると、街角に赤旗が立った。今は団交ですんなり金額が決まる
だけ。
 ストライキをせよというわけではないが、ストライキを「伝家の宝
刀」として神棚に飾っておくと、次第に錆びついてしまう。

 関西生コン支部は「全日本建設運輸連帯労組」に加盟している、ミキ
サー車運転手などの労組だが、この組合に対し、滋賀、京都、大阪、和
歌山の警察、検察、裁判所はストライキやビラ撤きなどの活動を労働運
動として見ていなかった。
 反社会組織に見立て、威力業務妨害や強要未遂、恐喝の罪で訴追して
きた。
 2018年以降、81人の労組員が逮捕され、66人が起訴された。前委員長
は逮捕6回、641日勾留、現委員長は8回逮捕、644日の長期勾留。挙げ
句の果てに懲役10年の求刑だった。まるでどこか強権国家の政治弾圧の
ようだ。

 この組合は産業別労組。個人加盟方式で、日本で一般的な企業別組合
ではない。
 企業内に組合員が1人いるだけでも、 団交の時には本部からの役員が
交渉に加わる。

 ところが、検事や裁判官は不勉強だった。検事が保釈を条件に脱退を
唆(そそのか)したり、司法が団結権侵害に踏み込んでいた。
 京都地裁での幹部の無罪判決は本紙でも報道された (2月28日など)。
 労働運動など社会運動への弾圧は戦争へまっしぐらだ。
   (3月25日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)


〔789〕たまにはのんびりと。小春日和の中、ジャガイモの植え付けを手伝いました。

2025年03月23日 | 市民運動

  あれだけ肌寒い日が続いたのに、今日はもう春の陽気です。
 我が家の玄関先に花桃の花が一斉に咲きました。今から17年ほど前、30㎝ほどの花桃の鉢植えを購入し部屋に置いていました。それが年々大きなるので、玄関脇の地面に植え替えたのでした。それが信じられないことに、5メートルほどの大木になり、毎年枝を切らないと電線に絡むようになってしまったのです。
 その花桃の花が今満開です。

  2025年3月23日、今日、清瀬の市民グループの仲間の阿部洋二さんから声がかかり、清瀬市立清瀬第四中学校前の畑でジャガイモの植え付けを手伝いました。すでに阿部さんが草むしり、畝づくりなどの下準備してくれていました。私がやる仕事は、植え付けのための穴を掘り、ジャガイモを植えることでした。穴を掘っているときに、3人ぐらいの助っ人が現れました。手際よく短時間で終了しました。
  ジャガイモができたら、障害を抱えた子達に優先的にあげるそうです。

 小学校自主退職に伴って大学4年間やっていたバドミントンを再開してから20年続けた練習も、昨年大学の仕事が終わったのでこちらも一区切り付けました。その代わりにいろいろと身体を動かそうと思っているところです。畑仕事は絶好の健康維持活動です。(写真は福田緑と福田三津夫)


〔787〕「前ブログ〔786〕に掲載された写真は、自然石からの線量が高いので毎年同じ石を定点計測している特殊例です。」(福田緑からの補足)

2025年03月15日 | 市民運動

 連れ合いの福田緑から以下のような補足と写真が届きました。 

〔786〕に掲載された写真は、自然石からの線量が高いので毎年同じ石を定点計測している特殊例です。今年で6年継続しています。最初の頃はモニターを持って歩き、そのときに線量が高かった場所で計測していました。

 これから送る写真は、新しい児童遊園やポケットパークの調査です。設置された全ての遊具、ベンチ、水飲み場で地上1mの線量と地上5cmの線量を計測しています。2分間、10秒ごとの線量を測定し、一番高いデータと低いデータを除去して残った10回のデータで平均値を出しています。その平均値が0.08μSv/hを超えた場合は小さなお子さんたちが遊ぶのに注意していただければと思い、年に一度、「きよせの環境・川まつり」(7月最終土曜日開催)で発表しています。

 こうした公園・児童遊園・ポケットパークで0.08μSv/h以上の線量が計測されたときは、その施設を毎年継続観察しています。


〔786〕初めて「放射能から子どもを守る会・清瀬」の活動に立ち会いました。まだフクシマは終わっていません。

2025年03月15日 | 市民運動

  昨年の暮れ、私たちのかけがえない仲間の山田文子さんを不慮の事故で亡くしました。清瀬・くらしと平和の会、清瀬・憲法九条を守る会の重要なメンバーでした。さらに彼女は「放射能から子どもを守る会・清瀬」でも中心的な役割を果たしてくれました。ご冥福をお祈りします。合掌。
  「放射能から子どもを守る会・清瀬」の活動については清瀬市議・ふせ由女の発行する「ゆめ通信」のバックナンバーをご覧いただきましょう(2020年秋号、25号)。


 
  さて、「放射能から子どもを守る会・清瀬」から依頼され初めてこの活動に参加しました。場所は、神山公園の親水広場です。夏場はここに水を流し、子どもの遊び場になっているところです。福島から14年経過しているにもかかわらず、0.1マイクロシーベルトを越す箇所が数カ所ありました。本会では0.08マイクロシーベルト以上は要注意としています。


  福島に未だ戻れていない人が2万5千人以上、取り出せたデブリが1グラムに満たない耳かき1杯分、まだまだ福島は終わっていないのです。東海第2原発再稼働など考えられませんね。

 

◆沈思実行(229)
  下北核半島の現在 (下)
  石破首相も英国のようにプルトニウムは
  「ゴミとして廃棄」というべきだ          鎌田 慧

 青森県六ヶ所村の歳入の7割以上を固定資産税などが占める、とす
る福田進治・弘前大学教授の論文(「青森県の経済と核燃マネー」、『
原発・核燃と地域社会』北方新社)を前回紹介した。全国9電力と日本
原子力発電が共同出資している、日本原燃(資本金4千億円、社員3千
人)の本社が置かれ、核燃料サイクルの完成を目指している。
 しかし、使用済み核燃料再処理工場は、1993年4月に着工したが、試
運転に失敗したまま。
 それでもこの会社の固定資産税と電源三法交付金などによって、
六ヶ所村は地方交付税の不交付団体である。

 核燃サイクル施設の建設は、低レベル放射性廃棄物の永久処分場か
ら始まったが当初は濃縮ウラン工場も含めて1兆円、この内、再処理工
場は7600億円と言われていた。
 しかしすでに再処理工場だけで3兆2100億円も費消した。

 再処理工場が存在するだけで、政府からカネが流れてくる。その秘
密は政府の原発政策の宣伝塔だからだ。
 使用済み燃料からウランとプルトニウムを取り出します。そのプルト
ニウムMOX燃料にして、また原発で発電します。その「夢の増殖炉
もんじゅ」も廃炉、核燃料サイクル構想が破綻しても、政府はまだプル
トニウムにこだわっている。

 「英、プルトニウム地下廃棄へ 再処理後の100トン超『資産』から
一転」(「朝日新聞」2月2日)。
 英政府は、これまで「資産」としてきた、民生用プルトニウム100
トンを、地中に埋めて廃棄する方針を発表した。これは画期的な決定で
ある。
 原爆の原料であるプルトニウムは、日本でも英国に再処理を委託した
21.7トン、フランスへの委託分14.1トン、国内に8.6トン。合計44.4
トンを所有している。プルトニウム原爆で5千5百発分以上である。

 さすがの軍備強化一本槍の石破茂首相も、まだ核武装とまでは言わ
ないが、「資産」「運用」などと言わず英国に倣って「廃棄」と明確に
言うべきだ。

 ただ、活断層まみれの日本の場合、埋める場所はどこにもない。
 下北半島が狙われるのだろうか。
            (2月19日発行「週刊新社会」1391号より)


〔784〕「元町こども図書館、存続へ!」(住民投票で夢のある図書館を創るきよせの会)と「平和のメッセージを世界に」(高校生平和大使)、頑張っています。

2025年03月14日 | 市民運動

 清瀬市の澁谷市政は市民の圧力に抗しきれず、当面、元町こども図書館、存続を認めるしかありませんでした。問題山積の清瀬市、まだまだ清瀬市民の闘いは続きます。「住民投票で夢のある図書館を創るきよせの会」は「夢のある図書館を創るきよせの会」として生まれ変わります。
  3月30日(日)、図書館ありがとうという感謝会が開かれます。(チラシ下部に記載)

  インド・パキスタンで核実験が強行された1998年、「ながさき平和大集会」に参加する約50の平和団体は、未来を担う若者を「高校生平和大使」として国連に派遣することにしました。こうした高校生の活動を理解し、協力していきたいと願うものです。

◆恐怖と侮辱の原発社会
                    鎌田 慧(ルポライター)

 あれから14年。福島原発事故直後の反省を忘れ「原発を最大限活用す
る」と強弁、同じ過ちを犯そうとしている政府の鈍感さには憤りを感じ
させられる。
 亡くなる前、 大江健三郎さんは事故後の再稼働を「恐怖と侮辱」と言
い、坂本龍一さんは「野蛮」と批判していた。ともに「さようなら原
発」運動を呼びかけた集会での発言だ。

 能登半島の用地買収が進んでいた珠洲原発は、住民の反対運動に
よってようやく救われた。もしも原発が完成、稼働していたら地震に直
撃されて、目を覆う悲惨な状況になっていた。その想像力が岸田文雄前
首相、石破茂首相にはない。
 事故以外でも、原発が不合理な存在であるのは、子孫に危害を与え続
けることだ。原発解体後の始末も難しいし、放射性廃棄物の行き場も
ない。

 たとえば、青森県六ケ所村の「核燃料サイクル」の例をひとつ見るだ
けでも絶望的だ。中心の再処理工場は1993年に着工したが、32年たって
も完成していない。
 2009年、高濃度の放射性廃液がガラス固化建屋に漏れ、人間が中に入
れない状態に。完成延期を言い続け、すでに27回。当初、予定の建設費
7千億円がいまは3兆円。消費者の電気料金に」のしかかる。
 8日、代々木公園で「さようなら原発集会」を開催。
 11日は午後2時経産省前、同6時45分東電前で集会があります。
        (3月11日「東京新聞」朝刊25面「本音のコラム」より)

 ◆これでいいのか予算修正
  防衛費の無駄を削って教育、福祉、医療などに回すべき

                     前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 2025年度予算案が修正され、日本維新の会の賛成を得て衆議院を通過
した。高校生への就学支援金は、民主党政権時代と同様に所得制限をな
くし、私立高校生に対する支給上限額は一律45万7千円とすることに
なった。
 例えば4人家族で年収1千万円の世帯に私立高校に通う生徒がいると
して、その年間授業料が50万円だとすると、現在は所得制限に該当する
ので全額が家計の負担だが、2026年度からは4万3千円の負担で済むこ
とになる。

 一方、年収200万円の世帯の公立高校生はこれまでも全額無償だったか
ら変化はない。高校無償化に関する限り、この予算修正は富裕層に有利
に働き、格差を広げるということは知っておく必要がある。
 修正予算案に賛成しなかった国民民主党は、103万円の「壁」を一律
178万円に引き上げる減税策にこだわり続けているが、これも富裕層に
より有利に働く政策だ。
 格差を広げる政策に多くの国民が賛成するのは、その中身を十分理解
していないからではないか?

 高額療養費の白己負担上限額の引き上げが凍結されたのは結構なこと
だが、第1、第2、第3野党はいずれも防衛予算に切り込もうとしない。
 防衛費の無駄を削って教育、福祉、医療、生活インフラ整備、被災者
支援などに回すという修正案がなぜ出てこないのだ?
 トランプが怖いのか?
               (3月9日「東京新聞」朝刊19面「本音のコラム」より)


〔780〕寒さを吹き飛ばす3000人参集「さようなら原発3.8全国集会」から「永田浩三教授最終講義」へ梯子しました。

2025年03月09日 | 市民運動

  昨2025年3月8日、おそらく東京では今年最後の寒さの土曜日でした。久し振りの都心を目指して2つの大切な集会に参加しました。「さようなら原発3.8全国集会」(代々木公園)から「永田浩三教授最終講義」(練馬、武蔵大学)へ梯子です。

  「さようなら原発全国集会」は春と秋に開催されます。秋はドイツ旅行と重なって参加できないことも多いのですが、極力参加することにしています。
  それにしても春の集会は雨や風、雪などで天候不順のことが多く、今年も例外ではありませんでした。


 
  タビーブルーのオープニングライブを聴きながら、いつもの会場の左側に座り込みました。防水した座布団を持参しているため、コンクリートの上でも寒さは感じません。


  会場入り口で配布していたステッカーは3種類、裏にはこの日のプログラムや出展ブースやパレードコースの案内があります。
  主催者あいさつは澤地久枝さんに替わって佐高信さん。自民、維新、国民を軽く揶揄して満場の笑いを誘います。
  瓶子高裕さん(福島県平和フォーラム)、大河原さきさん(原発事故被害者団体連絡会)、沢居恵美さん(新宿御苑への放射能汚染土持ち込みに反対する会)などのアピールが続きます。


  タビーブルーのライブを挟んで、コメントが続いた後、閉会の挨拶は鎌田慧さんでした。国の原発愚策を痛烈に批判しました。

  いつもなら渋谷コースのパレードに参加するのですが、今回は「永田浩三教授最終講義」に駆けつけることにしました。神宮前駅から新桜台まで地下鉄で一本です。小学生の時の遊び場だった武蔵大学まで迷うことなく辿り着きました。
  大講堂ではおそらく学生が制作したであろうドキュメントが大スクリ-ンに映し出されていました。かなりのに人が参加していました。
  映写終了後花束の授与があり、その後会場を50周年記念ホールに移してパーティーが始まりました。200人はいらしたでしょうか、かなりの盛り上がりでした。


 最初のお祝いメッセージは「報道特集」の金平茂紀元キャスターでした。その後次から次へと祝言が続きました。永田さんの温かい人柄やその業績が人を呼ぶのでしょう。新刊の『原爆と俳句』を購入して、連れ合いが永田さん、ギャラー古籐の大崎文子さん、田島和夫さんに挨拶をして失礼しました。永田さん、名誉教授就任おめでとうございます!

  長くも充実の一日になりました。


〔774〕「ありがとう図書館!! また必ず会いましょう!」報告会。4館閉鎖の暴挙、闘いは始まったばかりです。

2025年02月23日 | 市民運動

  2月16日(日)、清瀬駅北口のロータリー脇のアミューで、「ありがとう図書館!! また必ず会いましょう!」報告会が開催されました。
 自公市政は住民投票をひたすら恐れ、結果的に住民投票の成立がなりませんでしたが、定足数の6倍以上の7674票を集め、「しばらくの間」元町こども図書館の存続が決まりました。住民投票成立に反対した松本議員、石川議員に言われるまでもなく、間違いなく私たちの運動の成果です。
  こうした思いを共有する多くの人びとが参集しました。負けたと落ち込んでいる人はまったく見かけませんでした。次にどう繋げていくか、活発なグループ討論で盛り上がりました。
  さて、次はどうしてくれましょうか。(写真は「経過報告」の一部と清瀬市条例制定請求書)

                                  ◆8月15日を建国記念の日に
  建国記念の日は紀元節が名前を変えたものではない

                       前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 11日の建国記念の日に「X」で見つけたのは長島昭久衆院議員・首相
補佐官の投稿だ。「建国記念の日おめでとうございます。初代神武夫皇
ご即位から126代にわたり、一系の皇統を繋いで2685年。かつては『紀元
節』と呼ばれておりました」云々とあった。
 明治政府が日本書紀の記述を根拠に、神武天皇即位の日を西暦紀元前
660年の太陽暦2月11日と決めて(もちろん史実ではない)、この日を紀
元節と定めたのが1873年。1940年には「皇紀2600年」が盛大に祝われた。
 長島氏は 15年後には「皇紀27O0年万歳」とでも書くつもりだろうか。

 しかし建国記念の日は紀元節が名前を変えたものではない。
 1966年の祝日法改正で与野党の駆け引きの結果、「の」を入れて「建
国された日」ではないことを示し、具体的な日は「政令で定める日」と
した。
 政令を定めたのは佐藤栄作内閣だ。
 学習指導要領では、小学校6年の社会科で日本国憲法を学ぶ際に、な
ぜか国民の祝日について教えることになっているが、建国記念の日につ
いては右のような経緯を教えたらいい。
 間違っても神武天皇が即位した日などと教えてはいけない。
 政令で定めた日は政令で定め直せる。僕は、ポツダム宣言の受諾によ
り天皇に代わって国民が主権者になった8月15日にしたらいいと思う。
        (2月16日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)


〔766〕「10時間超えのフジテレビ会見」をさらに超える住民投票条例を巡る清瀬市臨時議会は「お笑い劇場」でした。

2025年02月05日 | 市民運動

  清瀬市臨時議会について語る前に、その前日の2025年2月2日(日)、清瀬市民の「市内図書館4館閉館についての賛否を問う住民投票実現を願う」アピール行動について報告しておきます。
  テレビの週間天気予報で、この日は雪になるだろうという情報が流れていました。しかも日中5度以下のこの冬1番の寒冷日だというのです。

 午前11時、清瀬駅北口から歩いて数分のところにあるかぜのこ広場(新小金井街道にほど近い)に三々五々約80名の参加者が集まったときには、小雨が降り始めていました。
発起人の挨拶の後、スピーカーを先頭に、シュプレヒコールが住宅地に谺しました。
 かぜのこ広場から清瀬駅北口のロータリー、小金井街道の踏切を越えて都立清瀬高校方面に右折して、中央公園に到着し、総括の集会です。
  清瀬・教育って何だろう会や清瀬・憲法九条を守る会で共に活動した仲間の故・布施哲也さん(清瀬市議)が、このコースを行進しながらマイクを握っていたことを思い出していました。

 さてその翌日、2月3日(月)は「市内図書館4館閉館についての賛否を問う住民投票」を審議する清瀬市臨時議会の日でした。開会が10時ということでその少し前に市役所4階に仲間と駆けつけたところ、ロビーはすでに大勢の人で溢れかえっていました。なんとNHKのテレビカメラも入っていました。最前列の記者席には数人の記者の姿がありました。傍聴席は30人で満席、入りきれない人はロビーの中継カメラでの傍聴になっていました。ここにも40人ぐらいはいたのではないでしょうか。

 「10時間超えのフジテレビ会見」が何かと話題になっていますが、小学校と大学で50年にわたって演劇教育を追求してきた私にとって、今回の清瀬臨時議会はまさにそれ以上の「お笑い劇場」に映りました。
  午前中は議長による日程、請願代表者4人の陳述方法、傍聴のあり方などの確認で10分ほどで終了、午後は1:15開会というのです。3時間傍聴席にいてもしょうがないので、自宅に帰って食事をすませ出直しです。
  再開後、4人の陳述(一人5分以内)は実に立派、図書館行政の不行き届きを事実に即して明らかにし、住民投票の必要性を訴えました。その後、賛成する議員からも反対する議員からも数多くの質問がありました。
  何度か途中休憩を取りながら議事が進行していきましたが…。

  教育長が話をしているときに信じられないことが起こりました。いきなり清水ひろなが議員(清瀬自民クラブ)が緊急動議を出したのです。議運で話し合いをしたいということのようでしたが、人の話の途中でそれをぶった切ったのです。しかもそれを平然と認める議長、まさにこれはお笑い劇場①でしょう。

  宮原りえ、小西みか(風・立憲・ネット)、原田ひろみ、香川やすのり、佐々木あつ子、穴見れいな(日本共産党)、ふせ由女(共に生きる)各市議の住民投票賛成意見は説得力があり、どなたにも聞き惚れました。
  鈴木たかし(公明党)市議の発言にはあっけにとられました。住民投票反対の理由が2000万円かかる費用のことでした。図書館政策に対する諮問委員会にも、パブコメにも4館廃止ということを明示しないで、こっそり行政を進めてきたツケがまわってきたという反省がここには全くないのです。市が進めている老朽車両で「夢空間」を創るという費用は2億1800万円(移設3800万、修復工事1億、屋根などの設置に8000万)かかるといいます(お笑い劇場②)。
  お笑い劇場③は松本じゅん(風・立憲・ネット)、石川秀樹(無所属の会)両市議です。2人に共通している反対理由は、清瀬市はお金がないからというものです。「夢空間」で2億1800万円、図書宅配サービスで1億円、一体いくらかかるのか、梅園に新たな保管書庫を作るそうです。そしてすべての初期投資が5億円かかるそうです。こうした事実を二人はどう考えるのでしょうか。
  市が発行した「more!  KIYOSE」では図書館4館閉館は「経費削減が目的ではありません。」とはっきり書いているではありませんか。だからお笑いなのです。

 午後9時45分ぐらいだったでしょうか、残念ながらこの案件は賛成少数で否決されました。
 でも不思議なことに、負けた実感がまったくありません。定足数の6倍を超える署名7674筆が集まったのですよ。住民投票が実現していたら、おそらく間違いなく勝っていたでしょう。自公はそれをおそれて、住民投票には進ませたくなかったのでしょう。
 元町こども図書館をしばらく?存続するというのです。運動の成果で良かったね、というような上から目線の発言もあの2人はしていましたね。
 
 やはり次は自公の澁谷市政を替えるしかないようですね、皆さん!
 闘いはこれからです。


◆『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』

                             鎌田 慧(ルポライター)

 東京の出版社を辞めて長崎に移住した西浩孝さんから本が送られてき
た。彼が1人で起こした「編集室水平線」から出版された伊藤明彦著
『未来からの遺言 ある被爆者体験の伝記』。
 読み進みながら、恥ずかしさに息苦しくなった。ルポルタージュを仕
事にしていながら、16年前に72歳で他界したこの著者のことを知らな
かった。

 著者は長崎放送に勤めた後、全国に散った被爆者千人の声を録音、
全国の図書館などに寄贈した。全て自費での仕事である。
 被爆者取材に一生を懸けた営為を、西さんは『伊藤明彦の仕事』全6
巻にまとめる計画だが、わたしは遅ればせながら『未来からの遺言』を
読み、圧倒させられ、その決意を納得した。

 被爆者の吉野啓二さん(仮名)との出会いと被爆体験が細やかに描か
れている。被爆体験、入院生活、社会復帰などについて、豊かな生々し
い感情と情景に満ちた録音が残されている。
 しかし、 全く予想もしなかった結末を迎える。
 「吉野啓啓二さん」の遺体が、奥秩父の山中で発見される。謎の自死
だった。
 証言はどこまでが、自己体験だったか。それは分からない。
 しかし、死者たちは、吉野さんの口を借りて語った。
 「その苦悩に満ちた生は、それが核兵器を再び使わせず、廃絶させる
ことに役立てられる道を通じている」と著者は書く。
             (1月28日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)

 ◆デマ(人の命をも奪う)と報道
  史実…関東大震災時の朝鮮人虐殺

                           斎藤美奈子(文芸評論家)

 18日、元兵庫県議で、斎藤元彦知事らに対する告発文書の真偽を調べ
る百条委の委員だった竹内英明さんが死亡した。一連の告発文書問題に
おいては文書作成者だった元西播磨県民局長につぐ2人目の死者である。
 翌19白、N国党の立花孝志党首が「竹内元県議は明日逮捕される予定
だった」「逮捕が怖くて命を絶った」などとXや動画で発信。情報は瞬
時に拡散され、20日、兵庫県警本部長が県議会で「全くの事実無根」と
述べる異例の事態に発展した。

 デマは時に人の命をも奪う。その最たるものが関東大震災時の朝鮮人
虐殺だろう。
 「朝鮮人が放火した」などの流言の拡大には当初行政や新聞も加担。
 警視庁は6日後にデマは処罰の対象になると警告するビラを出した
が、多数の殺害事件はすでに起きた後だった。
 右の史実は重い教訓を残す。デマの拡散を防ぐには、公的機関や新聞
テレビなどの報道機関が虚偽情報をきっぱりと、迅速に、大々的に否定
することが必要なのだ。

 生前の竹内さんはデマや誹謗(ひぼう)中傷に悩んでいたという。25日
のTBSテレビ「報道特集」がこの件を特集、立花氏および同様の虚偽
情報を流した東国原英夫氏に発生源としての責任を問うたのはその意味
でも有益な報道だった。
 とはいえ、もっと早く対応していれば最悪の事態は避けられたかもし
れない。残念でならない。
               (1月29日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)

◆改竄関係文書を開示せよ

                   前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 赤木雅子さんの弾んだ声がテレビから聞こえてきた。「(夫も)喜んで
くれてると思います」
 森友学園に関する文書改竄を苦に自殺した赤木俊夫さんの妻雅子さん
が、財務省が検察に提出した改竄関係文書の不開示決定を取り消すよう
求めた裁判で、1月30日大阪高裁は一審判決を覆し、文書の存否を明ら
かにしないとした財務省の不開示決定を違法として取り消す判決を
出した。
 真相究明に向けてやっと一条の光が差してきた。
 雅子さんの開示請求は 2021年8月、菅義偉首相の時。財務省の不開示
決定は同年10月、岸田文雄首相の時。違法な不開示決定の責任はこの2
人の首相にある。今後の開示・不開示を決めるのは石破茂首相だ。
 判決翌日の衆院予算委員会で石破首相は俊夫さんについて「誠心誠意
職務に精励しておられた方が亡くなったことは真撃に受け止めなければ
ならない」と述べ、「奥さまが納得されることはとても大事」とも述べた。
 ならば全面開示を指示すべきだ。もし石破首相がなお開示を指示しな
いなら衆院予算委員会は国政調査権を発動すべきだ。
 焦点は、改竄が始まる直前の2017年2月22日、菅官房長官(当時)と佐
川宣寿理財局長(当時)ら財務省幹部が何を話し合ったのかだ。改竄の
共謀を知りつつ全員を不起訴にしたのなら、検察の責任も重大である。
                (2月2日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」より)


〔763〕第3回、核兵器禁止条約締結を祝う会( 清瀬駅北口ペデストリアンデッキ)が開かれました。

2025年01月22日 | 市民運動

 

   2025年1月22日、本日、正午を合図に、第3回、核兵器禁止条約締結を祝う会( 清瀬駅北口ペデストリアンデッキ)が鐘や鈴の音と共に開かれました。「みんなが主役」市民の会の主催です。
 2021年、核兵器禁止条約が締結された時、連れ合いは我が家のポスト脇の私設掲示板に「祝・核兵器禁止条約締結」と書き込みました。それから3,4年、色あせたマジックを赤で補修したのがつい先日です。それは改めて核兵器禁止条約締結の初心を思い起こすためでもありました。
 
 昨年の暮れ、さらに嬉しいニュースが飛び込んできました。日本被団協にノーベル平和賞が授与されたのです。ノルーウェーでの代表委員の田中煕巳さん(92歳)の演説をリアルタイムで聞き入ってしまいました。時々新聞に掲載された演説を読み返しています。

「…二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。一つは、日本政府の『戦争の被害は国民が受忍しなければならない』との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償わなければならないという運動。二つは、核兵器はきわめて非人道的な殺戮兵器であり人類と共存させてはならない、廃絶しなければならない、という運動です。」 そしてこう断言するのです。
「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいと思います。」
  毅然とこう言い切る大先達を誇りに思い、心からの拍手を送ったものでした。

  さて、何人かのアピールにも言及されていましたが、原爆と原発はまさに「地続き」です。ロシアが東海第2原発を標的にしていたことがわかって、さもありなんと思ったものです。核廃絶は原発廃絶でもあるのです。
 今年のさようなら原発全国集会は3月8日(土)です。代々木公園でお目にかかりましょう。


〔761〕「図書館4館閉館する市政は替えるしかない!」こんな原稿をあるミニコミに投稿しました。

2025年01月18日 | 市民運動

              図書館4館閉館する市政は替えるしかない!
                                           福田三津夫(清瀬・憲法九条を守る会)

 清瀬市も参加する最新の「多摩六都 図書館案内」に「中央・下宿・野塩・竹丘・元町こども図書館は、令和7年3月末で閉館します」とあります。清瀬市立図書館は駅前図書館と南部図書館(「令和8年2月オープン」)の2館のみとなります。つまり6館体制から2館体制に大きく後退することになるのです。しかも南部図書館が完成するまでの9ヶ月間は1館体制なのです。
  ところが市側は市報や「more! KIYOSE」という冊子を緊急発行し、新しい図書館体制の宣伝に躍起となっていますが、元町こども図書館は廃止ではなくあくまで駅前図書館に移転という立場なのです。「図書館案内」との整合性をどのようにとるつもりなのでしょうか。しかも驚くべきことに、編入されたこども図書館では、「飲み物を飲みながら本を読んだり」「電車の発着など駅周辺の様子を見ること」をウリにしているのです。図書館の存在意義をどう考えているのでしょう。

  この異常事態に、さすがにマスコミも騒ぎ始めました。「4館閉館に反対の声 住民投票目指し署名提出」(毎日新聞、2024年12月27日)、「清瀬市4図書館『見直し』=閉館」(朝日新聞、2024年10月3日)。
 私が40年以上住んできた清瀬市の誇りは、緑豊かな街並みと、充実した市民センター・文化施設・スポーツ施設・保養施設などでした。ところがここ2、3年、立科山荘や学校プールの廃止、消費者センターやきよせボランティア・市民活動センターの生涯学習センターへの統合、地域市民センターの役割縮小など、目に余る後退が続いています。そしてその極めつけは3分の2の図書館の閉館です。   
 このあり得ない文化の後退に、清瀬市民は党派を超えて立ち上がりました。住民投票で市民の民意を問うというものでした。住民投票条例を願う署名は7674筆に達し、定足数の6倍を大きく超えました。この市民の提起を市議会がどう応えるかが問われています(この通信が出る頃にはその結論が出ていることでしょう)。

 新年早々本を借りるため閉館間近の中央図書館を訪れたところ、子どもから若者、年配者まで、多くの来館者で賑わっていました。雑誌を読む人、友だちや親子で絵本を手にする人などほほえましい正月の風景がそこにありました。
 図書館は、本を求めるさまざまな人が出会い、交流し、何かを発見していく場でもあります。そもそも本を借りたり勉強をしたりするだけではなく、日本国憲法に定める基本的人権、知る権利や学習権を保障する存在でもあります(『生活と自治』2024年11月号)。
学校図書館はもとより、そうした貴重な場を充実・発展させていかなければならないのです。

 今一番考えなければならないのは、図書館を4館も閉館する市政は替えるしかない!ということです。 

〔付記〕エーリヒ・ケストナーは『エミールと探偵たち』や『飛ぶ教室』などで著名なドイツの児童文学者です。1933年、ブレヒト、トーマス・マン、レマルクらとともに彼らの本が燃やされました。ケストナーはそれにもへこたれずドイツからスイスに移住し、作家活動を続けたが2度にわたってゲシュタボに逮捕されました。ならばということで匿名で子どもの本を書き続けましたが、またもやナチスに発見されということです。そうした中で戦後ケストナーの待望の本の出版が続いたのです。こうした焚書の歴史に我々は何を学ぶべきでしょうか。

 

 清瀬・くらしと平和の会の仲間がこんな「市報・きよせ」を「発掘」してくれました。館長さんの原稿でしょうか、実に意欲に満ちたものになっています。昨年は中央図書館開館50年でしたが、市民にはその事実さえ知らされませんでした。ふせ由女議員が市議会で指摘したとおりです。

特集・中央図書館開館40周年記念


〔760〕澁谷清瀬市長に住民投票条例制定の請願書を提出しましたが、直接は受け取ってもらえませんでした。

2025年01月15日 | 市民運動

    清瀬の地域図書館4館を廃止するという市議会決定に対して、きちんと市民の意見を聞いてほしいということで住民投票を提起して、署名活動を展開してきたことは以前からブログでお知らせしてきました。
 その結果、7674筆の署名が集まりました。住民投票条例を求めるのに必要な有権者50分の1を大きく越えました。これはなんと定足数の6倍以上の数になります。
 
 2025年1月15日(水)。今朝10時、清瀬市役所1階のロビーに参集した市民は一目50人でした。ここで本日の流れを簡単に確認して向かったのは3階の小さな部屋でした。ここは私たち夫婦がコロナのワクチン接種証明をもらいに来たところでした。普段2,3人しか受け付けられないところです。「なんでこんなに狭いところしか用意できないの。」と怒りの声も聞こえてきました。市民を大切にするならもっと広い市長室とか、1階や4階のロビーでもいいのではないでしょうか。


  しかも澁谷市長は所用で受け取れないというのです。請願書を渡す数分間も時間がとれないというのでしょうか。この時間に市民が訪れるということは当然連絡ずみのはずです。そうした行為は市民をないがしろにする市長と思われてしまうのではないでしょうか。

 申し入れの数分後、4階のロビーで簡単な報告会が開かれました。その時に配られたチラシは2種類、「住民投票で夢のある図書館を創るきよせの会」と「夢空間の移設について考える市民の会」のものでした。

  闘いはこれからです。


〔755〕4館閉鎖の清瀬市立図書館問題の続報です。住民投票目指した署名は、定足数の約7倍に達し提出されました。

2024年12月29日 | 市民運動

 あろう事か、来年4月から清瀬市立図書館が6館のうち4館廃止されることは以前のブログでお伝えしたとおりです。しかも残りの1館(南部図書館)はしばらくの間、建て替えで使用できません。つまり来年4月からは駅前図書館だけしか使用できません。ふせ由女市議はこの事態を評して、古代中国の焚書坑儒やナチスドイツの焚書事件になぞらえました。はじめはなんと大げさな言い回しと思っていたのですが、あながちこれは間違えた表現ではないと今は思っています。
  このことに多くの市民が怒り心頭に発しました。そして住民投票で意見を聞いてほしいと、署名活動を全市で展開しました。11月の約1ヶ月間でした。署名を集める受任者はなんと360人、8218筆もの署名が集まりました。これは定足数の約7倍になります。
 私どもチーム福田もこれに取り組み77筆集めることができました。ほぼ戸別訪問中心でしたが、とても好意的な方が多かったです。居住地の近くでは9割ほどの方が書いてくれました。
  来年1月に市長にこれを提出します(1月15日)。市長はこれを議会に諮り、可決されれば住民投票が実施されます。

 これらの清瀬市民の取り組みを毎日新聞が取り上げてくれました。
 私たちの運動はまだまだ続きます。


◆菊池事件と差別    
 冤罪のまま死刑執行された何人もの人→立ち上がった「菊池事件」の遺族
                                    鎌田 慧    沈思実行(222)

 袴田事件の無罪判決の後、冤罪への関心が高まっている。冤罪は松川
事件のような政治的なフレームアップ(でっち上げ)以外は、たった1人
が被害を受けているので、社会的な関心は低く、司法制度の犠牲者とし
て闇に葬られてきた。
 袴田巌さんは逮捕から58年経って、無実が認められた。狭山事件の石川
一雄さんは61年が過ぎても、まだ殺人犯の汚名を雪いでいない。
 冤罪のまま死刑執行されたなん人かのうち、59年が経ってようやく遺族
が再審請求したのが、「菊池事件」である。被害者がハンセン病患者だっ
たので、差別の真っ只中にいて社会的に立ち上がれなかった。差別の重層
性が幾重にも絡みついている。
 熊本のハンセン病施設「菊池恵楓園」に収容されるのに抵抗していた
Fさんは、収容を勧奨していた役場職員宅に、ダイナマイトが投げつけ
られた事件の犯人にされ、否認しながらも10年の刑を受けた。しかし、
園内の代用拘置所だったので脱走できた。
 その脱走中に、同人物の役場職員が全身二十数カ所に刺傷を受けて死亡
する事件が発生する。それもFさんの犯行とされ、警察はFさんを捜索、
発見、逃亡する背後からピストルを発射して倒した。飛びかからなかった
のは、ハンセン病を恐れてのことだった。
 恵楓園内の「特別法廷」は消毒液の臭いが立ち込め、出張してきた検事
や裁判官は、白い予防服、ゴム手袋、ゴム長靴の扮装、証拠物件は火箸
で摘んでの裁判だった。菊池事件再審弁護団発行のパンフレット『菊池
事件』(百円)に、ある教誨師の言葉がある。「どうか許してほしい、
1人の人間として扱わなかったことを…私たちはボロ雑巾の様に彼を
扱ったのです」
 裁判は非公開だった。憲法に保障された公開原則の「裁判を受ける
権利」は奪われたままだった。
 銃撃された痛みのまま取り調べが行われ、供述書の署名も警察官が
行った。証拠も親戚の供述も捏造だった。再審請求中に、福岡刑務所に
移送され、すぐに処刑された。今、遺族がようやく、前面に出て最新を
訴えるようになった。
     (12月18日(水) 週刊新社会第1383号より)

◆NHK経営委の放送法違反
  安倍首相(当時)の任命責任も厳しく間い直されるべき

                               前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 かんぽ生命保険が18万件以上の不正契約を行った事件。いち早く報じ
たのは2018年4月のNHK「クローズアップ現代+」だった。その続編
のためSNSで情報提供を求めると、日本郵政から圧力がかかった。
続編は延期され、その間に被害者は増え続けた。
 NHK会長への圧力だけでは足りないと見た日本郵政は、鈴木康雄上
級副社長(当時)とNHK経営委員会の森下俊三委員長代行(当時。の
ち委員長)の人脈を通じ、経営委員会に抗議の書面を送る。
 応じた経営委員会は10月、上田良一会長(当時)に異例の厳重注意を
行った。これはガバナンスに名を借りた番組編集への干渉であり、放送
法違反の行為だった。

 この厳重注意に関する議事録の全面開示などを求めて、市民グループ
がNHKと森下氏を提訴したのは2021年6月。その控訴審が17日、原告
の実質完全勝訴と言える和解で終結した。
 NHKは厳重注意に関する議事録をホームページで公表。森下氏は98
万円の解決金を払うことになった。
 議事録を読めば、森下氏や石原進委員長(当時)が日本郵政の側に
立って番組の内容や取材方法への批判を繰り返していたことが分かる。
 現場を守る防波堤たるべき経営委員会が、逆に現場に圧力をかけたこ
とは糾弾に値する。
 安倍晋三首相(当時)の任命責任も厳しく間い直されるべきだ。
              (12月22日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」より)