後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔710〕今秋、地元清瀬で第3回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」を開催します。

2024年07月23日 | 美術鑑賞

 10月26日(土)から11月6日(水)までの約2週間、地元清瀬で、第3回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」を開催します。場所は西武池袋線秋津駅から徒歩1分のカフェギャラリー縁(えん)です。ここは清瀬市野塩になります。私がよく買い物に行くいなげ屋の目と鼻の先です。
 今回の写真展の特徴は、リーメンシュナイダーの秀作だけでなく、個性的な同時代の作家たちの作品も展示することです。
  日本で初めてのリーメンシュナイダーの写真集は『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(完売)ですが、その後も同時代の作家たちの作品も含めて写真集を計5巻出版し続けました(会期中に手持ちの4巻や教育関係著作数冊の割引販売も予定しています)。
  実は、この5巻に収まりきらない後期ゴシック彫刻の優品が数多く存在しています。今現在も2年に1度ぐらいドイツを根城にして外遊し、新たな作品に出合うことに心躍らせている2人です。今回の写真展ではおそらく日本で紹介されたことのない作品も展示したいと考えています。その一端がチラシの裏面にあるカルカーやアダモフの作品です。ここには掲載できなかったシュレスヴィッヒの祭壇もご覧いただきたい彫刻の1つです。とにかく、凄まじく圧倒される彫刻です。ご自身の目で確かめてください。ご来場、お待ちしています。

 連れ合いの福田緑のブログにはもう少し詳しい案内があります。ご覧いただければ幸いです。

https://blog.goo.ne.jp/riemenschneider_nachfolgerin/e/2d19495d57d26dbd4b2ec6352c00cc1d


〔709〕新刊『ノーモア原発公害』(副題、最高裁判決と国の責任を問う、吉村良一、寺西俊一、関礼子編著、旬報社)を推薦します。

2024年07月20日 | 図書案内

 2022年6月17日、最高裁の判決は、東日本大震災を契機に発生した東京電力福島第一原発事故に関し、国には責任がないとしました。ただし裁判官の判断は3対1に分かれ、責任ありという裁判官も1名いました。本書はその判決の不当性を様々な角度から批判検討しています。本書出版の意義は、過去の原発政策における国の責任を免罪しないこと、今後の原発推進政策にお墨付きを与えないことにあります(はしがきより)。
  福島第一原発事故のような重大な事故は二度と繰り返してはならないということで、まさに「ノーモア原発公害」であり、そして、広範囲にわたる放射能汚染という新しいタイプの公害と捉えています。
  巻末には「ノーモア原発公害市民連絡会」の発起人が54名、特別賛同人が70名紹介されています。
  発起人の一人、鎌田慧さんのコラムを読んでください。

◆廃炉は危機からの最大の脱出策
  「原発は民主主義の対極にある」      鎌田 慧(ルポライター)

 金沢市の四高記念公園で6月30日、「さよなら!志賀原発」全国集会
があった。小雨まじりだったが、福島第一原発被害者団体の武藤類子
さんや女川、柏崎刈羽、東海第二、島根原発など、各地の市民運動の
人びとが1100人ほど集まった。
 能登半島大地震の被害者は寒さを脱したが、志賀原発への不安は急速
に高まっている。原発は次の地震に耐えられない。

 半島先端で計画された関西電力や中部電力の「珠洲原発」は住民運動
が阻止したが、もしも建設されていたなら恐るべきカタストロフィー(
破滅)だった。その恐怖が運動をさらに真剣にさせる。
 建設を断念した珠洲原発も用地買収は手練手管、汚い方法だった。借
地契約すれば土地はそのままで借地料を払う詐欺まがいの方法や、電力
各社の常套手段だった「先進地視察」という名の、原発立地地域を連れ
まわる無料の観光旅行。

 賛成派になったある人は北海道から九州までの家族旅行を楽しんだ、
といった。
 原発は建設前から地域を汚染していた。
 「原発は民主主義の対極にある」。原発地帯をまわったわたしの
結論だ。
 いまはヒロシマのあと、ナガサキを迎える直前の状況、と言える。
 30日の集会は「志賀原発の廃炉を脱原発社会への突破口にする決意を
固め合う場」(北野進・集会共同代表)だった。廃炉は危機からの最大
の脱出策だ。  (7月2日「東京新聞」朝刊19面「本音のコラム」より)

◆ミサイル基地がやってきた
  湯本雅典監督の基地反対運動の映画
  『ミサイル基地がやってきた島で生きる』

                    鎌田 慧(ルポライター)

 「杖をついて 3本足で立って 地面の匂いかぐほどに 腰が
  曲がっても 戦争を止める手は 休めちゃいけない」。
 石垣島の公園にある憲法9条の碑をバックに、山里節子さんが朗々と
歌うトゥバラーマ(即興曲)が流れる。と画面が変わって、島中央の平
野部を占領した、陸上自衛隊のミサイル基地の遠景になる。

 私はこの標高526mの於茂登(おもと)岳の麓に広がっている田園風景
を、展望台から見下ろすのが好きだった。島の両側が東シナ海で、のど
かに風が渡って行くのが見える。
 湯本雅典監督の『ミサイル基地がやってきた島で生きる』は、戦後、
与那国島や本島の基地建設に土地を奪われ、この地に入植した人々の、
基地反対運動のドキュメンタリー映画である。

 防衛省の「南西地域の防衛態勢の強化」には、石垣島について「部隊
を配置できる十分な地積を有しており、島内に空港や湾岸等も整備され
ているとともに、先島諸島の中心に位置しており、各種事態において迅
速な初動対応が可能な地理的特性がある」とある。2018年度の予算に石
垣島のミサイル基地用地確保のために、136億円が確保されていた。
 わずか5年後の2023年、200台ほどの軍用車両とミサイル発射機が運ば
れてきた。
 この電光石火、狙い撃ち。
 ひとつの島を戦略的にしか考えない冷酷さは、強い憤りを感じさせる。
      (7月9日「東京新聞」朝刊19面「本音のコラム」より)


〔708〕新刊『ラボっ子旅に出る。』(副題、異文化をめぐる50年、そしていま、神山典士著、冨山房インターナショナル)には半世紀にわたる国際交流の歴史が凝縮されています。

2024年07月19日 | 図書案内

 株式会社ラボ教育センターについてはたびたび紹介してきましたが、単なる地域の英語教室ではなく、独特の方法(ラボ教育メソッド)により「英語力と社会力を獲得する」学びの場とでも言えるのでしょうか。私のラボ教育センターとの出会いやその研究組織での活動については拙著『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』や『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』(いずれも晩成書房)に書いていますので、読んでいただければ嬉しいです。

 ラボ教育センターの活動は、物語(ラボライブラリー)を丸ごと表現するテーマ活動などの日常活動と、キャンプや国際交流などの非日常活動に大別されるように思います。新刊『ラボっ子旅に出る。』はラボ教育センターの歴史も踏まえ、とりわけ50年にわたるラボ国際交流に焦点を宛てて書かれたものです。
 著者の神山典士さんがラボっ子ということで、当然のことながらご自身の体験と重ね合わせながら自由自在に筆を運ばれています。
  ノンフィクション作家の神山さんといえば、「佐村河内事件」でマスコミを賑わし、多くの賞を受けられているのでご存じの方も多いことでしょう。
  私は松本輝夫さん(ラボ教育センター元会長)の出版記念会の司会をされている時に1度だけお目にかかったことがあります。神田の冨山房でのことでした。

 本書は周到で丁寧な調査に基づいて書き込まれた労作です。日本の若者が異文化に出会い、大きく人生を変え、成長していく様が随所に語られています。写真もふんだんに挿入されていてとても読みやすい本になっています。昨今必要以上に匿名で語られ、ぼやかした映像が流布される風潮の中、全編を通して固有名詞で語られていることにも好感を持ちます。
 谷川雁さん、定村忠士さんといったもはや歴史的人物のことばも適宜挿入されています。私が言語教育総合研究所でお世話になった故・鈴木孝夫さん、門脇厚司さん、故・本名信行さん、そして、テューターの佐藤公子さん(長時間インタビューさせていただきました)、岩坂えり子さん(私にとって初めてのラボ・パーティ訪問をさせていただきました)などのお名前も懐かしく拝見できました。
 注文は1つだけです。国際交流がテーマなのでそちらに絞ったことは理解できるのですが、テーマ活動の写真を何頁か入れて欲しかったです。「初期のレッスン風景」との対比ができておもしろかったのではないでしょうか。

  蛇足ですが、今年のパリオリンピックを回避して、来年夏には地域の仲間や家族とドイツを根城にした旅を考えています。南フランスのロマネスク再訪、北フランスのゴシック彫刻も視野に入れています。私たちも旅に出ます!

■ 『ラボっ子旅に出る。』副題、異文化をめぐる50年、そしていま、神山典士著、冨山房インターナショナル

〈目次〉
はじめに コロナ禍を乗り越える
第1章 旅立ちの前夜
第2章 「ラボ・パーティ」誕生の秘密
第3章 「ひとりだちへの旅」で鍛えられる
第4章 英語力と社会力を獲得する
第5章 旅の記録2023
第6章 OB・OGたちの足跡といま
おわりに 国際交流半世紀の歴史の重み


〔707〕新刊『国家権力による虚構―歴史の歯ぎしりが聞こえる、「泊・横浜事件」と「大逆事件」』を心して読みました。

2024年07月10日 | 図書案内

 ここ1週間ほどブログが更新できなかったのは表題の本を読んでいたからです。視力の衰えを感じながら、内容の重いこの本にじっくり目を通していたのです。 

 ■『国家権力による虚構―歴史の歯ぎしりが聞こえる、「泊・横浜事件」と「大逆事件」』 向井 嘉之/金澤 敏子/西村 央【著】
・細川嘉六ふるさと研究会、能登印刷出版部、231頁、2024年4月20日発行

   明治時代の「大逆事件」とその30年後、昭和時代の「泊・横浜事件」の共通項はいずれも権力犯罪による事件だという点です。まさに「国家権力による虚構」、権力によるフレーム・アップ(でっち上げ)ということで通底しているのです。「大逆事件」は明治の「泊・横浜事件」、「泊・横浜事件」は昭和の「大逆事件」である、と言った人がいたということでした。なるほど、言い得て妙です。
 本書発刊の狙いは次のことに凝縮されそうです。 
 「国家主導による個人の抹殺とは一体何なのか。「大逆事件」と「泊・横浜事件」を通してその本質を考えてみたい。」(まえがき)

  本書の出版の大きな契機になったのが、「泊・横浜事件」の元被告で中央公論社編集者だった木村亨さんの妻、木村まきさんの死去でした。まきさんは私と同じく清瀬市に住み、地域の市民運動を共にしてきた仲間でもありました。まさに同世代でその人となりを良く知っています。
 彼女を悼んで東京の練馬区にあるギャラリー古藤で「治安維持法の時代を考える」という展示会が開催されたことはこのブログでも報告したところです。昨年の暮れのことでした。
  この本にも頻繁にまきさんが登場し、その展覧会の資料も数多く掲載されています。
 私の後ろ姿も写真に写っていたり、大杉榮の甥にあたる大杉豊さんも来場されていたようです。

 「泊・横浜事件」と「大逆事件」とつなぐ奇遇と言っても良い事実が紹介されていました。木村亨さんは大逆事件で処刑された元医師の大石誠之助と同郷で新宮市の出身です。亨さんの祖母は大石誠之助に看てもらったということでした。「貧しい人からは金を取らない、あんなに良い先生がなぜ殺されたのか。」ということばを覚えていたというのです。
 最後はルポライターの鎌田慧さんへのインタビューで締めくくられています。鎌田さんは大逆事件で生き残った坂本清馬伝『残夢』を著しています。『大杉榮 自由への疾走』と共に名著と言えるものです。

 興味深かったのは「泊・横浜事件」で拷問にあった中央公論編集部長だった藤田親昌のことです。彼の息子が演出家のふじたあさやさんです。日本演劇教育連盟の演劇教育賞選考委員会などで何年もお世話になった方です。2017年、青年劇場が「『事件』という名の事件」を上演しました。木村亨さんが重要人物として描かれているらしいのですが、再演の時は必ず足を運ぶつもりです。


◆永遠の未完成
  六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場
  事業費15兆1千億円は私たちが支払っている電気料金

                                    鎌田 慧(ルポライター)

 青森・六ケ所村に建設中の原発の使用済み核燃料の再処理工場。核燃
料サイクルの事業費が、予定より増えて15兆1千億円になる、と「使用
済燃料再処理・廃炉推進機構」が発表した。
 今月末にはいつから稼働できるか発表する、と言っていたがそれは無
理で27回目の延期発表になりそうだ。
 15兆円といえば国家的大事業だが、着工は1993年(69年には建設計画
があった)。それから31年たったがいまだにいつ完成するのか、誰も語
ることができない。

 工期が長くて有名なスペインのサグラダ・ファミリアは、着実に建設
が進みガウディ没後100年の2026年にはメインタワーが完成する。

 一方、青森で未完の再処理工場は、建物だけはほぼ完成したが、高レ
ベル廃液をガラス固化体にする建屋が、2009年の廃液洩れ、事故で汚染
され停止したまま。
 試運転さえできていない。ウラン溶液とプルトニウム溶液とを分離、
精製する作業もある。
 が、事故続きだった高速増殖炉「もんじゅ」が、ついに廃炉を決定し
たように、廃炉宣言は必定だ。

 使用済み核燃料を核燃料サイクルで全量再処理する、それが政府の絵
に描いた餅。
 破綻はすでに明らかだ。生産がなくとも倒産しないのは、私たちが支
払っている電気料金から費用が支払われているからだ。
 未来のエネルギー。その虚妄を私たちが身銭を切って支えている。
                 (6月25日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」)

   ◆虚妄の核燃料サイクル (上)
  地震大国で活断層だらけの日本では 最終処分場は無理
  着工31年でもまだ未完成の工場
                         鎌田 慧

 6月中旬、佐賀県玄海原発敷地内で、使用済み核燃料(核のごみ)最
終処分場を建設するための、調査がはじまった。これまでは北海道の寿
都町と神恵内村での調査があったが、原発敷地内では初めてだ。
 調査に協力するだけでも20億円が入る、そのカネの力に屈した。さら
に四国電力の伊方原発でも、自社の使用済み核燃料を保管する動きが
ある。

 しかし、最終処分場は世界でもいまなお、フィンランドのオンカロで
建設工事が始まっているだけで、地震大国・日本ではほぼ無理とされて
いる。
 だから日本では、地下300m以上の地層内に埋蔵する方法ではなく、
「キャスク」と呼ばれる、高さ5.7m、直径2.4mの円筒状の金属製
容器に収容して、地上におく方式を取ることになった。
 いわば「仮処分」だが、地上、地下ともに安住の保証はまったくない。
 原発の終わり、デッド・ロックの象徴でしかない。
 にもかかわらず、岸田首相の原発延命政策は、無知、無責任、集団自
殺行為といっていい。

 原発はいまさらいうまでもなく、活断層だらけの地震列島・日本には
もっとも不向きな発電装置だ。
 パイプだらけの原発が大地震に耐えられるかどうか、事故時に住民が
無事に放射能、圏外に脱出できるか、それらの不安すべてを、カネの力
で押し切った暴政が、日本の原発政策だった。

 いま、着工から31年が経ってなお、稼働の見通しがまったくない、青
森県六ヶ所村の核燃料再処理工場の実態を見れば、核政策がいかに馬鹿
げたものだったかがわかる。

 六ヶ所村への「核燃料サイクル」建設は、1969年の「新全国総合計
画」(新全総)時代に計画され、秘密にされてきた(拙著『六ヶ所村の
記録』)。
 着工して31年経っても完成しない工場とは、現代の怪談とも言える。
 日本の「国家事業」としての核燃料サイクル路線とは、技術評論家の
山本義隆氏が書いている。
 「核燃料サイクルの確立そのものを第一目的として核発電に取り組ん
だのである」(「核燃料サイクルという迷宮」)。
    〔6月26日「週刊新社会」第1360号「沈思実行」(199)より〕