後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔608〕鎌田慧さん、立て続けに『忘れ得ぬ言葉』(岩波書店)を出版です。

2023年09月27日 | 図書案内
 先日このブログに新著『叛逆老人-怒りのコラム222』(論創社)を紹介したばかりでしたが、またまた『忘れ得ぬ言葉』(岩波書店)が新刊されました。恐るべき叛逆老人です。
 たんぽぽ舎のメルマガに再録されたコラムも掲載させていただきます。



〔ソデ〕「自分の逃げる姿勢というものは許せない」――瀬戸内寂聴さんをはじめ、大江健三郎、石牟礼道子、菅原文太、やなせたかし各氏など、三七人から直接聞いた印象深い言葉を紹介。戦争、原発、公害、えん罪、基地問題など、権力に抗し、あくまで人びとの側に立ち筋を通したそれぞれの人生を、豊かな筆致で描く愛蔵版エッセイ集。


●鎌田慧コラム

 ◆ 沈思実行(157)教員支配の行き着く先
   全国で教員不足、自民党と財界による教員支配が
   学校現場の自由を奪っているから
                         鎌田 慧

 長時間労働、過労死など、学校現場の悲惨な状況が、最近よく伝えられ
ている。「小学校教員の競争率過去最低」との記事は、全国で「教員不足」
となっていることへの警鐘だ。
 子どもたちと一緒に過ごす。将来への夢を育てる。小中学校の教員の
夢は、これからの社会と関わる大事な仕事だ。ところが、現在、教員志
望者が減りつづけ、せっかくなったにしても、一年以内に退職する新任
教諭がふえている。

 昔の教員は牧歌的だった。「デモ、シカ教員」といわれ、先生にデモ
なるか、教員シカない、と就職口のひとつだった。それにしても、なって
しまえば、子どもたちの世界が、教員の人間形成に影響を与えた。
 教育が「聖職」とか、「愛国心の涵養」など、政治利用の道具
にされると退廃する。学校現場が窮屈なものになってしまったのは、
自民党の支配が強まったからだ。いまの志望者激減は、民間企業並みの
支配と労働強化によっている。

 わたしは40年前に『教育工場の子どもたち』(岩波書店)をだした。管理
教育のまっさかり。教員たちが校門の前で、登校してくる生徒たちをつか
まえて、スカートの丈をはかったり、髪の長さをチェックしたり。非行化
は服装からはじまる、と信じられていた。「校則」がきびしかった。
 あのころから、学校が「共有」から「管理」の道具にされ、教員たちの
余計な仕事がふえた。教育の憲法というべき理念が掲げられた教育基本法
が、教育支配法にかえられたのは、2006年、第一次安倍内閣が成立してか
らだった。

 そして09年、教職員免許法の改悪で、教員免許を10年間の有効期間と
した。労働現場とおなじ、非正規化を狙ったのだから、犯罪的だった
(昨22年に廃止)。
 教育を支配の道具にしたのは1941年。日米戦争を背景に、尋常小学校
を「国民学校」に改名し、戦争にむかう「少国民」を育成する教育がは
じまった。軍人化教育の徹底だった。

 いま、教員志願者を減らしているのは自民党と財界による教育支配が、
学校現場の自由を奪っているからだ。
     (8月2日「週刊新社会」)

◆核はモラルを破壊する
  原発建設は「カネ・カネ・カネ」を前面に
  「秘密・強制・独裁」の暴力で進行した事実

                沈思実行(159)  鎌田 慧

 1954年、米政府の招待をうけて、カリフォルニア州バークレイにある
「ローレンス放射線研究所」を見学した中曽根康弘氏が、翌年の衆議院
予算委員会で、2億3500万円の原子炉建造予算を提案、成立させた。
 アイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォア・ピース」という名の「
核の商業利用」の御先棒を担いだ予算獲得だった。
 2億3500万円は、広島、長崎を一発の原爆で破壊させた、ウラン23
5の威力をもじったもので、それが日本最初の核開発予算だった。
 日本学術会議の原子核特別委員会(朝永振一郎会長)は、原子力の平和
利用を強調して「公開・自主・民主」の三原則を提起した。

 しかし、その後の原発建設は「カネ・カネ・カネ」を前面に立て「秘
密・強制・独裁」の暴力で進行した。
 わたしは、70年代はじめの柏崎・刈羽原発と伊方原発反対運動から取
材をはじめたが、その後、各地をまわって、「原子力」といいながら、
実態は「金権力原発」「金子力原発」だ、と書いてきた(『日本の原発
地帯』)。

 原発を「トイレのないマンション」と批判したのは、物理学者の武谷
三男さんだったろうか。70年代ごろからよく使われて、すでに常套句。
 いままさに自腹満杯の時代を迎えた。トイレばかりか、本体の「老朽
マンション」の処分の時代になった。

 もんじゅは「夢の高速増殖炉」と呼ばれ、使用済み核燃料からプルト
ニウムとウランをとりだして「MOX」燃料にして、永遠に原発を稼働
させるという触れ込みだった。
 が、ナトリウム漏れなどの事故によって撤退、立ち腐れ。青森県六ヶ
所村の再処理工場は、着工から30年経っても完成しない、試運転さえ14
年間、実施されていない。

 いま、最終処分場どころか、再処理工場に運ぶまで一時的に預かる、
という、下北半島むつ市の「中間貯蔵施設」も稼働に入れない。
 こんどは関西電力が山口県上関町につくりたい、との申し入れ。地球
を汚染する核廃棄物汚染土、汚染水処分。
 核のごみの移動もまた、カネ・カネ・カネ。すでに死臭が漂っている。
  (8月16日「週刊新社会」)

 ◆核汚染水を海に捨てるな
  必要なのは汚染物は外にださない!!とするモラルだ

                  沈思実行(160)鎌田 慧

  政府は8月末にも、福島原発の核汚染水の海洋放出をはじめる、と
の調整にはいった、と各紙が報じている。
 岸田首相は米国で行われた日米韓首脳会談に出席する前に米・韓に「丁
寧に説明する」と語っていた。
 しかし、放流は米韓だけに影響を与えるものではなく、むしろ南太平
洋への方が深刻なはずだ。

  「アンダーコントロール」は、オリンピック開会式で脚光を浴びた
い安倍元首相の欲望による、大ウソだった。
 デブリ(溶けた核燃料)ばかりか、核汚染水さえコントロールでき
ず、それもこれから30年以上も垂れ流し状態になる。日本が世界の環境
に影響を与え、きわめて責任は大きい。

 汚染水ではない。ALPS(多核種除去装置)で処理済みの「処理
水」だ、とは詭弁である。
 処理後に残されたトリチウムは海水で薄め、世界保健機関(WHO)
の飲料水基準の7分の1に抑える、とは、政府と東電の弁明である。

  第一原発の敷地にタンク群が林立している光景は、見学に行ってそ
の間を通り通り抜けただけでも恐怖感を覚えさせた。
 タンク内でひっそり沈黙している汚染水が、海をめがけて音をたて、
流れて行く光景は想像するだけでも、慄然とさせられる。
 現在、133万トンのタンク内「処理水」のうち、約7割が浄化不十分
で、もう一度の処理が必要とされている。

  汚染水の放出は廃炉準備のためというのは口実だ。タンクを解体し
て敷地を確保し、これからはじまる廃炉設備の設置工事に必要だ、と政
府は強調している。

 が、いつからどのように工事がはじまるのか、その具体性はない。
 放出しなければ廃炉工事ができない、と脅かすよりも、必要なのは、
汚染物は外にださない、とするモラルだ。

  海はいのちを育んできた。
 プランクトン、魚卵、海藻海草、貝や虫などのちいさな命。
 事故がなくとも原発や核燃料再処理工場などは、膨大な量のトリチウ
ムを海へ流してきた。
 核物質の海への放出によって、原発が維持されてきた。
 その事実を認めれば、原発の存在自体を認めることができない。
    (8月23日「週刊新社会」)

◆100年前の関東大震災と甘粕正彦
  大杉栄と伊藤野枝、甥(6歳)の3人が憲兵隊に殺された
  「沈思実行」(162) 鎌田 慧

  100年前の9月1日。関東大震災が引き起こした惨劇は、自然災害に
よる大混乱のなか、さまざまな場所で殺人事件を発生させた。
 植民地にされた朝鮮から強制連行や出稼ぎなどで来日していた数千人
の朝鮮人、さらには中国人が警察や軍隊、自警団に煽られた民衆に
よって殺害された。
 福田村事件のように、朝鮮人とまちがえて殺された日本人も多かった。
 人間が集団になった時の恐怖の暴発とテロルの歴史を、わたしたちは
抱えている。

  このなかで、社会主義者10人が留置場から軍隊(騎兵隊)に引き渡
され、刺殺された亀戸事件。大杉栄と伊藤野枝、甥の橘宗一(6歳)
が、皇居前の憲兵隊本部に泣致され、集団で嬲(なぶ)り殺されて、井戸
に捨てられた残虐な事件を忘れることはできない。
 軍隊は他国の民衆を大量殺人するための集団である。それが自国民に
もむかうのは、沖縄戦のはるか以前、大正時代の関東大震災でもあきら
かだった。

  関東大震災下での朝鮮人大虐殺について、日本政府は韓国政府にた
いして一度も謝っていない。松野博一官房長官は、いまだに「政府に記
録はない」と突っぱねている。小池百合子東京都知事もきわめて冷淡だ。
否定は容認に繋がる。

  大杉事件は、権力犯罪としての大逆事件から、たかだか12年しか
経っていないのちの権力犯罪だ。
 が、いまだに甘粕正彦憲兵隊大尉の犯罪、とされている。が、甘粕個
人の犯罪ではない。路上を歩いていた親子連れ(甘粕は親子と思った)
を、憲兵隊本部まで拉致した(それだけでも権力犯罪)のは、たしかに
甘粕だ。
 しかし、憲兵隊幹部(大杉とおなじ陸軍幼年学校出身者)たちが、大
杉を取り巻いて殴り殺した。その中に甘粕がいたかどうか判らない。
甘粕の供述はしどろもどろで、リアリティがない。

  甘粕は因果を含められて罪を被った。 3人殺して「懲役十年」。そ
れも3年目にフランスへ出国させられた。軍法会議のデタラメだ。9月
16日午後1時。地下鉄名城線自由ケ丘駅下車。西へ300m。日泰寺で宗一
少年の墓前祭。       (9月13日「週刊新社会」)

〔607〕横浜港のど真ん中にあるノースドックとは。塚越敏雄さんからの「腰越九条ニュース」204号です。

2023年09月19日 | メール・便り・ミニコミ
  8月から9月半ばまでドイツ後期ゴシック彫刻を訪ねる旅をしていました。発見の連続の旅でしたが、少しずつブログに書いていきたいと思います。
 その前に以前いただいていたメールを紹介します。

■ご無沙汰しております。腰越の塚越です。
さて、遅くなりましたが、腰越九条ニュース204号、送付します。添付資料をお読みく
ださい。

今回は、観光地である横浜港のど真ん中にあるノースドックを取り上げました。そこが
台湾有事で米軍や自衛隊の出撃基地になり、その準備がされている危険性に、市民・県
民のほとんどが知らない・気づいていないことを書いてみました。知ること・知らせる
ことの重要性を感じるからです。塚越敏雄



                          

◆空港残酷物語
  内陸部の大空港建設は住民の犠牲が大きすぎる

      鎌田 慧(ルポライター)

 成田空港の「開港」予定日は、1978年3月だった。しかし、空港建設
反対派が管制塔に突入、占拠。福田首相が「残念、無念」と嘆いて5月
に延期した。農民の土地が強制収用され、血まみれの抵抗闘争となり、
死者も出ている。
 政府と空港公団(現・成田国際空港会社)はその後「これからは強権
的な手段は使わず、話し合いによる解決を図る」と確約し、2本目の滑
走路建設に取りかかった。そして今、「機能強化」を謳い、3本目の滑
走路建設と朝5時から深夜25時までの運用時間延長案を発表。「4時間
しか眠れなくなる」と住民の反発が強い。すると、5時から22時と7時
30分から24時30分の滑走路の「スライド運用」、つまり、早番と遅番の
2直、入れ替え体制を提案している。
 深夜の交代勤務は会社勤めにはあるが深夜勤務手当を受けても心身の
負担が大きい。航空会社の儲けのためになぜ住民の平和な生活が犠牲に
されなければならないのか。
 成田空港は当初の予定地「富里」の反対運動のあおりを受けて「緊急
着陸」した空港だった。内陸部に大空港建設は、住民の犠牲が大きすぎ
る。国際便は羽田、関西など海沿いの空港に分散されている。成田一極
主義は時代遅れだ。成田周辺住民の「夜間飛行差し止め請求訴訟」がは
じまった。空港拡大を目指す農地取り上げへの抵抗も強い。
    (9月12日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)