後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔372〕今回は「スサノオ」(番外編)、矢部さんの「霊峰熊山の石積遺跡」です。

2021年06月28日 | メール・便り・ミニコミ
 矢部顕さんが「スサノオ」(番外編)を送ってくれました。なかなか興味深い「霊峰熊山の石積遺跡」です。

●福田三津夫様
 やっと田植えが終わりました。一昨日は、近所の小学校の学習田の田植えのために代かきをしました。水を田んぼに入れるのは、前にもお知らせしたことのある、人力足踏み水車で子どもたちが踏むのです。写真添付。



 人力足踏み水車は、江戸時代中期から昭和20年代まで使われていたもので、近隣の農家の納屋の奥の方に仕舞いこんでいたものを寄付してもらって修理したものです。いずれも、大正時代のものでした。

 「スサノオ」の物語をめぐって①②③をブログに掲載していただきましたが、今回は「スサノオ」(番外編)です。
 出雲神話とは関係ないと思われます。

 我が家の近くに、「スサノオの御陵」があったと言う人がいたのです。
 その人はたいへん有名な宗教家の出口王仁三郎です。
 小文「霊峰熊山の石積遺跡」をお送りしたことはありましたっけ?
 添付します。

                                                      矢部 顕

●「霊峰熊山の石積遺跡」

               霊峰熊山の石積遺跡
                  ――ピラミッドか、スサノオの御陵か――

                           矢部 顕
●謎の石積遺跡
 我が家の窓から東の方向に熊山という名前の山が見える。標高は508.6mで、このあたりでは一番高く急峻な山である。北麓をJR山陽本線、南麓をJR赤穂線が走っていて交通の便がよいので関西方面からのハイキングの登山者も多い山で、私も学生時代から何回か登ったことがある。眺望はすばらしく、晴れた日には瀬戸内海はもちろん四国の屋島や五剣山も指呼の間で、北には中国山脈を眺め、備前平野を見下ろす絶景の山である。
 頂上は平坦部が広く、宗教的にゆかりの深い場所で古い時代の遺跡がいろいろある。国の史跡に指定されている熊山遺跡をはじめ、帝釈山霊山寺という山上伽藍跡や熊山神社、鍛冶神社、猿田彦神社、油瀧神社がある。山上には杉の巨木が密生していて、そのうち2本は樹齢1000年を超える天然記念物で神秘的な雰囲気を醸しだしている。ここに熊山遺跡と呼ばれているマヤのピラミッドに似た形の石積みの構造物があって、より謎めいた空間に霊気が漂っている。
 熊山というから熊がいるかというとそうではなく、古代吉備国の東の隅だから隅(くま)山というのや、韓国語のクマは王とか神とか神聖な場所を表す言葉なのでクマ山だとか、いくつか説がある。空海が聖地を高野山に決める前の候補地だったともいわれている神仙の山である。
 山頂にある熊山遺跡について『熊山町史』より引用する。「この遺跡は、熊山山頂帝釈山霊山寺戒光院境内跡にある全国に類をみない石積みの遺構である。方形の基壇の上に石をもって三段に築かれたもので、第一段の一辺は7.75mである。第二段の四側には龕(がん)(よこ穴で祭神をまつるところ)が設けられ、中央には縦長の小室がある。小室からかつて陶製筒形の容器(高さ160cm)と三彩の小壺が発見された。現在、陶製筒形の容器は天理市の天理大学博物館に保存されているが、三彩の小壺は不明である」。(地元・赤磐郡熊山町の『熊山町史』より)

●諸説紛々
 この石積遺跡はいったい何なのか? 誰が何のためにつくったのか?
 いまだ確定的な説はなく、たくさんの学者のいろいろな説がある。主なものをあげてみると、1.戒壇説、2.回壇説、3.仏塔説、4.段塔説、5.経塚説、6.ピラミッド説、7.古代宗教儀式構造物説、8.墳墓説、9.太陽神説、その他にもまだまだいろいろあって諸説紛々である。また、それぞれの説のなかにもいくつもの説があって百花繚乱だ。たとえば墳墓説も、和気清麻呂の墓(熊山北麓の町は和気郡和気町といって、道鏡の宇佐八幡神託事件で有名な和気清麻呂の出身地である)、渡来人の王の墓、この近くにいた高僧の墓、そして、なんとスサノオの御陵説もある。
 この遺跡は、かつて存在した帝釈山霊山寺の境内にあって、この寺は鑑真の開基で、山上伽藍には本堂、戒光院、観音堂、鐘楼のほか13坊が室町時代まで存在していたといわれている。鑑真は、唐招提寺戒壇、東大寺戒壇、大宰府観世音寺戒壇、下野薬師寺戒壇とともにここ熊山にも戒壇をつくった。これらが五大戒壇であるというのが戒壇説である。
 また、この山の南麓は、日本六古窯で有名な備前焼(伊部焼)の窯元の町で、今は備前市であるが以前は伊部(いんべ)町といった。伊部は忌部であって、古代の神官の忌部一族の地であり、熊山遺跡は忌部氏の古代神祇祀を行った場所という説もある。
 仏塔説もいろいろあるのだが、基壇のその下は巨大な磐座(いわくら)があって、弥生時代以前の古い磐座信仰の場所に新たな仏教思想に基づいて作られたという仏塔説もある。

●スサノオの御陵説
 「スサノオの御陵である」と言ったのは大本教の出口王仁三郎である。こんな説があることなど私は今までまったく知らなかった。『出口王仁三郎聖師と熊山』という研修資料と記された本が大本教本部から出版されていることを知り、さっそく購入した。「出口王仁三郎聖師ご登山60周年記念刊行」ということで1990年に出版されたものだった。なんと「まえがき」の「編集にあたって」は、大倭でもおなじみの出口三平さんのお名前だった。この本から次のようなことを知った。
 王仁三郎は、崩れかかった石積遺跡を修復してきちっと祭祀することを考え、これを奥の院として、西麓の町の国鉄山陽本線万富駅北方の向山(別名・城山)に大本教の宗教施設である中国分院を建設した。昭和9年のことである。その以前、昭和5年に王仁三郎は熊山登山をしている。当時の新聞・中国民報は次のような見出しで報じている。「山駕籠にゆられゆられ けふ王仁さん熊山登り 戒壇と城山の別院候補地を視察 至るところ出迎への人波」。熊山周辺の町村長、助役、岡山市市議ら地元の有力者を含めた近郊の一般人50名、信徒250名、総勢300名がお伴したという記事が掲載されていた。一般新聞の見出しに「王仁さん」と親しみをこめて表現しているのは、当時の大本教の王仁三郎がいかに民衆に人気があったかが窺える。その他の新聞・山陽新報、大阪毎日岡山版、大阪朝日岡山版も同じような記事を掲載している。
 昭和10年、大本教は不敬罪ならびに治安維持法違反で宗教弾圧を受けた。第二次大本事件と呼ばれる国家権力による大弾圧で、書籍類は焼き尽くされ、教団施設はダイナマイトで徹底的に破壊された。向山に建設された大本の中国別院も同じ運命をたどった。
 春のある日、向山に登ってみた。直下に吉井川の清流を見下ろし、その向こうを見上げると熊山山塊の威容がせまってくる。いまは向山頂上の別院跡には桜が植えられ公園になっていて、今を盛りに満開の花を咲かせていた。当時の破壊された建物の一部の破片が記念碑的に残されていて、その隣には熊山を見つめる方向で、王仁三郎の短歌が刻まれた巨大な歌碑が再建(昭和42年)されていた。奈良時代とも、それよりはるかに昔に建立されたともいわれている熊山遺跡のいのちの長さと、この中国別院のはかなさに想いを馳せたひとときであった。(2013.4.4.)



〔371〕ダニエル・マウホとミュンナーシュタットの祭壇(中世ドイツ彫刻)の誌上探訪です。

2021年06月27日 | 美術鑑賞
 コロナ禍の今、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。高齢者の私は、ようやくワクチン注射を2回終えたところです。好きなバドミントンを少しはやりたいなと思うこの頃です。昨日半年ぶりにプレイして身体が全然動きませんでした。
 自粛期間中の楽しみは、中世ドイツ彫刻の図録を眺めることです。
 欲しかった2冊のドイツ語の図録をネットで買い求めることができました。2冊とも大冊で、かなりの重量があります。妻のドイツ語力に頼りながら、もっぱら豊富な写真を眺め様々想像をめぐらし楽しんでいます。



 左の本は中世ドイツの彫刻家、ダニエル・マウホの図録(ウルム博物館発行、ハードカバー、340頁)です。ウルム博物館は3度訪れていて、旅先でこの図録を買おうか躊躇していたのです。今回、ネット購入して大正解でした。なんとマウホのカタログ作品が50を超えていました。写真もなかなか良いものでした。解説の大半はウルム博物館のエヴァ・ライステンシュナイダー博士が書いたものです。一度博物館に彼女を訪ね、お話をうかがい、許可していただいた写真を掲載した写真集を届けました。
 マウホは柔和な心温まる作品が多く、心引かれるものがあります。福田緑の『祈りの彫刻』(全4冊)では写真紹介できなかった作家でした。実は中世ドイツ彫刻に関する緑との共著にマウホを紹介したいと考えています。来春出版を予定しています。やはり来年1月に予定している緑の写真展(国分寺)には残念ながら間に合わないと思います。
 マウホはウルムやルティッヒ(ベルギーのリエージュ)で活躍した作家なので、南ドイツやベルギーにその作品が多く残されています。ドイツ行きが解禁されたら「マウホを歩く」旅に出たいと思います。表紙の聖母子像はリエージュ、代表作の聖家族像はビーゼルバッハ、マリアの戴冠像はケンプテンにあります。亡くなられた池内紀さんの『ドイツ 町から町へ』(中公新書)に有名ではないケンプテンが紹介されていてびっくりしました。

 右の本はバイエルン国立博物館の図録「芸術と大罪」(ソフトカバー、240頁)です。コロナ禍で一時閉館してましたが、この展覧会は8月1日まで開催しているとのことです。
 図録の副題は「ファイト・シュトース、ティルマン・リーメンシュナイダーとミュンナーシュタット祭壇」です。中世ドイツ彫刻の2人の巨匠がミュンナーシュタットの教会で出会います。リーメンシュナイダーの彫刻に彩色したのがシュトースでした。実はシュトースの仕事はもう1つありました。祭壇に4枚の絵を描いていたのです。私自身は2回ミュンナーシュタットの教会を訪れたのですが、この絵はうかつにも見落としていました。教会ではどうやら祭壇にではなくて壁に展示してあったようなのです。
 今回の展覧会はどちらかというとリーメンシュナイダーよりシュトースに重きを置いているようです。この図録はシュトースの彫刻の代表作も掲載されていますが、画業について様々な角度から触れられています。シュトースのスケッチも多く、画家としての仕事に光を当てています。執筆はフランク・マティアス・カメル館長とマティアス・ヴェニガー博士が中心です。
 いずれミュンナーシュタットの教会を再訪することを願っています。

〔370〕ラボ・ライブラリー「スサノオ」(谷川雁)をめぐる矢部顕さんとラボ・テューターの含蓄に富む往復書簡です。

2021年06月10日 | メール・便り・ミニコミ
 このブログでは度々ご登場の矢部顕さん(元・ラボ言語教育総合研究所事務局長)が、ラボ・ライブラリー「スサノオ」(谷川雁)をめぐっての興味深い含蓄に富む往復書簡を送ってくれました。対話者は矢部さんとあるラボ・テューターです。
 このブログでは矢部さんと私とのやり取りを含めて、その往復書簡をご紹介します。神話の背景を興味深く深掘りしていてたっぷり読みでがあります。
  全体の編集は矢部さんです。注釈まで書いていただきました。感謝です。
 ご紹介いただいた拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』では「テーマ活動『スサノオ』を創る」として行松泉パーティを取材しました。


■福田三津夫さんは言った
「訪ねたい処が二つある、一つは出雲です」

矢 部  顕

●福田三津夫さんへのメール(2014年12月)
「スサノオ」の物語をめぐって(1)

 北関東の支部発表会で、福田さんが研究対象として訪問しているYパーティの「スサノオ」が圧倒的だったとの感想をお聞きし、私の記憶がよみがえってきて想像がふくらんでいます。わたしが以前にYパーティのちがう物語のテーマ活動の発表を見たのですが、やはり圧倒的でした。

 これからの話はYパーティの「スサノオ」のことではなく、四国のGパーティの話です。
四国支部の国際交流壮行会で「スサノオ」を発表する。ついては、ラボっ子と父母でバス1台チャーターして出雲を訪れ、スサノオのゆかりの地やヤマタノオロチの伝説の場所を訪ねる計画をしたので、ついては矢部さんにガイドをお願いしたい。宿泊施設では、夜、「古事記」についての講話をしてほしい。こんな依頼が飛び込んできて、今年の4月にラボっ子に同行して出雲への旅をしました。
 宿泊施設での夜の講話は、普通の高校生が聴いてもむつかしいと思われる私の話を、小学校高学年以上の子どもたちが聴いてくれて、「面白かった」「もっともっと聴いていたかった」と小5と小4の女の子が言ったのには驚きました。こんなことがあり得るのは、テーマ活動に取り組んでいるがゆえに、関心の深い主題を集中して聴くことのできる力が養われていることにほかならない、というか、知的な大きな受け皿ができていると思いました。あらためて、子どもたちの聴く力を培っている意識の蓄積のすごさに驚きました。
 秋にも、他のパーティから「スサノオ」に取り組むので講話の要請があり、私は以前から「スサノオ」の物語は好きでしたが、今年はこんなことがあって、「スサノオ」との関わりの深い年でした。

いただいたメールによれば、福田さんは「テーマ活動の表現についての文章をまとめようかと思っています」とのこと。いやぁ、楽しみです。期待しています。別の論考として「シアターとドラマ」についても書いてください。期待しています。
(*のちに『地域演劇教育論―ラボ教育センターのテーマ活動』(福田三津夫著、晩成書房、2018年8月)を上梓されました)


●福田三津夫さんへのメール(2015年1月)
「スサノオ」の物語をめぐって(2)

 福田さんは先のメールで「日本で、訪ねたいところが二つある。出雲と仏都会津です」とおっしゃっていましたね。まず、今回は出雲のことを書きます。

先回お知らせした出雲へのラボっ子との旅は、「スサノオ」と「ヤマタノオロチ」のゆかりの場所を訪ねる旅だったのですが、スサノオにゆかりのある神社だけでもたくさんあって、1泊2日でまわりきれるものではありませんで、他にも行きたい処はたくさんあります。
 「スサノオ」と「ヤマタノオロチ」以外にも、「オオクニヌシ」の出雲大社をはじめとして、いろいろあります。
考古学的には、358本の銅剣が一度に発見された荒神谷遺跡とか、39個の銅鐸が一度に発見された加茂岩倉遺跡とか、『葬られた出雲王朝』(梅原猛著、新潮社、2010年4月)の痕跡があちこちにあって、驚くばかりです。
 それだけではありません。「ヤスキのハガネ=安来の鋼」で今でも有名ですが、奥出雲のほうでは「たたら」による鉄生産に関する史跡もたくさんあり、かつ「たたら」を復元して古来の方法での鉄づくりを再現しているところもあります。
 古代から明治時代に八幡製鉄ができる前まで、中国山地は鉄生産のきわめて重要な拠点で、それは岡山県側にも広がっていました。岡山県は吉備王国です。大和朝廷確立の前は、出雲と吉備が巨大な勢力をもった王国だったので、大和との勢力争いや後の協力関係など古代史の未解明な事柄が数多くあります。製鉄技術の争奪戦もあっただろうと想像できます。大和の中心の三輪山の神が出雲の神というのも不思議なことです。これらの、考古学的、歴史的遺産が、すべて「スサノオ」「オオクニヌシ」と深い関係にあることが「神の国・出雲」の奥深さです。

岡山県に近い広島県と島根県との県境に位置する「道後山」の中腹で、ラボ・サマーキャンプを10年間くらい実施していました。(現在は、大山に場所を移しています)。まさに奥出雲です。「イザナミを葬った」と古事記に書かれている比婆山は、道後山の隣の山です。
 キャンプの野外活動のコースのひとつである「比婆連山縦走コース」の引率者を、わたくしは何回もやりました。比婆山の山頂にある「イザナミ御陵」もコースに入っていて、そこで子どもたちとともに手を合わせたものです。キャンプの夜は、地元の荒神神楽保存会の人たちによる神楽の鑑賞です。この神楽のクライマックスは、もちろんスサノオのヤマタノオロチ退治の場面です。
 今から考えると、ラボ・ライブラリー『国生み』の出雲神話の舞台の場所がキャンプ地であり、ヤマタノオロチが住んでいたという船通山を目の前に眺め、イザナミ御陵のある比婆山に登山し、神楽を鑑賞し、グループ活動で『国生み』のテーマ活動にキャンプ参加の子どもたちが取り組む、という信じがたいほどロケーションに恵まれたキャンプだったのです。
 このキャンプを計画実施するのはラボ関西事務局でありまして、そのころわたしは関西総局で仕事をしていましたので、毎年、夏のキャンプ、冬のキャンプと、それはもう、何回もキャンプをやったものでした。
 このように書いてくると、記憶がよみがえってきて、どんどん長い文章になってしまいますので、このへんで止めときます。
 
ともかく出雲は奥が深い、いまだに神々の末裔が住んでいる雰囲気のところなのです。
ラフカディオ・ハーンが松江中学の英語教師で赴任した頃は、もっともっと神々の国という雰囲気が感じられたことでしょう。だから日本人になりたかった。だから小泉八雲と改名した。東京の中学の教師であったら、そうはならなかったでしょう。
 ということで、ながながと書きましたが、出雲はお薦めの地です。


そして6年が過ぎて、またしても「スサノオ」です。
●ラボ・テューターKNさんと矢部の往復メール(2021年5月)
「スサノオ」の物語をめぐって(3)

ラボ・テューターと矢部の往復メール
「スサノオ」の物語へのテーマ活動の取り組み

2021年5月5日
① いま「スサノオ」に取り組んでいます

矢部 顕 様
 
GW最終日、如何お過ごしでしょうか?
こちらは、支部テーマ活動大会も、パーティ活動も、感染増加にヒヤヒヤしながらの日々でした。

さて、面白い話題と記事、含蓄の深い文章を送って下さり、ありがとうございました。
マーク・トゥエインが、二尋という意味であり、水先案内人に憧れて、その仕事をしていたことは、以前、取り組んだ時にどこかで調べた記憶がありましたが(もしかして、矢部さんに教えていただいたのかも!)
ミシシッピ川が牡蠣の産地だったことは、私も知らなくて、驚きました。アメリカ人はどんな料理にして食べていたのでしょうね?

「トム・ソーヤ」は私も大好きなラボ・ライブラリー、何度も取り組んだテーマ活動です。ラボっ子との苦い思い出、楽しい思い出もたくさんです。
25周年発表会のメッセージで、次女がテーマ活動を心から面白いと感じたのも、このテーマだったと語ってくれました。

日本では牡蠣といえば広島ですし、川が7つも流れているので、広島で育った私は子どもの頃から、川遊びやしじみ取り、鮎釣りなど川との関わりは多かったです。

今「スサノオ」に取り組んでいて(5月9日に発表予定)、小中学生が自分や家族で調べくれていて、ヤマタノオロチは川だった説や豪族同士の争いだった説、などが話題になり、表現にも取り入れていこうという意識も感じられてとても嬉しいです。
中国山地は鉄が採れ、オロチの腹には鉄サビ色の血が流れていたという表現は吹屋(*岡山県高梁市吹屋)でベンガラを作っていたこととも関わりを感じていますし、中国山地は、たたら製鉄が盛んで、備中(*倉敷市、総社市など岡山県西部)、長船(*岡山県瀬戸内市長船町)あたりも、刀剣作りが盛んであり、草薙の剣との関わりも感じて私の血が騒ぎます。

小4のラボっ子が、「ヤマタノオロチは尻尾に剣が入っていたから、血が出ていたんだと思う」という意見を出して、私はそんな風に考えたこともなかったので、驚きました。

 また、最近、私が初めて父に確認して気がついたことがあります。
私が小さい頃、父方の祖母が、東広島(西条の黒瀬町にあった、浅野家の本陣であった)古民家で、寝物語に語ってくれた「ヤマタノオロチ」のお話は、神話としてではなく、祖母も小さい頃にその母(毛利家に取り潰された井上家の子孫)から、代々語り継がれた広島県高田郡吉田町の昔話だったのではないかと推測しました。

地図を見ると、吉田町はちょうど、中国山地を挟んで奥出雲町の反対側だと気づいたんです。川も分水嶺を挟んで繋がっているので、ヤマタノオロチは、その土地の昔話であり、語り継がれて残っていたのも不思議ではないのかなと感じています。

 ラボ・ライブラリーの「スサノオ」を初めて聞いた時に、この物語が神話だったことに、私はすごく衝撃を受けました。
私にとってヤマタノオロチは、寝る時に聞くちょっと怖いけど、毎回聴きたいおばあちゃんが語ってくれるグリム童話や桃太郎のような語り継がれた昔話だったのです。
まさか、神話だったなんて!

そして、一つだけ、私が一番ハラハラして好きだった場面が、ラボ・ライブラリーにはないことにガッカリしたのです。
 何故、お酒だけでなく、わざわざ桟敷を作ったのか、ラボ・ライブラリーのお話では、その理由が説明できないということです。八つの桟敷を作ったのは何故だと思われますか?
スサノオがお酒と桟敷を作ってオロチ退治の作戦を立てますが、祖母の話では、八つの桶に入ったお酒の上に作った八つの桟敷の真ん中にクシイナダ姫を乗せて置き、ヤマタノオロチは、お酒ではなく、お酒に映ったクシイナダめがけて首を突っ込み、その結果、お酒を飲むことになり、酔っ払って寝てしまったのです。
クシイナダは、きっと震えながら、桟敷の上でスサノオを信じながらも、自分の運命を覚悟して、座っていたに違いありません。
このドキドキ感と作戦成功の達成感を聴きたくて、私は毎回、このお話をせがんでいました。

つまり、ヤマタノオロチはお酒が好きだったとか、お酒だとわかっていたのではなく、狙いはあくまでも、女の人・クシイナダ姫であり、まんまと作戦に引っかかり、初めて飲んだお酒に酔って寝てしまったのだと、私は思うのです。これは私の勝手な見解ですが、いかがでしょうか?

しかし、こんな話はラボっ子にはまだできず、コロナで練習も思うようにできず、練習不足の時間切れ、マスク越しで言葉も伝わりにくい状況で、発表は苦戦しそうです。

そして、矢部さんの宇喜多秀家の八丈島の記事も、面白く拝読しました。八丈島赦免花伝説は以前、拝読させて頂き、時を超えて今でも交流があるのかと驚き、感動しましたが、八丈島には、秀家と豪姫の石像も設置されていたのですね。八丈島へ行ってみたくなりました。

教科書で学ぶ歴史では、味わえない、歴史上の人物の生き様を知ることは、脈々と続く歴史を紐解くことで、学べることもあり、自分の生き方をも見返してみることにも繋がると感じております。
矢部さんにはいつも、その機会を頂き感謝しております。 いつか、また、お目にかかって、ゆっくりお話できる日を楽しみにしております。

ラボ・テューターKN


2021年5月9日
② たたら製鉄の技術と桃太郎伝説

ラボ・テューターKN様

たいへん詳しくかつ興味深いメールをいただき、おもしろく読みました。ありがとうございます。

今日は「スサノオ」の発表会だったのでしたね。コロナ禍のなか発表前の練習もおもいっきりできないような状況があったと思います。
満足なものにならなくても十分取り組みが出来たのではないでしょうか。というのは、先のメールで子どもたちの様子を知らせていただきましたので、いろいろと想像できます。

KNさんの幼いころ昔話として聴いて、ハラハラドキドキ心躍る思い出のお話は素晴らしいですねぇ。無意識の底に眠っていたものが突然によみがえったのですね。びっくりです。

・・・・・・・・・・・つまり、ヤマタノオロチはお酒が好きだったとか、お酒だとわかっていたのではなく、狙いはあくまでも、女の人、クシイナダ姫であり、まんまと作戦に引っかかり、初めて飲んだお酒に酔って寝てしまったのだと、私は思うのです。・・・・
その推理のほうが正しいように思えます。長い年月に伝承された昔話は大切な部分が消えてないすごさですね。

分水嶺をはさんで奥出雲の反対に位置する町にもスサノオの昔話があることは十分想像できます。
最近知ったのですが、岡山の赤磐の山奥(*旧赤磐郡吉井町)の方に、スサノオが血のついた剣を洗ったという血洗いの滝という名の場所があるのです。また近くにある石上布都魂(イソノカミフツミタマ)神社は、「ヤマタノオロチ」の物語の中でスサノオノミコトがオロチを退治した剣が、この神社に祀られたと言い伝えられてきました。その後、剣は崇神天皇によって奈良県天理市にある石上神宮へ移されたと言われ、現在はスサノオノミコトが祭神とされています。
このあたりも多分おなじような昔話が残っているのではないかと想像します。

中国山地は古来ずーっと鉄の産地ですですから(明治時代に八幡製鉄ができるまでは)それとの関係も深いと思います。
おっしゃるように「備前長船の名刀」(*刀剣の国宝・重要文化財の4割は備前長船といわれる流派のもの)も中国山地の製鉄技術なしには考えられませんよね。備中でも巨大な製鉄の遺跡が発見されたことも、よくご存知ですね。

桃太郎といえば岡山ですが、オニは製鉄技術をもってきた渡来人で、ヤマト政権は製鉄技術を手に入れたいために吉備津彦命(=桃太郎)を岡山に派遣したのです。
中国山地で、たたらから鉄をつくって農民たちに鍬などを提供して、感謝されて仲良く暮らしていたオニにとっては迷惑な戦いだったことでしょう。

オニ退治とは、製鉄技術を持っていなかったヤマト政権の必要不可欠な戦いだっただろうと思います。
鬼は温羅(うら)とも言います。岡山で夏に行われる「うらじゃおどり」は「温羅じゃ」踊りなのです。

矢部 顕


2021年5月16日
③ 近所の神社へ神さま探し

矢部 顕 様

 私の勝手なヤマタノオロチ解釈論に矢部さんが興味を持って下さり、ご賛同いただけたことに、すごく感激しております!!!

長年、マイ・パーティのラボっ子と「スサノオ」に取り組みたいと思ってきましたが、なかなかこのテーマを選んでくれず、25年経ってやっと機会に恵まれての実施でした。この子たちと取り組んでいなければ、私の幼少期の物語体験を振り返り、深く考えることもなかったし、矢部さんにお伝えしたいと、私のヤマタノオロチ解釈論も出てこなかったと思います。自分でも幼少期の物語体験が、潜在意識の奥でこんな思いにつながっていたことにびっくりしています。

 しかし、今回取り組むグループは大学生が1人で小中学生ばかり、しかもあまり多くない人数で、ことばや表現力が追いつかない年齢構成なので、取り組むことになったものの、興味を持ってくれるのか、どこまで理解できるのか心配でした。
そこで、近所の浅間神社へ、イースター・ピクニックと併せて、神様さがしをしようと思いつき、中学生と大学生が神社へ下見に行って、社務所で質問したり、境内をくまなく回ったりして全ての末社を調べたところ、コノハナサクヤだけでなく、スサノオ、イワナガヒメ、ホオリなども祀ってあり、そして、八坂神社、稲荷神社、香取神社や厳島神社まであったことに驚きました。幼児でも取り組めるオリジナル・クイズを中学生と大学生が作ってまとめてくれました。
3月2日当日は、集まったコミュニティセンターから、神社まで、体験にいらした11ヶ月の赤ちゃん親子(抱っこして最後まで参加)と3歳~大学生でぞろぞろ歩いて行き、中学生リーダーがグループを引き連れて全ての末社をお参りしながら、クイズに挑戦しました。神社の裏の保存されている松林でお弁当を食べ、イースター・エッグ・ハントもやってくたくたになって歩いて帰りました。

この企画が功を奏したのか、思ったより、日本神話にはまったラボっ子、保護者が多く、ご家庭で古事記の本や漫画を購入したり、借りたりして、自ら学んで考え、意見を出してくれるようになって、話し合いがすごく深まりました。ラボ・スプリング・キャンプのテーマだった「スサノオ」に触れてきた中学生も、ヤマタノオロチは川の氾濫だった説など、みんなに伝えてくれて、表現につなげました。

発表後の今週のパーティでの振り返りで、スサノオはどんな神様か、このお話で伝えたいテーマは何かと問いかけたら、
あばれんぼう。あまえんぼう。昔は自己中、でも今はやさしい神。だれでも人を助けることができる。つよくてあらい神だけども、すこしやさしいところがある。やさしくて勇気のある神様。最初は自分勝手だったが、最後はやさしくなった。自分を見ているようだ(中学生)。

どうして、スサノオは変わったの? よくお話を聞き込んでいる小学生が中心で、いろんな話し合いの末、「スサノオをたよりきっているひとみがあった。」とナレーションがあるところで、クシイナダが好きになったから・・・守ってあげたいと思った。泣いているアシナズチ、テナズチを助けてあげたいと思ったから。
スサノオは成長した!

泣いている人や困っている人がいたら、みんなどうする?・・・・助けてあげたいと思う。
わがままで乱暴なラボっ子も、みんなの力になりたいと思った時に、がらりと変わり成長するということをみんな実感したようでした。

この仲間で古事記に向き合い、自分たちで調べ話し合いを深め、ヤマタノオロチを精一杯表現したことは、楽しく満足したテーマ活動だったようですが、英語が言えなくて悔しい、ナレーションがすらすら言えなくて、次回は・・・・という気持ちも大切にしたいです。そして、いつか、私のヤマタノオロチ解釈論をテーマ活動で表現してみたいと密かに夢みております。実現できる日が来るのは厳しそう・・・

 たたらについては、平成24年が、「古事記編纂1300年」でしたが、その年のテューター研修で物語「わだつみのいろこのみや」に取り組んでいたので、出雲へ旅行したくて、たまたま通りがかりの雲南市吉田町の菅谷たたら山内にある、菅谷高殿へ立ち寄りました。

www.tetsunorekishimura.or.jp/sugaya 菅谷たたら山内 - 公益財団法人 鉄の歴史村地域振興事業団 (tetsunorekishimura.or.jp)

見学しようとしたら、前日までで見学は終了。その日から、修復工事のため、2年くらい見学できないとわかってがっかりしましが、だめで元々と、工事の打ち合わせらしきことをやっている方に、あつかましく千葉から来たが見学できないかと伝えたら、特別に詳しい解説つきで見学させていただくことができました。私は修復工事前の最後の見学者です。山深い菅谷で、川やとい流しなども見学し、ヤマタノオロチはこの中国山地と川、鉄なんだとしみじみ実感しました。

宮崎駿さんが、「もののけ姫」のたたら場の場面を描くために、見学に来られて、ふいごのシーンを描いたとエピソードをお聞きしました。ふいごは番子という名前の役割で、2人で順番に引っ張るので、かわりばんこ という言葉ができたそうです。

 長船の刀剣博物館(*岡山県瀬戸内市長船町)や吉備津神社(備中国一の宮)、吉備津彦神社(備前国一の宮)、鬼ノ城(*岡山県総社市にある温羅伝説のある古代山城)も家族で訪れたことがありますよ。

「温羅じゃ」おどりは、残念ながらその時期にあわせて帰省したことがなく、まだ、生で観たことがありません。

血洗いの滝 は私も初めて知りました。コロナが終息したらいつか、どちらも行ってみたいと思っています。

ラボ・テューターKN


2021年5月21日
④ 『鉄をつくるー出雲のたたら』

ラボ・テューターKN様

神社探検での神さま探しのアイデアはスゴイ!
大学生中学生が事前に神主さんからお話を聴いて、当日は中学生がリーダーとなって、
小さな子からみんなでぞろぞろ歩き回って、事前に考えたクイズをやりながらの探検はすばらしい試みです。
ラボ物語ライブラリー『国生み』の導入としてのこんな企画をよくぞ思いついたものですね!!  しかも、近所の神社でできるのがすばらしい! こんな導入を今まで聞いたことがありませんでしたので、とても新鮮です。 子どもも親も、今まで側にある神社なのに、この度は新しい数々の発見をしたことでしょう。いっぱいお話を聞きたいものです。
島根県雲南市吉田町の菅谷たたら山内にある、菅谷高殿を訪ねたのもすばらしい。よくぞ、見学が出来てよかったですね。
わたくしも10年くらい前でしたか、現地を訪ねたことがあります。実際に製鉄をするときもあるようで、その時に見学したいなあ、と思っていましたが実現していません。
子ども向けの、日本の科学・技術史ものがたりシリーズ『鉄をつくる―出雲のたたら』(大竹三郎著、大日本図書刊、1981年初版)を読んで凄く感動した記憶があります。
ラボ物語ライブラリー『国生み』が刊行されたころだったでしょうか。子ども向けの本なので、大きな活字で漢字にはルビがうってあって、写真や図解がたくさんありとても解りやすい良い本です。
この本を読んで、菅屋のたたらに行ってみたいとずっと思っていたのです。お薦めの本です。発刊は古い本ですが図書館にあればいいのですが・・・、問い合わせてみてください。

このシリーズの本で『塩をつくる』にもとても刺激を受けて、私はラボたかしま海の学校(*岡山県笠岡市高島)で塩作りのプログラムを始めました。ラボたかしま海の学校は9泊10日の長期キャンプでしたので、その特徴を生かして、毎日毎日、ラボっ子たちが自ら作った塩田に海水をかけて天日干しをして、最終日に釜で煮込んで塩をつくるのです。おかあさんへのお土産として持って帰らせました。(ちょっと関係ない話になりましたね)

KNパーティの素敵な話題をお聞きできてとても嬉しく思いました。ありがとうございます。

矢部 顕


《矢部さんの注釈》
□「スサノオ」
ラボ物語ライブラリー『国生み』は、古事記から再話された「国生み」「スサノオ」「オオクニヌシ」「わだつみのいろこのみや」の4話構成でつくられている。
□テーマ活動
 物語を、子どもたちが異年齢構成のグループで言葉と身体で表現していく活動で、ラボ・パーティと呼ばれる毎週の集まりで実践されている。この教育現場を観察取材したのが『地域演劇教育論』(福田三津夫著)です。
□ラボ・テューター
 ラボ教育活動の指導者
□ラボっ子
 ラボ教育活動に参加している子どもたちの会員のことを言う。
□備中、備前、吹屋、長船、などの地名は、都度(* )で詳しい表記を入れていただきました。


〔369〕「河合雅雄氏の訃報に接して思い出すこと」矢部顕さんのホットなメールです。

2021年06月04日 | メール・便り・ミニコミ
 お馴染みの矢部顕さんからホットなメール「河合雅雄氏の訃報に接して思い出すこと」が届きました。それに対して、私が返したメールがこれです。

●矢部顕様
 メールありがとうございました。
 河合雅雄さんが亡くなられてすぐに矢部さんからのメール、良いものを読ませていただきました。文中に私の蔵書もいっぱい「登場」して、懐かしかったです。是非このままブログに掲載させてください。タイムリーなので読んでくれる人も多いと思います。
 添付の幸島の猿の話は、どこかで読んだ記憶があります。絵本だったか、パンフレットだったか、たぶん我が家のどこかにそれが眠っていると思います。教室でクラスの子どもたちにも話したことがあります。家庭科専科の時にも活用させてもらいました。
 あわせてこちらも掲載の許可をお願いします。

 矢部さんのメールと添付されていたエッセイをどうぞお読みください。

●福田三津夫様 

《河合雅雄氏の訃報に接して思い出すこと》

 生涯にわたってサルの研究、モンキー博士として知られるサル学の世界的権威。京都大学霊長類研究所所長、日本モンキーセンター所長などを歴任した河合雅雄氏の訃報(2021年5月14日)に接して思い出したことが二つある。

 ひとつは、ラボ25周年記念教育シンポジウム「こども ことば 物語」のことである。

 講演者として、河合雅雄氏(サル学)、鶴見俊輔氏(哲学)、本田和子氏(こども学)の講演が午前にあり、午後は村田栄一(元小学校教師・教育評論家)をコーディネーターとして3人の方のシンポジウムが、1991年11月4日に大阪府守口市の守口文化センターで開催された。
 「こども ことば 物語」-三つのレクチャーとして、「自然に共感する力」(河合雅雄)、「日常から物語を紡ぐ」(本田和子)、「野生の言語」(鶴見俊輔)。「ことばの野性をもとめて」-ディスカッションが4者で行われた。

 『こどもと自然』(河合雅雄著、岩波新書)は当時のベストセラーだった。『異文化としての子ども』(お茶の水女子大学教授・本田和子著、紀伊国屋書店)もたいへんな評判で、私はこの本を契機に本田和子氏のいくつかの著作に刺激を受けた。『ひとが生まれる』(鶴見俊輔著、ちくま少年図書館)は1980年からラボ国際交流参加者の課題図書で、2021年の現在も読み継がれている。
 『学級通信・ガリバー』『教室のドン・キホーテ―ぼくの戦後教育誌』(筑摩書房)などで知られた村田栄一氏は、のちにラボ教育活動についての著書『ことばが子どもの未来をひらく』(筑摩書房、1997年10月)を上梓した。

 このシンポジウムの記録が『ことばの野性をもとめて―こども ことば 物語』(筑摩書房、1992年6月発行)として刊行された。
――この本は、ラボ25周年記念行事の一環として行われた記録ではありますが、より大局的に「こども ことば 物語」へのアプローチを試みたという点で、一般的な関心に応えるものになったのではないかと思います。――(あとがきより)

 二つ目に思い出したことですが、河合雅雄氏は宮崎県串間市の幸島の二ホンザルの文化的行動(ニホンザルがイモを食べる時に海水で洗ってきれいにするとともに塩味をつけることを学び、その学習成果がほかのサルにも伝わっていくことを発見し、サルの文化的行動として国際的に大きな注目を集めた)を発見したことでも有名で、日本のサル学は世界的に優れた成果をあげていることでの評価があるのですが、その研究のお手伝いをした三戸サツエさんという地元のおばあちゃんのことです。
 島の対岸で民宿を経営されながら、何十年も幸島のサルの観察をつづけて研究の基礎的なデータづくりに貢献されたのです。

 じつは、このおばあちゃんを訪ねて行って、民宿に泊めてもらって、わたくしは3回も幸島を案内してもらったことがあるのです。3回目は串間市のラボ小山宏子パーティのラボっ子たちと一緒にお話を聞いたのでした。その様子はラボ会員機関誌「ことばの宇宙」にも掲載されました。
三戸サツエさんにふれた文章「息子への手紙」を添付します。お読みいただければ幸いです。            矢部 顕



●息子への手紙

                                 矢部  顕
 先日の休日は博多に来ていたとのこと。会えずに残念。出張のことを言ってなかったっけ。南九州出張の機会に1日休みをとって人に会いに行きました。
 串間という地名は知っていますか。宮崎からまだ南に2時間ほどの南の果て。幸島のサルで有名(?)。小さな無人島に約100匹のサルが暮らしている。京都大学霊長類研究所があり、サル学で世界的に有名になったところ。
 そのサルの研究をお手伝いし、故今西錦司博士をはじめ門下生(といっても今は名誉教授)の河合雅雄、伊谷純一郎などのお世話をし、観察を50年以上続けて協力してきて、環境庁賞など数々の賞を受賞した三戸サツエさんという、今88歳のすこぶる元気なおばあさんと会うことができた。  『幸島のサル』という、ご自身の書かれた本にサインまでしていただいたのです。この本は子どもむけに書かれたものですが、たいへんに感動的な本で、ぜひ貴兄にも読んでほしいものです。
 このあたりの風景は、海岸線のすばらしさ、海の美しさは日本一。すこし南、半島の先端の都井岬は野生馬が何十頭と暮らしていて、自然と動物と人間が兄弟のように生活している田舎も田舎。例のジャック・マイヨール(たしか、むかし貴兄は彼の本を読んでいましたね。わたしは「ガイア・シンフォニー」で知りました)はこの海が気にいり、三戸のおばあちゃんを訪ねて3回も来ているとのこと。

 もともと三戸さんに会う予定はなく、わたしたち家族がむかし住んでいた奈良の紫陽花邑に縁のある人で菊地洋一さんという方にお会いするのが目的だったのです。最近、送られてくる邑の機関紙の表紙に彼の写真がよく掲載されていました。
 この方は、長年、ゼネラル・エレクトリック(GE)社の設計図を日立や東芝に指導する立場の、原子力発電所の高級設計技術者だったのですが、技術者ゆえに原発の危険性を知り尽くしてしまったのです。このままでは大変なことになることを考えると、原発をつくる自分の罪深さを知り、内部努力の末に限界を感じ、会社を辞める決意をしたのです。そして、50ccバイクで野宿をしながら日本一周の旅にでて、全国各地の原発を調査しながら放浪すること1年以上。最後にこの串間に落ち着いたとのことです。
 ここ串間に九州電力が原発をつくろうと計画したのですが、三戸のおばあさんたちの反対で頓挫した。その反対派の人々に、元原発技術者の菊池さんが協力し理論的に支えていったという話でありまして、なかなか運命的であります。
 いまは写真家という肩書きもあって、彼の撮影した作品を見せてもらいましたが、動物と自然の写真の美しさには驚きました。いわゆる芸術的な特別なものでなく、日常的な路傍の草花が、虫が、命の輝きを発揮している見事なもので、その対象に深い愛情がなければ決して撮影できるものではない印象をうけました。

 日南海岸といえば青島や鵜戸神宮で有名ですが、そこから先には観光客はほとんど行かないとのこと。人っ子ひとりいない美しい海岸線が続き、フェニックスや椰子が植えられ、赤や黄色のカンナ、真紅のブーゲンビリアが咲き乱れ、バナナの大きな葉っぱがゆれている南国情緒豊かな風景がひろがります。
 たしかに山幸彦が失くした釣り針を捜しに訪れた「わだつみのいろこの宮」は、このむこうにある気分になります。久留米の石橋美術館にある青木繁の絵「わだつみのいろこの宮」をつい先日みたばかりなので、そのイメージがあるからでしょうか。ヒコホホデミノミコト(山幸彦)とワタツミノカミの娘トヨタマヒメが結婚し、子どものウガヤフキアエズノミコト(カムヤマトイワレヒコノミコト<神武天皇>の父)を出産したのが鵜戸神宮ですからそんなに的はずれではないでしょう。
 鶴見先生の本に『神話的時間』というタイトルの本がありますが、ここは「神話的風景」とでもいいましょうか。

 そうです。貴兄が子どものころに話したことがある記憶があります。幸島のサルはイモを海水で洗うと泥がおちて、なおかつ塩味がついておいしく食べることができることを発見したのです。その発見は子ザルが発見したのです。おとなのサルは海は危険であるということを知っているのか慣習からか海には近づかない。そのおとなの文化から逸脱する子どもは、おとなが発見できないことを発見するのです。そして、あたらしい文化をつくっていくのです。土の混じった豆も、海水に浮かべると土が沈み豆が浮いて選別できることを発見するのです。この文化は若いサルから順にひろまっていくのです。
 このようなサルの行動を長年にわたって観察しつづけてきたのが三戸サツエというおばあちゃんなのです。真っ白な髪にピンクのTシャツがよく似合っていて、とても田舎のおばあちゃんとは思えません。アメリカあたりにはこんな雰囲気のおばあちゃんがいますが、海洋性の風土だからでしょうか。あるいは、夫を亡くしながらも3人の子どもを育てながら、戦前,戦中と朝鮮、中国大連で教員をされていて、大陸性の気風を身につけていらっしゃるからでしょうか。彼女の人生は波乱万丈にとんでいて小説よりもドラマティックです。
 動物愛護だ、自然環境を守れ、などと叫ばれるはるかに前から、人間が食べるものも無い戦後の貧しい時代からサルを守ってきたのですから、その信念には驚かされます。

 そういえば話はかわりますが、その少し前、夏のキャンプのシニアメイトを目指す高校生たち100人ぐらいの合宿があり、『センス・オブ・ワンダー』について講話をしました。
 ご存知のように、この本はアッという間に読んでしまえるほどの量ですが、そこにちりばめられている言葉は珠玉のようにすばらしい。農薬や化学物質の汚染で地球の生態系のバランスが崩れ、このままでは動物や植物だけでなく人間も大変なことになることを警鐘した『沈黙の春』(1962年に発行されるやいなや世界的なベストセラーになった)を書いた海洋生物学者レイチェル・カーソンの本です。良い本なので全員に購入して持ってもらいました。
 この本の舞台メイン州で日本のグループが映画をつくり、この夏から全国で自主上映会がもたれます。かあさんの「二名おはなし会」でも、やるとかやらないとか言っていましたね。このあいだNHKテレビの「夢伝説」でレイチェル・カーソンの特集をやっていましたが観ましたか? いまあらためて見直されているようです。
 ラボでは物語をテーマ活動にしますが、物語は自然や動物と人間が兄弟であった時代の記憶でできていること。テーマ活動では大道具小道具を使うことなく、動物や木や川に子ども自身がなってしまうことを身体表現と言っていますが、真似をするのでなく、そのものになってしまうことで兄弟であった時代の記憶を感性で呼び戻すのだ。高校生になると、幼い時代の感性を失いつつあるので、幼い子から学ばねばならない。幼い子の自然を見たときの驚きや感動に共に感じ喜べることがシニアメイトの役割なのだ。
 人類の歴史のなかでこんなに人工的ななかで暮らしているのはわずかこの50年ぐらい。科学技術が人間に幸福をもたらすと信じてこんな50年になってしまったが、じつはそれは間違いであったことに少し気付いてきたこと。科学技術が否定してきたもの、たとえば妖精やトロル、天狗やカッパなどがいることのほうが幸せだったのだ。
 などなど、わりと難しい話だったのですが、とってもよく聴いてくれて、最後すごい拍手があって驚きました。「おもしろかった」と何人もの子が言ってくれて嬉しくなりました。
 ある子の感想文を転記します。

 お話を聞いていて、泣きそうになった。私が豊かと感じてきたことが薄く冷たいものに変わっていく気がした。「何の為だろう」、生活が便利になる=豊かになる=幸せ、と頭のなかで成立させた単純計算がすごくみじめだった。形やお金に出来ないものまで人為化してほこらしげな社会が汚く見えた。自然はすごい。人間の裏切りを見ても、決して与えることをやめない。逆に人間はみにくい。自然を越えてしまったのなら自らも滅んでゆくことを知っているのだろうか。でも、こんなことを理解したとしても自分も加害者のひとりであることには変わりない。それこそとても悲しいことだなあと思った。「人間は進化しているようで退化している」その言葉を忘れないでいようと思った。知識をつめこむことで忘れていくSENSE OF WONDERを持ちつづけられたら、きっと、それは何よりも尊くて、つまり、美しいものは美しいと、不思議なものには不思議と、そういうまっすぐな感情を素直に発信できるような人間になりたい。ほんとうにすごい。すごくてたまらない位、自然は大きかった。トロルはいるんだ。ピーターパンだって、ティンクも。きっとそうなんだと思う。矢部さん、ありがとう。             (小野智子/高2/熊本)

 こんな文章を読むと、若いひとたちに希望がもてる気になります。三戸さんや菊地さんは特殊な生き方をしているのでもなく、変人でもない。生命の大切さを真剣に考えてきた人だといえるでしょう。「○○の変人は○○の常識人」というのがはやっていますが、これまでの社会システムではもう地球に暮らしていくことは難しいことを学ぶ賢さと、いままでとはちがう智慧が必要でしょう。
 貴兄も真剣に考えていることを知っています。また会って話しましょう。
 小生、休日出勤が続いているのですが、次の休みはホームゲームですね。観戦に行くつもりです。
 身体に気をつけて元気でやってください。
                                       (2001.6.27.)


後日談―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1)2001年ゆつぼサマーキャンプでの写真展示
 菊地洋一氏の写真は、野辺の花と虫の命の輝きに満ち満ちたすばらしい作品で、全国各地で写真展をされていて、多くの人々に感銘をあたえました。
 ぜひラボっ子に見せたいという思いがつのり、お借りすることはできないものかと懇願したところ、快諾いただいたものです。キャンプ本部2階のホールの両面の壁に、1班2班をとおして30枚ほど展示いたしましたので、参加されたテューター、ラボっ子はご覧いただいたことと思います。
2)「ことばの宇宙」(2002.2.発行)特集・幸島のサルと三戸サツエさん
 宮崎県串間市の幸島については、九州のラボっ子だけでなく全国の子どもたちに知って欲しく、串間市の小山パーティのラボっ子が三戸先生を訪問し、お話をお聞きしたものを記事にしたものです。
 テューターのみなさんには、河合雅雄さん(京都大学名誉教授)は『こどもと自然』(岩波新書)などの著作をとおしておなじみでしょう。ラボ25周年記念教育シンポジウムの講師・パネリストでもありました。(そのときの記録が『ことばの野生をもとめて』{筑摩書房刊}という本になっています)。河合さんが学生のころから共に観察研究をされていたのが三戸サツエさんです。京都大学霊長類研究所のサル学が世界的にトップレベルになったのも、三戸さんの日常的かつ基礎的なデータなしでは考えられないほどです。
 三戸さんの『幸島のサル』(ポプラ社・鉱脈社)(サンケイ児童出版文化賞受賞)、『わたしの孫は100匹のサル』(学研)、『ボスザルへの道』(ポプラ社)は子ども向けに書かれた本でお勧めです。他にも自伝的な著作『柔しく鋼く』(本多企画)、『夫からの贈りもの』(鉱脈社)があります。
                                      (2002.3.)

〔368〕今度は、清瀬市議・ふせ由女の議会便り最新版です。

2021年06月02日 | メール・便り・ミニコミ
「腰越 9条ニュース177号」に引き続いて、今度は清瀬市議・ふせ由女の議会便り最新版を紹介します。この通信は現在2期目のふせ由女が年4回の議会ごとに出し続けている議会報告です。〔2021年夏号、№28、A4版〕
 1面は本人の議会レポート、2面に「子どもたちの健康を守るために、小・中学校内での電磁波被ばくの削減を求める請願」(福田緑)の顛末、3面は私の『追想美術館』(志真斗美恵)紹介など、4面は清瀬在住の映画監督・前田憲二さんの「清瀬旭が丘団地居住と映画作品の回想」です。同じく清瀬市民のルポライター・鎌田慧さんのコラムもどうぞご覧ください。









 ◆ちいさな弾圧事件
  集会、デモの弾圧、人権侵害は忍び寄る戦争

                  鎌田 慧(ルポライター)

 憲法記念日の5月3日国会前集会が始まる前、参加しようとした
市民が機動隊員に阻止され、腕を振り払っただけで「胸に手が触れた」
として現行犯逮捕された。公務執行妨害の容疑である。
 わたしは現場にいなかったが、いままでなんども国会前集会に参加
するとき、機動隊員に阻止され足り、迂回を命じられたりしたが、
主催者だ(本当のことです)と抗議したり、一般通行人のカオをして
通り抜けてきた。

 今回逮捕されたのは全国一般労組東京南部の役員。だからか、翌朝、
自宅へ6人もの捜査員が到着、徹底家宅捜索、パスポートまで押収
した。重大犯罪扱いで10日現在、まだ拘留中である。
 このような些末(さまつ)な「事件」で、逮捕、家宅捜索、1週間に
わたる拘留は異常だ。

 内田雅敏弁護人は「証拠隠滅、逃亡のおそれなどを具体的に検討する
ことなく、漫然と認定して拘留したのは、許せない」と抗議している。
 安倍・菅内閣が長期化するにつれて、治安対策が厳しくなってきた。
 自分の身内には甘く、批判者には厳しいのは暴政である。
 表現・集会の自由と個人の人権尊重は、平和憲法を支える基本精神だ。

 関西での生コン支部への不当労働行為、逮捕権の乱用、幹部の600日
以上の長期拘留などは、憲法違反といえる大事件だ。
 集会、デモの弾圧、人権侵害は忍び寄る戦争といえる。
      (5月11日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)

〔367〕デジタル法の危険性を指摘する「腰越 9条ニュース177号」が届きました。

2021年06月01日 | メール・便り・ミニコミ

  久しぶりに 鎌倉の塚越敏雄さんからメールが届きました。そこには「腰越 9条ニュース177号」が添付されていました。読み捨てられない内容なので、ブログで紹介します。

●福田三津夫様
 いつも、お世話になります。鎌倉の塚越です。
 先日、「腰越 9条ニュース177号」ができましたので、お送りします。 
記事にした「デジタル法」はすでに成立してしまいましたが、その危険性がほと
んど伝えられないままではないかと思い記事にしました。お読みくださればうれ
しいです。

●塚越敏雄様
 「腰越 9条ニュース177号」ありがとうございました。またブログに掲載させてください。
 緊急事態宣言で集会場が借りられず、リモートの市民会議になっています。年4回の市議会ごとに市議・布施ゆめの議会報告をつくっていますが、現在新しい通信を地域に配布中です。
 コロナ禍、ご自愛ください。福田三津夫