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後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔826〕いただいた『流砂』(三上治責任編集、27号)と『部落解放』(増刊号、第51回部落解放文学賞)の紹介。

2025年07月22日 | 図書案内

 最近別の方からいただいた雑誌を2冊紹介します。
  まずは『流砂』(三上治責任編集、27号、149頁)。発行日は2025年7月16日、発行所は『流砂』編集委員会です。注目したのは次の論考です。ゆっくり目を通したいと思います。
 *谷川雁「革命論」の黙示 そして、その内実  脇田愉司

  次に『部落解放』(増刊号、第51回部落解放文学賞、2025年7月、873号、297頁)。
  ページを繰っていて目に留まったのは「戯曲部門佳作 陽が昇るまで 井上真一」でした。
  教師生活をスタートした1970年代半ばに日本演劇教育連盟と出会い、程なく常任委員になりました。『演劇と教育』(晩成書房)だけでなく『小学校演劇脚本集』(晩成書房)の編集活動にも参加しました。その9巻(1988年)に「のら犬ものがたり」(井上真一)が収められています。あの井上真一さんに違いありませんが、相当に高齢のはずです。
  実は井上さんは故人となられ、先人の足跡を残したいという趣旨で別の方が応募したということです。「解放演劇に取り組んで」というコメントと井上さんの端正な写真が掲載されていました。井上さんとはかつてどこかでお会いしているのではないでしょうか。不思議な「再会」でした。


〔824〕『藤本卓 教育論集-〈教育〉〈学習〉〈生活指導〉』で初めて藤本卓さんの逝去を知りました。

2025年07月14日 | 図書案内

 猛暑の中、時々気分転換に向かうのが近隣のブックオフです。先日もふらふらとあまり期待もせず本棚に目をやると、大部な『藤本卓 教育論集-〈教育〉〈学習〉〈生活指導〉』に釘付けになりました。
  『藤本卓 教育論集-〈教育〉〈学習〉〈生活指導〉』(鳥影社、2021年、466頁)、題名からしてあの教育学者の藤本卓さんの著書に間違いないでしょう。

  私は小学校教師としての力量を高めるため、日本演劇教育連盟に加盟し、その在籍期間のほとんどの三十数年を常任委員として雑誌『演劇と教育』(晩成書房)の編集に携わりました(そのうち20年は編集代表)。そこは私にとって学びの場で、多くの知己を得、大学講師としての実践をも支えたのでした。
  編集委員会は常任委員数名で構成され、当時月3回の会議がもたれました。常任委員会は月1回ですから、毎週のように連盟の事務所を訪れていたことになります。その傍ら組合活動も大切にしていました。
  編集部では全常任委員対象に拡大編集会議を開きました。雑誌の年間方針や具体的内容を練るためです。それとは別に拡大編集委員制度を設けました。外部からの研究者の助言を求めるためでした。その中のお一人に藤本さんがいらっしゃいました。その経緯は失念しましたが、おそらく雑誌『ひと』(太郎次郎社)で彼が活躍されていたのを知って声をかけたのではなかったでしょうか。


   
  大東文化大学文学部教育学科の教授として中心的存在として活躍されていた藤本さんがご著書を持たないことが不思議でした。しかしある時、『あきらめない教師たちのリアル』(副題、ロンドン都心裏、公立小学校の日々、ウエンディ・ウォラス著、藤本卓訳、太郎次郎社エディタス、2009年)が送られてきました。そこにはこんな添え書きがありました。
「いつも愉快な通信『啓』を送っていただきながらごぶさたいたしております。地味な本ですが、演教連他のみなさんにご吹聴いただけると幸いです。藤本」

  そもそも彼の活躍を知ったのは『公論よ起これ!「日の丸・君が代」-法制化論議のなかで日の丸・君が代の封印を解く』(藤本卓編著、太郎次郎社、1999年)で、我が家の本棚のどこかに並んでいるはずです。
  個人的な思い出として残るのは、彼から一度川越に呼び出され食事をしたことでした。

 さて『藤本卓 教育論集-〈教育〉〈学習〉〈生活指導〉』を手に取り仰天したのはこの本が彼が逝去されてから編まれたものだったからです。2020年、70歳になる半年前亡くなられたというのです。彼は私より1歳年下、あまりにもお若い!
  大東文化大学の教員など数人で編集されたこの大冊は、藤本卓さんの仕事の全貌を纏め上げられたもののように思われます。内容的にはさすがに難解な論文も多く、これからゆっくり読み進めていこうと思っています。
 興味深かったのは藤本さんが神戸大学教育学部初等教育学科から東京大学の教育学部に進まれ、多くの大学の非常勤講師や大東文化大学文学部教育学科の教授になられたことでした。一部私の経歴とも重なるところがあって親近感を覚え感慨深かったです。
 巻末の著作一覧全97点のなかに『演劇と教育』の共同研究、劇評など6点が含まれています。多くの時間を彼と共有したのだという想いが湧いてきます。
 カバー画はご長女の藤本里菜さん、著者紹介欄には優しい表情の藤本さん。
 藤本卓さん、いろいろお世話になりました。合掌。


〔807〕クラウス・スリューテルを「新発見」と思いきや、裏切られたり、新たな興味をかき立てられたり…。

2025年05月21日 | 図書案内

   妻のリーメンシュナイダー追跡に同行し、後期ゴシック同時代の彫刻家の群雄割拠に圧倒され続けてきて、妻と『結・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーからシュトース』(丸善プラネット)を出版したのが2022年7月のことでした。同年、同書を10冊ほど携えてドイツの研究者や友人に手渡ししたついでに、ドイツからフランスに越境し、南仏のトゥールーズやモワサック、さらには中部のディジョンを訪ね、フランス中世美術を一部堪能しました。その中で気になった彫刻家がクラウス・スリューテルでした。
  今夏、そのスリューテルを初め、フランス中世美術を総なめにする旅行を実行します。南仏のロマネスクはドイツ人夫婦、北仏のゴシックはフランス人家族に車で同行してもらいます。我々で回るまだ見ぬドイツ後期ゴシック彫刻も含めて、わくわくが止まらない渡欧になることは間違いありません。

  一番気になる彫刻家がスリューテルです。ところが日本語文献では『世界美術大全集 ゴシック1』(小学館)でしかお目にかかれませんでした。
 次に手に入れたのが『フランスの歓び』(芸術新潮2002年8月号)で、少し前にブログで詳述したとおりです。
 ネットでスリューテル追跡をしたところ見つかったのが次の文献です。ただこの本はフランス彫刻がメインで、あとはリーメンシュナイダーについてわずかに触れている程度のようです。

■『中世彫刻の世界』越宏一著、岩波書店 2009.6 
…第5章 ロマネスクのモニュメンタル彫刻—その誕生;第6章 ロマネスクのモニュメンタル彫刻—その造形原理;第7章 ゴシックのモニュメンタル彫刻—その誕生;第8章 ゴシックのモニュメンタル彫刻—その造形原理;第9章 後期ゴシック彫刻;終章 ブルゴーニュの後期ゴシックの大彫刻家クラウス・スリューテル

  さて、もうひとつ発見したのが『フランス : ゴシックを仰ぐ旅』でした。

■『フランス : ゴシックを仰ぐ旅 = France, les cathédrales et sculptures gothiques』
    都築響一, 木俣元一著
    新潮社 2005.1 とんぼの本

〔内容〕アミアン—ようこそ、ゴシックへ;サン=ドニ—ゴシック生誕の地は王家の墓所;シャルトル—800年前の巨大タイムカプセル;ランス—聖処女ジャンヌは大聖堂を目指す;ストラスブール—アルザスに咲いた哀しのバラ;ボーヌ—施療院に秘められしファン・デル・ウェイデン;ディジョン—中世屈指の彫刻家スリューテルに会いに;ブールジュ—三層式の聖なる空間;ヴァンドーム—燃えあがるゴシック最後の炎

  早速アマゾンで綺麗な本を安価で購入し熟読玩味したところ、あれあれ残念な結果に終わってしまいました。『フランスの歓び』の焼き直しだったのです。スリューテルに関する記述はまったく同じでした。『フランスの歓び』からゴシックを抽出し手を加えたのが『フランス : ゴシックを仰ぐ旅』だったのです。雑誌掲載を単行本に収録するということはよくあることです。しかもどちらも新潮社でしたので移行は容易だったでしょう。
  しかし残念だったことばかりではなく、旅の参考になることも書かれていました。
  「アミアン—ようこそ、ゴシックへ」の「聖フィルマンの彫刻芸場」は『フランスの歓び』にはない新稿で、魅力的な彫刻を紹介しているのでした。

  旅行後にはその長い旅の報告をしたいと思いますが、その頃には残念ながらこのグーブログは終了になってしまいますが、他に移行したブログでお目にかかりたいと思います。


〔804〕私にとってタイムリー、「フランスの歓び-美術でめぐる、とっておきの旅ガイド」(芸術新潮、2002年8月号)を読む。

2025年05月09日 | 図書案内

  手元に「ドイツの歓び」「イギリスの歓び」(芸術新潮)を揃えていますが、「フランスの歓び」は当面必要がないなと判断したのでした。ところがどうしても読みたくなったのです。それは私が今一番気になっている中世の彫刻家、クラウス・スリューテルのことが書かれているからでした(「中世屈指の彫刻家 スリューテルをもとめて」)。
  スリューテルについてしっかり書かれているのは『世界美術大全集 ゴシック1』(小学館)しか思い浮かびません。ところが最近「シニイ」というサイトは本だけでなく研究論文なども検索できることを知りました。ちなみにリーメンシュナイダーは47、シュトースは13ヒットしました(他の彫刻家は0です)。スリューテルはというとただ1つだけ、「フランスの歓び」に書かれていることがわかったのです。その内容を詳しく見てみると、「ロマネスクを巡る」「ゴシックを仰ぐ」というコンセプトでした。なんと今夏のフランス旅の我々のテーマそのものでした。
  即アマゾンで中古を安く購入、それを熟読の毎日でした。

  後期ゴシックの先駆けとなった彫刻家、ハンス・ムルチャーに先行するスリューテルはフランドル出身、ディジョンで活躍した彫刻家です。エミール・マールの著作には登場しても日本ではあまり知られていません。せめて写真をしっかり取って日本に紹介したいものです。もちろんフランスの写真集も入手したいと願っています。              

  「フランスの歓び」には私たちが拝観したいオータンの「眠るマギのお告げ」「エヴァ」、ランスの微笑む天使、スリューテルの「モーセの井戸」などが活写されていて魅力的です。ボーヌにはロヒール・ファン・デル・ウェイデンの最高傑作の1つ「最後の審判」があったのでした。ディジョンから近いのでここにも足を伸ばそうと話し合っている今日この頃です。

   あっ、鎌田遵さんの写真集『パリ その光と影』(2024年)と「跨線橋のある駅舎」(堀江敏幸「フランスの歓び」掲載)を比較するのもおもしろいかも知れません。


〔802〕中世美術研究の碩学、エミール・マールを継ぐアンリ・フォシヨンの『ロマネスク彫刻』(辻佐保子訳、中央公論社)が手に入りました。

2025年05月02日 | 図書案内

 ティルマン・リーメンシュナイダーの彫刻をヨーロッパやアメリカで追ううちに、同時代の作家にも強く引かれるようになった緑と私でした。美術史的には後期ゴシック期ということになりますが、当然前期ゴシックやロマネスクも心騒ぐものがあります。今一番注目している作家はクラウス・スリューテルで、今夏、ディジョンで彼の最高傑作「モーゼの井戸」を拝観します。ハンス・ムルチャーより少し前の作家でしょうか。
  中世美術研究者としてはマイケル・バクサンドール(英)の著書(ドイツ語未訳、岡部由紀子さんがかなりの部分翻訳していることを最近知りました)が我らの種本になっているのですが、ロマネスクにも徐々に守備範囲が広がってきて、エミール・マール本を8冊手にしていることはブログで触れたとおりです。ソルボンヌ大学でのエミール・マールの後任がアンリ・フォシヨン(1881~1939)で、そのお弟子さんが日本人では吉川逸治(サンサヴァン教会の壁画研究で実績を上げた)、彼の教えを受けたのが訳者の辻佐保子氏です。確か、フォシヨンに師事した日本人研究者の一人が柳宗玄(柳宗悦の次男)だったと思います。

  さて『ロマネスク彫刻』(1975年)は50年前の古本ということで、かなり焼けていて、手入れが必要でしたが、読むのには支障はありませんでした。かなりの写真などが掲載されているのが他に類を見ない特徴だそうですが、柳宗玄の本に比べると歴然とした違いがあります。柳本は自身でほぼ撮影されたもので、二十数年前の出版だから致し方ないでしょう。とてもきれいな写真です。
  内容は素人にはかなり難しいので、少しずつ読み解いていこうと思っています。まずは写真や図版から眺めることにしましょう。一番心引かれた像は、ボーリュのサン・ピエール修道院教会の中央柱の人像です。柱に沿う、俯いた人像が何を表現しているのか、興味は尽きません。今夏の独仏中心の旅で立ち寄れるものなのでしょうか(計画には入っていません)。
  モワサックやスイヤックの彫刻にはかなりのページ数をさいています。モワサックは2回目、スイヤックは初見になります。
  今から旅が楽しみです。


〔790〕「ドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』何を問い、何が問われるのか」(週刊金曜日)と特集「原発ゼロの社会にむけて」(生活と自治)に注目!

2025年03月25日 | 図書案内

  読んでほしい雑誌を紹介しましょう。「週刊金曜日」と「生活と自治」です。


  まずは「週刊金曜日」から。久し振りに「週刊金曜日」を購入しました。広告を掲載しない自立した「週刊金曜日」が創刊されたのは1980年代だったでしょうか。共に「演劇と教育」の編集をしていたある高校教師に勧められて、支援のためもあって数年購読を継続していたのでした。
  いつのころか興味を持った教育などの特集号のみを購入するようになっていたのですが、書店に「週刊金曜日」を置くところも少なくなっていきました。嘆かわしいことに、最近では保守系の雑誌オンパレードで、リベラル系の「世界」「創」などを置く書店も珍しくなっています。しかし、私が時々行く秋津駅近くの書店は貴重な本屋です。そこで「週刊金曜日」を購入しました。
  その理由は「ドキュメンタリー映画『Black Box Diaries』何を問い、何が問われるのか」に心引かれたからです。性差別を受けた伊藤詩織さん自らの体験をドキュメントに描いた作品で、米アカデミー賞にノミネートされながら、許諾を得ていない映像・音声の使用を巡る問題で日本公開に到っていません。その顛末を知りたくての入手でした。
  本人インタビューや伊藤さんの代理人のコメント、映画作家の想田和弘氏のコメントなど、丁寧にこの問題を扱っています。それにしても、伊藤さんと望月衣塑子記者の「応酬」には心痛めています。
  様々な問題をクリヤーして日本公開を実現してもらいたいと切に願っています。

(追記)本日、2025年3月26日の朝日新聞朝刊に「ドキュメンタリー 力強さと危うさを」という記事が掲載されました。『Black Box Diaries』を巡っての原一男氏と中根若惠さんのコメントです。原氏は「ゆきゆきて、神軍」の映画監督です。タイムリーで興味深い記事でした。

 「生活と自治」は生活クラブ事業連合生活協同組合連合会が発行するものです。生活クラブ、クラブ生協などと略称していますが、我が家でも以前から所属し、その品物を購入しています。扱う物品には定評があります。
  「原発ゼロの社会にむけて」は多くの人に読んでもらいたい特集です。「生活と自治」は会員に送られてくるものですが、一般購入できないのがなんとしても残念なことです。

                                                                    
◆停戦
  「停戦下」の空爆は戦争犯罪以外の何物でもない

                                  師岡カリーマ(文筆家)

 今月15日付、英ガーディアン紙の記事から。
 「現在(イスラエルとハマス)両者は戦争への復帰を控えているが、
 イスラエルはガザで一連の空爆を激化させ、数十人のパレスチナ人を
殺害している」。リベラルで人権重視のガーディアンにして、目を疑う
ようなこの矛盾。
 空爆で数十人の死者を出しても「戦争行為は控えている」と表現され
るのだから。

 いかに欧米メディアが不名誉な自己検閲を強いられているか想像でき
るが、印象操作の蓄積は犯罪幇助ではないか。
 こうして「停戦状態」は、死体を積み上げた末の18日、死者400人超の
大規模空爆で崩壊、多くの子どもが死傷し、地上作戦も再開。
 今年1月、イスラエルとハマスの停戦合意が発効した後も、イスラエ
ルは人道援助の搬入を遮断して故意に人道危機を悪化させ、ヨルダン川
西岸の占領地でも軍事攻撃を行うなど、パレスチナ人の生命と生活を破
壊し続けた。これ自体、報道用語では「国際法に違反する可能性があ
る」が、ここ数日の「停戦下」の空爆は、戦争犯罪以外の何物でもあ
るまい。

 その空爆について、イスラエル政府が米トランプ政権に事前相談し、
了承を得ていたことを、ホワイトハウス高官が誇らしげに明かした。
ノーベル平和賞を狙っているというトランプ大統領が、個人的に戦争犯
罪に加担した証拠と見なされるべきであろう。
        (3月22日「東京新聞」朝刊23「本音のコラム」より)

 ◆オウムの子は救えた
  文部省は就学義務違反の保護者を
  警察に刑事告発するよう指導すべきだった

                              前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 地下鉄サリン事件から 30年の20日付本紙に、オウム真理教への一斉強
制捜査で教団施設「サティアン」から救助された53人の子どもを保護し
た元児童相談所職員・保坂三雄氏へのインタビュー記事が載っていた。
 サティアンでは、子どもたちは親から引き離され、勉強は1日1時
間。大半の時間が修行に充てられ、縛って逆さづりにするなどの虐待が
常態化していたという。

 一斉強制捜査がなければ子どもたちは救い出せなかったのかという
と、そうではない。文部省(当時)には彼らを救い出す手段があった。
 学齢期の子どもの保護者には、学校教育法により子どもを学校に通わ
せる義務(就学義務)があ」り、その不履行には刑事罰が科されること
になっている。学齢期の子には必ずどこかの学校に学籍があったはずだ。

 文部省は、子どもたちの在籍校を所管する教育委員会に対し、就学義
務違反の保護者を警察に刑事告発するよう指導すべきだった。そうすれ
ばもっと早く子どもたちを救い出せただろう。
 しかし文部省は何もしなかった。

 就学義務違反の取り締まりは、当時から全く行われておらず、不登校
と区別しにくくなっていたのも事実だ。
 しかし明らかな虐待の疑いがある場合には、伝家の宝刀を抜くべき
だったのだ。文部科学省が猛反省し教訓とすべきことである。
      (3月23日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)


〔788〕永田浩三著『原爆と俳句』を絶賛。「原爆に関わる俳句と作者について論究されたこれほど素晴らしい本は他に類を見ません。」(田中煕巳、日本被団協代表委員)

2025年03月20日 | 図書案内

  先日、永田浩三さんの退官記念の最終授業に参加したときに、受付で購入したのが『原爆と俳句』(大月書店)でした。昨年12月の出版にかかわらず、今年の2月に2刷が刊行されています。オビは、ノルウェーでノーベル平和賞受賞演説を数十分間にわたって矍鑠として演説した日本被団協代表委員の田中煕巳さんです。
  この本のテーマについては、「はじめに」で永田さんは次のように述べています。
「この本のテーマは原爆という人類の課題に対して、俳句がどのように向き合い、闘いを挑んで来たかを問うものである。」(9頁)

  そもそも1954年大阪生まれの著者がなぜ「原爆」なのか、と思いました。本文中に次のような記載があり合点がいきました。広島での被爆2世であり2頁にわたってその自己史が語られます。
「わたしの母や祖父・祖母は原爆投下の際、八丁堀で被爆。燃えさかる街を北に逃げた。」(135頁)
  著書に『ベン・シャーンを追いかけて』『ヒロシマを伝える』などがあるのも頷けます。ギャラリー古籐で四國五郎さんのご子息四國光さんと親しげに話されていたのを思い出します。四國五郎さんは絵本『おこりじぞう』の絵を描いた人で私には馴染みがあります。
四國光さんの『反戦平和の詩画人 四國五郎』(藤原書店)の出版は2023年のことで話題を呼んでいます。
  与謝蕪村や正岡子規の俳句から始まって、寺山修司や無着成恭、中村晋、渥美清なども登場して、興味深く読むことができます。カバー装画は鉛筆画家の木下晋さん。
 御一読のほどを!

◆もっと人間的な司法を
                    鎌田 慧(ルポライター)

 石川一雄さんの悲報を妻・早智子さんの電話で受けて絶旬した。新年
から体調を崩していた。それでも回復を信じていた。彼もそうだったと
思うのだが急逝した。
 埼玉県狭山市で1963年5月に発生した女子高校生殺しの犯人とされ
て、第一審死刑判決。二審無期懲役。最高裁で上告棄却。
 31年ぶりに仮釈放されて帰宅した時は55歳になっていた。
 それ以来、再審請求し、無実を示す鑑定書を提示しても一度も『証拠
調べ」がなかった。

 高校生が白昼誘拐され身代金を要求された事件とされるが、顔見知り
による殺人で脅迫状は偽装の証明であろう。
 石川さんの家庭は極端な貧困で小学校さえろくに通えなかった。
 非識字者が脅迫状で金銭要求すると考えるなど、非識字者の苦しみと
悲しみ、恐怖を想像したことのない人間の傲慢さ、とこの欄で書いた
(2月11日)。

 最高裁は「他の補助手段を借りで下書きや練習すれば、作成すること
が困難な文章ではない」と」の地裁判決を支持している。
 「最近、急に体力が低下してきた。鑑定人尋問、再審開始決定、無罪
判決、それまでの時間が心配だ」とも書いてから1カ月。石川さんは無
念を抱えて旅立った。
 その日はくしくも61年前、一審死刑判決が出された日だった。
 石川さん追悼集会は4月16日(水)午後1時から、日本教育会館(東京
都千代田区ーツ橋2) で。
       (3月18日「東京新聞」朝刊19面「本音のコラム」より)

◆妻は職業を諦めろ?
  日本は「女性の地位後進国」

                              前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 14日の本紙タ刊によれば、宮崎産業経営大で男性教授と女性助教が結
婚したことを理由に、女性助教が雇い止めを通告されたという。学園側
は「夫婦共稼ぎはご遠慮いただく不文律がある」と言っているそうだ
が、そんな人権侵害の不文律に存在の余地はない。

 かつて一部の教育委員会で、夫婦とも教員の場合に、夫が管理職に
なったら妻は依願退職するという不文律が存在していた。そんな陋習(ろ
うしゅう)は、さすがに今はなくなっでいると信じたいが…。
 ちなみに文部科学省にはそんな不文律はない。夫婦とも局長になった
例もある。

 しかし、職業を持つ女性が夫や家族のために白分の職業生活を諦める
のは当然だという観念は、日本社会のあちこちにまだ残っている。
 そんな古い観念を、道徳教育を通じで再生産しようとする人たちもい
るのだ。

 日本教科書という会社がつくった中学生用道徳教科書には「ライフ・
ロー ル」という題の教材が載っている。
 祖母の介護について、夫婦と子どもたちで話し合った結果、妻が介護
することを決め、職場での管理職への昇進を諦めるという話だ。
 ライフ・ロール(人生の各局面で担うべき役割)に名を借りて、女性
は家族のために職業を諦めるべきだという考えを生徒に植え付ける。
 こんな教科書を書く人たちがいる日本は、やっばり「女性の地位後進
国」だ。     (3月16日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)


〔781〕旅行仲間の町野不二雄さんからリーメンシュナイダーの「悲しみのマリア」を表紙にした雑誌「シグネチャー」が送られてきました。

2025年03月10日 | 図書案内

  小学校教師を辞した2005年7月、連れ合いとペルーのツアー(JTB旅物語)に参加しました。折角自由の身になったので年に2回ぐらいは海外旅行に行きたいと2人で考えたのです。その旅行で妙に気が合うご夫妻がいらっしゃいました。町野夫妻です。
  その後、久喜市のご自宅に招かれてご馳走になり、3回あった福田緑のリーメンシュナイダー写真展には必ず駆けつけてくれただけではなく、写真集発刊の度に購入していただきました。BS・NHKなどでリーメンシュナイダー関連のテレビ番組があるとメールで知らせてくれました。
  本日、郵便受けを見ると画像にある大きな封書が届いていました。古い切手が前面に貼られたユニークなものでした。そういえば昨年の写真展の後に大量の切手が町野さんから送られてきました。小さいときにご両親に買ってもらったという貴重な切手でした。とても有り難く、有効に活用させていただいています。

  封書には「シグネチャー」(特集 ドイツ美に触れる路 ロマンチック街道、三井住友トラストクラブ株式会社、106頁)という雑誌が入っていました。その表紙には次ような付箋がありました。

「福田先生ご夫妻様 たまたま『シグネチャー』という雑誌を手にしましたら、表紙がリーメンシュナイダーで驚き、すでにお手元にしておられるかも知れませんがご送付申しあげます。尚、不要の節はご処分お願いいたします。」

  本当に有り難いことです。普段2人共この雑誌を目にすることがありません。貴重なリーメンシュナイダーの情報でした。
  ロマンチック街道01「愛と悲しみの彫刻家をたどる」はヴュルツブルク、デトヴァング、ローテンブルクのリーメンシュナイダー作品が取り上げられています。リーメンシュナイダーの代表作「悲しみのマリア」「聖母マリアの昇天」「聖血の祭壇」などが紹介されています。いずれも私たちが繰り返し訪れたところですが、写真(佐藤良一)は美しく、文章(鈴木博美)も適切で読みやかったです。
  ちなみにロマンチック街道02「バイエルンの美を紡ぐ」はランツベルク、シュタインガーデン、シュヴァンガウ、フュッセン、ミュンヘンが紹介され、ノイシュバンシュタイン城やヴィース教会などが登場しています。いずれも懐かしく読ませてもらいました。

  町野不二雄さん、いつもいつもありがとうございます!


〔779〕「追悼 谷川俊太郎」、特集「さよならは仮のことば」(芸術新潮、2025年3月)は谷川さんの仕事が俯瞰できるタイムリー企画でした。

2025年03月06日 | 図書案内

 谷川俊太郎さんは詩の巨人であることは疑いないでしょう。でもその全体像をどれだけの人が捉えられているでしょうか。私もそのひとりです。
 昨年暮れ、谷川さんが92歳で亡くなられました。我が家で購読している朝日新聞は谷川追悼記事が数回続きました。他の人にはない破格の扱いでした(同程度の扱いは大江健三郎さんくらいでしょうか)。その多くは交流のあった詩人や文学者、新聞記者などの追悼文でした。私はそれらの記事を丹念に読みました。一番心に残ったのはアーサー・ビナードさんが谷川さんから受け取った言葉「身体性を持った言葉は 時代を超える可能性がある」でした(2024年11月27日)。これはかつて谷川さんが竹内敏晴さんとの出会いで受け取った概念に近いのではないかと思うのです。谷川さんが中心になって創った教科書『にほんご』に対する竹内さんの指摘を真摯に受け取ったのではないでしょうか。これについてはいつかどこかで書いてみたいと思っています。

  谷川さんから唯一いただいた直筆の葉書があります。大切にとってあったのですが、どこかに紛れてしまって今は取り出すことができないのが残念ですが、そのうちに必ず見つけ出そうと思っています。
 その葉書とは、私が雑誌「演劇と教育」を編集(約30年間のうち20年編集代表)していたとき、演出家の竹内敏晴さんが亡くなられ、その追悼号として谷川さんの竹内敏晴追悼詩を掲載させていただけないか、許可を求めたものでした。私としては心を込めて書いた手紙に返信用の葉書を封入して投函したのです。程なく谷川さんから快諾の葉書が届いたのでした。
 その後私どもの夫婦共同誌「啓」を厚かましくも送り続けました。交流ができたのは谷川さんの秘書の箭本啓子さんとでした。彼女とは今年も3回目のドイツ方面旅を予定しています。

  特集「さよならは仮のことば」の良かったところは2つあります。
 1つ目は、「詩人の暮らした『楽園』谷川俊太郎の92年」(尾崎真理子)です。年譜が付いていて、谷川さんの私生活を含めた仕事が概観できることです。
 2つ目は、「谷川俊太郎への道順」(四元康祐)です。「10の窓と主要詩集」として谷川詩を10に分類しています。私がとりわけ教育分野で関わったのが「言葉」の『ことばあそびうた』『みみをすます』、「ナンセンス」の『よしなしうた』でした。

  谷川さんの仕事の中で教師として心引かれたのは『マザーグースのうた』などの翻訳詩でした。詩業に収まりきらない谷川さんの仕事の広さを証明しています。年賀状にも利用させて、楽しませていただきました。
  谷川さんのお話を直に聞いたのは全国演劇教育研究集会(1977年、よみうりランド)での開会のつどいでした。谷川さんの講演ではなく、冨田博之さんによるインタビューという形で話を聴いたのでした。これが私の演劇教育との出会いでした。

  「演劇と教育」(日本演劇教育連盟編集、晩成書房出版)で詩や物語を遊ぶシリーズを6回企画しました。そのトップが谷川俊太郎さんの詩で、「谷川俊太郎を遊ぶ」(2008年)として特集を組みました。以後、1年に一度、工藤直子、まどみちお、阪田寬夫、佐野洋子、あまんきみこと続けました。奇しくも佐野洋子は谷川さんの3人目のお連れ合いでした。これらの特集は学校の研究会やラボ教育センターの講習会でテキストとして活用してきました。
  拙著、実践記録『いちねんせい-ドラマの教室』『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』、理論編『実践的演劇教育論』『地域演劇教育論』(いずれも晩成書房)の4冊には、谷川さんの詩が頻繁に登場します。

  さよならは仮のことば
  思い出よりも記憶よりも深く
  ぼくらをむすんでいるものがある
 それを探さなくてもいい信じさせすれば
                         『私』より(一部)

  谷川俊太郎さん、学級の子どもたちと私をいっぱいいっぱい遊ばせてくれてありがとう! 
  いただいた「おばけリンゴ」のTシャツ、『ひとり暮らし』(新潮文庫)、大切にします!


〔771〕清瀬市の図書館危機の今、木村まきさんの遺してくれた『疎開した四〇万冊の図書』(金髙謙二、幻戯書房)を手にしています。

2025年02月13日 | 図書案内

  清瀬市の図書館危機をブログで再三綴ってきましたが、今こそ木村まきさんからいただいた『疎開した四〇万冊の図書』(金髙謙二、幻戯書房)を手にして読んでいます。
  木村まきさんは私どもと同世代、清瀬の住民で清瀬・憲法九条を守る会などで行動を共にしてきた仲間です。惜しくも2023年の夏、自宅で亡くなられました。多くのマスコミでそのことが取り上げられました。

■「横浜事件」元被告木村亨さんの妻、木村まきさん死去 元再審請求人
編集委員・北野隆一2023年8月25日 19時08分 朝日新聞

 戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」元被告の木村亨さんの妻で、再審請求人として亨さんの無罪を訴えた木村まきさんが14日、東京都清瀬市の自宅で発見され、警視庁が死亡を確認した。74歳だった。
 岩手県生まれ。出版社などに勤務した。中央公論社の編集者だった亨さんと1992年に結婚。亨さんが98年に死去後、横浜事件第3次再審請求人になった。
 2003年に横浜地裁で再審開始決定が出たが、地裁は実体審理に入ることなく06年に免訴の判決を言い渡し、08年に最高裁で確定した。
 遺族として請求した刑事補償は10年に認められた一方、国家賠償請求訴訟は19年に最高裁で敗訴が確定した。
 亨さんが書き残した文章をまとめ、「横浜事件 木村亨全発言」として出版した。
 横浜事件を振り返り、亨さんとまきさんの遺品や資料を展示する企画展を、知人らが東京都内で12月に開く予定。 
     …………

  まきさんが亡くなられる少し前、大きな包みにいっぱいのパンと数冊の本を我が家に届けてくれました。お別れの意思表示だったのかも知れません。その中の一冊が『疎開した四〇万冊の図書』でした。特段興味がわかなかったのでそのまま保持していましたが、清瀬図書館危機の今、この本に目が吸い寄せられました。

  作者の金髙謙二は映画監督で2013年に同名のドキュメンタリー映画を公開しています。
  太平戦争時、東京の100回を超える空襲で多くの文化財が消失しました。そうした情況の中で、旧都立日比谷図書館の蔵書40万冊を現在のあきる野市や志木市に運んだ人びとがいました。図書館員、学生、藏を提供した人たちでした。1944年5月25日、日比谷図書館は焼夷弾で全焼します。蔵書は間一髪守られました。蔵書の中には江戸時代の本や浮世絵なども混ざっていたようです。貴重な文化財でした。
  もちろん日本全国での空襲で、東京はじめ多くの図書館が壊滅状態になりました。

  まきさんのこの本に託したメッセージとは何だったのでしょうか。


◆裁判所は最後の正義
  石川一雄さんは無罪だ
                                       鎌田 慧(ルポライター)

 先週の5日、評論家の佐高信さん、落語家の古今亭菊千代さんらと東
京高裁の門をくぐった。1963年に女子高校生が、殺害された狭山事件
で、石川一雄さんの家から発見され、重要証拠となった「被害者の万年
筆」のインクを科学的に分析した結果、被害者のものではなかった。そ
の鑑定人の意見を聞いてほしい(証入尋間)との家令和典裁判長への要
請だった。

 当時、容疑者・石川宅の家宅捜索で1回目12人、2回目14人が
バラック造りの小さな家を徹底捜査した時はなかった万年筆が、3回目
で勝手口の鴨居の上に発見された。
 自分の名前さえ「一夫」ですませていた非識字者が、犯罪の証明にな
る被害者の万年筆を自宅に持ち込むわけはない。
 この事件で唯一犯人と結びつくのは、カネを要求する脅迫状だけだ
が、非識字者が文字の力でひとを脅そうと考えるとは、非識字者の苦悩
と悲しみを、想像したことのない人間の傲慢さでもある。

 脅迫状を書いた真犯人は教育の低い人間に仮託して誤字だらけの漢字
を使った。検事も裁判官もその程度が石川さんの識字能力と判断したの
だが、実際は残念ながら、当時の石川さんには書けない明快な手紙だった。
 石川さんは86歳。最近、急に体力が低下してきた。鑑定人尋問、再審
開始決定、無罪判決、それまでの時間が心配だ。高裁への期待は強い。
        (2月11日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」より)


〔767〕清瀬市臨時議会の傍聴で、懐かしい緒志久子さんに再会しました。

2025年02月06日 | 図書案内

 前ブログに書いた清瀬市臨時議会の傍聴に赴いたところ、実に久し振りに懐かしい緒志久子さんに再会しました。
 最初緒志さんに出会ったのは小学校教師として3校目、東久留米市立滝山小に赴任した1985年、市の演劇鑑賞教室実行委員会の会議でのことでした。
  東久留米市の演劇教室の組織的鑑賞は、当時から全国的に著名な存在でした。各校1名が委員として出席して、翌年の演劇教室の劇団と演目を決めるのです。主として夏休みに様々な劇団の公演をそれぞれ鑑賞し、2学期にその感想を出し合い、翌年の演劇教室の劇団と演目を話し合いで決めるのです。
  緒志さんは当初からその組織のまとめ役でした。市内の本村小で音楽専科をしていたように記憶しています。民間の教育研究団体、音楽教育の会の中心メンバーでもありました。
  私も当時、日本演劇教育連盟で「演劇と教育」の編集代表をしていて、東久留米市に在職中の15年間、彼女と演劇鑑賞教室実行委員会を支えることになったのです。時には市と対立して共に闘う「戦友」のような関係でした。

 東久留米市の演劇教室の組織的鑑賞について書かれた貴重な「記録」があります。
*「よい劇を子どもたちに!」“東久留米方式”の十数年、緒志久子(「演劇と教育」1994年5月号)
*拙著『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』晩成書房、2013年、「私の演劇教育実践史年表」には演劇教室の演目と劇団が記録されています。(二つ前のブログに写真掲載)

  久しぶりの対面にも関わらず、彼女は昔のままの若さでした。座席の前後で旧交を温めることになりました。
  昼の休憩後に彼女から2冊の冊子をいただきました。ご自身が編集している「音楽教育」と、会を代表して参加している日本民間教育研究団体連絡会(民教連)の発行している「民教連ニュース」でした。

  不思議なご縁があるものです。昨秋開催した福田緑写真展になんと緒志さんのお連れ合いが見えたのです。清瀬在住で、名前が珍しいのでお声をかけたところやはりそのとおりでした。そして今回の再会、人生は不思議なことが起こるものです。


〔765〕松宮崇之さんの力作、卒論「ある家庭科教師の語りから考える家事参加」がついに届きました。

2025年01月29日 | 図書案内

*1989年発行、なぜかアマゾンで約3万円で販売されているとは驚きです。

   昨年の10月の上旬のことでした。立教大学の4年生、松宮崇之さんが我が家にみえました。拙著『男の家庭科先生』(福田三津夫・福田緑著、冬樹社)を読んで、卒業論文を書くために私にインタビューを申し込んできたのです。
   立教大学はなにかと馴染みがあります。演劇教育の大先輩の冨田博之さんはここで講師をしていたことがありました。彼が教授として白百合女子大学に移った後、立教での講師の後釜に演出家の如月小春さんを指名したことがありました(2人とも随分前に故人になられていますが)。
 如月さんがお元気だった頃、私に電話をかけてきて、立教の教え子の卒論の相談に乗ってくれないかと言われたことがありました。もちろん快諾したのですが、学生の聞きたいことは演劇教育の理論と実践についてでした。我が家で話をしたことがありました。
  今回も立教の松宮君の指導教官の和田悠教授からメールがあり、喜んで彼のインタビューを受けることになったのです。

 彼が知りたかったことは、6年間家庭科教師であった私が、子どもの時や結婚してからもどのような家事をこなしてきたのかということが一つ、他方二つには、家庭科教師としての実践や、性別役割分業に関する子どもたちへのアプローチなどでした。

  インタビューは2,3時間にわたりましたが、それを元に卒論を仕上げたのでした。
 卒論の表紙と骨子は次のとおりです。

 

 彼の文献調べで興味深かったのは、1989年の高校の学習指導要領で家庭科は男女共修になったのですが、2007年の調査では、家庭科の男性教師の最多県は埼玉県の17人、4.7%、次に東京都の10人、3.0%ということでした。意外と男の家庭科先生は多かったのです。
 小中ではもっと少ないのではないでしょうか。私が小学校の家庭科専科になったとき、あの著名な名取弘文さんも同時になったのでした。私の知る限りは、男の家庭科先生は他に小学校で1人(故人)、所沢高校で1人でした。

 彼が資料から明らかにしたのは、男の家庭科先生に習った生徒は、家庭科を両性が学ぶべき教科であるとし、教師は男女に固定する必要はないと回答していることです。
  私の実践では、時間数の関係もあり、現状の男女役割分業の問題点を考えさせるに留めています。それよりも実践したいことは、着るものを自作し、食べ物を調理する楽しさを味わうことを大切にしました。衣食住・家族の領域を「体験」し、「考える」ことは男女関係なくおもしろいということを五感で捉えることでした。

  松宮さんの労作、力作卒論に心から拍手を送りたいと思います。


〔762〕『ケストナーの「ほらふき男爵」』(池内紀、泉千穂子訳、筑摩書房)と『独裁者』(エーリヒ・ケストナー、酒寄進一訳、岩波文庫)のこと。

2025年01月19日 | 図書案内

 久し振りにブックオフに行ったところ、目の前に突然『ケストナーの「ほらふき男爵」』が出現しました。「ケストナー」の文字に不意を突かれました。恥ずかしながらこんな本が出版されていることなど知らなかったのです。ケストナー本で自宅にあるのは岩波の「ケストナー少年児童文学」(全9冊)のうち『飛ぶ教室』『エーミールと探偵たち』『点子ちゃんとアントン』の3冊です(髙橋健二訳)。いずれ少しずつケストナーの古本が手に入れば良いなと思っていたのです。いつの日か完読するつもりではあるのです。
 
 『ケストナーの「ほらふき男爵」』などという本が出ていたのですね。よくよくまえがきと解説を読んでびっくりしました。ケストナーは子どもの本を19冊書いているのでが、そのうち再話の仕事は『長靴をはいた猫』『ドンキ・ホーテ』『ガリバー旅行記』『ほらふき男爵』など6冊を数えるそうです。そのすべてを収録したのがこの本でした。そこでタイトルを『ケストナーの「ほらふき男爵」』としたのです。
  「みなさまに」というまえがきにはナチスドイツの焚書の歴史が書かれていました。前ブログの「付記」に書いたことです。今夏一緒にドイツを旅する仲間が以前焚書に関する詩をコピーしてくれたのですが、どこかにしまい込んでしまいました。今「捜索」に全力を挙げているところです。

   『ケストナーの「ほらふき男爵」』は300頁を超える大冊です。じっくり楽しみたいと思います。


   『独裁者』は昨年2月に発行された脚本です。こちらは迷わず新刊を購入しました。役を決めて読み合わせるとおもしろいなと思っているのですが、まだ実現していません。演ってみたい方はどうぞ声をかけてください。お待ちしています!


〔758〕自閉症の概念を覆される『声なき声で語る-ボクが過ごした日々、その世界と自閉症』(ティト・ラジャルシ・ムコパディアイ、石田遊子訳、エスコアール)

2025年01月10日 | 図書案内

   この本を手に取るきっかけになったのは、訳者の石田遊子さんが私の妻の高校時代の友人だったからでした。千葉県立船橋高校の仲良しグループ数人の一人で、私も2、3回お会いしたことがあります。ちなみに、船橋高校といえば立憲民主党の野田佳彦党首は彼女たちの後輩ということになるようです。
  石田さんの略歴を読んで私との接点が多いのに驚きました。彼女が卒業した千葉大学教育学部は私が同時に受験したところで、入学していればそこで出会っていた可能性もありました。さらに彼女は白梅学園短期大学専攻科講師ということで、白梅学園大学非常勤講師の私とどこかですれ違っていたかも知れません。

  さて『声なき声で語る-ボクが過ごした日々、その世界と自閉症』の話になります。
 著者のティト・ラジャルシ・ムコパディアイさんは、インドに住む自閉症の青年です。この本では自身の成長を客観的俯瞰的にしかも克明に綴っています。その表現力や描写力は半端ではありません。自閉症の概念を覆されるほどです。前半の「声なき声」は8歳ぐらいに書いたというからさらに驚愕させられます。母親のマソさんは「マソ・メソット」の創始者で、母子二人のやり取りが彼の成長に大きく影響したようです。イギリスのBBC放送も彼のことをドキュメンタリーで取り上げました。

  自閉症の当事者が綴る希有な「成長記録」として読ませてもらいました。


〔757〕前田憲二映画監督の『祭祀と異界-渡来の祭りと精霊への行脚』(現代書館)と季刊「はぬるはうす」を堪能しています。

2025年01月06日 | 図書案内

   清瀬市議のふせ由女を支援する清瀬・くらしと平和の会の総会と「望年会」が12月末に旭が丘団地の集会所で開かれました。
  この会には毎年のように著名な前田憲二映画監督(清瀬在住)が参加してくれています。昨年もその例に漏れませんでした。
  前田監督の映画作品は「神々の履歴書」と「百萬人の身世打鈴」を見たことがありますが、いずれの作品も現地調査を入念に行って、実証的で説得力のある映像に仕上げられていることに定評があります。まさに「力作」「労作」以外のことばが見つかりません。
  以前にも季刊「はぬるはうす」(ハヌルハウス運営委員会:前田憲二編集・発行)をいただいたことがありますが、今回も最新82号をいただきました。

  前田監督の、ノーベル文学賞受賞者、ハン・ガンさんの父親に会った話や、和田春樹さんの「日韓、日朝関係はいまや混沌とした状況にある」という文章に心引かれました。

 前田監督には2021年7月4日に講演をお願いしたことがあります。その時にご著書『祭祀と異界-渡来の祭りと精霊への行脚』(現代書館)購入し、達筆のサインをいただきました。季刊「はぬるはうす」などの原稿を凝縮した、朝鮮と日本の関係性を考察する労作です。
  世界が揺れ動く年の初めにこうした本を熟読することも私にとって貴重な体験です。