後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔64〕ドイツからある夫婦が来宅、一週間の濃厚で豊潤な日独交流でした。

2015年12月31日 | 旅行記
  ドイツのバルト海に面したロストック(旧東ドイツ)在住のヨーラ・ヘルビック夫妻が、年も押しつまった暮れに我が家にやって来ました。今年の1月には早割の航空チケットを購入しているので突然の訪問というわけではなく、かねてからの予定の行動でした。
 実は、養蜂家の国際会議で、9月にも一週間ほど韓国に来ています。けっこう世界中を駆け巡っている夫婦なのです。我が家にはヨーラは2回目、ヘルビックは初めてでした。
夫妻との初めての出会いは2006年、エジプトの考古学博物館のことでした。一度ルクソールで見かけ、再び偶然対面したために妻がドイツ語で同世代の彼らに話しかけたのです。その後妻とのメールのやりとりがあり、妻がドイツにドイツ語留学をしているときに、何回かお宅にお邪魔しました。私自身も2回ばかり宿泊させてもらい、近隣の観光地を車で案内していただきました。
 その後、妻はヨーラに写真家のヨハネスを紹介してもらい、ヨハネスの写真を収録した妻の写真集、正・続『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(福田緑、丸善プラネット)の完成に至るのです。つまり彼女は写真集発行のきっかけをつくってくれた人でした。

 ヨーラが前回来たときは座禅を組んだり、お茶や着物の体験をしたりで、観光と言えば長野の別所温泉に行った程度でした。今回は妻と相談しながら以下のような行動メニューを作っていました。

・12月24日(木) ヨーラとヘルビック、我が家へようこそ
・12月25日(金) アイヌ文化交流センターへ、近辺の本屋など2人で自主行動
・12月26日(土) 東京檜原村数馬へ一泊旅行
・12月27日(日) 青梅の漆工房皎月へ(蝋燭づくり)
・12月28日(月) 多聞天を求めて鎌倉巡り
・12月29日(日) 練馬の漆工房皎月で餅つき体験
・12月30日(月) ドイツに帰国

  2日目のアイヌ文化交流センターの見学以外は私も彼らに同行したのですが、ここでは5日目の「多聞天を求めての鎌倉巡り」について書いてみましょう。私がコーディネートしたからです。
 ヨーラの初来日時、東京国立博物館の阿修羅展を見に行きました。その時、彼女はなぜか多聞天(毘沙門天)に興味を持ったのです。家に帰ってから、多聞天特集の「日本の美術」を見せたところ、それがどうしてもほしいということで、差し出す羽目になったのでした。今回の旅でも、多聞天が見られるところに連れて行ってほしいというのが彼女の願いの1つでした。
 東京や埼玉で多聞天がある場所を本やネットで探したのですが、あまりピンときません。そこで、かなりお寺が密集している鎌倉なら多聞天が拝観できるだろうし、日帰りでも行けるということで、ここに決めたのです。私も数回鎌倉のお寺や美術館に足を運んでいます。十分案内は可能です。
 おおよその行程は次のようです。1日たっぷりかけた、約2万歩の「遠足」でした。巡った社寺は6か所、さすがに疲労困憊の4人でした。

 清瀬→(池袋)→鎌倉、小町通→段葛(工事中)→鶴岡八幡宮→宝戒寺(多聞天)→妙本寺(二天門、多聞天)→長勝寺(多聞天)→〔軽食〕→由比ヶ浜海岸→高徳院(鎌倉大仏)→長谷寺(多聞天)→(江ノ電)→鎌倉→(池袋)→清瀬

 たまには観光スポットを訪ねようということで、鎌倉の大仏に会いに行きました。3回目の私にとって興味深かったのは大仏よりもむしろ高徳院の石碑でした。かつてブログ〔19〕で紹介した「劇団ひこばえ通信」(村上芳信発行)の99号に与謝野晶子とジャヤワルダナ前スリランカ大統領の石碑のことを知りました。
  与謝野晶子の歌碑は「鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」というもの。ジャヤワルダナ前スリランカ大統領の顕彰碑は、サンフランシスコ対日講和会議で、日本対しての賠償請求や分割統治に反対する演説を仏教的な精神から説いたということでした。貴重な石碑を見落とすことがなかったのは「劇団ひこばえ通信」のおかげでした。

 養蜂家の2人は青梅の漆工房皎月で蜜蝋でのキャンドルづくりを指導してくれました。
 彼らが去って今日は大晦日。充実した年の暮れを体験することができました。彼らと妻に感謝したいと思います。

*「劇団ひこばえ通信」99号はA4版で50ページにもなる大作でした。ヒトラーに関する映画評、篠原睦治さんの永井隆・考など読み応え十分です。100号で終刊とはいかにも惜しいです。

〔63〕3代にわたって楽しんだのは、円・こどもステージ「…帽子屋さんのお茶の会」でした。

2015年12月24日 | 語り・演劇・音楽
  子どもたちが小さい頃、当時住んでいた狭山や清瀬から、休日ごとにはるばる渋谷の東京都児童会館など,都心まで劇を見に出かけたものでした。
  私の子どもたちが最も楽しんでみた児童劇が劇団仲間や風の子、そして円によるものでした。とりわけ円の芝居はお気に入りでした。「自転車ぶたがやってきた」(佐野洋子)や「卵の中の白雪姫」(別役実)などが印象深かったようです。
 上の孫が5歳になりました。ついに円の芝居に連れ出すことにしました。3代にわたって円・こどもステージ鑑賞ということになります。
 ここで円・こどもステージについて説明しておきましょう。

● 円・こどもステージとは――(円・HPより)
 円・こどもステージは、子どもと大人が一緒に楽しめる舞台を創ろうと、故・岸田今日子が企画。1981年から毎年クリスマスの頃に上演を続けています。
 作者に詩人・谷川俊太郎や劇作家・別役実、絵本作家・佐野洋子、きむらゆういち諸氏を迎え、定評がある舞台創りを続けてきました。
 上演した多くの作品が、厚生労働省社会保障審議会薦文化財や東京都優秀児童演劇賞(すでに廃止)に選ばれ、文化庁「舞台芸術体験事業」などの巡回事業にも積極的に参加しています。

 そもそも私がなぜ円・こどもステージに惹かれたかということについて触れてみます。
 日本演劇教育連盟の夏の全国演劇教育研究集会(1987年)で「話すこと・読むこと」の講座がありました。もう30年くらい前なのですね。講師は女優の岸田今日子さんと演出家の小森美巳さんです。講座の内容は、自分が読みたい絵本などを持ってきて講師の前で読み、講師からのコメントをもらうということでした。世話人に私たち夫婦とNさんが名乗り出ました。
 鮮やかに思い出すのは、講座の最後に岸田さんに朗読を2,3編お願いしたことです。工藤直子の散文詩「カタツムリとロバ」などを読んでくれました。私の隣で、あの岸田さんの独特の生声が心地よく響いたものです。絵本にサインをおねだりしたのもその時でした。
 講座はそれ1回きりでしたが、岸田さんからは時々円の公演案内が送られてきました。2人して劇場に足を運ぶことが度々ありました。もちろん円・こどもステージにもです。演出は毎回小森美巳さんでした。
 小森さんは最近の全国演劇教育研究集会の講座「演劇教育の原点を探る」にお忙しいなか2回も来てくださいました。

 さて、孫にとって初めての円の芝居は「〈不思議の国のアリス〉の帽子屋さんのお茶の会」(別役実)でした。別役が初めて円に書いたお芝居でした。1984年初演、2000年に再演、そして今年2015年は再々演ということになります。
 お芝居の簡単のあらすじと、小森さんの案内を見てみましょう。

●ここは、「不思議の国のアリス」のあの森の中。大きな木の下に大きなテーブルが置かれ帽子屋がお茶の会を開こうとしています。お茶の会を手伝うのはチシャ猫と三月兎。
●小森美巳(演出家)〔上演パンフより〕
 童話あそびシリーズと名付けられた一連の別役作品は、この「アリス」の他に「赤ずきん」「白雪姫」「シンデレラ」「ドンキホーテ」「ピノキオ」「青い鳥」等があって、作者はそれぞれのお話の中でそれぞれ違うあそび方をされています。その童話の中の何に、どんな興味を持たれたのか、さぐリ続ける楽しみはつきません。もっとも解明に至ることはほとんどないのですが…。
 こどもステージ第一作目のこの作品は、やればやるほど面白く、これからも観客の年齢を問わず、時代を越えて上演され続けていくことと思います。毎日みんなと稽古場で暮らしていると、私達はまさに別役さんの不思議の国に迷い込んでいるような気がしてくるのです。どうぞご一緒にお楽しみ頂ければ幸です。

 音楽は著名な作曲家・小森昭宏さん、小森美巳さんのお連れ合いです。

 劇場では、孫は妻や私の膝の上で見ていました。時折声をあげて楽しそうに笑っていました。妻や私もそうでした。
 孫の感想は一言、「楽しかったあ。」でした。孫はロビーで出演者の三月兎やアリスなどと写真を撮ってもらってご満悦でした。乗り継ぎの電車でも手がかからなくなりました。「また来たい。」と言っていましたので、今度は下の孫も連れてくることになるかもしれません。

*小森美巳さんの著書、『お母さんといっしょの優しい時間』(グラフ社、2007)がとても読みやすくて、心にすとんと落ちます。



〔62〕初めての能楽(能・狂言)鑑賞は「金春円満井会・特別公演」でした。

2015年12月16日 | 語り・演劇・音楽
  長く演劇教育に携わってきたのに、本物の能楽(能・狂言)の鑑賞の機会はありませんでした。子どもたち向けの入門的な能楽や歌舞伎の公演は何度か鑑賞してはいましたが。
 今回、ひょうんなことからあの能楽のメッカ、国立能楽堂に初めて足を運ぶことになったのです。
 話は今年の8月の初旬に遡ります。私たち夫婦は猛暑の鹿児島、川内原発再稼働阻止集会に参加していました。(ブログ〔39〕参照)たしかバスで川内原発から鹿児島に戻る車中でのことでした。バスは首都圏からの参加者で補助席まで埋まっていました。そして、私の隣に座っていたフランスの若い女性に興味を持って話しかけたのです。日本語はぺらぺらで、日本の芸能に興味を持ち、何度も日本に来ているということでした。彼女は日本人の女性と一緒に集会に参加したというのです。その中年の女性が彼女の後ろに座っている森瑞枝さんで、能の類い希なる演者(能楽師)だというのです。
  家に戻ってから妻がミニコミ「啓」を森さんに送りました。妻とのメールのやりとりの後、最近になって森さんからの封書が届きました。能楽の公演のお知らせと彼女が書かれた文章のコピーでした。月刊「監査研究」(日本内部監査協会発行)に掲載された「能楽の世界」の連載(12回)や「金春月報」の文章でした。そこで彼女が国士舘大学非常勤講師であるいうことも知りました。
  公演案内を見てびっくりしました。能「乱」にシテ・森瑞枝となっていたのです。シテとは主人公という意味だそうです。…これは行くしかないなと2人で話し合いました。

 12月13日(日)、ついに国立能楽堂に妻と足を踏み入れました。番組(プログラム)は次の通りです。

・能「乱」
・仕舞「三輪」「善知鳥」
・狂言「福の神」
・仕舞「八島」「遊行柳」「昭君」
・能「道成寺」

 途中休憩を挟んで、4時間の公演の中心は、能「乱」と「道成寺」です。そして「乱」は2人の舞手によって構成されています。もちろんその1人が森さんです。
 パンフの解説を引用してみましょう。

●金春円満井会 特別公演(パンフより)
「乱 双ノ舞」
 唐土・瀋陽の江(揚子江)のほとりの市で酒を売る高風のところに、いつも酒を飲みに来る者がいる。高風が名を尋ねると、猩々(海中に棲む酒を好む妖精)だと名乗って消える。やがて水中より猩々が現れ、酒を酌み交わし舞を舞う。爽やかな名月の夜、不老長生を言祝ぐ「猩々」を、特殊な足遣いの舞「乱」で、二人で舞います。「ともに逢うぞうれしき」曲です。
「道成寺」
 少女時代の結婚の約束を反故にされた女は、恐ろしい大蛇となり、男が逃げ込んだ鐘ごと焼き殺してしまった。歳月を経ても執心の炎は消えることなく、白拍子の姿となって現れた女は鐘の中へと姿を消す…。
 物音ひとつ立てられない緊張感と、能楽堂を突き抜ける激しい躍動。静と動、能の醍醐味が凝縮された秘曲に、若手能楽師が初めて挑みます。

 能楽堂の舞台は独特の構造になっています。歌舞伎でいうところの花道にあたるのが橋掛かりです。そこを通って役者は正方形の舞台に登場してきます。客席は舞台の正面、斜めから見る中正面、脇から見る脇正面に分かれます。すべてチケット代が違っていて、我々の中正面でも一万円でした。
 客席のライトが落ちると開演です。手元のパンフレットが読めるくらいの明るさは保たれています。
 登場人物の朗々たる独特の言い回しを聞きながら、不思議な感覚に襲われていました。20年ほど前にグループ旅行でパリを訪ねたときのこと、地元の人に交ざってモリエールの芝居を見たことがありました。全くフランス語は理解できないのですが、役者のしなやかな身のこなしは実に面白いのです。同様に室町時代の京都のことばはすとんと胸には入ってこないのですが、その言い回しやテンポや間がいろいろと想像させるのです。楽器といえば笛や太鼓、鼓だけです。静寂の中の抑えた演技が見る者の想像力をかきたてるのです。幽玄の美とはこのことでしょうか。
 全体の構成にも目を見張りました。能と能の間にコミカルな狂言を挟み、その狂言の前後を舞いで囲んでいるのです。観客を飽きさせない工夫なのでしょう。
 森さんの舞いは優雅で、気品が感じられました。相方とのゆったりした協調性は静けさの中の躍動感があります。
 それにしてもなぜ能の演者であり研究者である森さんが原発反対なのか、次の文章を発見して深く納得したのでした。

●「アンゲロプロスの訃報にたちずさんで」森瑞枝「金春月報」より
 …2011年3月11日があってから2年目に入った。あの時、私は生まれて初めて、自らの「生存」ということを考えた。はじめはごく普通に、天災ならば運を天に任せる気でいた。しかし、原発の異変を、政府と「御用」連中が「公器(マスコミ)」を使って誤魔化すのを察知して、完全に考えが変わった。万が一にも、彼らの欺瞞言語(プロパガンダ)に従って自分の生存が損なわれてはならない。自分の事は自分が決める。生き延びたい、と。妄想だろうが何だろうがかまわない。ちょうど人生50年、トランク一つで仕切り直しだ。どこへでも出て行ける。…

*本ブログ掲載後に次の放送がありあまりのタイミングの良さにびっくりしました。「にっぽんの芸能」(NHK Eテレ)若手能芸師が挑む大曲能「道成寺」喜多流、本番までの舞台裏ドキュメント、塩津圭介、塩津哲生ほか。(2015.12.18放送)

〔61〕授業「憲法ってなんだっけ?」(菅間正道さん指導)は大人も子どもも大満足でした。

2015年12月09日 | ラボ教育センターなど
  2015年12月6日(日)の昼過ぎ、私は東京都の東村山市スポーツセンターにいました。週一回バドミントンで通っている馴染みの場所です。ここに研修室があるのですね。初めて知りました。NPO法人 HUGこどもパートナーズ主催の「憲法ってなんだっけ?」という授業があるというので参加しました。
 さて、HUGこどもパートナーズとはどのような団体なのか、HPから拾ってみましょう。

■NPO法人 HUGこどもパートナーズ     
HUGこどもパートナーズとは?
新しく生まれた命。
かわいいけれど困ったこともいっぱい。
「ママ友がほしいな・・」
「こんな時はどうしたらいいの? 相談にのってほしい」
誰かかがなんとかしてくれるのを待っていてもはじまらない。東村山が子育てしやすいまちになるように、自分達でやれることをやっていこうよ。
そんな思いで子育て当事者が集まってできたNPO、それがHUGこどもパートナーズです。
ボランティアで始めた小さな「親子サロン」が事業の始まりでした。
今は子育てひろばの運営や情報誌の発行など、困っていたママ達当事者の力が仕事や活動につながっています。子育て中だけど、社会と関わることがしたい、お母さん同士支え合いたい、そんな一歩を応援する活動を今後も広めていきたいと思います。

●主な事業内容
1.親子サロンなどの居場所づくり事業
  ぷくぷく、ぽっとなど親子サロンの開催
  2ヶ月ママ、5ヶ月ママなど月齢別
  プログラムの開催
2.子ども・子育てに関する学習機会の提供事業
  講演会・講座の企画、調査など
3.子ども・子育てに関する情報発信・交流事業
  「トコトコ通信」の発行
  会報誌「HUGコミ」の発行
  「子どものために選挙に行こう」呼びかけ
   HPの運営など
4.育児サポート事業
  ①東村山市ファミリー・サポート・センター
  ②育児サポート まめっちょ

 会の代表の磯部妙さんは私の教え子・桃ちゃんのお母さんです。数年前にこの会で子どもを見る目や学校との連携などについて、現場からの実践的な話をさせてもらったことがあります。
 今回は自由の森学園の社会科教師、菅間正道さんの話が聞けるというので楽しみにしていました。教育科学研究会で常任委員をしていて、実践記録も多く書かれています。直近では、雑誌「教育」2015年9月号に「僕の“政治の授業”はどうだったろうか?」を興味深く読みました。卒業生との率直な意見交換に好感を持ったものです。

 今回の「生徒」たちは中学生から70代の大人まで、40人以上でした。授業が始まる2時には研修室は人でいっぱいでした。長机に3人がけです。
 菅間さんは長身で、声がはっきりとおる中学校の先生でした。実にテンポの良い、飽きさせない授業でした。
 授業はいきなり「問題」からスタートでした。
「2015年9月27日(日)、午後2時頃、足立区で殺人事件がありました。その時のあなたのアリバイを証明できますか。」
 見知らぬ隣同士で組を作って、刑事と尋問される人に分かれて、身の潔白を証明します。私の新しい手帳には9月の予定は書かれていません。隣の中学生を納得させるのは至難の業でした。…次は私が刑事役で、中学生に話を聞きます。
  ひとしきりそれぞれの問答が終わり、全体での話し合いになりました。自己申告でシロ、グレー、クロに分けて、シロの人の言い分を吟味します。完全にシロと証明することの困難さを体験することになったのです。

 さてここで種明かし、実はこれは、1988年11月16日(水)に実際にあった綾瀬母子殺害事件、のことでした。中3の不登校生徒3人が疑われた事件です。犯行の自白を迫り、殺害の方法を強制する取り調べについてのようすが本になって出版されました。(『ぼくたちやってない 東京・綾瀬母子強盗殺人事件』横川 和夫、駒草出版)その一部を読みながら、その取り調べのどこが憲法違反なのかを考えるのです。そして、ここで初めて憲法の条文が登場するのです。
 次に提示されたのがウルトラマンコスモス事件、俳優杉浦太陽さんの冤罪事件でした。(2002.7.9,朝日新聞)
 まとめとして、菅間さん自身が執筆した「冤罪と日本国憲法-憲法とは何か?」(中学公民教科書「清水書院」2015)を読みました。

 そして最後の穴埋め問題は次の通りです。空欄に何が入るのでしょうか。
「〔                 〕は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」
 正解は、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、 この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」
 つまり日本国憲法は立憲主義ということです。

 実に見事な授業展開でした。

*自由の森学園で思い出しました。1998年夏、フレネ国際教育者会議が10日間ここでアジアで初めて開かれました。外国から170名、日本国内から170名の参加者を得て盛況のうちに幕を閉じたのです。その時の様子を私は『実践的演劇教育論』(晩成書房、2013)に「フレネ教育と演劇教育」として報告しています。




〔60〕評判の映画「みんなの学校」は見応え十分でしたよ。

2015年12月06日 | 映画鑑賞
 12月4日(金)は大忙しでした。昼過ぎに映画「みんなの学校」を見て、夜は戦争法廃棄を目差した小林節さんの講演会があったのです。清瀬の地に500人以上が参集し、ホールに入りきれなくて、ロビーで聞いている人も出たこの集会については今回は触れないでおきます。
 映画「みんなの学校」の視聴は広報きよせの記事を連れ合いが見つけたところから始まります。在任中の白梅学園大学で関連の本(後掲)のチラシも見つけました。そうしたことから久しぶりに教育関係の映画を見てみたいと思ったのでした。

 会場ののアミュー7階(清瀬駅北口徒歩1分)に着くと、受付をMさんがしていました。かつて清瀬・教育って何だろう会で一緒に活動した方でした。今回の映画会の主催は清瀬・東久留米社会福祉会です。
 鑑賞時間は1時間40分ほどだったでしょうか、なかなか見応えのあるドキュメントでした。内容を要約することは難しいので、映画「みんなの学校」サイトからそのねらいや内容を引用してみましょう。

〔イントロダクション〕
*すべての子供に居場所がある学校を作りたい。
 大空小学校がめざすのは、「不登校ゼロ」。ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みんな同じ教室で学びます。ふつうの公立小学校ですが、開校から6年間、児童と教職員だけでなく、保護者や地域の人もいっしょになって、誰もが通い続けることができる学校を作りあげてきました。
 すぐに教室を飛び出してしまう子も、つい友達に暴力をふるってしまう子も、みんなで見守ります。あるとき、「あの子が行くなら大空には行きたくない」と噂される子が入学しました。「じゃあ、そんな子はどこへ行くの? そんな子が安心して来られるのが地域の学校のはず」と木村泰子校長。やがて彼は、この学び舎で居場所をみつけ、春には卒業式を迎えます。いまでは、他の学校へ通えなくなった子が次々と大空小学校に転校してくるようになりました。
*学校が変われば、地域が変わる。そして、社会が変わっていく。
 このとりくみは、支援が必要な児童のためだけのものではありません。経験の浅い先生をベテランの先生たちが見守る。子供たちのどんな状態も、それぞれの個性だと捉える。そのことが、周りの子供たちはもちろん、地域にとっても「自分とは違う隣人」が抱える問題を一人ひとり思いやる力を培っています。
 映画は、日々生まれかわるように育っていく子供たちの奇跡の瞬間、ともに歩む教職員や保護者たちの苦悩、戸惑い、よろこび・・・。そのすべてを絶妙な近さから、ありのままに映していきます。
 そもそも学びとは何でしょう? そして、あるべき公教育の姿とは? 大空小学校には、そのヒントが溢れています。みなさんも、映画館で「学校参観」してみませんか?

 映画を見ていた人は2,30名というところで、もったいないなと思いました。この映画はもっと多くの人に見てほしいものです。
 一番評価できるところは、教育現場に長期にわたってカメラを入れさせたことです。教師が苦悩する場面や、必ずしも上手くいっていない子ども同士のやりとりなどがリアルに映し出されます。生の現場を覆い隠すことなくカメラを入れさせたことに最大の拍手を送りたいと思います。
 しかも、橋下徹元市長の大阪維新の会が力を振るうあの大阪の公立小学校が舞台です。上意下達が貫徹されているというイメージが強いところで、よくこれだけの実践が展開されたなという印象です。

 映画が始まると、校長の木村泰子さんが学校中を走り回ります。全校児童200人ほどの学校に、さまざまな課題を抱えた特別支援教育対象の子どもが30人ほど在籍しています。決してたやすくない教育状況の中で、ひとりの不登校児童も出さない取り組みを進めているのです。職員全員で全員の子どもを見る姿勢を貫きます。
 教師全員はすぐに子どものところへとんでいける服装をしています。基本的には名札などはしていません。
 とりわけ感心したところは、次のような点でしょうか。
・校長や教師が子どもを固有名詞で呼べる。
・子どもの有り様をしっかり見ながらの指導を大切にしている。

 私の実践体験に照らし合わせてみると、課題がないわけではありません。
・あまりに校長が目立つ学校になっていないでしょうか。私は「金八先生」を評価していますが、校長が金八先生になっています。教師こそが金八先生であってほしいのです。
・最後の暴力を振るった子どもの指導は感心しません。校長室の指導が中心で当事者同士の話し合いが後手に回っています。
・教師教育として大きな声での指導を否定しながら、校長自らが子どもを引っぱっていく指導のありかたはどういうものでしょうか。

 多少の課題を指摘しながらも、私はこの映画を見ることを勧めます。教育についてみんなで話し合うには絶好の映画だと言えるからです。
 最後に、今年で退職したこの校長が書いた本を紹介します。

●「みんなの学校」が教えてくれたこと
学び合いと育ち合いを見届けた3290日
著/木村泰子  著/島沢優子 

〈 書籍の内容 〉
「みんなの学校」が教えてくれたこと
 2015年2月から全国で公開され、大ヒットしたドキュメンタリー映画『みんなの学校』。この映画の舞台となった大阪市の公立小、大空小学校では、「自分がされていやなことは人にしない」というたった一つの校則と、「すべての子どもの学習権を保障する」という教育理念のもと、障害のある子もない子もすべての子どもが、ともに同じ教室で学んでいます。全校児童の1割以上が支援を必要とする子であるにも関わらず、不登校児はゼロ。他の小学校で、厄介者扱いされた子どもも、この学校の学びのなかで、自分の居場所を見つけ、いきいきと成長します。また、まわりの子どもたちも、そのような子どもたちとのかかわりを通して、大きな成長を遂げていきます。
 本書は、この大空小学校の初代校長として「奇跡の学校」をつくり上げてきた、木村泰子氏の初の著書。大空小の子どもたちと教職員、保護者、地域の人々が学び合い、成長していく感動の軌跡をたどりながら、今の時代に求められる教育のあり方に鋭く迫ります。

【目次】
はじめに 『みんなの学校』とは
プロローグ 2015春 最後の修了式
第1章 「みんなの学校」の子どもたち
第2章 学び合い、育ち合う
第3章 私の原点
第4章 教師は学ぶ専門家
第5章 「みんなの学校」をつなぐ
エピローグ みんなが教えてくれたこと

〔59〕辺野古基地反対集会(野音)に4500人、もっと報道してよ!

2015年12月01日 | 市民運動
  2015年11月29日(日)、「辺野古に基地は造らせない大集会」が日比谷野外音楽堂でありました。沖縄まで出かけるのは簡単にできることではないので、せめてこの日ぐらいはと、連れ合いと参加したのです。快晴で、絶好の集会日和でした。
 霞ヶ関駅から会場に着いたのがほぼ午後1時30分でした。なんとなんと、定員(3119名)を超えたため消防法で入場ができなくなっていました。2,3分前に到着したKさんは入れたというのですから、ほんとにタッチの差でした。会場の外で漏れてくるアナンスを聞いている人が大勢いました。でもさすがに聞きとりづらいのです。国会前集会のように外にマイクを付けてくれたらどんなに良いでしょう。

 もらったプログラムを紹介しましょう。マスコミではここまで詳しくは報道していません。

□11.29 辺野古に基地は造らせない大集会
プログラム
2015年11月29日(日)13時開場
日比谷野外音楽堂
13:15 オープニング      金城吉春(三線演奏)
   開会      司会 山口千春(辺野古ヘカヌーを送る会)
13:30 主催者あいさつ     野平晋作(ピースボート共同代表)
   沖縄からの訴え     安次富浩(ヘリ基地反対協議会・共同代表)
               高里鈴代(島ぐるみ会議・共同代表)
   学者・文化人からの発言 枝元なほみ(料理研究家)
               田中宏  (一橋大学名誉教授)
〔リレートーク〕
戦争をさせない1000人委員会
解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会
戦争する国づくりストップ!
       憲法を守り・いかす共同センター
フォーラム平和・人権・環境
安保破棄中央実行委員会
全国労働組合連絡協議会
内山さと子(武蔵野市議会議員)
全国土砂搬出反対連絡会議
マスコミ文化情報労組連絡会議
シールズ
東京沖縄県人会
15:10 閉会
15:25 デモ出発

 このときの会場の様子は、ネットでいっぱい流れていますが、1つだけ紹介しておきます。
 https://www.youtube.com/watch?v=nF__-SY4JeY

 デモ行進まで2時間あったのですが、ベンチから紅葉をながめたり、松本楼でお茶していました。約2キロのデモが終わる頃はけっこう陽も落ちて寒くなっていました。
 そして、この日のことをもっとしっかり報道してほしいと思ったことでした。4500人の集会ですよ。NHKと東京新聞はこんなふうに紹介しました。

●辺野古への基地移設 都内で反対集会(NHK、11月29日 17時15分、51秒)
 沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設計画に伴う名護市辺野古沖の埋め立て承認を巡り、国が、知事の代わりに承認の取り消しを撤回する代執行を求めて提訴するなか、東京では、移設計画に反対する人たちが集会を開きました。
 東京・千代田区にある日比谷公園の野外音楽堂には、普天間基地の移設計画に反対する首都圏のNGOの人たちなど、主催者の発表で、およそ4500人が集まりました。
 移設計画を巡っては、沖縄県の翁長知事が名護市辺野古沖の埋め立て承認を取り消したのに対し、国は「著しく公益を害する」として知事の代わりに取り消しを撤回する代執行を求めて提訴し、来月2日に最初の弁論が開かれることになっています。
 会場では、参加者が「政府の横暴は許さない」などと書かれたポスターを掲げ、安全保障関連法に反対する若者のグループのメンバーで大学3年生の長棟はなみさんが「政府は民主的な手続きを踏まずに基地建設を進めている。沖縄に連帯の声が届くよう頑張りましょう」と呼びかけました。
 このあと、参加者全員で「政府は沖縄の声を聞け」とか「海を壊すな」などと訴えました。都内の35歳の男性は「沖縄に基地が集中している現状はおかしいと思う。本土の人たちは、もっと沖縄の人たちと連携していくべきではないか」と話していました。

●「そばで見て それだけでも力に」 日比谷で辺野古反対に協力訴え(2015年11月30日 東京新聞・朝刊)
 米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古(へのこ)への移設に反対する集会が二十九日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂であり、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを続ける沖縄県民らが、集まった四千五百人に反対運動への協力を訴えた。
 市民団体「ヘリ基地反対協議会」の安次富浩(あしとみひろし)共同代表は「先日の一斉行動では、朝六時半から八時の間に千二百人がゲート前に集まった。人が集まれば作業車は基地内に入れず、機動隊も手を出せない」と活動の盛り上がりを紹介。「行政と沖縄は真っ向勝負をしている」と力を込めた。
 今月、米議会を訪れて移設計画の見直しを訴えた「沖縄『建白書』を実現し未来を拓(ひら)く島ぐるみ会議」の高里鈴代共同代表は「多くの議員に会い、アメリカも当事者であり責任があるというメッセージを伝えた」。来場者に「座り込みに参加せずとも、ゲート前で何が行われているかを見るだけでも大事な証人になる。そばでじっと見てくれるだけでも力になる」と、辺野古を訪れるよう呼び掛けた。
 移設計画をめぐっては、翁長雄志(おながたけし)知事による辺野古沿岸部の埋め立て承認取り消し処分を撤回するよう国が求めた代執行訴訟の口頭弁論が、来月二日に開かれる。