後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔167〕最初で最後の鎌田慧さんの出版記念会(『声なき人々の戦後史』)は終始熱気に包まれました。

2018年01月30日 | 図書案内

  昨年の10月26日、鎌田慧さんと出河雅彦さんの『声なき人々の戦後史』(藤原書店、上下)の出版記念会が、東京の私学会館で開催されました。渡された名簿でみると200人を超す参加者があったようです。沖縄から駆けつけた金城実さんのような遠来の方も多かったようです。同じく沖縄の海勢頭豊さんのギター弾き語りライブもあり、会場はある熱気に包まれていました。
 保阪正康さんや大石芳野さんなど挨拶に立つ方も著名人が多く、コメントの内容も実に興味深く、とても充実したおもしろい会でした。それぞれの方のミニ講演会を聞いているような風情でした。
 しかし、あくまで私的なお祝いの会なのでブログに書いても良いものなのか躊躇していたら、新聞に報道されるは、あまたのブログに書かれるはで、二の足を踏んでいるのは自分だけでした。そういえば、マスコミ関係者が来ていると小耳に挟んだのも事実です。
 そこで、遅ればせながら、どのような会であったのか、紹介したいと思います。

  ところで『声なき人々の戦後史』とはどんな本なのか、出版元の藤原書店のHPからその概要を転載してみましょう。鎌田さんから直接伺ったところによると、著者は鎌田さんと出河雅彦さんだということです。朝日新聞記者の出河さんが鎌田さんをインタビューして、新聞に88回の連載をしたということです。それに鎌田さんが手を加えて出来上がったのが、800ページ近い2冊本だというわけです。

□『声なき人々の戦後史』藤原書店、
[上巻]
プロローグ 鎌田 慧
第1章 ルポルタージュを書きたい
第2章 開発と公害の現場を歩く
第3章 辺境と底辺(一)――コンベヤー労働の体験
第4章 辺境と底辺(二)――出稼ぎと「合理化」
第5章 管理教育といじめ自殺
第6章 原発列島を行く(一)――開発幻想と現実
第7章 原発列島を行く(二)――国策の犠牲者たち
第8章 原発列島を行く(三)――民主主義を守る

[下巻]
第9章 労働現場の人権侵害(一)――炭鉱労働者たち
第10章 労働現場の人権侵害(二)――国鉄からJRへ
第11章 労働現場の人権侵害(三)――規制緩和の罪
第12章 悪政と闘う――成田と沖縄
第13章 暗黒裁判を書く
第14章 自由への疾走
第15章 語る 鎌田慧
エピローグ――取材を受けて 鎌田 慧

鎌田慧 年譜
鎌田慧 著作一覧
あとがき(出河雅彦)
主要人名索引

◎戦後、日本は「経済大国」になったと言われる。しかしそれは、立場の弱い人びとにリスクを押しつけることで達成されたことを忘れるわけにはいかない。原発事故によって、都会で消費される電力を過疎地が支える構図が、はっきりと認識されるようになった。同じ構造は、エネルギー供給に限らず、私が取材を続けてきた労働現場にもあった。非人間的で危険な仕事はいつも、地方からの出稼ぎなど、立場の弱い人たちが担わされてきた。利益追求の犠牲となって、命を落とした人は数知れない。
◎成長の時代が終わっても、リスクを背負わされる人の割合はむしろ増えている。政府も企業もいまだに効率性だけを追い求めているからである。経済界の意向に従う政府が労働法制を相次いで改悪して身分が不安定な非正規労働者を大量に生み出し、いま「経済格差」は深刻である。(「プロローグ」より)


 さて、当日の様子を毎日新聞が次のように伝えました。

■幸せの学び<その181> 反骨のルポライター=城島徹(毎日新聞2017年11月8日)
 「自動車絶望工場」「六ヶ所村の記録」「大杉栄 自由への疾走」「狭山事件 石川一雄、四十一年目の真実」などの著作があるルポライター、鎌田慧さんの半生を浮き彫りにした「声なき人々の戦後史(上下巻)」の出版を祝う会が先月末、東京都内で開かれた。社会の不条理を告発してきた「反逆生活50年」で初めてという祝賀会を「最初で最後」と照れる鎌田さんに、約200人の出席者から「さらなる健筆を」と期待の声が上がった。
 半世紀にわたり精力的に執筆、取材を続けてきた79歳の鎌田さんの足跡を朝日新聞の出河雅彦記者が「読者に紹介したい」と考え、鎌田さん本人から丹念に聞き取りを重ね、上下巻で計779ページに及ぶ新刊として藤原書店が出版した。
 祝福に駆け付けた顔ぶれも個性的で、沖縄の彫刻家、金城実さんが叫ぶように盟友をたたえ、ベトナム報道で知られる写真家の石川文洋さん、軍事ジャーナリストの前田哲男さんら80歳目前の同世代と並び立つと、「長生きして!」という熱い声援が飛んだ
 特定秘密保護法、集団的自衛権行使を含む安全保障関連法が相次ぎ施行され、安倍晋三首相が「9条改憲」に意欲を見せるなか、自民党大勝という衆院選の余韻が渦巻く会場で、反骨のルポライターへの祝辞には現状を憂える声が多く聞かれた。
 昭和史に精通するノンフィクション作家で「安倍首相の『歴史観』を問う」の著者、保阪正康さんの言葉はとりわけ印象に残った。19世紀末のロンドンで、「東洋の学問」確立を目指して遊学中の植物学者、南方熊楠が、中国の近代化の思いを抱えて亡命中の革命家、孫文と出会い、将来の夢を語り合ったという交流を踏まえた興味深い内容だったからだ。
 熊楠と孫文の若き日の共鳴は永遠に響き続けるものではなく、後年、二人の関係は次第に疎遠となり、中華民国総統となって国賓として来日中に再会を望んだ孫文に、熊楠は応じることなく、後に「人の交わりにも季節あり」という趣旨の言葉を残した。
 保阪さんはその逸話になぞらえ、「これまで私は鎌田さんに黙礼はしても、ほとんど話す機会がありませんでした。しかし、私たちは熊楠と孫文の関係とは逆に、会うべき季節が訪れたように思う」と語ったのだ。
 若い世代の姿が少ない会場だったが、その場に居合わせた熟年世代は深くうなずき、やがて大きな拍手で応えた。それはまさしく、鋭利な筆で社会の矛盾を告発し、時代への警鐘を鳴らし続けてきた鎌田さんへの「共感と敬意を込めたエール」だった。【城島徹】


 さすが新聞記者ですね、うまくまとめています。
 そして、ネットでこの出版記念会のことを検索してびっくりしました。多くの出席者がブログに書いていたからです。しかもこれが実に面白い。これだけユニークな人がここに参集していたのです。出典を明らかにしますので、紹介させてください。


■鎌田慧さんをかこんで200人、いい雰囲気の集まり『声なき人々の戦後史』出版記念会(藤原書店と) 柳田 真(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)

○10月26日(木)鎌田慧さんの『声なき人々の戦後史』本の出版記念会が開かれた。鎌田さんにとっては、最初で最後の(つまり唯一の)出版記念会という。鎌田さんは79才、奥さん、娘さん(写真をとる役)も司会者から紹介された。
会場は鎌田さんの活動=声なき人々によりそった半世紀以上の活動を反映して、老若男女(高齢者・中年が主)200人余りが集まり、約2時間、良い雰囲気のあつまりだった。
〇鎌田さんは最初と最後にあいさつ、少しテレている感じの挨拶、国の方向への危惧(安倍1強)とそれに抗する気持ちを述べられた。
 司会者(木内みどりさん)が会場内の奥さまを引っぱってきて、テレる鎌田さんの隣に座らせました。会場から大きな拍手がおきました。
あいさつは鎌田さんの弟分と自称した佐高信さん(週刊金曜日)や大石芳野さん(写真家)、金平茂紀さん、金城実さん(沖縄)、保阪正康さん(作家・評論家)、ギターは海勢頭豊さん、その他かなりの人々のスピーチ。色々と心にひびく話しも多く、参考になりました。
〇うれしいことに、懇談の中で、3人の方々に講演をお願いしたら、“たんぽぽ舎(「スペースたんぽぽ」)の講座で私が役立つなら講師に行きます”といっていただいた「豊田直巳(写真家)、七沢潔(NHK研究所)、福山真劫(平和フォーラム)」と鈴木さんから報告されました。私も鎌田慧さんのyesをもらいました。
 私は、福山真劫さん(平和フォーラム)や藤本泰成さん(原水禁)や木村ゆいさん(原自連事務局)、関口広行さん(都庁の同僚)、そのほかの人々と懇談し、ビールをたのしんでいました。
〇たんぽぽ舎は鈴木千津子共同代表と私の2人で参加。
週刊発行の『もう原発やめようニュース』265号を150枚と「東電に抗議しよう(毎月の第1水曜日に申入・抗議)」の小型ビラ(ゴレンジャーの絵入)を配布、皆さんに気持ちよくうけとっていただきました。 (たんぽぽ舎メルマガより)

■鯨エマの海千山千 鎌田慧さん出版記念パーティー

ルポライター、鎌田慧さんの「声なき人々の戦後史」上下巻の
出版記念祝賀会が開かれました。
東京新聞の「本音のコラム」で、毎週火曜日の担当をなさって
もう何年になるのだろう。
私の知る限り、誰よりも長いです。
原発のこと、労働者のこと、ハンセン病のこと、
いろいろなことを、現場に足を運んで、その惨状をレポートしている。
79歳の今も、日本中飛び回って、草の根で頑張り、苦しむ人たちのことを
伝えてくださっています。
私が知り合ったのは、ある大学の公開講座を受けたことがきっかけでした。
当時30代半ば、東日本大震災の前で、私は今ほど社会運動にかかわっていなかった頃です。
全ての話が新鮮な驚きとショックでした。
あれから毎年年賀状をくださり、
芝居の案内を出すと、お忙しいのに、返事をくださるときもあります。
今回の祝賀会については、ご案内ハガキをいただいたとき
私はちょっと違和感がありました。
鎌田さんとパーティーというものがどうしても結びつかない・・・・・
でも、案内状を呼んで納得、行って見てさらに納得しました。
案内状には呼びかけ人になっている方たちのメッセージがありました。
鎌田さんはこのような出版記念祝賀会を
いままで一度もやったことがないというので、
あえて、私たちが企画しました、、、という内容でした。
本を拝読したい気持ち、そして何よりお祝いしたい気持ちもありましたが、
会費が私にとっては高くて少し迷いました。
でも、いつも、険しいお顔の鎌田さんばかりを拝見しているので
こういうお祝いの席でお目にかかるのも悪くないかなと思って
思い切って出席の返事を出していました。
残業して帰ってきた夫に子どもを頼み、遅刻して参加。
なんともはや、物々しい舞台に金屏風。
ごうかなお料理がたくさん出ていました。
私は普段、肉(とくに牛と豚)はほとんど食べません。
命を食べるという意識でいると、必然的に食べるものは
穀類と野菜が主流になってきます。
(もちろん、野菜もコメも命ですが)
それで、並んだお料理が肉ばかりだったので、これにも躊躇したのですが
昔、お祝いの日だけ羊を殺すという
聖書のなかの場面に似た気持ちになり、
今日は「食べてみようかな」という気持ちになりました。
小さな洋風のおわん型の器にデミグラスソースで煮込んだ牛肉が入っていて、
パイで蓋がしてあるのです。
食べるときはパイを破るのですが
これがすごく食べにくい。
中のお肉を食べると、あとのソースもパイもほとんどの人が食べ残しています。
私は手を使ってパイを剥がし、それに残りのソースをつけて、全部いただきました。
こういうのは、きっと行儀が悪いのでしょうが、
そうせずにはいられませんでした。

木内みどりさんの司会でプログラムは進み、
沢山の方かのスピーチがありました。
1冊の本を出すエネルギーというものを垣間見た気がしました。
後半では海勢頭豊さんのライブ。
歌の歌詞に、もういちど聞かせてほしいと思って
タイトルを覚えようとしたのですが、メモしなかったので忘れてしまいました。
鎌田さんは、舞台面の床に座って、耳を傾け
感無量な表情でいらっしゃいました。
二時間の祝賀会の最後に、鎌田さんが挨拶をしました。
今の政権への危惧と、それに対抗する、あきらめない思いを話されました。
そして、、、
「会費が一万円もして恐縮している
本当なら自分がベストセラーを書いてみんなを招待したいのに・・・」
とおっしゃいました。
自分が主役の祝賀会に、うれしさと居心地の悪さを感じていらっしゃったのかもしれません。
でも、最後に奥様が舞台上に並ばれて、
鎌田さんは自分がもらった花束を奥様にあげていて、
とても、あたたかい気持ちになりました。
それを見守る200人近い人々のまなざし。
私たちは、こういう小さなコミュニティのつながりから
大事にして行かなければならないんだなということを
感じる時間でした。
私たちはいったいどこへ向かっているんだろう。
どこへ連れていかれてしまうんだろう。
そして、何ができるんだろう。
そういう終わりのない疑問と不安に
きっと、この本は、勇気をくれると思います。
「声なき人々の戦後史」上下巻
(藤原書店)
これから読みます。

■馬鹿社長ブログ「にんにく劇場」【小田昭太郎】
「鎌田慧さん、初めての出版パーティー」
10月26日の夕刻、ルポライターの鎌田慧さんの出版を記念してパーティーが催された。
市ヶ谷の私学会館(アルカディア市ヶ谷)には200人ほどの人たちがお祝いに駆け付けた。
鎌田さんはこれまでにおよそ170冊の著作を刊行されているが、出版記念会を開くのはこれが初めてのことだと言う。
「わざわざお金を出して集まっていただく方々に申し訳ないから」と云うのがその理由らしかった。
晴れがましいことの嫌いな、いかにも鎌田さんらしい理由である。
今回出版したのは「声なき人々の戦後史」上下巻合わせて779頁にも及ぶ大著である。
この著作のプロローグで鎌田さんは
「戦後、日本は経済大国になったと言われる。
しかしそれは、立場の弱い人びとにリスクを押しつけることで達成されたことを忘れるわけにはいかない。
原発事故によって、都会で消費される電力を過疎地が支える構図が、はっきりと認識されるようになった。
同じ構造は、エネルギー供給に限らず、私が取材を続けてきた労働現場にもあった。
(中略)………私は戦後社会の現実を、犠牲を押しつけられる側から見続け、そのような犠牲のない世の中にしたい想いでルポルタージュを書き続けてきた。
フリーのライターになって半世紀近く経ったいま、取材ノートで振り返りながら、改めて『真の豊かさとは何か』『日本社会はこれからどこへ向かえばよいのか』を考えてみたい」
と書かれている。
鎌田さんの集大成とも言える著作であるようだ。

鎌田慧さんの略歴をこの著書から転載する。
1938年生まれ。新聞記者、雑誌編集者を経て、フリーのルポライター。
労働、開発、教育、原発、沖縄、冤罪など、社会問題全般を取材、執筆。またそれらの運動に深くかかわる。
主著に「自動車絶望工場」「六ヶ所村の記録」(毎日出版文化賞受賞)「大杉栄 自由への疾走」「狭山事件 石川一雄、四十一年目の真実」「戦争はさせない デモと言論の力」「鎌田慧の記録」など。
他に『反骨 鈴木東民の生涯』で新田次郎文学賞を受賞している。

鎌田慧さんと初めてお会いしたのは今から36年前、1981年のことになる。
その年の10月に北海道の北炭夕張新炭鉱で死者93人を出すガス突出大事故が起きた。
当時ボクは日本テレビでドキュメンタリー番組の制作をしていたのだったが、早速、炭鉱事故をテーマに取材することを決めた。
世間のすべての眼が北海道の夕張に向けられていたので、ボクは九州の三池炭鉱に向かうことにした。
北で事件が起きれば、その反対の南に向かう、というのも天邪鬼で面白いと考えた。
そして、当時売れっ子のルポライターの鎌田慧さんに番組のリポーターをお願いしたのだった。
快く引き受けて頂いたのだったが、後で本人から「忙しい俺を10日間も拘束したいと言うのはどんな奴なのか興味があった」と聞いた。
恐らく、鎌田さんにとっては初めてのテレビ出演だったと思う。
視点は鋭いが、その眼差しはとても優しくて、同時に気持ちの温かい方だった。
朴訥な話し方に人柄が現れ、人間性に溢れた魅力的な鎌田さんにボクはすぐに惚れた。
これがきっかけで付き合いが始まったのだったが、ボクより5歳年長で兄貴の存在のように思えた。
雑種犬だったが、それぞれ兄弟の犬を飼う事にもなった。
凡という名前にするつもりだと言ったら、鎌田さんも、それじゃ、うちのも凡にするよ、ということになった。
平凡の凡である。
ちょっと面倒をみてくれる?と鎌田さんから言われて、息子さんを短期間だったが、会社でお預かりしたこともある。
カリフォルニア大学、大学院を卒業し、アメリカインディアンの研究をしているという変り種だった。
人懐っこくて真っ直ぐな好青年だったが、根が学者肌でインディアンの研究を続けたいと会社を離れた。

この出版パーティーで久しぶりで会ったが、現在、日本の大学の准教授を務めていて、可愛い嫁さんを連れていた。
『ネイティブ・アメリカ 写真集』『辺境の誇り アメリカ先住民と日本人』などすでに7冊ほどの出版もしている。
一年のうち3ヶ月はアメリカに行き、先住民や非合法移民と寝食を共にし「辺境」を歩いていると言う。
流石に蛙の子である。
鎌田慧さんとも久しぶりだった。
「歳をとられましたね」とボクは思わず失礼なことを云ってしまった。
「そりゃあ、そうだよ。もうすぐ80歳だよ」と鎌田さんは笑った。
ああ、そうか。80歳なんだ、と改めて気づいた。
頭の中には、いつも若々しい鎌田さんのイメージしかなかった。
たまに電話では話しているが、もう4年以上お会いしていなかったことに思い当たった。
そう云えば、このパーティーに参加している人たちは年配者がほとんどだった。
同席した妻は「もしかしたら私が一番若いかもね」と笑った。
カメラマン石川文洋、評論家の佐高信、彫刻家の金城実、軍事評論家の前田哲男、ジャーナリスト高野孟、写真家の大石芳野、キャスター金平茂紀ら各氏の顔も見えた。
何人かの方々が挨拶をされたが、その全員が怒っていた。
今の世の中に対して怒っていた。
中にはとても過激な表現で、安倍政権への怒りをぶちまける女性などもいて、その幼さと直截的な表現に、失笑と拍手を受けていたが、多くの良識ある老人たちは、静かに、しかし、心の底から今の世の在り方を憂え、いま日本が進もうと目指している未来に限りない危惧の念を持っていることが分かった。
その思いは、鎌田慧さんが発信しているエネルギーと同質のもので、その意味ではある種の共感がパーティー会場をひとつにしていた。
日本の暗黒時代の過去を知らない20歳代、30歳代の若者たちの保守化が進み、未来も同様に平和であるとの幻想を抱いているようだ。
しかし、世の中そうは問屋は卸さないことを老人たちは、長い人生の中で学び知っている。
評論家の保坂正康さんは
「こういう世の中になったことを考えると、どこかで自分たちは間違ったのではないか」
と語った。
そして中国の孫文と民俗学者の南方熊楠の逸話を例に出した。
かつて若い頃の孫文と熊楠はイギリスのロンドンで革命や政治について語り合う仲だった。
その後、孫文は辛亥革命を成功に導き、熊楠は田舎に籠る身となった。
革命に成功した孫文が熊楠に会いたいと求めたが、熊楠は「君と会うべき時はすでに過去となってしまった」と言い断ったという。
保坂正康さんは若い頃には鎌田慧さんと会っても目礼を交わす程度であったが、つい数年前から付き合いが始まったという。
孫文と熊楠ではないが、人の関係には「その時」というものがある。
鎌田慧さんと自分との縁をそういうものにしたい。
そして、残りの数年の命を、鎌田さんと共により良い世の中にするために生きたい、と語った。

このブログの冒頭で紹介したように、鎌田慧さんも今回の著作「声なき人々の戦後史」のプロローグで
「私は戦後社会の現実を、犠牲を押しつけられる側から見続け、そのような犠牲のない世の中にしたい想いでルポルタージュを書き続けてきた」
と書かれているが、思いは同じである。
この日、パーティー会場に同席していたほとんどの想いも同じだったのではないかと思えた。
日本社会はこれからどこへ向かえばよいのか。
次世代を担う多くの若者たちは、目先の損得に惑わされ、夢を失い、保身の殻に自らを閉じ込めているのが現状だ。
この若者たちの意識を変えるために何をすれば良いのかがボクたちの課題である。
とにかく若者たちに話しかけ、語りかけ続けることしか思いつかないが、サテどうすれば良いのか。
ボクたち年寄には、20歳や30歳の若者たちの保守化をただ黙って眺めているだけのヒマはすでに残されていないのである。

   「若者よ 明日を憂えよ 覚醒を」

■イーハトーブ通信 増子義久 2017.10.29
「全日本おばけ大会」!?…“絶滅パワー”全開
 最大級の敬意を表して、「全日本お化け大会」とでも名づけたくなるような集いが総選挙4日後の26日、東京都内で開かれた。ルポライタ-、鎌田慧さん(79)の半生をたどった『声なき人々の戦後史』(上下、藤原書店・聞き手、出河雅彦)の出版を祝う会。私自身もその一人である、世間では“絶滅危惧種”と呼んでいるらしい70代から80台前後の世代が何と200人以上も参集した。「今回の選挙でも立憲民主党が土壇場で踏んばった。オレたちをなめるんじゃない」。日本の政治のありように異議申し立てをし続けてきた人士たちはなお、意気盛んだった。おいしい酒にほろ酔い加減になりながら、私は思わずニンマリしてしまった。「日本中のお化けたちが集団で化けて出たみたいだな」

 鎌田さんの初期の代表作のひとつに『死に絶えた風景―日本資本主義の深層から』がある。46年前の1971年の刊行である。水俣病やイタイイタイ病などの公害問題、国鉄民営化や三池闘争などの労働問題、成田空港闘争や沖縄における米軍基地問題、狭山事件や財田川事件、袴田事件などの冤罪(えんざい)、反原発運動…。反逆人生50年で書きためた「死に絶えた風景」は単行本にして164冊にのぼり、取材範囲は沖縄・八重山から北方4島まで及ぶ。ある大学教授がルポライタ―の研究のため、その足跡を虫ピンで止めていったら、刺さり切れなくなってパラパラと落下したというエピソ-ドもある。「私は戦後社会の現実を、犠牲を押しつけられる側から見続け、そのような犠牲のない世の中にしたい想いでルポルタ-ジュを書き続けてきた」と鎌田さんは本書の中で語っている。

 佐高信、保阪正康、後藤正治、金平茂紀、石川文洋、大石芳野…。時代の同伴者たちが次々に壇上にかけ上り、祝福の言葉を贈った。小柄な女性が人波をかき分けながら、写真を撮っていた。「横浜事件」国家賠償訴訟の原告、木村まき(68)さんだった。戦時下最大の言論弾圧とされるこの事件で逮捕された、当時、中央公論社の編集者だった夫の故亨さん(享年82歳)らの名誉回復を求めている。特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認、安保法制、いわゆる「共謀罪」の制定、そして憲法改正へと進みつつある翼賛体制に抗(あらが)う空気が会場全体にみなぎっていた。その人脈の広さに圧倒された。

 「喜瀬武原空高く のろしよ燃え上がれ/平和の祈りこめて のろしよ燃え上がれ/歌が聞こえるよ はるかな喜瀬武原/皆の歌声は はるかな喜瀬武原」(3番)―。沖縄から平和を訴え続けているミュ-ジシャン、海勢頭豊さん(74)のギタ-の弾き語りが始まった。米軍の実弾演習阻止を託した「キセンバル」である。鎌田さんは沖縄取材も長く、7年前には『沖縄(ウチナ-)―抵抗と希望の島』を上梓(じょうし)している。30年来の友人である彫刻家の金城実さん(79)が、履(は)いていた下駄ならぬ雪駄(せった)を両手に握り、お家芸の“下駄踊り”を舞い始めた。武器を捨て「非暴力」を訴えるパフォ-マンスである。海勢頭さんの代表作のひとつ「月桃」が響き渡った。舞台に引っ張りだされた鎌田さんがニコニコ笑っている。

 つい数日前の悪夢を一瞬、忘れさせてくれるような光景が目の前に広がっていた。「3・11」を一緒に取材した時、鎌田さんが独り言のようにつぶやいた言葉がよみがえった。「反原発を訴えてきたつもりだったが、福島の事故を防ぐことができなかった。無力感だけが残った」―。最後にあいさつに立った鎌田さんがきっぱりと言った。「こんなに同志がいると思えば、まだ諦めるわけにはいかない」―。「そうだ」という声があちこちから飛んだ。

 帰りの新幹線の中で出版されたばかりの『新聞記者』という文庫本を読んだ。筆者は菅義偉・官房長官に対し、舌鋒鋭い質問を繰り出した東京新聞の女性記者、望月衣塑子さん(42)。バッシングや脅迫、圧力にもめげないで「新聞記者とは何か」を問うたドキュメントである。「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」―。望月さんはインド独立の父、マハトマ・ガンジ-のこの言葉を引用して、あとがきにこう書いている。「簡単には変えられないけれど、私自身が環境や周りに流され変わらないためにも。自分自身が正義と信じられるものを見失わないためにも。たとえ最後の一人になろうとも」

 11月3日(金)の文化の日、鎌田さんら全国市民アクションが主催する「安倍9条改憲NO!」国会包囲大行動が行われる。これに引き続き、今回の出版を祝う会の呼びかけ人の一人である沖縄平和運動センタ-議長、山城博治さん(65)を招いた岩手講演会(「沖縄とつながる岩手の会」など主催)が11月に開かれる。タイトルは「沖縄の基地の実態と平和を願うわけ―辺野古・高江の新基地に非暴力で抗う」―。24日(金)午後6時半から北上詩歌文学館、25日(土)午後1時半から盛岡サンビル7Fホ-ルで、いずれも参加費無料。「私たちは日本国民なのか。私たちに憲法は保障されているのか」―。不当逮捕され、長期勾留を余儀なくされた山城さんはこう叫びながら、全国を走り回っている。

 ”絶滅危惧種“の種(しゅ)はそれを絶やそうと思えば思うほど、忘れたころにむっくりと目を覚ますものである。たとえば、望月さんのように…。そう、絶滅危惧種は永遠に不滅なのである―。「沖縄はただ、平和でありたいだけなのです」という海勢頭さんの言葉がまだ、頭の中を駆けめぐっている。


〔166〕恥ずかしくも、あり得ないことが起こりました、埼玉県議会、原発再稼働求める意見書可決。

2018年01月19日 | 市民運動
  私の居住地・東京都清瀬市から車で5分もかからず行ける埼玉県で、耳を疑う、信じられないことが起こりました。埼玉県議会が、原発再稼働求める意見書を可決したのです。昨年の暮れ、どさくさに紛れてのまことに恥ずかしい出来事でした。
  ことの経過を河北新報が次のように伝えています。

■埼玉県議会、原発再稼働求める意見書可決 「福島を軽視」抗議拡大
               (河北新報)2018年1月18日(木)

 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故の避難者を受け入れてきた埼玉県で、昨年12月に可決された県議会(小林哲也議長)の意見書が物議を醸している。原子力規制委員会の基準に適合した原発の再稼働を求める内容に「事故の教訓を十分に議論したのか」と県民が反発。議決直後に始まった抗議行動は、全国的な広がりを見せている。
 意見書は、衆参議長、首相、経済産業相、原子力防災担当相宛。12月定例会最終日の12月22日に提案され即日、可決された。都道府県議会による原発再稼働を求める意見書提出は埼玉が初とみられる。
 意見書は、エネルギーの安定供給や経済効率の向上には「原発の稼働が欠かせない」とし「世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた原発の再稼働」を要望した。
 併せて(1)高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた取り組み強化(2)避難のための交通インフラ整備や避難計画策定への継続支援(3)産業や雇用の創出を含む原発立地自治体への支援-を求めた。
 提案議員は自民党系会派と無所属系会派の11人。採決の結果、賛成60、反対25だった。議員の一人は「突然提案された意見書で、十分に議論されたとは言い難い」と打ち明ける。
 議決を知った県民の一部が採決後、県庁前に詰め掛け「恥を知れ」などと書かれたプラカードを掲げて抗議。反発は年が明けても収まらず、今月10日には県民ら約140人が議会棟周辺をデモ行進し、小林議長宛の抗議文を提出した。
 抗議文は「福島第1原発の事故原因が明らかにされていない上に収束が全く見通せない中での意見書は被災地を無視し、あまりにも無責任」と主張。インターネットを通じて募った抗議文への賛同は首都圏、福島県などから141団体3130人に上る。
 デモ行進に参加した埼玉県三芳町の翻訳業白田真希さん(50)は「原発が立地していない埼玉県で、なぜこのような意見書が議決されたのかが分からない。福島の現状を熟慮したのかどうか、納得できる説明を求めたい」と語った。

<慎重な議論必要/地方議会に詳しい山梨学院大の江藤俊昭教授(政治学)の話>
 関係行政庁への意見書提出は、これまでもしばしば地方議会のパフォーマンスに利用されてきた。内容的に「地方公共団体の公益」を逸脱している意見書も散見される。一度提出した意見書は撤回できないのだから、世論を二分するテーマでの議会の議論は本来慎重であるべきだ。
[地方議会の意見書]地方自治法99条に基づき、地方公共団体の公益に関する事項について議会の機関意思をまとめ、関係行政庁や衆参両院に提出する文書。法的拘束力はない。提案権は議員にあるが、提出の際は議長名となる。


  河北新報でもその概略は報じられていますが、そもそも埼玉県議会の「原発再稼働を求める意見書」とはどんなものかを、信頼置ける「レイバーネット」が以下のように伝えています。いち早く抗議行動に立ち上がった市民の動きについても丁寧に書かれています。
  それにしても、福島原発の炉心融解の事後処理も果たせぬまま、そこから大して遠くない埼玉の県議会が、他人事のような無責任きわまりない意見書を採択するとは開いた口がふさがりません。
  とりあえず清瀬でも反対署名に参加することなどから運動を強めていきたいと考えています。

■あ~りえない、ありえないと県内外から非難ごうごう?埼玉県議会が「原発再稼働を求める意見書」を採択(レイバーネット)

 2017年12月22日、埼玉県議会で「世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた原子力発電所の再稼働を求める意見書」が採択された。報じたのは、翌23日東京新聞の埼玉版。これを知った県民や原発立地の人たちから、非難と抗議の声があがっている。
 埼玉県議会の12月定例会では議会最終日22日に8件の意見書が提出され、3件の決議がなされた。そのうちの1件が問題の原発再稼働を求める以下の意見書である。

●世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた原子力発電所の再稼働を求める意見書

 エネルギー政策の基本は、安全性を前提とした上で、安定供給を第一とし、次いで経済効率性の向上と環境への適合である。
 そのためには、優れた安定供給性と効率性を有し、運転時に温室効果ガスの排出を伴わない原子力発電所の稼働が欠かせない。
 よって、国においては、立地自治体等関係者はもとより国民の理解と協力を得られるよう前面に立ち、下記の措置を講じつつ、原子力規制委員会により世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた原子力発電所の再稼働を進めるよう強く要望する。


1 将来の世代に負担を先送りしないよう高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた取組を強化すること。
2 立地自治体、防災関係機関等との連携を強化し、避難のための道路、港湾等のインフラの整備や避難行動要支援者等に十分配慮した避難計画の策定などを継続的に支援すること。
3 電源立地地域対策の趣旨に基づき、新たな産業・雇用創出を含む立地自治体の実態に即した地域支援を進めること。

 以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

平成29年12月22日
埼玉県議会議長 小林哲也

衆議院議長
参議院議長
内閣総理大臣 様
経済産業大臣
原子力防災担当大臣

 地元埼玉では12月26日、27日と連続で県庁前スタンディングとビラ配りが有志により行われ、年明け1月4日も仕事始め県庁に出勤する職員や通行人へのビラ配りと、駅前での抗議アピールがあった。呼応して、県庁所在地であるさいたま市以外でもそれぞれの地元駅前でのスタンディングなど、個人やグループによる抗議活動が拡がっている。
 また、いち早く12月28日に福島県の「虹とみどりの会」(蛇石郁子 郡山市議)は埼玉県議会議長に宛てて59団体209名の賛同署名を添えた要請書を提出した。
 ネット上には「埼玉が原発を誘致しろ」「核のゴミを全部引き受けろ」と、埼玉県への厳しい声があふれている。原発を持たない埼玉県が、再稼働を他県に求め犠牲と負担と危険をおしつけるような採択をしたことを知って驚き、「恥ずかしい」「情けない」「申し訳ない」と、身の縮む思いを語る市民にたくさん出会った。
 福島の原発事故以降、埼玉でも脱原発に取り組む多くのグループ個人がそれぞれに熱心な活動を続けている。にもかかわらず、今回の県議会の動きに気づかず未然に止められなかったことを「事前にわかっていたら」と、悔やむ声も聞かれた。
 国内外のさまざまな問題が山積する今、市民活動に携わる人たちは多くの問題に関わり、あちらこちらで声を上げ動いている。生活や仕事をしながらの活動に疲労の色が濃いのは、正直否めない。
 今回の埼玉県議会の意見書採択で、世界の流れとは逆に、日本政府はもとより地方議会まで、政治家の中では原発推進の勢力がまだまだ大きいことが浮き彫りになった。原発の廃絶を願う多くの市民にとって、議会チェックや議員への働きかけは、大きな課題だ。

 原発再稼働を推進する動きが全国に広がることを危ぶみ、緊急行動として、埼玉県議会の「原発再稼働を求める意見書」の採択に抗議する市民の会では、1月10日(水)13時~県議会に賛同表明した個人や団体の名簿を付けた抗議書を提出する。
 これに先立ち12時JR浦和駅西口に集合し、県庁までデモを行う。14時からは県政記者クラブで記者会見を行い、会場では抗議文読み上げるほか郡山市の蛇石郁子市議、大熊町の木幡ますみ町議はじめ福島、柏崎、東海など原発立地から駆け付けた方々の発言も予定している。
 いま、採択に抗議する市民の会には県内はもとより福島県など県外からも自民党議員を含む賛同表明が続々と寄せられている。
 なお、賛同者、賛同団体は・お名前・お住まいの自治体名・公表の可否を、sirotama@kbf.biglobe.ne.jpまで。提出日前日の1月9日24時まで受け付けている。〔知多 歩〕

〔165〕今年こそ、憲法を日々の暮らしの隅々に生かす「憲法元年」にしたいものです。

2018年01月10日 | 市民運動
  今年の元日の東京新聞1面に「改憲 今年中の発議めざす」「自民方針 2019年」「自民方針 2019年春までの国民投票想定」という文字が躍りました。いよいよ来たな、でもなんで憲法を変える必要があるの、というのが多くの国民の実感ではないでしょうか。
 そもそもの言い出しっぺは憲法遵守義務(憲法99条)のある安倍首相でした。あろうことか、昨年の憲法記念日に、日本会議系の集会(1100人参加)のビデオメッセージで改憲を訴えたのです。この日有明の公園には55000人の憲法を護れという人々が右翼の口汚い妨害スピーカーにひるむことなく参集していました。残念ながらマスコミが多く取り上げたのは前者の方でした。
 しばらくして、自民党は(1)9条に自衛隊の根拠規定を追加(2)大規模災害時に国会議員の任期を延長する緊急事態条項の創設(3)幼児教育から高等教育までの無償化(4)参院選挙区の「合区」解消の4項目について改憲案をまとめました。
 緊急事態条項の創設については、人権を大幅に制限するということでナチスドイツを想起する国民が多く評判は良くありません。教育の無償化は憲法を変えなくても実行できることは民主党政権が実証しています。1票の格差是正を目差した参院選挙区の「合区」を党利党略のために元に戻そうとする魂胆は見透かされています。
 そう考えると、自民党が一番変えたい本丸はノーベル賞候補にもなっている憲法9条のようです。1項で戦争放棄、2項で戦力不保持を謳っていますが、3項に自衛隊を明記するというのです。法は後に制定されたものが優先します。多くの憲法学者が指摘しているのは、1,2項の空文化・死文化という事実です。「改正」のあとに待っているのは、集団的自衛権の全面行使、自衛のための武器の保持の正当化、軍拡化、自衛力増強のための大学兵器開発などといった問題が一気に吹き出てきます。というよりそれを狙っての「加憲」に間違いありません。
 私たち市民は、憲法改悪を阻止するだけにとどまらず、憲法を日々の暮らしの隅々に生かす立憲主義を旗印に野党と共闘し、今年こそ憲法元年にしたいと思うのです。

 今年こそ憲法元年にしたいという想いを共有する冊子に出合いました。以前にもこのブログで紹介したこともある生活クラブ生協の「生活と自治」です。
 新年号の特集はずばり、「新年に考える-日本国憲法と私たちの暮らし」です。まずは読みどころ満載の目次を紹介しておきましょう。

■生活と自治 2018年1月号
2 連載 エダモンとティータイム 朝日は来るよ、2018
3 目次
4 Myオピニオン 梅﨑和子さん
6 新潮流 にんげん模様 社会こ出ていく若者たちのために
10 連載 そこが知りたい、暮らしとエネルギー
11 連載 にびいろの景「ニュータウン」住み続けられるのか
12 連載 どう思う? どうしてる?「憲法」
13 連載 学校てんやわんや 岡崎勝
14 連載 生活クラブの挑戦 一手づくりの「地域福祉」を目指して
16 連載 アズマカナコの子育てエコライフ
17 連載 新・反時代のパンセ 不服従の理由 辺見庸
18 特集 新年に考える一日本国憲法と私たちの暮らし
   監視社会の恐怖と「共謀罪」/「誰もがかけがえのない存在」とうたう日本国憲法
   聞いてみました! 三浦まりさん(上智大学法学部教授)
24 連載 三重の深山より 秋山豊寛
25 投稿欄
26 新連載 生活と自治・全国キャラバン「まちと暮らしカフェ」
   超高齢社会の中で迎える「最期」を考える 福富みずはさんを囲んで
28 連載 数字を読む
29 連載 暮らしの味わい 田ロランディ
30 生活クラブ 夢の素描 生活クラブ千葉「憲法カフェ」
32 連載 おいしく、楽しく、食養生
33 連載 琉球の人々 伝統の「アンガマ面」を彫る 田場由盛さん
34 時のかたち 沖縄と日本国憲法
   寄稿 「琉球新報」政治部 島洋子さん
38 調べてみました! 生活Q&A
40 連載 オートメ依存症脱出宣言 魚柄仁之助
41 これに賭ける!
46 連載 停止しない思考 森達也
47 クイズで遊ぼう! 図書カード2000円分が40人に!
48 連載 藤原新也 日々の一滴

「通販生活」2018春号が送られてきました。「生活と自治」と並んでこのブログでも度々取り上げてきました。「読み物ページ」で注目したい記事を紹介しましょう。

●落合恵子の深呼吸対談 ゲスト・丹羽宇一郎(元中国大使)
「戦争をなくすためには、まず戦争を知ることが必要です」
●読者の戦争体験「戦争を知らない世代への伝言」
●国民投票が近づいてきた 第4弾
「これからの時代の『自衛隊の役割』を考える」柳澤協二、伊勢﨑賢治、加藤朗

最後の「国民投票が近づいてきた 第4弾」に登場する3人は「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」のメンバーです。伊勢﨑氏は九条を1項はそのまま、2項を「日本の領海、領空、領土内に限定した迎撃力を保持する。その行使は国際人道法に則った特別法で厳格に統制される。」と提案しています。検討する価値はあるのでしょうが、自民党は3項加憲を出してくるでしょう。そうなれば市民と野党は共闘して反対運動を展開するしかないでしょう。