後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔213〕43年間出し続けた、夫婦共同誌・ ミニコミ「啓」(ひらく)は100号をもって終刊としました。

2019年03月29日 | 図書案内

 新卒教師4年目、長男が誕生したときから夫婦で出し始めたミニコミ「啓」(長男の名)がちょうど100号になり、これを持って終刊とすることに2人で決めました。2,3日前に印刷・製本し、全国の読者約100名に発送を済ませました。手渡しの読者は約50名、こちらはゆっくり取りかかるつもりです。
 100号の目次は次の通りです。(80ページ)

○終刊の辞(三津夫)
○ヤング夫婦教師の対話(三津夫・緑)
○終刊の辞(緑)
○良い風吹いてるよね(緑)
○写真展を開きます(緑)
○「啓」バックナンバー目次
○テーマ活動づくりの方法論を求めて(三津夫)
○「啓」100号波紋
○ごめんなさい、また本の宣伝です


 100号の冒頭に次のような「終刊の辞」をしたためました。「創刊の辞」と合わせてお読みください。

■終刊の辞                 福田三津夫
 1976年、新卒教師5年目にミニコミ「啓」を連れ合いと創刊しました。当初は「月刊・啓」などと粋がっていたのですが、当然のように持続できず、そそくさと月刊の旗印を下ろしました。最近では年2号出せればいいという感じでした。まさに、気まぐれ発行の気まぐれ通信でした。そのジグザグの軌道はバックナンバーをご覧ください。
 1976年から2019年まで、この43年間に発行したのは100号になりました。平均すると年に2、3号ということになります。当初は郵便料金の関係(90円で送れる50グラム以内)で、28頁立てが多かったのですが、宅急便や郵便事情で今は7、80頁になることも多く、発行回数は減りましたが、まあまあ頑張って出し続けてきたということになるのでしょうか。
 そもそもなぜミニコミを発行しようとしたのでしょうか。
 それは次頁の「創刊の辞」に書かれています。まずはそちらをお読みください。
 
■創刊の辞(1976、1)
 ぼくと妻の緑は、今まで学級の子どもとその父母に、あるいは教師仲間に対して自立したミニコミを目差して学級通信を発行し続けてきた。ぼくは「仮面ライダー」「ゴロゴロストン」、緑「ゴンベ」「みち」「てんとう虫」がその名前である。こうした学級通信に教育実践の一端を書き続けてきたのである。
 ところがこの試行は我々の満足いくところではなかった。なぜなら、対象が子ども・父母になれば固有名詞で関係をきりむすぼうとしてもなかなかそうはいかないのが実状である。ここに書かれたことはきれいごとに終わる可能性が強いのだ。同時にこれは我々の実践の弱さでもある。そこで、むしろ鉄筆を握る⊥おもい?などを書きこめる形体はないか模索することになった。
そのような時、既に森下計二氏は「草莽通信」を出していたし、野川清氏は神尾祐治氏と「通路」を発行し始めた。これらに激しく刺激され触発されるなかで「月刊・啓」が生まれた。それはまさに学級通信「仮面ライダー」が大学の友人の山﨑隆夫の「天才男子といたずら女子」に触発されたのと同様であった。人が意欲的にやっている姿に打たれ、自分もそれを取り組み、それらを乗り越えたいと我々は考える。
 教育労働者として肉声でその生きざまを語ることによって、他の労働者とのミニコミの交換、交流を図る権利のようなものができたと思う。
 さてこうしてできあがろうとしている「月刊・啓」とは何なのか。ぼくと緑には2月11日で一才になる男の子、啓(ひらく)がいる。まさに夫婦で出す通信ということで子どもの名前を取った次第である。啓が成長した時「月刊・啓」の中の親の生きざまをとくと見つめて欲しいのだ。「月刊・啓」には自立した教育労働者の叫び声を載せていきたいものだ。そうなるとこの通信の内容は様々なものになろう。教育現場、地域社会、家庭での生き様の対象化に始まり、授業論、評価論もあるだろうし、実践記録や書評、友人からの声も載せたい。
 形式としては月1回で二人は必ず書いていきたい。一応1年間で12号までを目安としたい。批判、助言なども欲しいので「通路」合評会などと合流しようとも考えている。
 手づくりの二人での結婚式の案内状、自己紹介の欄にこれからの課題としてぼくは「教育専門職論の止揚と実践」、緑は「婦人教育労働者の生き方」とした。まさにこれらの課題を理論的にも実践的にもこの「月刊・啓」で明らかにしていきたい。

 かなり気負った書きぶりで、今読むと赤面の至りです。1975年に長男・啓(遠山啓さんの名前を拝借しました)が誕生しました。その息子に我々の生きている様子を将来読んでもらいたいというのが2人の思いでした。格好を付ければそういうことになります。そこで「啓」というネーミングになりました。1979年に娘が生まれてどうしようかと考えたのですが、馴染んだ名称を変えるのも対外的にも良くないというのでそのままにしてきました。娘の名前は奈々子です。こちらは私の好きな吉野弘の詩「奈々子に」からいただきました。「啓」発行から30年後、埼玉大学で非常勤講師として授業通信を発行したときに「奈々子に」と命名しました。
 この「啓」は読みたいという人よりは読んでもらいたい人に一方的に送り届けるというミニコミでした。もちろん、「もういいよ。」という方には送らなくなったのは当然ですが。幸い多くの方からはがきや手紙をいただきました。最近ではメールもいただきます。そうした読者の反応を「波紋」として掲載し、2人の成長の糧にしたいというのが一貫した考え方でした。読者から「今回の号は『波紋』が読み応えありました。」と書かれることもしばしばありました。
 勝手に送り届けていた読者はどんな方だったのか、迷惑な方もいらっしゃるかもしれませんが、今回初めて掲載します。(省略)
 さて、本100号で終刊にしたいと思います。
 我々もまもなく70歳、古希に近づき正直エネルギーが枯渇してきたということがあります。100頁近い原稿を整理し、近くの市民センターで印刷し、製本するのは結構難儀なことです。郵便や宅急便での送料も馬鹿になりません。
 最近では2人ともブログを書き綴っています。現在まで私は200号を超えました。前号にその顛末は書いておきましたのでご覧ください。ブログは瞬時に送信でき、手直しも簡単、広告は入りますが無料で続けることができます。いいことずくめのようにみえますが、一番の問題点は「反応」を期待できないことです。一度書き込みができるように設定したのですが、そのことでネトウヨの餌食になりかかりました。あるブログに対して右翼的な書き込みがかなり増えたのです。お金をもらって書き込みを仕事にしているネトウヨの噂も聞いたことがあります。そこで「書き込み」ができないように設定したのです。このように一方通行のブログですが、前述したように、その利点は山ほどあると考え、続けることを決めました。
 そうは言っても、前述しましたが「啓」を続けてきて良かったことはやはり反応がいただけるということでした。間違いなく私たちの文章よりも「波紋」のほうが読み応えがあったのではないでしょうか。そう書かれることもたびたびでした。何しろ読者にはすごい人たちが揃っているのですから。
 「読者」の皆様とはこれからも交流できることを願っています。ミニコミなど送ってくださると大変嬉しいです。一方的なお願いで申し訳ありません。
 長い間読んでいただきましたこと、感謝申し上げます。ありがとうございました。

  私の終刊の辞の後に連れ合いの終刊の辞を読んでもらいましょう。

■終刊の辞            福田 緑
 最近の私の記事はもっぱら旅行記となっていた。旅に出ると必ず日記を付ける。時に海外旅行では初めて見る町、初めて見る景色の感動を忘れたくなくて日記を付けた。殴り書きの日記でも、読み直せばそのときの天気、風や空気の臭い、味、暑さ寒さなどを思い出す。以前三津夫のおばちゃんに言われたことばがこのエネルギーを引き出すのだ。
「緑さんの文を読んでいると私も旅に出た気分になるんだよ。」
おばちゃんは小さい頃に耳の病気を患ってから聴力を落とし、車に乗っても酔うため、なかなか旅には出られなかったという。そのおばちゃんに私たちがたどった道や景色を感じてもらいたくて旅行記をしつこく書いているうちに、松本キミ子さんからも「『啓』を手に取ると読むのが止まらなくなるぐらい」としばしばお便りをいただくようになった。
 (それなのに当時はなかなかお返事を書くゆとりもなくそのままになってしまったため、最近はお便りも届かなくなった。本当に申し訳ありません。ここで松本キミ子さんにお詫び申しあげます。)
 ときどき同僚や友だちからもそんなことばを聞くようになり、小難しいことを書くよりも旅の話を書く方が私自身が楽しかったし元気になれたのだ。こんなに長ったらしい文章に相性の悪い方もいただろうと思うと今でも申し訳ない思いだが、三津夫の文章が好きで読んでくださる方もいれば私の旅の話を喜んでくださる方もいて、何とか二人は好きなように書き続けてこられたのだと思う。
 三津夫の創刊の辞を読み直すと、私はどうやら「婦人教育労働者の生き方」を課題とし、それを「啓」を通じて明らかにしていくことを一時は目指したらしいのだが、その辺は次の「良い風吹いてるよね―私達の二十年」で多少まとめられているように思う。お読みいただければありがたい。
 ただ、「子ども部屋」はバックナンバーを作りながら読み直したが、今読んでも我ながら面白い。小さなお子さんがいる家庭には結構参考になるような内容ではないだろうか。
 いつの頃からか「100号で終わりにしようね」と言うようになったのは、三津夫が書いていたように、やはり文章をまとめ、編集して、印刷して、折って、発送するまでの体力が大変になったからだ。何とか終刊までたどり着くことができてホッとしている。
こんな私たちの道楽に長いことおつきあいいただき、本当にありがとうございました。


  最後に妻の写真展(おそらく日本で初めてのリーメンシュナイダー写真展です)のお知らせです。是非いらしてください。お待ちしています。   

■写真展を開きます         福田 緑
 昨年8月にリーメンシュナイダーを歩くシリーズの第三巻『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を出版してすぐに木村まきさんから「写真展をした方が良いと思います」と強く薦められた。木村まきさんとは、戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」の元被告人二人のうちのお一人、故木村亨さんのお連れ合いである。現在も木村亨さんの遺族として元被告の名誉を取り戻すべく国家賠償訴訟に奮闘しているパワフルな人である。
 6年ほど前から清瀬・憲法九条を守る会に参加するようになったまきさんは、社会問題だけではなく美術全般にも非常に関心が強く、あちらこちらの会合や集会、展覧会に足を運んでいる。そのまきさんがリーメンシュナイダーの写真展をまずは練馬区にあるギャラリー古藤で開いたら良いのではないかと言う。彼女は横浜事件を通してギャラリー古藤とのおつきあいもあり、オーナーを紹介してくれると言うのだ。ギャラリー古藤は福島原発の事故の後、毎年3月になるとたくさんの福島関係の映画を上映し、監督の話を聞ける機会を設けているので私もここ3年通っている。
 昨年の10月24日。横浜事件国賠訴訟の2審判決が出された。残念ながらまた敗訴。内容についてはここではふれないが国の横暴な対応に腹が立つ。その後の集会にギャラリーのオーナー大﨑文子さんも永田浩三さんもいらしていた。いつもならまきさんはたくさんの支援者と話があるので私は先に失礼していたのだが、この日は「一緒に帰りましょう」と声をかけられ、彼女を待っていた。するとまきさんがお二人と一緒にきて道々歩きながら私を紹介して引き合わせてくれたのだった。
 武蔵大学社会学部教授の永田さんは学生を連れて一昨年から横浜事件についてまきさんに密着取材をしてきた。私もまきさんから横浜事件の話を聞いてから今まで知らなかったことことへの反省を込めて裁判には可能な限り傍聴に行っている。その間、何度か永田さんや学生さんたちを見かけてはいたが直接お話ししたことはなかった。学生たちはそれを1本のフィルムにまとめ、昨年7月には「言論の不自由展」で発表したのだ。この発表を聞きに行き、感動した。こんな先生と大学時代に会えたら私はもっと賢くなれていたのではないかと思っったほどだ。しかも永田さんは元NHKのプロデューサーとして活躍した方でもある。リーメンシュナイダーに興味があり、打ち合わせには参加したいとまで言ってくださった。
 まきさんは不思議な人だ。自分の裁判では怒り心頭のはずなのに、そんなときにも私のために気配りをしてくれていたのだとわかって驚いた。そして私がお礼のメールを書くと「今日は良い日でしたね」と返信が来てまたまた驚いた。人と人とを結びつけるのが嬉しいのだと言う。それにしてもこんな日に…と思うと頭が上がらない。
 そんな成り行きで12月中に一度ギャラリーの大﨑文子さん、田島和夫さんご夫妻と永田浩三さん、木村まきさん、私の5人で打ち合わせを持った。とはいっても私の写真展が一体このギャラリーで開けるものなのかどうかの審査のようなものだと思って、今まで出版した3冊の写真集を持ち、いつごろなら会場が取れるのか、費用がどの位かかるのかなど漠然としたことを聞きに行ったのだが。しかし、オーナー夫妻も興味を示してくださり、永田さんは写真集を見て「面白い、面白い」と楽しんでくださったので、結果的には以下の内容で開催することになった。ずいぶん先の話と思われることだろうが、ギャラリー古藤では毎年大きな催しが定期的に入っていることと、私の諸事情(4月のふせ由女さんの選挙、7月のドイツ旅行など)が重なって、ここならしっかり準備ができるだろうと決めた日程だ。もしお近くにおいでになることがあったら是非覗いてみていただければと思う。6月頃にはチラシを作る予定でいるので関心のある方はご連絡いただければお送りしたいと思っている。

●福田緑写真展
「祈りの彫刻
    リーメンシュナイダーを歩く」
▼日程 2019年11月23日(土)~12月1日(日)
▼場所 ギャラリー古藤(西武池袋線、江古田駅下車徒歩10分、武蔵大学正門前)
  176-0006 東京都 練馬区栄町9ー16
    電話03ー3948ー5328
▼展示時間 11時~19時
 ただし、次の3日間は短縮
23日(土) 16時30分まで
 17時~18時30分 ギャラリートーク
 武蔵大学教授 永田浩三氏&福田 緑
  閉会後、簡単な懇親会 18時30分より
29日(金) 17時30分まで
18時30分~19時30分 ギャラリートーク  福田三津夫&福田 緑(未確定)
12月1日(日) 17時まで
▼入場料 展示は無料 ギャラリートークは1000円

 みなさまのお越しをお待ちしています。

〔212〕今年は、砂嵐の中、「3.21さようなら原発全国集会」に1万人が結集しました。

2019年03月22日 | 市民運動

  春の「さようなら原発全国集会」は大雨だったり、雪が降ったり、想定外のことが起こるイベントです。今年は昼過ぎから雨が降ると天気予報にあったため、傘を持参したのですが、ほぼ快晴というような最高の集会日和でした。と思いきや、風が激しく、代々木公園の隣のサッカー場の埃がすさまじく、落ち葉も舞う始末でした。でも例年よりはましかと連れ合いと慰め合うのでした。
 連れ合いが集会の仕事を頼まれたということで、12時前には会場に到着し、なんと1番手で会場の最前列に陣取ることができ、ゆっくり食事をとりました。
 隣に座られた川崎から来られたという同世代の男性と話が弾み、開場を待ちました。
 清瀬からの仲間は集会に様々な形で参加し、全部で6人を数えたようです。

 さようなら原発ライブはなんと李政美(イ・ジョンミ)さんの歌でした。
 彼女の生歌を聞くのは20年ぶりくらいでしょうか。2000年頃だったと思います。小学校教師として最後の赴任地、東京・東村山市立秋津小のすぐ近くの秋津公民館で李政美さんのコンサートがあったのです。歌声があまりに素敵で迫力があり心にしみました。当然、帰りにCD「わたしはうたう」を購入したのでした。
 金子みすゞの「私と小鳥とすずと」に曲を彼女が付け歌ってくれました。この曲を2年生と一緒に歌いました。学習発表会で親たちにも披露したのです。
 この日のコンサートは「京成線」「セイヤ」など数曲を歌ってくれました。なんとアンコールにも答えてくれました。

 さて、この日の流れは以下のようです。「安倍の原発推進NO!」「フクシマ切り捨てNO!」などと書かれたステッカーの裏に書かれた進行表を文字起こししました。

■主 催:「さようなら原発」一千万署名 市民の会
   内橋克人 大江健二郎 落合恵子 鎌田慧 坂本龍一 澤地久枝 瀬戸内寂聴
協 力:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
連絡先:さようなら原発1000万人アクシヨン事務局
   東京都千代田区神田駿河台3-2-11 連合会館lF原水禁気付TEL.03-5289-8224
●第1部
11:00
 イットク・ステージ(ケヤキステージ)
 歌 浦邊力/いわき雑魚塾/Piggies
 湖春/Rico&Tatsu/山下健太
 蓮沼ラビィ/VJkin
 24代目★選挙関心委員会
12:45
 さようなら原発ライブ(野外ステージ)
 司会 菱山南帆子さん
 歌 李政美

●第2部
13:30
 野外ステージ
 司会 菱山南帆子さん
主催あいさつ 鎌田慧さん(ルポライター・呼びかけ人)
       落合恵子さん(作家・呼びかけ人)
フクシマから ①人見やよいさん(福島原発告訴団・フリーライター)
 ②熊本美彊子さん(避難の協同センター世話人)
東海第二原発再稼働について 阿部功志さん(東海村村議会議員)
原発ゼロ法案国会報告 立憲民主党・山﨑誠さん
高校生平和大使
沖縄から 木村辰彦さん病気のため外間さん
危険な安倍政権について 福山真劫さん(戦争させない・9条壊すな総がかり行動実行委員会)
フクシマ連帯キャラバン報告
閉会あいさつ

15:15
デモ出発 原宿コース・渋谷コース

 それぞれの話は心に深く響くものばかりでした。とりわけ沖縄の方、高校生の訴えに引きつけられました。「3.21さようなら原発全国集会」で検索すればそろそろユーチューブで集会の様子が見られるのではないでしょうか。是非あたってみてください。
 李政美さんの歌も聴くことができると思います。
 さてここで、ブース出店者を紹介しておきます。なんと37団体のブースが今回も開設されました。頑張って書き写すことにします。


●ブース出店者
K-l SALAM KEBAB ケバブ、飲み物
K-2アイ・ゼリスト フランスドックほか
K-3 es.tokyo 沖縄タコライス等
K-4アベンチュラ ステーキ丼ほか


1地球救出アクション97 書籍、署名
2原発輸出反対インドにもどこにも原発を売るな パネル展示、リーフレット
3脱原発と狭山事件の再審を求める情宣 物販、パネル展示
4 i女性会議 新聞、Tシャツ、バッグ
5全国ほるぷ多摩 書籍、DVD、グッズ
6 eシフト・パワーシフト 呼びかけ、資料
7ふえみん婦人民主クラブ グッズ、チラシ配布
8肉球屋 Tシャツ、トートバッグ、缶バッジ
9経産省前テントひろば店 書籍、バッジ、Tシャツ
10東海第二原発運転差止訴訟原告団&常総生協 書籍、菓子、飲料、パン
11いわき雑魚塾 CD、DVD、書籍、缶バッジ
12みんなのデータサイト 書籍、クリアファイル、バッジ
13六ヶ所みらい映画プロジェクト&青森荒木農場 DVD、長芋、にんにく
14あさこはうす 海産物、エコバッグ、ドーナッツ
15オルタナミーティング チラシ配布、書籍、ワッフル
16週刊金曜日 書籍、雑誌
17あらかぶさんを支える会 署名、冊子、缶バッジ、Tシャツ
18七つ森書館 書籍、チラシ配布、署名
19パルシステムでんき&ヒバクシャ国際署名 「パルシステムでんき」推奨
20憲法屋&憲法フェスティバル 缶バッジ、手ぬぐい、旗
21さようなら原発1000万人アクション 署名、Tシャツ、手ぬぐい
22高校生1万人署名活動 署名、パネル展示
23希望の牧場・ふくしま パネル展示、グッズ
24グリーンピース・ジャパン 署名
25高木学校・原子力教育・浪江ピース合同店 書籍、DVD、工芸品
26脱被ばく実現ネット パネル展示、書籍
27原発被災者訴訟原告団全国連絡会 チラシ・パンフの展示、配布
28避難の協同センター 署名
29協同のテント 書籍、グッズ
30地球の子ども新聞 新聞、チェルノブイリ比較図
31 たんぼぼ舎・福島原発事故緊急会議・再稼働阻止ネット共同ブース
書籍、バッジ、署名
32止めよう!東海第二原発首都圏連絡会 書籍、バッジ、署名
33脱原発マーケット 食材、パン、お茶
34世界ヒバクシャ展 サーターアンダギー、弁当、お茶
35福島診療所建設委員会 パネル展示、DVD、署名
36被ばく労働拒否をたたかう動労水戸支援共闘 Tシャツ、グッズ、書籍
37日本音楽協議会 演奏、CD


 参加できなかった多くの人のために集会アピールを書き写します。
 採択後、今年はしっかりデモに参加しました。短いコースのほうでしたが。デモの様子をたんぽぽ舎のメルマガに柳田真さんが実に丁寧に描写されています。さすがと感心しますね。転載させてください。私たちもこの隊列にいました。
 なお、この集会のことは朝日新聞、東京新聞が報じました。


 福島第一原発事故から8年が過ぎました。今日、私たちは、原発事故の収束が遙か遠
くにあること、事故のもたらした影響はいまだ深刻であり、被災者をはじめ多くの関係
者を、深く傷つけていることを知りました。安倍政権は、オリンピックに向けてフクシ
マを無かったことのように、全ての事実を覆い隠そうとしています。そのことは被災者
を切り捨てるものであり断じて許すことはできません。フクシマを忘れ去ることは、第
二、第三のフクシマを引き起こすことにつながるものです。
 現在、26基の原発が廃炉決定または予定となっています。原発は今、確実に「廃炉
の時代」を迎えています。電力各社は、9基の原発を再稼働させていますが、東海第二
原発などをはじめとして再稼働をめぐる状況にはきびしいものがあります。また原発の
新増設・リプレースも、脱原発の大きな声の前には困難です。原発や関連施設の老朽化、
廃炉作業の遅延、使用済み燃料の最終処分など、困難を伴う様々な問題が山積していま
す。原子力政策が、今後好転する見込みはありません。原発が動けば動くほど核のごみ
は増え、原発事故の危険性と背中合わせに暮らさなければなりません。だからこそ原発
再稼働よりも廃炉が強く求められていることは明らかなのです。
 原発・核燃料サイクルは、そのリスクやコストを考えると経済的合理性がないことは
明確であり、原子力の存立意味そのものが問われています。いまこそ政治の責任におい
て、原発のない社会をどのようにして作りあげていくのかを徹底的に議論すべきです。
 昨年3月9日「原発ゼロ基本法案」は、立憲民主党、日本共産党、社会民主党、自由
党のほか無所属の議員有志によって、衆議院に提出されました。法案は、「すべての原
発を速やかに停止し、法施行後5年以内に廃炉を決定する」、「原発の再稼働はせず、新
増設・リプレースは認めない」、「使用済み核燃料再処理・核燃料サイクル事業は中止す
る」、「放射性廃棄物・プルトニウムの管理と処分を徹底する」などを基本とするもので
す。
 その法案は、提出以降、今日まで衆議院の経済産業委員会で一度も審議がなされない
ままとなっています。現在、委員会の多数を占める与党などによつて、審議が拒否され
続けています。7月に衆参同時選挙になれば、衆議院解散でこの法案は、一度も審議さ
れないまま廃案となってしまいます。
 安倍自公政権は、エネルギー基本計画を改訂し、いまだ強引に原子力推進政策を進め
ていますが、実態は、再稼働、核燃料サイクルは行き詰り、アベノミクスの中心であつ
た原発輸出は、次々と頓挫しています。このような状況を真摯に認め、原発のない社会
にむけての議論を開始することが、日本の未来にとっての重要な課題です。「原発ゼロ
基本法案」の審議を直ちに開始して、新しい再生可能なエネルギー社会を実現しましょ
う。私たちは国政の場で、フクシマの課題の解決にむけて、脱原発社会の実現にむけて、
真摯な議論がなされることを強く求めます。

                             2019年3月21日
                     さようなら原発全国集会参加者一同

■デモコース

2つに分かれてそれぞれ15時15分から出発します。
●原宿コース(平和フォーラム・組合関係)代々木公園→原宿駅前→表参道→外苑前駅前解散 2.3km
●渋谷コース(市民団体・個人)代々木公園→公園通り→渋谷駅八チ公前→明治通り→神宮通公園解散 1.3km
1000万めざして署名を集めましょう
2019年2月26日集計=8,771,119筆

┏┓ 
┗■1.東海第二原発とめようの隊列、渋谷をデモ
 |  「再稼働のための工事反対!」400名強
 |  原発さようなら春の全国集会.東京代々木公園に1万人
 └──── 柳田 真(たんぽぽ舎、
       とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)

◎3月21日(木・休)東京代々木公園で、「さようなら原発全国集会」が
開かれた。約1万人が参加(主催者発表)。落合恵子さんの主催者あいさつ。
東海村村会議員の阿部抗志さんの東海第二原発再稼働の危険性の具体的な
話、鎌田慧さんの閉会あいさつがあった。(関連報道をご参照下さい)

◎午後3時15分から、渋谷コース(市民隊列)、原宿コース(労働組合隊列)
の2つのコースでデモを実施。たんぽぽ舎や、「とめよう!東海第二原発
首都圏連絡会」、「再稼働阻止全国ネットワーク」の参加者は、渋谷
コースで、第1梯団(主催者や福島・茨城など)につづいて第2梯団を
組んで出発した。
 第2梯団には、昨年5月結成され、活発に活動してきた「とめよう!
東海第二原発首都圏連絡会」の活動を反映して首都圏の主要な反原発
グループ・団体が集った。
 のぼり旗・横断まくは、多彩でたくさんならび、通常の団体旗のデモ隊
とはかなり異なり、「東海第二原発とめよう」のスローガンがならんだ。
 主な団体…茨城県の「原発いらない牛久の会」、「常総生協」、千葉
の「なのはな生協」、我孫子市の市民グループ、「原発いらない!ちば」
の皆さん、東京圏の「経産省前テントひろば」、「福島原発事故緊急
会議」、「アソシエの会」、「西東京の会」、「東電本店合同抗議」、
神奈川県の「脱原発かわさき市民」、埼玉の人々、群馬の人たちの
ちょうちん…等々がならび、にぎやかだった。
 デモ出発前の20数分、約400名の隊列がコールを叫ぶ。
 「原発いらない!」「再稼働反対」「東海第二動かすな」「運転延長
認めない」「20年運転延長認めない」「東海第二いますぐ廃炉」「すべて
の原発いますぐ廃炉」「海を汚すな」「子どもをまもれ」「大地をまも
れ」「ふるさとまもれ」「未来をまもれ」

 「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」の柳田が、今日のデモの意義
を強調-東海第二原発の具体的な危険性を訴えた。
 8年前の3月11日「東電福島第一原発」事故以降、全国10の電力会社(
9電力プラス日本原電)と安倍内閣が全力で原発再稼働を推進してきたが、
私たちと原発立地の人たち、多くの国民のねばり強い反対での中で、再
稼働した原発は9基(九州4基、四国1基、関西4基)のみ。発電電力
全体の中で原発の発電量は、5%にしかすぎない。(95%の電力は原発
以外の方法で発電されている)(関東では原発の電力は8年間ずっと
ゼロ%だ)
 今回、再稼働を狙っている日本原電東海第二原発(110万kw、ふっとう
水型)は、41年目に入った老朽・オンボロ原発であり、軟弱地盤に立つ超
危険な原発、再稼働すれば事故をおこす。なんとしても市民の力でとめ
ようとアピール。

◎私たちのデモ隊(400名強)は、渋谷駅周辺の繁華街を宣伝カーを先頭に
して行進、神宮通り公園で短時間の総括集会をおこない解散しました。
 今後の取り組みとして、東海第二原発再稼働のための工事反対!、
第2弾の「署名活動」、「ハガキ」抗議行動、3/23(土)「自治体への
請願・意見書」行動の交流会への参加、「アメーバ行動」(茨城県内での
ビラまき、情宣活動)、4/27(土)島村英紀さんの地震学習会への参加など
を提起しました。
 なお、秋の「さようなら原発全国集会」は、9月16日(月・敬老の
日)、東京代々木公園で予定されています。


〔211〕ドイツの友人から、リーメンシュナイダーなどの中世ドイツ彫刻の分厚い図録・写真集が立て続けに送られてきました。

2019年03月07日 | 図書案内
 昨年末、ベルリンにある世界遺産、ボーデ博物館のジュリアン・シャピュイ副館長から妻に大部な図録を送るとメールがありました。もちろん博物館でまとめ上げた館所蔵の中世彫刻の図録です。1月末頃に送ってくださるというので、その到着を今か今かと首を長くして待っていました。
 その本がついに2月になって届きました。それは600ページをゆうに超す実に巨大なものでずっしりとした重量感がありました。その題名は『BILDWERKE NORDLICH DER ALPEN UND IM ALPENRAUM 1380 bis 1440』(アルプスとアルプス北部の彫刻 1380年から1440年までの)というもので、ジュリアン・シャピュイ博士が前書きを書いています。館の学芸員の分担執筆のようでした。
 シャピュイさんは、2012年に東京国立博物館で「ベルリン国立博物館展」でリーメンシュナイダー作品が4点来たときに監修者として来日した方です。我々がボーデ美術館を訪ねるときは、開館10時に待っていてくださり、カフェで歓談し、博物館島にある数カ所の美術館・博物館のフリーチケットをくださるのが常です。それも4回を数えたでしょうか。
 妻、緑の新刊『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』(丸善プラネット)に厚かましくも彼に巻頭言を書いていただくことを思いついたのは私でした。



 ティルマン・リーメンシュナイダーが生まれたのは1460年頃とされていますから、この本に掲載されているのは彼以前の彫刻ということになります。興味深く丁寧にページをめくりながら、実に豊富な写真をうきうきしながら眺めていきましたが、私が知っている作品は1つしかありませんでした。それはハンス・ムルチャーのマクダラのマリアでした。この作品だけが『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』に掲載されています。
 それにしてもこれだけの中世の彫刻が博物館に所蔵されていたとは驚きでした。
 数年前に訪問したとき、係の方にボーデ博物館の収蔵庫に案内されたことがありました。展示されていないリーメンシュナイダー作品を特別に拝観させていただいたのです。収蔵棚には所狭しと作品が陳列されていました。おそらく、今回こうした公開されてない作品も数多く図録に収録されたのでしょう。
 リーメンシュナイダー以前の作品はそのほとんどが作者名が明らかでないため、「○○地方のマイスター」という言い方が多く使われるようです。こうした作品の中にも、実に個性的で表情豊かな彫刻が数多くあるということをこの図録で発見することができました。しばらくはこの図録でたっぷり楽しめそうです。送っていただいたシャピュイさんに感謝したいと思います。

 さて、本日(3月6日)のことでした。またまた巨大な写真集が送られてきました。シュトットガルトの同世代の友人、元警察官ヴィリー・ドイリンガーからでした。どうやらこれは古本屋で手に入れたようです。1983年発刊の『tilman riemenschneider』(Gottfried Sello文、Toni Schneider写真、240ページ)でした。大きさからいえば前書よりさらに幅広です。文章は全体の5分の1程度で、写真集と言ってもいいようです。カラーと白黒が混在していて、これだけ充実したリーメンシュナイダー写真集はなかなかないと妻も言っていました。リーメンシュナイダーの代表作が贅沢なサイズで並んでいます。
 手紙も入っていなかったので、ヴィリーの真意はわかりかねますが、妻への誕生日プレゼントだったのでしょうか。おそらく一生懸命古本屋を探し回ったのではないでしょうか。そういえば、私の自家製の3月のカレンダーの写真はヴィリーがホーエンツォレルン城で腕に鷹を乗せている写真でした。



 さて、ここまできたらもう1冊紹介しましょう。妻の友人の中村英之さんがドイツで発刊まもなく購入して、妻にプレゼントしてくださった本です。
『Tilman RIEMENSCHNEIDER』マチアス・ヴェニガー著、バイエルン国立博物館、208ページ、2017年発行。 



 マチアス・ヴェニガー博士はバイエルン国立博物館の研究者です。妻がバイエルン国立博物館の作品の写真掲載をお願いした方で、昨年の秋、初めてニュルンベルクでお目にかかりました。そのとき妻の3冊目の本を手渡しして、大変喜ばれました。
 彼は、フランケン博物館発行のリーメンシュナイダーの弟子のペーター・デルの図録の主要執筆者で、写真家でもあるのです。この本が今や私たちのバイブルの1冊になっていて、今年の夏にシルヴィアとクラウスの結婚式の後、この本に導かれてペーター・デルとハンス・ラインベルガーの作品巡りをする予定でいるのです。そのときに、ヴェニガー夫妻がお住まいのフライジングでお会いできそうなのです。フライジングは、先日、NHKの「旅するドイツ語」で紹介されたところで、ドイツ最古のビール醸造所があるところとして有名です。どうやら美味しいビールが飲めそうで、今からわくわくしているのです。ツン ボール(乾杯)!


〔210〕「放射線副読本」の使用中止を求める請願と山本太郎さんのトークライブ(清瀬、3月22日)のお知らせです。

2019年03月05日 | 市民運動
 昨年、小学生、中・高校生のための「放射線副読本」が文科省で作成され、教育現場におりてきていることをご存じですか。清瀬・憲法九条を守る会、清瀬・くらしと平和の会の仲間のひとりがメンバーに紹介し、問題点を指摘してくれました。それを聞いて、これは捨て置けないと思った連れ合いが次のような請願を出しました。傍聴はどなたでも自由なので、どうぞいらしてください。

*2019年3月14日(木) 10:00~(通常なら10:30頃からになりそうです)
*清瀬市役所、4階、総務文教委員会


■「小学生、中・高校生のための『放射線副読本』」の使用中止を市教育委員会に求める請願

                    紹介議員 ふせ由女

〈請願の内容〉
 現在小・中・高校生に対して使われている「放射線副読本」は子どもたちに誤った知識を植え付けようとしています。従って、これらの副読本の使用中止を市教育委員会に求めます。

〈請願の理由〉
 平成30年度に文科省から出された「小学生のための『放射線副読本』」と、「中・高校生のための『放射線副読本』」を読んだところ、両方の副読本ともに大変気になる表や文章がありました。
小学生のための副読本では「原子と原子核」の項目が無く、他の項目の文章は少し簡単になっていますが、以下に述べる内容や図表は両副読本に共通のものです。ここでは「中・高校生のための『放射線副読本』」で疑問点を書いておきます。

(1)「放射線による健康への影響」について
※「中・高校生のための『放射線副読本』」10頁
●「100~200ミリシーベルトの放射線を受けたときのがん(固形がん)のリスクは1.08倍であり、これは1日に110gしか野菜を食べなかったときのリスク(1.06倍)や高塩分の食品を食べ続けたときのリスク(1.11~1.15倍)と同じ程度となっています。」と書かれているが、大変わかりにくい比較。1億2千万人が100ミリシーベルトずつ被ばくしたらがんで死ぬ人が60万人も増えるということである*1。「~と同じ程度」ということばには当然「だから心配しないで大丈夫」ということばが続くとイメージされ、生徒たちの心に「放射線はそんなに気にしないでいいんだ」と刷り込まれていくことになる。
●この段落は「これから長く生きる子供たちは、放射線を受ける量をできるだけ少なくすることも大切です。」とまとめられているが、上記の文章と相容れない。
      *1:ICRP(国際放射線防護委員会)1990年勧告、表3による計算結果

(2)「住民の避難と帰還」について
※「中・高校生のための『放射線副読本』」14頁
●「福島県が行った平成30年3月までの調査の結果によれば、県民等に、今回の事故後4か月間において体の外から受けた放射線による健康影響があるとは考えにくいとされています。」と書かれているが、通常なら100万人に一人と言われる小児甲状腺がんが200人以上も見つかっている。福島県の2016年県民健康調査でも「先行検査(一巡目の検査)を終えて、わが国の地域がん登録で把握されている甲状腺がんの罹患統計などから推定される有病数に比べて数十倍のオーダーで多い甲状腺がんが発見されている。」と認めている*2。
*2:福島県「県民健康調査」検討委員会「県民健康調査における中間とりまとめ(平成28年3月)」2頁より

(3)「食品中の放射性物質に関する指標等」について
※「中・高校生のための『放射線副読本』」17頁
    ●日本は事故後1年経った2012年「平常時」の基準値であり、他のEU、米国、コーデックスの数値は「緊急時のガイドライン」である。設定の違う値を比較すること自体が無意味。
    ●表①「食品中の放射性物質に関する指標等」の説明文章②と、同頁下欄の注釈③10, 11には解釈の食い違いがある。(3頁の資料参照)


 以上のことから、現在の副読本には児童、生徒たちに「放射線って安全で心配は要らないのだな」という気持ちを持たせるような記述が多く含まれていることがわかります。
 一方で、福島原発事故の被害や内容に触れているのは12頁の5行分のみで、しかも概略が述べられているだけです。この事故に対する国や東京電力の責任には触れず、現地に留まった方々にも現在なお避難している方々にも、その実情、心情を無視したものとなっています。事故の後、将来に絶望して自ら命を絶った方もいますし、避難したくてもできなかった方々、避難はしたものの住宅手当を打ち切られ、やむを得ず帰還した方々もいます。そうした方々の想いにもっとよりそった内容の副読本であるべきです。
 これからを生きる子どもたち、生徒たちは放射線の危険性に対する正しい知識を持ち、健康被害についても積極的に考えていく必要があります。また、今ある原発の今後をどう見据えるのか、万が一のことがあったらどう対処したら良いのか、自分が避難者だったらどうして欲しいのか、何が必要なのかといったことを親身になって考えられるような副読本になっていなければなりません。 従って現在の副読本を小学校・中学校・高等学校の授業で使用することを中止していただくよう市教育委員会に請願するものです。

                 2019年2月25日  

清瀬市議会議長
 西畑 春政 様


         清瀬・憲法九条を守る会  福田 緑 東京都清瀬市

〈資料〉
①17頁の表


②:本文説明 ※下線は筆者
 「原子力発電所の事故の後、厚生労働省は、食品に含まれていても健康に影響を及ぼさないと考えられる、放射性物質の量(基準値 ) を決めました。日本の基準値は、他国に比べ厳しい条件の下設定されており、世界で最も厳しいレベルです。そして厚生労働省は、基準値を超える放射性物質を含む食品が市場に出回ることのないように厳しく見守っています。」

③:番号は上の表内に小さく書かれた数字に対応している。
9 コーデックス:食品の国際規格を作成している組織
 10 本表に示した数値は、この値を超えた場合は食品が市場に流通しないように設定されている基準等の値です。 数値は、食品から受ける線量を一定レベル以下に管理するためのものであり、安全と危険の境目ではありません。また、各国で食品の摂取量や放射性物質を含む食品の割合の仮定値等の影響を考慮してありますので、単に数値だけを比べることはできません。
  11 コーデックス、EUと日本は、食品からの追加線量の上限は同じ1mSv(ミリシーベルト)/年です。日本では放射性物質を含む食品の割合の仮定値を高く設定していること、年齢・性別毎の食品摂取量を考慮していること、放射性セシウム以外の核種の影響も考慮して放射性セシウムを代表として基準値を設定していることから、基準値の数値が海外と比べて小さくなっています。


〈補足説明〉
◆ICRP:International Commission on Radiological Protection専門家の立場から放射線防護に関する勧告を行う民間の国際学術組織
◆コーデックス:正式にはコーデックス・アリメンタリウス(Codex Alimentarius)というラテン語からきた言葉で、食品規格という意味をもち、19世紀末のオーストリア・ハンガリー帝国でも使われたことがある伝統的な言葉です。
  現在、世界的に通用する食品規格はこの規格だけで、これを普通コーデックス規格といっています。
1962年、国連の専門機関である国連食糧農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)が合同で、国際的な食品規格をつくることが決められました。その食品規格計画の実施機関が食品規格委員会、英語名でコーデックス・アリメンタリウス・コミッション(Codex Alimentarius Commission)といい、CACと略称されています。2006年10月現在、CAC加盟国は174カ国及び1機関(欧州共同体)です。(公益社団法人日本食品衛生協会ホームページより)

  
 参議院議員の山本太郎さんが、トークライブとしては初めて清瀬に来られます。国民民主党と自由党の統一会派を代表しての太郎さんの国会演説はとても迫力がありましたね。
 彼の肉声を聞きに清瀬までいらっしゃいませんか。「交流会」ということで質問の時間もとってあります。
 お待ちしています!


  最後に鎌田慧さんの渾身の新聞コラムを読んでください。

 ◆恐怖の再稼働
  首都圏唯一の東海第二原発は40年たった老朽原発

             鎌田 慧(ルポライター)

 昨年10月、インドネシアで墜落したばかりだった。米ボーイング社の
最新鋭旅客機「737MAX」、この10日にもエチオピアで墜落した。
安全性が問題視され、世界各地で即座に運行停止された。が、米連邦
航空局(FAA)の停止の決断は遅かった。「ボーイング社とトランプ
大統領の関係は非常に深い」からだった(本紙17日付)。
 これを読んで「トランプよ、おまえもか」。ハタと膝をたたいたのは、
大事故があってなお、平然と原発を推進するわが国の首相と原発メー
カーとの「関係の深さ」に思いがおよんだからだ。
 首相の率先外遊、世界への原発売り込みは結局、全敗に終わった。
 が、まだオリンピック開会式の晴れ舞台がある。
 いまなお続く原発被曝地や避難民の苦境には目をつぶり事故にもめげず
原発再稼働をすすめ、ひたすら「復興」と「帰還」を唱えるのは「アン
ダーコントロール」ニッポンを演出したいからなのか。
 「原子力村」として脚光を浴びた茨城県東海村にある首都圏唯一の東海
第二原発は40年たった老朽原発。いま無謀にも再稼働を準備している。
 東京まで110キロ。水戸市など30キロ圏内には100万人が生活している。
バラ色の夢を描いた東海第二原発でオリンピックに花を添えるのか。
 21日午後零時半、東京・代々木公園で「さようなら原発全国集会」
がある。     (3月19日東京新聞朝刊25面「本音のコラム」より)