後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔196〕雨の中、「東海第二原発運転延長STOP!首都圏大集会」に730人が集まりました。

2018年10月23日 | 市民運動
 ブログ〔194〕で「東海第二原発再稼働反対運動は燎原の火のごとく広がっています。」と清瀬の請願活動について書いたばかりでしたが、10月20日(土)には「東海第二原発運転延長STOP!首都圏大集会」が開かれました。
 会場は東京神保町の日本教育会館です。1980,90年代に日本演劇教育連盟の夏の集会では、3階の800人ホールを満席にしていたものです。2泊3日の恒例の行事でした。
 清瀬を出たときの突然の雨で靴はぐしょぐしょでした。3階に向かうエレベーターは参加者であふれていました。参加者は730名、懐かしいホールに清瀬の仲間が5人参集していました。
  当日の様子を、たんぽぽ舎のメルマガが細大漏らさず伝えています。〈拡散希望〉ということなので、使わせていただきます。ご丁寧に東京新聞の記事まで紹介されています。
 あっ、おしどりマコ・ケンさんのマコさんが参議院選挙に出馬するということで、大きな拍手を受けていましたよ。清瀬にも来ていただいたということもあり、頑張って当選してほしいなと熱望しています。
 頑張れ! マコさん!

┏┓ 
┗■1.10/20(土)「東海第二原発運転延長STOP!首都圏大集会」
 |  みんなの力で「大成功」(730名)
  |  日本原電は20年延長(60年運転)やめよ!の声ひびきわたる
 | 次は10月26日(金)原電本店を囲む人間の鎖(ヒューマンチェーン)へ
 └──── 柳田 真 (たんぽぽ舎、止めよう!東海第二原発首都圏連絡会)

◎ 10月20日(土)の「東海第二原発運転延長STOP!みんなの力でとめよう、
老朽オンボロ原発。首都圏大集会」は多くの人の参加と熱意で成功した。
 参加した人の何人もから「良い内容の集会だった。会場が満員でよかったです
ね」の声をいただいた。集会参加者は730人。802名の定員会場で9割強の席が埋
まった。うれしかった。
・司会はあすなろさん。(声がよくとおり、上手)
・DVD上映「恐怖のカウントダウン」-東海第二原発を止めたい-も好評だっ
た。
・4人の講師の話はそれぞれ聞かせた。
 ◇鎌田 慧さん (ルポライター):
     プルトニウム社会と六ヶ所村-東海村の再処理工場
 ◇吉原 毅さん (原事連会長・城南信用金庫顧問):
     原発ゼロ社会をめざして
 ◇村上達也さん (東海村前村長):あってはならない原発
 ◇おしどりマコ・ケンさん (漫才コンビ・ジャーナリスト):
  福島第一原発事故の取材から見えること

(当日の動画は三輪祐児さんのyoutubeをご覧ください)
 https://www.youtube.com/channel/UCsFcN5t3EpFTAkT-I2qMPkw

・集会決議の採択-中村泰子さんが提起しました。
          (決議文は後ほど掲載します)
・最後に行動提起(日程)を柳田が提案し、壇上には各団体の代表がのぼり旗をも
って登壇。
 武笠さんの音頭で「日本原電は東海第二原発の運転延長をやめよ」等のコール
が会場一杯にひびきわたった。

◎ 5月に発足したばかりの、生まれたての混成部隊(1都7県のゆるやかな連絡
組織)で会議の成立自体もいろいろ大変だったが、みんなの協力で5か月余を走り
抜いてきた。
 この組織で「800人の教育会館大集会」をやるということは、かなりの冒険だっ
た(当初は不安の声もあり)。
 それでも「11月27日の40年の切れ目」を迎えて、首都圏の反対の声の広がり、
大きさを示したい。9月1日の水戸市での1000人集会の成功を意識しながら、み
んな必死で10・20のビラを撒き、協力券(チケット)の普及に努力した。
 東京、千葉、埼玉、神奈川、茨城の各県ごとに責任者にチケットをお願いし、
その努力の集大成が雨の中の10・20集会に結実した。
 この協力券の普及活動の中で多くの新しい結びつきやヒントが生まれ、それが
10・20の集会を大成功させ、今後の運動の基盤を2倍も3倍も広いものにした。
☆日本原電は、今後、東海第二原発の再稼働に反対する声の大きさに苦悶するだ
ろう。

◎ 10月26日(金)夕方、日本原電本店を囲む、人間の鎖にぜひ参加を!
 日本原電は住民の声も聞き入れず、東電と結託し再稼働準備を進めています。
 10月26日は東海村にある動力試験炉(日本原子力研究所)で日本初の原子力によ
る発電が行なわれた日。
 この日、原電本店前での抗議集会・ヒューマンチェーンを呼びかけます。
多くの皆様の結集をお願いします。

◎ 10/26(金)「反原子力の日」日本原電包囲ヒューマンチェーン
  東海第二原発の20年延長運転を許さない!
  原電前に集合して人間の鎖で囲み、抗議しよう!

 日 時:10月26日(金)17:30より19:00
 場 所:日本原子力発電本店前
          (東京都千代田区神田美土代町1-1)
          (地下鉄新宿線「小川町」駅B6出口より徒歩2分)
 内 容:・呼びかけ団体挨拶 ・各地からの報告 ・ヒューマンチェーン
     ・音楽(出演依頼中)
 呼びかけ団体:とめよう!東海第二原発首都圏連絡会
        再稼働阻止全国ネットワーク
 連絡先:070-6650-5549(柳田) 090-2553-2587(永野)

☆参考までに10・20集会を報じた10/21東京新聞記事を掲載します。

 東海第二原発再稼働「反対応援して」 都内で集会

 首都圏唯一の原発である日本原子力発電東海第二原発(茨城県東海村)の再稼働
に反対する「10.20東海第二原発運転延長STOP!首都圏大集会」が20日、東京
都千代田区の日本教育会館であった。
 11月下旬に40年の運転期限を迎える東海第二を巡っては、原子力規制委員会が
20年の運転延長の可否を審査している。
 主催した「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」によると、約730人が参加。

 登壇した東海村の村上達也元村長は、茨城県内で再稼働反対を表明する議会や
首長が相次いでいることに言及。実際に再稼働するには地元の同意が必要である
ことから「住民の意識を高め、首長らに(再稼働反対を)働き掛けないといけない。
首都圏の皆さんにも応援してほしい」と呼び掛けた。
 「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」の会長を務める吉原毅・城南信用金庫
顧問も講演。原発4基の再稼働で供給力が高まった九州電力が今月に入り、太陽
光事業者に一時的な発電停止を指示する出力制御をしたことに触れながら「自然
エネルギーよりも原発を優先しているが、日本は自然エネルギーによって大きく
発展できる」と強調した。(松尾博史) (10月21日東京新聞朝刊28面より)

〔195〕さまざまな邂逅に感謝、矢部顕さん・徳永進さん・菅龍一さん。

2018年10月21日 | 図書案内





 矢部顕さんから送られてきた1通のメールにある衝撃を受けました。それは上の新聞記事と講演会の案内でした。講演者の名前は徳永進さん。私にとってはおなじみの方で、彼の2冊の著書を愛読しています。『死の中の微笑み』、『隔離 らいを病んだ故郷の人たち』(いずれも、ゆるみ出版)でした。1982年の出版当時は鳥取赤十字病院内科医となっていますが、ウィキペディアを見ると〈鳥取市内にホスピスケアのある「野の花診療所」を開設〉とあります。

■ウィキペディアより
徳永 進(とくなが すすむ、1948年 - )は、日本の医師、ノンフィクション作家。 鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院の内科医。1982年、『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞受賞。83年同作品はNHKドラマ人間模様で「愛と砂丘の町」として放送された。2001年、鳥取市内にホスピスケアのある「野の花診療所」を開設。

 著書は膨大な数ですが、興味ある方はウィキペディアなどで調べてください。
 徳永さんの名前を知ったのは、菅龍一さんの著作を通してでした。
 菅龍一さんについてもウィキペディアを覗いてみましょう。

■ウィキペディアより
菅 龍一(すが りゅういち、1933年 - )は、日本の劇作家、児童文学作家、教育評論家。香川県高松市生まれ。少年時代を山陰の禅寺で過ごす。京都大学理学部物理学科卒業。32年間神奈川県立高校教諭を務め退職。和光大学講師[1]。1964年『女の勤行』で第10回岸田國士戯曲賞受賞。1982年『善財童子ものがたり』で第29回産経児童出版文化賞受賞。

著書[編集]
『教育の原型を求めて』朝日新聞社 1973
『生徒とともに能力主義をこえて』昌平社 1975
『親であることの意味』文化出版局 よつば新書 1980
『善財童子ものがたり』全3巻 偕成社 1981
『こどもの心が見えるとき 親と教師の存在証明』柏書房 1984
『親とたたかう』筑摩書房 ちくま少年図書館 1985
『おじいさんの手』鈴木恵子さし絵 太郎次郎社 1986
『父親40歳からの出発 子とともに成長する』ダイヤモンド社 1987
『子どもが心を開くとき 私の体験的教育実践論』一ツ橋書房 1993
『子どもの愛し方』教育史料出版会 1994
『若者たちの居場所 創作戯曲にみる現代青年像』晩成書房 1995

共著[編集]
『教師ひとりひとりの生きざまを』共著 昌平社 1976


 このサイトには菅さんの数冊の著書が漏れています。
 教師をスタートさせたときから大変お世話になっていた先輩教師は、遠藤豊吉さん、村田栄一さん、鈴木孝雄さん、そして菅さんといったところです。
 菅さんには我々夫婦のミニコミ「啓」を送るとすぐにはがき一枚の感想が届きました。そして、ミニコミのお礼だと言って多くの著書を送っていただきました。
 その中の一冊が『おじいさんの手』でした。そのオビは、「少女の熱意が、ハンセン病者と故郷とのあいだに心のかけ橋をつなぐ」となっていて、児童文学としては珍しいハンセン病をテーマにした物語でした。その本の「解説にかえて」(島比呂志)の中で、菅さんがハンセン病に目を向けさせてくれたのは徳永進さんだと書いているのです。
 その徳永さんがハンセン病に出合うのが、矢部さんとの出会いによってだったというのです。彼の新聞コラムは匿名で書かれているのですが、「先輩」は矢部顕さんその人に間違いありません。矢部さんから徳永さん、徳永さんから菅さん、菅さんから私たちへと、人の命の尊厳さのバトンが伝わってきたのを思うと、感慨深いものがあります。
 
 矢部さんについては以前にブログに書かせていただいたことがあります。〔ブログ104〕
 1998年夏にラボ・テューターに出会うことによってラボ教育センターを知ることになるのです。2006年からラボ付属の言語教育総合研究所員に迎えられることになり、その事務局長をしていたのが矢部さんでした。拙著『地域演劇教育論 ラボ教育センターのテーマ活動』(晩成書房)の巻頭を飾っていただいたのが、元会長の松本輝夫さんと矢部さんでした。
 矢部さんは、現在は農業にいそしむ傍ら、求めに応じて、子どもたちに米作り、糸紡ぎや地域の歴史を教えたり、高校生や大学生にも話をしに出かけているようです。

 菅さんがなくなられて、野川清さんとご自宅にお線香をあげにいきました。その前後に、お連れ合いさんからいただいた本があります。谷川俊太郎さんと徳永進さんの対談集でした。
*『詩と死をむすぶもの ー 詩人と医師の往復書簡』谷川俊太郎・徳永進著 2008 朝日新書
 彼女はこの新書を数冊買って、心ある方々に送っていたようでした。

さまざまな邂逅の不思議さに思いを馳せる今日この頃です。


〔194〕東海第二原発再稼働反対運動は燎原の火のごとく広がっています。

2018年10月19日 | 市民運動
  原子力規制委員会は東海第二原発再稼働に意欲的で、11月までに運転期間延長を認可しようとしています。地図を見てみれば、東海第二原発は東京まで100キロという距離にあります。そしてなんと、30キロ圏内には96万人が住んでいます。いわゆる首都圏は原発から200キロ圏内に入るのです。さらに、その原子炉は福島第一原発と同じもので、稼働40年を目前にしているのです。(とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会のパンフ参照)
 こんな原発を再稼働させてよいわけがありません。清瀬・くらしと平和の会、清瀬・憲法九条を守る会では月2回、清瀬駅で街頭演説、再稼働反対署名を開始しました。心ある市民が足を止めて署名に応じてくれています。  
 
 さらに、清瀬市議会に仲間の一人が請願を提出しました。実に説得ある丁寧な書きぶりではないでしょうか。ところが、私たちが外遊中の9月28日の本会議で、9対10で不採択になったのです。(賛成は風・生活者ネット4,共産4,共に生きる1,反対は自民クラブ7,公明3)公明党議員は他市の同趣旨の請願に対して賛成に回っていることも見聞きします。そもそも公明党は平和と福祉の党ではなかったのでしょうか。
 今回のこの請願になぜ反対できるのか理解不能ですが、じっくり読んでいただければと思います。




東海第二原発の運転延長の反対を求める請願

    紹介議員  ふせ由女       

〔請願の趣旨〕

 首都圏住民の命と安全を守るために、40年を超える東海第二原発の運転延長を認めないことを求めます。

〔請願の理由〕

 日本原子力発電株式会社は昨年11月、東海第二原発について、あろうことか法律で定められた原子力発電所の運転期間40年を超えて、さらに20年もの運転延長を原子力規制委員会に申請しました。
 東海第 二原発は、周囲に人口が密集する「首都圏原発」で、30km圏内には96万人が居住しています(「とめよう!東海第二原発首都圏連絡会」より)。ちなみに、2011年3月11日当時の福島第一原発30km圏内の人口は約21万人でした(「福島県ホームページ」より)。首都圏は約200km圏内、東京圏は約100km圏内に位置する東海第二原発は、耐震基準がとても甘かった40年前の古い設計のもとに建設されました。その内部には可燃性ケーブルが全長1400kmのうち85%も使用されていて、かつてケーブルの延焼によって発生した米国のブラウンズフェリー原発の大火災事故を再現しかねない「脆弱原発」で、そのうえ、2011年の東日本大震災で被災し、外部電源が喪失した「老朽原発」でもあります。そのわずか2.8kmのところには、六ヶ所村の1.6倍もの高レベル放射性廃液を多量に保管している再処理工場があり、廃炉中の東海原発は言うに及ばず、点在する数々の原子力関連施設には、30万個以上の低レベル廃棄物(固体)も保管されています。くわえてこの原発は、運転30年以降、トラブルを多発しているそうで、法令届出トラブルがとび抜けて多いと言われています。
 このようなところでひとたび事故が起これば複合大災害になることは、想像に難くありません。風向きによっては3時間くらいで首都圏に到達してしまう、という推測もあります。この原発から福島第一原発までは約170kmあり、その近さを考えると、多重複合事故の可能性も否定できません。収束の目処も立たない福島第一原発事故で、避難を余儀なくされ苦しんでおられる数万人の方々のことや、劣悪な環境のもとに命を削りながら働いておられる原発作業員の方々のことを、私たちはけっして忘れてはならないと思います。もしも、この福島第一原発事故を上回ることが予想される東海第二原発の事故が実際に起こってしまった場合、私たちは未来の世代に償いようのない負の遺産をさらに遺すことになってしまうでしょう。同じ過ちを繰り返してはなりません。
 東海第二原発は、清瀬からたった120kmほどの距離にあります。その動向をめぐっては、市民の一人としてけっして無視することはできません。どうか、これらのことを深く念頭に置かれ、20年の運転延長に反対する決議を行ってくださいますよう、お願いいたします。

2018年8月29日
清瀬市議会議長
西畑春政 様

清瀬・くらしと平和の会 溜口郁子

 
 わずか1票の差で清瀬市の請願は不採択になりましたが、かなり多くの市で同趣旨の請願が採択されています。まさに原発再稼働反対運動は燎原の火のごとく燃え広がっています。


 

■とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会(HPより)

《東海第二原発再稼働をめぐり採択された意見書及び決議》

■茨城県

水戸市「東海第二原子力発電所の住民理解のない再稼働を認めないことを求める意見書」

土浦市「東海第2原発の再稼働中止と廃炉を求める意見書」「日本原子力発電東海第二原発の再稼動を断念し廃炉を求める決議」

石岡市「運転期間40年を迎える原電東海第二発電所の運転期間延長を行わないことを求める意見書」

龍ケ崎市「運転開始から 40 年を超える東海第二原発の運転期間延長を行わないことを求める意見書」

下妻市「日本原電に対して、東海第二原発の運転期間20年延長の申請をしないように求める行動を要請する意見書」

取手市「東海第2原発の廃炉を求める意見書」

牛久市「まもなく40年を迎える東海第2原発の20年延長の申請をしないように求める意見書」

鹿嶋市「運転開始から40年を超えた東海第二発電所の運転期間延長を行わないことを求める意見書」

守谷市「東海第2原発の廃炉を求める意見書」

桜川市「東海第二原発の「20年延長申請」に反対する意見書」

つくばみらい市「まもなく40年を迎える東海第二原発の20年延長の申請をしないよう働きかけることを求める意見書」

北茨城市「東海第二原発の廃炉を求める意見書」

高萩市「東海第2原発の廃炉を求める意見書」

笠間市「東海第二原発の「安全協定見直し」に関する意見書 」

つくば市「東海第二原子力発電所の廃炉を求める意見書」 「東海第二原子力発電所の再稼動を認めないことを求める意見書」

筑西市「東海第二原発の廃炉を求める意見書」

古河市「東海第2原発の廃炉を求める意見書 」

常総市「東海発電所及び東海第二発電所の安全性確保と廃炉を求める意見書」

常陸太田市「東海第二原子力発電所の20年延長稼働に反対する意見書」の採択を求める請願

小美玉市「東海第二原発の廃炉を求める請願」

結城市「東海第二原発の廃炉を求める意見書」

阿見町「東海第二原発の廃炉を求める決議」

八千代町「東海第二原子力発電所の廃炉を求める意見書」

茨城町「運転開始から9年を超えた東海第二発電所の運転期間延長を行わないことを求める意見書」

五霞町「まもなく40年を迎える東海第二原発の20年延長の申請をしないよう働きかけることを求める意見書」

境町「まもなく40年を迎える東海第二原発の20年延長の申請をしないように求める意見書」

利根町「まもなく40年を迎える東海第二発電所の20年延長の申請をしないよう働きかけることを求める意見書」

美浦村「東海第二原発の廃炉を求める意見書」

常陸大宮市「東海第二原発の住民同意のない再稼働に反対する意見書」





茨城県の意見書等に関する新聞記事

茨城新聞 「東海第2原発 17市町村「延長反対」 議会意見書」(2017年11月1日)

茨城新聞 「東海第2再稼働「反対」 水戸市議会が意見書可決」(2018年6月20日)

東京新聞 「東海第二再稼働の反対意見書 常陸大宮市議会も可決」(2018年9月28日)





■東京都

西東京市 「東海第二原発の運転延長を行わないことを求める請願」(2018年9月)



■千葉県

流山市  「東海第2原発の廃炉を求める意見書」(2011年12月)

野田市  「東海第二原発の廃炉を求める意見書」(2012年3月)

我孫子市 「東海第二原子力発電所の廃炉を求める意見書」(2012年9月)

     「東海第二原発の運転期間延長を行わないことを求める意見書」(2018年3月)

銚子市「東海第2原発の再稼働と運転期間延長を認めないことを求める意見書について」(2018年6月)

多古町「東海第二原子力発電所の再稼働と運転期間の延長を認めないことを求める意見書」(2018年6月)

成田市「東海第2原発の再稼働及び運転延長を認めないことを国に求める意見書」(2018年6月)



栃木県

那須塩原市「東海第二発電所の稼働延長を認めない意見書の提出について」(2018年6月)

那珂川町「東海第二原発の稼働延長を認めない意見書」(2018年6月)

茂木町「運転開始から40年を迎える東海第二原子力発電所の再稼働を認めず、廃炉を求める意見書」(2018年6月)

益子町「運転開始から40年を超える東海第二原子力発電所の運転期間延長に反対する意見書」(2018年6月)

市貝町「東海第二原発の運転期間延長に反対する請願」(2018年9月)

芳賀町「東海第二原発の稼動延長を認めない意見書の提出を求める陳情」(2018年9月)

真岡市「東海第二原発の運転期間延長に関する請願」(2018年9月)



■埼玉県

鳩山町「老朽化した東海第二原発の運転期間延長を行わないことを求める意見書案について」(2018年9月)

吉見町「老朽化した東海第二原発の運転期問延長させないことを国に求める請願」(2018年9月)

草加市「東海第二原子力発電所の住民理解のない再稼働を認めないことを求める意見書」(2018年9月)

吉川市「東海第二原発の再稼動は認めない意見書」(2018年9月)

東松山市「老朽化した東海第二原発の運転期間延長させないことを求める意見書」(2018年9月)

富士見市「東海第二原発の運転期間延長を行わないことを求める意見書」(2018年9月)

熊谷市「老朽化した東海第二原発の運転期間の延長をさせないことを国に求めることに関する請願」(2018年9月)

志木市「老朽化した東海第二原発の運転期延長させないことを国に求める請願」(2018年9月)

越谷市「老朽化した東海第二原発の運転期間延長をさせないよう国に意見書の提出を求める件」(2018年9月)

新座市「東海第二原発の延長運転を行なわないよう国に求める意見書」(2018年9月)

久喜市「東海第二原子力発電所の運転期間を延長しないことを求める意見書」(2018年9月)


 
 最後に鎌田慧さんのコラムを読んでください。


◆ブラックアウト
  次の(原発)事故がおきたならわたしたちの居場所は無い
      鎌田 慧(ルポライター)

 太陽光エネルギーを抑圧して原発稼働を優先させる。九州電力の決定である。
「危険第一。安全第二」。このアベコベ政策は安倍首相、世耕経産相による時代
錯誤。原発猛進政策に従う、九電経営者の無責任経営だ。
 戦争解禁を狙う憲法九条改悪も危険第一主義。それにむけたイージスアショア
やオスプレイの爆買いは、アメリカ軍需会社への大盤振る舞い。
 庶民のカネを巻き上げるカジノ公認は、トランプ大統領「腹心の友・ラスベガ
スサンズ」の差し金。アメリカによるアメリカのための政治は、もううんざり、
という声が地に満ちてきた。
 沖縄・玉城デニー知事初登庁のインタビューで那覇に行った帰り、台風で飛行
機が欠航。続けて札幌の「さようなら原発集会」も台風で、野外集会とパレード
が中止。北海道は全道ブラックアウトという異常事態。それを利用して、泊原発
が稼働していれば停電がなかったという、フェイクニュースが出まわった。
 「次の事故がおきたならわたしたちの居場所は無い」というのが、札幌集会の
スローガンだった。
 ブラックアウト対策には、本州からの電源ケーブルの増設。自然(再生可能)エ
ネルギー発電のための送電線網の速やかな開放などがある。
 「次の戦争がおきたならわたしたちの居場所は無い」。
 それがミサイル戦争時代のスローガンだ。

       (10月16日東京新聞朝刊25面「本音のコラム」より)


〔193〕掛け値なしに、波瀾万丈のドイツ周遊1ヶ月の旅でした。

2018年10月14日 | 旅行記
 9月7日(金)から10月5日(金)まで、約1ヶ月にわたってドイツを中心にベルギー、オーストリア、イタリアなどにも足を伸ばし、ヨーロッパ旅行を楽しんできました。連れ合いとの旅でしたが、彼女はドイツは15回目だそうですが、私はどうやら12回目ぐらいになりそうです。
 そんなわけで久しぶりのブログ更新になりました。市民運動や演劇教育に関することに対してもますます書きたいことがあるので、これからもお付き合いください。

 さて、今回の旅の最大の目的は、妻の新刊『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』(丸善プラネット)15冊をトランクに詰めて、お世話になったドイツの友人たちにお渡しすることでした。この写真集は245ページにもなり、紙質もいいのでかなりの重量になります。2人のトランクに分散させても相当に重くなりました。小さめの手荷物トランクやリュックにも分散させながら、エコノミークラスのトランクの重量制限、1個あたり23キロ以内ぎりぎりでパスすることができました。
 お礼参りの旅の様子については、妻のブログに詳述されるのではないかと思われるので、是非そちらも注目してください。

 私のブログでは、旅のもう1つの目的であるミヒャエル・パッハー祭壇巡礼、オーストリアからイタリアのチロルの旅をかいつまんで書くことにします。
 ミヒャエル・パッハーという画家であり彫刻家は日本ではあまり知られていませんが、イタリアのミケランジェロより40年ほど早く生まれ、ミケランジェロに匹敵するほどの力量のあるチロルの作家です。(妻の新著にわかりやすい年表が掲載されています)ミュンヘンのアルテ・ピナコテークにある祭壇画が代表作ですが、なぜかあまり目立ちませんし、私たちもそれを見つけるのに時間がかかりました。今回の旅ではミュンヘンに立ち寄ったので、じっくり見てきましたが。
 2年前にアルテ・ピナコテークを訪れたときに、ドイツ語で書かれた『ミヒャエル・パッハー』(ルーカス・マーダースバーカー、ドイツ美術出版社、2015)という大冊を手に入れました。359ページもある大きな本で、何とかトランクに詰めて日本に持ち帰ったのです。そこにパッハーの13作品が紹介されていました。
 パッハーは現在の北イタリア、チロル地方にあたるブルネックに生まれ、ザルツブルクでなくなっています。作品の多くはオーストリアやイタリアに残されています。最も有名なのはオーストリアのザンクト・ヴォルフガング教会の祭壇です。彫刻も絵も彼が仕上げたことになっています。私どもはかつてこちらにも足を伸ばしましたが、撮影禁止ということで、画像だけ提供していただき、妻の新著に掲載されています。とてもいい写真です。
パッハーの作品の多くが現在の北イタリアで制作され、現在もそれが鑑賞できるということで、オーストリアからイタリアに越境することにしました。目指すはブルネック近郊の聖ローレンティウス教会(現在唯一残るのは聖母子像、アルテ・ピナコテークの祭壇画はここにありました)とグリース祭壇です。そしてさらにオーストリアのハイリゲンブルートのヴィンツェンツ教会の3カ所でした。アルプスが見えるオーストリアの素敵なチロルの町、リーエンツを根城に3泊し足を伸ばしたというわけです。
 聖ローレンティウス教会は誰もいませんでした。目指す聖母子像は3,4メール高いところに鎮座していました。説教台(カンツェル)が上れるようになっているため、距離はありますが間近で拝観できました。グリース祭壇には多くの観光客が押し寄せていましたが、作品は実に神々しくて素晴らしいものでした。こちらも緑はじっくり撮影をすることができました。
 そしてさらにハイリゲンブルートのヴィンツェンツ教会、『地球の歩き方』にパッハー作品と書かれていたのですが、『ミヒャエル・パッハー』にはその記載がありません。著者はこの作品を知らないのかなと疑ったのですが、現地で購入した冊子にはパッハーの弟子の作品となっていました。ザルツブルクのドーム博物館の聖母子像もハッパーの周辺作家(ウムクライス)となっているので著者は記載しなかったのでしょうか。

 パッハー以外にも多くの収穫がある旅でした。ベルギーのへールにあるシント・ディンプナ教会の祭壇にたどり着くまでがジュッセルドルフからの日帰りで、1日がかりの大旅行でした。 予期せぬ出合いもありました。何度か訪ねていたフランクフルトのカリメリテ修道院のラート・ゲープの大壁画が見事に修復されていました。しかも無料でした。レーマー広場からも数分のところでおすすめの場所です。 

 私のパソコンの立ち上げ画面は4年前からオーストリアの世界遺産の街、ハルシュタットの湖畔風景でしたが、今回の旅行後、ハイリゲンブルートのヴィンツェンツ教会に切り替えました。背景のアルプスの中にオーストリア最高峰のグロースグロックナー(3797メートル)が控えています。観光客も少なく、雲一つない青空が広がっていました。この教会に素敵なパッハー作品が鎮座していました。
 15冊の写真集も手渡せて今回も充実した旅行になりました。
 97歳の母も元気で帰りを待っていてくれました。