後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔704〕「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」、鎌田慧氏講演会に行ってきました。

2024年06月23日 | 講座・ワークショップ

 昨日、2024年6月22日(土)は「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」ということで、ルポライターの鎌田慧さんの講演会が国立ハンセン病資料館映像ホールでありました。清瀬・憲法九条を守る会、清瀬・くらしと平和の会の仲間と大挙して参加してきました。
 鎌田さんは1時間45分の長時間、ほとんど資料もご覧にならないで、語り続けられました。テーマはまさに「冤罪を追う」。財田川事件、狭山事件、袴田事件、弘前大学教授夫人殺人事件など、現場に足を運び、当事者と対面しながら知り得た事実・真実を訥々と語られました。ルポライターとしてのナマの凄みがそこにはありました。

 10分程度でしたが、冤罪犠牲者の会事務局の野島美香さんの菊池事件のお話もありました。菊池事件は、あるハンセン病患者の冤罪事件です。そのレジメの一部を紹介します。

 講演会傍聴者の中に、『それぞれのカミングアウト』を出版された八重樫信之、村上絢子ご夫妻もいらっしゃいました。

 鎌田さんは近々鎌田慧セレクション『現代の記録』(全12巻、皓星社)を出版されるそうです。私の書棚に収まっている『鎌田慧の記録』(全6巻、岩波書房)は1991年刊行ですから、全集としては三十数年ぶりということになります。
 次に私が期待しているのは、大杉榮、鈴木東民、坂本清馬、太宰治、葛西善蔵などの鎌田慧評伝全集です。どうでしょう、鎌田さん。


〔656〕公開学習会「袴田事件の現状と再審公判の手続」(無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会)のお知らせです。

2024年02月01日 | 講座・ワークショップ


 50回公開学習会「袴田事件の現状と再審公判の手続」(無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会主催)のお知らせが届きました。3月3日(日)、カトリック清瀬教会で開催されます。 
 合わせて、無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会の会報が同封されていました。16頁にも及ぶものです。本号はなんと112号になります。その活動に敬意を表したいと思います。



 お馴染み、鎌田慧さんのコラムをどうぞ!

◆祝島の反原発闘争        鎌田 慧(ルポライター)

 上関原発(山口県)に島ぐるみで反対していた「祝島島民の会」の創
設者・山戸貞夫さん(73)と十数年ぶりに電話で話した。
 彼は18年前、現地での実力闘争で頸椎(けいつい)を損傷したあと転倒
を繰り返し、ついに重度の脊椎損傷で下半身不随。7年前介護老健施設
に入居して車椅子生活。

 それでも個人通信『祝島情報』を発行して、四国電力と町長など町の
幹部とが癒着する「企業城下町」批判などを書いて全国の読者に発送し
続け「体が動かなくとも気力で勝負」と意気軒昂(けんこう)だ。
 中国電力は昨年8月、 買収した原発用地に、関西電力と共同で「使用
済み核燃料」の中間貯蔵施設を建設すると発表。年が明けた24日、いき
なりボーリング調査と称して森林伐採を開始した。

 上関原発は、1982年に2基建設計画が発表された。が、40年たっても
未完成。瀬戸内海に突き出たかぼそい半島の先端にある長島、そのさら
に端っこが予定地。
 しかし、鼻先にある祝島の島民がこぞって反対。
 中国電力は町長を龍絡したり寄付金を配ったりして建設用地を獲得し
たものの、福島原発大事故発生もあって頓挫している。
 中間貯蔵施設の受け入れは原発交付金や固定資産税などが入るまでの
「中間収入」を図る算段。
 瀬戸内海の真っただ中に、ふたつの核施設を建設するなど尋常の沙汰
ではない。未来なき原発の現状だ。
        (1月30日「東京新聞」朝刊23面「本音のコラム」)

〔643〕木村まきさんを偲んで「治安維持法の時代を考える」(横浜事件・生活図画事件・植民地弾圧)-ギャラリー古籐で開催されます。

2023年12月14日 | 講座・ワークショップ


 私たち清瀬の市民運動の仲間であった木村まきさんが急逝されました。私たちがドイツに滞在中の8月14日に死去しているのが発見されました。まさに私と同世代、享年74歳でした。
 彼女は練馬区の江古田にあるギャラリー古籐で、「治安維持法の時代を考える」(横浜事件・生活図画事件・植民地弾圧)という企画展を発案したということです。その展覧会がいよいよ12月19日(火)から24日(日)の6日間、開催されます。本日の朝日新聞にも紹介されていました。



 まきさんを追悼するため、初日の19日(火)に仲間と出席する予定でいます。

〔584〕「繁栄の陰に隠された旧日本軍兵士のPTSD」「自衛隊で横行するイジメ・セクハラ問題」そして「憲法違反の『安保3文書』ってなあに~?」の講演会です。

2023年05月01日 | 講座・ワークショップ
「新しい戦前」と言ったのはあのタモリだそうです。まさに今は戦争前夜でしょうか。
 こんな流れに抗する講演会が開かれます。コロナを怖がってはいられませんね。

◆西崎典子さんのメール
 今回の主催者のお二人は黒井秋夫さん方と交流を重ねてきました。
 戦争に行ったお父さんがPTSDだと後年知った黒井秋夫さんは、他の、PTSDとなった兵士の家族と共に戦争の痛ましさを深く知り、平和を求める活動を続けています。

 今回は現在の「実力組織」、自衛隊に巣くう問題もとりあげ、シンポジウムを開きます。 表に出てきにくいテーマです。
 ぜひお越しください。   ここまで 西崎(東久留米)



---------- Forwarded message ---------
皆様に

 岸田政権は、昨年12/16、「安保三文書改定」を閣議決定し、国会審議を経ぬまま、
 国防政策を「専守防衛」から「敵基地攻撃能力保有」に大転換してしまいました。
 このまま、日本が軍事大国化していって良いでしょうか?
 そもそも、戦争とは何か?私達は今、きちんと振返り、向き合うべきではないでしょうか?
 そこでこのたび、下記の通り〈脱・戦争〉シンポジウムを開催する運びと共に考えたく、ご参加を心よりお待ちしております。

         記  
日時:5/9(火)13:30~17:30  (開場13:00)
場所:参議院議員会館・講堂
(開場前に議員会館入口で入館証を配布)

登壇者:
○三宅勝久 ジャーナリスト
    『絶望の自衛隊』著者
 ○黒井秋夫「PTSDの日本兵と
     家族の交流館」館長

プログラム:
第一部(演題) 
①繁栄の陰に隠された旧日本軍兵士のPTSD        
  黒井 秋夫
  ②自衛隊で横行するイジメ・セクハラ問題
   三宅 勝久 氏
第二部/シンポジウム"脱・戦争"
〜あの戦争の後始末もできないまま、また戦争をやるのか?〜 (クロストーク)
主催:PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会 (担当 藤宮礼子・小泉恵美)


 そしてもうひとつの講演会は清瀬で開かれます。



●たんぽぽ舎メルマガ 4719号

     袴田事件の袴田巌さんに再審開始決定!
       東京高等検察庁に「特別抗告をしないで。
       今度こそ再審開始を!」のハガキを出して下さい
          溜口郁子(無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会)

 皆さんご存知のように、3月13日(月)に東京高裁より袴田事件の袴田
巌さんに再審開始決定が出されました。袴田事件はまさかの東京高裁棄
却より、4年を費やされてしまったため、袴田巌さんやお姉さんたちが
待ちわびた日でした。
 遡って9年前に静岡地裁は「著しく正義に反する。」として、再審開
始を認める決定をしました。

 そして即日に小菅拘置所より晴れて釈放された袴田巌さんの姿を見た
あの日の震えるような感動は忘れません。その時も「重要な証拠が捜査
機関に捏造(ねつぞう)された疑いがある。」と触れられていたのに、
静岡地検は東京高裁に即時抗告を出してしまったのです。
 「今回こそは大丈夫だ。」と回りの方たちは言ってくださいます。

 でも、私たちは本当には喜べないのです。
 東京高検が特別抗告をする期限は3月20日(月)です。
 今度こそ検察は血の通った判断をしていただきたいと思っています。
 東京高等検察庁に「特別抗告をしないで。今度こそ再審開始を!」の
ハガキをお寄せください。
 できましたら17日までに東京高等検察庁に届くようよろしくお願いい
たします。
 あて先
 〒100-8904 東京都千代田区霞ヶ関1-1-1 中央合同庁舎6号館
        東京高等検察庁 畝本直美検事長 殿

〔558〕2月19日(日)、マイナンバーカードと給食の無償化について、白石孝さんにお話をうかがいます。

2023年01月24日 | 講座・ワークショップ
 このブログで以前に白石孝さんのご著書を紹介したことがありました。個人的にも我々夫婦のミニコミ誌「啓」を読んでいただいていたり、逆にピアノコンサートにご招待いただいたり、昔から親しくさせていただいています。しかしながら、じっくりお話をうかがうことは今までありませんでした。清瀬の地でこうした学習会が開かれるのはとても嬉しいことです。
 当日は司会をすることになりました。読者の皆様とお会いできれば嬉しいです。



主催 ● 清瀬・くらしと平和の会
お問い合わせ ● 042-493-2982 ● fuseyume@krc.biglobe.ne.jp
        または、携帯電話・090-9969-7655(布施さん)
● 学 習 会 ●

清瀬でいっしょに考えたい
【 マイナンバーカード 】と
【 給食の無償化 】

● 講 師 ●

白石 孝さん
(しらいし・たかし)

●「荒川区職員労働組合」顧問、「プライバシー・アクション」代表、NPO法人「官製ワーキングプア研究会」理事長、NPO法人「アジア太平洋資料センター(PARC)」共同代表ほか。● 1974年に荒川区に入区し、2000年から2011年まで職員団体書記長をつとめ、働く者の立場から自治体行政の改善に取り組む一方、個人情報保護、給食の無償化、非正規公務員、地方自治、多文化共生など、幅広いテーマに精通し活動する。

● 日時: 2023年 2月 19日 (日)
      13:30   開場  16:30   閉会
      14:00   ふせ由女(清瀬市議)の市政報告
      14:15   白石孝さんのお話と質疑応答


● 会場: 男女共同参画センター【アイレック】会議室    

          西武池袋線「清瀬駅」北口右側(徒歩2分)
                「アミュービル」4階
※ 資料代:200円
※ 定員:40名(先着順)

この学習会が、多摩地区のタウン紙アサココに紹介されました。(2023年2月2日)
この記事の連絡先が違っていました。ごめんなさい。正しくは、携帯電話090-9969-7655(布施さん)です。



  せっかくブログに来ていただいたので鎌田慧さんのコラムもどうぞ。

 ◆岸田訪米のあとで     鎌田 慧(ルポライター)

9日未明、岸田文雄首相は政府専用機で欧州と米国にむけて出発した。
安倍氏国葬の弔問に来なかった首脳たちと5月に広島で開催されるG7
サミットで会う。「地球規模の課題について議論をリードしていく
責任を担う」その準備か。
 「リード」できるかな、との懸念が強い。会見するバイデン米大統領
からまたなにか、安倍晋三元首相のように、高い買い物リストを押しつ
けられるのではないか。

 安倍首相時代は米国との集団的自衛権行使容認を閣議決定、オスプ
レイやF35ステルス戦闘機などを爆買いした。岸田首相は敵基地攻撃
のために長距離巡航ミサイル「トマホーク」の爆買いを決め、防衛予算
を倍増させる方針だ。これまで5年間で25兆円余だった防衛費はこれか
らの5年間で60兆円にされる(本紙、12月31日)。

 岸田首相、保守リベラル標榜の「宏池会」会長ながら「専守防衛」の
思想からすでに逸脱。いまは右派「安倍派」操作のロボットか。「戦争
の永久放棄」。この世界に冠たる平和憲法の下で、戦争準備を公然と
進める。
 米国の戦争は日本の「存立危機事態」。緊急事態に於ける基本的人権
の侵害が、ワイマール憲法下、ヒトラー「全権委任法」の突破ロに
なった。
 「敵基地攻撃能力の保持」。敵の攻撃の「着手」 段階で反撃する。
 岸田政権、いまもっとも危険な政権だ。
  (2023年1月10日「東京新聞」朝刊23面「本音のコラム」より)

◆沈思実行(129)
  増税論よさようなら
  「軍備増強のための増税」は絶対反対

                   鎌田 慧

 岸田ゾーゼイ首相の人気は、ますます落ち目。べつに期待していた
わけではない。
 が、安倍派の「清和会」があまりにも酷かったし、後継の菅は、陰気
だった。岸田は「軽武装・経済優先」の池田勇人由来の「宏池会」会
長。リベラルな派閥が売り物だった。
 が、いまやおなじ穴のムジナ。いきなり「国葬」を打ち上げ、全国的
な「国葬反対」運動を引き起こした。閣僚の辞任続きでボロボロ。やる
ことなすこと世論を刺激し、ついに増税。それも軍備強化のためだから
安倍亡霊の支配のまま。

 台湾有事=日本有事。このフィクションを宣伝、とにかく米軍需
産業の廃品を大量に買いつける、アメリカ完全中毒。
 「新たな脅威に対し、日本人の暮らしと命を守り続ける」との危機感を
前置きにして「責任ある財源を考えるべきであり、今を生きる国民が
自らの責任として、しっかりその重みを背負って対応すべきである」と
岸田ご託宣。

 なぜ、戦争が「自らの責任」なんだ。戦争をさせないのが、お前の
責任じゃないか、と猛然たる批判があがった。生活を犠牲にして軍備を
強める。戦争国家に逆走する悲惨。安倍・菅・岸田の地獄への三段跳び。
 昔、ある首相は、しもじもの家庭のごみ箱を開けて歩いたとの伝説を
つくった。それでも戦争をやった。
 政治家三代目の岸田首相も、高級割烹での密談にふけるばかり
でなく、巷に満ちている生活苦の生の声を聴いて歩いたらどうか。

 スーパーの時間切れ割引食品を買い、電気料金を節約のためテレビ
もよほどでなければみない。新聞は図書館で見る。年金が下がって、
医療費が上がった高齢者の生活防衛策。
 「復興特別所得税」の一部を「防衛目的税」に流用して、期間を長期
化させる。「復興」を食い物にするな。だれも増税に賛成していない。

 米軍ともども戦う「集団的自衛権」を行使せず、「敵基地攻撃」の
準備のためのミサイルを買わなければ、防衛費倍増は必要ない。
 「軍事増強のための増税」は絶対反対。この運動を強めよう。
      (週刊「新社会」2022年12月28日第1288号)

〔508〕「緊急学習会 改憲問題と憲法審査会~大江京子弁護士の講演と傍聴人からの報告~」があります。

2022年08月30日 | 講座・ワークショップ
 憲法審査会ウオッティングを続ける西崎典子さんから「緊急学習会 改憲問題と憲法審査会~大江京子弁護士の講演と傍聴人からの報告~」のお知らせです。是非お集まりください。

◆憲法審査会ウオッティングをお送りする皆様へ(BCC)。
ご無沙汰していましたが、西崎より学習会のご案内です。

翻れば208通常国会の最終局面では、立憲民主党が提出した岸田内閣の不信任案は、
翌日午前の本会議で審議となり、時刻がだぶる憲法審は、流会になりました。
不評だった不信任案でしたが、「憲法審を開かせなかった」点では高評価でした。

その後、参院選の終盤に安倍元首相が銃殺されて以来、パンドラの箱があいたかのような
騒ぎが続いています。

その中で私たちのグループは首記の学習会を企画しました。
 お越しをお待ちしております。





●緊急学習会 改憲問題と憲法審査会 
~大江京子弁護士の講演と傍聴人からの報告~

 安倍元首相の国葬儀の強行、自民党政治家と旧統一教会の癒着など、政局は緊迫度を増しています。
秋には、改憲派が絶対多数を占める憲法審査会が再開されます。
 学習会では大江京子弁護士が「改憲問題と憲法審査会」について講演し
、憲法審査会の傍聴を続けてきたメンバーが体験談を語ります。
ご一緒に平和憲法を守る道を考えましょう。みなさまの参加をお待ちいたします。

講師:大江京子さん
 プロフィール 1996年弁護士登録・東京東部法律事務所に所属。
 改憲問題対策法律家6団体連絡会事務局長ほか種々の団体の事務局長・代表などを兼務。
共著『緊急事態と憲法』(学習の友社、2020年)。

日時:2022年10月8日(土)14:00~17:00 (開場13:45)
       保育はございません。※お子様とご一緒にどうぞ
会場:サンパルネ2階コンベンションホール (西武新宿線“東村山駅”西口徒歩3分)
資料代:500円     予約・連絡先 080-5035-7633(西崎) 
          080-3460-0657(泉)
 e-mail noriko8864shinano@gmail.com
          主催:みんなの憲法委員会
                                以 上


◆誰のための政治なのか
  原発政策の無謀、民主主義抹殺の国葬の強行

鎌田 慧(ルポライター)

 「国が前面に立ってあらゆる対応をとる」。岸田文雄首相の、原発を
稼働させよ、との大号令。「既設原発の最大限活用を」
 まるで「皇国の興廃この一戦にあり各員一層奮励努力せよ」。日本海
海戦にむけた、東郷平八郎のZ旗。あるいはウクライナの市街地を蹂躙
するプーチンの戦車に大書されたZ印。

 これまでの11年間、 私たちが福島の人々と共に広げてきた、原発から
脱却する運動を有無を言わさず踏み潰す「対応」。
 原発の再稼働ばかりではない。新増設やリプレース(建て替え)、
さらには運転期間の再延長。60年以上の運転も許されそうだ。

福島原発事故に奪われた故郷の山河、農業、漁業などの生業、 地域の
コミュニティー。
 あるいは子どもの甲状腺がん。労働者の被曝。
 ひとびとの奪われた健康と日常生活。それにたいする哀惜と畏怖。
 想像力と人間的な繊細な感情がない。
 もう一度、事故が発生したとき、国が、首相自身が、どう責任を取る
つもりなのか。

 いまからの原発新増設。はたして採算に合うのか。核廃棄物の処理は
どうするのか。ヒロシマ出身とはいいながらも、あまりにも核にたいし
て、不勉強、無神経だ。
 もうすでに「核燃料サイクル」の夢は破綻している。原発政策の
無謀。民主主義抹殺の国葬の強行。内閣支持率は急落している。誰の
ための政治なのか。
       (8月30日「東京新聞」朝刊23面「本音のコラム」)

〔420〕子どもたちのためのプレーパーク(冒険あそび場)を開きました。(矢部顕さん)

2021年11月22日 | 講座・ワークショップ
●福田三津夫様

昨日の日曜日、我が家の裏山にある備前亀山城跡で、子どもたちのためのプレーパーク(冒険あそび場)を開きました。



「プレーパーク」というのは、ヨーロッパから輸入された運動ですので、呼称として「プレーパーク」をそのまま使っているようですが、まだ「冒険あそび場」のほうがイメージが湧きます。

デンマークの造園家ソーレンセン教授の「こぎれいな遊び場よりもガラクタの転がる空き地や資材置き場で、子どもたちが大喜びで遊んでいる」という長年の観察に基づいたものが出発点だったとのことで、その考え方が多くの人に支持され、イギリス、ドイツ、スウェーデンなどヨーロッパを中心に広まりプレーパークが整備されたということです。

日本では、1979年には世田谷区に日本初の常設「羽根木プレーパーク」が誕生したことで知られています。
日本への導入期に、門脇厚司さん(ラボ言語総研でご一緒の)は大きな役割をなさったようです。最近でも、プレーリーダーの研修会の講師を務めていらっっしゃることを、我々のところに来てくれた若いプレーリーダーから聞きました。

我々が子どもの頃の日常的な遊びの世界に他なりませんが、今はこうでもしないと遊べないのかなぁと思いつつも開催して4年目になります。

農繁期が終わったこの季節、年に一回の恒例となりました。子どもたちや若い親たちのためには、年に何回かやりたいと思って始めたのですが、こちらもそろそろエネルギー不足になってきましたので、若い人たちに引き継ぎたいと思っています。

矢部 顕

〔325〕平田オリザ氏ウェブセミナー「演じる体験,表現する体験で育つもの」と鎌田 慧氏講演会「永山則夫と六ヶ所村」と展示会のお知らせです。

2021年01月18日 | 講座・ワークショップ
 2つの興味深い講演会のお知らせです。どちらも面白そうですよ。

●ラボ・パーティ会員,保護者のみなさま

日頃はラボ・パーティ教育活動にご理解,ご協力をいただきありがとうござます。

ラボ55周年記念イベントとして,劇作家・演出家の平田オリザ氏をお招きし,ウェブセミナー(ZOOMウェビナー)を開催します。
「演じる体験,表現する体験」を通じて,どのようにことばを育て,コミュニケーションできる子どもを育むことができるのか。
今回のウエブセミナーでみなさんと考えていきたいと思います。
子育て,言語教育,英語教育,演劇教育,コミュニケーション教育に興味をおもちの方に,ご参加いただきたく思います。

<イベント>
平田オリザ氏ウェブセミナー「演じる体験,表現する体験で育つもの」
2021年2月13日(土)13:30~15:00

参加費:一般1,100円 ラボ会員世帯990円
*お申込み時に「ラボ関係者」を選択してください。
*お支払いはクレジットカード決済となります。


<お申込み>
申込開始1月15日(金)正午より,外部サイト「こくちーずプロ」経由にて先着順で申込み受付となります。
以下のリンクよりイベント詳細をご確認のうえ,お申込みください。
https://www.kokuchpro.com/event/labohirata0213/


【平田オリザ氏 プロフィール】
1962年東京生まれ。劇作家・演出家・青年団主宰。こまばアゴラ劇場芸術総監督・城崎国際アートセンター芸術監督。
1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞受賞,2019年『日本文学盛衰史』で第22回鶴屋南北戯曲賞受賞など多数受賞。
兵庫県豊岡市に2021年から開学予定の,芸術文化観光専門職大学の学長予定者となっている。


以上,お知らせいたします。みなさまのご参加をお待ちしております。

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メールアドレスから配信しております。
本メールにご返信いただいてもご対応いたしかねますので,
あらかじめご了承願います。
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【発行元】
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●1/28(木)講演と展示にご参加を!
 鎌田 慧氏講演会「永山則夫と六ヶ所村」と展示会

 日 時:1月28日(木)18時より21時
 会 場:「スペースたんぽぽ」(高橋セーフビル1F)
 講演会の参加費:1000円 (予約必要です)
 鎌田 慧氏のリアル講演会は
 第1会場:東京学院ビル(貸教室・会議室内海)2階
      (千代田区神田三崎町3-6-15)
 鎌田 慧氏のWEB視聴は
 第2会場「スペースたんぽぽ」(たんぽぽ舎内)
      (千代田区神田三崎町3-1-1高橋セーフビル1F)
 《展示会の会場》(無料):たんぽぽ舎小会議室
 主 催:いのちのギャラリー https://twitter.com/InochinoG
 参加方法:予約申込制
 《予約受付》いのちのギャラリー 090-9333-8807(市原)

〔248〕理路整然とした柳原敏夫弁護士のお話がうかがえたチェルノブイリ法学習会でした。

2020年01月31日 | 講座・ワークショップ
 ブログ〔245〕でお知らせした、清瀬で初めて開催された「チェルノブイリ法 日本版」 ―私たちの 避難基準は 大丈夫?―の学習会が参加者に充実感を与えて終了しました。講師の柳原敏夫弁護士(市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会共同代表、「子ども脱被ばく裁判」弁護団など)のお話が理路整然で圧巻、1時間半があっという間に過ぎ去りました。演題は「私たちが『チェルノブイリ法日本版』に至る道-それは知識ではなく、動物的勘そして愛」です。
 その時の学習会の様子を福田緑は以下のようにまとめています。

●「チェルノブイリ法 日本版」 ―私たちの 避難基準は 大丈夫?―
 柳原敏夫弁護士のお話はエネルギッシュだった。思いが迸り出るように話が続く。そのポイントをいくつかにまとめてみた。
◇ミッシェル・フェルネックスの発見
 研究者たちを驚かせた次の発見―――遺伝子の損傷は、親から子、子から孫へと世代を経るごとに、その程度がより重くなっていくという、『遺伝子の不安定』という問題。野ネズミの実験で遺伝子の変異の出現数が通常の百倍以上に達することがあることが判明(フェルネックス「福島の失われた時間」)。
 現在、この遺伝子の損傷が着々と進んでいるのだ。福島だけでなく、ここ清瀬でも例外ではない。
◇郡山からの避難者、長谷川克巳さん(子ども脱被ばく裁判の原告)のことば
 長谷川さんは以下のように語っている。
「とうとう原発が爆発したぞ」と言ったら、同僚に「今それどころじゃないですよ、目の前のことで大変なんですから。原発が爆発したなんて、かまってられないすよ」と言われ、ハッと思った――この人は大小の区別がつかない。私はただ「危ない」と思ったのだ。その理由は、小さい子どもがいたからだ。それは「動物的勘」で、危ないものには近寄るな。危ないか危なくないか迷ったときには、危ない方に寄せて物を考える。子どもが一人いて妻は妊娠中という状況で、家族を守るためにはここから逃げるしかないと思うようになり、半年後に仕事も捨て、人間関係も捨て、故郷も捨てて静岡に避難した。
 長谷川さんは、これが「予防原則」だということを後で知る。
◇年間20ミリシーベルトの土地に戻れということの意味
 「それは国による立派な児童虐待です!」と柳原弁護士は断言する。それまで年1ミリシーベルトだった一般人の実効線量限度(環境省による)を、原発事故後に国は帰還地域だけ一気に20倍まで大丈夫ということにしてしまった。そのような、本来なら違法の実効線量の土地に避難者の家賃支援まで絶って追い返すのはなぜなのか。
◇チェルノブイリ法日本版とは?
 チェルノブイリ法日本版のエッセンスは「予防原則」。この理不尽な日本社会の中で、このまま黙って引き下がるわけにはいかない。大人の責任として、台風のときと同じように「万が一のことを考えて早めに避難してください」というのが当然なのに、避難家庭に帰還を強要する状況そのものがおかしいのだ。避難家庭には避難する権利があり、国には救済する義務がある。避難せずに高線量の土地に住み続けている人々を救済する義務もある。それを法律としてやらせていくことがチェルノブイリ法日本版の役目。チェルノブイリ法は事故後5年でできている。日本は既に9年も経っているのに何もできていない。私たちができるところから声を上げて市民法を作っていかなくてはならない。
◇まとめ
 清瀬でもまだ放射線量の高いところがあり、毎日幼い子どもたちの身体の中で遺伝子の損傷が進んでいくことは避けられない。今後チェルノブイリ法日本版の内容を具体的に学び、清瀬の地から市民法への一歩を踏み出すことができるよう、考えていきたい。
<参考>
 国際放射線防護委員会(ICRP)の2007年勧告では、放射線作業(緊急時の作業を除く)を行う職業人の実効線量の限度は5年間で100ミリシーベルト、特定の1年間に50ミリシーベルトと定められています。 一般公衆の場合、実効線量限度が年間1ミリシーベルトと定められています。
環境省のHP https://www.env.go.jp/chemi/rhm/h30kisoshiryo/h30kiso-04-01-11.html
                                      (まとめ 福田 緑)

 実は柳原弁護士は、講演後一両日中にこの学習会の報告をサイトにしたためているのです。その早業というか、力量には舌を巻きます。是非下掲のブログにアクセスしてみて下さい。柳原さんのコメントも紹介しておきます。

●私のほうも学習会の動画、レジメ、プレゼン資料をアップした報告をブログに出しましたので、お知らせします。

【報告】もう1つのAct locallyに挑戦した、東京都清瀬市、1月25日(土)の市民立法「チェルノブイリ法日本版」学習会
https://chernobyl-law-injapan.blogspot.com/2020/01/act-locally.html

 ここ2年以上やってきました学習会が、今回、これまでとまったく違ったスタイルに挑戦し、聞かれた皆さんは大いに戸惑われることがあったかもしれませんが、私としては、とても手ごたえを感じていまして、今後ともこれをもっと推し進めたいと思っております。
 このような貴重な機会を作っていただき、感謝の言葉もありません。
 今後とも引き続き、よろしくお願いいたします。

■東京新聞(2020年2月2日)にチェルノブイリ法学習会の記事が掲載されました。


〔238〕講演会「元特攻兵 岩井兄弟からの最後の証言」はまさに「戦争の不条理」が語られました。

2019年11月11日 | 講座・ワークショップ
 朝日新聞に下掲の記事が掲載されたとき、これは絶対行かなくてはならないと思いました。少し前にベストセラー『不死身の特攻兵』(鴻上尚史、講談社現代新書)を読んだばかりで特攻について興味を持ったからです。(『不死身の特攻兵』についてはブログの最後に紹介します。)


■元特攻隊員の兄弟 戦争の不条理を語る 早大で9日
「生きたかったが、言えない空気あった」(朝日新聞、2019年11月6日)

 太平洋戦争中に特攻隊員となった兄弟が9日、新宿区で講演し、体験を語る。ともに90代後半。戦争の不条理さや命の尊さなどを訴える。
 兄弟は、岩井忠正さん(99)と忠熊さん(97)。
 忠正さんは1943年、慶応大文学部2年生だったときに神富外苑で行われた学徒出陣壮行会に参加し、海軍に入,た。人間魚雪「回天」や、竹ざおの先に付けた機雷で海底から米軍の艦艇の底を突く人間機雷「伏龍」の訓練を受けた。だが、肺結核にかかったと疑われるなど、実戦に出ることなく終戦を迎えた。
 忠熊さんは、京都帝国大文学部1年生だつた43年に海軍に入った。航海学校で航海術を学び、木製の小型ボートに爆弾を載せて敵艦に突っ込む「震洋」の要員となった。訓練をしているうちに終戦。戦後は、日本近代史の研究者となり、立命館大学副学長も務めた。
 2人は90年代からそれぞれに体験を語ってきた。2002年には著書「特攻 自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言」を出版。講演会を主催する「不戦兵士・市民の会」によると、2人が講演で一緒に話すのは今回が初めてという。
 忠正さんは「特攻隊員がみんな喜んで天皇のため、お国のために命を捧げようと思っていたわけではない。本当は生きたかったが、それを言ってはいけない空気があった」と話す。「沈黙は中立ではない。自分と同じ過ちをしないでほしい」
 会の事務局長の森脇靖彦さん(75)は「2人で一緒に話すのは最初で最後になるかもしれない。貴重な経験を持つ2人の話が聞けるまたとない機会だ」と話している。
 講演会「元特攻兵 岩井兄弟からの最後の証言」は9日午後1時半から早稲田大9号館5階第1会議室で。資料代1千円(学生無料)。問い合わせは不戦兵士・市民の会(0438・40・5941)へ。
                                      (黒田壮吉)

 久しぶりの早稲田大学でした。かつてブログにも書きましたが、湯山厚さんのお話が聞けるということで数年前に訪ねて以来でした。余裕を持って家を出たのですが、早稲田大学の9号館を探し当てるのに迷ってしまいました。それでも開会15分前に会場に着いたのですが、すでに二教室分が満席で、わずかに残った後方の席になんとか座ることができました。おそらく400人以上は来ていたでしょう。やはり我々世代が多かったようですが、もう少し若い研究者とみられる人たちも前の方に陣取っていたようでした。わずかですが、学生たち若い世代も混じってはいました。
 岩井ご兄弟は耳が遠くなったとはいえ頭脳は明晰でした。忠正氏の娘さんの「通訳」で貴重な証言を数多く聞くことができました。


●2019年11月9日不戦大学【岩井兄弟】関係の配布資料 191109配布
「元特攻兵(回天・伏龍・震洋)岩井兄弟(99歳・97歳)からの最後の証言」
1.講師紹介

 1.1 岩井忠正氏
 1920年熊本市生まれ 現在99歳 父勘六氏は陸士四期、陸軍少将(山形出身)慶應義塾大学在守中に学徒出陣で、1943年12月横須賀の武山海兵団に入団。
 1944年、第四期兵科予備学生(3270人 元参議院議員・田英夫、『戦艦大和の最期』の著者・吉田満、作家の庄野潤三らが同期)となり、同期生400人と共に機雷学校(久里浜 在学中に対潜学校に改称)入学、同年秋、特殊兵器搭乗員募集(形は自由意志だがほぼ強制)に応じ、「特殊兵器要員」(40人)に採用される。長崎の川棚の「臨時魚雷艇研究所」で弟・忠熊氏と会う。「対潜学校」「航海学校」出身の80人が「回天隊」に配属され、11月下旬そのうち30人が山口県光基地の「八期士官講習員」となる(同期に和田稔、武田五郎などがいた)。1945年4月、天一号作戦で沖縄に出撃する戦艦「大和」を目撃する。呉の潜水艦基地、次いで横須賀の対潜学校へ転勤、「伏龍」部隊に配属される。訓練中の事故で入院、7月、瀬戸内海の情島に移動、8月6日、広島の原爆投下の閃光と大爆音に遭遇。
 復員後、商社員をへて翻訳業 著書『特攻 自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』(忠熊氏と共著
新日本出版社)

 1.2岩井忠熊氏
 1922年熊本市生まれ 現在97歳 忠正氏の弟(六男) 大連二中から姫路高校に進学。京都帝国大学在学中に学徒出陣で、1943年12月、兄忠正氏と同じく武山海兵団に入団。
 1944年第四期兵科予備学生となり、7月、航海学校(横須賀)に入学、そこから空母『信濃』の甲板を走る自転車が見えた。休日外出の際は鎌倉の知人宅で忠正氏と落ち合った。10月特攻配置となり、長崎・川棚の「臨時魚雷艇研究所」で忠正氏と会う。移動の急行列車で和田稔と同席になる。12月海軍少尉任官。第三九震洋隊の艇隊長となり1945年3月22日、海軍徴用船「道了丸」で石垣島に向かう。途中、アメリカ海軍の潜水艦「スペードフィッシュ号」の攻撃で轟沈、約3時間漂流する。同隊は187人中143人が戦死、他に乗組員・警戒隊員などを合わせると260人が戦死。救助後、佐世保に帰港、魚雷艇訓練所改め川棚突撃隊教官となる。6月、第106震洋隊艇隊長となり、熊本県天草諸島の茂串基地に着任、8月9日昼食時に大爆発音を聞き、キノコ雲を見る。火山の爆発という報告だったが、数日後特殊爆弾で長崎が壊滅したことを知る。
 終戦後京都に帰る途中、壊滅した広島を見る。復員後、京都大学文学部卒業(日本近代史専攻)、立命館大学教授・文学部長・副学長を歴任 著書『近代天皇制のイデォロギー』『陸軍・秘密情報機関の男』『「靖国」と日本の戦争』(新日本出版社)『天皇制と歴史学』『学徒出陣』『大陸侵略は避け難い道だったのか』(かもがわ出版)『明治国家主義思想史研究』(青木書店)『西園寺公望』(岩波新書)他多数。


 岩井兄弟の対談ではなく、女性研究者の司会による交互インタビューという形で進行していきました。2人の話は共通するところも多く、大逆事件で大杉栄、伊藤野枝など3人を虐殺したとされる甘粕正彦に大連の自宅で会っていること、南京虐殺を目撃している軍人が母親に話していたことを聞いたという生々しい話も飛び出しました。
 特攻は志願ではないこと、死ぬことから逃れられないこと、逃げるのは卑怯ではあるが死ぬつもりはなかったこと、など語られていきました。残念ながら話されたことすべてを正確に再現することはできません。カメラが回っていたのでどこかで映像を見られるのではないでしょうか。
 太平洋戦争は侵略戦争であり、戦争責任は天皇・軍人に当然あるということ、「歴史」を忘れたときに戦争が始まる、歴史は人間が作るので未来は作ることができる…あまりに密度の濃いお話しでした。そのうちに会としての「総括」が発表されると思いますので、注目していきたいと思います。
 
 さて『不死身の特攻兵』についてです。鴻上尚史さんは演出家・作家で1度だけ「演劇と教育」誌でインタビューさせてもらったことがあります。9回突撃して、9回戻ってきたという日本人がいたことに驚かされました。戻ってくる方が死ぬより日本のためになるという確固たる信念を貫き通したのです。


■『不死身の特攻兵』鴻上尚史、講談社現代新書、2017年

       日本軍の真実          永江朗

 12月8日は日米開戦があった日。沖縄をはじめ全国に米軍の基地や施設があり、不平等な日米地位協定や航空管制など、“戦後"はまだ続いている。76年前に無謀な戦争をしなければ、そして、その前に愚劣な中国侵略を始めていなければ、こんなことにはならなかっただろうに。
 戦争の始め方もばかげていたが、終わり方も悲惨だった。面目にこだわった軍部は負けを受け入れようとせず、一般国民はひどい目にあった。
 日本軍の戦術でもっとも愚劣なものが特攻だろう。飛行機だけでなく操縦者の生命も失われる。日本軍が人命を軽視したことを象徴している。
 だが、出撃しても生きて帰ってきた特攻兵がいた。それも9回も。昨年の2月、92歳で亡くなった佐々木友次氏がその人である。鴻上尚史の『不死身の特攻兵』は、佐々木氏や特攻について調べたこと、佐々木氏へのインタビュー、そして、それらからこの劇作家が考えたことの三つの要素からなる。
 なるほどと思ったのは、特攻は兵士の誇りを傷つける作戦だったという話。体当たりせよという命令は、それまで訓練してきた急降下爆撃などの技術を否定するものだ。だから佐々木氏らは、命令に逆らって米軍の戦艦に爆弾を投下して帰還した。
 だが、軍は生還した兵士をねぎらうどころか冷遇する。早く再出撃して、こんどこそ死ねと迫る。体当たりして戦果を上げたと、天皇にも報告してしまったのだから、というのが軍幹部のいいぶんだ。しかも命令した上官は、米軍が迫ると台湾に逃げ出す始末。これが戦争の現実、日本軍の真実だ。(週刊朝日)

〔235〕念願の佐々木博『日本の演劇教育─学校劇からドラマの教育まで』を読む会を開催しました。

2019年11月05日 | 講座・ワークショップ
 佐々木博さんの著書『日本の演劇教育』を読む会を開催したいと思い続けてようやく1年3ヶ月たって実現しました。佐々木さんの体調がすぐれないということで延び延びになっていたのです。
 87歳になるという佐々木さんは杖をついて大塚の事務所まで来られました。夏に大病をしたということで、さすがに難儀そうでしたが、頭脳はいつものように明晰で、少しも衰えていませんでした。3時間ノンストップの話し合いに丁寧にお付き合いいただき、最後にはこれからの御自身の理論的課題についても4点すらすらと述べられました。
 佐々木さんと同世代の平井まどかさんも参加され、熱く劇遊び論を語られました。お二人に圧倒されっぱなしの、幸せで豊穣な時間と空間をいただきました。感謝のみです。
 
 その時のことを求められて文章に起こしました。読んでいただければ幸いです。



■佐々木博『日本の演劇教育─学校劇からドラマの教育まで』を読む会
          福田三津夫(前「演劇と教育」編集代表、白梅学園大学非常勤講師)

 著者の佐々木博さんを囲んで『日本の演劇教育』(晩成書房)出版記念会が開かれたのは2018年7月のことだった。参加者も多く、心ゆくまで本の感想を語り合えない状況だったので、私はあらためて『日本の演劇教育』を読む会の提案をし、その場で賛同を得た。かつて、副島功さん主宰「演劇教育の原点を探る」研究会(十数回、市橋久生コーディネート)、それを引き継いだ全劇研講座「演劇教育の原点を探る」(三回、福田コーディネート)に連なる研究会を思い描いてのことだ。
 しかし佐々木さんの体調が思わしくなく会は延び延びになっていたが、つい先頃日本演劇教育連盟事務所で待望の読む会を開催することができた。(2019年10月26日)出席者は佐々木博、平井まどか、神尾タマ子、市橋久生、畠山保彦各氏と私の6人。
参加者ひとりずつが丁寧に感想を述べ、佐々木さんにはその都度コメントをいただくという会の進め方だった。
3時間休みなしの話し合いの冒頭を飾ったのは畠山さんのレポートだった。この本を演劇教育研究の基礎的文献と押さえた上で、演劇教育の流れ、関わってきた人々の立ち位置や業績、その理念と進むべき方向性についてなどが読み取れたという。
参加者全員が異口同音に「演劇教育の先行文献になり得る素晴らしい本」「膨大な資料にあたって書き上げた労作」と讃えた。にもかかわらず佐々木さんはいたって謙虚で、原稿の至らなさを繰り返し語るのだった。
この本は冨田博之演劇教育論や演教連運動への偉大なるオマージュになっているだけでなく、それらを引き継ぎ、補強している。佐々木さんはメールで出版理由として「演教連の中に私という人間が存在したことの証かもしれない」と書いている。さらに宮原誠一や竹内敏晴(『ことばが劈かれるとき』以前の連盟とのかかわりに言及)の果たした役割などを活写していることも、当時を知らない私にとっては嬉しいことだった。
 そして第4,5章は演劇教育の中心的な課題として竹内敏晴の「語り」とコミュニケーションと対話を取り上げているのは合点がいくし、第6章「学校文化としての演劇教育を」
の提言も検討に値する。
 残された課題は、第3章「『ドラマ教育』の登場」の検討で、ドラマ教育、シアター教育、ドラマ活動、演劇教育、演劇的教育、ドラマの教育、ドラマのある教育などの用語の吟味、定義づけなどが必要になると思われる。 
最後に、佐々木さんがこれから解明すべき自身の課題として4つ述べられた。(竹内敏晴の変遷、小劇場運動と安保闘争、冨田エチュード方式とリアリズム演劇、演劇教育の目指すもの)それをうかがいながら、冨田さんが亡くなられる少し前の新年会で、取り組むべき10の仕事を熱く語られていたのを思い出していた。

〔138〕北村小夜さんの講演「軍国少女を生きて」、戦前ではなく今の話として聞きました。

2017年04月01日 | 講座・ワークショップ
  東京の多摩地区に配布されている地域新聞「アサココ」に以下のような講演案内が載っていました。これは万難を排して駆けつけなければと思いました。

■「軍国少女を生きて」2017年3月26日10時、くにたち福祉会館(谷保駅10分)。
 1925年生まれの北村小夜さん(元教員)が話す。スペースF・国立の教育を考える市民連絡会共催。

  北村小夜さんは教職員組合活動、地域の教育運動家、反戦教師として著名な方です。ネットに登場していた紹介文をコピーさせてもらいましょう。

●1925年生まれ。1950年から1986年まで東京都大田区内の小・中学校で教員(65年から退職まで中学校特殊学級担任)。子どもたちとの付き合いの中から子どもを分けてはならない事に気付き、共に学ぶ地域の学校づくりをめざしてきた。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」世話人。著書に「一緒がいいならなぜ分けた─特殊学級の中から」「地域の学校で共に学ぶ」(現代書館)他多数

  しかし、私にとってかなり近しい存在なのは、演劇教育の大先輩にあたるからです。日本演劇教育連盟主催の冨田博之さんを偲ぶ会だったでしょうか、この時に初めてお話しした記憶があります。その後、ミニコミ「啓」をお送りして読者になってくださいました。時々葉書や手紙も頂きました。そしてあるとき、段ボール1杯分の演劇書を送っていただきました。ご高齢になられたので活用してほしいということでした。ご著書を頂いたこともあります。しかしながら、そんな北村さんの話をしっかり聞く機会を持ちませんでした。そんな時に「アサココ」の情報が舞い込んだのです。
  小雨の降る日曜日の朝でした。1時間の講演が資料に基づいて始まりました。

●学習会「戦争は教室から始まる」資料
1,1938年の教室
2,国定第3期(1918~1933)修身教科書
3,現行の小学校音楽共通教材、ほとんどが文部省唱歌
4,歌詞だけ変えて歌われる戦争の歌
5,戦争と国家の健康管理
6,教育勅語と排除決議・失効確認決議
*戦争するには国民の逆らわない心と丈夫な体が必要である。ほぼその体制は整っている。

〔その他の資料〕
・「軍国少女への道」
・「躍進50年」朝日新聞創刊50周年のグラフ
・ 回覧「大東亜戦争必勝祈願」
・「唱歌(音楽)は修身の手段」
・『戦争は教室から始まる―元軍国少女・北村小夜が語る』の部分コピー

  とにかくたっぷりの資料が配付されました。この資料は家に帰ってからしっかりかみしめることにしました。
 軍国少女だった北村さんは、敗戦と同時に、身の回りにある「壊せるもの」を手当たり次第壊したそうです。戦争を熱心に推進していた時期は「忘れたい5年間」だったというのです。天皇のために尽くすということは愚かだし、くだらないことだし、その悔しさが忘れられないというのです。
  北村さんのような思いを共有しないで済むように、今できることをやっておかなくてはと肝に銘じた講演会でした。森友疑惑をうやむやにしないで、共謀罪法案を葬り去らなければなりません。
  最後に、北村さんの下掲の本を近々読んでみようと思ってます。

●『戦争は教室から始まる―元軍国少女・北村小夜が語る』「日の丸君が代」強制に反対する神奈川の会 (編集) 、現代書館 2008/9
〔内容〕戦前の教育はすでに復活している。修身=道徳・『心のノート』、体力手帳=『元気アップハンドブック』、愛国心を評価する通信表、歌い継がれる戦争の歌(唱歌)…。押し付けでなくより巧妙に、逆らわない心と丈夫な体づくりが定着している。二〇〇六年十二月から二〇〇七年六月にかけて、六回にわたって開催した北村小夜さんの連続学習会「戦争は教室から始まる―学校の戦前戦後、断絶と連続」の講演録。

〔103〕教師教育研究所の戦後教育実践セミナーで貴重な湯山厚さん、武藤啓司さんの話を聞きました。

2016年07月31日 | 講座・ワークショップ
 演劇教育の大先輩の湯山厚さんと武藤啓司さんの話が聞けるということで、早稲田大学に足を運びました。まずは早稲田大学教師教育研究所のホームページでその講演会の概要を見て下さい。

●2016年度 教師教育研究所 戦後教育実践セミナー
 2016年度の戦後教育実践セミナーでは2人の方をお迎えして戦後教育実践についてお話を伺います。
 今、教育が大きな曲がり角を迎える中で、戦後教育をふりかえり、その実践者から直接話を聞くことによって、現職の教員やこれから教職を目指す学生の、教育者としての資質の向上に資するばかりでなく、自分の進路を模索している学生や一般の皆さんにも、教育や教職への関心を高めていただくきっかけになるものと思います。
 多くの皆様の御参加をお待ち申し上げます。
日 時:2016年7月30日(土) 13時~17時30分
会 場:早稲田大学国際会議場 第三会議室
(JR山手線高田馬場駅下車20分、地下鉄東西線早稲田駅下車10分)
参加費:無料(先着50名)
懇親会:3000円(18:00~)
テーマ:ことば・授業・いのち -子どもとの出会いのなかで-
講 師・演 題:
13:00~14:30:「ことばと演劇教育」(仮)
湯山 厚氏 1924年~
国語教育から全員参加の学校劇の先駆的な実践者、教員を25年間、その後、75歳まで横浜国大等で教鞭をとる。さとの民話や伝説の収集・研究家でもある。
著書「学級づくりの仕事」「国語の授業」他
14:45~16:15:「同和教育に出会い楠の木学園へ」(仮)
武藤啓司氏 1935年~
横浜国大卒。都内小学校教員、同和教育に出会う。1995年フリースクール楠の木学園講師、園長、理事長。
著書「いのちが深く出会うとき」「巣立ちへの伴走」他。
16:30~17:30:鼎談
●主 催:早稲田大学教師教育研究所
●共 催:早稲田大学総合研究機構
●問い合わせ先:安達昇(教師教育研究所)
n.adachi@kurenai.waseda.jp

  行きなれていない早稲田大学の広い構内をうろうろしているうちに、定刻より10分過ぎの到着になりました。すでに湯山さんの講演「構成劇『コロの物語』誕生まで」は始まっていました。
  自己紹介として、出生、職歴、「演劇教育に関わるまで」などを語られた後、学芸会の話に進んでいきました。
 「当時、小学校では、学校行事の一環として、遠足、運動会、学芸会が定例行事として行われていたが、一般教師は、学芸会は負担だった。」
 そこで学芸会をどうしたら良いのか考えた結果、構成劇の誕生に繋がったというのです。
〔レジメより〕
・子どもたちは全員出演を希望(従来は有力者の子女が主役)
・子どもたちは一言でも台詞を言いたかった。
・拾ってきた捨て犬のことを劇化しようとしたが、子どもたちには書けなかった。
・子どもたちの作文や学級日記を参考に、湯山が脚本を書く羽目になった。
・従来ない形式なので、「構成劇」と名付けた。

『コロの物語』のあらましについては省略することにして、上演後どうなったかについて、やはりレジメから拾ってみましょう。
・それまでお客さんだった子が発言するようになり、教室が活性化する。
・『コロの物語』を「演劇と教育」(日本演劇教育連盟の機関誌)に送る。
・国語教科書(東京書籍)に採用される。
・劇中の音楽はすべて湯山が作詞・作曲し、山室かほるさんが手直ししてくれた。

 出席者は30名ほどだったでしょうか。演劇教育の仲間も二人ほど参加していました。会場から様々な質問や意見が飛び交いましたが、私の感想を箇条書き的に書き留めておきましょう。
・湯山さんの主著に『構成劇の作り方』(晩成書房、1985年)があり、『コロの物語』を筆頭に9本の脚本が掲載されている。巻頭論文「構成劇のすすめ」(冨田博之)が秀逸。
・『コロの物語』の実践は学級劇というところが素晴らしい。子どもの一人ひとりの表現を大切に考えると学級劇に行き着くだろう。
・子どもたちの日常生活の中から作られた子ども主体の劇づくりである。鶴見俊輔のいう限界芸術としての構成劇といっても良い。
・学級づくりの発表の場としての劇づくりともいえる。
・台詞中心ではない、身体表現を重視するミュージカル的なものであった。
・ここでの劇づくりが朗読を重視した授業や行事の改革にも繋がっていったのは必然である。

  それにしても、92歳で講演をこなす湯山さんに脱帽でした。
 もう1人の講演者は武藤啓司さんでした。私が教職をスタートさせた新卒の頃から彼は気になる存在でした。切っ掛けは私の師匠の村田栄一さんです。『飛びだせチビッコ』(エール出版社)や『戦後教育論』(社会評論社)ですっかり村田ファンになった私は彼の眼鏡で教育を見るスタイルを身につけていきました。そこに登場したのが村田さんの友人の武藤啓司さんでした。彼の名前を初めて発見した最初の本は『学校を告発する』(武藤啓司編、エール出版社、1970年)でした。さらに『教育闘争への模索』(社会評論社、1974年)で不動の地位を確立しました。
 武藤さんと初めて会ったのはフレネ教育者国際会議(リーデフ98)の実行委員会の席でした。國學院大學の里見実さんの研究室に2,30人で話し合ったのを記憶しています。村田さん、里見さんとともに武藤さんも参加されていました。
  今回の講演のレジメのもくじだけ紹介しましょう。

 「同和教育との出会い~フリースクール楠の木学園へ」
Ⅰ 同和教育との出会い
 1.1958年就職 教員勤務評定反対闘争、60年安保闘争に敗北
 2.同和教育との出会い 1975年~
 3.全国同和教育研究協議会(全同教)、第30回東京・埼玉大会(1978年)
 4.林竹二氏との出会い
5.自分の職場(大田区下町の小学校)での実践
『やさしさを学ぶということ』(御茶の水書房、1988年)
『子どもの心と響きあう』武藤啓司、榎本留美、社会評論社、、1990年
Ⅱ フリースクール楠の木学園で
1.『巣立ちへの伴走』2001年、『フリースクールの授業』2004年、いずれも社会評論社
2.「発達障がい」をめぐって

  一時間にわたって、実に丁寧に語ってくれました。武藤さんの基本的な構えとしては、様々な出会いからそれを避けて通ることなく、それの一番の高みを愚直に引き受け、しっかり己を総括して進む姿勢です。
  興味深かったのは最近のフリースクールの授業実践でした。実践集『異なる個性の出会いで創り出すもの』(NPO法人楠の木学園、武藤啓司編集、2016年)のもくじだけ紹介しておきましょう。
・聞くこと-それは世界に自分を開き委ねること 牛山了子
・「和太鼓の先生」 黒瀬雅左枝
・演劇教育の実践から 座馬智子
・ものが仕上がっていく楽しさを大事に  種岡三希子

 加藤彰彦(野本三吉)さんも見えていて、なかなか密度の濃い会になりました。

〔38〕自画自賛? 講座「演劇教育の原点を探る」は実におもしろかったですね。

2015年08月04日 | 講座・ワークショップ
 全国演劇教育研究集会って知っていますか? 私が長年、常任委員を務める日本演劇教育連盟主催の夏の集会です。今年でなんと64回です。日本の民間教育研究団体のなかでもトップクラスの歴史がある集会ということになります。今年は国立オリンピック記念青少年総合センターで8月1日から3日間開かれました。
 私のこの集会での仕事の1つは、演劇教育賞と「子どもが上演する劇」脚本賞の表彰の下準備をすることでした。受賞者と連絡を取ったり、表彰状を作ったりすることです。
 8月1日(土)、開会の集いに受賞者全員が駆けつけてくれました。
 雑誌「演劇と教育」よりいち早く皆さんにお知らせしちゃいます。おおきな拍手を受けて4人の皆さん、嬉しそうでした。

●55回演劇教育賞
*「5歳児の劇づくり-絵本『へそもち』を楽しく遊んで劇に」(「演劇と教育」2015年3月号) 藤田尚子さん
*「多摩少年院での演劇活動」(「演劇と教育」2014年4月号)谷村昌昭さん
●2015年・子どもが上演する劇
*【入選】 「私を国立に連れてって」(未掲載) 伊藤英梨さん
*【準入選】 「秘密」(未掲載) 野間玲子さん

 もう1つの大きな仕事は、講座「演劇教育の原点を探る」の講師です。
 この講座は前委員長の故・副島功さんが日常的に「演劇教育の原点を考える会」を開いていたのですが、その志を継ぐという意味合いがあります。
今回で3回目です。1回目は冨田博之さんの演劇教育論を取りあげました。2回目は小池タミ子さんの劇あそび論でした。そして今回は、竹内敏晴さんから学ぶことということで企画しました。「演劇と教育」編集代表の平林正男さんには、竹内演劇研究所に在籍していたということで講師をお願いしました。
 この講座は他の講座とは違い、全国演劇教育研究集会では珍しく理論的で、座学ということになります。そこで、いつも参加者の人数を気にかけなければならない講座です。あまり参加者が少なければ次回はないかもしれません。そこで「親愛なる皆さん、講座に参加してください!」という緊急SOSメールを打ったところ、なんと世話人も含めて15人が顔を合わせることになりました。 演劇集団円の演出家、小森美巳さん、演劇教育の重鎮、佐々木博さん、平井まどかさん、吉田哲夫さん、小説『明日への坂道』を上梓したばかりの松本喜久夫さん、大学研究者、小中高教師、ラボ・テューター…、どなたが講師になってもおかしくないという錚々たる陣容でした。
 一人ひとりのお話がとてもおもしろくて、充実感いっぱいでした。その内容の詳細については、『日本の演劇教育2015』にまとめられる予定です。購入したい方は日本演劇教育連盟に問い合わせしてみてください。
 終了時に「来年もやるんですか。」なんて聞かれました。是非、やりたいです!

〔32〕追悼・高瀬久男さん。刺激的で、難解なワークショップでした。

2015年06月24日 | 講座・ワークショップ
 演出家の高瀬久男さんが57歳の若さで亡くなられました。癌で闘病中という話はどこからか漏れてきていましたが、新聞の訃報欄を見たとき、人の世の無常を感じないではいられませんでした。
■毎日新聞(2015年6月2日)
訃報:高瀬久男さん57歳=演出家
 大胆で緻密な舞台を生みだした演出家で、毎日芸術賞・千田是也賞受賞者の高瀬久男(たかせ・ひさお)さんが1日、亡くなった。57歳。
 1980年に玉川大文学部芸術学科演劇専攻を卒業後、文学座演劇研究所に入所。85年に座員に昇格し、91年から1年間、ロンドンのナショナルシアターなどで研修を受けた。帰国後気鋭の演出家としての地位を確立し、2002年には文学座公演「モンテ・クリスト伯」で芸術選奨文部科学大臣新人賞を獲得し、翌03年には「スカイライト」「アラビアン ナイト」の演出で、千田是也賞を受賞した。12年の「NASZA KLASA」で読売演劇大賞最優秀作品賞を射止めた。子供向けの芝居も数多く手掛けた。
 近年はがんで闘病中だった。11日から始まる文学座公演「明治の柩(ひつぎ)」を演出中。5月26日に稽古(けいこ)場に来たのが最後となったという。

 私が所属する日本演劇教育連盟でも早くから注目していた演出家でした。冨田博之さんや副島功さんから、素晴らしく有能な演出家がいる、という話を聞いていました。訃報に「子供向けの芝居も数多く手掛けた。」とありますが、このあたりを劇団サイトは次のように書いています。
■文学座サイト 
 また子供向けの芝居も数々手掛けてきており、94年『あした天気になあれ!』(劇団うりんこ、脚本・演出)で第31回斎田喬戯曲賞受賞、96年『この空があるかぎり』(作・演出) では児童福祉文化賞(厚生大臣賞)を受賞するなど、この方面でも実力を如何なく発揮。

 『この空があるかぎり』はとりわけ記憶に残る子ども向けの芝居でした。いじめ問題を扱っているのですが、安易な解決は求めず、観客に課題を突きつける芝居になっていました。教育現場にいた私は、いじめの解決は簡単にはいかないよなあと、妙に得心が行ったのを覚えています。
 この劇を見てから数年後に願ってもないチャンスがやってきました。全国演劇教育研究集会で彼を講師に招いたのです。2007年、神奈川県青少年センターでのことでした。「演出」という講座の世話人に私は名乗り出ました。(詳細は、『日本の演劇教育2007』参照、同じ世話人の加藤弘一さんがこの講座の様子をうまく報告してくれました。)
 この講座は今まで私が体験したことがないような、ある意味難解で刺激的なものだったのです。
 20数名の参加者に対して、まずは、演出とは何かというところから語り始めました。
 次に、石原吉郎の「花であること」のプリントを配布したのです。

 花であること
  石原吉郎
花であることでしか               
拮抗できない外部というものが
なければならぬ
花へおしかぶさる重みを
花のかたちのまま
おしかえす
そのとき花であることは
もはや ひとつの宣言である
ひとつの花でしか
ありえぬ日々をこえて
花でしかついにありえぬために
花の周辺は的確にめざめ
花の輪廓は
鋼鉄のようでなければならぬ
     詩集「いちまいの上衣のうた」          

 この詩を数人で読み合い、ことばを使わずに身体だけで3つの静止像で表現させました。グループごとの発表を見ての意見交換と講師のコメントと続きました。詩も難解だし、講師の指示もけしてたやすくはありませんでした。
 次の課題は宮沢賢治の「ざしきぼっこの話」の中の4つの話から1つを選び表現するというものでした。
「グループで活発な意見交換が行われた後、それぞれのグループで考えた表現の練習が始まった。全てのグループが表現づくりに夢中になり、予定の60分はあっという間に過ぎてしまった。」と加藤さんは書いています。
 最後に参加者の質問に答えての講師の話で締めくくったのでした。
 ワークショップに世話人として立ち合った講座でしたが、からだ全体を駆使し、全神経を集中しないと参加できないような緊張感あふれるものでした。
 研ぎ澄まされた感性を持った、たぐいまれな演出家を失いました。合掌。

〔参考〕
*劇評「人民とは 国家とは 問う」〔文学座「明治の柩」宮本研作、高瀬久男演出〕増田愛子(朝日新聞、2015,6,8)
*劇評「公害か戦争かの二者択一の時期」〔文学座「明治の柩」宮本研作、高瀬久男演出〕井上理恵(週刊新社会、2015,6,30)