実践的演劇教育ーことばと心の受け渡し

四十数年の小学校と大学での教師体験からの演劇教育の理論と実践、そして、憲法を守る市民運動の現在(いま)を報告します。

〔192〕日本最高の画家のひとりでした。「没後50年 藤田嗣治展」(東京都美術館)

2018年08月16日 | 美術
 健康維持、体力保持のためにやっていることが4つあります。週2回のバドミントン、月2回の駅頭演説とチラシ配布、年4回の地域チラシ配布、そして年数回の東京都美術館無料鑑賞です。東京都立の美術館では第3水曜日は65歳以上はただになります。
 美術館での鑑賞がなぜ健康維持に繋がるのでしょうか。まず家を朝の8時頃出て、猛暑のなか上野に行かなくてはなりません。美術館に着くのが9時20分頃でしょうか。開場は9時半ですが、9時20分頃から入場が始まります。今回の藤田嗣治展はさすがに人気があるようで、入場まで30分かかりました。もう少し早くから並べばすぐに会場には入れるのですが、早朝とはいえ暑いなか並ぶのもなかなかしんどいことです。今回の藤田嗣治展は見所満載で、見終わるのに一時間半ほどかかってしまいました。いつもの二倍近くの時間を要しました。
 昼食を摂って帰りに本屋でも寄れば、家につく頃にはけっこうぐったりします。これを年間数回でも続けることは確実に体力維持に繋がるのです。もちろん一番の利点は知的好奇心を大いに刺激してくれることです。東京近隣にお住まいの方、シニアデイお勧めです。

 さて今回の藤田嗣治展、かつてなかった史上最大級の大回顧展です。その概要を展望してみましょう。

■没後50年 藤田嗣治展(東京都美術館HPより)
 明治半ばの日本で生まれ、80年を超える人生の約半分をフランスで暮らし、晩年にはフランス国籍を取得して欧州の土となった画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ 1886-1968)。2018年は、エコール・ド・パリの寵児のひとりであり、太平洋戦争期の作戦記録画でも知られる藤田が世を去って50年目にあたります。この節目に、日本はもとよりフランスを中心とした欧米の主要な美術館の協力を得て、画業の全貌を展覧する大回顧展を開催します。
 本展覧会は、「風景画」「肖像画」「裸婦」「宗教画」などのテーマを設けて、最新の研究成果等も盛り込みながら、藤田芸術をとらえ直そうとする試みです。藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による裸婦の代表作、初来日となる作品やこれまで紹介されることの少なかった作品も展示されるなど、見どころが満載の展覧会です。
○みどころ
1. 史上最大級の大回顧展
 没後50年の節目の機会に相応しく、史上最大級の規模で、精選された作品100点以上を展示します。
2. 欧米の主要な美術館所蔵の藤田の代表作が来日!
 パリのポンピドゥー・センターや、ベルギー王立美術館、アメリカのシカゴ美術館など、欧米の主要な美術館から、初来日作品も含め約20点の代表作が集います。
3. 藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」による裸婦10点以上が集結!
 数年前に修復を終えた大原美術館の《舞踏会の前》や東京国立近代美術館の《五人の裸婦》など国内の代表作に加え、海外からも1920年代の最盛期に描かれた「乳白色の下地」による裸婦像が集います。
4. 上野に藤田が還ってくる!
 東京美術学校(現・東京藝術大学)で学び、昭和前期に日本に帰国した際には東京都美術館にて展示の機会を重ねた藤田にとって、上野は画家としての原点といえます。藤田の回顧展が上野、東京都美術館で開催される初めての機会です。


 いつもより鑑賞に二倍の時間が掛かったというのは、それだけ内容が濃かったからです。藤田はこんな絵も描いているんだ、という驚きで、ついつい解説文を丁寧に読むことになったのです。しかも鑑賞者が多いのでこれを読み切るのも難儀です。
 1990年代、藤田の作品が多く所蔵されているパリ市立近代美術館に初めて足を運んだとき、残念ながらお目当ての展示の部屋が改装中で涙をのんだことがありました。数年後再びここを訪ねたのですが、藤田作品は2点ほどしか展示されていませんでした。
 ところが今回、何と126点の作品が展示されているのです。(一部は期間限定ですが)
構成は次のようです。(配付資料より)

Ⅰ 原風景-家族と風景
 Ⅱ はじまりのパリ-第一次世界大戦をはさんで
Ⅲ 1920年代の自画像と肖像-「時代」をまとうひとの姿
 Ⅳ 「乳白色の裸婦」の時代
 Ⅴ 1930年代・旅する画家-北米・中南米・アジア
 Ⅵ-1 「歴史」に直面する-二度の「大戦」との遭遇
 Ⅵ-1 「歴史」に直面する-作戦記録画へ
 Ⅶ 戦後の20年-東京・ニューヨーク・パリ
 Ⅷ カトリックへの道行き

 まずは「Ⅰ 原風景-家族と風景」の4点はほぼ東京藝術大学時代の油彩画です。指導教官の黒田清輝の黒を使わない描写方法を駆使しているようです。キュビズムの作品、ユトリロを想起させるパリの街角の作品、モジリアーニふうの作品など、様々な技法を駆使して線と影の「乳白色の裸婦」に到達します。その変遷が実に興味深いのです。
 「Ⅴ 1930年代・旅する画家-北米・中南米・アジア」から「Ⅷ  カトリックへの道行き」あたりの藤田の画業については他の展覧会で部分的に見てきたことではあります。そして、ポンピドゥー・センターやシカゴ美術館や東京国立近代美術館などには何回か足を運んでいるので、こちらの作品も目新しいことはないのですが、今回の収穫はなんといっても、藤田嗣治の全貌をほとんど余すことなく俯瞰で捉えられることです。

 藤田嗣治は間違いなく日本最高の画家のひとりでした。

〔191〕懐かしい西口敏治さんの『詩が好きになる教室』(さ・え・ら書房)に偶然出合いました。

2018年08月13日 | 図書紹介
 池袋での「埋めるな!辺野古 沖縄県民大会に呼応する8・11首都圏大行動」が東池袋中央公園で開催されたことは前ブログで書いたとおりです。その集会後、公園からごく近い、おそらく日本で一番大きなブックオフに「避暑」のためもあり滑り込みました。そこで2冊の本を買い求めました。山中恒『クラマはかせの なぜ』(偕成社)と西口敏治さんの『詩が好きになる教室』です。2冊とも安価の上に、なんとこの日から三日間、ブックオフでは全部の本が20パーセント引きなのでラッキーでした。
  『クラマはかせの なぜ』は私の大好きな本で、教室での読み語りの定番でした。この本が古本できれいな状態で安価な時は、つい買ってしまうのです。知り合いの子どもたちに分けても惜しくありません。もうすでに2冊は買ったでしょうか。今回の本は孫にあげるためです。先日、「山中恒 おもしろ童話」シリーズの『おとうさん×先生=タヌキ』を手に入れたばかりでした。シリーズが2冊揃うとけっこう豪華に見えるものです。

 さて、本題は『詩が好きになる教室』です。
 この本が出版されていたことは知っていましたが手に取る機会はありませんでした。
 さ・え・ら書房では、「さ・え・ら図書館」というシリーズを出していました。このシリーズはなかなかおもしろくて、何冊か私の本棚にも並んでいます。村田栄一『ことばあそびをしよう』、植垣一彦・向井吉人『作文わくわく教室』、長谷川孝・大沢和子・原正『新聞をつくろう』、石毛拓郎『詩をつくろう』、松丸春生『朗読をたのしもう』…。小学校や中学校での実践が元になって書かれた本が多く、読んでいて楽しいものばかりでした。個人的にもお付き合いのある人たちが書かれていたので親しみもあり、内容的にも信頼置けるものだったのです。
 『詩が好きになる教室』(1995年)はそのシリーズの後半に出版された本でした。著者は西口敏治さん、実は私の新卒時代ですから、もう50年近く前に出会っているのです。1972年、新卒の時に4年ほど日本生活教育連盟(日生連)に参加していました。そこで妻と出会い、2人で板橋の火曜会という月1回のサークルの事務局を引き受けていました。
 日生連の東京での冬の集会の時でした。2,30名の全体会の前に、数人での実践交流会がありました。そこで各人の実践発表をするように求められていました。サークルの中心は教育実践者として名高かった鈴木孝雄さんでした。名著『学級文化活動と集団づくり』(明治図書)を既に出版している方でした。連れ合いの学年主任で、結婚式にも参加していただいたのですが、40代半ばで若くして亡くなられたのです。
 私が「私の半年の実践」か「学級新聞づくり」といった発表をしたとき、日生連では名が知れていた実践者に、内容は全く忘れてしまったのですがそれを批判されたのです。それに対して反論してくれたのが西口敏治さんでした。彼は当時私立和光学園で教師をしていました。
 彼と再会したのはそれから20年以上たった、たぶん1990年代の半ばのことでした。村田栄一さんの『授業からの解放』(雲母書房)などの合同出版記念会に参加したときに、彼も来られていたのですが、日生連での出会いの顛末については覚えておられなかったようでした。当時、『詩が好きになる教室』を出版した頃だったのではないでしょうか。

 『詩が好きになる教室』なかなか良い本だなと思いました。どんな本なのか、アマゾンにはこんなことが書かれていました。

*内容(「BOOK」データベースより)
 すきな詩をさがしてきて暗唱し、みんなの前で発表する―単純なこのくり返しの中で、詩が大すきになっていった子どもたちの、成長の記録。本書には、子どもたちが好んで口ずさんだ詩が長短あわせて57編つまっている。
*内容(「MARC」データベースより)
 国語の授業の中で、詩の暗唱と発表を続けて二年。詩に興味も関心もなかった西口学級の生徒たちは、たがいに影響しあい、すっかり〈詩が大すき〉な子どもに変わりました。五年生の少女志織の目をとおした、物語仕立ての実践記録。
 
 前半の紹介は、ほぼ本の扉に書かれていることです。
 後半の紹介文は厳密には修正が必要です。彼はお茶の水大学附属小学校に非常勤講師として入り、5年生3クラスの国語の授業の一部を担当したらしいのです。4月だけで15時間ということですから、1クラス週3時間程度でしょうか。授業内容としては、朗読、詩の暗唱と発表、ことば遊び、作文、漢字の5つの「仕事」です。「仕事の計画表」を子どもたちに配ったといいますから、おそらくフレネ教育的な実践といっていいのでしょうか。全般的に教師の教えより子どもの学びを重視する考え方が行き渡っています。
 西口さんの実践を引き継ぎ発展させたのが浅川陽子さんという方だそうです。彼女の実践もこの本の中に生かされていますが、後に『ことばの生まれ育つ教室―子どもの内面を耕す授業』(金子書房 2005/12)などの本も出版されています。

 実践は、自分で詩を選び、それを暗唱してみんなの前で発表するという行為から、詩の創作まで踏み込みます。この本に散りばめられた57編の素敵な詩を読むだけでも幸せな気持ちにさせられます。一番多く取り上げられた詩人は8編の谷川俊太郎さんです。彼がオビにこんなことばを寄せています。

 子どもが生きてる、先生が生きてる、教室がよみがえる。詩の声が学校に風穴を開けた。
                               谷川俊太郎




〔190〕「翁長さんの遺志を継ぐ」沖縄県民大会に呼応する8.11首都圏大行動、池袋に2800人参集!

2018年08月11日 | 市民運動
 東京では依然猛暑が続き、降雨も予想されるなか、清瀬の仲間3人でサンシャインの東池袋中央公園に着いたのが11時半少し前。ここでの集会は私たちにとって初めてのことでした。木々に囲まれているとはいえ、少しでも木陰を求めて多くの参加者が既に集っていました。手渡されたチラシはざっと30枚、林立している市民団体、正当、宗教団体、労働組合などの幟は200を越えていたのではないでしょうか。
 この集会の趣旨について「総がかり行動実行委員会」は次のように書いています。

●戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会〔チラシより〕
2018/08/11 埋めるな!辺野古 沖縄県民大会に呼応する8.11首都圏大行動(東京・豊島区)
 政府・沖縄防衛局は、新たな米軍基地建設のため、8月に美しい辺野古の海に土砂を投入すると発表しました。
 辺野古・大浦湾は262種の絶滅危惧種を含む5,800種以上の海洋生物が生息する豊かな海です。
 この夏にも埋められようとしているところは、ジュゴンの食料の海草がたくさん生えている、いわばジュゴンの餌場です。
 貴重なサンゴも確認され、浜はウミガメの産卵場です。
 埋め立てれば、それらの貴重な生物はすべて生き埋めにされてしまいます。
 このままでは、取り返しがつかないことになってしまいます。
 一方で、大浦湾の底はマヨネーズ状の軟弱地盤で、活断層の存在も明らかになりました。
 そこに米軍基地を建設することは大変危険なばかりか、工事費のさらなる増大が予想されます。
 当初の工事費試算は3,500億円でしたが、現在は1兆円を超える予想です。
 「森友の8億円」もそうですが、これらはすべて税金です。
 また、辺野古には54.52メートルの「高さ制限」を超える建造物が多数あることが報道されました。
 そこには、沖縄の子どもたちが通う学校や民家も含まれます。
 政府はこれをも無視して、違法な工事を強行しようとしています。
 止めるのは、今です。
 沖縄では、8月11日に奥武山公園で大規模な県民大会を計画しています。
 首都圏の私たちも、これに呼応して、沖縄と同時刻にアクションを起こします。
 多くの皆さんの参加を呼びかけます。

埋めるな!辺野古 沖縄県民大会に呼応する8.11首都圏大行動
と き◇8月11日(土)11:30集合 12:30デモ出発
   ◆県民大会の一部中継予定◆
ところ◇東池袋中央公園
    東京都豊島区東池袋3-1-6
    サンシャイン60隣り
    最寄駅◇地下鉄有楽町線「東池袋」駅5分
        JR・地下鉄・西武線「池袋」駅15分
    地図→https://loco.yahoo.co.jp/place/g-EqPUozcSlTg/map/
主 催◇沖縄県民大会に呼応する8.11首都圏大行動実行委員会
協 賛◇「止めよう!辺野古埋立て」国会包囲実行委員会
賛 同◇戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
連絡先◇電話090-3910-4140(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
    http://www.jca.apc.org/HHK/

<沖縄県民大会に呼応する8.11首都圏大行動実行委員会 参加団体>
 ピースボート
 辺野古アクションむさしの
 辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会
(アジア・ヒストリー
 安倍政権にNO!東京・地域ネットワーク
 沖縄と東京北部を結ぶ集い実行委員会
 沖縄の自立解放闘争に連帯し反安保を闘う連続講座
 沖縄の闘いと連帯する東京東部集会実行委員会
 沖縄のたたかいと連帯する東京南部の会
 沖縄への偏見をあおる放送をゆるさない市民有志
 <語やびら沖縄>もあい練馬
 三多摩ピースサイクル
 三多摩労組争議団連絡会議
 静岡・沖縄を語る会
 島ぐるみ会議と神奈川を結ぶ会
 Stop!辺野古埋め立てキャンペーン
 戦争・治安・改憲NO!総行動実行委員会
 戦争法廃止・安倍たおせ!反戦実行委員会
 中部地区労働者交流会
 南部地区労働者交流会
 バスストップから基地ストップの会
 日韓民衆連帯全国ネットワーク
 辺野古土砂搬出反対!首都圏グループ
 米軍基地に反対する実行委員会
 平和を実現するキリスト者ネット
 辺野古・高江を守ろう!NGOネットワーク
 辺野古への基地建設を許さない実行委員会
 北部労働者共同闘争会議)
(五十音順7月9日現在)

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土砂投入阻止に向けた沖縄県民大会
日時:8月11日(土)午前11時~
場所:那覇市奥武山(おうのやま)公園陸上競技場
   アクセス→https://goo.gl/rnbtwP
主催:辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議


 スピーカーの状態が必ずしも良いとは言えず、語り手の顔を見ることができず、内容が伝わりにくかったのが残念でした。しかし、カンパを集めていた女性が、おそらく70代後半であろうことに感動したものでした。
 この集会は2800人とのこと、【琉球新報電子版】は次のように伝えました。

■「翁長さんの遺志を継ぐ」 全国20以上の地域で県民大会連帯の集い 東京・池袋には2800人(主催者発表)2018年8月11日 14:20【琉球新報電子版】

【東京】沖縄での県民大会に連帯する「埋めるな!辺野古 沖縄県民大会に呼応する8・11首都圏大行動」が11日、都内の東池袋中央公園で開かれた。
 翁長雄志知事の死去を悼み、辺野古新基地建設で17日に予定される土砂投入への反対を確認し合った。
 約2800人(主催者発表)の参加者らは「翁長さんの遺志を継ぐ」などのプラカードを掲げて池袋駅前をデモ行進し、新基地反対への連帯を沿道に訴え掛けた。
 集まりでは首都圏のほか、北海道・帯広から東北、中部、東海、関西、福岡など全国20以上の地域でも県民大会に連帯する集まりがもたれたことが報告された。
 首都圏大行動では、沖縄環境ネットワークの花輪伸一世話人が主催者あいさつし「知事職務代理者により一刻も早く埋め立て承認が撤回され、17日からの土砂投入を中止させることを強く要請する。新基地建設絶対反対を私たち自身の問題としてとらえ、全国の市民と連帯して新基地建設を中止に追い込みたい」と述べた。
 集まりの冒頭には翁長知事に黙祷をささげた。沖縄の県民大会での謝花喜一郎副知事の知事職務代理者のあいさつが中継され、拍手が起こった。
 街頭デモでは「沖縄差別を許さない」「首都圏に住むわれわれの問題だ」「工事をやめろ」「サンゴを守ろう」「辺野古の海を土砂で埋めるな」などと沿道に呼び掛けた。
 沿道にはコール(呼び掛け)に応じて口ずさむ人や、辺野古新基地反対のチラシを手に取り中身に見いる人の姿もあった。



〔189〕難産の末『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』(晩成書房)という本が出ました!

2018年08月01日 | 図書紹介
 7月31日(火)に拙著の印刷が終了しました。そして本日、8月1日(水)その本が我が家にやって来ました。梱包を解いての第一印象は、明るい感じの本に仕上がったなということでした。晩成書房の社長、水野久さんのセンスです。さらに、採用させていただいたラボ教育センターのラボっ子たちの表現活動の写真が効いているなと思いました。今回の本は3回の校正もさせていただいているので、内容にはけっこう自信を持っています。近々大きな本屋さんには並ぶと思いますので、是非手にとっていただけると嬉しいです。
 どんな本なのか、まずは晩成書房のHPを覗いてみましょう。








●『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』晩成書房HPより

 ラボ教育センターという魅力的な教育組織に出合ったのは1998年の夏のことだった。
 ラボ付属の言語教育総合研究所での研究活動を通して、ラボの活動が「優れた地域での演劇教育の典型」であることを確信するに至った。
 ラボ・テューターやラボっ子は活動のすべてに、私の提起する「ことばと心の受け渡し」を充満させ、他者とシンクロする「からだ」を兼ね備えていたのである。
 ここでは、子どもの生理や論理を優先させ、まさに「学びの地平」が拓かれつつあった。
 独創的で魅力にあふれたテーマ活動の一端でも紹介できたらという思いで出版を思い立った。(まえがきより)

まえがき
福田三津夫さんの新著に寄せて=松本輝夫
福田三津夫さんとの運命的な出会い=矢部 顕

第1章 地域の演劇教育─ラボの場合
■ラボ・ワークショップ全国行脚
1すべてはラボ教育センター本部から始まった
2ラボ・テューターとラボっ子から学ぶ
3各地でのワークショップ・アラカルト
4ラボ・テューターとラボっ子の「からだ」
■テーマ活動づくりとパーティづくり─ラボ・パーティ参観記
1研究テーマを設定する
2居場所づくりとテーマ活動─宇野由紀子パーティの巻
3テーマ活動「スサノオ」を創る─行松泉パーティの巻
4ことばとからだのハーモニー─高橋義子パーティの巻
5三つのラボ・パーティから視えたもの
■テーマ活動は地域の演劇教育
1演劇教育とは何か
2演劇教育の育てる力
3テーマ活動は地域の演劇教育
4テーマ活動は限界芸術の一つ
5テーマ活動における表現
■テーマ活動の表現を考えるための本

第2章 新・実践的演劇教育論
演劇教育の原点を探る1
高山図南雄の「あらためてスタニスラフスキー」
竹内敏晴『主体としての「からだ」』
鳥山敏子の教育実践
副島功の仕事
辰嶋幸夫のドラマ
渡辺茂の劇づくり「LOVE」
演劇教育の原点を探る2
寒川道夫の光と影
マリオ・ローディと演劇教育
演劇教育としての授業
大学の授業と演劇教育

あとがき
関連資料
初出一覧


 以上の紹介文は、まえがきの抜粋です。次に、まえがきの全文を紹介します。 
 

■まえがき

 ラボ教育センター(ラボ)という魅力的な教育組織に出合ったのは1998年の夏のことだった。
 その年、アジアで初めて、フレネ教育者国際会議(第22回)が埼玉県飯能市にある私立自由の森学園を主会場にして10日間にわたって開かれた。世界中から教師約170人、日本側のスタッフと参加者含めて約170人が集い、「学びの地平を拓こう」をメイン・テーマにした自主的自立的な教育研究集会になった。
私が参加したアトリエ(分科会)は「日本の昔話を身体表現で楽しむ劇活動による外国語習得」だった。ここでは主に外国からの教師を中心に日本昔話「おむすびころころ」を劇的に遊んで言語獲得を目差していた。その中心の指導者が、ラボから派遣された2人のラボ・テューターだった。(詳細は拙著『実践的演劇教育論』「演劇教育の広がり」)
この集会の報告を「演劇と教育」に掲載したことが、当時のラボの会長・松本輝夫さんの目にとまり、ラボ機関誌でのインタビューに応じたり、関西地区の講演を頼まれたりすることになった。
 その数年後、フレネ教育者国際会議の実行委員長だった村田栄一さんの出版記念会で松本さんと再会し、ラボ付属の言語教育総合研究所(言語総研)主催の竹内敏晴講演会に誘われた。
それ以来連続して言語総研に出席し、ほどなく正式な所員に迎え入れられることになった。
言語総研での研究活動を始めてからほぼ10年が経過した。この間、全国各地で私が講師に招かれての「ことばと心の受け渡し」ワークショップと、4箇所のラボ・パーティ訪問、各地区のテーマ活動(ラボの独特の劇的表現活動)の発表会を見学することができた。
こうした研究活動を通して、ラボの活動が「優れた地域での演劇教育の典型」であることを確信するに至った。ラボ・テューターやラボっ子はラボ・パーティという空間や、その中心的活動であるテーマ活動のすべてに、私の提唱する「ことばと心の受け渡し」を充満させ、他者とシンクロする「からだ」を兼ね備えていたのである。ここでは、子どもの生理や論理を優先させ、まさに「学びの地平」が拓かれつつあった。

私の師匠の一人、故・村田栄一さんが『ことばが子どもの未来をひらく』(筑摩書房、1997年)を出版している。これはラボ各支部での彼の講演記録を中心に構成されていて、ラボの活動を正面から紹介した貴重な1冊になっているが、この本以外には、外部からラボの活動を紹介した類書が見つからないのをかねがね残念に思ってきていた。そこで力不足を顧みず、独創的で魅力にあふれたテーマ活動の一端でも紹介できたらという思いで出版を思い立った。言語総研在籍10年で何が見えてきたのか、途中経過報告としてまとめてみることにしたのが第1章である。これらは学校教師の視点でのテーマ活動論であるので、ラボ関係者には当然異論があることを承知で報告させていただいた。大いに批判検討を加えていただきたいところだ。
そうしたなかで、巻頭言として、言語総研でお世話になった松本輝夫さんと矢部顕さんに、ラボの基礎を築いた谷川雁、鶴見俊輔、竹内敏晴、村田栄一との出会いと果たした役割について貴重な「証言」をいただいたことは望外の喜びである。

第2章では、「新・実践的演劇教育論」として、前著『実践的演劇教育論』で触れられなかった演劇教育の原点やその周辺のことについてまとめてみた。学校内外を問わず、演劇教育の根っことは何かを探ってみることになった。

本書が、地域での演劇教育の実践と理論を考える一助になることを期待している。

                              2018年5月 福田三津夫



〔188〕佐々木博さんの『日本の演劇教育』(晩成書房)は労作の中でもとびきりの労作です。

2018年07月26日 | 図書紹介
 演劇教育の大先輩の佐々木博さんがついに『日本の演劇教育』を出版されました。この本は354ページの大著です。
 著書が送られてきてびっくりすることの連続でした。
 本造りに取り組まれていることを聞いたのは数年前のことでした。メールで送られてきた原稿はA4で40枚程度だったでしょうか。興味深い書き出しでした。その後も書き続けられているという話を風の便りに聞きました。それがこの大部な本に完結したのです。
 次に驚かされたのは、本のあとがきの書き出しを見た時です。何とそこに私の名前が書かれていたのです。2011年1月に「演劇と教育」の特集企画で、「ドラマとしての授業」という鼎談が組まれました。参加者は佐々木さんと渡辺貴裕さんと私でした。その会の打ち上げで、私が佐々木さんに本を書いてほしいと迫ったというのです。力量のある先輩や仲間に本を書いてほしいというのは私の「特技」でした。演劇教育運動を中心的に担ってきた我々は、本という形で演劇教育の理論や実践を残す使命があるというのが私の基本的な考え方です。そうした記憶は確かに私の中に残っていました。しかしながらそれを実行してくださる方はそう多くはいません。まさにそのことに驚いたのです。
 もう1つ驚かされたのはその内容に関してです。
  冨田博之さんの『日本演劇教育史』(国土社、1998年)が出版されたのは彼が亡くなって4年後のことでした。この本は「成城小学校の<学校劇>運動」で終わっているのです。編集を担当した副島功さんは「将来、この冨田さんの業績が次の研究者や実践者に引き継がれ、さらに発展していくことを心から願い、本書がそのための大きな遺産になると信じている。」と書いています。佐々木さんはまさに冨田さんの業績を引き継がれただけではなくて、それ以前の日本の演劇教育の総括、さらには成城後の演劇教育の実践を書き切ったのです。
 さらに内容に触れると、冨田博之演劇教育論を補強発展させたものになっているということです。宮原誠一さんのコミュニケーション論が果たした役割、竹内敏晴さんの『ことばが劈かれるとき』以前の、演教連初期における彼の提言などを掘り起こしているのです。まとまって読まされると、私にとってはとても新鮮な「発見」が数多くあるのでした。

 先日大塚駅近辺で佐々木さんの出版を祝う会を開きました。猛暑のなか十数人の参加がありました。そこで私が話したことがあります。副島功さんが「演劇教育の原点を探る」という研究会を十数回開催したことがあります。その思いを受け継いで、私が全国演劇教育研究集会の講座「演劇教育の原点を探る」を3回開きました。内容は、冨田博之演劇教育論、小池タミ子の劇あそび論、竹内敏晴の「語ること」についてでした。それらの延長上に、佐々木さんをゲストに、『日本の演劇教育』を読む会を開きたいと思うのです。参加者の大方の賛同は得られたようでした。

 最後に、本の内容を紹介しましょう。


■『日本の演劇教育─学校劇からドラマの教育まで─』 3,000円+税 2018年3月31日
●晩成書房HPより
教育と演劇の関わり、その歩みと現在。
音楽や美術とは異なり、学校の教科には位置づけられなかった演劇。
しかし、演劇を教育に生かす実践は脈々と続いてきた。
その歩みを、先人たちの遺産に学びつつ丁寧にたどる。
学芸会の「学校劇」から、教育活動全体に関わる「演劇教育」へ、
そして今注目の「表現教育」「コミュニケーション教育」「ドラマ教育」へ──。
教育の中での演劇活動の広がりと深まり、現在のありようを浮き彫りにする労作。
心ある実践家たちの弛みない努力の成果に学ぶ
これまで日本の演劇教育は、学校教育の中に正当に位置づけられ、
活動が十分に保障されるような環境下にはなかった。
そうしたなかで今のような演劇教育があるのは、
心ある実践家や研究者の弛みない努力によるところが大きい。
そのあゆみと遺産から何を学ばなければならないのか、
それはこれからも追い求めなければならない課題だろう。

第一部 演劇教育の流れをたどって
第1章 学校劇の興りとその運動
一 「学校劇」と「児童劇」
二 小原国芳の学校劇
三 学芸会の成立
四 大正デモクラシーと学校劇
五 成城学校劇と斎田喬
六 坪内逍遥と児童劇
 1 脚本研究としての朗読/2 逍遥の児童劇脚本/3 逍遥の児童劇運動
七 第一回成城学校劇発表会
八 学校劇禁止令
九 禁止令と成城学校劇
十 成城事件
十一 テアトル・ピッコロ
十二 禁止令の後
十三 唱歌劇
十四 学校劇研究会の発足
十五 子供の劇場
十六 学校劇研究会公開発表会
十七 日本学校劇連盟結成
十八 日本少年文化研究会のこと
第2章「演ずること」の発見
一 歌って踊っての演芸会
二 東京児童文化連盟の結成
三 日本学校劇連盟の復活
四 生活劇の始まり
 1 斎田喬と生活劇/2 劇作家落合聰三郎の誕生/3『掃除当番』のこと
五 生活劇とドラマ
六 学校劇と生活綴方
七 『どこかで春が』の実践
八 民主教育への道
九 学習指導要領〔試案〕と演劇教育
十 ゴッコ学習と演劇教育
十一 カリキュラムと演劇教育
十二 「逆コース教育」のなかで
十三 スタニスラフスキー・システムとの出会い
十四 「演ずる」ことの発見
十五 「日本学校劇連盟」から「日本演劇教育連盟」へ
第3章「ドラマ教育」の登場
一 「ドラマ教育」との出会い
 1 劇が消える/2 新しい演劇教育の潮流
二 表現教育としての「ドラマ」
 1「ドラマ」か「シアター」か/2 はじめはドラマ、あとからシアター─栗山宏の実践/3「ドラマ」の授業─矢嶋直武の実践/4 教室にドラマを
三 ドラマ教育としてのエチュード方式
 1 エチュード方式の提唱/2 『大きなダンボール』の上演
四 劇あそびは遊びである
 1 お話を遊ぶ/2 劇あそびの開拓者/3 ドラマ教育と劇あそび
五 ドラマ活動における即興と遊び
 1 即興/2 劇は遊びである

第二部 演劇教育から学校文化の創造へ
第4章 演劇的教育、そしてドラマ教育
一 演劇教育を教育として
二 演劇的教育の役割
三 演劇的教育におけるドラマ教育
四 演劇教育に問われるもの
 1 差別・選別と能力主義教育/2 ドラマ教育における自発性と自己表現/3 表現することは生きること/4 竹内敏晴のレッスンから/5 認識・感情と表現
第5章 コミュニケーションと対話
一 コミュニケーションと演劇教育
 1 コミュニケーションの典型は演劇/2 教育におけるひずみ/3 教育改革のこと/4 子どもの事件から/5 「いじめ」をめぐって/6 関係の重さ、そして優しい関係/7「伝え合う力」とコミュニケーション/8 コミュニケーション的関係をひらく
二 対話と演劇教育
第6章 学校文化としての演劇教育を
一 教育になじまなかった演劇
 1 学制発布の時から/2 風紀を弛うし、浮薄の弊風を助長するということ/3 社会主義思想とプロレタリア演劇
二 演劇教育の位置づけ
三 「四つの源流」のもつ意味
四 学校劇から演劇教育、そしてドラマ教育へ
五 子どもの発達と演劇教育
六 ドラマのある教育を

あとがき
引用・参考資料

佐々木 博(ささき・ひろし)
1932年岩手県西磐井郡一関町(現在は一関市)に生まれる。
1950年岩手県立一関高等学校を卒業。1953年東京学芸大学二部修了。同年4月から東京都の公立小学校教諭を34年間、退職後嘱託5年をあわせて39年間の教師生活を送る。
1959年から2003年まで日本演劇教育連盟常任委員。日本演劇教育連盟事務局長、同副委員長を歴任。
「生きる力をはぐくむ学校へ」(『演劇と教育』1999年7月号)で第40回演劇教育賞受賞。


〔187〕妻・福田緑の新著『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』がついに完成しました!

2018年07月26日 | 図書紹介
  7月25日(水)、我が家に待望の新著『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』が届きました。一冊の本を生み出す「格闘」は妻のブログ(「リーメンシュナイダーを歩く」https://blog.goo.ne.jp/riemenschneider_nachfolgerin)に詳しく書かれていますので、興味ある方は覗いてみてください。最新のブログは到着したときの悦びの文章です。

 最初に本の表紙と裏表紙を見ていただきましょう。
 まずはこの本がどんな本なのか紹介してみましょう。多少長いのですが、とりあえず「まえがき」を読んでみてください。なぜ今、3冊目の『祈りの彫刻』を出版する必要があったのかが書かれています。



■まえがき・福田緑

 2016 年秋、14 回目に訪れたドイツで、今まであまり重要視してこなかったティルマン・
リーメンシュナイダーの徒弟、ペーター・デル( 父) ( Peter Dell der Ältere ) や、
リーメンシュナイダー周辺作家、フランツ・マイトブルク( Franz Maidburg ) 、また同じ
頃に中世ドイツを生きてきた彫刻家の作品や祭壇を見て回った。

 中でも印象に残った作品の一つにペーター・デル( 父) のアンナ・ゼルプドリット像  
(43 ~ 46 頁)がある。リーメンシュナイダーは聖アンナが大きく膝を開いて座り、その
膝に娘の聖母マリアと孫のイエスがちょこんと座っている像( 63 ~ 65 頁) を彫って
いるが、このペーター・デル( 父) の像はマリアとアンナがイエスをはさんで座り、ごく
普通の家庭の団欒のような雰囲気を醸し出していた。マリアの表情はふんわりして可
愛らしく、温かさを感じる。アンナといえば、町で見かけるおばあちゃんのようにせっ
せと孫の世話を焼いている。イエスも「ねぇ、ママ、このぶどう食べてもいい? 」と、マ
リアに甘えているようだ。思わず微笑みがこぼれる作品だった。一方、リーメンシュナ
イダーのアンナ・ゼルプドリット像といえば、静かな中にも深い悲しみを湛えた表情
が定番だ。それだけに、弟子の手になるこの像の持つ雰囲気に、ぐっと親近感が湧
いてきたのだ。〔註・1〕
 この作品はへルシュタイン( Hörstein ) という町のマリア被昇天教会にある。この
像を見るために、フランクフルト( マイン) 郊外に住むトーマス・メスト( Thomas
Möst 、20 年来の友だち) は2014 年にも車を走らせ、最初の情報で得ていた聖ヴィル
ゲフォルティス礼拝堂を探してくれた。ようやく探し当てた礼拝堂は、小さな野原の    
真ん中にひっそりと建ち、長いこと締め切られたままのように古びて無人だった。こ
の日は中に入るのを諦めて帰ってきたのだったが、「この中に本当に彫刻があるの
だろうか」といぶかしんだトーマスは、その後、独自に調査をして現在この彫刻を保
管しているマリア被昇天教会を突き止めてくれたのだった。こうして2016 年にフラン
クフルトを訪ねたおりにトーマスの車でマリア被昇天教会に行き、普段は鍵のかかっ
た小さな部屋の中に招き入れられ、この彫刻を自由に撮影させていただいたのであ
る。ようやくこの作品にたどりつけた喜びはひとしおだった。

 また、ケルン郊外のカルカーにある聖ニコライ教会に入ったとき、あまりの祭壇の
多さに圧倒された。中でも真っ正面に立つ主祭壇は人物と馬がひしめきあい、いな
なきさえ聞こえてきそうな迫力で、思わず時間を忘れて写真を撮りまくった。そのうち
の1 枚が前頁に掲載のものである。教会のパンフレットによると、祭壇は大小取り混
ぜて10 点もあり、主祭壇には212 体の彫刻が刻まれているという。とても数えきれる   
とは思えないのに、根気よく数えた人がいたものだ。夫、福田三津夫は、『世界美術
大全集14 巻』(小学館)で岡部由紀子氏のドイツ木彫祭壇についての記述を読んで
以来、ケルンまで行くことがあったら近くのカルカーにも足を延ばして是非この祭壇
を見たいと言っていた。そのため、2016 年に初めて旅のルートに入れたのだった
が、非常に印象的な祭壇であった。〔註・2〕
 
 私たちの旅は、フランクフルトのトーマス、ルース夫妻に報告をして締めくくるのが
習いとなっている。トーマスの家がフランクフルト国際空港から車で30 分ほどのとこ
ろにあり、帰りがけに数時間でもいいから寄って欲しいと言われているからだ。彼の
家でカルカー聖ニコライ教会の祭壇について話をすると、なんとカルカーはお連れ
合いのルースの故郷だったことがわかった。二人は「今度お姉さんのところに行った
ら、是非この教会を見てみなくちゃね」と目を輝かせていた。
 
 リーメンシュナイダーのキリストはいつもやせ細っているが、ハンス・ラインベルガ
ーの「苦悩するキリスト」(186 ~ 188 頁)では筋骨隆々としてたくましい。そのガッシリ
とした足に私は見惚れた。リーメンシュナイダーの「悲しむマリア」( 『祈りの彫刻リ
ーメンシュナイダーを歩く』59 頁)は深い悲しみを湛えて静かに佇むが、ミヒャエル・
パッハーの「悲しむマリア」(110 ~ 112 頁)の後ろ姿からは荒野を吹き荒れる風の音
が聞こえるようだ。そんな風の中を歩いて行こうとするマリアの凜とした強ささえも感
じる。ファイト・シュトースの「二枚の紋章を持った婦人像のアントラー式シャンデリ
ア」(159 ~ 160 頁、裏表紙)は、当時サロンかレストランにかかっていたものだろう
か。人々の会話を天井から眺めて愉しんでいるような表情がうかがえて面白い。
 こうした作品をいくつも見た体験から、リーメンシュナイダーの作品には深い感動
を引き起こす力があるが、同じ中世ドイツの時代に活躍していた他の作家にもまた、
それぞれの個性と魅力があるということに気づかされた。しかし、彼らの存在は日本
ではまだ十分知られていない。ほぼ同時代にイタリアで活躍していたルネサンスの
作家たち、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サ
ンティなどは大変有名で、日本で開かれる展覧会でも多くの観客を集めてきた。
 「中世ドイツでも同じ頃にこうした作家があちらこちらで活躍して独自の作品を遺して
いるということを、もっと日本に知らせたいんだよ」
と、夫は何度も私に言い、だから3 冊目の写真集をまとめてはどうかと促してきた。し
かし、その都度「エネルギーがまだ湧かない」と答えていた私だったが、ようやくこの
旅の半ばで「よし、まとめてみようか」という気持ちになった。リーメンシュナイダー、
及びその関係者の作品のみに「必見」のラベルを貼ってまっしぐらに突き進んできた
私に対して、三津夫は以前からもっと幅広い作家や絵画などに興味を持ち続けて
いる。夫と一緒に旅する中で、私の作品を見る目も少しずつ広がってきたからに違
いない。親切なドイツの友人・知人、私の意欲を引っ張り出してくれた中世ドイツの
作家たち、そして誰よりも三津夫に助けられ、促されて、ようやくこの『新・祈りの彫刻
リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を出版することを決意した。
 
 本書は、中世ドイツの彫刻家、ティルマン・リーメンシュナイダーの作品を紹介した
『祈りの彫刻リーメンシュナイダーを歩く』( 丸善プラネット2008 年) 、『続・祈りの
彫刻リーメンシュナイダーを歩く』( 丸善プラネット2013 年) に続く3 冊目の写真
集となる。本書にはリーメンシュナイダー、彼の工房、及びその弟子の作品のみなら
ず、同時代のドイツを生きた彫刻家の作品も多数紹介している。

 私がリーメンシュナイダーを追いかけるきっかけとなったのは1998 年のドイツ旅行
だった。初めてドイツの地を踏んでからちょうど10 年後に「祈りの彫刻の写真集を作
る」というライフワークをスタートし、20 年後にその締めくくりができたことを大変うれ
しく思う。どうか本書を手にされた方は、私たちとご一緒に中世ドイツの旅を楽しんで
いただきたい。
             2018 年8月




表紙:ベルリン、ボーデ博物館、庇護マントの聖母像

    ミッヒェル・エアハルト、またはフリードリッヒ・シュラム作

 Vorderdeckel Maria mit dem Schutzmantel
Michel Erhart oder Friedrich Schramm, Bode-Museum, Berlin




裏表紙:ミュンヘン、バイエルン国立博物館 
    二枚の紋章を持った婦人像のアントラー式シャンデリア、ファイト・シュトース作

Hinterdeckel Geweihlüster: weibliche Figur mit zwei Wappenschilden
Veit Stoss, Bayerisches Nationalmuseum, München


 少し私の感想も補足しておきましょう。
〔註・1〕について、ペーター・デル( 父) のアンナ・ゼルプドリット像撮影にはもちろんトーマスと私も立ち合いました。私たちだけの拝観のために特別の部屋を設け、撮影を許可してくださったのです。それから1,2年後に、この作品がドイツでのある展覧会の目玉になっていたことを知ることになりました。本の表紙の候補にも挙がったくらいの作品ですので、是非ご覧いただきたいと思います。

〔註・2〕かつてケルン郊外のカルカーに原発を作ったのですが、チェルノブイリ原発事故があり一度もそれを稼働させることなく遊園地に転用してしまったのです。タクシーで見学してから聖ニコライ教会に向かったのでした。ここはまさに中世美術の宝庫と呼べるところです。写真集に収録した主祭壇だけでなく、様々な祭壇や彫刻が目白押しです。もう一度かならずここを訪れたいと思っています。

 あっ、私の新著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』も遠からず完成を報告できることでしょう。


〔186〕プロイスラー『クラバート』は、大人がじっくり再読したくなるような、子どもだけの文学ではなさそうです。

2018年07月25日 | 図書紹介
  今年の9月に13回目の渡独(約一ヶ月間)を計画しています。妻の3冊目の写真集『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』が完成し、それを製作するにあたってお世話になったドイツの方々に手渡しする、お礼参りの旅のお供なのです。
 せっかくドイツに行くのならと思って手にしたのがドイツ人作家・プロイスラーの最高傑作と言われている『クラバート』でした。いつものようにブックオフで安価で手に入れていたのですが、翻訳物で383ページの大部な本なのですぐには読み始められませんでした。
 プロイスラーは現代ドイツの代表的児童文学作家で、『小さい水の精』『小さい魔女』『大泥棒ホッツェンプロッツ』3部作、『小さいおばけ』『大力のワーニャ』などで愛読者も多いので読者の皆様にもお馴染みでしょう。
  いろいろ調べてみると、『クラバート』は2008年にはドイツで映画化されて評判になっているし、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』の下地にもなっているということが分かってきました。いま読むしかない、まさに読書のチャンス到来でした。
  まずはどのような本なのか、上手に要約した文章を見つけましたのそれを読んでみてください。

■『クラバート』オトフリート=プロイスラー (著), ヘルベルト=ホルツィング (イラスト), 中村 浩三 (翻訳) 偕成社 1980/5
●アマゾン商品説明より
ヴェンド人の少年3人組で村から村への浮浪生活をしていたクラバートは、ある時から奇妙な夢を見るようになる。「シュヴァルツコルムの水車場に来い。お前の損にはならぬだろう!」という声と止まり木に止まった11羽のカラスの夢。
その声に従って水車場の見習となったクラバートは、昼は水車場の職人として働き、金曜の夜には12羽目のカラスとなって、親方から魔法を習うことになる。
『大どろぼうホッツェンプロッツ』や『小さい魔女』などで知られるオトフリート・プロイスラーが、ドイツとポーランドにまたがるラウジッツ地方の古い伝説を下敷きにして書いた『クラバート』。チェコのアニメ作家カレル・ゼマンによって映画化もされたこの物語は、ドイツ児童文学賞、ヨーロッパ児童文学賞などを受賞し、プロイスラー文学の頂点ともいわれる1冊である。
クラバートが足を踏み入れた水車場は、暗く多くの秘密を抱えた場所だ。新月の夜に現われる大親分の存在や復活祭の決まりごと。毎年の大晦日には仲間のひとりが犠牲となるなど、常に死の影がつきまとう。そこでの3年間の修行を経たクラバートは、「自分自身の意志の力と、ひとりの誠実な友の助力と、ひとりの娘の最後の犠牲をも覚悟した愛とによって」親方との対決を果たすことになるのだ。
宮崎駿が『千と千尋の神隠し』の下地としたという本書は、少年少女向きの軽いファンタジーではない。あらゆる世代を対象にした児童文学の枠を超える1冊である。(小山由絵)

 
 さらに、今回の渡独のために『地球の歩き方』『ベルリンと北ドイツ』を購入しましたら、こんなコラムを見つけました。

■『ベルリンと北ドイツ』(『地球の歩き方』2018~19)
*バウツェン(226ページ) ソルブ人が語り継いだ『クラバート』伝説
 バウツェンのあるラウジッツ地方は『クラバート』というソルプ人伝説で知られている。ドイツの作家プロイスラーによって世界に広められ、魔法を使うクラバートの話は映画『千と千尋の神隠し』に影響を与えられたといわれている。ザクセンでは古くからクロアチアの傭兵を雇っており、彼らの中には出世した者もいた。クロアチア人はクラバートと呼ばれたので、伝説の主人公もクロアチア系だった可能性がある。ちなみにクロアチアの傭兵は赤いスカーフを巻いており、彼らを意味するクラバートがドイツ語でネクタイを意味するクラバッテになったとか。

 本書も読む前に訳者・中村浩三氏の「解説」を読むといいです。
『クラバート』の成功要因に、登場人物の個性が描かれているとしていますが、メモを取りながら読み進めることをお勧めします。外国人の名前はやはりなかなかインプットしづらいものです。四季折々の素晴らしい自然描写はそのとおりだと合点します。そしてこの物語の最大のテーマは「軍国主義への鋭い風刺」ということになるのでしょう。なぜそう言えるのか、本文を読んでいただくしかないようです。
 プロイスラーは訳者に次のように語るのです。
「ひとりの若者が-当初はただの好奇心から、そしてのちにはこの道を選らべば、楽な、けっこうな生活が確保できるという期待から-邪悪な権力と関係をむすび、そのなかに巻きこまれるが、けっきょく自分自身の意志の力と、ひとりの誠実な友の助力と、ひとりの娘の最後の犠牲をも覚悟した愛によって、落とし穴から自分を救うことに成功する物語です。」

  こうした作者のことばを念頭に、もう一度読み味わいたいと思ったのでした。


〔185〕8500名の国会正門前7.19集会は、なんといっても、イロハネットのリアルな報告が秀逸です。

2018年07月22日 | 市民運動
 2018年7月19日(木)、この日は97歳になる母親の「陣中見舞い」、さらに桜台(西武池袋線)で開催された脚本研究「森の会」に参加しました。ここまで来たら、夜6時半からの19日国会前集会に参加しないわけにはいきません。茹だるような酷暑のなか、久しぶりに一人での参加でした。
 地下鉄・桜田門駅の階段を上がったのが丁度6時半でした。国会正門に向かっていつものように左右の道にそれぞれ参加者がほぼ2列ずつ参集していました。やはり今回も左側の正門近くがメインステージになっていました。どんな感じにそれが作られているのか、いつものように「見学」に行くと、各政党の国会議員や様々な運動家たちがぎっしりとその一角を占めていて、私の入り込めるスペースは全くありませんでした。しょうがないので、いま来た道を下って、比較的空いているスペースを見つけ、何とかそこに入り込みました。
 そのころになると参加者も増えてきました。左側だけでも土手の上から見下ろしている人、土手に腰掛けている人、私のようにコーンに区切られた内側に並ぶ人など3重の人垣になっていました。作られた通路の前面には5メートル間隔で警察官が動員されていました。彼らの後ろに2,3メートルの空間があって、さらに鉄柵が強靱なロープでぐるぐる巻きにされています。この柵が決壊して、中央の道路に我々がなだれ込むことを警戒しているに違いありません。民衆の力で幾度となくこれが破られることを私は目撃してきました。
 参加者に渡されたのが韓国の民衆から送られたというキャンドルでした。これを振りながら、8時10分過ぎまで、熱のこもった集会が展開されたのです。
 私とは反対側に目をやると様々な幟の中に、イロハネットの幟を見つけました。いつも愛読させていただいているイロハネットの本日のブログに、この集会の丁寧でポイントおさえた秀逸な報告が掲載されていました。「拡散歓迎」とのことなので、一部を紹介させていただきます。


反核・反戦イロハネット (No-251) 2018/7/21
NO NUKES & NO WAR ABC NET 拡散歓迎 吉田 隆 080-5420-6977


■2015年9月19日に戦争法が強行されたが、それに抗し、毎月19日に国会付近はじめ全国
で行動が行われている。東京では上記状況の中、この7月19日、灼熱の暑さにも負けず、国会正
門前に8500名が結集。(写真参照) 暴走安倍政権に対し、韓国の民衆から送られた連帯のキャ
ンドルを手に手に掲げ、大きな怒りのコールをあげた。
 集会は、総がかり行動実行委員会主催で、国民民主党・柚木議員(衆)、社民党・福島議員(参)、
共産党・山下議員(参)、沖縄の風・糸数議員(参)、無所属の会・大串議員(衆)、立憲民主党・
福山議員(参)の熱のこもったスピーチがなされた。
 続いて、「主催者挨拶」を憲法共同センター・加藤氏が行い、ついで「連帯挨拶」に移った。 労
働弁護団・棗氏、沖縄平和運動センター・山城氏、違憲訴訟・山口氏、大阪豊中市議・木村氏、市
民連合・広渡氏、TPP プラスを許さない全国共同行動・山浦氏、過労死家族の会・中原氏、らか
ら鋭い追及や問題提起がなされた。
 高田健代表が行動提起を行い、「安倍はボロボロだ。絶対にあきらめないで、追い詰めて行こう。
8月19日は、議員会館前で16時から、丸3年を迎える9月19日は日比谷野外音楽堂に総結集
し、銀座デモを行う」。また、改憲NO の3000 万人署名は1800 万筆集まっているが、更に積み上げを
と呼びかけた。
 最後に、キャンドルを大きく振り、ろうそく革命で歌われた歌を、議事堂に向け響かせ、シュプ
レッヒコールで締めた。
 次の動画は、福山氏や山城氏のスピーチなど5分ほどでほんの一部ですが、全体(2時間弱)も、
画面から引き出すことが出来ます。https://youtu.be/nbUIAgDE-Is


 なお、山城氏は、いよいよ8月17日からの本格的な埋め立ての危急に際し、翁長知事の命を張った埋め立て承認撤回方針を紹介。8月上旬の第一波、11日の大規模県民行動、中旬の第2波の不屈の闘いの決意を表明した。あわせて、壇上から沖縄の民衆が歌い続けている「座り込めここへ」を歌い、本土の連帯を呼びかけた。


座り込めここへ ここへ座り込め
腕組んでここへ ここへ座り込め
ゆさぶられ つぶされた隊列を
立て直す時は今
腕組んでここへ ここへ座り込め

座り込めここへ ここへ座り込め
歌うたいここへ ここへ座り込め
ゆさぶられ つぶされた団結を 
立て直す時は今
歌うたいここへ ここへ座り込め

座り込めここへ  ここへ座り込め
旗掲げここへ  ここへ座り込め
ひきずられ 倒れても 進むべき
道をゆく時は今
旗掲げここへ ここへ座り込め



〔184〕今回は、「縄文―1万年の美の鼓動」と映画「ゲッベルスと私」の梯子です。

2018年07月16日 | 美術


 せっかく池袋まで出るのなら、あれもこれも見てしまおうと思う私です。今回は東京国立博
物館(上野)で開催中の特別展「縄文―1万年の美の鼓動」を見てから岩波ホール(神保町)
に回り、映画「ゲッベルスと私」を鑑賞しようという魂胆でした。
 東博の「縄文」展は、何と言っても、縄文の国宝6件がすべて勢揃いするということが目玉
でした。土偶5体と、火焔型土器です。期間限定の土偶があるため、2体は見られませんでし
た。「縄文のビーナス」は小学校の移動教室引率の折に、茅野市尖石縄文考古館でよく見てい
たので良いのですが、同じところに保管されている「仮面の女神」は拝観した記憶がないので
す。それとも既に見ていて、あとから国宝に指定されたものなのでしょうか。
 いずれにしても、これだけの縄文芸術が一堂に会することは初めてとのことです。その質量
ともにびっくりさせられますよ。
 そうそう、あの宇宙人みたいな遮光器土器はなぜか国宝ではないのです。不思議ですね。


■特別展「縄文―1万年の美の鼓動」 / 平成館 特別展示室 2018年7月3日(火) ~ 2018年9月2日(日)〔HPより〕

 縄文時代が始まったとされる約1万3000年前。狩猟や漁撈(ぎょろう)、採集を行っていた縄文時代の人びとが、日々の暮らしのなかで工夫を重ねて作り出したさまざまな道具は、力強さと神秘的な魅力にあふれています。本展では「縄文の美」をテーマに、縄文時代草創期から晩期まで、日本列島の多様な地域で育まれた優品を一堂に集め、その形に込められた人びとの技や思いに迫ります。縄文時代1万年にわたる壮大な「美のうねり」をご体感ください。
●躍動感あふれる《火焰型土器》やユニークな姿形をした《遮光器土偶》は、縄文時代の造形美を象徴するものとして広く知られていますが、1万年続いた縄文時代には、まだまだ知られていない多彩な造形が数多くあります。
●「縄文の美」が集結
 縄文時代は約1万年ものあいだ続き、東西3000㎞を越える日本列島に広く展開しました。
 本展では縄文時代のスケール感をそのままに、その始まりから終わりまで、北は北海道から南は沖縄までを取り上げ、かつてない規模で「縄文の美」を紹介します。
 時期や地域を飛び超えて縄文の美を総覧し、その移り変わりや広がり、そして奥深さを体感していただきます。
 縄文人が生き抜くために生み出した簡素ながらも力強い形、森や海への感謝や命への敬いのなかで作りだされた神秘の形に圧倒されることでしょう。


 昼食を済ませ、連れ合いと上野から神保町に向かいました。
 ゆったりと見られる今回の岩波ホールでした。どちらかというと我々世代が多かったようですが、若い人もちらほらといったところでしょうか。
 ナチスドイツの№2の宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書として数年過ごしたブルンヒルデ・ポムゼルは103歳、30時間に及ぶインタビューに答え、彼女の視点から戦中のドイツを鮮やかに蘇らせます。苦悩の人生を物語る深く刻印された彫刻のような皺、ゆっくりとした語りの美しいドイツ語。十数回の渡独歴のある私にはそう映りました。ことばを選びながらの淡々とした独白と思いきや、時として言葉を詰まらせながらの語りの合間に当時の映像がふんだんに配置されていきます。
 このインタビューで「証明」されたのはまさにハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」でした。ナチスドイツや戦前の軍国日本にしないために、いま私たちのしなければならないことは何か、深く考えさせられたのでした。


■岩波ホール「ゲッベルスと私」(HPより)あらすじ

終戦から69年の沈黙を破り、ゲッベルスの秘書が独白する。

若きポムゼルは、第二次世界大戦中、1942年から終戦までの3年間、ナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書として働き、近代における最も冷酷な戦争犯罪者のそばにいた人物である。本作は彼女が終戦から69年の沈黙を破って当時を語った貴重なドキュメントである。“ホロコーストについてはなにも知らなかった”と語るポムゼルの30時間に及ぶ独白インタビューは、20世紀最大の戦争と全体主義の下で抑圧された人々の人生を浮き彫りにする。

彼女のあらゆる表情と証言は、ナチスの時代を甦らせる。

いくつもの高精度カメラは、ポムゼルの深く刻まれた顔の皺や表情だけではなく、瞳の奥に宿す記憶をも鮮明にとらえる。幼少の頃の父親の思い出、初めて出来た恋人の話、ユダヤ人の友人の面影、そして“紳士”ゲッベルスについて、103歳とは思えぬ記憶力でカメラに語りかける。“いわれたことをタイプしていただけ”と語りながらも、時折、表情を強張らせて慎重に言葉を選ぶポムゼル。それは、ハンナ・アーレントにおける“悪の凡庸さ”をふたたび想起させる。

世界初公開のアーカイヴ映像が、戦争の真実を明るみにする。

本作品には、当時、世界各国で製作されたアーカイヴ映像が数多く挿入される。ナチスを滑稽に描くアメリカ軍製作のプロパガンダ映画、ヒトラーを揶揄する人々を捉えたポーランドの映像、ゲッベルスがムッソリーニとヴァカンスを楽しむプライベート映像、そして戦後、ナチスのモニュメントを破壊する人々やホロコーストの実態を記録した映像。それらは、戦争という人間の愚行はいつでも繰り返されることを語り、紛争の続く今日に警鐘を鳴らしている。


〔183〕「HINOMARU」RADWIMPSと沖縄慰霊の日、平和の詩「生きる」との精神性の乖離を考えさせられました。

2018年06月24日 | 演劇・音楽
 最初にRADWIMPS(ラッドウィンプス)という若い音楽グループを知ったのは、数年前、フランクフルト行きの飛行機でのことでした。評判だったアニメ映画「君の名は。」を早速見たのです。おそらく東日本大震災などを意識した、男女の淡い恋模様を描いた作品のように私には映ったものでした。その時、男女のからだが入れ替わってしまう、山中恒の『おれがあいつであいつがおれで』を思い出していました。
 この作品の内容もさることながら、流れる音楽が、団塊の世代のこの私にも心地よく響いたのは事実です。CDを買うところまではいかなかったのですが、ユーチューブで彼らの音楽を聴いてみることはしました。
 ところが、そんな彼らが、フジテレビ系のサッカーワールドカップの応援ソングを歌っていて、軍歌っぽいとか、愛国ソングとか言われて批判されていることを朝日新聞で知りました。
 そこで、さっそくユーチューブで「HINOMARU」を聞きました。正直言って、馴染みやすいところもありますが、曲そのものはそれほどいいとは思いませんでした。しかしこれは曲調は軍歌ではないが、曲想は軍歌と言えそうです。
 歌詞を見て愕然としました。「気高きこの御国の御霊」「日出づる国の 御名の下に」「僕らの燃ゆる御霊は」「幾々千代に さぁ咲き誇れ」など、違和感が半端ではないのです。「君が代」を連想させる古語混じりのこの歌詞はけしていい文章とは思えません。「御国の御霊」って一体何なのでしょう。
 歌詞を紹介しましょう。


「HINOMARU」 / RADWIMPS

風にたなびくあの旗に

古よりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり
こみ上げるこの気持ちはなに
胸に手をあて見上げれば
高鳴る血潮 誇り高く
この身体に流れゆくは
気高きこの御国の御霊
さぁいざゆかん
日出づる国の 御名の下に
どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は
挫けなどしない
胸に優しき母の声
背中に強き父の教え
受け継がれし歴史を手に
恐れるものがあるだろうか
ひと時とて忘れやしない
帰るべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて
幾々千代に さぁ咲き誇れ
さぁいざゆかん
守るべきものが 今はある
どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らのたぎる決意は
揺らぎなどしない
どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は
挫けなどしない
僕らのたぎる決意は
揺らぎなどしない

ソングライター: Yojiro Noda
HINOMARU 歌詞 © Universal Music Publishing Group
アーティスト: RADWIMPS
リリース: 2018年


他局のサッカーワールドカップの応援ソングはどうなっているのかなと思っていたら、TBSラジオ、荻上チキの番組で2人のゲストを呼んでそれらを検証していました。とてもおもしろい企画でした。取り上げられた曲も紹介しておきましょう。

●2018.6.14 木曜日
【音声配信】「RADWIMPS、ゆず、椎名林檎・・・J-POPにも登場!?『愛国ソング』~その傾向と対策」辻田真佐憲×増田聡×荻上チキ▼2018年6月13日放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~)

M1 「HINOMARU」 / RADWIMPS
M2 「にっぽんぽん」 / 味噌汁‘s
M3 「ガイコクジンノトモダチ」 / ゆず
M4 「愛國者賦」 / 鐵槌
M5 「凶気の桜」 / K DUB SHINE
M6 「オレたちの大和 / 般若
M7 「ライフタイムリスペクト」 / 三木道三
M8 「陽は、また昇る」 / アラジン
M9 「NIPPON」 / 椎名林檎
M10 「君が代」 / ピチカート・ファイブ
 

はてさて話は飛びますが、昨日は6月23日(土)、沖縄慰霊の日でした。テレビから流れてくる中学3年生の「生きる」という詩の朗読(実際は暗唱していました)が私の心に届いてきました。沖縄という土地に根ざした、等身大の女子中学生の叫びでした。私たちは、彼女にどう応えれば良いのでしょうか。

                          
■沖縄慰霊の日

平和の詩「生きる」全文

    沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 
私は今、生きている。

 
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
 

私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
 

私はこの瞬間を、生きている。

 
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
 

たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
 

七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
 

みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
 

私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世
界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
 

あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
 

今を一緒に、生きているのだ。
 

だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
 

私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
 

大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
 

これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
 

摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
                (毎日新聞2018年6月23日)




〔追記〕
「リテラ」というサイトを愛読しています。下記のような記事が目白押しです。
■サッカーW杯・各テレビ局のテーマソングを徹底比較
RADWIMPSとは真逆なSuchmosのNHK・W杯ソング! 愛国に絡め取られず「血を流さぬよう歌おう」「武器は絶対にもたない」2018.06.19


〔182〕「清瀬市に住む福島原発事故による避難者の方々に甲状腺検査と血液像検査の保障を求める請願」をします。

2018年06月16日 | 市民運動
 私の連れ合いが清瀬市議会に下掲の請願をすることになりました。彼女は福島原発事故関連の請願は既に数回しています。もちろん脱原発・反原発という立場です。市内の線量計測も継続しています。
 請願は、2018年6月19日(火)福祉保健常任委員会で検討されます。午前10時半頃からの審議になりそうです。清瀬市役所4階、傍聴歓迎です。

【清瀬市に住む福島原発事故による避難者の方々に年1回(子どもは年2回)の甲状腺検査と血液像検査の保障を求める請願】

紹介議員 ふせ由女

〈請願の内容〉
 清瀬に住み続けている避難家族で希望する方には、
  ①18歳未満の子どもたちに年2回(福島県の検査を含む)の甲状腺検査
  ②大人に年1回の甲状腺検査
  ③大人にも子どもにも年1回の血液像(白血球分画)検査
 を保障してください。

〈請願の理由〉
 2011年8月5日に福島県小児科医会が出した「福島の子どもたちの未来を守るために─原子力災害と子育て支援─」という声明には、
「原子力災害による子どもたちや保護者の心身の不安やストレスについても相談助言を行うなど適切に対応する。また当県の子どもたちが将来にわたり安心して生活できるよう、子育て支援を第一の目標としながら今後の医会としての活動をおこなう。」
と書かれており、(別掲)として「避難した子どもたちおよび家族への支援と健康管理」の項目では、次のように書かれています。
「県内、県外避難を余儀なくされた子どもたちおよび家族、また自主的に避難を選択した子どもたちおよびその家族への継続的な生活支援、精神的支援および将来にわたる健康管理の保障。とくに自主避難者については避難元各自治体は責任をもってその生活支援、精神的支援を行うこと。」
 それにもかかわらず、この医会の前会長、太神(おおが)和廣氏は2016年に甲状腺がん検査縮小の方向で意見を述べました。そして福島県小児科医会ホームページの最新の記事は、2017年10月28日の竹内真弓氏の就任挨拶で、
「平成23年に起きた東日本大震災の被災地として全国の小児科の先生方から寄せていただいた支援金の有効活用として、前会長の太神先生のもと、予防接種啓発のリーフレットを作成し、この6年間毎年県内全ての産科・小児科医療機関や保健センター等に配布し、ワクチン接種率向上に多少なりとも貢献できたことと、被災地から避難しているお子さんたちを対象に、期間限定ではありますが無料でロタワクチン接種事業を行ったことです。」
と書かれており、甲状腺がん検査については全く触れられていません。前掲の格調高い、真心のこもった声明に対して、太神氏の提案、竹内氏の挨拶の内容が大きくかけ離れていることは一目瞭然です。

 福島県は昨年3月までに子どもたちの甲状腺検査を2回行い、現在3回目を継続中です。その結果は第30回福島県「県民健康調査検討委員会」で別紙資料のように報告されており(平成28年度スタートの3回目検査はまだ半ばで途中経過の報告)、平成29年12月31日までに197人の子どもたちが「悪性ないし悪性の疑い」と診断され、161人の子どもたちが手術を受けて、そのうち良性だった子どもは一人だったと書かれています。中でも気になるのは、一次検査で、以前A1判定だった子どもたちがA2判定に移行する割合が、3頁目の資料のように、
  先行検査(一回目): A1判定 154,605人(51.5%) A2判定 143,574人(47.8%)
  本格検査(二回目): A1判定 108,710人(40.2%) A2判定 159,578人(59.0%)
  本格検査(三回目): A1判定 63,314人(35.4%) A2判定 114,525人(64.0%) (検査継続中)
と、徐々に増えてきていることです。今後も検査を継続し、悪性の疑いがもたれたら少しでも早く対応できるように支援する必要があります。そのためには2年に一度の県民検査では間隔が空きすぎると、避難者の方々は心配しています。
 今、福島県から避難している人々は事故によって故郷を壊され、昨年3月には避難住宅からも追い出され、それでも子どもたちの健康を守りたいという一心で避難先での苦しい生活を必死で続けようとしています。住宅提供を打ち切られて自殺した方もいるそうです。いじめで学校に行けない子どもたちや、体調を崩したり急死したりする大人たちも大変多いと聞きます。これは福島県小児科医会が強く願って掲げた2011年の声明とは正反対の方向に進んでいるということではないでしょうか。

 原発事故から7年後の今、国も福島県も医会も避難家族を守らず、さらなる苦境に追いやるばかりです。こうした状況の中で被曝して避難してきた方々の健康を守っていくことができるのは、避難先に住む私たちではないでしょうか。
 清瀬市には現在、福島県から避難された方が23世帯、53人(18歳未満12人)、岩手、宮城県からは8世帯、13人(18歳未満2人)が住んでいると伺いました。福島県からは2年に1度の甲状腺検査の知らせが届くそうですが、何よりも病気の進行の早い子どもたちにはそれも含めて年2回の甲状腺検査が必要です。また、血液像(白血球分画)検査(放射線の影響を見分ける指針となる検査)も年に1度受けられると安心できるそうです。
 この心優しい清瀬の町を誇りに思う市議の皆さまに、せめて清瀬市に住み続けている避難家族で希望する方には、上記の検査を保障してくださるようお願いいたします。


2018年6月5日  

清瀬市議会議長
  西畑 春政 様


         清瀬・憲法九条を守る会 
      福田 緑
                         
■ 第30回福島県「県民健康調査」検討委員会資料(抜粋)

[1] 先行検査 (平成29年3月31日集計) [実施年度:平成23年度~25年度]
<一次検査>(平成27年4月30日検査終了)
対象者367,649人 受診者数300,473人(受診率81.7%)結果判定数 300,473人(判定率
│判定内訳│A1判定 │A2判定 │A判定合計 │B判定 │C判定 │10
│人数 │154,605人 │143,574人 │298,179人 │2,293人 │1 人 │0
│割合 │(51.5%) │(47.8%) │99.2% │0.8% │0.0% │%)
<二次検査>(平成 29 年 3 月 31 日現在)
対象者数 2,293人 受診者数 2,130(受診率92.9%) 結果確定数 2,090人(確定率98.1%)
うち穿刺吸引細胞診実施は547人
│穿刺吸引細胞診等結果概要 (年齢、性分布省略) │
│悪性ないし悪性の疑い116人 (手術102人:良性結節1人、乳頭癌100人、低分化癌1人)│

[2] 本格検査(検査 2 回目) (平成29年6月30日現在) [実施年度:平成26年度~27年度]
<一次検査> 
対象者381,256人 受診者数270,516人(受診率71.0%) 結果判定数 270,515人(判定率
│判定内訳│A1判定 │A2判定 │A判定合計 │B判定 │C判定 │10
│人数 │108,710人 │159,578人 │268,288人 │2,272人 │0人 │0
│割合 │40.2% │59.0% │99.2% │0.8% │0.00% │%)
<二次検査 >
対象者数 2,227人 受診者数 1,844(受診率82.8%) 結果確定数 1,788人(確定率97.0%)
うち穿刺吸引細胞診実施は205人
│穿刺吸引細胞診等結果概要 (年齢、性分布省略) │
│悪性ないし悪性の疑い71人 (手術52人:乳頭癌51人、その他の甲状腺癌1人) │

[3] 本格検査(検査 3 回目) (平成29年12月31日現在) [実施年度:平成28年度~29年度]
<一次検査>      ※継続中
対象者数 336,654 人 (25 歳での検査対象者である平成 4・5 年度生まれを除く)
受診者数 191,669 人(受診率 56.9%)  結果判定数 179,038 人(判定率 93.4%)
│判定内訳│A1判定 │A2判定 │A判定合計 │B判定 │C判定 │
│人数 │63,314人 │114,525人 │177,839人 │1,199人 │0人 │
│割合 │35.4% │64.0% │99.3% │0.7% │0.00% │
<二次検査 >
対象者数 1,199人 受診者数 659(受診率55.0%) 結果確定数 573人(確定率86.9%)
うち穿刺吸引細胞診実施は31人
│穿刺吸引細胞診等結果概要 (年齢、性分布省略) │
│悪性ないし悪性の疑い10人 (手術7人:乳頭癌7人)│

 ※判定内容この表は、もっと細かな検討委員会資料の表から福田の責任で一部を取りだしたものである。なお、A1判定とA2判定の割合は福田が付け加えた。
※文章中の「がん」はひらがなで書いたが、県民健康調査の資料は「癌」と書かれていたので、漢字を使った。



〔181〕発見から50年、待望の『五日市憲法』(新井勝紘、岩波新書)が出版されました。

2018年06月01日 | 図書紹介
 五日市憲法については私個人や清瀬・憲法九条を守る会でも関心を抱き、学習会を開いたり、五日市憲法ゆかりの地を2回訪ねたりしてきました。タイミング良く、清瀬の市民団体が新井勝紘氏の講演会を開いてくださり、数人で参加したこともありました。その顛末をこれまでのブログ〔31〕〔53〕でも触れてきました。けっこう力を入れて書きましたので興味ある方は読んでみてください。
 そして先日、『五日市憲法』(新井勝紘、岩波新書)が出版されたというので、早速購入しました。嬉しいことに、この本大変評判が良く、初刷り12000冊が売り切れ、増刷が決まったという情報もあります。
 さて、五日市憲法が「発見」されたのが、1968年8月27日のこと。私は東京学芸大学1年、バドミントンの夏合宿で熱射病に倒れ自宅で療養している頃でした。最初に五日市憲法を手にした新井勝紘さんは東京経済大学の4年生でした。東京学芸大学(小金井市)と東京経済大学(国分寺市)はほぼ1キロの至近距離です。何か因縁めいたものを感じます。
 色川大吉ゼミの学生だった新井さんが初めて五日市憲法を手にしてから50年がたち『五日市憲法』が出版されました。 一読して、とても読みやすく、憲法改憲論議が喧しい昨今、多くの人に読んでもらいたい本だと思いました。とりわけ、〔第一章 「開かずの蔵」からの発見〕の臨場感と〔第四章 千葉卓三郎探索の旅へ〕の知的興奮が伝播してきました。
 本の内容は次のようになっています。

●「開かずの蔵」と呼ばれた旧家の土蔵.そこで偶然見つけた紙綴りが,ひとりの学生を歴史家に変えた.紙背から伝わる,自由民権の息吹と民主主義への熱き思い.起草者「千葉卓三郎」とは何者なのか? 民衆憲法を生み出した歴史の水脈をたどる.(岩波書店HPより)
はじめに

第一章 「開かずの蔵」からの発見
 第一節 明治百年と色川ゼミ
  一九六八年/バラ色論との対峙/開かずの蔵
 第二節 自由民権の村・五日市
  『利光鶴松翁手記』/勧能学校/深沢家の蔵書
 第三節 憲法草案との出会い
  いよいよ土蔵の中へ/知らずに草案を手に取る/「日本帝国憲法」って何だ?/急転直下のテーマ変更
 第四節 憲法草案を読み解く
  墨書史料の状態/どれとも一致しない!/幻の草案が発見される/なぜ同じ土蔵の中に?/嚶鳴社草案との比較検討

第二章 五日市憲法とは何か
 草案の概要
 第一篇 国 帝
  帝位相続/摂政官/国帝の権利
 第二篇 公 法
  国民の権利/地方自治/教育の自由
 第三篇 立法権
  民撰議院/元老議院/国会の職権/国会の開閉/国憲の改正
 第四篇 行政権
 第五篇 司法権

第三章 憲法の時代
 第一節 憲法への道
  憲法はどう受け止められたか/ヘボクレ書生の書上の理屈
 第二節 民権結社の取り組み
  結社の時代/国会期成同盟の呼びかけ/各地での起草の動き/容易ならざる起草作業
 第三節 五日市の民権運動
  五日市学芸講談会/五日市学術討論会/討論題集

第四章 千葉卓三郎探索の旅へ
 第一節 卓三郎追跡
  やり残した課題/雑文書に目を向けよ
 第二節 戸籍を求めて
  仙台へ/志波姫町へ/転籍先をたどる
 第三節 子孫との対面がかなう
  そして,神戸/敏雄さんからの手紙/病室での対面
 第四節 履歴書の真否
  卓三郎の足跡/砂上の楼閣/履歴書の足跡をたどる

第五章 自由権下不羈郡浩然ノ気村貴重番智――千葉卓三郎の生涯
 第一節 敗者の生きざま
  生い立ち/敗北経験/故郷を出る
 第二節 ペトル千葉として
  ニコライ堂での出会い/布教活動/明らかになる来歴/突然の変心/ラテン学校/初めて教壇に立つ/広通社
 第三節 五日市へ
  村は小なりといえども精神は大きく/民権教師として
 第四節 五日市憲法の「法の精神」
  逆境のなかでの起草作業/卓三郎死す/遺品の整理/浄書綴りのゆくえ/卓三郎の「法の精神」

終 章 五日市憲法のその後
 「五日市憲法」命名のいきさつ/名称への批判/歴史の伏流にたどり着く

むすびにかえて
参考文献
付録 五日市憲法草案


 この本をいち早く取り上げた新聞記事を紹介しましょう。 

■<訪問>「五日市憲法」を書いた 新井勝紘(あらい・かつひろ)さん〔北海道新聞2018/05/27〕
●新たな憲法草案 探索の記録
 「その出合いは、私の人生を決めてしまうほど大きなものでした」
 1968年8月、東京西部の五日市町(現あきる野市)。東京経済大学の学生だった著者は、ゼミの指導教授だった色川(いろかわ)大吉さんらと屋敷跡に残る土蔵の調査に入った。
 朽ちかけた「開かずの蔵」。著者が担当した一角から「日本帝国憲法」と表紙に書かれた24枚綴(つづ)りの文書が出てきた。「最初に目にした時は明治政府の大日本帝国憲法を写したもので、『大』という文字は虫に食われたんだろうと思ったんです」
 だが、推測は外れる。それならば1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が定められる前、民間の人たちが作った私案の憲法か。これも照合したがどれとも一致せず、新たな憲法草案の発見だと分かった。81年(同14年)に作られ、204の条文から成る。色川教授によって「五日市憲法」と命名された。
 「基本的人権の保障に多くの条文をさき、今の日本国憲法と比べても遜色のない民主的なものでした」
 本書は「五日市憲法」をめぐる著者の50年にわたる探索の記録だ。
 憲法草案を起草した千葉卓三郎(たくさぶろう)という人物は何者なのか。
 時間を費やしてようやくたどり着いた時、意外な素顔を知る。

 仙台藩士の子として生まれ、17歳で戊辰戦争に参戦し、敗北により「賊軍(ぞくぐん)」の汚名を負う。学問を修め、はい上がろうと懸命に生きた。29歳で五日市の勧能(かんのう)学校(五日市小学校の前身)の教師として着任し、自由民権運動が盛んだった地域で青年らと交わる。結核を患いながら憲法草案を書き上げ、31歳で他界した。
 卓三郎は医学、国学、キリスト教、漢学など幅広く学び、自身にとっての「法の精神」を身につけた。人生の集大成といえる五日市憲法は発見後、評価され歴史に刻まれた。
 著者は歴史研究の道を歩んだ。東京・町田市の自由民権資料館の開設に力を注ぎ、国立歴史民俗博物館助教授、専修大文学部教授を務めた。五日市憲法に導かれ半世紀、73歳になった。「それでもまだまだ調べ切れていないことがあって」と話す。
 今年は明治に改元されて150年の節目を迎える。改憲に向けた動きも急だ。五日市の歴史から学ぶべきものを、取材の最後に聞いた。
 「明治10年代、この地域では民主的な新しい社会を生み出そうとする機運があり、卓三郎を支えた。憲法とは生活に則したもので、国から与えられるものではないという強い思いがあった。そこに時代を超え、普遍的な意味を感じています」〔編集委員 伴野昭人〕


 昨日、パスポート更新ということで池袋に行った帰り、ブックオフで『五日市憲法草案をつくった男・千葉卓三郎』を手に入れることができました。作者のお一人のサイン入りでした。2014年出版で、解説が新井さんでした。子ども向けの本ですが、大人の読書にも充分耐えうるものです。
 あきる野市立五日市小学校の校長室に掲示されている千葉卓三郎の肖像画が掲載されていて懐かしくなりました。教育実習指導で訪ねたことを思い出しました。

■『五日市憲法草案をつくった男・千葉卓三郎』伊藤始・杉田秀子・望月武人、くもん出版 1,400円(税込1,512円)
[扉]
一九六八年八月二十七日。夏の日差しを浴びながら、曲がりくねった山道を進む、十数名の集団がありました。東京経済大学の色川大吉教授(当時)と、その教え子の大学生たちでした。やがて、一行の目の前に、古めかしい土蔵があらわれました。明治時代の初め、この地域の青年たちが、議論を重ねてつくりあげた憲法草案が、八十年余りもの長い眠りから、ついに目覚めるときが来たのです。「五日市憲法草案」をめぐる物語は、ここから始まります―。


〔180〕今年も、右翼の妨害にめげず、なんと6万人の参加の「5.3憲法集会」でしたよ。

2018年05月07日 | 市民運動
 今年の憲法記念日は久しぶりの集会日和でした。曇りがちの空模様でしたが、上着のいらない心地よい春の一日でした。12時からの集会にあわせておにぎりを持って、清瀬の仲間3人で参加しました。さらに清瀬からは別行動で2人、そして何と演劇教育の仲間も数人参加していたことをあとで知りました。
 正午にはもうかなりの人出で、中央ステージからはかなり離れたところに陣取りました。ゆりかもめの有明駅から降りたときから右翼が街宣車から例のごとく大音響でがなり始めていました。会場について芝生に座っていても、遠くから口汚いスピーカーの音声が聞こえてきます。
12時からは中央ステージでヒロユキ(仲里幸広)と「平和の鐘」合唱、佐藤タイジコンサートがありました。
 そしていよいよ1時、集会宣言・開会宣言です。司会は古今亭菊千代さん。
 次から次へとコメンテーターが入れ代わりました。この時の様子を一番丁寧に伝えていたのが私が知る限りレイバーネットでした。レイバーネットの報告記事をお借りしてコメンテーターだけでも紹介しておきます。

●東京・有明防災公園で行われた「5・3憲法集会」
 (主催:5・3憲法集会実行委員会)
 (協賛:総がかり行動実行委員会、市民連合)

*開会挨拶、高田健さん
*(トークⅠ)
 ①落合恵子さん(作家)
 ②竹信三恵子さん(和光大・教授)
 ③清末愛砂さん(室工大・准教授)
 ④山内敏弘さん(一橋大・名誉教授)

*政党からの挨拶
<立憲民主党・枝野代表>
<民進党・大塚代表>
<共産党・志位委員長>
<社民党・又一党首>
<自由党・小沢党首>(メッセージ)
*(プラカードアピール)
*(スピーチ)おしどりマコ・ケンさん
*(トークⅡ)
 ①沖縄問題(山城博治さん)
 ②フクシマ問題(武藤類子さん)
 ③高校生平和大使(布川さん、重松さん)
 ④教育と教科書問題(上山由里香さん)
 ⑤朝鮮高校無償化(東京朝鮮高校生徒・合唱部)
 ⑥武器輸出入問題(杉原浩司さん)
 ⑦貧困・格差問題(六郷伸司さん)
 ⑧働き方改革(岡田俊宏さん)
*(統一署名の報告)1、350万人の署名
*愉快な(プラカードコンクール)
*(連帯挨拶)市民連合の諏訪原健さん
*実行委員の福山真劫さんの行動提起
 ①9条改憲反対の取り組み(3000万署名を勝ち取ろう)
 ②森友・加計学園問題(国家の私物化許さない)5月8日新宿、5月19日国会へ
 ③辺野古基地建設反対の闘い 5月26日国会包囲へ
 ④東アジア平和確立の取り組み

 レイバーネットの報告は次のような記述で締めくくられています。

  テレビなどでは、改憲派の集会などが
  実際よりも大きく取り上げられていますが、
  安倍首相がビデをメッセージを寄せた日本会議系の
  「公開憲法フォーラム」に集まったのはたったの1200人です。
  それに対し、改憲に反対する集会はこの日、
  東京だけで6万人、全国では250カ所で集会を開いています。


  はてさて、全国紙ではどのようにこの集会がとりあげられているのでしょうか。毎日新聞を覗いてみましょう。ここでは新九条論の集会が一番大きく取り上げられていますね。

●憲法記念日 
「改憲」「護憲」ともに都内で集会(毎日新聞2018年5月3日 21時12分)
 憲法記念日の3日、改憲や護憲を訴える団体が東京都内で集会を開いた。自衛隊を明記して活動に歯止めをかける形での改憲を訴える第三極を模索する動きもあった。
 改憲を目指す「美しい日本の憲法をつくる国民の会」のフォーラムには約1200人(主催者発表)が参加。安倍晋三首相のビデオメッセージが流され、気象予報士でタレントの半井小絵(なからいさえ)氏が「北朝鮮の核・ミサイル開発など危機的な状況にもかかわらず、国会では大切な議論が行われていない」と述べた。
 改憲反対の署名活動を展開する護憲団体などの集会では、野党4党トップも演説。約6万人(主催者発表)が参加して安倍政権退陣を訴え、和光大の竹信三恵子教授は「平和ぼけという言葉があるが、憲法のありがたみが分からなくなっている」と警鐘を鳴らした。
 解釈で広がりかねない自衛隊の活動を憲法に明記して制約する「立憲的改憲」を主張する集会も開かれ、伊勢崎賢治・東京外国語大教授は「どの国も文民統制を考えている。憲法9条をどうするか国民的議論をすべきだ」と訴えた。
 伊勢崎教授は国連などで紛争地の武装解除などに関わり、国連平和維持活動(PKO)部隊の交戦を見てきた経験から「自衛隊は撃てないのに銃を持たされている」と指摘。東京大大学院の井上達夫教授も「日本は戦力を持っているのに、持っていないふりをしている。対抗的な改憲案を議論すべきだ」など、護憲派と改憲派の双方を批判。権力を縛る形での改憲を求めた。【最上和喜、成田有佳、金子淳】

  5月4日(金)の朝日新聞では1面に改憲派、護憲派の集会を紹介しています。23面では護憲派の集会を大きく取り上げているので溜飲が下がりました。「9条改憲NO!」「いいね!日本国憲法」のステッカーを掲げる参加者の写真が大きくカラーで写されていました。
  最後に、読んでいただきたい鎌田慧さんの新聞記事を紹介しておきます。


 ◆板門店の握手       鎌田 慧(ルポライター)

 テレビ中継にくぎ付けだった。金正恩(キムジョンウン)委員長が軍事境界線を
跨(また)いで韓国側に入った瞬間、「戦争は終わった」との感慨が胸を突いた。
文在寅(ムンジェイン)大統領の笑顔に警戒の影はなかった。「ここ板門店は分断
の象徴ではなく平和の象徴になった」。文氏の歴史的な名言である。

 境界線のむこうは敵国だった。その両側から眺めたことが二度ほどある。両側
で悪口を言い合い、緊張感が凍りついていた。それが一瞬にして氷解した。「対
決の歴史に終止符を打つために来た」金氏の決意表明だ。
 東西ベルリンを遮断していた、チェックポイント・チャーリーも、恐怖の境界
線だった。いまは検問所も取り払われ、日常的な街路と化した。異常な状態は人
間の努力によって必ず修復される。歴史の教訓を信じたい。

 南北和解のシーンをテレビで眺めてホッとしたのは、日本は悪役にならずにす
むからだ。1950年からの朝鮮戦争で、米軍が日本の基地から出撃し、日本は砲弾
輸出などで大儲(もう)けだった。
 その砲弾の下で、どれだけの人間が亡くなったことか。もしもこれから米国が
北朝鮮を攻撃すれば、集団的自衛権行使で自衛隊が出動させられよう。安倍首相
は「制裁強化」と拳(こぶし)を振り上げるだけ。
世界は大きく動いている。戦争に対する想像力と平和への強い希求も言葉も
ない首相では、この激動期に耐えられまい。
(5月1日東京新聞朝刊19面「本音のコラム」より)



〔179〕プーシキン美術館展を見た後は、「アベ政治を許さない」駅頭活動に合流しましょう。

2018年04月19日 | 美術
 本題に入る前に、信じられないような本当の話をしましょう。
 佐川 宣寿、第48代国税庁長官が国会にて証人喚問を受けたのは3月27日のことでした。その前日の午前中、NHKに思いあまって電話をしたのです。
「他局がすべて財務省文書を『改ざん』と表記しているのに、なぜNHKだけ『書き直し』なのでしょうか。悪意を持って書き直したのが事実であることがわかったのだから『改ざん』とすべきでしょう。」
 多少厳しい口調で言いました。NHKの職員はただ「ご意見ありがとうございました。」と話を聞くだけでした。ところが翌朝、NHKのテレビ番組欄を見てびっくり、何と「改ざん」となっていたのです。…私の電話が番組表記を変えたとは到底思えないのですが、おそらく多くの国民が同じことを感じていて、電話で抗議をしたのではないでしょうか。それらが力となってNHKを動かしたのでしょう。やはり行動しなければいけないなと実感した次第です。
 ちなみに「改ざん」表記はTBSとテレ朝が早く、日テレとテレビ東京、フジテレビは遅かったですね。どの局が権力を監視していて、どの局が権力に迎合しているかは番組表を比較してみると一目瞭然です。
 以前、清瀬市の広報に「Jアラートの全国一斉情報伝達訓練が実施されます」という案内が出ていました。「この訓練では市内全域の防災行政無線を起動し、下記の内容で試験放送を行いますので、ご了承ください。」とあったのです。そこでここでも電話作戦です。
「Jアラートの全国一斉情報伝達訓練は敵がい心を生み、煽るだけで自治体がやることではないでしょう。国に対して戦争回避のための話し合い外交を求めるのが自治体の役目ではないでしょうか。中止すべきです。」
 ここでも防災係はただ聞くだけで、ご意見として伺っておきますという態度なのです。実際は残念ながら放送は中止されませんでしたが、市民の意見が届いただけでも何かが変わるのではないでしょうか。多くの人が電話作戦に参加してくれることを願っています。

 さて、4月の東京都美術館のシニアディ(月1回、第3水曜日、年10回程度)に行こうがどうか迷ってしまいました。前日からの冷たい雨です。雨が止むのはどうやら昼過ぎの天気予報です。まあでも、雨の日に上野まで足を運ぶのは自分の健康のためでもあるのです。えいやあ、行ってしまえ! ということで「プーシキン美術館展-旅するフランス風景画」を見ることにしました。
 雨脚が弱まったお昼過ぎ、昼食を済ませて都美術館に乗り込みました。この雨の中でも美術館に向かう人は少なくありません。しかし、さすがに並ばなくても入館できました。
 しかし、人の後ろから作品を鑑賞するのもいつものことです。疲れるので「解説」はほとんど読まないことにしました。
 今までロシアを訪れたことはありません。だから今回のプーシキン美術館展の作品はすべて初めてでした。ロシアといえばいずれエルミタージュ美術館には行きたいとは思っているのですが…。特に、ダ・ヴィンチの2点の絵画とリーメンシュナイダーの作品鑑賞のためです。

 もう1つの情報があります。シニアディ以外でもシニア料金があります。1600円のところ65歳以上は1000円です。意外と知られていないことですが。

 では、東京都美術館のHPを紹介しましょう。

●プーシキン美術館展-旅するフランス風景画(東京都美術館HPより)
珠玉のフランス絵画コレクションで知られるモスクワのプーシキン美術館から、17世紀から20世紀の風景画65点が来日します。神話の物語や古代への憧憬、あるいは身近な自然や大都市パリの喧騒、果ては想像の世界に至るまで、描かれた時代と場所を軸にフランス近代風景画の流れをご紹介します。様々な情景を舞台にした風景画は、その土地のにおいや太陽の煌めき、風にそよぐ木々や街のさざめきをも感じさせてくれます。
 なかでも、初来日となるモネの《草上の昼食》では、同時代の人物たちとみずみずしい自然の風景が見事に調和しています。印象派の誕生前夜、26歳となる若きモネの魅力溢れる作品です。
 ほかにもロラン、ブーシェ、コロー、ルノワール、セザンヌ、ゴーガン、ルソーらの作品が集います。
 初夏の上野で、巨匠たちが愛した光と色彩が躍る美しい風景を巡る「旅」をどうぞお楽しみください。

○みどころ
1. ロシア・モスクワから65点が来日
 革命前のモスクワで財をなした伝説的な2人のコレクター、セルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフが19世紀末から20世紀初頭に収集したコレクションを中心に、モスクワのプーシキン美術館からフランスの近代風景画65点をご紹介します。
2. フランス近代風景画の流れがわかる
 17世紀半ばから20世紀初頭のフランス風景画を、描かれた時代と場所を軸に展示します。芸術家たちの自然に対するまなざしと表現の変化をご堪能いただけます。
3. クロード・モネ《草上の昼食》初来日!
 《草上の昼食》は、モネが印象派の画家として花開く前、20代半ばで描いたみずみずしい作品です。マネの《草上の昼食》に刺激を受け着手した、若きモネの挑戦が初来日します。

 今回の展覧会で最も楽しみにしていたのはアンリ・ルソーの作品でした。代表作はほぼ見尽くしているのですが、「馬を襲うジャガー」はまだ見ていません。印象派とは全く異質な作品に驚きます。一際輝いて私には映りました。だって、とても奇妙な絵なのです。襲われているはずの馬がこちらをじっと見つめています。まるで陶酔しているかのようです。エクスタシーの表情のように見えなくもありません。ルソーの絵はいつもそうです。実に静かなあり得ない世界が充満しているのです。
 私はルソーが大好きで、下掲の作品はすべて見ています。ここでルソーに出合うとは、思わぬ収穫でした。

■ルソーの代表作(ウィキペディアより)
私自身:肖像=風景(1890年)(プラハ国立美術館)
戦争(1894年)(オルセー美術館)
眠るジプシー女(1897年)(ニューヨーク近代美術館)
蛇使いの女(1907年)(オルセー美術館)
ジュニエ爺さんの二輪馬車(1908年)(オランジュリー美術館)


 さて、この日は、池袋のブックオフとジュンク堂に足を運んで、清瀬駅での街頭行動に合流しました。いつもの北口のペデストリアンデッキは共産党の市議さん等が陣取っていました。そこで南口に移動して、自民党の改憲4項目批判をマイクで展開しました。無所属市民派市議と一緒でした。「東京電力福島原発刑事訴訟 厳正な判決を求める署名」「安倍政権での憲法改悪反対3000万」署名、市議会だより、肉球新党の憲法パンフレット、脱原発・反原発集会のお知らせ(前ブログ参照)などの配布でした。
 街角で我々を目にしたら声をかけてくださいね。

〔178〕清瀬発。2つの脱原発・反原発集会を開催しますぞ!

2018年04月12日 | 市民運動
 まずはじっくり2枚のチラシを見て下さい。東京・清瀬の地でこんな2つの集会を開きます。市内だけではなく、東久留米や東村山、西東京など近隣の方、西武線沿線の方、どうぞいらして下さい。もちろん遠いところにお住まいの方でも大歓迎です。
 

  


  私たちは清瀬から脱原発・反原発の運動を進めています!