後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔574〕3月21日は「佐藤公子パーティ 55周年記念発表会」(ラボ教育センター)に馳せ参じました。

2023年03月25日 | ラボ教育センターなど
 3月21日(火、春分の日)は「さようなら原発 全国集会」(代々木公園)の日でした。岸田内閣による許しがたい原発再稼働・原発新設方針のことを考えると、本来なら駆けつけなければならないのですが、先約がありそれは叶いませんでした。

 昨年のいつ頃だったでしょうか、「佐藤公子パーティ 55周年記念発表会」(ラボ教育センター)の参加申し込みメールが係の学生から届きました。以前の50周年記念発表会に伺えなかったことがあって、今回はどうしても参観したいと思ったのです。
 私はラボ教育センターの言語教育総合研究所に所属していて、2006年から研究活動を継続しています。研究テーマはラボ教育センターのテーマ活動の方法論の探求です。その研究手段として、テューターへのインタビューを通してその方法を探り出そうというものでした。
 今まで4人のインタビューを終えていますが、文章化しているのは3人です。近々4人目のインタビューのまとめが完成の予定です。
 さて、そのインタビューの1回目に登場いただいたのが佐藤公子さんでした。5年ほど前のことでした。優れた実践家として名前が全国に響き渡っている方です。私が注目したのは彼女が東京外語大の学生の時に、あの伝説の劇団ぶどう座から劇団雲に所属して、俳優をめざしていたことです。リアルタイムで木下順二、山本安英、竹内敏晴などといったそうそうたる伝説的メンバーと交流があったということです。ひょっとして茨木のり子さんとの出会いもあったのではないでしょうか。

 佐藤パーティには驚かされることばかりですが、そのひとつは、このパーティがなんと55年も続いていることです。しかも子どもたちが1歳から大学生まで約60人が在籍しているというのです。約20歳の年の差のある異年齢集団の共同体というのが凄いですね。私は小学校教師と大学講師で約50年になりますが、それよりも5年も多く、脱帽です。



 さて、会場は座・高円寺(中央線高円寺駅徒歩数分)でした。研究活動で一番お世話になっている事務局の吉岡美詠子さんも同席されました。
 当日のプログラムを紹介しましょう。第1部から第3部まで実に盛りだくさんの出し物です。第2部までしか参加できませんでしたが、その内容にまずもって圧倒されました。




*100頁を越す充実した記念誌


 現在在籍している子どもたちだけでも幼児・小学生、全員、シニアクラス、高大生有志の発表と多彩です。それだけではなく、なんと保護者、OBOG、さらに他のパーティ、ラボテューターのパフォーマンスまで目白押しです。昼過ぎに始まって終了は何時だったのでしょうか。
 招待席の中央で弾ける躍動を拝見しながら、小学校教師時代の学級学習発表会を思い出していました。3学期のある日、教室に保護者の方を迎え、楽器演奏、合唱、縄跳び、そして詩の朗読と群読、朗読劇、劇などを展開したのでした。さらに、お母さん方が用意してくれた飲み物やお菓子を前にして、私から子どもたち一人ひとりの活躍について紹介し、最後はお母さん手製の私への感謝状授与で幕が閉じられるのでした。




*佐藤公子さん登場!


  この半日、豊穣な劇的表現空間に身を浸し、全身が覚醒するのを実感したのでした。








〔326〕岡山県立邑久(おく)高校の「地域学」の実践は「学」んで「問」うことを大切にしています。

2021年01月22日 | ラボ教育センターなど
 またまた矢部顕さんのメールです。
 岡山県立邑久(おく)高校には「地域学」というユニークな授業があるそうです。その授業の外部講師の一人、矢部さんからの貴重な報告です。私も近隣なら参加してみたかったです。


●福田三津夫様

ハンセン病関連で、一昨日、岡山市のお隣の市であります瀬戸内市にある県立邑久
(おく)高校で、2020年度の「地域学」実践報告会があって参加してきました。

ドキュメンタリー製作は次の世代への継承という意味があるわけですが、この「地域学」
の学びも、若い世代への継承という意味ではとても重要なものだと感じました。

高校生が地域へ目を向け地域から学ぶ「地域学」の試みについて、以前にもお知らせ
しましたのでダブりますが再度お知らせします。

国立療養所長島愛生園と邑久光明園の地元の高校生が学んでいることの一端がわかって
いただけるように思います。

この岡山県立邑久高校にはかつて新良田教室という分校が長島愛生園にあったのです。
13か所の国立療養所で唯一の高校でした。全国の療養所にいる若者が受験して、この高校を
目指したのです。高校での勉学と、その先の進学と社会復帰を可能にする希望の高校だったのです。

しかし、かつてそのような分校があったことを邑久高校の教師も生徒も知りませんでした。3年前までは。

「地域学」という、地域のことを学ぶ取り組みが始まって、同じ市内にハンセン病療養所があり、そこに自分たちの学校の分校があったことを知るのです。

昨年7月に、「地域学」の授業で、わたくしは「ハンセン病と交流(むすび)の家」についての講話をしました。
地域のことを学ぶいくつかのグループがあるのですが、そのひとつにハンセン病について研究するグループがあって、何人かの外部講師のひとりとしての講義です。
これで3年目3回目です。
その時の講義風景が新聞記事になりました。添付します。(これは以前お送りしました。)

講義だけでなく、実際に長島愛生園を訪問して、入所者の方の話を聞いたり、歴史館を見学学習したりもしたようです。

そして一昨日、2020年度1年間の研究の成果を発表する実践報告会が行われたのでした。
チラシを添付します。

「地域学」というのは、なかなか良い試みだと思います。教師もテキストだけを教えていればそれで済むということではありませんので、生徒と共に学ぶという姿勢も問われてきます。

私の高校時代は、地域のことから学び地域に貢献する人材の育成などのことは全くなくて、
ともかくいい大学に入ることだけが目的の教育でした。当時はおしなべてそういう時代でした。
その結果が、現在、日本中で地方・地域の衰退という現実となっていったたことは明らかであります。

「勉強」という言葉は「強」いられた「勉」めという感がありますが、「学」んで「問」う「地域学」は「学問」の始まりでありましょう。
試験で正解がひとつ、と答えることだけを訓練されることではない、大切なことを学んでいると思います。

ハンセン病問題は、この高校の若者たちの学びによって継承されていくことでしょう。

矢部 顕

〔281〕あの矢部顕さんの「ハンセン病と交流(むすび)の家」についての講話をテレビと新聞が取り上げました。

2020年07月04日 | ラボ教育センターなど
  もう何回もこのブログに登場していただいている矢部顕さんが、瀬戸内市にある県立邑久高校で授業をされました。「ハンセン病と交流(むすび)の家」についての講話だそうです。この学校では今までに何回か授業を頼まれたということです。このことを地元のテレビが取り上げました。矢部さんのメールとご一緒に生の矢部さんをご覧ください。いい顔されています。
  どうぞ!

●福田三津夫様

昨日、お隣の市である瀬戸内市にある県立邑久高校の「地域学」の
授業で、「ハンセン病と交流(むすび)の家」についての講話を
しました。
「地域学」というのは、なかなか良い試みだと思います。

下記をクリックしていただくとニュースの動画を見ることが出来ます。
https://drive.google.com/file/d/1D0VkdNGqBEATQRYhAzRwsZWm5U6w8zBo/view

矢部 顕

この授業のことが新聞記事になりました。しっかり書かれた記事だということでこちらもどうぞ。

〔269〕今こそ「反逆老人は死なず」、ルポライター鎌田慧さんに学びたいですね。

2020年05月18日 | ラボ教育センターなど
 ある朝目覚めて新聞に目を通したら、鎌田慧さんのことが書かれていました。こんな書き出しです。

○朝日新聞・天声人語(2020年5月15日)
 ルポライター鎌田慧さんが書いた『六ケ所村の記録』には、大規模開発のために住民が立ち退き、村の小学校が閉校になった話が出てくる。子どもの作文が紹介されていて、「私は、開発がにくくてたまりません」とつづられている▼工場が立ち並び、都市が生まれる。そんなバラ色の開発話は実現しないまま、1984年の閉校を…

  青森県六カ所村にやってきたのは使用済み核燃料再処理工場でした。30年以上前の話です。ところが、あろうことか、数日前にその稼働の判断が原子力規制委員会で下されたというではありませんか。ではこの間、原発では何をしていたのでしょうか。膨大の金を費やしたのですが、再処理した燃料を燃やすはずの高速増殖炉が機能させられないというのです。原発大国のアメリカやフランスはとうにこの計画を断念していると聞いています。
どこまで公金、血税を使い続けるつもりでしょうか。さっさと撤退をして、コロナにお金を振り分けたらと思うのですが。
 ところがそうはいかない事情もあるようです。すでに搬入された核廃棄物の行き場がないというのです。発出元の原発は核のごみで満杯なのです。
 いったい誰がこれらの責任を取るのでしょうか。

 ところで、核問題をはじめとして、弱者の立場から様々な社会問題を提起し続けてきたのがルポライターの鎌田慧さんです。すでに80歳を超えているはずですが、自らを「反逆老人」と称して、様々な紙誌で発言を続けています。私の知る限りでも、東京新聞「本音のコラム」、共同通信「忘れ得ぬ言葉」、週刊新社会「沈思実行」、藤原書店の「機」などで連載を抱えています。まさに「反逆老人は死なず」です。(岩波書店から同名の本が昨年暮れに出版されています。ブログで紹介しています。) 
  「沈思実行」(2020年5月19日)ではコラムを次のように結んでいます。

 「人が生きるための運動が平和闘争だ。コロナのあと、反戦、脱原発、沖縄の連続闘争だ。」

  おまけで、「本音のコラム」もどうぞ。
 これを書いているとき、検察庁法改正案政府可決断念のニュースが流れました。やったね!
 その切っ掛けとなったのが若者のツイッター発信でした。さらに老若男女のスタンディング運動でした。コロナではやれることはあるのですね。学びました。
 少しでも住みよい日本になるように、民主主義が根付くように、「連帯を求めて孤立を恐れず」頑張りましょう。


 ◆「コロナ」と「米戦略爆撃機と自衛隊戦闘機」との軍事訓練
  「コロナ」にたいする防衛は国際協調でしか闘えない

              鎌田 慧(ルポライター)
 「自粛」期間が長引いて運動不足。内閣の息のかかった黒川弘務氏
を、検事総長ヘゴリ押しするデタラメ格上げ人事への抗議デモも
できず、欲求不満。
 地上では見えないコロナウイルスに頭を垂れ、鬱屈しているうちに、
秘密裡にすすめられているのが、はるか上空での米戦略爆撃機と自衛隊
戦闘機との編隊訓練だ。

 混乱につけ込むのがアベ政治特有の戦術だが、この合同訓練が
いままでとちがうのは、米本土を飛び立った爆撃機が、日本列島に到達
しても着陸することはない。
 何回かの空中給油を受け、30時間ほどの飛行を続け、そのまま米本土
へ帰還している。だから、コロナ騒ぎのなかで、誰からも気付かれる
ことはない。

 自衛隊戦闘機を15機ほど護衛に従え、先月下旬から週1回ほどの
演習を繰り返している。高度1万メートルからの精密誘導弾投下の
秘密作戦である。
 米軍は北朝鮮、中国に対する抑止力として、グアム島に配備していた
B1とB52戦略爆撃機を先月、本土の基地に引き揚げた。
 青森県三沢基地空域での訓練をスクープした「東奥日報」の斉藤
光政記者は「最初は三沢基地付近での日米合同訓練だったのが、いまは
沖縄まで足を延ばして訓練、米本土に帰っているようです」と
指摘している。
 コロナにたいする防衛は国際協調でしか闘えない。
 軍事強化では勝てない。
       (5月12日東京新聞朝刊21面「本音のコラム」より)

〔222〕留学先の高校のシンボル「原爆のきのこ雲」に違和感を表明したのはラボ教育センターのラボっ子でした。

2019年06月15日 | ラボ教育センターなど
 今回のブログは前のブログの続編のような話です。
 ラボ教育センターの教育事業局長の木原竜平さんから以下のようなメールがありました。

■ラボ言語教育総合研究所の皆様
 本日6月13日(木)夜7時のNHKニュースに,ラボ高校留学生への取材が放送される予定です。
 11日(火)に帰国したラボ高校留学生の古賀野々華(18歳・九州・金森P)さんは,ワシントン州Richlandの高校(Richland High School)に1年間留学していました。
 Richlandは,第2次世界大戦時にアメリカが開発した原子爆弾の生産基地でした。そのためその土地の公立高校Richland High Schoolの,学校のシンボルであるマスコットは,mashuroom cloud(原爆のきのこ雲)であり,地域の人びとはそれを誇りに思っています。
 そのことに違和感をおぼえた古賀さんは,学校の先生に相談してBroadcast(放送)の授業で制作するYoutubeに出演。彼女の意見を述べました。

https://www.youtube.com/watch?v=mpY8q1XH3QI&feature=youtu.be&fbclid=IwAR0v09iqZ_-
Tslv9zud1XmX7gsfuD9mdhRI4NJdPxxsYMzRpJVp8OFUFvVU


 このことを報じたアメリカのニュースを見たNHK記者が,帰国直前の古賀さんにコンタクトを取り,帰国直後の古賀さんをNHK本局にて取材しました。

https://www.usnews.com/news/best-states/washington/articles/2019-06-09/japanese-
exchange-student-speaks-about-mushroom-cloud-logo
 
 ※番組の都合により放映が変更になる可能性があります。ご了承ください。
 以上,直前になり恐縮ですが,お知らせ致します。
                      ラボ教育センター 木原竜平


 私(福田三津夫)が木原さんのメールを読んだのは残念ながら夜の8時でした。NHKニュースはすでに終了していたのです。しかしながらメールに添付されたサイトを開いて驚愕しました。高校留学生の古賀野々華さんが「完全アウェー」の中、堂々と英語で自分の念いの丈を開陳しているのです。また、それを受け止めるアメリカの友人や教師たちの度量の広さが素敵です。
 NHKニュースではどのように報じられていたのか気になってアクセスしました。ありました、ありました。以下に添付しましょう。
 古賀野々華さんのこの話題をフジテレビも取り上げるということも木原さんから伝わってきました。
  確たる意思を持って清々しく登場した若者に拍手を送りたいと思います。そして、彼女を育んだであろうラボ教育センターの「地域演劇教育活動」を引き続き注視し続けたいと思うのです。


https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190613/k10011950881000.html?utm_int=all_side_ranking-access_003


〔214〕「こまと人形劇のクマゴロウ」久我良三さんの海外公演と真摯な生き方に触発されました。

2019年04月10日 | ラボ教育センターなど
 前ブログで紹介したミニコミ「啓」最終号を約100名の方に送ったところ、メール・はがき・手紙・電話など多くの反応・反響があり、ここ1,2週間でなんと合計30件を数えました。貴重な内容が多く含まれていますので、許可をいただいてそのいくつかを紹介しましょう。
 まずは「こまと人形劇のクマゴロウ」こと久我良三さんの手紙です。私と同世代で演劇教育の仲間の彼のことは以前ブログ〔8〕で紹介しました。それは私が書いた彼の講座の記録です。
 まずは久我さんの手紙の一部を読んでみてください。「啓」93号に掲載された「寒川道夫の光と影」(所収、拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』晩成書房、ブログ〔189〕参照)の文章にショックを受けたという内容です。

■久我良三さんの手紙
 (スキーから)帰ってきたら、100号が届いていました。すごい…の一言です。100号の終わりのほうから送っていただいたと思います。
 一番の思い出は『山芋』のことです。「啓」の中で『山芋』の創作について疑問があり、太郎良信氏の本を紹介されていた号です。ずっと日本作文の会に加入して、実践してきた私にとってすごくショックでした。すぐに太郎良氏の『山芋の真実』を取り寄せました。そして分かりました。寒川氏が大関松三郎を作り上げたのだと。かなりのショックでした。そして、自分なりの決着を小説の形にしてみました。
 民主文学の会員になっていますので、うちの支部の支部会誌に「フェイク」という小説にしてみました。作品のほうが勝手に有名になってしまって、寒川氏も驚いたのでしょうが…、有名になっていく恍惚感が身の回りを包んでいったのでしょうか。私は教師の生きがいは子どもだと思ってきました。校長になるという小さな出世、こんなのはOKです。実践を発表して有名になって、タレントになっていく人とか、いろいろいましたが寒川氏はある意味ラッキーでした。きちんと批判することがなしで、校長を終え、市長に立候補して、亡くなられているからです。
 100号ご苦労様、ありがとうと言うつもりで書き出しましたが、寒川さんの批判を書いてしまいました。
(略)
 100号「啓」がんばりました。じっくりと過ぎし日々……本当に長い日々。「啓」は終了しても何らかの形で連絡し合いましょう。
刻んで来た日々の事実、出来事、思想、すごいと思います。積み重ねてこないと100段目は重ねることはできません。一つ抜けてもできないのですから。
 またいつかお会いしましょう。


 このようなお手紙をいただくと、43年間ミニコミを発行し続けてきて良かったと、素直に嬉しくなるのです。
 手紙のほかに短編物語「フェイク」〔磨樹潤三(久我良三ペンネーム)、「あやとり」46号、民主主義文学会 あやとり支部〕が同封されていました。創作の形をとっていますが、主人公はどうやら久我さんと重ねて書かれているに違いありません。大関松三郎の詩を子どもたちに教えてきたことに対する後悔の念と忸怩たる思いが伝わってきます。私にも共通する思いがあります。このあたりのことを拙著では詳しく触れていますので、読んでいただきたく思います。
 彼の手紙には「こまと人形劇のクマゴロウ只今公演中 スリランカ編」という8枚に及ぶ文章が同封されていました。昨年の10月に10日間ほど、スリランカでこまと人形劇の公演を行ったというのです。千葉で小学校教師を定年退職した後、日本中をほぼ無料で公演して回った彼が、ついに縁のあるスリランカまで足を伸ばしたというわけです。教師向けの講座も予定されているという、彼の旺盛な活動から目が離せませんね。

 …ここまでブログに掲載したら、なんと久我さんからはがきが届きました。近況報告になっているので追加させてもらいます。

■久我良三さんのはがき
 この前、組合のイベントで若い先生たちに、こままわし、人形劇、ピタゴラスイッチをやってきました。ピタゴラ装置の一番新しいものは、ビー玉がジェットコースターのように動くものです。今考えている新しい道具は巨大万華鏡です。大きな洗面所用の鏡3枚手に入ったので、この中をビー玉が転がり、LEDのライトがピカピカ光りキラキラと回るという装置です。考えて、ああでもないこうでもないと作っているときが一番楽しい時間でもあります。
 スリランカから学校を回ってほしいと要請がありましたので6月頃に行こうかと思っています。最近、老いを感じるようになってきました。足が動いているあいだに、できるだけ数多く行こうと思ってます。


〔202〕「朗読劇と詩が語る非核非戦の集い」は大学生の朗読劇と詩人の詩の朗読で贅沢な会でした。

2018年12月26日 | ラボ教育センターなど
 その集会の案内を最初に見たのはたんぽぽ舎のメルマガでした。「朗読劇と詩が語る非核非戦の集い」が武蔵大学であるというのです。武蔵大学HPには以下のような案内があります。

■武蔵大学HPより
12月22日(土)に永田浩三ゼミ主催の「朗読劇と詩が語る非核非戦の集い」が本学にて開催されます。市民と学生との交流を通じて非核平和について考えたいと思います。どうぞご参加ください。

第一部 武蔵大学学生による朗読劇「わたしたち朝鮮人がヒロシマで体験したこと」
    永田浩三 武蔵大学社会学部教授 のお話

第二部 詩の朗読 石川逸子さん、青山晴江さん、佐川亜紀さん、鈴木比佐雄さん
◎市民と学生の交流

日時:2018年12月22日(土) 13:30~16:00(予定)
場所:武蔵大学江古田キャンパス1002教室(正門入り左、1号館の地階)
武蔵大学江古田キャンパスへのアクセス
主催:武蔵大学永田浩三ゼミ、在韓被爆者問題市民会議、ヒロシマ連続講座
協力:早稲田大学日韓未来構築フォーラム誠神交流
資料代:300円(学生無料)


 案内を見てこの集会に参加したいなと思ったのは、まずは会場が実家のすぐ近くであること、さらに大学生による朗読劇ということで、これはまさに演劇教育の範疇に入るということ、その前々日に朝日新聞にその記事が出たこと、石川逸子さんがみえるということなどが重なってのことでした。これはまさに行くっきゃない! という思いでした。
 2018年12月20日の朝日新聞には「朝鮮被爆者の人生 広島弁で語る」「22日 武蔵大生が朗読劇」(豊秀一)とありました。
 武蔵大学は小学生の私にとっての格好の遊び場でした。大学の中に小川が流れていて、お玉杓子がいっぱいいました。加えてクワガタや蝉などの昆虫も魅力でした。椎の実や柿がなっていました。ただし、鉄条網の下をくぐって守衛さんに見つからないようにしての遊びでした。
噂では自転車で巡回してくる守衛さんに捕まったという子どももいたということでした。
 正門から堂々と大学に入ったのは、小学校5年生ぐらいの時でした。担任の男の先生が作文教育に熱心で、私の作文をコンクールに応募してくれたのです。それが入賞して大学で表彰式があったのです。確か毎日新聞と武蔵大学が後援だったような記憶があるのです。賞状と国語辞典をもらったのを覚えています。
 集会会場はとても近代的な1号館の地階でした。集会の休憩中に、その部屋の裏手を回ってみたところ、大学構内の整備された小川の大きな写真が一面に張り巡らされていました。かつて私たちが遊び回った小さな小川があまりにも美しくそこに映し出されているのでした。

 さて、この集会は3団体共催ということで2回に分けてもいいような、実に内容豊富なものでした。資料も充実していて資料代が300円とはとても信じられませんでした。用意された資料60部がなくなり、参加者は七十数人にのぼりました。
 私が一番関心を持っていたのは武蔵大学学生による朗読劇「わたしたち朝鮮人がヒロシマで体験したこと」でした。学生たちは永田浩三社会学部教授の指導を受けながら朗読劇台本を作成しました。

・第1章 8月6日、何を体験したのか
・第2章 日本に、広島に渡ったいきさつ
・第3章 被爆の後の差別
・第4章 日本政府との闘い
・第5章 最終章


 長らく韓国人原爆犠牲者慰霊碑が平和公園内外にあったということは知ってはいても、広島にいた朝鮮人が2~3万人も被爆に遭っているいることは衝撃でした。全体の10人に一人が朝鮮人ということになります。
大学3年生18人が二重の差別を受けたともいえる朝鮮人被爆者のことを掘り起こし、脚本化して上演にまでこぎ着けた学びに大きな拍手を送りたいと思います。発表会は今回で2回目であったようです。一回目の発表は今年の8月、広島でのことでした。そのときの様子を新聞が伝えています。


■東京新聞 2018年8月25日

<つなぐ 戦後73年>広島の朝鮮人被爆者の被害 武蔵大生が朗読劇に

 広島の朝鮮人被爆者の被害を語り継ごうと、武蔵大社会学部(練馬区)の学生たちが朗読劇を作った。二十六日に広島平和記念資料館(広島市)で発表する。朝鮮半島で非核化に向けた動きが高まるこの夏、日本人だけではなかった原爆の被害に光を当てようとしている。 (渡辺聖子)
 取り組んでいるのは、永田浩三教授のゼミでメディアについて学ぶ三年生十八人。朝鮮人被爆者の関係者の証言やインタビューをまとめた本を読み、印象に残った言葉を抜き出し、四十分ほどの作品に仕立てた。
 題名は「わたしたち朝鮮人がヒロシマで体験したこと」。日本の植民地政策によって祖国を追われるようにして来日し被爆した体験と、その後の差別や苦労を描いた。日本人と同様に被爆者健康手帳を交付するよう求めた裁判闘争の歴史や、帰国した被爆者に平岡敬・元広島市長が聞き取りした様子も盛り込んだ。
 朝鮮人という視点から知った歴史に衝撃を受けた学生は少なくない。脚本を担当した大谷ひかりさん(21)は、朝鮮人被爆者の存在について「今までなぜ知らなかったのかと羞恥心にかられた」と話す。
 朗読という形式をとったことから、大谷さんの提案で広島弁で語ることに。学生はみな関東出身のため、永田教授の知人で広島市出身の会社員太田恵さん(52)=さいたま市=に抑揚などを教わっている。指導を通じて「あらためて深く知ることになった」という太田さんは「ずっしりと心に残る体験になると思う」と学生の活動に協力する。
 助監督を務める内藤唯さん(21)は「広島の人たちに朗読劇が受け入れてもらえるのか不安もある」としながら、「私たちの世代でも原爆について考えたり、歴史を受け継いだりできるということを伝えられたら」と話す。


〔70〕祝!劇団ひこばえ通信100号。でも「廃刊」とは惜しいです。

2016年01月29日 | ラボ教育センターなど
  横浜の村上芳信さんが発行する劇団ひこばえ通信100号が送られてきました。A4版で28ページ立ての写真も多数入った十分読みでのあるものです。私たち夫婦のミニコミ「啓」よりも一足早く100号に到達しました。100号とは目出度いことですが、これをもって「廃刊」と書かれています。今は残念な思いが募ります。
  *劇団ひこばえ通信90号についてはブログ〔19〕を参照してください。
  気を取り直して、内容(目次)を紹介しましょう。

●劇団ひこばえ通信100号
1 第14回横浜市中学校発表会(2015,12,17 緑区民文化センター)
   山内中学校演劇部発表  作 岡村日向「銃後の乙女と呼ばれて」報告
   「よみがえった戦時下勤労動員学徒少女たちと演劇教育の良心」
   「銃後の乙女と呼ばれて」ひこばえ親子きょういく塾 観劇感想
2 劇団ひこばえ通信100号記念特集 「教育と演劇と地域との交差点!」
  メッセージ 齋藤眞廣 サトウマコト 篠原睦洽 白井沙緒里 柴田松弥 中山のり  子 入江勝通 大溝アキラ
3 劇団ひこば支通信100号記念特集
  特集1「わたしの教育実践から「ゆとり教育」と「演劇教育」を省みて」
  特集2「教育課程の中にドラマをもうひとつの教科として増やそう」
4 社会を変える脱原発達勤の可能性を見た!小熊英二監督 映画「首相官邸の前で」
  プ・ジョン監督 韓国映画 「明日(あした)へ」
5 わたしの方丈記⑨ 今年も鎌倉にて2015年を締めくくる(東慶寺高見順墓にて)
6 わたしの方丈紀(編集後記)
    発行 2016年1月23日 よこはま演劇教育事務所

 どれも読み応えある記事なのですが、私にとってはとりわけ〔特集1「わたしの教育実践から「ゆとり教育」と「演劇教育」を省みて〕が興味深かったです。村上さんは次のように書き出されています。

●ひこぱえ15周年・100号記念特集1 わたしの教育実践
 「ゆとり教育」と「演劇教育」でのわたしの教育実践覚書
  福田三津夫さんが発行されている「啓91号」において、亡くなられた村田栄一さんを追悼されて「村田栄一論」を掲載されておられました。それを拝見してわたしは村田栄一さんへの惜別として、「劇団ひこばえ通信77号」に「国民教育論批判から、国民教育そのものの根底的批判へ」を村田栄一さんへの惜別として掲載しました。
 これにたいして福田さんから「私が興味があるのは、村上さんが横浜学校労働者組合で教育運動と同時並行で展開された教室での実践です。そこからさらに演劇教育への発展を…まとめてほしい」とのご教示をいただきました。
 そこで「劇団ひこばえ通信100号」記念特集において、わたしが教員であった1966年4月1日から2004年3月31日(再任用教員の1年間を含む)まで、そのほとんどが横浜の中学生によるホームレス連続殺傷事件に代表されるように〈子どもの変容〉が厳しい横浜の中学校現場で苦闘しながら、子どもとのかかわりをどうつくっていったのか、そしてそのかかわりをもとにどのような教育をつくろうとしたのか。私がつくってきた演劇教育とどうつながっているのか。それらについて、わたしが赴任した中学校ごとに「覚書」としてまとめたものです。

 有り難いことに、この文章のきっかけが私のメールだというのです。しかし、それに真摯に応えてくださった村上さんに頭が下がる思いです。この力作のアウトラインだけでも読者の皆様と共有したいと思います。

  村上さんは1966年、戸塚区の横浜市立中学校教員として教職をスタートさせます。学級での教育実践は、全国生活指導研究協議会の集団主義教育による「討議づくり」「核づくり」「班づくり」の学級づくりでした。集団主義的教育、学級集団づくりともいわれるこうした実践は私自身もかじった経験があります。
 ここで村上さんが力を注いだのが、「生徒会活動の活性化をめざして、学校行事・特活で『生徒会が創る文化祭』つくり」でした。
 1971年、村上さんは神奈川区の中学校に転勤します。この時期、子どもたちの荒れが社会問題になり、1982年横浜の中学生によるホームレス連続殺傷事件が起こります。集団主義的教育、学級集団づくりでもこうした子どもたちには対応できなくなったと言います。子どもの変容を前にして村上さんがとった方法は、学校の外に子どもたちの「たまり場」をつくったことです。相談員や弁護士とのネットワークを独自につくり、子どもたちの世話を徹底してやったと言います。
  この頃村上さんは、新組合をつくって教育労働運動に力を注ぎます。まさに教育労働運動と教育実践が活動の車の両輪になっていきました。
  1984年、村上さんは緑区の中学に赴任し、組合専従から教職に復帰します。
  ここで取り組んだのが「作者と語り合う読書会つくり」です。さらに、「障害児を普通学級で学ぶことを希望する保護者(団体)の要求を受けいれ、共生教育に取り組んだ」と言います。
 そして1993年、教職最後の青葉区の中学に50代で転勤します。ここでほぼ偶然的に演劇部の顧問を引き受け、演劇教育を強く意識されたようです。総合学習や「平和・人権を演劇表現で地域に結んでいく」実践などは演劇的教育実践と呼べるものでしょう。

 ごく簡単に村上原稿をなぞってきて今思うことは、凄い教育実践家だということです。通信を頂いてのとりあえずの返信メールには、劇団ひこばえ通信100号までの蓄積と「演劇と教育」に数回連載された文章をもとに、本でもブックレットでも良いのですが、教育実践記録をまとめてほしいということでした。通信を読んでない人にも是非この実践を届けてほしいと思ったのです。
 劇団ひこばえ通信100号まで、ナイス・ファイトでした。

〔61〕授業「憲法ってなんだっけ?」(菅間正道さん指導)は大人も子どもも大満足でした。

2015年12月09日 | ラボ教育センターなど
  2015年12月6日(日)の昼過ぎ、私は東京都の東村山市スポーツセンターにいました。週一回バドミントンで通っている馴染みの場所です。ここに研修室があるのですね。初めて知りました。NPO法人 HUGこどもパートナーズ主催の「憲法ってなんだっけ?」という授業があるというので参加しました。
 さて、HUGこどもパートナーズとはどのような団体なのか、HPから拾ってみましょう。

■NPO法人 HUGこどもパートナーズ     
HUGこどもパートナーズとは?
新しく生まれた命。
かわいいけれど困ったこともいっぱい。
「ママ友がほしいな・・」
「こんな時はどうしたらいいの? 相談にのってほしい」
誰かかがなんとかしてくれるのを待っていてもはじまらない。東村山が子育てしやすいまちになるように、自分達でやれることをやっていこうよ。
そんな思いで子育て当事者が集まってできたNPO、それがHUGこどもパートナーズです。
ボランティアで始めた小さな「親子サロン」が事業の始まりでした。
今は子育てひろばの運営や情報誌の発行など、困っていたママ達当事者の力が仕事や活動につながっています。子育て中だけど、社会と関わることがしたい、お母さん同士支え合いたい、そんな一歩を応援する活動を今後も広めていきたいと思います。

●主な事業内容
1.親子サロンなどの居場所づくり事業
  ぷくぷく、ぽっとなど親子サロンの開催
  2ヶ月ママ、5ヶ月ママなど月齢別
  プログラムの開催
2.子ども・子育てに関する学習機会の提供事業
  講演会・講座の企画、調査など
3.子ども・子育てに関する情報発信・交流事業
  「トコトコ通信」の発行
  会報誌「HUGコミ」の発行
  「子どものために選挙に行こう」呼びかけ
   HPの運営など
4.育児サポート事業
  ①東村山市ファミリー・サポート・センター
  ②育児サポート まめっちょ

 会の代表の磯部妙さんは私の教え子・桃ちゃんのお母さんです。数年前にこの会で子どもを見る目や学校との連携などについて、現場からの実践的な話をさせてもらったことがあります。
 今回は自由の森学園の社会科教師、菅間正道さんの話が聞けるというので楽しみにしていました。教育科学研究会で常任委員をしていて、実践記録も多く書かれています。直近では、雑誌「教育」2015年9月号に「僕の“政治の授業”はどうだったろうか?」を興味深く読みました。卒業生との率直な意見交換に好感を持ったものです。

 今回の「生徒」たちは中学生から70代の大人まで、40人以上でした。授業が始まる2時には研修室は人でいっぱいでした。長机に3人がけです。
 菅間さんは長身で、声がはっきりとおる中学校の先生でした。実にテンポの良い、飽きさせない授業でした。
 授業はいきなり「問題」からスタートでした。
「2015年9月27日(日)、午後2時頃、足立区で殺人事件がありました。その時のあなたのアリバイを証明できますか。」
 見知らぬ隣同士で組を作って、刑事と尋問される人に分かれて、身の潔白を証明します。私の新しい手帳には9月の予定は書かれていません。隣の中学生を納得させるのは至難の業でした。…次は私が刑事役で、中学生に話を聞きます。
  ひとしきりそれぞれの問答が終わり、全体での話し合いになりました。自己申告でシロ、グレー、クロに分けて、シロの人の言い分を吟味します。完全にシロと証明することの困難さを体験することになったのです。

 さてここで種明かし、実はこれは、1988年11月16日(水)に実際にあった綾瀬母子殺害事件、のことでした。中3の不登校生徒3人が疑われた事件です。犯行の自白を迫り、殺害の方法を強制する取り調べについてのようすが本になって出版されました。(『ぼくたちやってない 東京・綾瀬母子強盗殺人事件』横川 和夫、駒草出版)その一部を読みながら、その取り調べのどこが憲法違反なのかを考えるのです。そして、ここで初めて憲法の条文が登場するのです。
 次に提示されたのがウルトラマンコスモス事件、俳優杉浦太陽さんの冤罪事件でした。(2002.7.9,朝日新聞)
 まとめとして、菅間さん自身が執筆した「冤罪と日本国憲法-憲法とは何か?」(中学公民教科書「清水書院」2015)を読みました。

 そして最後の穴埋め問題は次の通りです。空欄に何が入るのでしょうか。
「〔                 〕は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」
 正解は、憲法99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、 この憲法を尊重し擁護する義務を負う。」
 つまり日本国憲法は立憲主義ということです。

 実に見事な授業展開でした。

*自由の森学園で思い出しました。1998年夏、フレネ国際教育者会議が10日間ここでアジアで初めて開かれました。外国から170名、日本国内から170名の参加者を得て盛況のうちに幕を閉じたのです。その時の様子を私は『実践的演劇教育論』(晩成書房、2013)に「フレネ教育と演劇教育」として報告しています。




〔22〕いま、地域の演劇教育の実践、ラボ教育センターの「テーマ活動」がとてもおもしろいです。(後)

2015年04月01日 | ラボ教育センターなど
 今回は〔21〕の続編です。
 前回で、ラボ・パーティの概要がおわかりいただけたかと思います。1週間に一度、年齢によってグループに分かれることはありますが、幼児から大学生までがチューター(指導者)のもと(パーティ)に集まってきます。つまり異年齢の学びの場というのがこのラボの大きな特徴です。考えてみればこれは凄いことです。子どもによっては20年近く在籍するということがありうるわけです。日常的には「テーマ活動」がその中心で、非日常的な活動としてキャンプや国際交流があるということです。
 それでは「テーマ活動」とはどんなことをするのでしょうか。実はこの活動がラボ独特のもので、とてもユニークで興味深い活動なのです。前回取り上げた『大人になったピーター・パン』に再度登場してもらいましょう。

 ラボでは、外国語を母語とのかかわりのなかで、いかに生き生きと体験するか、その体験の蓄積により外国語をいかに母語の習得に近いかたちで獲得していくかを追求してきた。
 家庭でラボ物語ライブラリーを聴いている子どもたちは、週一回ラボ・テューターのもとに集まり、グループ活動に参加する。子どもたちは、物語のテーマを話し合い、イメージを広げ、その世界をことばと身体で表現していく。その活動を、ラボではテーマ活動と呼んでいる。グループの仲間(異年齢構成)の輪のなかで、子どもたちはのびやかに母語とともに外国語を体験していく。(315ページ)

 テーマ活動に入る前に、多くのパーティで取り組まれているのに「ソングバード」いうのがあります。これはマザー・グースを中心とした歌のラボ・ライブラリーです。歌にあわせて子どもたちが、踊り、遊び、ゲームをするといったもののようです。こらはまさに、身体表現のウォーミングアップといったものになっています。
 パーティ参観をするようになって、テーマ活動の特徴が少しずつ見えてきました。
⑴出演するラボっ子たちは、ほぼ全員出ずっぱりで、役についたり、背景や状況を身体表現する。登場人物の心象風景も表現することもある。
⑵基本的には、衣装や大小道具、背景などは使用しない。音楽はCDで頻繁に使われる。
⑶テーマ(物語)決定、役決め、演出などのテーマ活動づくりにはラボっ子が大きく関わってくる。
 「衣装や大小道具、背景などは使用しない」舞台を見て私が真っ先に思いだしたのは演出家の関矢幸雄さんが唱えている「素劇」でした。おもに児童劇にこの手法を生かしていましたが、ここでは音楽も使わないことが多かったようです。ただ、ラボではこの⑵の方法を子どもたちで発見し、編み出したことに驚くのです。
 テーマ活動づくりでは、テューターは一歩退いてラボっ子たちを見守っているように感じるのですが、長いパーティ活動のなかから自分たちでそれを創り出す力量を培われているのでしょう。中高大生といった大きな子たちとテューターのミーティングがとても大切にされていました。
 そして、幼児が2,3時間の練習に当たり前のように参加しています。それを支える、高大生たちの「集団指導体制」が見事です。それらを大きく包み込むテューターの存在が眩しく輝いています。
 「物語を全身全霊で遊ぶ」テーマ活動はまさに地域の優れた演劇教育活動なのです。

〔21〕いま、地域の演劇教育の実践、ラボ教育センターの「テーマ活動」がとてもおもしろいです。(前)

2015年03月31日 | ラボ教育センターなど
 皆さんはラボ・パーティを知っていますか。『大人になったピーター・パン-言語力と社会力』(門脇厚司・田島信元著、アートデイズ)には次のように書かれています。

 「ことばがこどもの未来をつくる」を合言葉に、1966年に誕生し、今では全国各地に2000のパーティ、5000か所の会場で幼児から大学生までの会員五万名が、テーマ活動を中心とした総合的な教育プログラムで、子どもたちのことばと心を育んでいる。
 ラボ・パーティの子どもたち(通称ラボっ子)は、それぞれの自宅で、ラボ・ライブラリーの物語や歌を楽しみ、毎週一回、テューターの指導するグループに参加して、「テーマ活動」を体験し新しいことばの世界に親しむ。
 ラボ・パーティのこのような活動のなかで、各年代の会員はそれぞれに生きた外国語を学び、のびやかな人間形成を実現していく。春夏冬の休みに開催されるラボ・キャンプでの全国の仲間との交流、さらにアメリカやカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国の青少年との海を越えた友だちづくりのなかで、こころとことばは大きく育っていく。(314ページ)

 これらのラボ・パーティを束ねるのが東京・新宿に本部があるラボ・教育センターです。
 ラボ・パーティは平たく言えば、外国語(主に英語)教室ということになりますが、英語教室といっても一般のイメージとは遠くかけ離れたものです。どうやら、英語の単語を覚え、文法を学び、しっかり英語を話したり、英文を書くことができるようにするといった目的を一義的にはもっていないようなのです。最終的にその意図するところは、英語(他の外国語もある)に親しみ、英語でもって他者との交流を図り、人間関係づくりも考えているようです。つまり、外国語を学ぶことを通しての「人間教育」ではないかと思うのです。したがって、言語力や社会力、コミュニケーション力などがそのキーワードになるようです。
 さて、話が少し長くなっていますが、このラボと私は小学校教師時代に出合っています。1998年に、フレネ教育者国際会議がアジアで初めて飯能の自由の森学園で開かれました。外国から170人の教師、日本からはスタッフ含めてやはり170名の集会になりました。私は集会の実行委員として参加したのですが、ある分科会(アトリエと言いました)に参加して驚きました。外国の教師たちを相手に打々発止やりとりをしていたのが、あとでわかったことですが、ラボのテューター2人でした。昔話「おむすびころりん」を日本語で演じながら、日本語を学ぶという分科会だったのです。
 この集会の様子を報告として「演劇と教育」に書いたところ、ラボ・教育センターに呼ばれ、インタビューを受けたり、講演を頼まれたりすることになったのです。その後、付属のラボ言語教育総合研究所に所員として迎えられることになりました。(この間の事情については、拙著『実践的演劇教育論』晩成書房、を読んでください。)
 さて、この研究の一環として、ラボ・パーティ参観をさせてもらうことになりました。岩坂えり子パーティ(西東京市)、宇野由紀子パーティ(小平市)、行松泉パーティ(川越市)、高橋義子パーティ(八王子市、現在参観中)…どこも素晴らしい活動ばかりなのですが、あまり長くなったので、つづきは次回! ということにさせてもらいます。