後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔21〕いま、地域の演劇教育の実践、ラボ教育センターの「テーマ活動」がとてもおもしろいです。(前)

2015年03月31日 | ラボ教育センターなど
 皆さんはラボ・パーティを知っていますか。『大人になったピーター・パン-言語力と社会力』(門脇厚司・田島信元著、アートデイズ)には次のように書かれています。

 「ことばがこどもの未来をつくる」を合言葉に、1966年に誕生し、今では全国各地に2000のパーティ、5000か所の会場で幼児から大学生までの会員五万名が、テーマ活動を中心とした総合的な教育プログラムで、子どもたちのことばと心を育んでいる。
 ラボ・パーティの子どもたち(通称ラボっ子)は、それぞれの自宅で、ラボ・ライブラリーの物語や歌を楽しみ、毎週一回、テューターの指導するグループに参加して、「テーマ活動」を体験し新しいことばの世界に親しむ。
 ラボ・パーティのこのような活動のなかで、各年代の会員はそれぞれに生きた外国語を学び、のびやかな人間形成を実現していく。春夏冬の休みに開催されるラボ・キャンプでの全国の仲間との交流、さらにアメリカやカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国の青少年との海を越えた友だちづくりのなかで、こころとことばは大きく育っていく。(314ページ)

 これらのラボ・パーティを束ねるのが東京・新宿に本部があるラボ・教育センターです。
 ラボ・パーティは平たく言えば、外国語(主に英語)教室ということになりますが、英語教室といっても一般のイメージとは遠くかけ離れたものです。どうやら、英語の単語を覚え、文法を学び、しっかり英語を話したり、英文を書くことができるようにするといった目的を一義的にはもっていないようなのです。最終的にその意図するところは、英語(他の外国語もある)に親しみ、英語でもって他者との交流を図り、人間関係づくりも考えているようです。つまり、外国語を学ぶことを通しての「人間教育」ではないかと思うのです。したがって、言語力や社会力、コミュニケーション力などがそのキーワードになるようです。
 さて、話が少し長くなっていますが、このラボと私は小学校教師時代に出合っています。1998年に、フレネ教育者国際会議がアジアで初めて飯能の自由の森学園で開かれました。外国から170人の教師、日本からはスタッフ含めてやはり170名の集会になりました。私は集会の実行委員として参加したのですが、ある分科会(アトリエと言いました)に参加して驚きました。外国の教師たちを相手に打々発止やりとりをしていたのが、あとでわかったことですが、ラボのテューター2人でした。昔話「おむすびころりん」を日本語で演じながら、日本語を学ぶという分科会だったのです。
 この集会の様子を報告として「演劇と教育」に書いたところ、ラボ・教育センターに呼ばれ、インタビューを受けたり、講演を頼まれたりすることになったのです。その後、付属のラボ言語教育総合研究所に所員として迎えられることになりました。(この間の事情については、拙著『実践的演劇教育論』晩成書房、を読んでください。)
 さて、この研究の一環として、ラボ・パーティ参観をさせてもらうことになりました。岩坂えり子パーティ(西東京市)、宇野由紀子パーティ(小平市)、行松泉パーティ(川越市)、高橋義子パーティ(八王子市、現在参観中)…どこも素晴らしい活動ばかりなのですが、あまり長くなったので、つづきは次回! ということにさせてもらいます。

 

〔20〕今度は、エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』とあまんきみこさんの話です。

2015年03月21日 | 図書案内
 〔18〕ではまど・みちおさんの「ぞうさん」のあれこれを書きましたが、今回はエーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』の話です。この物語を読んだのはあまんきみこさんの影響です。その顛末については次の文章を読んでください。

  エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』とあまんきみこさん
                  福田三津夫

 児童文学者のあまんきみこさんの特集「あまんきみこを遊ぶ」を「演劇と教育」2013年7月号で組んだことがある。~を遊ぶシリーズの1冊だ。以前の特集では、谷川俊太郎、まど・みちお、工藤直子、阪田寛夫、佐野洋子を取り上げているのだが。
 特集は、教科書に載ったあまん作品一覧を添えて、あまん作品をどう授業したかという実践と、あまん作品の脚色を掲載することにした。
・〔実践〕あまんきみこ作品を読んで、その魅力を伝える…佐熊郁代子
・〔脚本〕「みてよ ぴかぴかランドセル」篠原久美子
・〔脚本〕「車のいろは空のいろ」ミヤザキミチハル

 さらに、巻頭「ドラマの眼」にあまんさんのことばがほしいということになって、手紙でお願いしたら、快く書いてくださった。私自身もあまん作品が大好きで、「白いぼうし」など数回子どもたちと読み合ってきていたのだ。
「思いだすままに-ひみつの一人芝居」という直筆のファックスを受け取って、パソコンで打ち直して晩成書房に入稿した。嬉しく楽しい作業だった。
劇に関する思い出を書き綴られて、次のような文章で結ばれている。
 「こうした遊びの終わり近く、エーリヒ・ケストナーの『点子ちゃんとアントン』にであいました。小学二,三年の頃でした。その本の中で、点子ちゃんが一人芝居をしているシーンがあったので、私はびっくりしました。自分のないしょの遊びを、この本を書いたケストナーおじさんは、どうして知っているのかなと驚いてしまったのです。本の内容は忘れても、この時の驚きだけは、少しおかしく、今も心に残っています。
 だれも見ていない一人芝居-物語の世界にしたりきって声をだし、表情をかえ、身体を動かしていたあの楽しさ-それはやはり幼い日のきらきらした祝祭の一つといえるのではないでしょうか。」
初めてこの文章を読んだ日から、『点子ちゃんとアントン』のことが脳裏から離れなかった。ケストナーといえば『飛ぶ教室』や『エミールと探偵たち』は読んでいたのだが、この本については知らなかった。森の会の新井早苗さんなどは当然読んでいるというのだ。翻訳本で「点子ちゃん」というのはどういうことなのだろう。心にひっかかったままだった。
 偶然古本屋でこの本を見つけたときは嬉しかった。古本とはいえほとんど新品に近い。孫のことより自分のために買ったのだった。

 さて、この点子は本名がルイーゼだが、小さな女の子ということで、こうしたことばを当てはめたようだ。あだ名ということになろうか。
 あまんさんの指摘した一人芝居は、冒頭から登場してくる。第一章は「点子ちゃん、芝居を演ず」で、壁を相手に「マッチ売りの少女」から始まる。愛犬・ビーケフと一緒に「赤ずきんちゃん」、友だちのアントンとはアメリカ発見物語という具合だ。
 点子はかくのごとく劇的な遊びをやりまくっているのだが、ずいぶんあまんさんとはイメージが違って、すこぶる活発な女の子であった。
 それにしても一人芝居という「幼い日のきらきらした祝祭」が、日本を代表する児童文学作家の誕生に繋がっているであろうことを想像するのは、至極心楽しいことであった。

 さて「演劇と教育」(日本演劇教育連盟編集、晩成書房発行)では「~を遊ぶ」シリーズを数年にわたって特集し続けました。どれも私が特集担当で、自信作です。手にとって読んでみてください。
・「谷川俊太郎を遊ぶ」2008年7月号
・「工藤直子を遊ぶ」2009年7月号
・「まど・みちおを遊ぶ」2010年7月号
・「阪田寛夫を遊ぶ」2011年7月号
・「佐野洋子を遊ぶ」2012年7月号
・「あまんきみこを遊ぶ」2013年7月号



〔19〕劇団ひこばえ通信(村上芳信さん発行)90号が届きました。

2015年03月14日 | 図書案内
 横浜市在住の村上芳信さんから劇団ひこばえ通信90号が先日届きました。A4で18ページ立て、写真もふんだんに入っていて、とても読みやすいものです。内容は次のとおりです。
 1,2015スプリングシアターフェス参加 劇団ひこばえ「手児奈」、神奈川区民ミュージカル「放射線」案内!
 2,廃炉作業の現場から放射線測定を考える、福島原発廃炉作業員の「放射線測定通信」を読む!
 新連載 私の方丈記①「ふるえる町にて」
     私の方丈記②「18年ぶりに教え子の奈穂さんを訪ねて」
 編集後記

 そもそも村上さんとはどういう方なのか紹介しておきましょう。
 1942年大阪生まれですから、私より数年先輩ということになります。彼の名前が最初に私にインプットされたのは、1970年代のことです。彼は1977年に横浜で公立中学校教師として、少数派労働組合の結成に参加します。学習指導要録や通知表などの評価問題を鋭く提起した組合として記憶に残っています。村上さんはその中心的存在で、私にはまさに組合の闘士として映っていました。
 2度目の村上さんとの出会いは、1990年代になってからでした。51歳で初めて中学校の演劇部顧問になります。それからは学校と地域の演劇教育に全力で取り組まれるのです。その超人的な活動には目を見張りました。
・1999年 横浜北部中学校演劇教育研究会会長
・2000年 地域演劇教育集団「劇団ひこばえ」代表
・2001年 緑区民ミュージカル、青葉区小中学生ミュージカル設立
・2003年 港北区民ミュージカル設立
・2005年 神奈川区民ミュージカル、鶴見区民ミュージカル設立
・2006年 アース世界青少年芸術フェスティバル(バンクーバー)に「アースよこはまミュージカル」を結成し参加
・2007年 神奈川県地域演劇交流発表会を中心になって推進
・2009年 旭区民ミュージカル結成に参加

 彼の活躍をもっと広く知って欲しいので、著書を紹介します。『夢を演じる!』(副題、横浜で演劇教育と地域演劇をつくる、晩成書房、2010年)です。学校と地域での、けして私には真似のできない優れた演劇教育の実践です。是非読んでいただきたい本です。
Ⅰ章 再任用教員としてA君らとの365日
Ⅱ章 演劇が子どもたちを育て地域を変える
Ⅲ章 区民ミュージカルがつくった演劇教育と地域演劇
Ⅳ章 アースよこはまミュージカルは芸術で社会を変える
Ⅴ章 「劇団ひこばえ」ってなあーに!?
Ⅵ章 劇評「横浜の演劇教育をふりかえって」
Ⅶ章 評論「演劇と社会を見つめて」

 あまり体調が良くない村上さんは、劇団ひこばえ通信を100号で終了するとしています。夏ぐらいまで発行の予定だそうです。私たち夫婦のミニコミ「啓」も現在95号で、100号で終了かな,なんて考えています。なぜか、少し寂しくなります。



〔18〕まど・みちお「ぞうさん」はいろいろなことを考えさせてくれますね。 

2015年03月09日 | 図書案内
  まど・みちおさんが大好きです。104歳で亡くなられたけど、私の中では今も生きています。
  偶然『こんにちはまどさん』を手に入れて、次のような文を書きました。常体で少し読みにくいかもしれませんが読んでみてください。


   まど・みちお「ぞうさん」をめぐって
    福田三津夫

 ブックオフで『こんにちはまどさん』(まど・みちお詩集、伊藤英治編、村上康成絵、理論社)と『点子ちゃんとアントン』(エーリヒ・ケストナー、高橋健二訳、岩波書店)を買った。(100円+消費税)×2冊=216円、マイレージのつくJALカード払いである。安くて、きれいで、良い本を孫たちにせっせと買い溜めしているのだ。年金生活者の知恵である。
 はてさて、なぜこの2冊だったのか。それぞれ微細に語りたいことがあるのだが、今回は『こんにちはまどさん』の話をしたい。
  幼稚園年中の孫に、谷川俊太郎、阪田寛夫などのことば遊びの書かれた子ども向けの本を多少オーバーに読んであげたところ、とても喜んだ。小学校、大学の授業やラボ教育センターなどのワークショップで鍛えた話術や仕草が受けたことは間違いない。「お爺ちゃん大好き。」などと言ってくれるようになった。
『こんにちはまどさん』は、そんなことから買い求めたのだ。この本は、同じ名編集者の伊藤さんが編んだ『まど・みちお全詩集』(長新太絵、理論社)から選んだものである。こちらの本は小学校教師を辞してから、アマゾンで買い求めたものだった。もちろん今までまど・みちおの詩は大好きで、山ほど読んできたのだが、この本は大部で、高価なので購入を手控えてきたのが真実だった。
 心静かに『まど・みちお全詩集』を全編読み通したら、さまざまな発見があり、今ではこの本からおもしろい詩を抜粋しながらワークショップに活用させてもらっている。

 さて『こんにちはまどさん』に話を戻す。「うたう うた」「ことばのさんぽ」「やさしい景色」として3部に構成されたまどさんの詩を読んでみると、またまた新しい発見がある。考えさせられたのは伊藤さんのあとがきだった。
 伊藤さんは、霜村三二さんを介して、「演劇と教育」の特集「まど・みちおを遊ぶ」のときにひとかたならぬお世話になった方だ。まどさんや工藤直子さんの私的な写真を貸してくれたり、巻頭の「ドラマの眼」を書いてくれた。まどさんの新刊本を送ってもらったこともある。しかし、残念ながら『阪田寛夫全詩集』の刊行を見ず亡くなられたのだった。その丁寧な仕事ぶりは高く評価されている。『工藤直子全詩集』をも視野に入れられていた方でもあった。
 彼があとがきにこう書いている。

ぞうさん 
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ
 なかよしの、おかあさんぞうと子ぞうの歌だと思うでしょう。しかし、こんな読みかたもあります。子ぞうがだれかに、「なぜ、そんなにはなが長いんだ。」と悪口をいわれます。すると、子ぞうは、「いちばんすきな、」かあさんも長いのよ」と、ほこりを持って答えます。からだが大きくて、はなが長くなくては、ぞうではありません。まどさんは、「ぞうは、ぞうとして生かされていることが、すばらしいのです」といっています。

 「ぞうさん」は私がワークショップで必ず取り上げる定番の詩である。「きりんさん」「やどかりさん」と続けて、最も大切にしている詩である。誰が誰に話しかけているのか、それはどのような思いなのか。そうしたことをからだを通しながら、実際に演じながら探っていき、<ことばと心の受け渡し>について考えてもらうのが私の常套手段である。
  この詩はもちろん次の詩とセットになった2連の詩であることは言うまでもない。

ぞうさん 
ぞうさん
だあれがすきなの
そうよ
   かあさんが すきなのよ

 伊藤さんは「わたしたちは、おなじ詩を読んでも、一人ひとりちがうかんじかたをします。それはとても大切なことなんです。」と書いているが、そのことは認めるが、それにしても多少の違和感が残るのだ。
 冒頭の「なかよしの、おかあさんぞうと子ぞうの歌だと思うでしょう。」をどう解釈するか。お母さん象と子象の対話から構成された詩という意味であればそれは違うと言うしかない。お母さん象と子象の関係を歌った詩ということであれば、それはそうだ。伊藤さんはたぶん後者を考えていたのだ思う。そうなると「しかし」という逆接の接続詞が意味をなさなくなる。ここは順接になるはずなのだ。
  この詩は2連連続の、誰かが誰かに呼びかけている詩だと考えられる。あるいは2人の対話だといってもいい。では、誰と誰なのか。
 「ぞうさん ぞうさん。」と呼びかけているのは象以外の誰かで、当然お母さん象と子象の対話ではない。動物園で来園した幼稚園生ぐらいの幼子が子象に話しかけるというのが自然なとらえ方なのだろう。では、話しかけるのは人間以外には考えられないだろうか。木の上の小鳥や、兎や犬でもかまわないだろう。あるワークショップで小学生が風と言ったことがあった。そう、木や雲、太陽でもいいではないか。

 では、この詩は何を言いたいのだろうか。やはり、象は象であること、自分は何物にも代えがたい自分なんだということ、そして自分自身を誇りに思うということなのではないだろうか。
 おなじ詩集に「くまさん」「うさぎ」がある。繰り返し、貴方は貴方でいいのだと言ってくれているのがまどさんだったのだ。

   くまさん

はるが きて
 めが さめて
くまさん ぼんやり かんがえた
さいているのは たんぽぽだが
ええと ぼくは だれだっけ
だれだっけ

はるが きて
 めが さめて
くまさん ぼんやり かわに きた
みずに うっつた いいかお みて
そうだ ぼくは くまだった
よかったな


うさぎ

うさぎに うまれて
うれしい うさぎ
はねても
はねても
はねても
はねても
うさぎで なくなりゃしない

うさぎに うまれて
うれしい うさぎ
とんでも
とんでも
とんでも
とんでも
くさはら なくなりゃしない

そして最後にだめを押す。ずばり、こんな詩もあるのだ。

ゾウ2

すばらしいことが
あるもんだ
ゾウが
ゾウだったとは
 ノミではなかったとは


 *次の詩には曲がつけられている。「ぞうさん」(團伊玖磨作曲)「くまさん」(鈴木敏朗作曲)「うさぎ」(大中恩作曲)


〔17〕3週間のアメリカ美術館巡りでいろいろ感じ、考えました。その一端を…。

2015年03月03日 | 旅行記
 1か月近くブログをお休みしていました。前回の末尾に書いたように、アメリカに3週間行っていたからです。
 私の初めての海外旅行はアメリカで、1990年のことでした。家族旅行で、シアトル・バンクーバーを中心に巡りました。2011年の2回目のアメリカ旅行は、アメリカ東部、中部(一部カナダを含みますが)の美術館巡りがその目的でした。連れ合いが追っかけをしているリーメンシュナイダー(中世ドイツの彫刻家)の作品をアメリカまで追っていった旅でした。アメリカには多くのリーメンシュナイダー作品が美術館にあります。ドイツ以外では最大の収集国です。きっとお金持ちが買い集めたのでしょう。
 3回目の今回も目的は同じです。前回見落としていたリーメンシュナイダー作品巡りということになります。ただ私も彼女に「同走」するなかで、北方ルネッサンスと呼ばれるドイツ・オランダ・ベルギー・オーストリアなどの中世美術(絵画・彫刻など)に興味を持つようになりました。グリューネヴァルト、マルティン・ショーンガウアー、ミヒェル・エーアハルト、ファイト・シュトス、ミヒャエル・パッハー、ラート・ゲープなどですが、グリューネヴァルト以外は日本ではあまり知られていません。日本では、これらの作家名を単独で冠した文献はグリューネヴァルトの外は私は知りません。ただショーンガウアーに関しては西洋美術館の図録が存在していますが。ついでに書くと、リーメンシュナイダーの本は数冊で、その二冊の写真集が連れ合いが出版したものです。
 自慢話を書きます。
 たぶん、リーメンシュナイダーの作品を日本人だけでなく世界で一番見ているのが連れ合いで、2番目が私です。前にあげた作家の作品も同じことが言えそうです。グリューネヴァルトとショーンガウアーの絵画は修復中のも含めて、今回の旅で全「踏破」しました。私の次の興味は、この3人以外の作品を見ることです。ドイツ南部やオーストリア・チロル地方に集中しているので今回よりもはるかに訪ね易いと思われます。虎視眈々と次回を狙っています。旅行中に早くも妻とそんな話をしたのです。
 
 旅はロサンゼルス経由でシカゴから始まりました。そして、デトロイト、クリーブランド、ナイアガラ、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルスと2~4泊で回りました。せっかくアメリカに行ったのだから、美術館巡りだけでなく多少の観光地にも立ち寄ろうということで、ナイアガラとヨセミテに行きました。厳冬のナイヤガラや、リピーターが一番多いというヨセミテも素晴らしかったですよ。
 廻った美術館は次のようになります。
・シカゴ(シカゴ美術館)
・デトロイト(デトロイト美術館)
・クリーブランド(クリーブランド美術館、オバーリンの美術館)
・ニューヨーク(メトロポリタン美術館、分館クロイスターズ、ニューヨーク近代美術館、フィリックコレクション)…いずれも2回目。
・サンフランシスコ(リージョン・オブ・オーナー美術館、テ・ヤング美術館、アジア美術館)
・ロサンゼルス(ノートン・サイモン美術館、パシフィックアジア美術館、ゲッティ美術館、ハマー美術館)

 妻お目当てのリーメンシュナイダー作品はすべて、私が待望していたショーンガウアーの絵画もエーアハルトの彫刻もすべて見られ、写真に収めました。大満足でした。しかも、クリーブランド美術館、オバーリンの美術館、ゲッティ美術館、ハマー美術館は無料だったし、シニア料金がどこも設定されていました。(65歳以上、あるいは62歳というところも)
 前回のアメリカ美術館巡りでも感心したことですが、美術館を利用した鑑賞教育がとても盛んだということです。シカゴ美術館、デトロイト美術館やクリーブランド美術館では、幼稚園の子から大学生まで、かなり多くの子どもたちの学びの場になっていました。
 いつも感じるのですが、アメリカの美術館はどこでも圧倒的な作品数です。人気の印象派の作品が目白押しです。ゴッホの作品は確か日本には2点のみ(損保ジャパン美術館と広島美術館)と記憶していますが、かなり多くのアメリカの美術館では数点ずつ保有していました。そして、アジアの美術品も充実していました。アジア美術館では、浮世絵とそこに描かれた着物の柄にまつわる特別展が開かれていました。浮世絵や着物、絵巻物などの展示があり、嬉しくなりました。その美術館に、次はジャポニズムの特別展を提案したかったのですが、アメリカ旅行の次回はたぶんないでしょう。
 この旅の一番の思い出は、と考えたら、『地球の歩き方』アメリカ編には不掲載のオバーリン(クリーブランドから数十キロの小都市)を雪が降りしきる中訪ねたことです。リーメンシュナイダー作品がたった1点存在することを確認しに行ったのです。行きより帰りの方が雪が強く降りしきり、タクシードライバーに命を預けました。タクシー代はけっこうかかったのですが、誰にもできない経験だったと、今ではいい思い出になっています。
 
 最後に嬉しかったこと1つ。
 周防正行監督「Shall we ダンス?」のアメリカリメイク版がテレビで放送されていたのです。主演、リチャード・ギアです。いつもはおもしろくないテレビなのですが、2時間珍しく画面に釘づけになりました。設定は高架の電車から見えるシカゴのダンス教室です。2,3日前に乗ったばかりで興味津々でした。原作では西武池袋線の江古田駅の近くのダンス教室だったということを妻に聞きました。私が結婚するまで住んでいたところだったのです。