後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔684〕無料上映「地の群れ」と「PLAN75」と鎌田慧講演会のお知らせです。

2024年04月23日 | 映画鑑賞

 清瀬在住の佐藤夫妻が主宰する凸凹映画研究会は、月一回映画の無料上映会を開いています。会場費の安さから東村山中央公民館などで開催されることが多いようです。最新の清瀬市議ふせ由女が発行する「ゆめ通信」にその活動が紹介されたことがありましたが、その「ゆめ通信」をこのブログで取り上げました。良かったら探してみてください。
 このブログでは「地の群れ」と「PLAN75」を紹介します。
 
 さらに、鎌田慧講演会のお知らせです。こちらも入場無料・申込不要です。どうぞお誘い合わせのうえご来場ください。当日お会いしましょう。

 


〔682〕映画「かづゑ的」を観て心震え、『長い道』(宮﨑かづゑ、みすず書房)読んで心に落ちました。

2024年04月21日 | 映画鑑賞

   映画「かづゑ的」の主人公は、瀬戸内海の長島にあるハンセン病療養所長島愛生園に70年以上暮らす宮﨑かづゑさんです。冒頭から圧倒されるシーンに遭遇します。かづゑさんは、私のすべてをさらけ出したいので、入浴シーンを撮って欲しいと言うのです。監督であるインタビューアーはためらいつつそれを実行することになるのです。
  ハンセン病後遺症に悩むかづゑさんは、しかしながら、明るく豪快に生き抜いているように私には映りました。実に清々しい映画です。鑑賞をお勧めします。 
 鎌田慧さんは東京新聞の「本音のコラム」にも紹介されていましたし、朝日新聞でも映画評が掲載されていました。


■ 「私、みんな受けとめて、逃げなかった。」(映画「かづゑ的」公式サイトより)

瀬戸内海にある国立ハンセン病療養所、長島愛生園。

宮﨑かづゑさんは10歳で入所してから約80年、ずっとこの島で生きてきた。病気の影響で手の指や足を切断、視力もほとんど残っていない。それでも、買い物や料理など周囲の手を借りながらも自分で行う。

「本当のらい患者の感情、飾っていない患者生活を残したいんです。らいだけに負けてなんかいませんよ」と力強く語るかづゑさん。患者同士のいじめに遭い、つらかった子ども時代。家族の愛情と、たくさんの愛読書が、絶望の淵から引き上げてくれた。そして夫の孝行さんと出会い、海沿いの夫婦寮で自然とともに暮らしてきた。

かづゑさんはいつも新しいことに挑戦している。そしてどこか可愛いらしい。78歳のときにパソコンを覚え、84歳になって初の著作となる『長い道』(みすず書房)を出版。類まれな表現力で日常を瑞々しく綴り、版を重ねている。

90歳も半ばになったかづゑさんは言う、「できるんよ、やろうと思えば。」

●熊谷博子監督メッセージ

宮﨑かづゑさんは、私が初めて会ったハンセン病の元患者さん(回復者)でした。
信頼する知人に、会わせたい人がいるからと、半ば強引に長島愛生園に連れていかれました。10歳からハンセン病療養所で生活している、という人に。その日々の暮らしを描いた著書「長い道」を会う前に読み、大変心をうたれました。かづゑさんの部屋で話しながら、この人生を撮って残しておかねばと心に決め、2016年から愛生園に通い始めました。それから8年間、私たちはカメラとマイクを携えて、かづゑさんの人生に伴走することになりました。この映画はハンセン病を背景にしていますが、決してハンセン病だけの映画ではありません。人間にとって普遍的なことを描いたつもりです。                             

    映画「かづゑ的」を観たのは昨年末のことでした。
  そして、先頃、宮﨑かづゑさんの著書『長い道』を読むことができました。2012年発行、2019年6刷となっています。

●みすず書房(公式サイトより)
著者は1928(昭和3)年生まれ。10歳で瀬戸内海に浮かぶ島、長島のハンセン病療養所長島愛生園(現・岡山県瀬戸内市)に入園、以来70年余をこの地で暮らす。22歳で療友と結婚後は園内で働く夫を主婦として支え、様々な後遺症を持ちながら、家事と読書を楽しんで慎ましく暮らしてきた。
「本は親友だったけれども、自分が書くなんて思ってもみなかった」が、80歳を迎える頃から習いおぼえたワープロで少しずつ、瑞々しい文章を生みだしていく。
家族の愛情に包まれて過ごした幼少期。発病によって故郷を離れ、孤児のような気持ちで過ごした少女時代。『モンテ・クリスト伯』を読みふけり、大海原に心遊ばせた十代。夫のために料理をし、ミシンをおぼえ裁縫に精出した日々。心の支えだった親友の最期。遠い道のりをいつまでも会いにきてくれた母への思い。
故郷の暮らしを細やかに綴った「生まれた村で」、長島での日々を語る「島の七十年」(聞き手・伊藤幸史神父)、親友の看取りの記「あの温かさがあったから生きてこれたんだよ」(『愛生』連載)他を収録。

著者の生き方と言葉に深くうたれ、交友がはじまった料理研究家・辰巳芳子さんとの対談「生きなければわからないこと」を巻末に付す。


  数多くのメディアで取り上げられたのも納得がいきます。80歳過ぎてからワープロを駆使して綴られた実に瑞々しい文章です。ハンセン病という名称にはなじめないと書かれていたり、長島愛生園の初代園長・光田健輔氏に向けられた批判への違和感なども読めて興味深かったです。こちらも一読をお勧めします。


〔664〕中村敦夫さんの朗読劇「線量計が鳴る」をDVDで見ました。その熱量に圧倒されっ放しでした。

2024年03月10日 | 映画鑑賞

 3月8日(金)、午後家を出て、有楽町で開催されている押し絵の展覧会を鑑賞しました。素敵な展示会でしたが、近々ブログで報告したいと思います。
 池袋でジュンク堂に立ち寄り、数冊の新刊を手に入れましたが、こちらもいずれブログで触れることにしましょう。
 夕食後向かった先は、江古田映画祭が開催されているギャラリー古籐でした。7時から中村敦夫さんの朗読劇「線量計が鳴る」をDVDを鑑賞するためです。この映画祭には今回2回目の参加ということになります。

 私にとって中村敦夫さんといえば木枯し紋次郎です。欠かさずテレビにかじりついたものです。その中村さんが自ら脚本を書き、出演していたのが朗読劇「線量計が鳴る」でした。コロナ禍で中断されるまで95回の公演を終えていたということです。中断を余儀なくされたことで立ち上がったのが朗読劇「線量計が鳴る」のDVD化でした。
 元・原発技師に扮した中村さんが、104分間、原発の非科学性と恐ろしさを圧倒的迫力で語り尽くします。彼は福島原発爆発の翌年、チェルノブイリ原発事故跡を訪問します。小中を福島で過ごした中村さんだからこその「言霊」が届いてくるようでした。

 

  当日配布された隔月刊誌「とくし丸」は徳島市で発行されている雑誌です。まだ4号ということですが、中村さんの人生相談や佐高信さんの連載があります。読みやすい本でした。

 最後に、ギャラリー古籐からのお願いです。豊かな地域文化を創出してきたプロジェクターの寿命が尽きようとしています。そこでクラウドファンティングを立ち上げました。皆さんの応援をよろしくお願いします。


〔663〕江古田映画祭オープニング映画「福田村事件」は、複合的重層的な差別構造を考えさせられる秀作です。

2024年03月09日 | 映画鑑賞

 2月24日(土)、以前にこのブログでお知らせした江古田映画祭のオープニングで映画「福田村事件」を観ました。会場はギャラリー古藤の真向かいにある武蔵大学の地下ホール。スクリーンが3つもある広い講義室でした。この映画はさすがに評判が高く、満席まではいきませんが、かなりの人を集めていました。
 ドキュメンタリー映画を数多く手がけてきた森達也監督による初めての劇映画でした。
 100年前、関東大震災の時に、 朝鮮人に間違えられて虐殺された被差別部落民の物語ですが、しかしながらそう単純な話ではなさそうです。彼らは香川県の讃岐からの薬の行商人一行ということで、根底には行商人差別も横たわっていました。
 練りに練られた脚本は佐伯俊道・荒井晴彦・井上淳一3氏の合作で、12稿までいったということでした。侃々諤々、脚本はどんどん書き換えられたようです。
 映画は、朝鮮から帰国した主人公夫婦、行商人、福田村(現・野田市)の村民、地元新聞記者などそれぞれの視点が複雑に絡み合っていました。
 なぜ虐殺がこんなのどかな田舎で起こってしまったのか、映画は息もつかさずドラマチックに展開していきます。少々どぎつく感じる性愛場面なども多く、飽きさせません。

 役者も一流俳優が勢揃いでした。井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、柄本明、ピエール瀧、豊原功補など。そして映画初出演の水道橋博士が虐殺を先導する役で凄みを出していました。本人の主張と真逆で、意外性があり適役でした。日本では外国と異なり、役者はこうした差別的事件をテーマにする映画出演を敬遠する傾向があるようですが、よくこれだけの役者が集まったものです。

 「福田村事件」を鑑賞して感心したことが3つありました。1つ目は映画そのもの、2つ目にシンポジウム、3つ目は当日販売していたパンフレットです。
 映画についてはもう書きましたので、シンポジウムに触れましょう。登壇者は脚本を書いたお三方、司会は武蔵大学の永田浩三さんでした。永田さんはこの映画を見るのは4回目で、福田村には学生たちと訪ねたということです。東京新聞に福田村事件のほぼ唯一の文献『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』(辻野弥生、五月書房新社)の書評を書いています。事件のことを実に詳しくご存じで、うまく登壇者の考えを引き出し整理していました。脚本家たちは監督の森達也さんについても忌憚なくコメントしていました。
 家に帰ってパンフレットを読んでまたうなりました。ゲストをそれぞれ迎えての監督や脚本家たちの対談や鼎談が実に率直でおもしろいのです。当たり障りのない談義はひとつもなく、けっこう批判的でシビアなことばも飛び交っていました。「主な参考文献」も大いに役に立つし、それに脚本が付いて1500円でお買い得でした。関東大震災を中心とした年表も充実しています。この時虐殺された数千人のなかには、朝鮮人、中国人だけではなく労働者や社会主義者、アナキストなど一網打尽にされているのです。(亀戸事件、大杉榮・伊藤野枝などの甘粕事件、金子文子・朴烈事件、など)

 こうした悲劇をなかったことのように振る舞う、現東京都知事にも是非とも見せたい映画でした。


〔652〕映画「福田村事件」(森達也監督)、江古田映画祭で2回上映されます。

2024年01月24日 | 映画鑑賞


 「3.11 福島を忘れない」第13回江古田映画祭が2月24日(土)から3月11日(月)まで開催されます。会場となるギャラリー古籐からその案内が送られてきました。
 数々のイベントのなかで私がとりわけ注目しているのは、映画「福田村事件」(森達也監督)の上映です。昨年秋に上映開始されたこの映画は、様々なマスコミに取り上げられ、論議を呼んできました。私自身は今まで鑑賞のチャンスもなかったのですが、今回は是非見ようと思っています。2月24日(土)のオープニングイベントがいいかなと思っていますが。
  3月11日(月)最終日は俳優の中村敦夫さんのトークもある[朗読劇]線量計が鳴る、もいいですね。
 皆さんとどこかでお会いできれば嬉しいです。



 第13回江古田映画祭の案内と「現代女性文化研究所ニュース」を紹介します。
 そしていくつかのコラムもどうぞ。 

◆原発失地回復政権
  兵器産業の売り上げ倍増のための増税も
               鎌田 慧(ルポライター)

 岸田内閣の支持率、22%(共同)。時事通信は17%、毎日新聞は16%。
自民党支持率も17%(毎日)。右往左往するだけの無定見内閣には、
即刻解散、総選挙で引導を渡したい。

 裏金疑惑とガザの非人道攻撃に目を奪われている隙に、原発が息を吹き
返そうとしている。現存する国内原発では最古の関電高浜1号、2号が
再稼働。さらに九電川内1、2号原発もそれに続いで60年運転にむかっ
ている。
 1975年当蒔、東電は原発の耐用年数を30年としていたが、米GEが
耐用年数を40年としたのに従っていた。
 いまは推進側の経産省が延長を認可、規制側の規制庁幹部は経産省
出身という出来レースである。

 先日終了した国連の気候変動会議(COP28)は「化石燃料から脱却
する」対策を採択したが、代替燃料として「原子カ」もその手段にいれた。
 しかし、ほかならぬ原発自体が気候変動に弱い存在だと指摘されている。
 化石燃料からの大転換の手段としての原発は、壮大なるフィクション。

 鮎川ゆりかさん(原子力資料情報室)はいう。「福島事故を契機と
して、気候変動による極端な気象事象に原発は耐え得るのか、という
研究があらゆる分野で行われている」
 岸田内閣は原発産業の回復ばかりか、兵器産業の売り上げ倍増のため
の増税も図っている。
    (12月19日「東京新聞」朝刊23面「本音のコラム」より)

 ◆戦争国家への逆送
鎌田 慧(ルポライター)

 師走。この1年を思えば「無参」の2字に尽きる。
 自民党安倍派の閣僚4人と党幹部が首を並べて辞任したパーティー疑
惑のことではない。「政党助成金」と財界や団体からの膨大な政治献
金。さらにパーティーの裏金、カネ、カネ、カネ。自民党の政治家は、
人々を幸せにするための、民主政治と平和達成の理想を政治活動の中で
どれだけ想っているのだろうか。
 今更言うまでもないが、国務大臣、国会議員は「日本国憲法を尊重
し、擁護する義務を負う(99条)」が、安倍晋三元首相は、憲法改悪を
最大の政治目標としていた。「敵基地攻撃能力」の保持は実行に移さ
れ、岸田文雄首相も任期中に改憲実現との大言壮語だった。

 岸田首相は防衛費倍増(GDP比2%)を決定した。安倍首相時代に
米軍需産業からの兵器の爆買いが常態化していたが、来年度の防衛費は
7兆9千億円。23年度当初予算より1兆1277億円も増やす大盤振る舞い。
 米兵器を買いすぎた。三菱重工などの兵器生産を活性化させる。それ
で武器輸出の禁止の国是を破って、まずライセンス生産分を規制緩和、
地対空ミサイル「パトリオット」の米国への輸出を決めた。岸田内閣は
日本の平和国家の夢を捨てた。
◇ 先週触れた鮎川ゆりかさんは千葉商科大名誉教授で原子力資料情報窒
の現所属ではありませんでした。
     (12月26日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」より)

〔641〕2024年2月24日、「ガザ 素顔の日常」上映(凸凹映画研究会主催)、重信房子さんのお話の予定です。

2023年12月13日 | 映画鑑賞


 清瀬の活動仲間の佐藤ご夫妻が「凸凹映画研究会」を主宰されています。毎月1回、評価の高い映画を無料で上映しています。東村山市で上映されることが多いようですが、私も何回かお邪魔したことがあります。
 来年、2024年2月24日は「ガザ 素顔の日常」を上映し、重信房子さんのお話をうかがう予定だそうです。





  ブックレットを2冊紹介します。『GDP2%大軍拡』(浜矩子)、『戦場にさせない』(伊波洋一)。いずれも読みやすい冊子です。
  頒価は1冊100円です。立憲フォーラムの福田さん(私ではありません)に申し込むとすぐに送ってくれます。(10冊以上で送料無料)

 *申し込み:立憲フォーラム、福田さん
           FAX:03-3303-4739  E-mail fukuda@haskap.net

〔569〕江古田映画祭(2023 第12回)のオープニング「原発をとめた裁判長」は掛け値なしに熱気あふれるものでした。

2023年02月27日 | 映画鑑賞


 福島原発事故の翌年から始まった江古田映画祭は今年で12回を数えました。主会場の武蔵大学とギャラリー古籐は至近距離にあります。東京練馬区の江古田駅(西武池袋線)から徒歩数分といったところです。私の実家からも近く、武蔵大学は子どもの頃の遊び場でした。
 ギャラリー古籐はけして大きな展示スペースとは言えませんが、第1回表現の不自由展を開催するなど、市民に寄り添った気骨あるギャラリーとして定評があります。お陰様で、第1回の福田緑写真展「リーメンシュナイダーを歩く」をここで開催させていただくことができました。





 さて、2月25日(土)、15日間の映画祭の初日として「原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち」の上映と当事者の元裁判長・樋口英明さんと映画監督・小原浩靖さんの講演がありました。
 午後1時からのオープニングイベントに間に合うように直前に会場に滑り込むと、武蔵大学の講義室(150名定員)がほぼ満席で、連れ合いとの2人分の座席を探すのも大変でした。横長の部屋で、スクリーンが3つ備え付けられていました。

 映画と樋口さん、小原さんの話は共になぜ原発を再稼働・新設してはいけないのか優しく話され、至極明快でした。地震大国日本で制御不能の原発は無用の長物どころか、自国に向けた原子爆弾とも言える危険な存在なのです。今回のイベントは原発の廃棄の論理を明確にしてくれ、頷いている人も多かったように思います。
 私も長年反原発運動に携わってきて、4年前に東海第2原発再稼働反対の請願を提出し、地元清瀬市議会で可決させましたが、さらに原発ゼロしかないと確信しました。

 会場には様々な署名や書籍などが所狭しと並んでいました。映画のパンフレットを購入し、お二人にサインをいただきました。
 多くの映画などのチラシに混ざって沖縄意見広告運動のそれがありました。なかなかチャンスがなく参加できなかったのですが、早速送金しました。



  江古田映画祭は始まったばかりです。

〔556〕きな臭い今だからこそ見て欲しい、映画「金子文子と朴烈」と「わが青春つきるとも-伊藤千代子の生涯」。

2023年01月04日 | 映画鑑賞
 明治維新(1868年)から敗戦(1945年)までが77年、敗戦から昨2022年までも丁度77年でした。今年2023年はどのような新しい77年の始まりになるのでしょうか。
 2020年、全世界は瞬く間にコロナ禍に見舞われました。2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵略が開始されました。多くの犠牲者を生み、このコロナ禍の中、戦争をしている場合かと私は心の中で叫びました。
 岸田政権はウクライナ危機に乗じて、敵基地攻撃能力の保有、防衛費の2%を宣言、原発の再稼働、新増設も公言しています。新しい戦前の始まりか、とどこかの新聞の声の欄にありました。

 こんなきな臭い情況のなか、戦前の軍国主義日本とは何だったのか、深く問い返すきっかけになった2本の映画に出合いました。「金子文子と朴烈」と「わが青春つきるとも-伊藤千代子の生涯」です。おすすめの2作品です。
 とりわけ素晴らしかったのが『金子文子と朴烈』です。韓国映画で韓国で235万人を動員したといいます。まずはウィキペディアをご覧ください。

◆『金子文子と朴烈』(かねこふみことパクヨル、原題:박열(→朴烈))は、朝鮮と日本で活動したアナキスト(無政府主義者)の朴烈と、朴に共鳴した日本人女性アナキスト金子文子を描いた韓国の歴史映画、伝記映画。(ウィキペディアより)

 1923年の関東大震災朝鮮人虐殺事件や朴烈事件がとりあげられている。2017年6月28日韓国で劇場公開され、1週間足らずで観客動員数100万人を記録した。日本では2018年3月9日に第13回大阪アジアン映画祭にて『朴烈 植民地からのアナキスト』の邦題で初公開後、2019年2月に『金子文子と朴烈』と改題されて一般公開された。


 大逆事件といえば大杉栄と伊藤野枝が有名ですが、金子文子と朴烈も忘れてはいけないでしょう。鎌田慧さんの名著『大杉栄 自由への疾走』や『大杉榮語録』(いずれも岩波書店)などは読んでいたのですが金子文子と朴烈については無知でした。
 韓日の役者が入り乱れての作品でしたが、とりわけ金子文子役のチェ・ヒソが秀逸でした。
 23歳で縊死した金子文子の獄中手記『何が私をこうさせたか』(岩波文庫)にはぐいぐい引きつけられます。その生い立ちの過酷さと半端でない文章力。



 さらに、私設のK文庫から借りてきた3冊の関連本を読み切るつもりでいます。
*『金子文子と朴烈』鑑賞、12月25日、東村山福祉センター、凸凹映画研究会。







 瀬戸内寂聴の『余白の春』は事実に基づいた秀逸な伝記小説です。金子文子の獄中手記を読む前に『余白の春』を読むことをお勧めします。金子文子の全体像が良くわかるものになっています。瀬戸内のあとがきによると、管野須賀子のことを『遠い声』として小説に書いていますが、他の雑誌が敬遠するなか掲載してくれたのは鶴見俊輔の『思想の科学』だったそうです。連載が終了したとき鶴見は瀬戸内に今度は金子文子のことを書いてほしいと言ったそうです。その提案を実現したのが『余白の春』でした。そういえば、鶴見の『ひとが生まれる-五人の日本人の肖像』(ちくま文庫)には中浜万次郎、田中正造などとともに金子文子についても書かれていたのでした。読んだはずがうっかり失念していました。そもそもこの本はこのブログでお馴染みの矢部顕さんからいただいたものだったのです。
 金子文子の決定版評伝を書いた山田昭次さんは清瀬・憲法九条を守る会のメンバーが良く知る方でした。確かにこの本は金子文子の全生涯・思想を克明に記した決定版評伝に違いありません。膨大な裁判記録なども丁寧に読み解いています。その仕事にはただただ脱帽です。

 そして映画「わが青春つきるとも」、鑑賞、11月10日、清瀬けやきホール、映画上映清瀬実行委員会。
 上映のチラシと中日新聞の記事を紹介しましょう。



◆女性社会活動家描いた 映画「わが青春つきるとも」中日新聞
2022年5月14日 15時35分 (5月14日 15時40分更新)

 昭和初期、「主権在民」や「男女平等」を訴え、思想犯罪者として逮捕された女性の社会活動家を描いた映画「わが青春つきるとも―伊藤千代子の生涯―」が十三日から、名古屋市東区の名演小劇場などで公開されている。
 時代は治安維持法が成立した一九二五年ごろ。長野県湖南村(現・諏訪市)出身の千代子(井上百合子)はこの年、東京女子大に入学。「社会科学研究会」の立ち上げに尽力し、社会主義に傾倒する。
 無産政党「労働農民党」で活動をしていた浅野(窪塚俊介)と結婚。共産党に入党し、選挙の応援やビラ張りなど活動に本腰を入れたが、政府の弾圧により逮捕され、激しい拷問を受ける。獄中でも女性リーダーとして同志を励ましたが、次第に追い詰められる。
 監督は社会派の桂壮三郎。主演の井上は、本作で映画デビューとなった。金田明夫、石丸謙二郎、竹下景子らが脇を固める。(花井康子)

〔555〕日本の人権教育を鋭く問うハンセン病ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」(宮﨑賢監督)

2022年12月27日 | 映画鑑賞
 ハンセン病ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」を制作する運動に導いてくれたのは岡山の矢部顕さんでした。たびたびこのブログで紹介してきたので読んでくださったかも知れません。
 作品ができあがって9月3日(土)に近隣の東村山市で上映があることを知らせてくれたのも矢部さんでした。ところがあいにく翌日はドイツに出発する日で、残念ながら自重することにしました。
 再度矢部さんから12月4日(日)に国立市で上映されるという情報がもたらされました。
 東村山市の上映を見た国立市の職員が国立でもやろうということになったようです。

 万難を排して妻とくにたち市民芸術小ホールに馳せ参じました。
 作品については当日配布された宮﨑賢監督の作品解説を読んでください。



 矢部さんは以前から素晴らしい監督が地元で活躍しているということで、宮﨑監督出演のテレビ番組のDVDや新聞記事をいろいろ送ってくれていました。そんなことがあって今回のドキュメントは今までの監督の集大成として拝見しました。ハンセン病の差別の歴史のくだりなども私には目新しい感じはしませんでしたが、おそらく30年以上もかかって元患者たちが宮崎監督との関係のなかで重い口を開いたんだろうな、ということに心が熱くなりました。それぞれ一人ひとりの証言の場面をかみしめるように見ていて、目が離せませんでした。
 今回激しく心が動いたのは小学校の場面でした。かつて強制隔離された夫妻を招き入れた教師の存在に元小学校教師として心震えました。アイヌ民族を招いて学年集会をしたことなどが思い出されました。(拙著『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』所収)
肩の力が抜けた教師と子どもたちの自然な振る舞いに好感を持ちました。力量を感じる教師です。心底嬉しそうに語るお二人、歌で歓迎され、一緒の給食に涙します。
 入所者と高校生の交流にも胸が熱くなりました。
 この映画は日本の人権教育をも鋭く問うものになっていることに今頃気づきました。



 最後に触れなければならないのは、国立市の人権月間のことです。12月4日(日)から1月14日(土)までなんと26件のイベントが展開されるのです。実は、「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」上映はその初日で、アイヌ民族の宇梶静江さんの講演もあったのです。
 本当に国立市の人権月間は素晴らしい!

〔505〕ドキュメンタリー「NAGASHIMA~”かくり”の証言」 の監督のことが記事になりました。

2022年08月26日 | 映画鑑賞
 以前からお知らせしてるドキュメンタリー「NAGASHIMA~”かくり”の証言」の上映が日本各地で開始されています。
 岡山の「NAGASHIMA~”かくり”の証言」製作実行委員会の矢部顕さんからのメールを紹介します。
 東京新聞に掲載された監督さんの記事です。無料上映会のお知らせも記事に書かれています。

*9月3日(土)午後1時半開始、東村山市中央公民館

◆福田三津夫様

東京新聞電子版です。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/197804

ドキュメンタリー「NAGASHIMA~”かくり”の証言」
の監督のことが記事になりました。

矢部 顕

〔485〕拙稿「映画『教育と愛国』(斉加尚代監督)を観て」が新聞に掲載されました。

2022年06月21日 | 映画鑑賞
 「週刊新社会」から求められて原稿を書きました。6月22日(水)に掲載されました。
 『教育と愛国』は2時間ぐらいの映画です。グループで鑑賞して、教育の現在(いま)について語り合うと良いなと思っています。映像でとらえた教育の背景に、日本の政治や社会が鮮やかに浮かび上がってくるのを感じています。
 新聞記事を掲載しやすいように切り貼りコピーしました。見出しなど私の原文と多少の違いもあるし、コピーは読みづらいので原文も掲載します。




          映画「教育と愛国」(斉加尚代監督)
                     福田三津夫
 2005年3月、33年間勤めてきた東京都の公立小学校教師を、定年まで5年残して、同業者の連れ合いと同時に自主退職した。年々歳々教育現場に漂う息苦しさを感じてのことだった。1999年、石原慎太郎東京都知事の誕生と共に、自己申告書を基にした人事考課制度という学校の会社化、日の丸・君が代の強制ともいえる国家主義化が登場した。
 そして教育界にとって決定的な悪夢だったのが、2006年、第1次安倍内閣による教育基本法の改悪だった。この時、私は埼玉大学非常勤講師一年目、国会での改悪反対集会に馳せ参じていた。
 映画「教育と愛国」(斉加尚代監督)は昨今の保守的右翼的な教育界の潮流とそれに抗う人々をリアルに描いている。
 冒頭に登場するのは、礼儀正しい挨拶はどれかという教科化された道徳授業の一コマ。①「おはようございます。」と言いながらお辞儀をする。②言った後お辞儀をする。③お辞儀の後に言う。正解は②だという。教科には科学的知見と評価をともなうことを前提にすればこれはブラックユーモアと揶揄するしかない。
 さらに、道徳の教科書検定では、教材としてパン屋が和菓子屋に変更指示される。学習指導要領・道徳科の愛国心項目に呼応させるためだ。
そして映像は延々と続く教育反動化の波を生々しく描いていく。
「歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた大手教科書出版社の元編集者や、保守系の政治家が薦める教科書の執筆者などへのインタビュー、新しく採用が始まった教科書を使う学校や、慰安婦問題など加害の歴史を教える教師・研究する大学教授へのバッシング、さらには日本学術会議任命拒否問題など」(映画HPより)
 とりわけ、「新しい歴史教科書をつくる会」の理論的指導者のことばに背筋が凍るものを感じざるを得なかった。
「歴史を学ぶ必要は無い。」「戦争に負けたのは弱かったからだ。」「反日的、左翼的史観を廃し、伝統を引き継ぐ日本人を育てなければだめだ。」…
 後期ゴシックの彫刻が好きで、ドイツを十数回訪れている我々夫婦は、歴史に真摯に向き合うドイツの教育を実感している。ユダヤ人の強制収容所送りの会議をしたヴァンゼーでは教師を交えた高校生同士の激論の場面に遭遇した。ダッハウなどの多数の強制収容所の保存維持、アウシュヴィッツ(オシフィエンチム)などに人々を送り込んだベルリン近郊のグルーネヴァルト駅のネームプレート表示、町中の強制連行されたユダヤ人などの名前を彫った無数の真鍮板など、負の遺産を大切にしている。
 教師としての我が身を反省するばかりだが、ひとつの光明を見た。
 アウシュヴィッツの見学で衝撃を受けた次の日、列車のなかで1人の若い日本人の女性に出会った。彼女は兄の影響でユダヤに興味を持ち、アウシュヴィッツに向かうという。将来は漫画家を目差しているそうだ。
 町田市立国際版画美術館で「彫刻刀が刻む戦後日本」展は、戦後の版画運動と教育版画運動に光を当てている。日本の教育が培ってきたものが垣間見られた。同時に 「教育と愛国」を見ながら、日本の教育の過去・現在・未来を多くの人と語り合いたいと思うのである。

○プロフィール
1949年生まれ。元小学校教師。現在、白梅学園大学非常勤講師。
元「演劇と教育」編集代表。清瀬・憲法九条を守る会。著書に『いちねんせい-ドラマの教室』『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』(晩成書房)など。


 斉加尚代さんと毎日放送映像取材班は2019年に『教育と愛国 誰が教室を窒息させるのか』(岩波書店)を出版して大きな反響を呼んでいます。私はこれから読んでいこうかと思っています。



 なお、あるブログでこの映画と本を取り上げています。いつもながら鋭い読み込みや鑑賞眼に舌を巻いています。取って置きのお勧めブログです。

◆kenroのミニコミ「教室の後ろに戦争が立っていた」
https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/82de023650a91cc04d6165a5035c308a

〔483〕映画『MINAMATAーミナマター』を見て、シンポジウム「水俣と福島~アイリーン・美緒子・スミスさんと語ろう」に参加しました。

2022年06月15日 | 映画鑑賞
  結婚するまで練馬区に住んでいながら、池袋駅から徒歩数分の立教大学構内に足を踏み入れたことはありませんでした。師匠の冨田博之さんは立教大学で講師をしていたり、同じ立場の如月小春さんの教え子から連絡があり、卒論の協力を求められたりしながら大学に立ち寄ることもありませんでした。そうそう、実は、我々夫婦の共同ミニコミ誌「啓」も100号までこの大学の一角に収められているのですが。
  6月11日(土)、立教大学タッカーホールで「水俣と福島~アイリーン・美緒子・スミスさんと語ろう」という集会がありました。映画『MINAMATAーミナマター』鑑賞もできるというので参加しました。300人を超える参加者でした。 



◆内容
13:00 映画『MINAMATAーミナマター』(115分)
1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する写真家ながら、酒に溺れ、荒んだ生活を送っていたユージン・スミスのもとに、情熱的な日本人通訳者アイリーンが訪れる。水俣病で苦しむ人々を撮影してほしいというのだ。説得に応じ、水俣に足を踏み入れたユージン。現地で目にしたのは厳しい現実だった。偏見に晒された患者、力で押さえつける工場、分断。水俣病と共に生きる人々に向き合ったユージンとアイリーンの姿を、俳優ジョニー・デップがプロデューサーを引き受け映画化した。日本では2021年秋公開。

15:00 シンポジウム「水俣と福島~アイリーン・美緒子・スミスさんと語ろう」
「多くの子どもが甲状腺がんに苦しんでいる」などないと否定する政府や福島県。放射線被曝による健康影響を口にすれば、「風評被害」や「差別」を招くと批判され、被害者が声をあげられない状況が続いてきました。しかし、今年1月、6人の甲状腺がんの若者が立ち上がり、裁判を提起しました。
そこにある事実が政策を導かず、政策が事実と科学をねつ造するという構造は、水俣病と共通しています。アイリーン・美緒子・スミスさんとともに、これからの道筋を考えます。


  映画も見どころ満載でしたが、圧巻だったのはパネルディスカッションでした。
  パネリストは以下の通りです。(チラシにも書かれています。)

*アイリーン・美緒子・スミス(グリーンアクション代表)
*井戸謙一弁護士(311 子ども甲状腺がん裁判、子ども脱被ばく裁判弁護団長)
*311 子ども甲状腺がん裁判の原告
*河潤美弁護士(311 子ども甲状腺がん裁判弁護団)
*砂川浩慶教授(立教大学社会学部メディア社会学科)

コーディネーター:白石草(パネルディスカッション司会)
総合司会:熊澤美帆(311 子ども甲状腺がん裁判弁護団)

  パネルディスカッションでしばしば胸が締め付けられたのは、311 子ども甲状腺がん裁判の原告3人(全員で6名、現在17~28歳)がパネルの向こうに登壇し、マイクで発言したときでした。









  福島原発事故が起こったとき、彼らは6歳から16歳でした。その後小児甲状腺がんであることが判明します。そもそも小児甲状腺がんは年間100万人に1~2人しか発生しない希少な癌ですが、福島県では事故後、38万人の子どもから少なくとも293人の小児甲状腺がんが発生しているそうです。
 そして、今年の1月27日、東京電力ホールディングス株式会社を6人が提訴し、そのうちの3人が集会に参加して発言したのです。
  彼ら6人の発言は『通販生活』(2022年夏号)に大きく取り上げられ、集会でもそのコピーが配布されました。

  元気溌剌、我々と同世代のアイリーンさんを初めとして、原告の3人、そしてパネリストすべてがきらきらしていてその闘う姿が素敵でした。
 さて、私に何ができるのでしょうか。


◆沈思実行(102)
  裏切られた少女のねがい
  日本復帰で沖縄は本当に救われるだろうか?
                       鎌田 慧

 テレビ朝日の名物番組「朝まで生テレビ」は、今年35周年を迎えた
そうだ。
 これまで420回放送されたが、沖縄をテーマにしたのは5回だけ、
という。
 この事実を掘り起こした朝日新聞の記者の問題意識は貴重だ(同紙
5月18日)
 この番組の名物司会者・田原総一朗さんは、その理由を「残念ながら
沖縄の基地問題は視聴率がこないから」と言って退けている。
 それでも、朝日の沖縄支局に駐在していたTBSのニュース
キャスター・筑紫哲也や、その後継者・金平茂紀は、もっと頻繁に
沖縄の番組をつくってきたであろう。

 「視聴率がこない」。つまり「視聴者の食いつきが悪い」ということ
だが、それがマスコミと沖縄との関係をよく示している。
 沖縄はニュース・バリューと視聴率の間の暗闇に落されてきた。
 5月15日、沖縄復帰50年。この50年に一回の大イベント。それなりに
報道された。が、本号がでるころはどうなっているのだろうか。

 沖縄のひとたちにとって、本土復帰は、「憲法9条への復帰」と
期待されていた。「核抜き、本土並み」。それが平和な生活への悲願
だった。
 が、実際は復帰から50年経って、全国の米軍専用施設面積に占める
沖縄の割合は、現在70%復帰時は59%だった。だから11%も
ふえたのだ。

 まして、いまや問答無用とばかり、県知事が率先反対し、県民の70%
が反対している、辺野古米軍新基地建設のために、「マヨネーズ状」と
いわれる90メートルの海底にむけて、政府は膨大な岩石を、あたかも
賽の河原に石を積むように、毎日、ムダに投入し続けている。
 しかし、その過酷な現実は、復帰50年の「記念日」にむけた報道の
一例として、辛うじて報道されただけなのだ。

 「復帰で 沖縄はほんとうに すくわれるのだろうか 沖縄には 
日本復帰で 平和になりたいという 強い強いねがいがある」
 1972年5月15日、朝日新聞に掲載された、小学校5年の少女の詩
「私のねがい」の一部である。
 そのねがいは、みごとなまでに裏切られた。
            (6月1日週刊「新社会」8面より)

〔424〕ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA〜”かくり”の証言」完成のお知らせが矢部顕さんから届きました。

2021年12月14日 | 映画鑑賞
●福田三津夫様

ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA〜”かくり”の証言」製作にあたりましては、福田様ご夫妻からの協賛金をいただきましたにもかかわらず、映画完成のお知らせと御礼が遅くなってしまっていて失礼をしています。
秋の農作業の忙しさやその後の学習田の手伝いやプレーパーク開催など次々と行事があったものですから、きちっとご報告が出来ていなかったといまごろ思い、たいへん遅ればせながら添付の報告を作成しました。
北の国では雪の便りが聞かれる季節となりました。師走のお忙しいなか、お身体ご自愛ください。
                             矢部 顕


友人のみなさまへ
遂に完成! ドキュメンタリー映画
「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」

「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」製作実行委員会
                                  矢部 顕
●映画冒頭のシーン
濃い青色の未明の海と崩れ落ちた患者収容桟橋
<ナレーション>
波ひとつありません。
浮かんでいると本土まで運んでくれそうな海なのですが、凪いでいても隔ての海です。
今まで誰にも話さなかった。この桟橋から、島にあげられたときのことを。
顔を出さなかった、家族に迷惑がかかるから。
でも、もう時間が残っていません。
あなたにだけは知っていてほしい。
あなたに真実を託します。

 *   *   *

●ドキュメンタリー映画の完成
この度は友人のみなさまから、ドキュメンタリー映画製作にたくさんの協賛金をいただきましたことにあらためて感謝申し上げます。
おかげさまで、ドキュメンタリー「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」が遂に完成しました。30人の入所者の証言を集めて、愛生園の四季と織り交ぜた構成になっています。証言に加えて、コロナ禍のさなかではありましたが、菊池恵風園と草津の重監房資料館を取材して、新たな歴史的事実の発見もありました。
上映時間は1時間50分です。
現在は、日本におけるハンセン病の1000年を超す長い歴史(光明皇后の時代から? そういえば光明皇后がハンセン病患者を洗ってあげたといわれる浴室<からぶろ>の建物がある奈良の法華寺に宮崎さんを案内したことを思い出します)の最後の最後の局面です。最後の証言集となることでしょう。みなさん高齢で、証言できる人の最後です。今後はもう不可能でしょう。(証言していただいた方のうちで7名の方はすでにお亡くなりになっています)。
 今回、証言の記録が可能になったのは、宮崎賢さんという報道カメラマンなくしては語れません。カメラに顔を向けて語ることは、ハンセン病病歴者にとっては今までに無いことですが、それが可能になったのは証言者の宮崎さんに対する長年のお付き合いの中で生まれた信頼にほかなりません。証言者のことばの奥に長年築いてきた信頼関係を読み取ることが出来ます。40年間にわたっての150を超えるニュース特集の取材、13のドキュメンタリー番組の制作という実績だけでなく、宮崎さんのご人徳があってこそ実現できたことと思います。

●あらためて、撮影・取材・編集・構成担当の
宮崎賢氏を紹介します
宮崎賢さんは、ハンセン病問題に関する取材歴は40年に及び、その間、岡山県の長島愛生園・邑久光明園をはじめ10か所の国立ハンセン病療養所や、「らい菌」の発見者であるアルマウエル・ハンセン医師が生まれたノルウェーのベルゲンやインドを訪れ、内外のハンセン病政策や現状を取材してきました。
これまでにハンセン病ドキュメンタリー13番組、TBS 報道特集、筑紫哲也のニュース23などで全国に発信。ニュース特集は150本を数えます。
この間、1983年「地方の時代」映像祭で大賞2014放送グランプリ特別賞。第43回放送文化基金賞・個人賞。民間放送連盟賞優秀賞4度受賞。2019年報道活動部門(ハンセン病)でギャラクシー大賞などの放送賞多数受賞。


 2021年10月15日、日本弁護士連合会人権擁護大会(於:岡山)の特別企画でこのドキュメンタリー映画の上映会がありました。上映に先立って、宮崎さんの挨拶がありましたので以下に紹介します。

●ハンセン病ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA~“かくり”の証言」製作意図
宮崎 賢
「偏見・差別は見えへんけど怖いよ」「ひらかなで“かくり”と書いて背中に貼って歩いてきた人生でした」。長島愛生園に強制隔離されたハンセン病病歴者の証言です。
国の誤った強制隔離政策で、ハンセン病患者を終生強制隔離する「らい予防法」が89年間にわたり存在し、その法律の下で、患者と、その家族は深刻な人生被害を受けました。
国や自治体が戦前戦後、行なった「無らい県運動」は官民一体となってハンセン病患者を地域から、排除し私たち市民も関わり加担。差別や偏見を増幅して行きました。「無らい県運動」で多くのハンセン病患者は故郷を追われ、親子と家族が引き裂かれ、心に深い傷を負った悲しい歴史があります。
長島愛生園では、患者の強制労働や、断種・中絶が強いられ人間扱いされない非人道的な行為が行なわれました。療養所とは名ばかりの収容所でした。昭和16年から昭和20年末までに、1077名が死亡し昭和20年には一年間で332名が栄養失調と重労働で無念のうちに亡くなっていきました。島の納骨堂には死んでもなお故郷に帰れない約3700柱が眠っています。「煙になってはじめて故郷に帰れる」と入所者は証言します。
1996年に「らい予防法」が廃止されてから25年。ハンセン病元患者が熊本地裁に「らい予防法」は憲法違反と国を提訴した「ハンセン病国賠訴訟」で勝訴してから20年が経ちました。
今、ハンセン病国賠訴訟やハンセン病家族訴訟を通じて、国や自治体が行なってきた人権教育や啓発の在り方が、問われています。新型コロナウイルスの感染症患者や家族、医療従事者も、いわれなき差別や誹謗中傷に傷ついています。
ハンセン病で差別され人権を侵害された人たちの教訓を学び改めて人権とは何か、人間の尊厳とはなにかを問い直し、「隔離の記憶」を映像で後世に伝えたいと映画を企画しました。
全国の国立ハンセン病療養所の入所者は今年9月で約970人。平均年齢は90歳に近づいており、証言を聞く機会も終盤になろうとしています。長年交流して来た長島の人たちが、苦難の人生を「若い世代に伝えて欲しい」とカメラの前で語ってくれました。
映画は差別の中、打ちのめされても “力強く尊く”前を向いて歩いてきたハンセン病病歴者の映像証言で構成しました。
映像は時には物を言う。将来映画が心に響き、時を越えても伝わる事を願います。
「人権は侵しても侵されてもいけない」。人間として人間らしく生きられなかったハンセン病病歴者からのメッセージです。


●上映会の感想
日本弁護士連合会人権擁護大会の特別企画での上映会(於:岡山市民会館)は、一般市民にも呼びかけがあり、平日ではありましたが熱心な方々の上映会参加がありました。多くの皆さんから上映後の感想が寄せられましたので紹介します。

◆Aさん(元大学教授)
「国の間違った施策と、『無らい県運動』に加担し、ハンセン病への差別や偏見を増幅させてしまった市民(私たち)の罪。映画は重く悲しい歴史を描きながら、島の美しい自然やそこに生息する鳥や動物(狸・鹿)も描かれ気持ちが和みます。ご存命中親しく交わらせていただいた方々のお姿も編集されていて、懐かしさに胸がいっぱいになりました。
後半では故郷に里帰りして小学生たちと交流される川北さんご夫婦のうれし涙や、大学生・高校生たちの訪問を喜ばれる入所者さんのエアー握手に私も思わずもらい泣き。エンドロールで沢 知恵さんの歌が流れて、さらに涙腺が決壊。
素晴らしい作品に仕上がっていました。これからこの映画が国内・国外に広がりたくさんの人に観ていただけますよう」
◆Bさん(兵庫県から)
「長島愛生園の入所者を中心に、療養所入所者の証言で国のハンセン病患者にたいする『絶対隔離絶滅政策』を告発。人権がないがしろにされていた実態とともに、人権を守る闘いに立ち上がった入所者の姿や、夏祭りなど地域住民との交流も生き生きと描かれています。
新たに発見された資料もあり、貴重な記録映画です。
特に印象に残ったのが、隔離政策を主導、不妊手術を導入した光田健輔医師に対する批判と『戦争はしてはならない』というメッセージです」
◆Cさん(元アナウンサー)
「“かくり”の証言を拝見しました。感動して涙が溢れました。長年築いてこられた信頼関係があってこそのインタビューだと思いました。そして宮崎さんのご経験やご人徳の賜物だと思います。
かくりの証言から様々なことを学ばせていただきました」
◆Dさん(岡山県から)
「いい映画でした。後半で泣きました。観る人の心に届く作品です。 何より、これだけの入所者の証言を残せたのは貴重です。ありがとうございました。携われて光栄です」
◆Eさん(フリーアナウンサー、東京)
「すばらしい作品を見せていただきましたこと心より感謝いたします。元患者の証言ひとつひとつが胸に迫りました。ことに「隔離」「差別」という言葉への思いに、コロナ禍の今この作品が世に出ることの意義を感じました。
また高校の部活に「ヒューマンライツ部」があるということに大きな希望を感じました。ぜひ若い人たちに見てもらいたい。私の番組でも取り上げていただきます。
取材と制作の労に感服いたします」
◆Fさん(元放送局ディレクター)
「後世に伝える映画だと思った。完成度が高い。 映画に引き込まれ、作品が長く感じなかった」
◆Gさん(会社員)
「高校生がハンセン病問題を学習し未来に伝える活動をしていることに感動した。作品は長く感じなかった。いい映画でした」
◆Hさん(ハンセン病ボランティア)
「いい映画で感動しました。特にラストシーンは素晴らしかったです。この作品を全国の人に観てもらいたいと思った。ご苦労様でした」

◆この他、上映終了後ロビーで弁護士さんから「いい作品でした。感動しました」「素晴らしい作品でした。よくここまで作られましたね」などの声を掛けていただきました。
今、東京・香川・鳥取・岡山・愛媛・静岡・兵庫県などから上映の依頼があります。
これから、ゆっくり伝えていきたいと思います。         宮崎 賢 

     *  *  *

●今後に向けて
コロナ禍が落ち着かないと開催が難しいと思いますが、今後は全国各地で自主上映会を開催していただける方やグループを募っています。
ゆっくりと、すこしづつ、あちこちで、上映会が開催されていくことを願っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ご協力ありがとうございました。





〔348〕創作詩や文化的イベントについて掲載させていただいている市橋久生さんからの映画情報です。

2021年03月14日 | 映画鑑賞
 市橋久生さんからメールをいただきました。

●福田三津夫様

こんばんは
ご無沙汰しておりますが、お元気でいらっしゃることと思います。
緑さん共々、ドイツとの交流が盛んになっているのですね。
素晴らしい人生白秋期ですね!

ちょっと映画の話題です
▼けさの新聞に載っている小森はるかさんの活躍です。
新作映画『空に聞く』、小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』
 「小森はるか作品集」として東中野ポレポレで上映中です。
 また、水戸芸術館「3.11とアーティスト」で5月9日まで。
 (先週のEテレ「日曜美術館」がこの展覧会を採り上げていた。今夜は再放送)
小森さんは、静岡の中村明弘さんの教え子、
 最初の映画『息の跡』が話題になり、鷲田清一に論及されるなどして、
いま多方面から注目されていますね。*鷲田清一著『素手のふるまい』(2016・朝日新聞出版)
 吉田哲夫さんが2017年7月号「PLAY ON!」(『演劇と教育』晩成書房)で紹介しています。
朝日新聞でもこのところ何度か名前を見ています。

▼『モルエラニの霧の中』
 劇団えるむをふじたあさやさんと創り、代表を務めていた佐藤嘉一さんが出演した
故郷の北海道・室蘭を舞台にした映画。7話からなる長編の一部が完成した時点での
試写会(2016年12月6日江戸東京博物館)に誘ってもらい、観た映画が完成して
昨日まで岩波ホールで上映されていました。大杉漣や香川京子らが出演しています。
佐藤さんは、副島功さんを偲ぶ会でスピーチしてもらいましたが、
それが最後の姿になってしまいました。

以上、近況報告に代えて、です
では、どうぞお元気で

市橋


●市橋久生様
メールありがとうございました。
ブログも覗いていただけているようで恐縮です。
映画の情報知らないことばかりで緑と共有するだけでは勿体ないので、またブログに載せさせてください。
私の方は、ようやく4月から大学での対面授業(教育実習指導)が始まる予定です。バドミントンはしばらくお休みですかね。
今年中に中世ドイツの彫刻についての本を緑と出版したいなと思っています。来年1月には2回目の福田緑・写真展(国分寺)が開ければ良いなと思っています。
コロナ禍の今、ご自愛ください。福田三津夫


〔324〕ハンセン病ドキュメンタリー「“かくり”の証言」の製作実行委員会のHPを見ることができます。

2021年01月17日 | 映画鑑賞
 以前ブログ(278)で紹介したハンセン病ドキュメンタリー「“かくり”の証言」の製作実行委員会のHPが矢部顕さんから送られてきました。地道な活動に頭が下がります。

●福田三津夫様

今年もよろしくお願いいたします。
昨年から、ハンセン病ドキュメンタリー「“かくり”の証言」の製作実行委員会
に加わっていますが、いよいよ今年の秋までには完成の予定で進行しています。

下記は製作実行委員会のHPです。
一度ご覧ください。

https://www.kakurino-shougen.com/

矢部 顕