後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔671〕矢部顕さんの「倉敷東小学校の劇発表と映画鑑賞」まずはじっくり読んでください。久しぶりに秀逸な演劇教育の実践に邂逅しました。

2024年03月23日 | 学校教育

 足の手術で入院されている矢部顕さんからお電話がありました。「倉敷東小学校の劇発表と映画鑑賞」を映画監督の宮﨑賢さんがDVDに落としたというのです。その顛末を伝える矢部さんの手記と合わせてご覧ください。
 実践された倉敷東小学校の担任の先生と校長先生、宮﨑監督と矢部さんにスタンディングオベーションを贈ります。素晴らしい!

■倉敷東小学校の6年生が映画「NAGASHIMA」を ... - YouTube

https://www.google.com/url?sa=t&source=web&rct=j&opi=89978449&url=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D7lcQT2L8F5c&ved=2ahUKEwiljI_A2ImFAxUNplYBHXJgCqA4ChC3AnoECAsQAg&usg=AOvVaw1BJzv7vOkWsN4VweyuGPin

 

                        倉敷東小学校の劇発表と映画鑑賞

                                                                        矢部 顕
●小学生の劇発表 
 小学校の劇発表を観に行った。2023年11月25日(土)のこと。考えてみれば、ワークホリックだった私は、我が子の小学校の劇の発表さえも観たことがない。現役の時は民間の教育団体で働いていたので、仕事柄数えきれないほどの子どもの劇発表を観てきた。講評さえもしてきた。
 倉敷市立倉敷東小学校の文化祭(小学校でも文化祭という言い方があることを知った)が体育館で行われていて、保護者に混じって観劇した。劇発表プログラムにはこう印刷されていた。
   劇「つなぐ」 6年 14:05~14:40 
   ハンセン病療養所のある瀬戸内市長島と本土をつなぐ邑久長島大橋(通称「人間回 
   復の橋」)が開通してから今年で35年。6年生の子どもたちが、ハンセン病問題学
   習を通して差別の歴史を学び、新型コロナウイルス感染症や身の回りの差別問題と
   のつながりに気づくお話です。小学校生活最後の文化祭、ポジティブに頑張ります。

●劇発表までの道のり
 わざわざ劇を観に行ったのは、以下のような経緯があったからである。
 私は数年前から、我が家の裏山にある戦国時代の城跡でプレーパーク(冒険あそび場)を開催している。その縁で知り合い、プレーパーク活動のご指導をいただいているNPO法人岡山市子どもセンターの理事長から電話があった。「息子が小学校の教師をしているんですが、その息子と会っていただけませんか? いろいろ教えてほしいことがあるようですので」。教えてほしいこととはハンセン病のことについてだった。なんで私がハンセン病について? 多少かかわっていたけど、そんな話題をした記憶はほとんどない。息子さんによると「児童演劇のことをされていたし、ハンセン病のことをよく知っている人だ」と聴いたらしい。
 お会いしてお話しした先生は、倉敷東小学校6年担任の美咲 諒さんだった。8月に参考になるだろう資料をお渡しし、9月に長い時間お話した。
 彼の話は以下のようなことだった。
 昨年(2022年)8月、倉敷市の人権研修としてハンセン病療養所長島愛生園で歴史館や収容桟橋を見学。園長や学芸員の話を聞いた。恥ずかしながらほとんど知識がなかったので衝撃を受けたと同時に、コロナ禍で起こった差別とのつながりを感じたそうだ。次年度の文化祭のテーマにしたいと思ったとのこと。
 2023年度、6年生の担任に決まり、ハンセン病の劇をしようと決め、”長い歴史のある問題だから絶対に台本があるだろう”と探した。県立図書館、インターネット、大型書店などで児童演劇の脚本を調べたが全く見つからない。しかたないので自分で脚本を書くことを覚悟し、ハンセン病関連の本を読んだり、映画を観たりしているところだった。ご自分で書かれた脚本も読ませていただいた。子どもが自然にこのテーマに入って行けるだろう身近な話題から始まっているのに好感が持てた。
 10月になって、子どもたちに脚本を配り練習をスタートさせて、11月25日の文化祭での発表を迎えた。
 コロナ禍で3年間以上マスクをつけていた日常生活のなかで、子どもたちの発声の力とかコミュニケーション力が相当に落ちているだろうという私の予測に反して、35分間がんばっていた。
 観ていたたくさんの保護者にも訴えかける力があったのだろう「知識もまったく無かった。親も学んでいきたい」との声が多くあったと聞く。また、実際に子どもと長島に行ったという方が数件あったとのことで、熱心な家庭があることに驚いた。

●”やりっぱなし”で終わってしまうことに罪悪感
                      邑久高校での上映会からひらめいて倉敷東小学校でも
12月8日に、岡山県立邑久高校でドキュメンタリー映画「NAGASHIMA―”かくり”の証言」(監督・宮崎賢)の上映会が開催された。
邑久高校では「地域学」の取り組みが6年前からなされていて、地域の文化、歴史、観光、産業、福祉、医療などなどのテーマに分かれて、グループごとに探求学習をしている。医療看護グループは、ハンセン病療養所が地元瀬戸内市内にあるのでハンセン病問題に取り組んでいる。このテーマで私も外部講師として最初から関わってきた。
 昨年度に引き続き、生徒たちがこの映画を観て感動し、多くの人に観てもらいたいと上映会を主催したのだった。この次第を宮崎監督がYouTube にアップした。
 それを観た美咲先生は、倉敷東小学校でもやりたいと思った。劇発表は子どもたちの心に残るものとなったが、どこかで”やりっぱなし”で終わってしまうことに違和感や罪悪感のようなものを感じていたからだという。さっそく校長に相談したところ、すぐに前向きの返事をもらい、予算も付けてもらえることになった。この校長の決断力も素晴らしい。
 そして、2024年2月7日、小学校の授業時間に上映会が開催された。観客は6年生の児童78名、そしてその保護者を限定とした上映会だった。会場は体育館でなくて、学校のすぐ近くの公民館だった。公民館とはいえ固定席の立派なホールでの上映で、少しでも良い環境で子どもたちに鑑賞させたいという先生方の配慮が感じられた。
 上映会の最後に、映画で証言していただいた長島愛生園の女性の入所者さん(86歳)から子どもたちへのメッセージの手紙のサプライズがあった。美咲先生が手紙を朗読して終わると、児童たちから大きな拍手が湧き上がった。


●矢部から美咲先生への上映会のお礼と返信
美咲 諒 様 
 美咲先生におかれましては昨日の上映会はお疲れさまでした。
 わたくし自身は、倉敷東小学校の上映会に参加の機会を得て、あのような場面に立ち会うことが出来て、たいへん嬉しく思いました。
 宮崎監督さんと、帰りの車中で以下のようなことを話しました。
 小学校の児童のみなさんに、この映画を見る機会をつくっていただいた美咲先生の行動力に感激しきりでした。この映画が小学校で上映されることなどまったく想定していなかったからです。それを後押ししてくださった校長先生にも頭が下がります。 
 2時間近い長時間のこの映画を、子どもたちが一生懸命に観ている様子も感動的でした。
単なる鑑賞会でなくて、つい最近に自分たちが演じた劇の登場人物とも重ね合わせて映画の中に入り込んでいるのだろうと想像いたします。
 劇の発表に続いての、このタイミングのよい鑑賞会は、子どもたちの心に刻印される得難い人権学習となったことと確信します。
 「勉強」ということばは、「強」いられた「勉」め、という感じがあります。そうではなくて、劇表現や映画鑑賞は、「ことば」と「身体」と「こころ」の三位一体での学びだったとの印象をもちました。卒業を前にしての、子どもたちのなかに、6年生の最後のすばらしい学びの記憶となることを信じて疑いません。 
 何人かのお母さま方も、子どもとともに学べたことを興奮気味に語っていました。子どもも親も、共に育つ共育の場になっていたことに感動します。これこそ、ほんとうの教育と言えるのではないでしょうか。 
 この度の上映会を開催していただき、映画製作実行委員会のメンバーとしても嬉しく思います。ありがとうございました。
                                                       2024.2.8.
                                                                       矢部 顕


矢部様
 お忙しい中、来ていただき本当にありがとうございました。
 身に余るお言葉をありがとうございます。
 矢部さんと母を通じて繋がることができ、矢部さんから宮﨑監督との出会いをいただきました。劇を作るという無謀な挑戦を乗り越え、映画の上映会まで辿り着けたのはひとえに矢部さんのご協力あってのことです。
 子どもたちや保護者は大きな学びを得て、ハンセン病問題や人権問題に対する種が植えられたと思います。
 そして、一番大きく学んだのは私自身です。本当にありがとうございました。
                                   2024.2.8.                                             美咲 諒

●映画を観た子どもたちの感想から
 いくつかの感想文からの抜粋。
「劇を演じてみたけれど、あらためて映画を見て、知らなかったことの多さに気が付きました」。
「かわいそうと思うのではなくて、差別や偏見があるなかで、強く生きてきた人だと
思い、すごいと思うべきだとあらためて分かりました」。
「この体験を忘れず、次の世代につなげていきたいと思いました」。
「ひとりの人間としてあきらめなかった姿をみて心にくるものがありました」。
「一番びっくりしたのは、らい予防法は憲法に違反していて、それを認めるまでの何十年もの時間、人間として扱われてこなかったということです」。
 こうやって書きだしていけばきりがないほどで、ほとんどの感想文が問題の本質を理解し、文章での表現力のレベルの高さに驚く。劇を演じたこと、そして、その後の映画鑑賞が、心の奥底に深く入っていったことがよくわかる。教科書で学ぶ知識よりも、より深く心と身体に沁みこんでいったことが伺われる。劇を発表したのちに映画を観るという順序がよかったせいで、感想文の多くが劇との関連にふれていた。劇を創り上げるプロセスが子どもたちの映画を観ることへのレディネスになったことがよくわかる感想文だった。
                                                                    (2024.2.25)


〔471〕「公立共済共の会だより」に、梶本暁代さんの脚本「同窓会ごっこ」にまつわる投稿が掲載されていてびっくりしました。

2022年05月09日 | 学校教育
 東京都の公立小学校教員を55歳で早期退職してから十数年の月日が経ちました。その時点で公立学校共済組合の組合員であったということで、現在も「公立共済共の会だより」(年3回発行)が送られてきます。
 先だって届いた最新号(2022年5月号、160号)の「いきいき人生」という投稿欄に、私と同年齢の武藤育夫さん(東京都江東区)という方の「若かりし頃」という文章が載っていました。



 本棚を片付けていたら、卒業した子どもたちの学芸会と卒業式の八ミリビデオカセットが出てきたというのです。写真屋でDVDに変換して、それを見たそうです。学芸会の劇は「同窓会ごっこ」です。その思い出と現在の心境を語るものでした。

 「同窓会ごっこ」の文字を見つけて懐かしくなりました。作者は梶本暁代さん。このブログでは劇団・X探偵団の公演について書いたことがあります。梶本さんと劇団を主宰してきた渡辺茂さんの追悼公演についてでした。
 演劇教育の実践を深めていた私が、最も愛していたのが梶本作品でした。拙著『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』(晩成書房、2013年)に「私の演劇教育実践史」を書いていますが、ご本人以外で梶本作品を学芸会や学習発表会、演劇クラブなどで最も多く上演させていただいたのが私ということになりそうです。小学校の梶本作品と中学校の渡辺茂作品は学校脚本の歴史に残る珠玉の作品群です。



 この「同窓会ごっこ」は『小学校脚本集 5』(晩成書房、1985年)に掲載されています。私も編集委員の末席に座らせていただきました。この作品は演劇クラブで演じたものでした。



 今願うのは、演劇を初めとする表現教育がますます日本の地に根ざすことです。

〔274〕学校が徐々に再開してきてはいますが、教育実習が2学期にできるのか気を揉んでいます。

2020年06月16日 | 学校教育
  東京では完全なコロナ終息が見通せないなか、恐る恐る学校再開に向けて動き出しています。埼玉の孫の1人が今年小学校に入学でしたが、6月になってなんとか二部制で登校が始まったようです。午前の部、午後の部と分けて子どもたちが3密にならないように分散登校しているのです。マスクをつけながら、不安を抱えて孤立せざるを得ない子どもたちの姿が目に浮かびます。子どもたちもかわいそうなのですが、教師たちも大変です。2回ずつ授業を組まなければならないからです。日本の小学校の学級児童数は40人が基本です。1年生だけ35人とは、先進国のありようとはほど遠い状態なのです。3密という言葉が作られましたが、昔も今も日本の学校は常に3密状態なのです。ヨーロッパは25人学級が普通ですから、少しの工夫で3密は避けられそうですが、日本ではそうはいかないのです。教育に税金を使わないでどこで浪費しているのでしょうか
 教師たちの労働強化のこれから先が思いやられます。ほぼ全国で3月から5月まで休校が続いて、現場ではなんとか授業時数を確保しようとするでしょう。土曜日半日授業の復活や、夏冬春休みの短縮など、子どもと教師のからだと心のケアが大事になってきます。今までに経験したことがないパンデミックをなんとか乗り切ってほしいと願うばかりです。
 私の出番の教育実習指導は学校が順調に機能し始めてからのことです。春に予定されていた教育実習はすべて秋に延期されることになりました。通常なら4週間ということですが、短縮も認められるということで、開始日も期間も各校まちまちということになりそうです。
  そもそも教育は教師たちの存在にかかっています。教師は子どもに対応できる力と授業力と学級づくりの力量を持たなければならないのです。私は教師の卵たちの手助けにやりがいを感じています。学生たち、手ぐすねを引いて秋を待っていますよ。

 学校の再開を待ち侘びているとき、次のような記事が目に飛び込んできました。私が非常勤講師として勤務する白梅学園大学の増田修治さんのある調査についてでした。増田さんは教育実習の責任者を務められてきた方です。記事は子どもたちの現在(いま)を映す調査です。

●学校現場に広がる「静かな荒れ」 増田・白梅学園大学教授、学級崩壊巡りアンケート
2020年6月1日 5時00分〔朝日デジタル〕

 子どもたちが教員の指導に従わない、授業が成立しないといった「学級崩壊」について、増田修治・白梅学園大学教授(臨床教育学)が小学校教員らに実施したアンケート結果をまとめた。問題が顕在化した1998年の調査と同様の質問をしたところ、20年前と比べて「カッとなって手を出す子」は減った一方、「静かな荒れ」が学校現場で広がっている実態が浮かび上がった。(略)


 同じ朝日新聞(2020年6月6日)に、日本保育学会、汐見稔幸会長の談話「『3密ありき』を見直そう」「家庭の育児 応援の役割も」が掲載されていました。汐見さんは前白梅学園大学学長で、日本演劇教育連盟のパンフにコメントを寄せていただいた方です。幼児教育の権威です。

 最後に鎌田さんのコラムです。

 ◆新しい政治様式(愛と知性と品性の政治)
  「密談、密謀、密約」の三密排除
                 鎌田 慧(ルポライター)

 このまま無事にうまくいってほしい、それが共通の願いだ。
 自粛から自重へ、とにかく第二波を軽く過ごしたい。
 「新しい生活様式」賛成だ。
 が、いま、もっと重要な課題は「新しい政治様式」。

 なんとかならないか。
 いつまで泥沼のように続くのか。調査で支持率急落。泥舟にしがみ
ついているのか、内部から変えろという声が聞こえてこない。昔はやや
紋切り型ながら「打倒」といったのだが、いまはそんな元気がないのが
残念だ。
 「マスクして目は口ほどに話せない」(池田澄子)。作家の小沢
信男さんが紹介している句(「みすず」六月号)。

 だが、蟄居(ちっきょ)して目だけきょろきょろさせていては世の中
変わらない。
 そのマスクさえまだこない。10万円か着く前に斃死(へいし)しそう
な人がふえている。
 「パッと不安が消える」と口封じを狙ったマスクが利権まみれ。
 中小企業などへの「持続化給付金」は、本紙報道のように、電通や
パソナなど政権に近い大企業に委託された事実が、暴露されている。
 「取り巻き優遇政治」の底は深そうだ。

 新しい政治様式とは、密談、密謀、密約の三密排除。
 愛と知性と品性の政治である。
 いのちと生活防衛のために、米製兵器の爆買いはやめる。
 永遠の未完が予測される、辺野古米軍基地建設(2兆5千億円)と
青森県の核燃料再処理工場(14兆円)はキッパリやめる。
      (6月2日東京新聞朝刊21面「本音のコラム」より)

〔177〕昨今「教育密告ごっこ」がなぜこうも流行るのでしょうか。

2018年04月10日 | 学校教育
 このところ安倍一強の「成果」としか思えないようなことが続発しています。
 教育問題で実に奇妙で不愉快なことが立て続けに起こりました。足立区性教育告発事件と名古屋市前川講演会介入事件です。根っこのところはどちらも同じです。
 まずおさえておきたいことは、教育行政の仕事とは何かという問題です。
 2006年に教育基本法が「改悪」されました。第一次安倍内閣の時です。旧教育基本法と並べてみるとその違いは歴然としています。旧教育基本法では、教育行政は「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」を明確に目標にしています。
 ただ、新教育基本法でかろうじて残ったのが「教育は、不当な支配に服することなく」という文言でした。

●教育基本法 「教育行政」(文科省HPより)
第十六条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

●旧教育基本法(文科省HPより)
第10条 (教育行政) 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。
2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。


 では、「不当な支配」とは何なのでしょう。旧教育基本法では以下のような「参考」がついています。国会でのやりとりで「不当な支配」とは「官僚とか一部の政党」「超国家的な、或いは軍国主義的なもの」ということになります。

●(参考)帝国議会における第10条に関する主な答弁
【「不当な支配」とはどういうものを指すのか。】
◎昭和22.3.14 衆・教育基本法案委員会
<辻田政府委員> 第十条の「不当な支配に服することなく」というのは、これは教育が国民の公正な意思に応じて行はれなければならぬことは当然でありますが、従来官僚とか一部の政党とか、その他の不当な外部的な干渉と申しますか、容啄と申しますかによつて教育の内容が随分ゆがめられたことのあることは、申し上げるまでもないことであります。そこでそういうふうな単なる官僚とかあるいは一部の政党とかいうふうなことのみでなく、一般に不当な支配に教育が服してはならないのでありましてここでは教育権の独立と申しますか、教権の独立ということについて、その精神を表したのであります。

【「直接に責任を負つて行われる」とはどういう意味か。「不当な支配に服さず」というのは当然でありあえて規定する必要があるのか。】
◎昭和22.3.19 貴・本会議
<高橋国務大臣答弁> それから尚第十条「教育は、不当な支配に服することなく、」云々とありまするのは是迄におきまして、或いは超国家的な、或いは軍国主義的なものに動かされると云ふようなことがあつたものでありまするからして、この点を特に規定したものであります。

【学校教育の主体はだれか。】
◎昭和22.3.19 貴・教育基本法案特別委員会
<高橋国務大臣答弁> 地方教育に関しましては、地方分権の主義に則りまして、中央集権を廃して参りたい、斯う云ふ立場にあるのでありまするからして、矢張りそれぞれの地方公共団体が教育をする、斯う云ふことに相成るものと考へて居ります。


 はてさて、それでは、昨今の「前川氏講演問題」「性教育授業を都議が問題視」といった事件は「不当な支配」に該当しないのでしょうか。かつてこのブログに書いた〔110〕〔105〕はこの流れに沿った紛れもなく「不当な支配」に該当するのです。
〔110〕「いわゆる『教育密告サイト』から警察への情報提供に反対する請願」、清瀬市総務文教常任委員会は採択するでしょうか。
〔105〕「学校教育における政治的中立性についての実態調査」(自民党)はまさに学校教育密告サイトですね。

 最後に前述した2つの事件について、新聞記事で確認しておきましょう。

■前川氏講演問題 政治家の見識が問われる(熊本日日新聞社説)3月23日 09:06
 文部科学省が、前川喜平前事務次官による名古屋市立中学での講演内容の報告を市教委に要請した問題で、自民党の文教族議員2人が同省に照会し、うち1人に同省が市教委への質問内容を事前に報告していたことが分かった。
 同省は「要請は主体的な判断」と強弁するが、教育基本法が定める「教育権の独立」が政治の介入で侵されたとの指摘もあり、教育行政への信頼が大きく揺らぐ事態となっている。
 地元紙で講演会記事を読んだ自民党文科部会長代理の池田佳隆衆院議員が、部会長の赤池誠章参院議員に連絡、赤池氏が同省に事実確認を要請していた。文科省は市教委に電話で確認し両氏に報告。メールで講演内容などの詳細な報告を求める際には、事前に池田氏に質問を見せ、意見を基に2カ所修正していた。
 同省は当初、講演会があったことを知ったのは地元紙を見たのがきっかけだったと説明していた。ところが、野党のヒアリングでは「外部からの問い合わせを受け記事を取り寄せた」と説明を変え、議員から照会があったことは明らかにしていなかった。
 文科省の担当者は、林芳正文科相が池田、赤池両氏の名前を明らかにした後も「政治家の圧力は受けていない」と繰り返している。しかし、林氏自身は質問内容について「圧力を与えかねない」と認めている。池田氏の意向が働いていたと疑われても仕方あるまい。
 調査の対象となった前川氏は「現場を不当な政治的介入から守るのが仕事なのに、教育行政として果たすべきことを果たしていない」と話している。文科省の関係者は、かつて同省の事務方トップにあった前川氏の苦言を肝に銘じるべきだろう。
 今回の文科省の対応には、森友学園問題での財務省の過剰な対応ぶりと根底でつながるところがあるのではないか。安倍政権下で目立つ政官関係の「ゆがみ」とも言うべき事態がまた露見したとも言える。その原因に内閣人事局制度を指摘する声も少なくない。
 安倍政権が政治主導を目指して2014年に導入。官邸が各省庁の幹部約600人の人事を一元管理する仕組みだが、福田康夫元首相は「各省庁の中堅以上の幹部は皆、官邸(の顔色)を見て仕事をしている」と指摘している。かつて「省益あって国益なし」とやゆされた霞が関の悪しき慣習を正そうという所期の目的は理解できるが、その在り方を再検討する必要があろう。
 赤池氏は「(今回のことが)文科省への圧力になるなら、国会議員は仕事ができなくなる」などと主張。批判を受け、「書面でやる話ではなく、口頭で十分確認できた」と修正したが、とても問題の本質に応えているとは言えまい。森友問題を巡る国会質疑では、自民党議員が財務省理財局長に対し「安倍政権をおとしめるために意図的に変な答弁をしているんじゃないか」などと述べ、批判された。政治家の見識も問われている。


■性教育授業を都議が問題視、都教委指導へ 区教委は反論(朝日新聞斉藤寛子、山田佳奈 2018年3月23日21時00分)
 東京都足立区の区立中学校で今月行われた性教育の授業が、学習指導要領に照らして不適切だとして、東京都教育委員会が区教委に対して近く指導をすることがわかった。16日の都議会文教委員会で自民党の都議が授業の内容を問題視し、都教委が調査していた。区教委は「不適切だとは思っていない」としている。
 授業は3月5日、総合学習の時間で3年生を対象に教員らが実施。事前アンケートで「高校生になったらセックスしてもよい」と答えた生徒が44%いたことをふまえ、高校生になると中絶件数が急増する現実や、コンドームは性感染症を防ぐには有効だが避妊率が9割を切ることなどを伝えた。その上で「思いがけない妊娠をしないためには、産み育てられる状況になるまで性交を避けること」と話した。また、正しい避妊の知識についても伝えた。
 この授業について、16日にあった都議会文教委員会で、自民党の古賀俊昭都議が「問題ではないのか」と指摘。都教委が区教委を通して授業内容を調査し、不適切な授業を行わないように区教委を指導し、来月の中学校長会でも注意喚起することを決めた。(後略)




〔132〕今をときめく?「瑞穂の國記念小學院」を教育実践の視点から考えてみました。

2017年02月27日 | 学校教育
  「瑞穂の國記念小學院」の用地の8億円ディスカウント問題が連日の国会やテレビや新聞などのマスコミで取り上げられています。さまざまな疑惑は深まるばかりなので、東京都での築地市場から豊洲移転問題と同様に、百条委員会のようなものを設置して、しっかり解明してほしいものです。
 ところで、このブログでは、森友学園の幼稚園の「塚本幼稚園幼児教育学園」の教育実践について触れてみます。
 ネット検索の中で、菅野完さんのブログを発見しました。菅野さんはベストセラー『日本会議の研究』(扶桑社、2016)を書いた方です。日本会議の歴史やそれを支える人たち、活動の様子などしっかり調べて書いてあります。しかし掲載された人からの異議申し立てがあり、今裁判で係争中と聞いています。
 その菅野さんが塚本幼児教育学園「思い出の宝箱」というDVDから起こしたのが次の運動会の宣誓のことばです。子どもたちの顔をぼかした映像がネットに出回っていますので、これは信用できそうです。

■塚本幼児教育学園「思い出の宝箱」

”宣誓
あついあつい夏がすぎて、ぼくたちわたしたちの待ちに待った、平成27年度 秋の大運動会がきました。
先生と、お友達と、一緒になって、おけいこをした、おゆうぎ、音楽、体育、かけっこなど、今日一日、頑張ります。
おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさんの前で、褒めていただけるよう、全力をつくします
大人の人たちは、日本が他の国に負けぬよう、尖閣列島・竹島・北方領土を守り、日本を悪者として扱っている、中国、韓国が、心改め、歴史で嘘を教えないよう、お願い致します。
安倍首相、ガンバレ! 安倍首相、ガンバレ!
安保法制国会通過よかったです!
僕たち、私たちも、今日一日、パワーを全開します
日本ガンバレ!えいえいおー!”


  皆さんの率直な感想を聞きたいものです。
 これは幼稚園児のことばではないでしょう。間違いなく大人が子どもに言わせているのです。偏向した政治的思想教育としか私には思えません。
 さらにこの幼稚園のHPを調べてある納得がいきました。運動会の宣誓は日常的な教育の「成果」の1つだったことがよくわかります。

■塚本幼稚園幼児教育学園(森友学園の幼稚園)
〔教育内容〕HPより抜粋
・毎朝の朝礼において、教育勅語の朗唱、国歌“君が代”を斉唱します。
・年1回の伊勢神宮参拝
・なぜ教育勅語を朗唱しているのでしょうか?
「教育勅語」は、約2700年前に神武天皇が日本国をはじめられた際、国是としたことがらを明治天皇が国民教育の方針として確認されたものです。12の徳目は人間力を高める必須のものです。さらに朗唱は暗記力の訓練なのです。


 いちいち反論する気にもならないのですが、大事な視点だけは問題提起しておきましょう。教育勅語は戦前の教育の柱です。天皇主権の国体を護持するための教育の根本だったのです。「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦??相和シ朋友相信シ…」などということだけを取り出して、現代にも通用するなどということを言うのは間違いです。教育勅語は天皇制を守るための指針なのですから。
 ちなみにこの塚本幼稚園は、現在の理事長の籠池泰典氏の義理の父親の森友寛氏が昭和28年(1953年)に設立し、園長に就任したとHPにあります。
 ネット検索して、さらに驚くべき教育実践の実態が明らかになりました。「同期の桜を歌う会」(大阪護国神社)などに園児が出演して、愛国行進曲・日の丸行進曲・日本・五箇条の御誓文・教育勅語などを歌ったり「群読」しているのです。そのいずれもが、大きな声で、単調に怒鳴るように表現しているのです。子どもたちの発達段階を無視した教育が行われているとしか思えません。

 今年4月に開校予定の「瑞穂の國記念小學院」について、HPを覗いてみて、さらに驚愕しました。私には、日本国憲法や教育基本法から逸脱した教育指針に映るのです。

■瑞穂の國記念小學院(みづほのくにきねんせうがくゐん)は、大阪府豊中市に2017年4月、開校予定の私立小学校である。
〔教育の要〕 HPより抜粋
→ 天皇国日本を再認識。皇室を尊ぶ。伊勢神宮・天照大御神外八百万神を通して日本人の原心(神ながらの心)、日本の国柄(神ながらの道)を感じる。
→ 愛国心の醸成。国家観を確立。
→教育勅語素読・解釈による日本人精神の育成(全教科の要)。道徳心を育て、教養人を育成。
→「大學」素読による人間学の習得。
→大祓詞・般若心経朗唱宗教的情操の育成。
→日本人の心の中心である伊勢神宮からほど近い松阪の地ですくすく育った杉の木・檜をつかった木造伝統建築の校舎や和風装飾物・校庭木による日本人DNAの呼び覚まし。


  最後に朝日新聞の2つの記事を引用しておきます。
 日本の教育や社会はもうすでに大きな角を曲がってしまったのかも知れません。

■朝日新聞デジタル 2017年2月17日20時10分
●「安倍晋三小学校、断った」首相、国有地売却の関与否定
 大阪府豊中市内の国有地が近隣国有地の約1割の価格で学校法人「森友学園」(大阪市)に小学校用地として売却された問題で、安倍晋三首相は17日、小学校の名誉校長に妻昭恵氏がついていることを「承知している」と説明。売却に「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」と述べ、関与を否定した。
 衆院予算委員会で民進党の福島伸享氏の質問に答えた。学校法人との関係をめぐり、首相は「私や妻が(小学校の設置)認可や国有地払い下げについて、(自身の)事務所も含めて一切関わっていないことは明確にしたい」と述べた。
 妻が名誉校長についていることについて、「妻から森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている」と説明。また、同学園が「安倍晋三記念小学校」の寄付者銘板に名前を刻印して顕彰する、との文言で寄付金を集めていたことを知っているかとの福島氏の問いには、「いま話をうかがって初めて知った」と答弁した。
 そのうえで「私の考え方に非常に共鳴している方から、(2007年に内閣総辞職して)首相を辞めた時に『安倍晋三小学校にしたい』という話があったがお断りした。まだ現役の政治家である以上、私の名前を冠にするのはふさわしくない。私が死んだ後であればまた別だけれど、私の郷土の先輩である、例えば吉田松陰先生の名前をつけられたらどうかという話をした」とも語った。
 「約9億円と不動産鑑定で評価されていた土地が約8億円もディスカウントされてしまったのはなぜか」との福島氏の問いに対して、財務省の佐川宣寿理財局長は「不動産鑑定士に更地の価格を鑑定してもらい、(国有地を管理していた)大阪航空局が積算した(ゴミなどの埋設物の)撤去費用を差し引いた時価で、適正な価格で売っている」と答えた。
 売却された土地には、今春に同学園が運営する小学校が開校する予定。理事長の籠池泰典氏は憲法改正を求めている日本会議大阪の役員。ホームページによると、同校は「日本初で唯一の神道の小学校」とし、教育理念に「日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる」と掲げている。(南彰)


■朝日新聞デジタル 2017年2月22日23時48分(一部)
●教育勅語を毎朝朗唱、君が代も 森友学園の幼稚園
 22日の大阪府私学審議会では、学校法人「森友学園」が運営する大阪市内の幼稚園についても取り上げられた。この幼稚園は、ホームページ(HP)によると、毎朝の朝礼で、明治天皇の名で教育理念などを規定した教育勅語の朗唱、君が代を斉唱するとしている。
 府は、幼稚園側が「よこしまな在日韓国人・支那人」などと記した文書を在園児の保護者に配っていたほか、園のHPでインターネット上に園に対する誹謗(ひぼう)中傷があったとして、「(記事の)投稿者は、巧妙に潜り込んだ韓国、中華人民共和国人等の元不良保護者」などとする文書を一時、公開していたことを報告した。
 府が事実確認をしたところ、学園の籠池泰典理事長は「誹謗中傷に対する対抗言論だ」などと回答したという。ただ、委員からは、教育基本法に規定する「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し」という教育の目的とのずれを指摘する声が出たという。
 府は保護者と幼稚園の間で訴訟になっているケースがあることにも触れたが、詳細は報告しなかった。( 石原孝、小河雅臣、太田成美)




〔105〕「学校教育における政治的中立性についての実態調査」(自民党)はまさに学校教育密告サイトですね。

2016年08月15日 | 学校教育
 今年の7月初旬に、自民党文部科学部会から下掲の「学校教育における政治的中立性についての実態調査」が自民党のサイトに登場しました。これはまさに学校教育密告サイトです。

●学校教育における政治的中立性についての実態調査(自由民主党)
 党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。
 学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。
 そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することにいたしました。皆さまのご協力をお願いします。

 このサイトについては当然のことですが、ネットでかなり批判されて、7月18日終了ということになったそうです。そのあたりの顛末を朝日新聞は次のように伝えています。

●自民、「政治的中立を逸脱」した教師の事例をネット募集(朝日新聞、2016年7月9日) 
 自民党が党公式ホームページ(HP)で、教育現場での「政治的中立を逸脱するような不適切な事例」を募るネットアンケートを始めた。18、19歳に選挙権が拡大されたことを受け、「主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れ」があることを調査理由に挙げている。ネット上では「この調査こそ教育への政治的介入」と批判の声も出ている。
 自民党HPは、調査の呼びかけで「教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実」と断定。「高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出される」などと主張し、「不適切な事例」をアンケート形式で情報提供するよう呼びかけている。
 HPには当初、教育現場で「子供たちを戦場に送るな」と主張する教員がいるとする表現があり、その後、「安保関連法は廃止にすべきだ」と訴える教員がいるとの表現に変えられたが、いずれも削除された。
 同党の木原稔文部科学部会長は7日、この取り組みについて「18歳の高校生が特定のイデオロギーに染まった結論に導かれることを危惧してます」とツイッターで説明している。

●「木原みのる氏」のツイッター
 残念ながら教育現場に中立性を逸脱した先生がいます。18歳の高校生が特定のイデオロギーに染まった結論に導かれる事を危惧してます。そこで、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施します。皆さまのご協力をお願いいたします。

 ちなみに木原氏はあの日本会議国会議員懇談会のメンバーです。ウイキィペディアでは次のように書かれています。

*木原 稔(きはら みのる、1969年(昭和44年)8月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、財務副大臣、創生「日本」事務局長。過去に、自民党文部科学部会長、自民党青年局長、防衛大臣政務官(第2次安倍内閣)。熊本県熊本市出身。(ウイキィペディア)

 そしてあろうことか、馳文科相はこれに理解を示したというから開いた口がふさがりません。

●教育の「政治的中立」調査 馳文科相が自民に理解(朝日新聞、2016年7月12日)  
 自民党が党公式ホームページ(HP)で、学校での「政治的中立を逸脱するような不適切な事例」の情報提供を呼びかけていることについて、馳浩文部科学相は12日、閣議後の記者会見で「党として、たぶん実態がどういうものか分からず、(把握するには)どうしたものか、と考えた中の一案だ」と理解を示した。
 馳文科相は「教育現場では政治的中立性を守ってほしい」とし、「例えば『給付型奨学金についてどの政党がどう主張しているか、なぜ今求められるのか』を考えるのなら中立性に配慮したことになるが、いい悪いとまで述べることは、私はよした方がいいと思っている」と語った。
 自民党は6月、HP上に投稿フォームをつくり、「中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる」と断定。投稿者の氏名や連絡先、職業とともに、「不適切事例」について「いつ、どこで、だれが、何を、どのように」を明らかにして記入するよう求めている。

 しかし、ここ1年の間に教育だけに限ってみても、政府筋から様々な右翼的な物言いが発せられてきています。国立大学の卒業式など行事に国旗・国歌を位置づけること、教員の政治的中立「違反に罰則」、さらに「岐阜大学で、卒業式などに君が代を歌わないのは恥ずかしい」馳発言など、枚挙にいとまがありません。そういえば、森元首相の教育勅語は良いことが書いてある、「オリンピックで選手が国歌を歌わないのはみっともない」発言など、言ったものがちの風潮が出てきているのでしょう。日本国憲法の精神をないがしろにする発言は見過ごすわけにはいきません。
もう少し詳しく知りたい場合は、下記のブログを開いてください。

〔29〕今回からは陳情ではなく請願です。「国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する請願」
〔42〕9月議会には“教員の政治的中立「違反に罰則」に反対決議を求める請願"します。
〔76〕 馳文科相「恥ずかしい」発言はとても恥ずかしいですね。

自民「政治的中立調査」のその後については、朝日新聞が丁寧にフォローしています。

●自民「政治的中立調査」、警察に一部提供 部会長が意向(朝日新聞、2016年8月2日) 自民党がホームページ(HP)で実施した「学校教育における政治的中立性についての実態調査」について、木原稔・党文部科学部会長は1日、投稿された情報のうち明らかに法令違反と思われるものなど一部を警察当局に提供する考えを示した。いじめや体罰など政治的中立と関係のない通報があったといい、こうした情報も対象という。
 部会後、報道陣の取材に答えた。木原氏によると調査実施後、部会内のプロジェクトチーム(PT)で非公開で議論。投稿の内容は公表せず、今後の議論に向けた参考とする方針を確認した。木原氏は「SOSを発していたり、明らかな法令違反だったりして、無視できないものがある。例えばいじめや体罰で、しかるべきところに報告する」と話した。
 これまで公職選挙法違反と判断されるものは文部科学省に情報提供するとしていたが、「公選法違反は警察が扱う問題」と、捜査当局への提供を示唆した。
 PTは学校での政治的中立性を確保するための最終提言を出す予定。木原氏は「(調査結果の)中身はボリュームがあり、全部処理し切れていない」とし、時期は明言しなかった。

〔77〕どう考えても、馳文科相「恥ずかしい」発言は恥ずかしいですね。

2016年02月28日 | 学校教育
 前のブログの続編ということになってしまいました。まさかこんな当たり前のブログをもう一度書くとは思いもしませんでした。そうそう非常識なことは続くまいと思ったのですが、馳氏は本当にそう思っていたのですね。国立大学は卒業式や入学式で「君が代を斉唱することは、私は望ましいと思っている」と言ったことをです。次の 朝日新聞記事を読んでびっくりしました。

●馳氏、岐阜大を改めて批判「国立大として恥ずかしい」朝日デジタル2016年2月23日 馳浩文部科学相は23日の閣議後会見で、国立大の卒業式や入学式での国旗掲揚や国歌斉唱について、「君が代を斉唱することは、私は望ましいと思っている」と述べた。岐阜大学の森脇久隆学長が国歌斉唱しない方針を示したことは「一つの自主的な判断」としながらも、「日本人として、特に国立大学としてちょっと恥ずかしい」と改めて批判した。
 馳文科相は、国歌斉唱などが望ましい理由について、「国費も投入されている。日本社会のすべての方々に感謝の気持ちを表現する場合に、儀礼的な側面を重要視する必要がある」と説明。一方、実際にやるかやらないかは「自主的に、また適切にご判断をいただければいい」とした。
 国旗・国歌をめぐっては昨年6月、下村博文前文科相が国立大学長に「適切な判断」を要請。岐阜大学は今月17日、これまで国歌ではなく大学の愛唱歌を歌ってきたとして、今春の卒業式や入学式でも同様にする方針を示した。これに対し馳文科相は21日、「恥ずかしい」と述べていた。

 何度も同じことを繰り返すという馳氏の手法はどこかで聞いた話だなと思いました。荒唐無稽な嘘でもつき続けると、大衆はそれを事実・真実のように信じてしまうことがあるというプロパガンダについてです。「嘘も百回繰り返せば真実になる」「小さな嘘より大きな嘘に大衆は騙される」とは、かのナチスドイツの宣伝相ヨーゼフ=ゲッベルスの言葉だというのはどうやら間違いのようですが、アドルフ・ヒトラーは似たようなことを言っていますよね。「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ。」…パソコンで検索した言葉です。(ヒトラー『わが闘争』にも当たって無くてごめんなさい。)
 戦争法論議に見られるように安倍首相はまさにこの手法を体現しているし、高市総務相は放送法をねじ曲げて国会で何度も「電波停止」を公言しています。「ナチスドイツの手口に学べ」と言う麻生太郎副総理の恐るべき発言を同時に思い出してしまいます。
  では、なぜ馳発言は恥ずかしいのでしょうか。
 馳氏は、大学にはなぜ学習指導要領がないのか、全く理解していないのです。大学が有している自治権、研究の自由についてなぜそうでなければならないのかが、わかっていないのです。戦前、国家権力が大学からそれらを奪って軍国主義国家に突き進んだ苦い経験などには思い至らないのでしょう。
 さらに、なぜ卒業式に国旗国歌がなければならないのでしょうか。東アジアでは国家維持の大切な柱として学校教育の中で儀式的行事を重視してきましたが、そもそも世界的に見れば、入学式や卒業式はそれほど一般的ではないのです。やったとしても、重点のかけ方は日本ほどではないようです。イタリア・スペイン・フランスなどのヨーロッパの学校訪問をしたとき、行事そのものの比重がかなり軽いことに驚きました。かなりの学校で運動会などはなく、校庭もとても狭かったのです。日本国憲法のもとでの学校行事について、今ひとつ考えてみる必要がありそうです。
  さて、最後に朝日新聞の天声人語を読んでもらいましょう。うまくまとめてくていますから。

●天声人語「たらればの話」という言い方がある。現実とは違うことを仮定しながらの話、というほどの意味か。「かいのない議論」と手厳しい辞書もある。俗語である。 馳文科相は23日の記者会見で、たらればの話だがと断って発言した▼「私が学長であったとしたら」。そんな前置きを何回か繰り返しながら語ったのは、国立 大学の卒業式 や入学式での日の丸、君が代の問題だ。「国旗掲揚、国歌斉唱を厳粛のうちに取り扱うと思っている」▼岐阜大の学長が今春の式で国歌斉唱をしない方針を示し たことへの批判である。国立大は税金で支えられているのだから、式典ではすべての納税者に感謝し、国旗、国歌を重視すべきだ、という論理らしい。それをし ないのは「恥ずかしい」と▼たらればの話として語るのは、大学の自治への介入という批判をかわす意図なのだろう。憲法は学問の自由を保障し、教育基本法は 大学の自主性と自律性をうたう。小中高校には学習指導要領があるが、大学にはない。斉唱を指示する根拠がないことは馳氏も承知だ▼だが、大学運営に不可欠 な国の交付金に「感謝」を促し、式次第に「適切な」判断を求めると言えば、圧力と受け取られても仕方がない。鎧(よろい)を隠す衣になっていない▼たかが式典、ではない。国歌斉唱の際の起立命令が思想・良心の自由を間接的ながら制約することは、最高裁も認めている。あの時もっと気をつけていたら……。そん な後悔をしないためにも、今、目を光らせる必要がある。(2016/02/26)


〔76〕 馳文科相「恥ずかしい」発言はとても恥ずかしいですね。

2016年02月22日 | 学校教育
  2月22日の朝日新聞に、<岐阜大が国歌斉唱しない方針 馳文科相「恥ずかしい」>という記事を見つけて唖然としました。まずはじっくり記事を読んでみてください。

●岐阜大が国歌斉唱しない方針 馳文科相「恥ずかしい」朝日デジタル2016年2月21日
 馳浩文部科学相は21日、金沢市で記者団に、岐阜大学の森脇久隆学長が卒業式などで国歌「君が代」を斉唱しない方針を示したことについて、「国立大として運営費交付金が投入されている中であえてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」と述べた。
 卒業式や入学式での国歌斉唱は昨年6月、当時の下村博文・文科相が全国の国立大学長らに要請していた。岐阜大は前身の旧制学校の校歌を式で斉唱しており、森脇学長は今月17日の定例記者会見の質疑で、これまで通りの方針で臨む考えを示していた。
 馳氏は21日、金沢市内での講演で「岐阜大学の学長が国歌を斉唱しないと記者会見した」と指摘。その後、記者団に「(下村氏の要請は)大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもない。学長が(斉唱しないことに)言及することはちょっと恥ずかしい」と語った。

 馳浩氏が文科相になったとき、あるBSの番組で、同席した尾木ママこと尾木直樹氏が「はじめて文科相就任を応援したいと思った人です。」と嬉しそうに持ち上げていました。馳氏は元プロレスラーで、昨年の大晦日の格闘技の番組になぜかリング上で挨拶していたのを目撃し、売名行為かとも思ったのですが、元高校の国語教師であったということもあり、尾木発言とも相まって、実は多少の期待もしたのですが、あまりにも見識が無いのにがっかりしました。恥ずかしいのは馳氏の方ではないでしょうか。
 岐阜大では「君が代」は斉唱しないのですが、「日の丸」は掲揚するという方針のようです。数日前の毎日新聞の記事を読んでください。

●岐阜大 式に国歌斉唱せず 学長「伝統の歌大事にしたい」毎日新聞2016年2月17日
 岐阜大(岐阜市)の森脇久隆学長は17日の定例記者会見で、入学式や卒業式に国歌斉唱をしない方針を明らかにした。同大は従来、前身の旧制学校の校歌を式で斉唱しており、森脇学長は「伝統の歌を大事にしたい」と述べた。
 岐阜大は旧制岐阜高等農林学校(岐阜大応用生物科学部の前身)の校歌「我等(われら)多望むの春にして」を愛唱歌としており、森脇学長は「式には愛唱歌の方がふさわしい」との考えを示した。
 昨年6月、下村博文文部科学相(当時)が国立大の学長に対し、式での国歌斉唱と国旗掲揚を要請。森脇学長はその後の記者会見で「学内でよく話し合って対応したい」と話していた。
 同大は式で国旗は掲揚している。【岡正勝】

 なぜ、< 馳文科相「恥ずかしい」発言は恥ずかしい>のか、以下のブログの「請願」を読んでみてください。

●ブログ〔29〕より
      国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する請願
                     2015年5月28日
〔請願の趣旨〕
 安倍晋三首相は4月9日の参院予算委で、国立大の入学式などでの国旗・国歌の扱いについて「税金によって賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきではないか」と述べた。これを受けて、下村博文文部科学相は翌日の記者会見で「国立大の学長が参加する会議で要請することを検討している」と具体策に踏み込んでいる。
大学には学習指導要領が存在しないということの意味合いは、大学の「学問の自由」を考えた上でのことである。大学の自主性や自律性が尊重されるべきことは教育基本法にも規定されていることで、長い大学の歴史を紐解くまでもない。
 清瀬市議会としては文科相の「要請」に反対し、国に意見表明することを要請したい。

〔理由〕
 小中高校の具体的な教育指針である学習指導要領では、国旗掲揚・国歌斉唱が定まっているが、大学には学習指導要領はなく、規定もない。大学は教育・研究内容だけでなく、学内の運営全般にわたって「自治」が大原則であり、自主的な決定に委ねられる。それが根本的理念である「学問の自由」の支えでもある。
首相や文科省大臣の発言に危惧を抱く大学人の集まり、「学問の自由を考える会」の主張「国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する声明」は的を射ており、耳を傾ける必要がある。
「… たしかに教育基本法第二条は、教育目標の一つとして、『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う』ことを掲げる。しかし、伝統と文化とは何かを考究すること自体、大学人の使命の一つであり、既存の伝統の問い直しが新しい伝統を生み、時の権力への抵抗が国家の暴走や国策の誤りを食い止めることも多い。教育基本法第七条が『大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない』とするゆえんである。政府の権力、権威に基づいて国旗国歌を強制することは、知の自律性を否定し、大学の役割を根底から損なうことにつながる。」(4月28日)
 滝川事件、天皇機関説事件、矢内原事件など我が国の近代史を思い起こしてみたい。こうした時代に舞い戻ってはならぬと思う。

       清瀬市議会議長
        渋谷のぶゆき様

                            清瀬・憲法九条を守る会
                               福田三津夫

〔65〕江戸川区では全小学校で休み時間に一斉に外遊びを導入するというのですが…。

2016年01月06日 | 学校教育
 連れ合いからこんな教育記事があるよと教えてもらいました。教育とは何かということを考えてみたいのでそのまま引用します。

●外遊び 体力向上 休み時間活用、全小学校導入へ 東京・江戸川区
(毎日新聞2016年1月5日 東京夕刊)

 鬼ごっこやゴム跳びなどの昔ながらの外遊びを全校で授業の合間に行い、体力改善を図る取り組みを、東京都江戸川区が来年度から全小学校71校で始める。試験的に導入した学校で、平均以下だった体力テストの成績が区内トップレベルに高まったため。区教育委員会によると、区市町村の全校で一斉に外遊びを導入するのは、全国的にも例がないという。【柳澤一男】

 外遊びを2013年1月から試験的に採り入れている区立西葛西小学校。週に1回、授業の合間にある25分間の長い休み時間を「わくわくタイム」と呼んで充てている。
 「みんなで楽しく遊びましょう」。放送が流れると、737人の子どもたちが一斉に校庭へ飛び出した。20?30人ずつが輪になり、先生に教わりながら「十字おに」や「ぐるぐるおに」「Sけん」「長縄」など22種類の遊びを始めた。
 「グー、パー、フミ、フミ、回ってジャンプ!」。1年生が笑顔でゴム跳びをし、男の子も「みんなで跳ぶのは楽しい」と喜んだ。
 同校では12年度までほとんどの学年で、体力テストの成績が全国平均はおろか、全国平均より低い都平均さえも下回っていた。
 そこで山下靖雄校長が外遊びの時間を導入。教員は事前に外遊びのルールを覚え、リーダー役になった。「私たちが子どものころは放課後に友人と遊び、自然に体を動かしていたが今は違う。体育が苦手な子にも体を動かす楽しさを感じてほしかった」と話す。
 その結果、14年度には男子が4学年、女子は5学年で、体力テストが全国平均を上回り、区内でトップレベルになった。特に反復横跳びや20メートルシャトルランなどが向上したという。子どもの意識調査では「体を動かすことが楽しい」「多くの人数で体を動かすことが楽しい」との回答が約100人ずつ増えた。
 これを受け、区教委は外遊びを区立の全校、約3万5000人に広げることにした。外遊びの時間や頻度は状況に応じて各校が決める。
 区教委指導室の稲垣達也室長は「江戸川区の子どもの体力は都内でも低い方。昔ながらの外遊びをする子どもは減り、ゲームや室内で遊ぶ姿が目立つ。まず校庭で外遊びのコツを覚え、体力向上につながれば」と話す。

  江戸川区といえば演劇教育の重鎮、刀禰佳夫さんが講師などで活動されたり、日本演劇教育連盟の研究部長の高崎彰さんが指導室長として活躍されたことがあるところで、リベラルな地域性に好感を抱いていたものです。だからこそ、この記事を読んだとき、あれあれ何か違うなと直感的に感じたのです。
 子どもにとって遊びが重要であるというのはいうまでもありません。友だちとの遊びのなかで人との付き合い方、コミュニケーションを学ぶのです。そこには自然との出合いもあり、子どもの身体や心を育んでくれます。学びは遊びを抜きにして考えられません。そうした遊びや学びから労働に発展してくるのではないでしょうか。
 ただここでいう遊びとは子どもたちの主体的自主的な活動を指します。今回の江戸川区の一斉遊びは、管理されたなかでの「遊び」というニュアンスが強いようです。体育を研究している学校が、業間体育と称して、休み時間に全校体育をすることがあります。そうした流れを汲むもののようです。授業的な遊びといってもいいのでしょうか。
 子どもたちにとっては休み時間は貴重なものです。友だちと自由に遊んだり、本を読んだり、おしゃべりをしたりと、息抜きの時間に違いありません。
 また、教師にとっても業間遊びに問題は山積です。午前中の中休みに教師はさまざまな仕事をこなさなくてはなりません。子どもたちの日記や親からの連絡帳を見たり、教材準備の時間であるかもしれません。委員会活動の指導をしたり、教師たちの会議が組まれる場合もあります。
 教職員の勤務ということで、次のようなサイトが見つかりました。出所ははっきりしないのですが、私の現役時代の認識と一致しているので、現状でもそう大きな変更はないと思われます。参考までに提示しておきましょう。

●教職員の勤務
(1)勤務時間
 ① 学校職員の勤務時間の割り振りは当該校長が行う。
 ② 職員の正規の勤務時間は、1週間あたり40時間とし、職務の性質上これに拠り難い場合、別に定める期間を通じ1週間あたり40時間とする。
 ③ 休憩時間
  (ア)勤務時間が6時間を超える場合は45分、8時間を超える場合は1時間与えられる。
  (イ)勤務時間の途中、全職員一斉に与えること
  (ウ)職員に自由に利用させること
 ④ 休息時間
  (ア)勤務時間4時間について15分の休息時間を置かなければならない。休息時間は、正規の勤務時間の一部である。
  (イ)給与支給対象の拘束時間で、自由利用の原則はない。

 これらの論拠になっているのが労働基準法です。ここには休息の規定はありません。

●労働基準法
(休憩)
第三十四条  使用者は、労働時間が六時間を超える場合においては少くとも四十五分、八時間を超える場合においては少くとも一時間の休憩時間を労働時間の途中に与えなければならない。
○2  前項の休憩時間は、一斉に与えなければならない。(略)
○3  使用者は、第一項の休憩時間を自由に利用させなければならない。

 江戸川区の業間遊びは教師にとっては勤務時間内の休息の時間になっているはずです。
 さらに、週1回の試みであれば良いのではないかという人もいると思いますが、年間を通すと30数回ということになります。しかも江戸川区全校で取り組むということです。こうしたことに教育における画一化、統制化の兆しを感じてしまうのは私だけでしょうか。