後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔264〕《憲法に「緊急事態条項」を入れる危険》塚越敏雄さんの緊急提言です。

2020年04月30日 | 市民運動
  鎌倉の塚越敏雄さんから一斉メールが入りました。《憲法に「緊急事態条項」を入れる危険》というアピールです。拡散歓迎ということで早速皆様にも危機感のお裾分けです。4頁にわたる文章をなんとか掲載することができましたが、少し小さくて読みにくいと思いますが、これが私の今の力量なので勘弁してください。

●塚越敏雄さんからの一斉メール

 新型コロナウイルス感染の終息が見えない中、いかがお過ごしでしょうか。
 私たちは、この4年間、鎌倉駅前で毎週行ってきた街頭活動を見合わせざるを
得ない状況が続いています。
 ところで、共同通信が3月~4月、郵送方式で行った世論調査(有効回答18
99)によりますと、「緊急事態条項を憲法に新設する案」に賛成51%、反対
47%だそうです。この背景には、新型コロナウイルス感染拡大に対する強い対
策を求める世論があることが考えられます。
 さらに、「憲法への緊急事態条項追加」がウイルス感染に役に立たないだけで
なく、基本的人権を根底から脅かす危険なものであることがほとんど報道されて
いないことも、世論調査結果に反映されているように思えます。
 今回、「腰越・憲法9条の会ニュース4月号」に掲載した原稿に永井幸寿弁護
士の話をまとめたものを加えてみました。お読みいただき、よろしかったら、拡
散していただけますとありがたいです。
 
                   



 ◆二人羽織の安倍首相
  原発再稼働も辺野古米軍新基地建設も進めるべきではない

                  鎌田 慧(ルポライター)

 トランプ米大統領は戦時の大統領を気取り、マクロン仏大統領も
「これは戦争だ」と言い切り、大袈裟な物言いでは人後に落ちない
日本の首相は「第三次大戦だ」と口走ったそうだ。
 たしかに世界的な大厄災とはいえ、ドイツのメルケル首相のように、
情理を尽くし、国民にむけて自粛を訴えて感動を与えた政治家もいる。
それと比べるのはどうかと思うが、緊急事態宣言の発令でさえ、
プロンプターに誘導され、秘書官が書いたスピーチを身振りをまじえて
読み上げ、手を振る二人羽織。AI(人工知能)時代のリーダー像。
たよりない。

 しかし、危機にこそ強いリーダーが必要だ、と強権に期待する
雰囲気になってきたのは、逆にまた恐ろしい。このような首相を
選び出したのは日本の民主主義の現状の反映と反省するしかない。
 大国アメリカは世界最大の核弾頭と世界最強の軍備をもちながら、
世界最多75万人の感染者と4万人の死者を発生させている。生活の
近代化の物差しと格差の物差しは同じではない。
 今回のパンデミックは、物質主義への逆襲だったかもしれない。

 いま、自粛もなく、まるで隙を突くように進められている沖縄
辺野古での米軍基地建設工事、さらに懲りない原発再稼働。
 このコロナの試練を乗り越え、運動にむかう準備は怠らない。
 力を蓄えていよう。
     (4月21日東京新聞朝刊19面「本音のコラム」より)


〔263〕個人本屋【猫家族】開業-コロナ禍からの反転、ついにネット販売に踏み出しました。

2020年04月23日 | 自己紹介
  コロナ禍で右往左往する私たち人間、その原因理由は様々なことが謂われています。人類が招いた地球温暖化により氷土が溶け出し、そこに眠っていたウイルスが出現再生したとか、人間が獣の住処まで開発、進入したために野生の動物との接触が増しウイルスに感染することが増えたとか。いずれにしてもペストから数えて何回目かのパンデミックに遭遇していることは間違いありません。
 そんななか70歳を過ぎた私にやれることは限られています。外に出られないことを逆手にとって、むしろやれることをやろうということで、懸案だった本のネット販売に踏み切ることにしました。アマゾンでの小口出品です。
  以前からネット販売の希望を持ってはいたのですが、忙しさに紛れて、なかなかその1歩を踏み出すことができませんでした。パートナーの力を借りながら、ようやく1週間かかってスタートしたのは2日前でした。
  アマゾンの販売には品物をアマゾンに預けて注文から発送まですべてをやってもらう方法と、個人で行う小口出品があります。私が採用した小口出品の条件と手数料は以下の通りです。

【配送条件】
■小口出品では、すべての商品についてAmazonが指定する配送料が適用されます。配送料について詳しくはこちらをご覧ください。
■リードタイム(出荷作業日数)が自由に変更できません。注文された商品は、予約販売を除き、2営業日以内に出荷してください。
■配送のサービスレベルおよび配送予定などの条件もAmazonが指定する条件に従う必要があります。
〔手数料〕
■小口出品が完了すると、取引が完了した商品1点ごとに100円の基本成約料、販売手数料とカテゴリー成約料が請求されます。


  わたしが本のネット販売を考えたのは、拙著の在庫がかなりあるからです。パートナーと合わせて10冊近くの自費出版的な本を世に出しました。出版社との関係でそれ相当の数買い取りをしているのです。講演会やワークショップなどで本を売らせていただいたのですが、それにも限りがあります。
 アマゾンのサイトにあげた本は、私たちの拙著と手持ちの本、先輩諸氏からいただいた本(自分ですでに持っている本のみ)などです。皆さんに手にとっていただけるように、ほとんど最安値で価格をつけてあります。下掲の本がノミネートしたものです。
 私どもの「本屋」は【猫家族】です。どうぞよろしくお願いします。

■販売する本

『いちねんせい-ドラマの教室』福田三津夫、晩成書房
『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』福田三津夫、晩成書房
『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』福田三津夫、晩成書房
『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』福田三津夫、晩成書房


『ことばで遊ぼう 表現しよう!-ことばあそび・朗読・群読』日本演劇教育連盟編、晩成書房

『劇遊びの基本』小池タミ子、晩成書房
『劇あそびを遊ぶ』小池タミ子、平井まどか編、晩成書房

『子どもっておもしろい』福田緑、晩成書房    

『祈りの彫刻-リーメンシュナイダーを歩く』福田緑、丸善プラネット 
『続・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーを歩く』福田緑、丸善プラネット          
『新・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』福田緑、丸善プラネット
『完・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』福田緑、丸善プラネット
『結・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーからシュトース』福田緑、福田三津夫、丸善プラネット  


『演技者へ!』マイケル・チェーホフ著、ゼン・ヒラノ訳、晩成書房
『パニックの子、閉じこもる子達の居場所づくり』山﨑隆夫、学陽書房

『げき(高学年)』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『新・演劇教育入門』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『赤い鳥童話劇集』冨田博之編、東京書籍
『日本児童演劇史』冨田博之、東京書籍
『人形劇とはどういうものか』オブラスツォーフ他、大井数雄訳
『劇のある教室を求めて』大隅真一、晩成書房
『劇へ-からだのバイエル』竹内敏晴、星雲書房

『小学校たのしい劇の本・低学年』日本演劇教育連盟編、国土社
『小学校たのしい劇の本・中学年』日本演劇教育連盟編、国土社
『小学校たのしい劇の本・高学年』日本演劇教育連盟編、国土社

『中学校演劇脚本集1』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『中学校演劇脚本集2』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『中学校演劇脚本集3』日本演劇教育連盟編、晩成書房

『きまぐれ月報上』相川忠亮、社会評論社
『きまぐれ月報下』相川忠亮、社会評論社

『学級通信生きる』川津晧二、社会評論社
『「日の丸・君が代」が人を殺す!』北村小夜・天野恵一、社会評論社

『不可視のコミューン』野本三吉、社会評論社
『裸足の原始人たち』野本三吉、社会評論社

『もうひとつの学校へ向けて』村田栄一・里見実、筑摩書房
『じゃんけん党教育論』村田栄一、社会評論社

『教師の声を聴く』浅井幸子、黒田友紀他、学文社
『リーメンシュナイダーの世界』植田重雄、恒文社
『ひとりで操体法』小崎順子、濃文協

『鏡像と懸仏』 (日本の美術 No.284) 難波田徹、至文堂

〔262〕続「CWニコルさん追悼」、ラボ教育センターのテューターの手記はまたひと味違います。

2020年04月11日 | 追悼文
 CWニコルさんの物語を「教材」にして、日常的にことばとからだで遊んできたラボ・テューターやラボッ子たちはニコルさんの逝去に対して、深い感慨を抱いたようです。物語を通してニコルさんの想いが血肉化されているのが彼らだと思うからです。(拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』晩成書房、参照)
 矢部さんを通してテューターの追悼文を読ませていただきました。彼女たちの了解を得て、ここに掲載させていただきます。ありがとうございました。

●福田三津夫様

テューターからわたくし宛にいただいた、ニコルさんの訃報に接してのメール
を添付します。

このような思いをもったテューターは他にもたくさんいらっしゃいます。
ラボ物語ライブラリーの中でニコルさんの作品はたくさんあり、いずれも
テューターやラボっ子の人気は高いものばかりです。
                             矢部 顕


◆ニコルさんショック
―訃報をうけて思いだすこと―

 ニコルさんショックからすこしずつ立ち上がりつつあります。ラボも休みになってしまいましたし、国際交流中止だけでなく、地区研もネット会議予定・・・・・・・・。

 ラボ関係者で、C.W.ニコルさんの恩恵を受けていない人はいないでしょうね。
 なぜかって? まず私がラボっ子時代から人気だったラボ物語ライブラリー『すてきなワフ家』、そして冒険とユーモアのつまった『TANUKI』なども絵本とともに大好きな作品など長いこと親しまれていた作家であり、人物だったからです。
  「ソングバード2」の『オーロラ』や『あ・はうりく』、『フォークソング名曲集』、私がニコルさん作品で一番大好きな『日時計』、数えたらきりがないくらいニコルさんの作品、そして英語にあふれて……。CDを聞いて多くの何度も覚えた英語は、ニコルさんの英語の文章がいっぱいなんですよね。
 ラボ発足40周年の『はだかのダルシン』が発刊される頃からニコルさんがラボに講演などでお顔を見せてくださるようになり、長野・黒姫の「アファンの森」と「ラボランド」の近さもあり、最近では、ラボっ子に直接ご教示くださる機会もぐんと増えました。
 
  ラボ発足40周年の時に実現した対談集『ことばと自然』(2006年アートデイズ刊)の本では、ニコルさんと言語社会学者の鈴木孝夫先生と対談をなさっています。私がどう生きていくべきなのか指針となる教えがたくさんあり、経済至上主義でなくということ。ニコルさんの一徹さと、鈴木孝夫先生の視点の高さともに森・野鳥・きのこ動物といった自然を愛するお二人ならではのことばが心に響いてきます。虫や鳥の話では、とんでもなく盛り上がったのでしょう。
  また鈴木先生が「『TANUKI』の滑稽さをとても気に入られて、ニコルさんも喜んでいらっしゃった様子ですね。『TANUKI』も『すてきなワフ家』使える英語をたくさん、音の面白い表現をと心をくだいてくださって、おかげで豊かにラボは進んでくることができました。日本語についての鈴木先生ならではのこだわりと、日本人であろうとするニコルさんに鈴木先生の優しさと思える内容になっています。
 イギリス、アメリカ、カナダなどに住んでいらっしゃった鈴木先生とニコルさんは、魂レベルで共感されたことでしょう。あとがきを読むと、前ラボ会長さんのご尽力おおきいですね。ありがとうございます
 「アファンの森」の池から、弥生時代の土器が出たっていうのにはほんとに驚きました。縄文時代の遺跡は多いのに。さすが長野!!
 
 とにかく話題と博識なお二人の対談で学ぶことが多いですね。『誇り高き日本人でいたい』(2004年初版 アートデイズ刊)では、ニコルさんご自身がラボとの出会い、故・谷川雁さんとの濃くて深い付き合いも語られています。 また本の中で、「アファンの森」に託す思いを「私の死後も森は生き続けてくれる」と述べています。
 まだ、ニコルさんがなくなったのはまだ受入れられませんが、ニコルさんの小説、作品、歌声、そしてラボ物語ライブラリーの数々も生き続けてくれます。
『ワフ家』のやんちゃなヘンリーやおしゃまなアンは(王室のお名前だったり英雄のお名前だったりで呼び捨てにするのもなんですが)生き生きと命をもってラボっ子と活動しているし、『TANUKI』だって、今も柿の木の下でうろうろしているように思われます。ニコルさんの世界は、今も生き生きとしていますから。
 個人的なお付き合いはありませんが、作品や心では何度もお付き合いさせていただいたことに感謝。
 僭越ながら、ご冥福をお祈り申し上げます。
                                                   テューター ○○ ○○

◆『たぬき』に憧れていた子ども時代

 ニコルさんの訃報、悲しい気持ちで受け止めています。対談集『ことばと自然』を昨日、手にとっていました。鈴木先生との対談、出版時、一気に読んだものでした。
 しばしの中断があったにせよ、40周年の時に、再びラボへ。あの年の、東京でのニコルさんの講演会にも出かけました。戻ってきてくださったことがとても嬉しかったです。
 ラボっ子たちは、今もニコルさんの物語ライブラリーを楽しんでいます。
 当時小学生だった私は、『TANUKI』のようになりたかったのです。女王様ともお茶を楽しめるコミュニケーション力の高さ。私は、長女気質というのでしょうか、しっかりしなくてはいけない、そんな思いに捉われていたような気がします。元教師、明治生まれの祖母がいて、ミスはいけない事と思っていました。(私だけの思い込みだったのですが~) 『TANUKI』の心は自由です。失敗するけれど気にしない、正義感もある、ユーモアのセンスもある、誰とでも話せる、憧れでした。
  物語から力をもらっていたのですね。他にも、『すてきなワフ家』『きてれつ六勇士』『ゴロひげ平左衛門ノミの仇討』『ドリトル先生海をゆく』などなど、私もラボっ子たちも楽しんできました。
  ラボ物語ライブラリーの中に、ニコルさんはこれからも生き続けますね。
  ご冥福をお祈りします。
                                  テューター○○ ○○

〔261〕「CWニコルさん追悼」、松本輝夫さんと矢部顕さんのことばを届けます。

2020年04月10日 | 追悼文
  CWニコルさんが亡くなられました。
  私は彼の本を2冊もっています。『風を見た少年』(クロスロード)という小説と鈴木孝夫さんとの対談『ことばと自然』(アートデイズ)です。
  『風を見た少年』を買ったのは児童劇「風を見た少年」(劇団あとむ)を見たときです。関矢幸雄さんが提唱した素劇という手法で劇化したものでした。
  ラボ教育センターにとってニコルさんはとてつもなく大きな存在だったようです。そのあたりを松本輝夫さんと矢部顕さんに「証言」してもらいます。

●福田三津夫様
4月2日の毎日新聞にニコルさんが寄稿しています。
「雑食動物としての人間」という題で、その中の
2行を抜粋しました。

「自然は、私たち人間が地球を傷つけ、共に生きる
他の生命を虐げていることに多くの警告を発している。
新型コロナウイルスは、今後、我々を襲うであろう災厄
の先駆けにすぎない」

4月3日に亡くなりました。
4月2日の新聞記事は遺言になったのですね。
添付します。
                  矢部 顕


  ニコルさんは毎日新聞で月1回コラムを連載していたようです。最後のコラムの冒頭の部分です。

◆Country・Gentleman
「雑食動物」としての人間=C・W・ニコル

 人類は「雑食動物」として進化した。植物の根や果実、種子から貝、魚、鳥、動物まで、幅広く食べてきた。
 最も貴重かつ危険な獲物を捕らえるには皆が状況をしっかり理解し、緊密な連携を図る必要がある。「鯨一頭、七浦潤す」といわれる通り、セミクジラ1頭で7カ村が生き延びられる一方、漁に出たクジラ捕りが全員命を落とすこともあった。灼熱(しゃくねつ)のサハラ砂漠でも、雪と氷に閉ざされた北極でも、人々は狩猟の伝統を受け継いできた。
 宗教には独自のルールや禁忌があり、それぞれの作法に従って動物を食肉に加工してきた。イスラム教徒、ユダヤ教徒、エチオピアのコプト派キリスト教徒は豚肉を口にしないが、ブタの生育環境や健康上の理由に基づくのではないかと個人的には考えている。(以下、略)


  つぎに松本さんや矢部さんの追悼文を紹介します。

◆追悼 CWニコルさん
●(元)タカの会(鈴木孝夫研究会)発第171号より抜粋
谷川雁を敬愛し、彼の近くに住みたいと長野県黒姫に移住し、作家として、また環境保全活動家として活躍してきたニコルさん死去(4月3日)の報道を受けて、今朝一番で、鈴木先生から電話があり、またあれこれお話しました。
 このお二人はラボ・パーティ発足40周年の年(2006年)、黒姫の「アファンの森」やニコルさん宅等で何度も会って対談し、その対談集を『ことばと自然ーー子どもの未来を拓く』という一冊の本として出版した仲でもあります(司会役・編集は松本)。
                                            2020年4月5日 鈴木孝夫研究会主宰:松本輝夫

 「ケルト系日本人」と自称していた(氏は1995年、谷川雁が亡くなった年に日本国籍を取得)ニコルさんと鈴木先生とは、経済成長主義の愚劣と誤り批判、地球生態系保全を最優先する考え方において共通しており、昔から互いに関心と敬意を抱いていたのですが、実際に会ったのは、この時が初めてでした。
お二人とも草創期のラボに関わりあったのですが、諸事情からすれ違うこと多く、かく成った次第で、ラボ40周年という記念すべき年に遅まきながら具体的に出会えたことを大喜び。ニコルさんなどは、氏の自宅で乾杯を重ねた後、歌まで歌い出すほどのはしゃぎようでしたね。
この対談のまとめは、「ラボ・パーティ発足40周年記念出版」として株式会社アートデイズより刊行されていますので、未読の方は是非この際入手してみてください。新型コロナ災禍で南極を除く全世界が黙示録的に益々激しく震撼し続けている現下の状況において、お二人からのメッセージは新たな意味合いと輝き、迫力をもって伝わってくることでしょう。
 ニコルさんの逝去に対しまして、改めて鈴木先生と共に心から哀悼の誠を捧げます。
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●(元)タカの会(鈴木孝夫研究会)発第170号より抜粋
新型コロナ災禍は、地球生態系の許しがたい破壊に次ぐ破壊を重ねた上で成り立ってきた現代人類文明(生活)に対する自然(地球)の側からの意表を突くゲリラ的な大反撃・復讐みたいなもので、これを機に人類は目下翻弄され放しの現代科学、医学等の限界も改めて思い知るとともに、この事態についての哲学的猛省を深める必要がある。
 その意味で、鈴木先生におかれては、犠牲者は誠に気の毒だし、哀悼の真情では人後におちないが、密かに「新型コロナウィルス様」と敬称で呼びたい心持ちでもある由。勿論こんなことは人前では決していわないし、他ならぬご自身が感染・重症化して死ぬことがあってもやむなしと受けとめることを大前提として、だとも。
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●毎日新聞4月2日 ニコルさん寄稿「雑食動物としての人間」記事より抜粋
自然は、私たち人間が地球を傷つけ、共に生きる他の生命を虐げていることに多くの警告を
発している。 新型コロナウイルスは、今後、我々を襲うであろう災厄の先駆けにすぎない。
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 ラボ40周年記念出版『ことばと自然――こどもの未来を拓く』(鈴木孝夫×CWニコル対談集)は何回かに分けて、アファンの森やニコルさんの自宅、東京のホテルなどでのお二人の対談をまとめたものですが、わたくしは編集実務者として、そのすべての対談に同席し録音機を回し続けました。そのころ、わたくしはラボ40周年記念事業事務局長でしたので、このような幸運な仕事に立ち会うことになったのです。
 謹んでニコルさんのご冥福をお祈り申し上げます。            2020年4月5日                            
                                             鈴木孝夫研究会/谷川雁研究会 矢部 顕
                               
◆ニコルさんと谷川雁と鈴木孝夫
友人各位
以下は谷川雁研究会のメンバーへのお知らせです。
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雁研(谷川雁研究会)発第248号
一昨日ニコルさんが直腸がんのため長野市の病院で死去とのこと(享年79歳)。これをうけて今朝鈴木孝夫先生からも電話がありましたが、ニコルさんと雁との関係はそれなりに知られていようが、鈴木孝夫との縁も実は深いのです。氏のご冥福を祈りつつ、氏と谷川雁、鈴木孝夫との共同関係をこの際、筆者の知る限りまとめておくことにしましょう。
                                         2020年4月5日 雁研(谷川雁研究会)代表:松本輝夫

英国南ウェールズ生まれのニコルさんが初めて来日したのは1962年。その頃から北極探検・調査の活動の傍ら生活費稼ぎのため「大嫌いな」英会話学校講師などやっていたなかで、テック(=後のラボ教育センター)を知り、谷川雁と出会って、ラボと深く関わるようになる。それが1968~70年のこと。

1)その頃からラボはそれまでの英会話、英語教育では全くダメだということで、谷川雁主導の下、物語中心の活動に切り替え始めたのだが、それがニコルさんにとっても大きな救いになる。「物語なら自分も書ける」と豪語したら雁が「じゃあ、書いてみよ」と言って一か月の時間をくれて、一生懸命書いたら「雁さんが高く評価してくれ」、結果的に人生で初めて出版した本が『たぬき』となった。「これにより作家として生きることに自信がもてたので、以来雁さんへの感謝を忘れたことはない」というふうに。『たぬき』はラボ物語作品としても不滅の名作であり、今もラボの子ども達から愛され続けています。 

2)その後『日時計』や『ゴロヒゲ平左衛門』等のラボ・オリジナル作品を書くと共にいくつかのラボ物語作品の英語も担当したが、雁との共同作業で一番苦しみ、その分最も大きな手応えを得たのが『国生み』4話。

3)この『国生み』制作も一因となってテック経営が分裂し、雁が解任される事件が勃発⇒大混乱となり、結果的に雁が1980年9月にラボ正式退社となった時、ニコルさんも一緒に退社。その後雁が「十代の会」「ものがたり文化の会」を立ち上げた時も協力(ただし「ものがたり文化の会」との関係は事情により途中まで)。なおニコルさんが黒姫に1980年移住したのも78年先に移住していた雁への敬愛やみがたく、近所に暮らしたかったからのこと。

4)ラボとは長い間ブランクがあったが、2006年のラボ40周年に向けて、ニコルさんとの協力関係を再構築しようということで、当時会長であった松本が書状を送った時のニコルさんのこだわりは唯の一点。「雁さんはラボにも迷惑かけてやめたのだろうが、しかしその功績は抜群で不滅のはず。そんな雁さんの功績を否定するのであれば関わることはできない」⇒「谷川雁とはたしかにラボ・テープの著作権をめぐって争いもしたが、裁判過程ですっきりと和解し、雁やニコルさんの作品は全面的に今のラボが使用しているし、テューターやラボっ子から深く愛されてもいる。そうである限り雁の功績を高く評価することはあっても否定するなんてありえない」⇒これにてニコルさんはラボとの関係を復活。その後ラボの為に物語作品を書いてくれたり、40周年記念行事に鈴木孝夫先生らと一緒に参加。

5)鈴木孝夫との関係では、ラボ40周年の2006年に黒姫の「アファンの森」やニコルさんの御宅等で何度も対談を重ねて、それを一冊の本『ことばと自然ーー子どもの未来を拓く』(アートデイズ刊)として出版した仲でもある(司会役・編集は松本)。
ニコルさんと鈴木孝夫は経済成長主義の愚劣と誤り批判、地球生態系保全を最優先する考え方において共通しており、昔から互いに関心と敬意を抱いていたのだが、実際に会ったのは、この時が初めて。二人とも草創期のラボに関わりがあったのだが諸事情からすれ違うこと多く、かく成った次第で、ラボ40周年という記念すべき年に遅まきながら具体的に出会えたことを大喜び。ニコルさんなどは氏の御宅で乾杯を重ねた後、歌まで歌い出すほどのはしゃぎようでしたね。その後も氏は「黒姫の拙宅にお出でいただいたひと時は本当に楽しい時間だった。心が通い合う交わりの時をいつか再び持ちたいと願っている」とも記している。

6)ニコルさんが世界中の国々を数多く回り、よく知った上で、日本の自然と文化、人々の優しさが一番好ましいということで英国籍を捨てて日本国籍を取得した点も鈴木孝夫は高く評価し、アングロサクソン系の人間にも稀には優れものがいるものだと感心していたところニコルさん曰く「私はアングロサクソンではなく今ではケルト系日本人です」。さらに言えば、そのうえで、この何十年かで様変わりしつつある日本の自然,森や川の現状、それと相まって進む日本人の心の荒廃については苦言を呈し、危惧もしてきたのだが、その点でも鈴木孝夫と同じだ。安倍のような低劣・無恥・非道な政治屋が異常なまでの長期政権を保ち得ているところにその荒廃ぶりが端的に現れているというふうに。

      ――以上ですが、改めて、ニコルさんの死去を悼み、心から哀悼の誠を捧げます。――松本輝夫

〔260〕村上芳信さん発行、月刊「親子きょういく」は多様な書き手が登場する80頁立てのミニコミ誌でした。

2020年04月09日 | 図書案内
  以前にもブログでご紹介した「親子きょういく」(ひこばえ親子きょういく塾会報、39号2020年4月3日発行)が届きました。けして体調が良いとは言えない村上芳信さんが、なんと月刊で80頁立ての冊子を作っているのです。執筆陣や内容も素晴らしく充実しています。
  村上さんと大沢清さんは横浜や神奈川で演劇教育の大御所として活動してきた元中学校教師です。『中学生とつくる総合的学習』(晩成書房、2冊)は2人の編著です。晩成書房からは中学生向けの多くの脚本集を編集したのも大沢さんの偉大な功績です。
  大沢さんの原稿は、20年前に村上さんと横浜市人事委員会を相手に部活動外部指導員派遣の措置要求を行ったことから書き起こされています。2人の起こした行動が、部活動外部指導員の範囲を広げ、大幅な待遇改善を勝ち取りました。現在に至るまでのその顛末が丁寧に書き込まれています。
  加藤彰彦さんはペンネームが野本三吉さんで、彼の本は私の書棚に所狭しと並んでいます。私の師匠・村田栄一さんの大学の後輩として教育労働運動でも共に闘った方です。紆余曲折があり、横浜の寿町の福祉施設の職員から、沖縄の大学教師へ進みます。現在、生活クラブ生協の『生活と自治』という月刊誌に連載されていて私も愛読しているところです。

  目次は以下の通りです。


●目次

1(今日の写真)わたしの方式記「砂田川は1級河川であった?!」田島橋 2020,2,15撮影
2◇学校の働き方改革を検討する
 (連載)横浜市立中学校部活動指導員の問題点と展望(2) 大沢 清
3◇地域にきょういくコミュニティをつくる
 (連載)子どもまちづくりへの可能性(3)     加藤彰彦
 (連載)ラオスの子ども・豊かさと「貧しさ」から考える(1) 森 透
4◇地域からのレポート
 (連載)「カジノ誘致?!」の報道を受けて(5)    樋口裕子
    秋田からのレポート/括らないで生きる    吉田紀子
    「雨集水枡から原発事故が見える!」    岡 健朗
5わたしの方式記  ・鶴見川支流の鳥山川・砂田川の橋を訪ねる(上) 村上芳信
          ・親子きょういく塾合格お祝い会

*発行  ひこばえ親子きょういく塾事務所
*発行責任者   村上芳信


その通りだ、鎌田さん!

◆緊急事態宣言の朝
  ステルスF35の爆買いを撤回し、
  その資金でコロナの犠牲者の生活を救うこと

鎌田 慧(ルポライター)

 今日、緊急事態宣言の朝を迎える。東京、大阪など7都府県に限定
されたのがせめてもの救いか。「伝家の宝刀」などと意気がる自民党
議員もいたが、戒厳令など強権拡大、私権制限の暗い歴史に無知な能
天気。関東大震災での大量虐殺の横行や既に改憲草案に挿入されている
緊急事態条項を思えば支持しがたい。
 「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして…必ずや成功
させたい」。相変わらずの空疎な大言壮語。現在只今の疫病対策より
も、オリンピック開会式での自分の晴れ姿を夢想しているような、
ジコ中の首相。

 今やるべきことは、かのトランプ大統領に押し込まれた1機120億円
以上もするステルスF35の爆買いを撤回して、その資金でこれから
まちがいなく路頭に迷う、コロナの犠牲者の生活を救うことであろう。
人民を疲弊させて超高価な武器をなんのために買うのか。

 いのちの優先順位が密かに囁かれている。一方では買い占めの列。
生存と生活が極端な条件下まで押し詰められている。
 この状況のなかで、あらたなモラルもではじめている。自分の存在を
被害者としてばかりではなく、加害者としても認識する。
 もしも自分か他人に感染させる存在となってしまうなら、それは
堪(たま)らないことだ、と自分と見えない他人との関係について考える。
 それが相互扶助の考え方に繋がると思う。
   (4月7日東京新聞朝刊21面「本音のコラム」より)

〔259〕新型コロナ災禍の今こそ、鈴木孝夫講演集『世界を人間の目だけで見るのはもう止めよう』を読みませんか。

2020年04月07日 | 図書案内
 矢部顕さんからの有益な連続メールです。読書案内です。私は未読ですが、ご紹介します。
 私もまた矢部さん同様、鈴木孝夫さんとは2006年からの数年、ラボ教育センターの言語教育総合研究所でご一緒させていただきました。会議のあとの呑み会でのお話も実に興味深く、その後、岩波新書の著書を何冊も手に取ったのでした。

●福田三津夫様

先回ご紹介しました松岡弘之さんの本に続いての本の紹介です。
じつは、もっと前の昨年の秋に刊行されたものですが、ご紹介して
いなかったと思いだしたものですから。

今回、ご紹介するのは
言語生態学者 鈴木孝夫講演集『世界を人間の目だけで見るのはもう止めよう』
(鈴木孝夫著、冨山房インターナショナル刊、1800円+税)です。
2019年10月16日発行の先生初の講演集です。
現在93歳なのですが、明晰そのもので驚きます。

表紙と目次を添付します。

鈴木先生は、岩波新書でも何冊ものベストセラーをもっている、その中でも
『ことばと文化』は超ロングセラーで、人文系の学者の人はほとんどの人が読んだ
ことがあると思います。

日本を代表する知的巨匠である言語学者(慶應義塾大学名誉教授)で、わたくしは
昔からのフアンでしたが、まことに幸運なことに定年前の6,7年間はご一緒に仕事を
することが出来たのでした。

その鈴木先生は、今回の新型コロナウイルスの世界的な蔓延について、下記のように
語っています。
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●新型コロナ災禍は、地球生態系の許しがたい破壊に次ぐ破壊を重ねた上で成
り立ってきた現代人類文明(生活)に対する自然(地球)の側からの意表を突く
ゲリラ的な大反撃・復讐みたいなもので、これを機に人類は目下翻弄され放しの
現代科学、医学等の限界も改めて思い知るとともに、この事態についての哲学的
猛省を深める必要がある。
その意味で、先生におかれては、犠牲者は誠に気の毒だし、哀悼の真情では人後
におちないが、密かに「新型コロナウィルス様」と敬称で呼びたい心持ちでもあ
る由。勿論こんなことは人前では決していわないし、他ならぬご自身が感染・重
症化して死ぬことがあってもやむなしと受けとめることを大前提として、だとも。
鈴木孝夫研究会主宰:松本輝夫 ―(元)タカの会(鈴木孝夫研究会)お知らせより―
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                               矢部 顕

●内容紹介
93歳の知的巨匠が、言語学の長年の研究から日本語の特性を説明し、
「今の世界の政治・経済のままでは世界が、人間が滅亡してしまう危機にあり、
それを救うためには優れた特性のことばを持つ日本が世界を導いていくべきだ」と
分かりやすく語ります。鈴木孝夫、初の講演集です。

◆目次巻頭言:日本は今や借り物ではない
講演録
一 世界を人間の目だけで見るのはもう止めよう    
二 言語・文化の多様性とは環境変化から人間を守る緩衝装置だ   
三 グローバル化時代を迎えた日本の大学の中心は文学部だ    
四 今、日本に最も欠けているものは国家的対外言語戦略だ    
五 日本語と日本文化が世界を平和にする   
六 今、日本語を世界に広めることにどんな意味があるのか    
七 人間の言語の起源と仕組みについての私の研究姿勢     
八 ことばは子どもの未来を拓く


 鎌田慧さんのコラムもどうぞ。

 ◆三つの家族
  森友学園の籠池夫妻は刑事被告人。赤木夫妻は死別。
  当事者の首相夫妻は今日も首相夫妻のまま…

                  鎌田慧(ルポライター)

 コロナウイルス感染に終息の見通しはない。放射能でさえ
「アンダーコントロール」と嘯(うそぶ)き、東京五輪誘致の超能力
首相も、ついにトランプ発言に追随して延期の弱音。季節は巡って
また桜が咲いたとはいえ、一族郎党、後援会員最優先、国費で桜を
見る会も中止。

 さらに追い打ちをかけているのは「最後は下部がしっぽを切られる。
なんて世の中だ」との無念を書き遺して自死した、近畿財務局職員の
遺書。
 安倍昭恵首相夫人が名誉校長に就任していた「森友学園」問題。
ベラボーな国有地9割引の払い下げの事実が露見したあと、首相は
「私や妻が関係しているということになれば、間違いなく総理大臣も
国会議員も辞めるということをはっきり申し上げておきたい」と
大見得を切った。

 この依怙贔屓(えこひいき)の後始末が、財務省の文書の
改竄(かいざん)と抹殺。その作業を実際にやらされた近畿財務局の
赤木俊夫さん=当時(54)=の死に至る苦悩と恐怖の手記が、
「週刊文春」に掲載された。
 この問題が解決しないのは「(財務省幹部らが)国会等で真実に反する
虚偽の答弁を貫いていることが最大の原因でありますし、この対応に
心身ともに痛み苦しんでいます」
 繊細な良心は苦しみ命を絶った。森友学園の籠池夫妻は詐欺罪で
長期勾留、刑事被告人。赤木夫妻は死別。当事者の首相夫妻は
今日も首相夫妻のままだ。
      (3月24日東京新聞朝刊23面「本音のコラム」より)

〔258〕自衛隊を派遣することよりも、もっともっとやることがあるのではないか…「杉山家三代」が放映されます。

2020年04月02日 | メール・便り・ミニコミ

 いつも有益な興味深い情報を送ってくださる矢部顕さんからのメールです。

●福田三津夫様

4月8日のNHKBSの番組「英雄たちの選択」で「中国大返し」
の放映のことはお知らせしました。かな(?)
我が家の裏山の亀山城跡で取材撮影がありました。

4月14日 NHKBSの『プレミアムカフェ』で「杉山家三代」が
放映されます。
三代の杉山龍丸さんは、昔私がお世話になった方です。

杉山龍丸さんのことを書いた拙文「緑の父と呼ばれた日本人」を
添付します。
ご笑覧ください。              
                            矢部 顕


というわけで、今回は〔「緑の父」と呼ばれた日本人〕という力の入った文章を転載させていただきます。
まずは、NHKBSの『プレミアムカフェ』「杉山家三代」の案内からです。


◆ 「緑の父」と呼ばれた日本人
                                         矢部顕

 9月の博多の街は「福岡アジア・マンス」という催しが開催されていて、あちこちでイヴェントが行われている。アジアフォーカス福岡映画祭、アジア福岡文化賞授賞式、アジア国際見本市、アジア漫画展、児童絵画交流展、アジアの村と村人写真展、ほかにもいろいろ。市役所前の広場では、アジア各国の屋台に舌鼓をうったり、民族舞踊を鑑賞したり昼夜賑わっている。91年の「よかトピア」(アジア太平洋博覧会)以降続いている行事らしい。「アジアに向かって開かれた国際都市・福岡」のスローガンの流れのもの。悪くはない。九州は、そしてこの福岡は、有史以前から外国とりわけアジアとの門戸であったことは確かな事実なのだから。

 明治時代、脱亜入欧をめざして日本が邁進の時代、福岡に玄洋社という政治結社があった。「自由民権運動のなかで誕生した玄洋社は、国権主義、大アジア主義へと旋回し、時に武闘主義に踏み込みながらも、一貫して、近代化を急ぐわが国の『あるべき姿』を求め、その行く末を憂いてきた。同時に、中国・孫文、朝鮮・金玉均、インドのラス・ビハリ・ボース、フィリピンの独立運動家などなど、祖国愛に燃える多くの人々を支援してきた」。それは私利私欲とは無縁の、西欧列強の圧制のなかでの「アジアはひとつ」という燃えるような思いからだったという。
 ガンジーとともにインド独立運動の指導者だったラス・ビハリ・ボースの政治亡命を玄洋社は新宿中村屋に頼み、そこで彼はインド式のカレーライスの作り方を教え、それから日本にカレーライスが広まったというエピソードがある。
 玄洋社に結集した人には頭山満、広田弘毅、中野正剛、杉山茂丸……。数々の人材を輩出し、1946年にG.H.Q.(連合国軍総司令部)によって解散を命じられるまで福岡を根拠地とした結社だった。

 杉山龍丸さんにお会いしたのは福岡国際文化福祉協会設立(1968年4月)のころだった。龍丸さんが招聘されたインド・ガンジー大学副総長カカ・カレルカル博士一行を奈良、伊勢へ案内する乗用車の運転手を奈良の紫陽花邑から仰せつかった時が最初だったか。背が高く痩身、白髪、長いあご鬚、まさしくインドの哲学者風のカカ氏とその一行。なにか時代が遡った雰囲気のなか大神神社や伊勢神宮を訪れた記憶がある。
 私たち学生の仲間は龍丸さんからインドの話を夜を徹して聴くことができた。仮眠しただけで、次の日も精力的にきめ細かにインドの方々の案内を杉山流英語でなさっていたそのバイタリティに驚いた。
 らい快復者社会復帰セミナーセンター・交流(むすび)の家建設運動のカンパ集めの街頭募金と、らい差別撤廃のアピールのために九州地方一周キャラバン隊のトラックで博多を訪れた時、宿舎の手配から夕食のご馳走までお世話になった。あの時私たちが泊めていただいたのは東公園のなかのお寺だったような、近くに巨大な日蓮上人の銅像があった記憶がある。ご馳走になったのは中洲だったか今となれば定かでない。

 「インドに日本は支援として工場をプラント輸出し建設、稼動しているが、民衆はそれで幸せになるのではない。そこで働ける人はごくごくわずか。インドはあまりにも膨大な人口をかかえた国。生活に必要なものを自分たちで作る技術を伝えたい。日本の手工業の技術や職人の技を全土にひろがるガンジー塾で教えたい。ガンジーが糸紡ぎを奨励したように」。少年の目の輝きで夢を語ってくれた。手工業、井戸掘り、緑化事業、……やることは山ほどある、と。その頃お歳は50歳ぐらいだっただろう。
 旧制福岡中学卒業後、陸軍士官学校を出て航空技術将校となる。ボルネオの基地で機銃掃射にあい負傷。病院で敗戦をむかえる。戦後、士官学校で同級だった人である僧侶からインド人の世話を頼まれたことが契機でインドにのめりこむようになった。ガンジー塾体験から、日本におけるガンジーの弟子となることを決心された。

 やがてインドでの緑化事業支援が本格化。民衆の暴動を恐れ農耕具まで所有を禁じた歴史のなかで、荒廃した大地を取り戻すには植林が最優先と思われたのだろう。
 木のない山々、砂塵舞う大地、水のない村、貧困にあえぐ民草、ひとたび雨が降れば洪水が襲う歴史の繰り返し。ガンジー塾の指導者たちと6ヶ月間(1962~3年)もインド中を歩きまわったときに龍丸さんの脳裏に焼きついたものは何だったのだろう。
 ハリアナ州シュワルク・レンジは虎と毒蛇の棲家で荒廃した山岳地帯。地元の人も怖くて近寄らない場所ということだが、ここを森にすることで裾野の村は救われる、と木を植えることを始めたひとりの日本人。
 砂漠と荒野を緑化する方法の研究と実践に資金をつぎ込んでいった国際文化福祉協会は莫大な借入金をかかえ運営されていたが、その返済には祖父の代からの杉山家の土地が切り売りされていった。
 祖父は玄洋社の杉山茂丸。中国革命の指導者・孫文と協力して、朝鮮半島から中国東北地区蒙古の乾燥砂漠化に対処するという課題に取り組み植林計画を考えていたようだ。父は怪奇小説作家・夢野久作(杉山泰道)。祖父への反発から文学にのめりこみ、日本文学史におさまることのできない独自の境地をもった作家。『夢野久作』(日本推理作家協会賞受賞)という本を鶴見俊輔氏が上梓されている。祖父と父は龍丸さんが旧制福岡中学に在学中に相次いで亡くなられ、17歳で杉山家を継いだ。
 福岡市東区唐原にあった4万5000坪の杉山農園は今その名残すらない。かつて私たちが機関紙などを送る封筒の宛先は、福岡市唐原 杉山龍丸様、これだけで届いた。博多駅からJRで15分ぐらいの都心にきわめて近いそこは、住宅地、病院、ゴルフ練習場に姿を変えている。
 「金をおいもとめる敗戦後の日本社会では、大都市に4万5000坪の土地があるとすれば、これをもとにして土地ころがしで金をふやしていく計画をたてるのが常識である。その常識に反して、4万5000坪の土地をすべて使い切る道を歩き終わった人がひとり同時代にいた」。(鶴見俊輔氏)
 龍丸さんを突き動かしたものはなんだったのか。

 龍丸さんの長男・杉山満丸さんと博多でお会いし親しくお話をさせていただいた。杉山家の菩提寺が私の事務所から地下鉄で3駅の近さで、龍丸さんのご霊前にお参りしたことはあったが、満丸さんとお会いする機会を逸していた。九州産業大学付属高校の理科の教師をなさっている生物学者である。
 「やっと結婚しましてね。今までは親父の資料が2部屋以上占領していましたから、嫁さんに居てもらう場所がなかったんですよ」と冗談めかして語られた。国際文化福祉協会・杉山龍丸の軌跡を知る人は福岡にもほとんどいない。埋もれてしまった偉大な人物の資料を守り、いつか世に知らしめなければならない。やっと福岡市立図書館が資料の管理をすることになった。
 KBC(九州朝日放送)のTVドキュメンタリー番組制作で、満丸さんはインドを訪れ、シュワルク・レンジに行った。25年前に植えられた木々は立派な緑の森になっていて息をのんだ。荒れ果てた山岳地帯で恐れられ人が近づくこともなかったこの場所に、なんとリゾートホテルが建っていて、満丸さんたち番組制作クルーはそこに宿泊して取材したという。そして龍丸さんと共に汗を流して木を植え、灌漑池をつくってきた無名の人々や農業大学の教授たち、農業試験場の人々と、各地で会ってきた。
 龍丸さんを顕彰する碑などというものはどこにもない。ある名もない村の中央広場に塀で囲まれた2本の木があり、「杉山の木」と呼ばれていたという。
 しかし、インドの人々の心のなかに龍丸さんは生きている。
 「インド独立の父はマハトマ・ガンジー。そして、緑の父は杉山龍丸」。
 口々に語られたこの言葉。これ以上の評価はあるだろうか。

 かつて人間社会の文明化は木を森を収奪することの歴史だった。世界四大文明といわれる地域もいまはすべて砂漠だが以前は森だった。森を拓き畑をつくり、住居を木で建て、燃料も木、輸送手段の船も木でつくり、大量の木材を消費するのが巨大文明だった。他でも、例えばギリシャはいま禿山の岩山に変わり果てている。石の建造物のみが残っているが、屋根だって調度だってみな木材だった。万里の長城の膨大なレンガは木材の燃料によって焼き上げられた。そのために消費された森林は想像を絶する量で、そのために中国の大地は砂漠化していったこともひとつの事実。
 そもそも小麦生産中心で牧畜を伴う文明は森の殺害が激しい。インド、エジプト、中国しかりである。さいわい日本は農業国家になったのが遅く、それも稲作農業で、水を必要とするため平地に限定され、牧畜を伴わないため森林が伐採されて牧草地になることがなかったことがいえる。

 「森は、木は、人間が収奪するために存在する、として疑わなかったインドの人の意識を親父が変えたこと。このことのすごさに感動した」。
 若き日に龍丸さんと共に木を植え、いま村の長老になっている人が2人の孫をかかえながら、「杉山さんに会った人はみんな彼を信頼しました。そして、将来もこの子たちが杉山さんの教えを受け継ぎ、緑の村をつくっていくでしょう」と語った言葉に、満丸さんは親父の成し遂げたことの偉大さを言葉にならないほどの感激をもって知った。
「高名な学者でもなければ、政治家でもない外国人の親父を何故インドの人は受け入れたのか?」ずっと持ちつづけていた疑問の答えの一端が見えた。父が植え大きく成長した木を抱きしめ、豊かな土壌になった大地に接吻した。
 福岡市唐原の杉山農園は跡形も無く消えた。明治時代、杉山茂丸が夢みたアジアの青年のための農業研修の場としてどれくらい機能したかは知らない。だが数奇な運命をたどった杉山農園は姿を変えてインドに生きている。
 玄洋社の「アジアへの燃ゆるまなざし」は、茂丸の孫・龍丸さんのなかに生きつづけたといえよう。
 日本では高度経済成長の時代、龍丸さんの仕事や提言はほとんど評価されなかった。
 インド北西部タール砂漠の緑化に挑戦しようとしたやさき刀折れ矢つきた。無念……。
 1987年9月、福岡県小郡市の病院で69歳の生涯を閉じた。

 「おまえには1円の財産も残さない」といわれ育ってきた満丸さんは、大学を卒業して博多に戻ってきた。戻ってきてよかったと思っている。
 ある出版社が青少年のための本・杉山龍丸の生涯『グリーン・ファーザー』を出版しようと準備をすすめている。刊行が待ち遠しい。
 いま当時とは比べものにならないほど地球規模の環境問題や国際協力が叫ばれている。時代は変わり、たくさんの人々が、組織がこれらの問題にかかわっていながら、彼の仕事と人生から学ぼうとする人は未だいない。
 西欧文明に追いつこうとし、科学技術の飛躍的進歩でゆたかな富を手に入れ突き進んできた果ての公害や自然破壊の今の時代。忘れ去られたものにようやく気づき始めた。西欧近代思想の人間優位の哲学、自然征服を善とする思想とは異なり、自然と人間が一体だった時代が長く、自然との共生の智慧をたくさんもっていた日本人の自然観や生命観。人間は自然の中で何ら特別な権利などもってはいない。自然支配ではなく人間と自然が共存する思想を、今の私たちが蘇らせることが必要なことはいうまでもないが、それをもって世界に発信することができないものか。
 私たちの近くに誇るべき偉大な先達がいた。
 国際貢献とやらで自衛隊を派遣することよりも、もっともっとやることがあるのではないか。
                                                    (2001.9.23.)