後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔117〕新刊『教師の声を聴く』(学文社)は間違いなく労作です。

2016年11月27日 | 図書案内
  『教師の声を聴く』という本が送られてきました。私がライフヒストリー・インタビューを受け、この本の刊行に協力したということからでした。インタビューは23名の女性教師と10名の男性教師でした。すべて仮名で登場するのですが、このブログを読んでくれている方なら、私のことはすぐに察しがつくと思います。連れ合いもこの中に含まれています。教師夫婦ということで、どの人か見え見えでしょう。
 本書出版の中心的役割を果たしたのが浅井幸子さんです。彼女と初めて出会ったのは、1998年にアジアで初めて開催された「フレネ教育者国際会議」(埼玉・自由の森学園が主会場)の実行委員会でのことでした。当時彼女は東京大学の大学院生、私は東京・東久留米第九小学校の教師をしていました。国際会議後に、彼女は学生仲間の女性と2人で、私の教室を月1回、土曜日ごとに訪ねてくれました。3人で昼食を共にし、教育談義に花を咲かせたものです。そんなことが1年ぐらいは続いたように思います。 
  その後、彼女は和光大学へ、そして現在は東京大学の准教授という立場です。
 思い出話がつい長くなりました。本の紹介に移りましょう。

■学文社のホームページから
『教師の声を聴く』教職のジェンダー研究からフェミニズム教育学へ
浅井幸子・黒田友紀・杉山二季・玉城久美子・柴田万里子・望月一枝 編著
出版年月日 2016/10/20  A5・384ページ  本体3,200円+税
●この本の内容
 10年以上にわたる、男女教師へのライフヒストリー・インタビュー分析から、 女性化と脱性別化を通してジェンダー化されてきた教職、 その内部に構造的に抱え込んできたジェンダーの問題を明るみに出し、その構造の中で埋もれてしまった女性的な価値を再評価する試み。
 
 教師であり、女性であるということはどういうことなのか。教職生活の日常に潜むジェンダーの現実を深く探究したフェミニズム教育学の名著。すべての教師に一読を奨めたい。 佐藤 学(学習院大学教授・日本教育学会元会長)

●目次
序 文 (佐藤 学)
序 章 教職におけるジェンダーへの問い
1 章 学年配置のジェンダー不均衡―男性は高学年に、女性は低学年に
2 章 トレーニングを超えて―男性教師の低学年教育の経験
3 章 女性教師の声を聴く―低学年教育の経験を捉え直す
4 章 女性校長はなぜ少ないか―女性管理職のキャリア形成
    補 論―女性管理職研究のこれまでとこれから
5 章 教職の女性化と脱性別化の歴史
おわりに―フェミニズム教育学に向けて
 教育学と政治学との出会い――平等規範のなかでのジェンダー概念の重要性 (特別寄稿 岡野八代)

  この本の課題は三つあるとしています。
1,女性教師と男性教師の経験において、教職におけるジェンダー差別の具体的な様相を明らかにする。(学年配置と昇進に注目)
2,女性が担ってきた仕事、すなわち女性化されシャドウ・ワークとなってきた仕事の価値を見出し再評価する。(主に低学年教育)
3,異なる教育を見通す可能性を探る。(低学年教育が従属的な仕事となる構造を解体する、学校文化のジェンダー差別を根源的に問う) 

 10年以上かけて集団的に研究し、まとめ上げた労作です。簡単に読める本ではありません。私もじっくりこれから目を通そうと思っています。
 また、私がかけ出し教師の頃よく手にしていた雑誌『婦人教師』や駒野陽子『女教師だけを責めないで』、永畑道子『お母さんと女教師』、新居信正『また女の先生か』などの書名を見つけ懐かしくなりました。
 最後に、本に添えられたお手紙に書かれた文章を紹介します。

●「…小学校の校内研修に携わる機会も多いのですが、現在は小学校の先生方にとって、これまでになく窮屈で困難な時代なのではないかと感じています。学校が子どもたちと先生方にとって、十分に力を発揮でき、幸福を感じることのできる場となるよう、考えていきたいと思います。」

〔116〕「村山眞理子さんのお別れ会」が旅行中に開かれていたことに愕然としました。

2016年11月18日 | 追悼文
  旅行から帰って、時差ぼけの頭で郵便物を整理していたら一枚のはがきを見つけて愕然としました。表裏に次のように書かれていたからです。

  ■村山眞理子 お別れ会のご案内
 謹啓 皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
 故村山眞理子(ケーキドマリコ店主)は去る9月25日に闘病の末永眠いたしました(享年67歳)。故人の活動の足跡を、生前お世話になりました皆様と共に、振り返るお別れ会をご案内いたします。ご多忙とは存じますが皆様のお越しを心よりお待ちしております。 尚、ケーキドマリコはこれをもって閉店いたします。これまでのご愛顧、誠にありがとうございました。
                           敬白
                              2016年10月吉日

  ■村山眞理子 お別れ会
・日時:2016年10月23日(日)13:00~20:00
   14:00~/19:00~主催者挨拶を予定しております。
   ※時間内の入退場は自由とさせていただきます。
・会場:西部地域センター3F多目的ホール(東久留米市滝山)
・故人が多く遺した記録(映像・写真・日記・レシピ)や、手作り作品等を展示します。レシピから再現した菓子もご用意致します。
 平服でお気軽にお越し下さいませ。

  1991年、私は教師生活最大の危機を迎えていました。悪戦苦闘して卒業生を送り出したばかりでした。(拙著『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』晩成書房、に詳述しました)翌年、東京・東久留米第九小学校に転任しました。その時受け持ったのが3年生でした。前年の子どもたちから学んだことを生かしながら、充実した日々を送ることができたのです。その時の学級通信が「宅急便」です。
  次の年4年生に持ち上がりました。この時保護者会の学級委員に立候補して下さったのが、村山眞理子さんでした。保護者会では姉御肌の彼女が、会を取り仕切ってくれました。私は時々話をまとめる程度でした。その村山眞理子さんが若くして亡くなられたのでした。彼女は私より1歳年上でした。
  彼女とのこんな思い出を私は本に書き残しました。『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』の一節を引用してみましょう。

 「お母さんが動く、お父さんが動く」
 教育は教師だけでできるものではないことを私はあの銀杏組に教わったことは前にも書いた。そのことを証明する<事件>が起こった。
 四年生になっても子どもたちは絶好調だった。新入生の歓迎会をほとんど教師の手を借りないでできるようになっていた。外部から授業を見たいという参観者も多く、そういった小さな出来事も自分たちの成長の糧にしていった。葛岡雄治さんとの共同授業 「夕鶴」の十数時間におよぶ取り組みは、この本の後半で明らかにしたい。
 さて、お母さん方の協力はますます強力なものになっていった。
 学級委員のお母さん方が二学期の終わりに学級活動として、焼き芋、豚汁作り、ゲームで遊ぶということを計画してくれた。これはかなり大がかりな企画で、豚汁のためにかまどをつくらなければならない。大人の男手も数人必要ということだった。
 お母さん方がこの計画を話しに来校されたので、教頭に許可を得ようとしたら、案の定事前の連絡もないのでダメだという。校庭で火を炊くということは前例もないし、裏庭のU字抗も勝手に動かしてはいけないという。管理的な教頭で、日頃から何度もぶつかってきたのでまあ予想されたことではあった。でも許可されない理由がどうしても理解できない。今後のこともあるので引き下がるわけにはいかない。他の教師も大勢いる中、放課後の職員室で激しくやりあった。
「子どもや教師、親が子どものために計画したことを積極的に支えるのが管理職の仕事でしょう。やってはいけない理由がまったく理解できません。」
どうも埒が明かない。そこに割って入ったのが学級委員のお母さん方だった。私と同年齢の骨太のお母さん方があっさりオーケーさせてしまったのだ。火は危なくないように、U字抗はちゃんと元に戻すという条件で。教頭は何も言えなかった。お母さん方が数枚上手だった。
 そのイベントは大成功だった。次の通信を見てもらおう。

 ■学級活動-楽しかったね おいしかったね 
 まずは、飯野さんとともに今回の学級活動の総元締、村山さんのお手紙を紹介しまし
ょう。
「学級活動は、楽しいおいしいで無事終わり、本当に良かったと思っています。二学期
の係の方々にお元気の方もよろしくと、お願いしてあったかいもあって、暖かく、参加
者も九十名に近く、もうこの二つだけとっても大成功と言えると思います。たくさんの
方々の手助けによって、本当にさまざまな作業の助けを借りると、大きな楽しみがえら
れると実感しました。」
 本当にお母さん方の協力態勢は見事でした。マラソン大会が終わって教室に入ってし
ばらくしてから校庭を見ると、もう煙が上がっていました。今回はお父さんの協力もあ
りました。仁平くん、石山さん、大津さん、広谷くんのお父さんという強力メンバーで
した。豚汁のためのかまど造りでは大いに力を発揮してくださったようです。もちろん
女性パワーもすごい。大きな鍋に豚汁をいっぱい作ってくれました。またこれがおいし
いのなんのって。一杯どころか三杯も四杯もおかわりした子がいたくらいですから。私
なんぞは大きなお碗にいっぱいいただきました。これだけでお腹がいっぱいでした。こ
れに焼き芋とおにぎりをいただいて、あとは遊ぶだけとなりました。(略)
                   (「宅急便」№189、93・12・6)

 食事をした後のドッジボールがなかなか感動的だった。四年生はもちろん、お母さん、お父さん、お姉ちゃん、弟妹、と異年齢のグループが全員で楽しんでたのだ。いつまでたっても勝負はつかなかった。…立ち上る煙やこの様子を、一度はストップをかけた教頭はどんな気持ちで見ていたのであろうか。


  豪快な村山さんとは担任を離れてからも関係は続きました。団地でケーキドマリコというケーキ屋さんを開いていた彼女から、妻の誕生日には必ずアップルパイを頼むことにしていたのです。
  「宅急便」学級のお母さんとの会はその後、断続的に10回以上は続いたのではないでしょうか。10名ぐらいのお母さん方がケーキドマリコで食事とケーキを食べながら様々な世間話に花を咲かせたものです。
  私がワインを作るようになったのは村山さんからレシピをいただいたからでした。
  私が担任した村山悟郎君は東京芸術大学を卒業して、芸術家として大成し、様々な賞を獲得しています。東京都現代美術館や青山のアトリエに彼の作品を見に行ったことがありました。現在はウイーンで創作活動をしているとお姉さんは話してくれました。

  それにしても67歳は若過ぎる。合掌

〔115〕「中世ドイツの彫刻を歩く」一ヶ月の旅から帰還しました。

2016年11月18日 | 旅行記
 このブログは約一ヶ月のご無沙汰でした。どうしたんだろうと気をもんでくれた読者もあるかも知れませんが、実は妻とドイツ(一部はオーストリア)の旅に出ていたのです。最初の10日間は友人のYさんと一緒でした。彼女は高名な詩人の司書的存在です。3人は団塊の世代で、年齢はほぼ同じでした。美術芸術談義にとどまらず、社会や政治を巡る動きに対しても、さらには文学の世界まで話題は尽きることはありませんでした。いつもの夫婦2人旅とはひとあじ違った、楽しい旅になりました。
 今回の旅のテーマは「祈りの彫刻 中世ドイツを歩く」といった風でした。Yさんにはリーメンシュナイダーの代表作を現地で紹介しました。妻はリーメンシュナイダーやそれに連なる人たち(工房、学校、リーメンシュナイダー系)の作品を、私はリーメンシュナイダーと同時代に生きた彫刻家の作品探訪でした。作家の名前を挙げればきりがないのですが、ファイト・シュトース、ミヒェル・エーアハルト、ハンス・ラインベルガー、ハンス・ムルチャー、ハンス・ロイ…といったところです。
そしてこの旅の途中で、妻は著書『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット)に続く3冊目の本を出版する意志を固めました。『祈りの彫刻 中世ドイツを歩く』(仮)といった感じになりそうです。『祈りの彫刻』3部作はこれにて完結します。リーメンシュナイダー作品の補遺、同時代の作家の代表作を写真を通して日本の人に知ってもらおうというわけです。妻と私の共著にしようと彼女は言っていましたが、私はお手伝い程度にとどめるのが妥当なところではないかと思っています。それは、3作目も写真集で、なにせ写真は彼女一人で撮っているのですから。でも、本の末尾にでも、中世ドイツの彫刻を巡るわたしの「感想文」でもひっそりと載せさせてもらえば嬉しいなとは思っています。おそらく彼女はリーメンシュナイダー作品を世界中の誰より見ているし、「伴走者」の私は2番目に見ているのではないかと自負しているからです。演劇教育を考えてきた私から見た中世ドイツの彫刻という視点は、生前の植田重雄さんからも評価されました。
  今秋の旅は、私は大学の授業が始まるため一ヶ月でしたが、妻は二ヶ月になり現在進行中です。それだけの時間と費用をかけての贅沢な旅です。さらに、ドイツ各地に散らばる彼女の友人たちの協力を無視するわけにはいきません。宿泊させていただいたのがフランクフルト、シュツゥットガルト、ロストックの3箇所、「取材」に協力していただいたドイツ人は軽く10人を超えます。その人たちのためにも本を作る必要があるのです。

  さて、簡単に旅の行程を紹介しましょう。〔主な見学場所〕

●10月12日(水)からヴュルツブルク4泊
〔リーメンシュナイダー初期の重要作品のあるミュンナーシュタット、Yさんリクエストのバンベルク、リーメンシュナイダー後期「嘆きの群像」のあるマイトブロン、リンパー、ヴュルツブルク・レジデンツでのワインケラーツアー、デッテルバッハ、マインフランケン博物館など〕
●10月16日(日)からローテンブルク2泊
〔「聖血の祭壇」のある聖ヤコブ教会など市内の作品巡り、リーメンシュナイダーの最高傑作の1つの「マリア祭壇」のあるクレークリンゲン、デトヴァングなど〕
●10月18日(火)ニュルンベルク1泊
〔ロレンツ教会、ゲルマン国立博物館など〕
●10月19日(水)からミュンヘン2泊
〔モースブルク主祭壇巡り、バイエルン国立博物館、アルテピナコテーク〕
●10月21日(金)からシュツゥットガルト2泊(ドイツ人宅)
〔ブラウボイレン主祭壇巡り、ウルム大聖堂、ウルム博物館など〕Yさん帰国
●10月23日(日)からシュベービッシュ・ハル2泊
〔市内の博物館2館、ミヒャエル教会など、友人の見舞い〕
●10月25日(火)からフライブルク2泊
〔コルマールのウンターリンデン博物館、ブライザッハ聖堂主祭壇巡り、ニーデルロートヴァイラア祭壇〕
●10月27日(木)からザルツブルク2泊
〔フランツィスカーナ教会、ドーム美術館、ケーファーマルクト主祭壇巡り〕
●10月29日(土)からアイゼナハ2泊
〔ゴータ、ヴァルトブルク城〕
●10月31日(月)からドレスデン2泊
〔フライベルク、アンナベルクの教会〕
●11月2日(水)からベルリン2泊
〔ボーデ博物館〕
●11月4日(金)からロストック2泊(ドイツ人宅)
〔ヴィスマール、茅葺き屋根の家見学〕
●11月6日(日)ハンブルク1泊
〔友人との食事〕
●11月7日(月)からジュッセルドルフ2泊
〔カルカー主祭壇巡り、原発跡遊園地訪問〕
●11月9日(水)フロイデンベルク1泊
〔市内観光〕
●11月10日(木)からフランクフルト3泊(ドイツ人宅)
〔リービークハウス、ヘルンシュタイン〕三津夫帰国

  一ヶ月行程を駆け足で見てきました。ここでは到底書き尽くせない楽しいことやびっくりする発見があったのですが、それはミニコミ「啓」にまとめることにしましょう。悪しからず。