●福田三津夫様
今年は梅雨入りが遅く、梅雨に入る前に田植えが終わりました。
自分の田の田植えが終わると、小学生の学習田の田植えです。
田植え前の水入れ代掻きのための足ふみ水車(みずぐるま)体験、
そして田植えの写真を添付します。
足ふみ水車体験は大正時代のものを使って行いますので、とっても
珍しい風景ですので、「日本農業新聞」に掲載されました。
わたしは小学生に稲作体験授業を教える農家のお爺さんなのです。
矢部 顕
●福田三津夫様
今年は梅雨入りが遅く、梅雨に入る前に田植えが終わりました。
自分の田の田植えが終わると、小学生の学習田の田植えです。
田植え前の水入れ代掻きのための足ふみ水車(みずぐるま)体験、
そして田植えの写真を添付します。
足ふみ水車体験は大正時代のものを使って行いますので、とっても
珍しい風景ですので、「日本農業新聞」に掲載されました。
わたしは小学生に稲作体験授業を教える農家のお爺さんなのです。
矢部 顕
腰越の塚越敏雄さんから腰越九条ニュース214号が届きました。メールと一緒に紹介します。
■遅くなりましたが、腰越九条ニュース214号ができましたのでお送りします。
憲法審査会では、改憲に向けての動きが激しくなっています。目が離せません。
塚越敏雄
◆ミサイルと石垣島(下)
沖縄に自衛隊が配備されつづけ、ほぼ5倍に 異常だ
ミサイルを沖縄に並べ立てたら、こっちから中国にけんかを
仕掛けることに
沈思実行(197)
鎌田 慧
1972年5月の本土「復帰」のあと、この52年間で沖縄の自衛隊施設は
4.9倍にふやされた。国土面積の0.6%の沖縄に、米軍基地の7割が
集中している、と言われながらも、自衛隊が配備され続けてほぼ5倍、
異常というべきだ。
「本土」に住むわたしたちは、あまりにも、無関心、無頓着だ。
日米合同演習がはじまり、5月中旬、エマニュエル駐日米大使が、与
那国島の空港に軍用機で降りたった。「日米同盟の戦力強化」の実際を
視察した、という。
「ミサイルを並べ立てたら、こっちから中国にけんかを仕掛けること
になる」。石垣島の花谷史郎さんの言葉を、わたしは7年前に紹介して
いた。(「東京新聞本音のコラム」2017年1月10日)。
しかし、非戦を誓った日本国憲法の許で、かつて4人に1人が戦争の
犠牲者となった沖縄で、さらに沖縄本島よりもはるかに小さな孤島群で
日米一体の戦争準備が急速に進められている。この対米従属、無責任な
自公政権に、わたしたちは厳しい批判をしてこなかった。
沖縄本島北部の東村高江のオスプレイ基地建設反対運動や辺野古新基
地建設反対運動にはなんどか参加した。が、米軍基地はそれだけではな
い。エマニュエル大使や米インド太平洋軍のアキリーノの司令官や日米
海兵隊を統括する第3海兵遠征軍のターナー司令官も海兵隊の輸送機で
先島に着陸している。日米共同訓練や部隊派遣はすでに織り込み済みだ。
鹿児島の南、馬毛島が防衛省に買収、航空兵站基地とされ、その先の
奄美大島が海上兵站基地。沖縄本島には陸海空の旅団や航空群で7千人
ほど駐留。久米島に航空隊、宮古島、石垣島、与那国島にミサイル配備。
琉球孤はハリネズミのように武装させられる。「平和の島」の要塞化は
イメージするだけで、息苦しくなる。
石垣島の山里節子さんに電話をかけた。「物理的にミサイルがなん本
たてられようが、平和を愛する島のこころをもちつづけ、喜怒哀楽を
歌ったり踊ったり島と一緒に乗り越えていきます」。彼女は三味線の
名手なのだ。 (6月12日「週刊新社会」第1958号より)
「ゆめ通信」が発行されました。市議会終了後に発行し続けてきて本号は39を数えます。まさに「持続する志」のなせる技です。
編集スタッフに感謝しつつ、さてこれからみんなで手分けして地域配布です。猛暑の中頑張ります。
本号、1面には議員の議会レポートと活動日誌、2面は「困難な問題を抱える女性への支援に必要な施策を講じることを求める請願」の顛末、3面は市議会最終日の図書館問題(市内図書館全6館を2館にするという条例)を巡っての詳細な記録です。4面は拙稿・映画「福田村事件」の感想とゆめ議員の狭山事件現地調査の参加記です。
どこかで実物を手にしてくださることを願っています。
ブログ700回記念は最近届いたミニコミ特集です。いずれも読み応え十分のミニコミです。
まずは、NPO現代女性文化研究所が発行する「現代女性文化研究所ニュース」です。以前にもこのブログで紹介しましたね。
本67号は24頁の冊子です。私にとって特に気になる記事は以下の通りです。
・ミサイル要塞にされた南西諸島 鎌田慧
・中国における上野千鶴子ブーム マルクス主義フェミニズムの地平 楊佳嘉
・西山太吉の妻であるということ 生方孝子
・青鞜のひと・遠藤清子 尾形明子
「原発やめようニュース」は反原発自治体議員・市民連盟が発行するものです(本号は48号)。故・布施哲也さんは清瀬市議を務めましたが、反原発自治体議員・市民連盟の共同代表でした。フクシマ原発ツアーに共に参加したことを思い出します。彼のお連れ合いが布施由女清瀬市議です。
「キラキラ星通信」は無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会が発行しています(113号)。18頁立ての読みでのある冊子です。51回目の公開学習会が清瀬で開かれます。
●いつもお世話になります。腰越・憲法9条の会で、次期戦闘機輸出に関するチラシを作成しました。ご覧下さい。塚越敏雄
◆原告から被告にされた男
鎌田 慧(ルポライター)
東京電力・柏崎刈羽原発の燃料装填、さらには東北電力・女川原発の
再稼働の準備が進められている。
岸田政権の財界追随の「原発回帰」政策だが、あまりにも現実無視、
無責任にすぎる。
来週22日、東京地裁606号法廷で「避難住宅追い出し訴訟」の公判
がある。
被告は福島県いわき市からの避難者で、国と東電を訴えた訴訟で原告
団長を務める鴨下祐也さん(55)である。
いわき市は福島原発から40キロ離れていて避難地域にされなかった。
国立工業高専の教員だったが、学生の時、放射性物質を扱っていた鴨下
さんは、危険を察知して親子4人で東京に自主避難、100世帯以上の人た
ちと「ひなん生活をまもる会」を結成して、補償のない白主避難者とし
て、避難住宅に入居していた。
ところが2022年3月になって、東京都から一方的に立ち退きを要求さ
れ、代表の鴨下さん一人が裁判に訴えられた。
突然、避難を命じられた強制避難者も自主避難者も汚染と被曝の恐怖
を背負って生活してきた。
「自宅を去って、避難住宅から追い出されるというのは心身を破壊さ
れます。まして裁判に訴えられるなど恐怖です」。
原告から被告にされた鴨下さんの苦悩である。
原発から30キロ以上の人びとの不安を切り捨て、補償の埒外(らちが
い)におく政策ひとつを見ても、原発は人間社会には無理なのだ。
(4月16日「東京新聞」朝刊19面「本音のコラム」)
鎌倉の塚越敏雄さんから腰越九条ニュースが届きました。「日本の殺傷兵器 輸出拡大へ」(212号)です。拡大してお読みください。
■いつもお世話になります。
腰越9条ニュース4月号ができましたのでお送りします。
次期戦闘機について書きましたが、それについてのチラシも作成中です。
塚越敏雄
◆沈思実行(188)
靖国再稼働の野望NO
海上自衛隊の元海将(海軍大将)が靖国神社の宮司に就任した
鎌田 慧
2013年に強行採決された「特定秘密保護法」は、知る権利や研究・報
道の自由を規制する悪法として、日弁連などが強く反対した。
その後の「身辺調査」の動きは深く潜行している。どのような保護の
成果になったかは明らかでない。
11年が経って、今度はその経済版である「重要経済安保情報保護法
案」が、衆院本会議で審議入りした。特定秘密の上に、さらに半導体製
造や宇宙開発など、企業の「重要経済情報」の漏洩が処罰の対象になる。
この間、警視庁公安部による大河原化工機の会社幹部が「経済安保」
の犠牲になったことが明らかになった。同社の噴霧乾燥機の輸出は、生
物兵器の製造に転換可能だ、としたのは「捏造」、「冤罪」だった、と
現職警部補が暴露した。これから経済安保の名目での拡大解釈が増え
そうだ。
前々回に書いた「防衛装備品の第三国移転」という名の「戦闘機輸
出」。れっきとした武器輸出だが、三菱重工などの兵器産業の要請に応
じて、岸田内閣が「現在、戦闘が行われていると判断される国へ移転す
る場合を除く」との但し書き付きで、戦闘機の輸出を解禁する。
プーチンのウクライナ侵攻やネタニヤフのガザ侵攻では、戦闘機より
も無人機が「活躍」している。それを見れば、大枚はたいての新型戦闘
機開発がどれだけの意味があるのか。
平和憲法は戦闘行為厳禁。共同開発国の英伊がその戦闘機で人殺しを
しても、「戦闘は行われていない」と責任を回避するのか。
そればかりか、戦時体制に備えたかのように、自衛隊幹部が靖国神社
に集団参拝している。さらに今度は、海上自衛隊の元海将(海軍大将)が
天下りかのように靖国神社の宮司に就任する。
靖国神社は日本軍人の教育支柱、陸海軍所管の国家施設だった。
が、今は戦犯も祀る一宗教法人に過ぎない。戦争反対の兵士までも、
強制的に祀ったとして離脱を求める裁判も起きている。首相の参拝は、
政教分離の原則に違反する。
靖国神社はこれから来る自衛隊員を、元海将が迎え入れる、憲法違反
の装置となるのか。 (4月3日発行「週刊新社会」第1349号より)
数年前にPARC自由学校のことを知るようになりました。年2回の「さようなら原発」集会、2015年の集団的自衛権抗議集会、5.3憲法集会などの大集会に参加する度にPARC自由学校のチラシを受け取るようになりました。
「PARC自由学校2024」の冊子を紹介しましょう。特定非営利活動法人アジア太平洋資料センター(PARC)が主催する自由学校があります。今年は13の講座が用意されています。
その1つを紹介しましょう。
「鎌田慧 ルポルタージュと文学の現場から」、講師は鎌田慧さん、コーディネイターが永田浩三さんです。お二方とも親しくさせていただいています。4回連像講座です。
くまもと「狭山」学習会の冊子も44頁立ての立派なものです。
2002年東京高裁「狭山第2次再審異議審棄却」を受けて、熊本市辛島公園で「狭山事件の公正裁判を求める」坐りこみが始まったそうです。現在まで月1回で300回近く行われているようです。
冊子は狭山事件の概要と石川一雄さんが無罪であることを12の視点から提示しています。
石川一雄さんは明らかに無罪です。
私は70年代の後半に数年間狭山市に住んでいました。ある時、狭山事件の現地調査に参加し、小さな石川さんの家を訪れました。そのわずかばかりの玄関の鴨居から証拠物件とされる万年筆が発見されたというのです。捜査の専門職の刑事たち調査官が2時間ずつ2回も捜査して発見されなかったのに、なぜか3回目にその鴨居にあったというのです。無罪を確信した瞬間でした。
当時、私は狭山事件関連の本を買いまくっていました。
脅迫状が残されているのですが、石川さんの当時の識字能力では到底書き得なかったものですし、筆跡もまったく違います。
袴田事件、狭山事件共に完全無罪も勝ち取りたいものです。
通常年4回、議会ごとに発行されている清瀬市議・ふせ由女の「ゆめ通信」が発行されました。ほぼ9年間で38号ということになりました。議会での一般質問の様子や、ある方のご子息の過労死裁判の手記など読み応えある内容です。
本号の特筆されるべき記事は、地域で地道に繰り広げられている映画界の報告です。横浜と東村山、それぞれの粘り強い取り組みが居心地の良い時間と空間を創り出しています。是非拡大してご覧ください。
ふせ由女を日頃から支援していただいている鎌田慧さんのコラムもじっくり読んでください。
◆カネまみれの世襲政治
自公政権は墜落寸前=内閣は不支持率82%、自民党支持率16%
沈思実行(184) 鎌田 慧
この世を得体の知れないモノが蠢いている。それを感じさせられて気
分が悪い。
日本の政治を支配しているのは「自由民主」と「公明」という名の政
党だが、すでに「自由・民主・公明」などは、退散して、抜け殻に
なってしまった集団だ。
金権、買収、不正、歪曲でいっぱいだ。
宗教団体(旧統一教会)から選挙での推薦状をもらっていた盛山文部
科学大臣。「憲法改悪」まで言及した「確認書」にサインまでしながら、
醜いウソ答弁ばかり。その汚れた手で裁判所へ、宗教団体の「解散命
令」請求書にサインまでしていた。
この腹黒い政治家の名前は「正仁」。
と、悪口をいいたくなるほど、国会議員に当選するためなら、なり振
り構わない二重人格。彼が所属する自民党は、ロッキード事件やリク
ルート事件など、カネが政治を動かす「企業献金」に縛られる政治はも
うやめよう、と決め、その代わりに「政党助成金」制度をつくった。
ところが、いまは両手に政治献金と政党助成金を握っている。政治献
金、カネ集めのパーティー券販売。さらに、年間159億円にも達する政
党交付金(我々の税金だ)。
そして、内閣官房機密費(9660万円)を使い放題。松野博一前官房長
官が退任する直前、4660万円を自分が管理する金庫にちゃっかり納入し
ていた。
二階俊博・元自民党幹事長は、パーティー券の裏金で、2020年から
2022年の3年間に3500万円分も書籍を購入したという。それらは、自分
の記事が掲載された雑誌「月刊日本」3千部のほか、「月刊公論」2千
部、大下英治氏の書籍を1万2千3百部。大仲吉一氏7千部など、自分
について書かれた書籍だが、もしも選挙民に無料配布していたなら、贈
答品で買収に値する。
いまや、内閣不支持率82%、自民党支持率16%。
(毎日新聞、2月19日)。
自公政権は墜落寸前。子孫のためだけの世襲政治と乱脈極まる長期政
権の末路だ。
大企業優遇、非正規労働者いじめ、危険原発の推進。
財界(経団連)支配の悪政を許してきたのは、残念ながら、われわれ
選挙民なのだ。 (2024年3月6日「週刊新社会」より)
◆超少子化の時代
出生率が下がったのは、現在の生活、将来の生活が不安定だから
鎌田 慧 沈思実行(185)
韓国の出生率が0.72。驚くべき水準だ。世界最低水準、という。それも
8年連続で前年を下まわった。報道された数字を知って、ほとんどの
ひとが日本を対置して考えたと思う。子どもをつくらないのは、経済的
に苦しいか、「将来への漠然たる不安」があるからだ。おそらく、若もの
たちが感じる将来への不安は、日韓おなじようなものだと思う。
というのも、わたしたち(60年安保世代)あるいは70年代全共闘世代、
いま80代、70代の周辺は、明日の生活のことを思い煩う必要はなかった。
大企業志向はなかった。就職であせるのは恥ずかしい。どこかで食べて
行ける、と言う楽観があった。
それは高度経済成長時代にあたっていたからだ。たとえば、臨時工
(臨時職員)の本工化(社員化)運動は、高度成長期前からあった。
それは達成された。
が、1986年に労働者派遣法が施行され、派遣事業が認められた。まも
なく工場労働者の派遣が合法化され、非正規時代となった。
暴力団由来の「人夫出し」を合法化したのが「派遣法」だった。その
法律の下で、臨時工が大量に復活、いま「非正規」が40%、という不安定
時代を招来するようになった。
出生率が下がったのは、現在の生活ばかりか、将来の生活が不安定だ
からだ。男女ともに職場が安定せず、賃金が上がることなく、いつ解雇
されるか判らない。そんな身分不安定な状態では結婚できず、結婚した
にしても、子供を産んで育てられる状況にはない。それが現実なのだ。
晩婚化、非婚化は本人の好みや流行ではない。それでいて、大企業は、
未曾有の内部留保を抱えてウケに入っている。
韓国では、今年1年生の入学者がいない小学校が、全国で150校になる、
という。ソウルにある大企業への就職にむけて、子供の頃から競争が
激しい。生き残るためだ。日本でも塾に通い、公立の学校から私立
有名校にむかう競争が激しくなっている。
それらはけっして豊かさのあらわれではない。「出世」でしか、
生き残れない社会は、貧しさの現れである。
(2024年3月13日「週刊新社会」より)
このブログもついに666回になりました。時々「停止」もくらいながらよくここまで続けられました。皆様の密かな応援に感謝いたします。
さて今号は、まず、反原発自治体議員・市民連盟の発行する「原発やめようニュース」を紹介します。
あろうことか今年は8月に島根原発2号機、9月に女川原発2号機、9月以降に東海第2原発が再稼働が予定されています。フクシマ原発事故で家に帰れない、戻らない人がまだ数万人います。デブリはまだ1グラムも取り出せていません。後世の人に負の遺産を残すことはできません。廃炉まで頑張りましょう。
沖縄の市民運動にも連帯しています。千葉さん頑張れ!
●久しぶりに講演会を開催しました
福田三津夫様
この3年間はコロナ禍で実施できなかった講演会を久しぶりに開催することが出来ました。ブランクがあると準備するさまざまな仕事を忘れていますし、歳のせいもありまして、モタモタ しながらやっていました。
先日、2月10日、わたくしたち亀山城跡保存会が主催しました「郷土の歴史講演会」は無事終わりました。
「宇喜多直家・秀家が生きた時代」という演題で、小説『宇喜多の捨て嫁』、『宇喜多の楽土』 を上梓した歴史小説家の木下昌輝氏を講師とした講演会でした。
岡山では昨年11月に、市長を先頭に官民一体で「戦国武将 宇喜多家を顕彰する会―大河ドラマ化をめざしてー」なるものが発足しました。
その影響があったのかどうかわかりません。久しぶりの開催だからか、講師のせいなのか、例年は100名~150名の参加者なのですが、今回は、会場いっぱいいっぱいの約190名ほどの参加者がありました。
来年は、「宇喜多家を支えた家老で謎のキリシタン武将―明石掃部」をテーマにしたいと、個人的には密かに思っています?。(明石掃部については、別紙「八丈島赦免花伝説」でふれています)
チラシと写真を添付します。
亀山城は岡山城の前身の城で、戦国武将宇喜多直家が備前を支配する拠点となった城です。秀吉の五大老のひとりの宇喜多秀家は直家の息子として亀山城で生まれたとされています。
チラシのイラストは、赤ちゃんの秀家を抱いたおふくさんが、夫の直家の出陣を見送っている光景です。
秀家は、関ヶ原の戦いで西軍の主力として戦いましたが、敗れてしまい、徳川によって八丈島に島流しとなりました。島で50年生きて、83歳出なくなりました。戦国武将としてはたいへん長生きしましたが、彼も子孫も流罪が赦されることはありませんでした。赦免状が届いたのは徳川時代が終わった明治になってからでした。詳しくは、4年ほど前に書いた別紙「八丈島赦免花伝説」をお読みください。
矢部 顕
八丈島赦免花伝説
―亀山城跡に移植された蘇鉄に花が咲いた―
亀山城跡保存会事務局長
矢部 顕
●秀家ゆかりの蘇鉄が贈られてきた
関ヶ原の戦いで、西軍の主力として戦い敗れた宇喜多秀家は、徳川によって八丈島へ流刑となった。八丈島で、秀家が手ずから植えたとされる蘇鉄の株分けされたものが、秀家顕彰会「八丈島久福会」から岡山市に贈られてきた。秀家没から360余年の時空を越えて生誕地である亀山城に移植された。
*
我が家の裏の小山に亀山城があった。山陽道を見下ろす交通の要所。戦国武将・宇喜多直家の居城で、備前を支配したのち岡山城に移った。息子の秀家はここ亀山城で生まれたとされる。小山の裾に我が家はあるが、まわりは沼で天然の堀の役目をした。小山は沼に浮かぶ亀の形。(我家の今の住所は、岡山市東区沼)
豊臣秀吉の備中高松城の水攻めのときは、ここで黒田官兵衛らと作戦を練ったともいわれる。水攻めのさなか、本能寺の変が起こり、秀吉は2万の大軍を引き連れて京に引き返す。世に言う「中国大返し」である。
秀家は秀吉に可愛がられて、若くして五大老のひとりにまで登りつめた。秀吉の養女として育てられた豪姫を娶ることになる。直家の跡を継いで、岡山の町の基礎をつくった。
豊臣政権の貴公子と呼ばれた秀家は、秀吉の朝鮮出兵では大将をつとめたりして、最後が関が原の戦いである。潜伏、亡命、流罪と、関が原後も生き抜いた執念の男で、八丈島での生活は50年にもおよぶ。戦国武将で83歳まで長生きした例は他にない。
●蘇鉄に花が咲いた
この秀家ゆかりの蘇鉄に花が咲き、実をつけた。10月14日に植樹式をして亀山城跡に移植して1か月、11月のこと。
蘇鉄の花が咲いて思い起こすのは赦免花伝説である。
八丈島は1606年の宇喜多秀家遠島以来260年間、流人の島の時代が続いた。その間、1898人が流罪でこの島に送られた。初期は、主に政治犯、国事犯などの人が多く、教養ある博識な人が多かったため島民はこの流人たちを歓迎したと言われる。
●赦免花伝説
罪が許されると赦免状が届き、その罪人は本土に帰ることが出来る。当時は、秀家の菩提寺である宗福寺の蘇鉄の花が咲くと赦免状が届く前触れと言われた。花が咲くことは流人にとっては狂おしいほどに期待をもったことであったであろう。
赦免は、たとえば文政年間には69人、天保年間には41人、弘化年間には64人、嘉永年間には34人など計10回におよんだとか。あわせて741人に赦免状が届いた。
しかし、宇喜多秀家とその末裔にたいしては何の沙汰も無かった。長い流罪の生活に終わりをつげたのは、徳川の江戸時代が終わった、明治元年の恩赦によってであった。
●食料を送り続けた前田家
秀家の妻・豪姫は島への同行は許されず、実家の加賀前田家にもどった。
宇喜多家の家老・明石掃部全登は黒田官兵衛の影響からかキリシタンで、城下の民2000人(20人でもなく、200人でもなく!)に洗礼を受けさせたという。我が家のそばを流れる砂川の川底からはマリア像の破片などが出土する。家老・明石掃部全登からすすめられたかどうか知らぬが、豪姫はキリシタンだった。
豪姫は、八丈島の秀家らに食料を送りたいと徳川に願い出たが許されず、自らの信仰を捨てる、すなわちキリスト教を棄教することを条件に許された。
加賀の前田家は、秀家ならびに子孫一族のために食料と医薬品を、明治の恩赦があるまで八丈島へ送り続けた。徳川の怨みもここまでやるかと思うが、一度決めたら260年貫き通す前田家の代々の姿勢にも驚く。これらのことは日本の歴史上たぐい稀なできごとではないだろうか。
移植されたばかりの蘇鉄に花が咲いたということは、令和元年の恩赦があるということなのか。それとも、八丈島で生涯を終えた秀家の御霊が、自らの生誕地に蘇鉄とともに帰って来たと喜んでいるからであろうか。 (2019.12.8)
●こんにちは。
鎌倉の塚越です。
遅くなりましたが、腰越9条ニュース210号ができましたので添付します。
前回も、パレスチナのことを書きましたが伝えきれなかったことがあり、追加しました。
お読みください。
塚越敏雄
田中優子さんの文章も読んでください。
◆「弱さ」と生きる
日本列島の個性を無視して「生産性」と「金もうけ」を
目標にするのは愛国心からほど遠い
田中優子(法政大学名誉教授・前総長)
大みそかに「『酷』の1年」を書いて、明けたらまたもや酷がやって
きた。これは日本列島に特徴的な「酷」であった。
地震のもたらす日本列島の脆弱さと海に囲まれている列島という性質
は、まさに日本の個性である。
個性をどう生かしてその美質を受け取り、また与えるかは、個々の
人間が求められているとと同じだ。
しかし近代以降の日本は、その個性を生かしてきたとは言い難い。
むしろこんな列島にいたくないとばかりに、朝鮮半島や旧満州(中国
東北部)や東南アジアに出て行って戦争を仕掛け、おのれのものにしよ
うとしては、失敗を重ねた。
戦後になると被害をもたらした原子力を「平和利用するのだ」と言い
くるめられて購入し、この豆腐のような列島の、それもどう形が変わる
かわからない海沿いに次々に発電所を設置した。
実際、この正月の能登半島地震では、原発設置計画のあった石川県珠
洲市をはじめ、広い範囲にわたって海岸が隆起した。
原発をつくらなくて良かった、と多くの人が思った。
一地域の原発事故は日本全国に深刻な影響を与える。数々の困難と地
域の対立に耐えて反対運動を展開した方々に、心より感謝したい。
しかし日本海沿いには、いや列島のあちこちに実際につくられた原発
が何基もあり、暗雲は立ち込めている。
そこにまた原発を増設すると言っている政治家たちは、その手で裏金
を集めている。原発関連業者が自民党に多額の献金をしていることが、
原発をやめられない理由だともささやかれている。
とうとう上場廃止となった東芝は、その原因のひとつが原発による
莫大な損失に向き合わず、それを隠し続けたことだった。
日本列島をとるか原発をとるか、もはや二者択一の時期に来ている。
もうひとつ向きあう必要があるのは漁業だ。
海に囲まれているこの列島では昔から海の恵みは米とともに、ほとんど
の日本人の栄養源となり、牧畜をせずとも人は生きてこられた。
大企業による不知火海への水銀の垂れ流しで水俣の漁師が漁業をでき
なくなっただけでなく、多くの方々が亡くなり、障害を負った。
福島の原発事故も、先日の海洋放出も、漁業に影響を与えた。
本来は漁業こそ日本列島に住む人々が守らねばならない基盤的職能だ
が、サラリーマンがエリートとして尊重され、漁師たちは幾度も苦境に
立たされてきた。
今回も同じだ。そのような職業格差は、依然として存在する。
日本列島の個性と美質は顧みられることなく、無理やり「別のありよ
う」を求められ、別の国土になることを要求されているかのようだ。
この国の個性を無視して「生産性」と「金もうけ」を目標にするの
は、愛国心から程遠い。
国土の弱さをしっかり見据え、弱さと共に生きるには何が必要かを
考え抜き、政策に反映するのが日本の政治なのではないか?
新自由主義は、日本列島に最もそぐわない。
「国土強靭化」が計画されていて、それは必要なことだが、完全な
強靭化は不可能かもしれない。
強くなることより、耐震構造のごとく柔軟になること、弱さの上に他
の国にはない独自の文化をつくることこそ、必要なのではないだろうか。
2月10日は石牟礼道子さんの命日である。この人ほど日本の弱さと美
質を見つめ続けた人はいなかった。
(2月4日「東京新聞」朝刊5面「時代を読む」より)