後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔77〕どう考えても、馳文科相「恥ずかしい」発言は恥ずかしいですね。

2016年02月28日 | 学校教育
 前のブログの続編ということになってしまいました。まさかこんな当たり前のブログをもう一度書くとは思いもしませんでした。そうそう非常識なことは続くまいと思ったのですが、馳氏は本当にそう思っていたのですね。国立大学は卒業式や入学式で「君が代を斉唱することは、私は望ましいと思っている」と言ったことをです。次の 朝日新聞記事を読んでびっくりしました。

●馳氏、岐阜大を改めて批判「国立大として恥ずかしい」朝日デジタル2016年2月23日 馳浩文部科学相は23日の閣議後会見で、国立大の卒業式や入学式での国旗掲揚や国歌斉唱について、「君が代を斉唱することは、私は望ましいと思っている」と述べた。岐阜大学の森脇久隆学長が国歌斉唱しない方針を示したことは「一つの自主的な判断」としながらも、「日本人として、特に国立大学としてちょっと恥ずかしい」と改めて批判した。
 馳文科相は、国歌斉唱などが望ましい理由について、「国費も投入されている。日本社会のすべての方々に感謝の気持ちを表現する場合に、儀礼的な側面を重要視する必要がある」と説明。一方、実際にやるかやらないかは「自主的に、また適切にご判断をいただければいい」とした。
 国旗・国歌をめぐっては昨年6月、下村博文前文科相が国立大学長に「適切な判断」を要請。岐阜大学は今月17日、これまで国歌ではなく大学の愛唱歌を歌ってきたとして、今春の卒業式や入学式でも同様にする方針を示した。これに対し馳文科相は21日、「恥ずかしい」と述べていた。

 何度も同じことを繰り返すという馳氏の手法はどこかで聞いた話だなと思いました。荒唐無稽な嘘でもつき続けると、大衆はそれを事実・真実のように信じてしまうことがあるというプロパガンダについてです。「嘘も百回繰り返せば真実になる」「小さな嘘より大きな嘘に大衆は騙される」とは、かのナチスドイツの宣伝相ヨーゼフ=ゲッベルスの言葉だというのはどうやら間違いのようですが、アドルフ・ヒトラーは似たようなことを言っていますよね。「大衆は、小さな嘘より大きな嘘にだまされやすい。なぜなら、彼らは小さな嘘は自分でもつくが、大きな嘘は怖くてつけないからだ。」…パソコンで検索した言葉です。(ヒトラー『わが闘争』にも当たって無くてごめんなさい。)
 戦争法論議に見られるように安倍首相はまさにこの手法を体現しているし、高市総務相は放送法をねじ曲げて国会で何度も「電波停止」を公言しています。「ナチスドイツの手口に学べ」と言う麻生太郎副総理の恐るべき発言を同時に思い出してしまいます。
  では、なぜ馳発言は恥ずかしいのでしょうか。
 馳氏は、大学にはなぜ学習指導要領がないのか、全く理解していないのです。大学が有している自治権、研究の自由についてなぜそうでなければならないのかが、わかっていないのです。戦前、国家権力が大学からそれらを奪って軍国主義国家に突き進んだ苦い経験などには思い至らないのでしょう。
 さらに、なぜ卒業式に国旗国歌がなければならないのでしょうか。東アジアでは国家維持の大切な柱として学校教育の中で儀式的行事を重視してきましたが、そもそも世界的に見れば、入学式や卒業式はそれほど一般的ではないのです。やったとしても、重点のかけ方は日本ほどではないようです。イタリア・スペイン・フランスなどのヨーロッパの学校訪問をしたとき、行事そのものの比重がかなり軽いことに驚きました。かなりの学校で運動会などはなく、校庭もとても狭かったのです。日本国憲法のもとでの学校行事について、今ひとつ考えてみる必要がありそうです。
  さて、最後に朝日新聞の天声人語を読んでもらいましょう。うまくまとめてくていますから。

●天声人語「たらればの話」という言い方がある。現実とは違うことを仮定しながらの話、というほどの意味か。「かいのない議論」と手厳しい辞書もある。俗語である。 馳文科相は23日の記者会見で、たらればの話だがと断って発言した▼「私が学長であったとしたら」。そんな前置きを何回か繰り返しながら語ったのは、国立 大学の卒業式 や入学式での日の丸、君が代の問題だ。「国旗掲揚、国歌斉唱を厳粛のうちに取り扱うと思っている」▼岐阜大の学長が今春の式で国歌斉唱をしない方針を示し たことへの批判である。国立大は税金で支えられているのだから、式典ではすべての納税者に感謝し、国旗、国歌を重視すべきだ、という論理らしい。それをし ないのは「恥ずかしい」と▼たらればの話として語るのは、大学の自治への介入という批判をかわす意図なのだろう。憲法は学問の自由を保障し、教育基本法は 大学の自主性と自律性をうたう。小中高校には学習指導要領があるが、大学にはない。斉唱を指示する根拠がないことは馳氏も承知だ▼だが、大学運営に不可欠 な国の交付金に「感謝」を促し、式次第に「適切な」判断を求めると言えば、圧力と受け取られても仕方がない。鎧(よろい)を隠す衣になっていない▼たかが式典、ではない。国歌斉唱の際の起立命令が思想・良心の自由を間接的ながら制約することは、最高裁も認めている。あの時もっと気をつけていたら……。そん な後悔をしないためにも、今、目を光らせる必要がある。(2016/02/26)


〔76〕 馳文科相「恥ずかしい」発言はとても恥ずかしいですね。

2016年02月22日 | 学校教育
  2月22日の朝日新聞に、<岐阜大が国歌斉唱しない方針 馳文科相「恥ずかしい」>という記事を見つけて唖然としました。まずはじっくり記事を読んでみてください。

●岐阜大が国歌斉唱しない方針 馳文科相「恥ずかしい」朝日デジタル2016年2月21日
 馳浩文部科学相は21日、金沢市で記者団に、岐阜大学の森脇久隆学長が卒業式などで国歌「君が代」を斉唱しない方針を示したことについて、「国立大として運営費交付金が投入されている中であえてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」と述べた。
 卒業式や入学式での国歌斉唱は昨年6月、当時の下村博文・文科相が全国の国立大学長らに要請していた。岐阜大は前身の旧制学校の校歌を式で斉唱しており、森脇学長は今月17日の定例記者会見の質疑で、これまで通りの方針で臨む考えを示していた。
 馳氏は21日、金沢市内での講演で「岐阜大学の学長が国歌を斉唱しないと記者会見した」と指摘。その後、記者団に「(下村氏の要請は)大学の自主的な活動についてああしろ、こうしろと言うものでもない。学長が(斉唱しないことに)言及することはちょっと恥ずかしい」と語った。

 馳浩氏が文科相になったとき、あるBSの番組で、同席した尾木ママこと尾木直樹氏が「はじめて文科相就任を応援したいと思った人です。」と嬉しそうに持ち上げていました。馳氏は元プロレスラーで、昨年の大晦日の格闘技の番組になぜかリング上で挨拶していたのを目撃し、売名行為かとも思ったのですが、元高校の国語教師であったということもあり、尾木発言とも相まって、実は多少の期待もしたのですが、あまりにも見識が無いのにがっかりしました。恥ずかしいのは馳氏の方ではないでしょうか。
 岐阜大では「君が代」は斉唱しないのですが、「日の丸」は掲揚するという方針のようです。数日前の毎日新聞の記事を読んでください。

●岐阜大 式に国歌斉唱せず 学長「伝統の歌大事にしたい」毎日新聞2016年2月17日
 岐阜大(岐阜市)の森脇久隆学長は17日の定例記者会見で、入学式や卒業式に国歌斉唱をしない方針を明らかにした。同大は従来、前身の旧制学校の校歌を式で斉唱しており、森脇学長は「伝統の歌を大事にしたい」と述べた。
 岐阜大は旧制岐阜高等農林学校(岐阜大応用生物科学部の前身)の校歌「我等(われら)多望むの春にして」を愛唱歌としており、森脇学長は「式には愛唱歌の方がふさわしい」との考えを示した。
 昨年6月、下村博文文部科学相(当時)が国立大の学長に対し、式での国歌斉唱と国旗掲揚を要請。森脇学長はその後の記者会見で「学内でよく話し合って対応したい」と話していた。
 同大は式で国旗は掲揚している。【岡正勝】

 なぜ、< 馳文科相「恥ずかしい」発言は恥ずかしい>のか、以下のブログの「請願」を読んでみてください。

●ブログ〔29〕より
      国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する請願
                     2015年5月28日
〔請願の趣旨〕
 安倍晋三首相は4月9日の参院予算委で、国立大の入学式などでの国旗・国歌の扱いについて「税金によって賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきではないか」と述べた。これを受けて、下村博文文部科学相は翌日の記者会見で「国立大の学長が参加する会議で要請することを検討している」と具体策に踏み込んでいる。
大学には学習指導要領が存在しないということの意味合いは、大学の「学問の自由」を考えた上でのことである。大学の自主性や自律性が尊重されるべきことは教育基本法にも規定されていることで、長い大学の歴史を紐解くまでもない。
 清瀬市議会としては文科相の「要請」に反対し、国に意見表明することを要請したい。

〔理由〕
 小中高校の具体的な教育指針である学習指導要領では、国旗掲揚・国歌斉唱が定まっているが、大学には学習指導要領はなく、規定もない。大学は教育・研究内容だけでなく、学内の運営全般にわたって「自治」が大原則であり、自主的な決定に委ねられる。それが根本的理念である「学問の自由」の支えでもある。
首相や文科省大臣の発言に危惧を抱く大学人の集まり、「学問の自由を考える会」の主張「国旗・国歌に関する国立大学への要請に反対する声明」は的を射ており、耳を傾ける必要がある。
「… たしかに教育基本法第二条は、教育目標の一つとして、『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する(中略)態度を養う』ことを掲げる。しかし、伝統と文化とは何かを考究すること自体、大学人の使命の一つであり、既存の伝統の問い直しが新しい伝統を生み、時の権力への抵抗が国家の暴走や国策の誤りを食い止めることも多い。教育基本法第七条が『大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない』とするゆえんである。政府の権力、権威に基づいて国旗国歌を強制することは、知の自律性を否定し、大学の役割を根底から損なうことにつながる。」(4月28日)
 滝川事件、天皇機関説事件、矢内原事件など我が国の近代史を思い起こしてみたい。こうした時代に舞い戻ってはならぬと思う。

       清瀬市議会議長
        渋谷のぶゆき様

                            清瀬・憲法九条を守る会
                               福田三津夫

〔75〕ついに清瀬市議会に原発停止・再稼働反対の請願をします。

2016年02月19日 | 市民運動
 今年(2016年)3月の清瀬市議会には、満を持して「原発を停止し、再稼働に反対する意見表明についての請願」を提出するつもりです。今までこのブログでは、原発現地での川内原発再稼働阻止集会や伊方原発再稼働反対行動について書いてきました。高浜原発再稼働抗議集会については、残念ながら現地ではなく、東京の関西電力支社での抗議行動にも触れました。
 そうしたさまざまな抗議行動を通して、私は原発については廃絶しかないと結論づけました。自分の子どもや孫の世代にこうした負の遺産を残してはいけないと今や確信しています。
 なぜ原発全廃なのか、簡潔に書いたのが次の文章で、これをそのまま清瀬市議会に請願として提出する予定です。まずは、拙文を読んでみてください。(原発再稼働反対の連れ合いの陳情についてはブログ〔14〕参照)

□原発を停止し、再稼働に反対する意見表明についての請願

 〔請願の趣旨〕
 安倍政権は川内・高浜原発の再稼働を強行した。しかし、私たち「清瀬・憲法九条を守る会」の会員は福島原発事故以来、原発の危険性を痛感し、全ての原発を廃炉にして再生可能エネルギーに切り替えるべきだと考えている。福島原発事故が進行中である現在、稼働原発を停止し、さらなる再稼働に反対することを貴市議会として意見表明し、国に対して要請することを求めたい。

〔請願の理由〕
 原発廃絶の最大の理由はフクシマを経験して明らかなように、人類に最悪の危険をもたらすということである。核廃棄物の放射能汚染自然消滅は約10万年と言われ、人類の手での安全保管は不可能である。どこの海岸の地下に安全な最終処分場が確保できるのだろうか。
 電力会社は原子力の発電は安価だと喧伝しているがこれは全くの詭弁で、「安全」に保管したり、最終廃棄まで含めると膨大な費用がかかるのは常識である。事故が起きた場合の処理費用は税金で賄われることを考えると、安く済むはずがない。
 人間の手には負えなく、高価この上ない原発を安倍政権が稼働させる理由は、「平和利用」ではなくて核兵器開発と結びついている。核兵器を持たない日本が膨大なプルトニウムを保持している事実、原発製造3メーカーがいずれも名だたる武器製造会社であることが意味するものはそのことである。戦争が始まったら真っ先に狙われるのは無防備な原発54基と沖縄の基地と言われている。
 最後に、原発稼働は、人間の倫理として、人の道としてやってはいけないことではないかと思う。10万人以上家に帰れない福島の人と、清瀬に住む我々がどう連帯できるのか。また我々の次の世代に何ができて、何をやってはいけないのか、問われているのはこのことだろうと思う。

  以上の考えから、貴市議会として、国に対し「原発を停止し、再稼働に反対する意見表明」を行うよう要請したい。

                         2016年2月
  清瀬市議会議長
  粕谷いさむ 様
                      清瀬・憲法九条を守る会 福田三津夫  

  この請願については、おそらく、総務文教委員会で扱われることになるでしょう。3月15日(火)、清瀬市役所の4階の委員会室、朝の10時開会で10時半頃から陳情・請願が扱われることが多いのです。傍聴に来ていただけたら嬉しいです。おそらく3対3の賛否同数で委員長不採択になる可能性がありますが、どのような議論が交わされるか聞いていただけるといいなと思います。説得力のある論理的な賛成意見に対して、十分な反論もできない、あるいは全く意見も言わずに反対の挙手をする議員の存在を確認していただけたら、現在の地方議会の様相がわかり「勉強」になるかもしれません。
 なお、正式の委員会の日時についてはこのブログでお知らせいたします。ご注目お願いします。

  原発の安全性や経済性を考える意味で、次の新聞記事は大いに参考になります。三菱重工はわが国で最大の原発製造メーカーで武器製造メーカーです。

●三菱重工に賠償9300億円求める 米企業、原発廃炉で
      南日慶子、朝日新聞(2015年7月28日)
 2012年に三菱重工業が納めた蒸気発生器が壊れたことで米国の原子力発電所が廃炉になった問題で、この原発を運営する南カリフォルニア・エジソン社が三菱重工に、約75・7億ドル(約9300億円)の損害賠償を求めていることがわかった。27日に国際商業会議所(パリ)の国際仲裁裁判所に申し立てた。三菱重工は「要求は不当だ」として争う構えだ。
 問題が起きたのは、カリフォルニア州のサンオノフレ原発。エジソン社は13年に同裁判所に仲裁を申し立て、その後請求額を精査していた。「欠陥のある蒸気発生器を設計・製造した三菱重工には甚大な被害の責任がある」としている。

 原発を保持し続けたいのは原子力エネルギーが安価だからではなく、核兵器の原料としてのプルトニウムを確保したいからなのです。次の新聞記事と各国の戦略核弾頭数を比較してみてください。戦争のための原発という指摘は荒唐無稽なことではなくて、国連で中国も取り上げていることなのです。プルトニウムとウランの混合、Mox燃料を使用する高浜原発を再稼働させたのはまさにこのことと関係があるのです。

●日本のプルトニウム保有量
(2014-08-26 朝日新聞 夕刊)
 原子力委の資料によると、日本のプルトニウム保有量は2012年末で計44.241トン。このうち国内が9.295トン(9295キロ)、使用済み燃料の再処理を委託した英仏に保管中の分が34.946トン。非核保有国としては最多で核兵器5千発分を超す。プルトニウムは濃縮作業が必要なウランより核兵器に転用しやすく、核テロや核拡散を懸念する米政府は保有の最小化を求めている。

〔戦略核弾頭数〕(ウィキペディア)
アメリカ合衆国 2,126
ロシア     2,668
イギリス   160
フランス 300
中国     180
インド     60
パキスタン 60
北朝鮮     10以下
イスラエル 80

●中国、国連委で突然日本批判 「プルトニウム大量保有」
          ニューヨーク=金成隆一(朝日新聞2015年10月22日)
 核軍縮を審議する国連総会の第1委員会で20日、核保有国の中国が「日本はプルトニウムを大量保有し、それは1350発の核弾頭の製造に十分な量だ」と日本を批判した。突然の「自説」の展開に日本は反論。議論の応酬になった。
 中国の傅聡・軍縮大使は演説の前半では「核開発競争に関与しない」と自国の姿勢をアピール。ところが後半になって、「(原子力発電所から出る)分離プルトニウムを国内で大量保管している」「一部の政治勢力に核武装論がある」と日本を名指しして批判した。
 日本の佐野利男・軍縮大使は、すべての物質は国際原子力機関(IAEA)の査察を受け、平和利用と結論づけられている点などを強調。「日本の努力は国際社会に認識されている」と冷静に反論した。



〔74〕そろそろ「読み聞かせ」から「読み語り」という名称に移行する時期でしょうね。

2016年02月17日 | 語り・演劇・音楽
 このブログを書こうと思ったのは、次の新聞記事を読んだからです。

●「さようなら保育園 詩に刻む」太田泉生、朝日新聞、2016年2月16日
 民営化で近く取り壊される東京都狛江市の市立和泉保育園で13日、保護者らが開いた手づくりのお別れの会があった。「鉄腕アトム」などの作詞で知られる詩人の谷川俊太郎さん(84)と、絵本作家の大友康夫さん(69)が出席。園児が大友さんと一緒に園舎に絵を描き、谷川さんは園児の絵に詩をつけた。同園は来年4月、川崎市の社会福祉法人運営の私立園として生まれ変わる。
 数々の谷川作品に親しんできた園児の保護者たちが谷川さんの話をぜひ聞きたいと打診し、快諾を得た。大友さんは孫が同園に通っている。子どもたちは大友さんと一緒に園舎に好きな絵を描き、慣れ親しんだ園舎との別れを惜しんだ。
 大友さんとの対談で谷川さんは「詩はメッセージがあるとつまらない。道ばたの花と同じように美しい日本語の塊としてただ存在するのがいい」。詩の読み聞かせについて母親らに問われ、「読み聞かせというと上から下に向けるみたい。声に出して読みたい、子どもと一緒に楽しみたいと思ったら、読んだらいいと思う」と語りかけた。(以下、略)

 谷川俊太郎さんの「読み聞かせというと上から下に向けるみたい。」ということばが腑に落ちました。そうだよな、と改めて共感したのです。
 1972年に小学校の教師生活を開始した私は、当時当たり前のように読み聞かせということばを使っていました。教育現場に流布された教育用語でした。ところが、2001年に出版された平凡社の別冊太陽『読み語り絵本100』を手にしたときの衝撃は忘れられません。なにより、「読み聞かせ」から「読み語り」のことばの持つ新鮮さに心引かれたのです。確かに、「読み聞かせ」ではなくて「読み語り」だよなと思ったものです。子どもに一方的に読み聞かせるのではなく、しっかり自分の肉声で物語を語っていくのが教育実践だと思ったのです。演劇教育のメインテーマはまさに<語ること>なのですから。
 『読み語り絵本100』の表紙は小さな女の子が集中して話を聞いている写真です。これがとても印象的で、素敵なのです。そして特集の50名ほどの語り手の一人が谷川さんでした。
 それにしても、「読み聞かせ」「読み語り」とは誰が言い出したことばなのでしょうか。パソコンで検索していると、ラボ教育センターのサイトにたどりつきました。そこには「ゆみねーさんの日記」が紹介され、「ことばの力って凄い。同じ行為をさしているのに、このことばに込められた想いは違うものになっている…。こどもたちに物語をシェアするときは『読み語り』でありたいと思います。」と書かれていました。そういえば、私もラボ教育センターのワークショップでは「読み聞かせ」と「読み語り」の相違については話をさせていただくことが多いのです。
  そしてサイトには次の文章が引用されてました。

●「読みきかせ」から「読みがたり」ヘの発展を願って
 「読みきかせ」ということばが市民権をもつようになったのは、いつ頃からでしょうか。わたしの所属している日本文学教育連盟が、東京都小金井市で開いた第五回文学教育研究全国集会(1962年8月)で、わたしは「文学教育としての読み聞かせ法」という報告をしました。ですから、その頃のわたしの頭の中には、このことばがあったわけですが、まだまだ一般的にはなじみの薄いことばでした。
 その頃から、たとえ少数にしても、読みきかせで子どもたちに詩や、絵本、童話、物語のおもしろさを味わわせているという保母、教師がいて、しかもそれをおしすすめ、広めていこうとしていました。
 今日、「読みきかせ」は、町会で催す講座の候補にあげられるほどになりましたが、わたしは、ここ数年来、このことばに若干の疑問をもつようになりました。疑問というより子どもたちに本を読む行為としては、いささか不適切なことばではないかと思うようになりました。
 というのは、「読みきかせ」──つまり本を読んであげる、読んで聞かせるという行為には、やや押しつけがましさがありはしないか、読んでやるからちゃんと聞きなさいという意識がありはしないか、たとえ無意識にしても、そのような感じはないかと思うのです。
 子どもに童話や物語を読むということは、単なる音声化ではないのではないか、それは語りかけではないのかと思うのです。
 かつてわが国には、「昔話を語る」ということばがありました。昔話を語りながら、その話のおもしろさはいうまでもなく、その話をとおして自分を語ることをしてきたのでした。「読みきかせ」という行為は、これと同じではないか、と思うようになりました。そこで最近は「読みがたり」ということばを使っています。
 読み手はその作品の単なる伝達者ではない、その作品を十分享受し、自分のものにしたうえで、それを子どもの体と心に語り込む。それが「読みがたり」だと思っています。
 「読みきかせ」から「読みがたり」ヘ、子どもへの読みが深まりながら広まっていくことを願っています。
 したがって当然のことながら、「読みがたり」は、読み手の創造活動にほかならないと考えます。読みがたりを続けている人なら誰しもが気づくことですが、子どもはいつでも作品世界を豊かに享受するとは限りません。聴く耳を持たないことが時としてあります。
 もちろん、作品が子どものそのような状態を解消してくれることもありますが、読み手は、子どもがいまどのような状態でいるか、どのような状況の中にいるかを理解しなければなりません。
「子どもを知る」という想像、創造活動が必要です。
 また選んだ作品が子どもに受け入れられるか、心開いて聞いてくれるような作品かどうかという、作品選びの問題があります。ここにも読み手の創造活動があります。
 さらに選んだ作品を、そのおもしろさをどう伝えるか。どのように表現すればそれができるのかという表現方法、つまり「読みがたり方」の問題もあります。これも読み手の創造活動です。
 「読みがたり」という行為は、子どもを知り、作品を選び、そのおもしろさをいい方法で伝えていくという、読み手のたくさんの思いを包み込んだ創造活動にほかならないと思うのです。
 まさに、子どもへの「深い愛」でありましょう。
                                  1997年12月  小松崎 進

  小松崎さんのお連れ合いは小松崎多津子さんで、日本演劇教育連盟の夏の集会でお目にかかったことがあり、彼女の脚本「七夕ものがたり」を上演させていただいたことがありました。
  さらにサイトには次の文章も紹介されていました。

●小松崎進氏の本の編集者
 子どもに本を読んであげることを、一般的にはまだ、「読みきかせ」と言っています。しかしチョット待てよと、「読みがたり」と呼んでいるのが、この本だいすきの会です。
教育学者の中にも、「読みきかせ」に違和感を抱いている方がいると聞いています。
 この本だいすきの会は永年、この「読みがたり」という言葉を使っていますが、徐々に市民権を得ているように思います。平凡社の別冊太陽『読み語り絵本100』(2001年)が出たときには、書店で見つけて、内心「オッー」と思いました。この本だいすきの会が直接関わらないところで「読み語り」が、一人歩きしていました。
 もともと「読みきかせ」という言葉を使いはじめたのは、私ども高文研ではないかと思います。
 1987年に『THE READ-ALOUD HANDBOOK』というアメリカのベストセラーを翻訳出版したとき、日本語のタイトルを『読み聞かせ』としました。
 この本は現在でも読み継がれており、この本の「黙読の時間」がヒントになって、「朝の読書」運動に発展し、全国で広がっています。
 『読み聞かせ』は言ってみれば、アメリカ版。
 そこで日本で、日本の実情に合った実践者、書き手を探していたとき出会ったのが、この本だいすきの会・代表の小松崎進先生でした。
「読みきかせ」から「読みがたり」への発展については、小松崎先生が私どもで出版している『この本だいすき!』、『この絵本読んだら』で、くわしく触れていますので、合わせてお読みいただけたら、幸いです。
                                             山本邦彦

  やはり、ラボ教育センター主催の福田誠治(現都留文科大学学長)さんの講演会に参加したとき、その打合会で彼から聞いた話です。福田さんの師でもある大田堯さんから、なぜ「読み語り」ではなく「読み聞かせ」ということばを使っているのかと言われたというのです。そんなことが妙に記憶に残っているのです。

〔73〕ヴィゴツキーが演劇教育に示唆するものは何でしょうか。

2016年02月09日 | 図書案内
 ヴィゴツキーという名前を意識するようになったのはここ数年のことです。
 私は今、ラボ・教育センターのラボ言語教育総合研究所の所員として活動しています。この定例会に演出家の竹内敏晴さんが招かれ、その講演を聴きに行ったのが発端でした。2007年のことです。
 年に数回のこの定例会でヴィゴツキーの名前が田島信元さん(発達心理学、白百合女子大学教授)から頻繁に語られたました。さらに田島さんのこんな文章も発見しました。
〔言語機能の発達理論を世界ではじめて提唱し、現在においても他の追随を許さないロシアの発達心理学者レフ・ヴィゴツキーによれば、言語機能の獲得は、まず、言語の第一次機能といわれる社会的対話機能の獲得、すなわち社会的コミュニケーションの道具として、ことばには意味があるという認識が成立する「象徴機能の獲得」と、その意味をことばに載せて相互に伝達し合うという相互行為の成立に基づく、「伝達機能の獲得」が生起します。〕(「ラボ・パーティ研究」21号)

 そこで早速ヴィゴツキーについてネットで調べてみたら、興味深いことが書かれていました。(ウィキペディア)

●レフ・セミョノヴィチ・ヴィゴツキー、1896年11月17日(ユリウス暦11月5日)- 1934年6月11日)はベラルーシ出身、旧ソビエト連邦の心理学者。
 唯物弁証法を土台として全く新しい心理学体系を構築し、当時支配的であった既存の心理学(フロイトの精神分析学・ゲシュタルト心理学・行動主義心理学・人格主義心理学など)を鋭く批判した。
「1918年、ホメリに帰って文学と心理学担当の教師となり、同時に演劇学校で美学と美術史を講義。そのかたわら勉学を続ける。多くの中学校・師範学校・演劇学校に出かけ、学生たちの人気を集めた。この頃に、ゴメルスキー国民教育部の演劇課の主任を務め、また、師範学校に心理学実験室を設けた。」

 ここで注目してみたのは、ヴィゴツキーは演劇とのかかわりがかなり濃厚だということです。年譜を見てびっくりしました。1925年、『芸術心理学』をはじめて出版します。そして1936年、論文「俳優の創造性についての心理学的問題」がペ・エム・ヤコブソン著『俳優の舞台感覚の心理学』の付録として掲載されました。こんなことなら、ひょっとして演劇教育に何かしら示唆を与える提言はしているかもしれないと思ったのです。
 ある日の定例会の後、田島さんにヴィゴツキーを知るための本を教えてもらいました。まずは『ヴィゴツキー入門』柴田 義松 (寺子屋新書 2006.3)を読むのがいい、ということでした。
 もくじは次の通りです。あわせて本の〔扉〕〔著者プロフィール〕も見てもらいましょう。

●『ヴィゴツキー入門』柴田 義松 (寺子屋新書) もくじ
はじめに
第一章 心理学におけるモーツァルト
 1.ヴィゴツキーの生涯 2.<発達の最近接領域>の理論 3.ヴィゴツキー・ルネッサンスの時代
第二章 新しい心理学方法論の探求
 1.「心理学の危機」克服のために 2.精神の精神的-歴史的発達理論 3.人間の心理の被媒介的性格
第三章 話しことば・書きことば・内言の発達
 1.子どものことばの発達 2.話しことばと書きことばの関係 3.ピアジェとの論争
第四章 生活的概念と科学的概念の発達
 1.生活的概念の非体系化 2.科学的概念の形成 3.ことばの自覚性と随意性の発達 4.ことばの意味と概念体系の発達 5.ヴィゴツキー理論の学び方
第五章 思春期の心理
 1.ヴィゴツキーの発達段階論 2.思春期における興味の発達 3.思考の発達と概念の形成
第六章 芸術教育論
 1.美的反応の法則性 2.芸術教育の目的は何か
第七章 障害児の発達と教育
 1.一時的障害と二次的障害 2.知的障害児と集団のあり方
第八章 教育における環境と教師の役割
 1.環境を変えることで子どもを教育する 2.「学校死滅論」への批判
あとがき
〔扉〕
「心理学におけるモーツァルト」と称され、「繊細な心理学者、博識な芸術学者、有能な教育学者、たいへんな文学通、華麗な文筆家、鋭い観察力をもった障害学者、工夫に富む実験家、考え深い理論家、そして何よりも思想家」と評される、ロシアの天才的心理学者ヴィゴツキー。近年、アメリカをはじめ西欧などで再評価が高まり、脚光を浴びるなか、日本でも再び、心理学・教育学の両面でヴィゴツキーの学説への注目が集まってきた。本書は、そのヴィゴツキー理論の全体像をわかりやすくまとめたはじめての入門書である。
〔著者プロフィール〕
柴田義松1930年、愛知県生まれ。名古屋大学教育学部卒。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。1961年、女子栄養大学、1975年、東京大学教育学部、1990年成蹊大学文学部教授を経て、東京大学名誉教授。日本教育方法学会代表理事。総合人間学研究会代表幹事。

 この中で気になったのはやはり次の箇所です。

〔第六章 芸術教育論〕
 1.美的反応の法則性 
「…『芸術心理学』は、芸術作品の構造の特殊性を分析することによって、芸術作品が私たちの心理に呼び起こす美的反応の法則性を明らかにしようとしたものでした。」(150頁)
 2.芸術教育の目的は何か
〈3つの課題〉 ①創造性の教育 ②芸術のあれこれの技術を教える教育 ③美的鑑賞、すなわち芸術作品を知覚し、味わうことの教育

 芸術教育は演劇教育と読み替えても良いのではないかと思います。そうであれば〈3つの課題〉は、冨田博之さんの考えた、演劇の創造と鑑賞(演劇教育)、演劇の要素を生かした教育(演劇的教育)と通底しているようです。このあたりは『芸術心理学』を読んで整理したいと思っています。

 そしてなんとしても主著『思考と言語』(柴田義松訳)を読みたいと思います。1934年、没後に出版されたものです。最後に『芸術心理学』と『思考と言語』の紹介文を引用させてもらいます。

●『芸術心理学』(ウィキペディアより)
 初期原稿として、異文「ハムレット論」がある。作者の学生時代である1915年の8月5日から9月12日に第一案が書かれ、1916年の2月14日から3月20日に第二案が書かれた。第二案は12枚綴りで、題は「デンマークの王子ハムレットの悲劇 W・シェイクスピア」。
 『芸術心理学』は1924年から1925年にかけて仕上げられた学位論文であり、シェイクスピアの『ハムレット』とイヴァン・クルイロフの『寓話』の分析が中心で、芸術作品がひとの心理に呼び起こす美的反応の法則性を説明するものである。約10年をへだてたハムレット論となる。この論文により、ヴィゴツキーは「第一級研究員」の称号を得た。
 執筆当時には未出版であり、作者存命中には出版されず、1965年にモスクワの「芸術」出版所から出版された。セルゲイ・エイゼンシュテインの資料コレクションの中にタイプライター原稿が一部保管されているのが発見され、これをもとに1968年に改訂版が出版された。これには、編者エヌ・イ・クレイマンによって1916年のハムレット論第二案が巻末に添えられた。

●『思考と言語』(ウィキペディアより)
〔概要〕
 全7章。第1章と第7章とは著者の死の直前に書かれた。ソビエトの発達心理学の発端をつくった書であるとともに、20世紀全般の実験心理学の基礎を形成した書でもある。1962年になって米国および日本で訳書が出版された。
 思想が詳細な言語表現へ移行していく過程(表現の形成)および詳細な言語表現が思想へと移行していく過程(表現の解釈)を科学的心理学の立場から解明した。(カルル・レヴィチン)
〔第2章の問題〕
 1930年、ヴィゴツキーと彼の弟子たちによる自己中心的な言語問題についての実験研究に関する短い発表が雑誌『心理学レビュー』に掲載される。これを当時のピアジェは気にとめていなかったことが後に判明する。
 1932年、ヴィゴツキーは、ピアジェの『子どもの言語と思考』のロシア語版への序文を書き、自己中心性、の概念その他についてピアジェの当時の学説を批判的に検討した。これが『思考と言語』の第2章となった。正確には批判の主な対象となったのは、ピアジェの初期の著作である『子どもの言語と思考』と『子どもの判断と推理』の2冊である。
 1962年、ヴィゴツキーの『思考と言語』の英訳の附録として、ヴィゴツキーの批判に対して、ピアジェ自身の「意見(コメント)」が出された。この中で、ヴィゴツキーの見解を点検して自己中心性、および自己中心的言語の意義の展開の可能性を示している。
〔結語〕
「私は、私が言おうとしていたコトバを忘れてしまった。すると、具体化されなかった思想は、陰の世界に帰っていってしまう。」
「意識は、太陽が水の小さな一滴にも反映されるように、コトバのなかで自己を表現する。コトバは、小世界が大世界に、生きた細胞が生体に、原子が宇宙に関係するのと同じしかたで、意識に関係する。コトバは、意識の小世界である。意味づけられたコトバは、人間の意識の小宇宙である。」(柴田義松訳)


〔72〕「生活と自治」は読み応えがあるのに、肝心なところがあまり読まれていない?!

2016年02月04日 | 図書案内
  以前、ブログ〔16〕で、「通販生活」と「生活と自治」がおもしろくて愛読しているということを書きました。最近のブログ〔69〕でも「通販生活」に触れたばかりです。
  さて今回は「生活と自治」について書いてみます。「生活と自治」は生活クラブ生協の発行する48ページ立ての月刊誌です。(100円)私にとっては読ませられる記事が詰まった冊子という感じです。
  最近届いた2016年2月号の目次は以下の通りです。

●目次(562号)
1 表紙 画、大久保浩
2 リレーエッセイ
  翻訳家・池田香代子さん③
4 特集 拡散するGMOリスク
8 連載 新潮流にんげん模様
11 食の彩 家族をもっと笑顔に。
  焼きダイコンとイカの煮つけ
12 連載 現代まほろば考
14 連載 どう思う?どうしてる?
15 連載 学校てんやわんや 岡崎勝
16 連載 みて、ふれて、楽しむ時間
17 連載 新・反時代のパンセ 不服従の理由 辺見庸
18 特集 どうつくる? 人間らしいケア社会
24 イラストクイズ
25 投稿欄
26 連載 この人に、このテーマ
  琉球新報社東京支社・島洋子さん
28 連載 数字を読む
29 連載 暮らしの味わい 田ロランディ
30 生活クラブ夢の素描
32 連載 京都・瓜生山の畑から 秋山豊寛
33 読者広場
37 連載 枝元なほみの
  「上がり目 下がり目 えだもんの目」
38 調べてみました!生活Q&A
40 時のかたち 福島県檜枝岐村
43 連載 オートメ依存症脱出宣言
44 これに賭ける!
  西日本。ファーマーズユニオン
48 連載 藤原新也 日々の一滴

  私には魅力的な執筆者が揃っています。池田香代子、岡崎勝、辺見庸、島洋子、 秋山豊寛、藤原新也さんらが特にお気に入りです。ところが、一般読者の好みは必ずしもそうではないようなのです。
  「読者広場」特別企画「本誌モニターの135人とクイズの応募者の意見です!」を読んでびっくりしました。ここには昨年の10,11,12月号の評価が載っているのですが、なぜか「読まなかった」記事の執筆者に辺見庸、 秋山豊寛、藤原新也さんらが並ぶのです。私が好きな映画監督の森達也さんなどもここに加わることがあります。しかしながら、さまざまな配慮のなせる技でしょうか、逆に評価するコメントもバランスよく載せているのですが。
  「生活と自治」紙面審議会が年2回開かれるそうです。そこでは「社会問題を広く取り上げる姿勢は継続してほしい」「辺見庸さん、藤原新也さん、秋山豊寛さんの連載は、難解の時もあるが示唆に富んでいる」という意見も出ていてホッとします。「安保法制や原発再稼働、環太平洋連携協定(TPP)をめぐるマスコミ報道はおおむねひどい。今後も言論の対抗軸としての役割を意識してほしい」という会長のコメントも紹介されていて我が意を得たりでした。ただこうした会議での意見と一般会員との意識の乖離は何故なのでしょうか。
  生協運動は安全な食べ物を手に入れたいというところから出発したのでしょう。憲法でいえば生存権の保障に深く関連した活動になると思います。それはそれで大切なことなのですが、日本国憲法の前提となる立憲主義や基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の3本柱を基盤にした生協活動が意識されなければならないと思うのです。こうしたテーマに関してはもっぱら私が支持する執筆者がこぞって書き綴るところです。こういうことを大切にしない生協活動には全く魅力を感じません。食べるだけが人間の存在意義ではないからです。
  私は市民運動の一環としてビラ配りや署名活動を駅頭などで展開しているのですが、好意的に関心を示してくれるのは圧倒的に中高年の人たちです。逆に、18歳以上選挙権が実現する今年なのに、若者の政治的無関心がとても心配です。
  「生活と自治」は戦争法案廃止、原発再稼働反対、沖縄辺野古基地反対というリベラルな姿勢を貫いてほしいものです。