後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔150〕祝・ブログ150回。のしお保育園での心温まるチェロコンサートに参加しました。

2017年07月25日 | 語り・演劇・音楽
  30数年前、我が家は狭山市から清瀬市に引っ越してきました。息子は丁度小学1年生、娘が保育園年少の時でした。娘は、公立の保育園の空きがなく、できたばかりの私立の野塩保育園(現在は、のしお保育園)に入園することになったのです。
  入園説明会に参加したとき、当時の園の理事長さんが、「この保育園は健常の子も障害のある子も受け入れます。」と話されていたのが印象に残っています。自由な感じが漂う、とても親しみやすい保育園で、すぐに気に入りました。親として協力できることがあれば何かしようと思い、保護者会の役員に立候補しました。男性役員は会長と広報担当の私だけでした。当時はガリ版を切っての保護者会の会報づくりでした。
  お迎えに行くと子どもたちは裸足でトランプをしたり、走り回っていて、テレビに子守をさせるということはありませんでした。用務の「おっちゃん」が子どもたちには大人気でした。当時としては珍しかったようですが、若くてたくましく長身の男性保育士も働いていました。

  拙著『男の家庭科先生』(1989年)が出版された頃、保護者や保育士を対象の講演会を園で開いてくれました。娘がとっくに卒園してからのことです。
  娘が芸術大学を出たことを知って、連絡帳の手編みの小物入れを注文してくれたこともありました。
  のしお保育園は、清瀬市にもう一園、練馬区にさらに一園、同系列の保育園があります。私に、三園の第3者委員になってほしいという依頼がありました。昨年から就任することになりました。しかしながら、一年以上「苦情」処理というような問題は発生しませんでした。

 2017年7月20日、のしお保育園で約1時間のコンサートが開催されました。チェロを弾く人2人とピアニスト1人のセッションです。
 鎌田愛さんは東京学芸大学の音楽科を出て、トゥールーズの音楽大学に留学したそうです。フランスでフランス人と結婚して3人の子どもを授かりました。パリ在住です。夏休みに3人をつれて日本に帰省したときに、3,4週間、のしお保育園が面倒を見てくれたということです。一番下のノエちゃんは現在小学生ですが、長年のお礼の意味を込めてコンサートを開くことになったということです。ノエちゃんはパリでチェロを習い、賞を取る腕前です。しおりさんは若いプロのチェリストで、チェロを教える先生です。ノエちゃんも生徒のひとりということになります。そしてお母さんの愛さんがピアノを弾きます。

  開演少し前に園に着くことができました。裸足が気持ちいい、清潔で小さなホールです。小学校の教室ほどの広さでしょうか。
  3人が音合わせしている最中に、小さい子たちが入室してきました。みんなお行儀が良くて、話もしないで床に座り込んでいます。正座の子が多いのにはびっくりです。次の子たちから自分の椅子を抱えて入場です。子どもたちが全部で4,50人でしょうか。後ろには10名ほどの大人の席があります。

  園長先生の「初めのことば」が実に穏やかな語りで、すっと心に入ってきます。
 愛さんの曲や楽器の解説を交えての演奏会が始まりました。園児が知っている曲では、自然に子どもたちのからだが揺れてきます。3人のセッションは実に見事でした。
 小さいときにこうした素敵な音楽を聴く機会があるというのはまことに貴重なことです。

 プログラムは以下のとおりです。

*オープニング・トトロのさんぽ(しおり・ノエ)
●ノエのソロで
・シューベルト・鱒
・ポッパー・ガボット
・キュイ・オリエンタル
●ノエとしおりさんのデュオで
・五木の子守歌
・ウェーバー・狩人の歌
・チャイコフスキー・古いフランスの歌
●しおりさんのソロで
・バッハ・無伴奏1番プレリュード
・チャイコフスキー・感傷的なワルツ
・チャイコフスキー・メロディー
・サンサーンス・白鳥
・美女と野獣
*エンディング・星に願いを (しおり・ノエ)


  心地よい調べを耳にしているうち、あっという間にコンサートは終了してしました。
 最後は花束贈呈と、園長先生の終わりのことばでした。
 そうそう、愛さんは、下掲の翻訳もこなしている方です。ルポライターの鎌田慧さん、公代さんの娘さんでもあります。

■『日本、ぼくが愛するその理由は』ジャン=フランソワ・サブレ著、鎌田愛訳、七つ森書館、2007年
〔オビ〕
この本には日本への熱い想いがあふれている。日本社会の理不尽さをも知りつくした、社会学者で日本専門家のジャン=フランソワ・サブレが語る、彼を魅了してやまない日本の人びとの懐の深さと「やさしさ」。(「ル・モンド」日本特派員、フィリップ・ポンス)
からだが心でいっぱいになるラブレター。
私たちがどこかに置いてきてしまった大切なもの。
*ジャン=フランソワ・サブレ
 1946年、フランスのベリー地方に生まれる。フランス国立科学研究庁(CNRS)研究員。パリ人間科学会館(MSH)内アジアネットワーク代表。1990年CNRS日本支部を開設、1996年まで所長。同期間に国営ラジオ、フランス・アンテールの日本特派員も兼任。
*鎌田愛
 1970年、東京生まれ。東京学芸大学教育学部音楽科卒業。1997年、トゥールーズ第2大学大学院音楽学部修士課程修了。2002年、パリ第5大学大学院教育学部修士課程(DEA)修了。同大学院博士課程中退。現在パリ在住。アジアネットワーク勤務。

〔149〕ついに『伊丹万作「演技指導論草案」精読』(佐藤忠男)に辿り着きました。

2017年07月19日 | 図書案内
  私の講座「学級づくりに生かす表現」(荒川区立第九中学校、2011年8月24日)が荒川区教育研究会主催で開催されたことがありました。(ブログ〔2〕参照)このワークショップは私にとっては珍しく、中学校の教師が中心で、20名ほどはいらっしゃったでしょうか。
  講座開催の切っ掛けは、私のHPを見てくれた会の責任者の方が、メールで連絡を取ってくださったことからでした。会が始まる少し前に会場に着いた時、なぜかその方から、『伊丹万作全集』(全3冊、筑摩書房)を差し出されました。良かったら持っていってくださいというのです。
  伊丹万作は高名な戦前の映画監督で、やはり俳優で映画監督の伊丹十三の父親であることぐらいしか当時は知識がありませんでしたが、有り難くいただくことにしました。
  さて、ここで伊丹万作という人物についておさらいしておきましょう。

■伊丹 万作(いたみ まんさく、1900年1月2日 - 1946年9月21日)は、日本の脚本家、映画監督、俳優、エッセイスト、挿絵画家である。「日本のルネ・クレール」と呼ばれた。日本映画の基礎を作った監督の一人である。本名池内 義豊(いけうち よしとよ)。初期筆名池内 愚美(いけうち ぐみ)、俳優としての芸名青山 七造(あおやま しちぞう)。映画監督・俳優・エッセイストの伊丹十三は実子。小説家の大江健三郎は娘婿。(ウィキペディア「伊丹万作」より)

  しばらくして、この全集が貴重なものであることが徐々に分かってきました。戦争中によく書くことができたと話題になる「戦争中止ヲ望ム」「戦争責任者の問題」などは『伊丹万作全集1』に収録されています。雑誌「教育」(国土社、2011・2)には、山田洋次・田中孝彦対談「映画をつくる」(後半『伊丹万作「演技指導論草案」』を巡って)が掲載されていました。「演技指導論草案」は全集2で読めます。
  さっそく「演技指導論草案」に目を通しました。確かに教育論・教師論としても十分読めるものでした。84の断章のなかで記憶に残り、心の琴線に触れた項目の1部を抜き書きしておきましょう。


「演技指導論草案」伊丹万作(伊丹万作全集2,筑摩書房、1961)
○…仕事中我々は意識して俳優に何かをつけ加えることもあるが、この仕事の本質的な部分はつけ加えることではなく、抽き出すために費やされる手続きである。
○演技指導は行動である。理論ではない。
○どの俳優にでもあてはまるような演技指導の形式はない。
○俳優の一人一人について、おのおの異つた指導方法を考え出すことことが演技指導を生きたものたらしめるための必須条件である。
○俳優をしかつてはいけない。…どんなことがあつても俳優をしかつてはいけない、と。
○演出者が大きな椅子にふんぞりかえっているスナップ写真ほど不思議なものはない。病気でもない演出者がいつ椅子を用いるひまがあるのか、私には容易に理解ができない。
○俳優に信頼せられぬ場合、演出者はその力を十分に出せるものではない。また演出者を信頼せぬ場合、俳優はその力を十分出せるものではない。
 (初出『映画演出学読本』1940,12)

  そして最後に「演技指導論草案」に関して気になっていた本が次のものです。

●岩波現代文庫 『伊丹万作「演技指導論草案」精読』佐藤忠男、岩波書店(2002、1)

  おそらく本の品数日本1の池袋のジュンク堂でもこの本は見つけることができませんでした。そしてなんとか、アマゾンで購入できることが分かりました。安価であったけど、数十箇所の鉛筆書きがあることが公表されてなかったので、あまり良い感じはしませんでした。

■岩波現代文庫 『伊丹万作「演技指導論草案」精読』佐藤忠男、岩波書店(2002、1)
〔トビラ〕演技と演出に関する総合的な研究は少ない。伝説の巨匠伊丹万作の「演技指導草案要綱」は、1946年に発表されて以来、その分野の最も実用的な古典として愛読されてきた。この84の断章からなるエッセイを古今の映画の具体例をもとに考察し、人間行動の本来的な演技性と演出の問題をコミュニケーション理論として読み解く。
〔目次〕
1 演出というコミュニケーション
2 伊丹万作という演出家
3 「演技指導論草案」の成り立ち
4 演技指導者の成立
5 やってみせる指導
6 暗示と批評
7 俳優をしかってはいけない
8 愛嬌について
9 視線について
10 芸の可撓性について
11 偶然性について
12 素人俳優の場合
13 セリフの改変について
14 無理な場合
15 信頼について

 これはすごい本でした。
 単なる「演技指導論草案」精読ではなく、まさに「84の断章からなるエッセイを古今の映画の具体例をもとに考察し、人間行動の本来的な演技性と演出の問題をコミュニケーション理論として読み解く。」本でした。映画評論家としての満目躍如です。演出家や役者へのインタビューや、手記を丹念に調べ、実証的な「精読」に到達するものです。黒澤明、小津安二郎、溝口健二、木下恵介などの名監督や私も知らない歴史上の監督、俳優などが続々紙面に登場してきます。
  各監督との対比のなかで伊丹万作像が明らかになってきます。「チャンバラは殺人であり、殺人を面白がる趣味は自分にはない」という発言からもうかがえるように、伊丹は「微温的な自由主義の立場」にあり、「最も尖鋭な軍国主義批判者」であったようです。
  「俳優たちを人形芝居の人形のように操作した」という小津安二郎、スタニスラフスキー・システムを先取りした溝口健二、浦山桐郎と女優小林トシ江とのエピソード、撮影現場での黒澤明の逸話など興味津々の話が満載です。
  映画にも造詣が深かった脚本研究会「森の会」の故・辰嶋幸夫さんに届けたい本でした。

〔148〕道徳教科書展示会で閲覧したらいろいろな発見がありました。

2017年07月06日 | 市民運動
 来年度から道徳が教科に「格上げ」されます。それもただの教科ではなくて「特別の教科」です。戦前は道徳は修身という名称でしたが、筆頭教科ということで、もっとも重んじられていました。96歳の母に彼女の通信簿を見せてもらったところ、トップに修身が位置付けられていて、甲乙丙丁の評価が下されていたのです。
 戦前の教育に回帰するかのような道徳教科化に反対して、以前、請願を清瀬市に提出したのですが、残念ながら不採択になってしまいました。このブログを遡ってくださればその詳細を辿ることができます。
道徳が教科になるということは教科書が決められるということです。現在多くの地域で小学校道徳の教科書選択のための展示会が開かれています。清瀬市では7月14日(金)まで、2つの図書館〔中央、竹丘〕で開催されています。
 先日、私も地域の仲間数人で中央図書館に赴きました。展示されていたのは8社48冊の道徳の教科書です。2時間でも到底全部読み切れませんでした。採用してほしくない教科書はすぐに見分けがついたのですが、どの教科書が一番良いのか判断するのは難しいことでした。その理由は2つありそうです。
 1つは学習指導要領に「各学年段階の内容項目について,相当する各学年において全て取り上げることとする。」とあるからです。つまり内容項目(以前は徳目)が偏ってはいけないということで、標準化した印象を受けたのでしょう。
 2つ目は、東京新聞が報じたように「すべての教科書会社が、文科省が作成した副教材『私たちの道徳』に掲載されている作品を一部使用。教科化のきっかけとなったいじめに関する題材はすべての教科書が扱った。」ということがありそうです。

 そこで、参考のために学習指導要領の1部と、道徳教科書に関する記事を紹介しておきましょう。


■第3章 特別の教科 道徳(2015.3)学習指導要領
第1 目 標
 第1章総則の第1の2に示す道徳教育の目標に基づき,よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため,道徳的諸価値についての理解を基に,自己を見つめ,物事を多面的・多角的に考え,自己の生き方についての考えを深める学習を通して,道徳的な判断力,心情,実践意欲と態度を育てる。

第2 内 容
 学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育の要である道徳科においては,以下に示す項目について扱う。
A 主として自分自身に関すること
[善悪の判断,自律,自由と責任]
〔第1学年及び第2学年〕
よいことと悪いこととの区別をし,よいと思うことを進んで行うこと。
〔第3学年及び第4学年〕
正しいと判断したことは,自信をもって行うこと。
〔第5学年及び第6学年〕
自由を大切にし,自律的に判断し,責任のある行動をすること。
[正直,誠実][節度,節制][個性の伸長][希望と勇気,努力と強い意志][真理の探究]
B 主として人との関わりに関すること
[親切,思いやり][感謝][礼儀][友情,信頼][相互理解,寛容]
C 主として集団や社会との関わりに関すること
[規則の尊重][公正,公平,社会正義][勤労,公共の精神][家族愛,家庭生活の充実]
[よりよい学校生活,集団生活の充実]
[伝統と文化の尊重,国や郷土を愛する態度]
〔第1学年及び第2学年〕
我が国や郷土の文化と生活に親しみ,愛着をもつこと。
〔第3学年及び第4学年〕
我が国や郷土の伝統と文化を大切にし,国や郷土を愛する心をもつこと。
〔第5学年及び第6学年〕
我が国や郷土の伝統と文化を大切にし,先人の努力を知り,国や郷土を
愛する心をもつこと。
[国際理解,国際親善]
D 主として生命や自然,崇高なものとの関わりに関すること
[生命の尊さ][自然愛護][感動,畏敬の念][よりよく生きる喜び]

第3 指導計画の作成と内容の取扱い
1 …なお,作成に当たっては,第2に示す各学年段階の内容項目について,相当する各学年において全て取り上げることとする。
2 第2の内容の指導に当たっては,次の事項に配慮するものとする。
(1) 校長や教頭などの参加,他の教師との協力的な指導などについて工夫し,道徳教育推進教師を中心とした指導体制を充実すること。
(6) …なお,多様な見方や考え方のできる事柄について,特定の見方や考え方に偏った指導を行うことのないようにすること。
(7) 道徳科の授業を公開したり…。
3 教材については,次の事項に留意するものとする。
 ウ 多様な見方や考え方のできる事柄を取り扱う場合には,特定の見方や考え方に偏った取扱いがなされていないものであること。
4 …ただし,数値などによる評価は行わないものとする。


■道徳教科書に関する記事
●「考える道徳」遠く 小学教科書、初検定 東京新聞(2017年3月25日 朝刊)部分
 文科省によると、小学校の道徳教科書は、八社から二十四点(六十六冊)の申請があった。検定意見は全体で二百四十四件付き、各社が修正の上合格した。
 すべての教科書会社が、文科省が作成した副教材「私たちの道徳」に掲載されている作品を一部使用。教科化のきっかけとなったいじめに関する題材はすべての教科書が扱った。また、東日本大震災について十九点(79・2%)が記述。「生命の尊さ」や「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」などを学ぶ教材として取り入れた。

●パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に 道徳の教科書検定 
 朝日新聞(2017年3月24日)部分
 「しょうぼうだんのおじさん」という題材で、登場人物のパン屋の「おじさん」とタイトルを「おじいさん」に変え、挿絵も高齢の男性風に(東京書籍、小4)▽「にちようびのさんぽみち」という教材で登場する「パン屋」を「和菓子屋」に(同、小1)▽「大すき、わたしたちの町」と題して町を探検する話題で、アスレチックの遊具で遊ぶ公園を、和楽器を売る店に差し替え(学研教育みらい、小1)――。
 いずれも文科省が、道徳教科書の検定で「学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた例だ。
 おじさんを修正したのは、感謝する対象として指導要領がうたう「高齢者」を含めるためだ。文科省は「パン屋」についても、「パン屋がダメというわけではなく、教科書全体で指導要領にある『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ』という点が足りないため」と説明。「アスレチック」も同様の指摘を受け、出版社が日本らしいものに修正した。…
 各社が学年ごとに掲載した約30~40の教材には「定番」が目立つ。文科省の副読本「私たちの道徳」や旧文部省の道徳指導資料などにある教材を全社が引用。「はしの上のおおかみ」「花さき山」「ブラッドレーのせい求書」「雨のバス停留所で」「手品師」などは全社が掲載した。


 小学校道徳教科書は8社(日本文教出版、廣済堂あかつき、学研教育みらい、教育出版、光村図書、東京書籍、学校図書、光文書院)です。気づいたことを簡単に書き留めておきましょう。
*教師の使いやすさを考えるなら、ノートなどいらない。素材をそのまま提示してほしい。専門的力量を持つべき教師に任せてほしい。
*出典を明示してほしい。巻末にまとめる教科書が多数であった。
*特徴のある教科書が少ないのは学習指導要領のねらいどおりなのだろうか。

 とても気になったのは教育出版の教科書でした。「ポーズを決める安倍首しょう」(5年)という現職総理大臣の写真が掲載されていました。2年生段階で道徳の教科書に「日の丸・君が代」が国旗・国歌として強調記述される必要があるのでしょうか。さらに、日の丸を背景にオリンピック記事が多数掲載されていました。国家主義的な色彩が一番強い教科書でした。
 対照的な2つのブログを発見しました。

●赤池まさあき(参・自民/文教科学委員会委員長)ブログより
<唯一教育出版本だけは及第点ではないかと思いました。具体的には、「大切な国旗と国歌」(2年)「日本人が世界に広めたすごいもの」(4年)「志高く、今を熱く生きる(渋沢栄一)」(5年)「祖国にオリンピックを(和田勇)」「米百俵(小林虎三郎)」(6年)の教材が取り上げられていました。>

●パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2
 今、東京の教育と民主主義が危ない!! 東京都の元「藤田先生を応援する会」有志による、教育と民主主義を守るブログです。

◎ 2018年度使用小学校教科書採択にあたっての要望書(前文略)
 1.教育出版の道徳教科書は問題点が多いので採択しないでください。
 <理由>
 (1)教育出版の5年生の道徳教科書には現職の政治家2名の写真が掲載されています。「下町ボブスレー -町工場の挑戦―」には安倍首相の写真が、「一人はみんなのために・・・」には野田東大阪市長の写真があります。いずれも本文の内容と直接の関係はなく、政治家の宣伝のような印象を受けます。現職の政治家の写真を載せているのは教育出版だけです。
 道徳教科書に掲載されている限り、子どもたちは”立派な人”だと思うでしょう。しかし安倍首相は森友学園や加計学園の優遇、森友学園への100万円寄付が疑われ、野田市長は2015年の育鵬社公民教科書採択の際に政治介入したことが疑われており、いずれも議会で追及されている政治家です。そもそも歴史的評価の定まっていない現職の政治家を、人としての生き方を学ぶ道徳教科書に載せることは不適切ではないでしょうか?
 (2)教育出版は明治維新を美化し、立志伝中の人物をたくさん取り上げ、西郷隆盛を3年生と6年生で取り上げています。しかし西郷隆盛は「征韓論」を唱え、朝鮮の植民地化を強く主張した人物です。西郷の主張を実行した結果、日本は朝鮮を35年間に渡って支配し朝鮮の人々を苦しめたことが、今になっても日韓関係に暗い影を落としています。西郷隆盛など歴史上の人物の負の側面を教えずに、お手本になる”偉人”として子どもたちに教えてよいのでしょうか?歴史教科書とは異なり、道徳教科書で人物を取り上げる場合はもっと慎重になるべきではないでしょうか?
 (3)教育出版の編著者には育鵬社道徳教科書(パイロット版)の関係者が多く入っています。貝塚茂樹氏(武蔵野大学教授)、柳沼良太氏(岐阜大学大学院准教授)、木原一彰氏(鳥取市立世紀小学校)の他、道徳教育に熱心なことで知られる東京都武蔵村山市立第八小学校からは校長以下3人の教員が入っています。一つの学校から編著者が3人も入っているのは極めて異例です。
 貝塚茂樹氏は日本最大の右翼団体といわれる日本会議のブレーンとして知られ、戦前の「教育勅語」や『修身』を賛美する発言をしています。育鵬社が発行している道徳教科書のパイロット版は、戦前の『修身』と共通する軍国美談や天皇賛美の教材が多く、日本国憲法や教育基本法に抵触すると考えられますが、教育出版の道徳教科書の内容に問題が多いのは、編著者の構成にもよることが明らかです。
 (4)教育出版の2年「大切な国旗と国歌」ではオリンピックで使用される旗を「国旗」と明記していますがこれは誤りです。オリンピックで使用されるのは「選手団の旗」であり、必ずしも「国旗」でなければならないわけではありません。これが混同されて報道されたりしていますが、「国」対「国」の争いではないというオリンピックの精神にのっとって正確に教えるべきではないでしょうか?

 以上のことから、教育出版の道徳教科書は採択しないでください。

 2.人類普遍の道徳である「人権・平和・共生」の大切さを教える教科書を採択してください。
 <理由>
 道徳教育は古来、その時々の政権の支配の道具として、政権に都合のよい価値観を信じこませる道具として利用されてきました。近くは戦前、「教育勅語」の忠君愛国精神が『修身』教科書をつうじて国民にたたきこまれ、国民は侵略戦争をアジア解放の「聖戦」と信じこんで戦いました。その結果、日本国民は軍人・民間人合わせて310万人が命を失い、多くの人が生涯癒えぬ傷を負って戦後も苦しみました。被害を受けたアジアの人々の犠牲者数はその何倍にもなります。
 日本国憲法はその戦争への深い反省から生まれたものであり、日本国憲法の「人権・平和・共生」の精神は、当然道徳教科書にも貫かれるべきものです。
 今回発行された8社の道徳教科書にはこの日本国憲法の精神や、世界人権宣言の精神を伝えようとしている教科書があります。「人権」問題を個人の思いやりに解消せず、社会的な問題として取り上げ多くの教材を掲載している教科書や、「平和」問題を積極的に取り上げている教科書があるのは、編集者の良心がうかがわれます。
 私たちは決して道徳教育そのものを否定しているわけではありません。人間が社会生活を送る以上、道徳もきまりも必要です。私たちが反対しているのは、国家のために命を懸けることが正義だと教える道徳教育であり、社会の責任を問わず自己責任論を刷り込む道徳教育です。
 私たちは教えるべきは人類普遍の道徳ともいえる「人権」「平和」「共生」の大切さであると考えます。命の大切さ、人は皆平等であり、どんな夢も平和があってこそ描けるということを伝え、人としての努力、自立、助け合いの大切さを学ぶ道徳教育であってほしいと願っています。
そのような教科書はどれかをよく吟味していただき、より良い教科書を採択してくださるように切に要望いたします。


 最後に一市民の投稿を読んでください。おおいに共感しました。

  ■「良い子」求める道徳教育に疑問
              看護師 田崎 みゆり(福岡県 61)  
 来年度から道徳が教科となり、子どもたちの行動や考え方がどう成長したか「評価」されるという。小学生の孫が3人いるので、どんなお話が出ているのか、教科書の展示会に行ってみた。    
 私が行った時、会場には受付も意見を書く用紙もなかった。関心のある人がいないということか。展示されていたのは8社が発行する48冊。時間がかかり半分しか目を通せなかった。だが、自己犠牲を促すような話や、頑張る人がたくさん出てくるのが気になった。 また、どう思いますか、どうすれば良いでしょうかなど、子どもに「良い子」を求めるような質問も多く、「日本は良い国」と刷り込んでいるように見えることにも引っかかった。
そんなに良い子ばかりになると、疲れてしまうのではと心配になる。お利口さんより、多少わんぱくでも元気で好奇心の強い子になってほしいと私は思っている。
 人権や民主主義、思いやりや礼儀を教えることは大切だが、のびのびと勉強したり遊んだり、けんかしたりする中で学んだことの方が身につくのではないか。私も含めた周りの大人が、良い手本となることを願うばかりだ。(2017.7.5 朝日新聞「声」)