後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔555〕日本の人権教育を鋭く問うハンセン病ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」(宮﨑賢監督)

2022年12月27日 | 映画鑑賞
 ハンセン病ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」を制作する運動に導いてくれたのは岡山の矢部顕さんでした。たびたびこのブログで紹介してきたので読んでくださったかも知れません。
 作品ができあがって9月3日(土)に近隣の東村山市で上映があることを知らせてくれたのも矢部さんでした。ところがあいにく翌日はドイツに出発する日で、残念ながら自重することにしました。
 再度矢部さんから12月4日(日)に国立市で上映されるという情報がもたらされました。
 東村山市の上映を見た国立市の職員が国立でもやろうということになったようです。

 万難を排して妻とくにたち市民芸術小ホールに馳せ参じました。
 作品については当日配布された宮﨑賢監督の作品解説を読んでください。



 矢部さんは以前から素晴らしい監督が地元で活躍しているということで、宮﨑監督出演のテレビ番組のDVDや新聞記事をいろいろ送ってくれていました。そんなことがあって今回のドキュメントは今までの監督の集大成として拝見しました。ハンセン病の差別の歴史のくだりなども私には目新しい感じはしませんでしたが、おそらく30年以上もかかって元患者たちが宮崎監督との関係のなかで重い口を開いたんだろうな、ということに心が熱くなりました。それぞれ一人ひとりの証言の場面をかみしめるように見ていて、目が離せませんでした。
 今回激しく心が動いたのは小学校の場面でした。かつて強制隔離された夫妻を招き入れた教師の存在に元小学校教師として心震えました。アイヌ民族を招いて学年集会をしたことなどが思い出されました。(拙著『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』所収)
肩の力が抜けた教師と子どもたちの自然な振る舞いに好感を持ちました。力量を感じる教師です。心底嬉しそうに語るお二人、歌で歓迎され、一緒の給食に涙します。
 入所者と高校生の交流にも胸が熱くなりました。
 この映画は日本の人権教育をも鋭く問うものになっていることに今頃気づきました。



 最後に触れなければならないのは、国立市の人権月間のことです。12月4日(日)から1月14日(土)までなんと26件のイベントが展開されるのです。実は、「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」上映はその初日で、アイヌ民族の宇梶静江さんの講演もあったのです。
 本当に国立市の人権月間は素晴らしい!

〔554〕矢部顕さんのメールはボランティア活動「亀山城跡の清掃」と歴史講話です。

2022年12月25日 | メール・便り・ミニコミ
◆福田三津夫様
先日は、我が家の裏山にある亀山城跡の清掃を地元の上道中学校の
生徒さんがボランティア活動としてやってくれました。
清掃だけでなく、わたくしの歴史講話を聴いてくれました。
(レジュメを添付します)

先月は、小学6年生の清掃活動と歴史講話を行いました。

岡山市の広報のフェイスブックの記事と写真を添付します。(非掲載)
八丈島赦免花伝説についての内容は「おおやまと」の寄稿
したものを添付します。



こんなこんなで今年も終わります。
佳いお年をお迎えください。

                           矢部 顕

◆上道中学校ボランティア活動
歴史講話 (亀山城跡にて)

今年は秀家生誕450年
宇喜多秀家って知っていますか
―秀家手植えの蘇鉄が八丈島から贈られてきた―
2022.12.21
亀山城跡保存会事務局長
矢部 顕
はじめに
・掃除に来てくれてありがとう
1. 歴史の好きな人はいますか?
①掃除に来てくれたこの場所は何なのか?
②知っていましたか?
2上道中学校学区のなかにある歴史遺跡はどの時代のものですか?
①大廻り小廻り山 山城  (国指定史跡)  
②吉井水門        (岡山県指定史跡)
③浦間茶臼山古墳     (国指定史跡)   
④福岡の市(御休小学校の以前の名は福岡小学校) 鎌倉時代13世紀末「一遍上人絵図」
⑤亀山城跡        (岡山市指定史跡)
3.亀山城で生まれた宇喜多秀家って知っていますか?
①宇喜多直家の息子
②岡山の町の基礎をつくった
③豊臣秀吉の五大老のひとり
④関が原の戦いの西軍の主力として敗れる 八丈島流人第一号
4.八丈島赦免花伝説
①秀家手植えの蘇鉄の株分けが亀山城に贈られてきた(2019年10月)
②蘇鉄に花が咲いた(2019年11月)
③江戸時代、八丈島で蘇鉄の花が咲くと赦免状が届いた
④計10回741人に赦免状
⑤秀家とその末裔に赦免状は届いたのか?
⑥食料を260年間送り続けた加賀前田家(豪姫の実家)
5.今年は秀家生誕450年(秀家1572~1655)
①歴史は教科書で学ぶだけではない
②過去が現在につながっている目に見える事例
③掃除に来てくれた中学生の諸君の記憶に

〔553〕こちらも「持続する志」の最新・布施由女通信(2022年冬号)です。

2022年12月25日 | メール・便り・ミニコミ
 年に4回紹介している清瀬市議・布施由女が発行するゆめ通信です。連帯を求めて孤立を恐れない一人会派の布施由女です。現在2期目、今後の去就が注目されます。乞うご期待を。









 ◆地に満つ岸田悪政
  増税、防衛力増強、原発新増設
                  鎌田 慧(ルポライター)

 増税と防衛力増強。さらには原発の新増設。まるで酒にでも酔った
ような岸田文雄首相の傍若無人。自民党内にも異論が強いのは、来春の
統一地方選挙への影響を心配してのことで、国債発行や法人税アップへ
の反対なども庶民の生活を心配してのことではない。
 軍備増強と増税はかつて日中戦争の頃からの、欧米との兵器開発競争
を想わせ、また暗い時代がはじまった。税金が上がり、福祉が縮小され
る。老齢医療保険料が上がり国民年金が下げられる。非正規労働者の
生活はますます苦しく、小商店の経営は立ちゆかない。

 「防衛省が世論工作研究」(本紙12月10日付)」は、軍備増強の陰の
部分をあきらかにしている。AI(人工知能)を使ったSNS(交流サ
イト)』で世論を誘導する研究に着手した。ある政府関係者がいう。「
各国の国防、情報当局が反戦や厭戦の「世論を封じ込めるためにやって
いる。日本も取り組むべきだ」と。
 戦争へむかう世論操作はこれからだ。原発についてはいままで盛ん
にやってきた。クリーンエネルギーやアンダーコントロール。いままた
脱炭素をロ実に無責任、無反省の「原発行動指針」。
 「革新軽水炉」などと安全性を強調しているがなにも「革新」など
ではない。原発は安全だ、との操作で世論をあざむき、老朽原発を60年
以上も運転させよう、という魂胆。
(12月13日「東京新聞」朝刊27面「本音のコラム」より)

 ◆沈思実行(125) 鎌田 慧
  国鉄解体35年後の現状
  ろこつな赤字線のきりすて=住民と労働者の生活と福祉を切り捨てた

◎より速く、より大量に、より遠くまで。「近代化」の指標とはこの
3つだろうか。大量生産、大量消費、大量廃棄による利潤追求は、
環境破壊と資源浪費、そして温暖化を促進させ、いま地球危機を招く
までになった。

 たとえば、リニアモーター建設などは、環境破壊ばかりか、膨大な
電力を消費するために、原発建設が見込まれていたほどだった。
 わたしは60年代後半の都電撤去に反対する運動のルポを書くことに
よって、フリーライターになった。都営交通の合理化とは、都電をなく
すことだった。

◎街なかを走っていた無骨な都電は、のろまで邪魔くさいとみられる
ようになっていた。その背景にモータリゼーションの欲望があった。
アメリカ大陸を走っていた長距離列車が姿を消したのは、ゼネラル
モーターズ、フォード、クライスラーなど自動車メーカーの大量生産
の結果だった。

◎都電撤去の流れのなかで、わたしは「公共性」を攻撃する、
「民営化」の欲望を理解するようになり、国鉄民営化の取材をはじめた。
 87年に強行された、国鉄の分割・民営化ほど露骨な「私欲化」は
なかった。国鉄内部にいて中曽根康弘の国鉄解体政策に協力した
エリート職員、松田昌士、葛西敬之、井手正敬の3人は、それを成功
させ、それぞれドル箱のJR東日本、JR東海、JR西日本の社長に
就任した。論功行賞だった。

◎分割、民営化は、露骨な赤字線切り捨てを進めた。公営交通の国鉄
時代は、赤字線を黒字線でカバーする「公共性」があった。
 が、民営化はそれをかなぐり捨てさせた。
 「第三セクター」などでの経営努力や、自治体が設備を所有して経営
をカバーする方式もあるが、それぞれが赤字に苦しんでいる。
 過疎地はさらに過疎化し、日本列島に空白地帯がふえている。

◎地域住民の生活を無視した政策は、悪政というべきだ。中曽根首相
は、「総評運動の中心の国労は潰す」と豪語していた。
 住民と労働者の生活と福祉を切り捨てた政治の過ちを、
どう解決するか。
 それが問われている。
     (週刊「新社会」2022年11月23日第1284号8面より転載)

 ◆戦争と原発の再稼働 鎌田 慧(ルポライター)

 老人たちは怒っている。戦後、貧しかったけど希望があった。「もう
戦争はない」との解放感は、戦場から帰った若者や戦災に焼けだされた
家族に共通していた。戦死者や被爆者や空襲などの犠牲者は膨大だった。
 が、とにかく生き延びたひとたちは、緊張して解放のラジオ放送を
聞いた。国民学校一年生のわたしは疎開先にいた。そして、戦争はしな
いと誓った憲法が発布された。

 敗戦から77年。殺したり、殺されたりした戦争の時代の悲惨を感じら
れないにしても、人びとへの想いがたりないままに、中央、地方の権力
者の二世、三世が首相や大臣になる時代が続いている。
 自己の権力維持だけが最大の関心なのか、シモジモの苦しみなど
なんのその、身内大事のしたい放題、やりたい放題。

 突然思い出したのは、敗戦後、日本の反原爆感情に「フォーピース」
を掲げ、ヒロシマに原発を建設しようとした、米原子力委員会の野望。
 さすがにそれは中止になった。が、いままた脱炭素を掲げた「革新
原子炉」の開発計画が発表された。実現は無理でも行きがけの駄賃。
どさくさ紛れに、老朽原発60年以上稼働の陽動作戦。

 首相はヒロシマを売りものにするリベラル「宏池会」会長だが「敵
基地」のミサイル恐怖を煽りながら、日本海沿岸に並べたてた原発を
動かして、リベラルに安眠できるのか。
(12月20日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)

〔552〕同じ匂いのする松森俊尚著『けっこう面白い授業をつくるための本――状況をつくりだす子どもたち』に出合いました。

2022年12月23日 | 図書案内
 松森俊尚さんの存在を初めて知ったのは、生活クラブ生協が発行している月刊『生活と自治』の教育コラム「魂のバトンリレー」の松森連載を読んだことからでした。2013年7月号から十数回続いたと思います。出会った子どもたちとの出来事を柔らかなタッチでドラマチックに描いているような印象を受けました。彼の子ども観や子どもとの付き合い方に自分と似たような匂いを感じたものです。
 松森俊尚さんってどんな人かなと思ってそのままになっていたのですが、先日、ブックオフに行った時、偶然『けっこう面白い授業をつくるための本――状況をつくりだす子どもたち』を見つけ、早速購入しました。
 感想を書く前にこの本の概略を紹介しましょう。



◆『けっこう面白い授業をつくるための本――状況をつくりだす子どもたち』松森俊尚、現代書館、264ページ、2000円+税(現代書館HPより)
 学校教育に対する公権力の締め付け、それに乗じたと思われる過度の親からの干渉等により、自信を失い教育に情熱を感じられなくなった教師が増えている。そのような教師が自信を持って教育現場で子どもたちと社会をつくるための本。

〔オビ〕教育現場はそんなに上手くいくはずがないんだから。悩みながらも面白い授業をつくる。そのための強い味方がこの本です。

第1章 友だちづくり
第2章 状況をつくりだす子どもたち
第3章 校区を流れる古川とコイを育てる学習
第4章 世界では、今―豊かさとは1
第5章 東日本大震災を学習する―豊かさとは2
第6章 水俣病を学習する―豊かさとは3
第7章 問題が起こるから学習が生まれる―子どもたちがイジメと向かい合う
第8章 児童会―The government of the Children,by the Children,for the Children
第9章 話すこと、書くこと

●松森俊尚[マツモリトシヒサ]1951年大阪に生まれる。1976年大阪教育大学卒業後、寝屋川市内の小学校に勤務。2012年3月退職。

 書名やオビだけ見て手に取る人とそうでない人に分かれる本のような気がします。ハウツーものの教育書と思ったら大間違い、本書は教育の本質に迫る渾身の実践記録です。率直に書いて、もう少し内容に相応しい書名やオビがあった方が良かったと思うのです。

 「第1章 友だちづくり」では最初はハウツー本の雰囲気を漂わせながら、リアルな子どもが登場して期待を持たせました。第2章から6章までの授業づくりは圧巻です。学級や学年での図工、総合学習、社会の授業展開は目を見張るものがあります。しっかり学年も巻き込みながら「教えから学びの地平を拓く」(リーデフ'98のスローガン)ものになっています。
 こんな実践記録を読みたかったというのが第7章のいじめ問題です。キリキリするような子どもたちの議論に松森センセも割って入りますが、自分なら学級通信にそうは書かないなとおもわず感情移入させられます。(拙著『いちねんせい-ドラマの教室』『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』晩成書房、参照)
 第8章の児童会づくりの実践は著者の並々ならぬ力量を物語っています。民主的で創造的な教師集団がなければこれだけの実践はできなかったでしょう。
 第9章の「ヒロシマ修学旅行で」「識字学級で」も読み応え充分です。

  ●最後に余談をいくつか。
 現代書館からの本書の出版を勧められたのが北村小夜さんとのことでした。ブログにも登場いただいている、私もよく知る大先輩との繋がりが知れて嬉しかったです。
  気になったこと2点。
 *「ぼくらの村」の作者は大関松三郎ではなく寒川道夫というのが今は定説になっています。『「山芋」の真実』(太郎良信、教育史料出版会)、拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』「寒川道夫の光と影」などを参照願います。
 *「卒業式のシナリオ」は「卒業式の台本」が相応しいでしょう。シナリオは映画の脚本の場合に用いられることが多いようです。 

 ネットでもう1冊、松森さんの本が出版されていることを知りました。『街角の共育学- 無関心でいない、あきらめない、他人まかせにしないために』(現代書館 2020/8/20)またブックオフを探してみます。

〔551〕矢部顕さんによる6年生対象の「倹約令の立て札」と「綿から糸を紡ぐ体験」授業です。

2022年12月17日 | メール・便り・ミニコミ
お馴染みの矢部顕さんによる地域の6年生対象の歴史授業の様子がメールで届きました。矢部さんのメール、授業のレジュメ、朝日新聞記事などを紹介します。

◆福田三津夫様
毎年のことなのですが、近くの小学校で6年生に日本の歴史、
江戸時代末期の授業をしました。
ついでにレジュメも添付します。

1時間目は、「倹約令の立て札」
小学校近くの旧家の倉から倹約令の立て札が発見された
(9年前)のですが、それを見せながら、倹約令はなぜ
発令されたか、についての講義です。

2時間目は「綿から糸を紡ぐ体験授業」
倹約令に、綿の商人は村に入ってもよろしい、と記載されて
いたのは何故なのか。
綿を栽培して、糸や布にして、売っていたことがわかる
のです。

子どもたちに自作の紡錘車をつくらせて、それを使って
綿から糸を紡ぐ体験授業です。
添付の朝日新聞記事は、倹約令の立て札のことは全く
記事にしてくれていません。
毎年、歴史で江戸時代を学ぶころ行っていたので、
以前にもお知らせしていると思います。
このところコロナで実施していませんでした。
                                 矢部 顕


●浮田小学校6年                                 2022.11.30.
「倹約令の立て札」からみえてくること
      講師・矢部 顕
はじめに
1. いつごろの立て札か
巳年の記述と内容から→安政4年(1857年)    <明治元年1868年>
1855年 安政2年 岡山藩倹約令御触書をだす
2. 立て札の内容
       沼村
  当村は水害が多く、百姓どもが困窮している。
  昨年・今年は特に~が水害ですべて無くなってしまった。
  このたび厳しく左の通り倹約を申し渡す。
一、木綿の布や毛綿以外の商人は立ち入らせてはいけない。
一、親しいかどうかに限らず、諸々の付き合い(贈り物など)はやめること。
一、御師による神社のお札の配布、浪人や物もらいなどは堅く断ること。
右の事を厳重に守るように。
        巳年八月  村役人
3. 沼の地形―水害って何?  (最近では、2018年7月、砂川堤防決壊による水害)
① 戦国時代  沼城(亀山城)
② 新田開拓 堀田 吉井水門 足踏み水車
③ 砂川の水路変更工事  延宝5年(1677年)から数年かけての大工事
効果 1678年8月5日の大雨―以前は水がぬけるのに80日、
今年は8日で水がぬけた、という記述『赤磐郡誌』
 ④  現在  大型排水ポンプ
        沼の人たちが交代で日夜ポンプを稼働
        稼働しているときは黄色の点滅ランプが見える
4. 稲作と綿花栽培
  稲作はいつからはじまったか 絵本『稲と日本人』(図書室にあります)
  年貢米
  水田の効用  主要食糧、環境保全、ダム効果、水平=土壌が流れない←→ミシシッピー川
布・衣類は何からつくられているか?    木綿、絹、麻、羊毛、化学繊維
木綿の布、毛綿―綿を買う商人は村に入ってもよいとは?
綿花栽培の最盛期―江戸時代
肥料  鶏糞、牛糞、人糞、油粕、干鰯、・・・・・    桶の普及
5. 立て札の効用―沼村は山陽道筋で人の往来も多かったので「現代の『防犯パトロール中』の札のように、目立つ場所に設置して、押し売りなどよそ者を寄せつけまいとする抑止効果も狙ったのでは」と推測(県立記録資料館館長)
6. なぜ倹約令が発令されたのか?
  黒船来航(ペリー来航)1853年
7. 江戸時代(1603~1867)とはどういう時代だったのか
① 約260年間、右肩上がりの無い時代
② 戦争のない時代―他国を攻めない、他国から攻められない
③ 日本文化の成熟、庶民レベルでの成熟

■「倹約令の立て札」と糸紡ぎ体験授業
                                                            矢部 顕
  江戸時代末期の「倹約令の立て札」が近所の旧家で発見(2013年)されたのですが、立て札ですから朽ち果てているはずが残っていたのにはほんとびっくりしました。
その後、その「立て札」を見せながら小学校(6年生)の歴史の授業を行いました。
 この「倹約令の立て札」の最初の文はこうです。
―当村(沼村)は昨年と今年の水害で百姓はたいへんに困窮している。(中略) そこで左記のように倹約を申し付ける。―(以下、条文)
 「立て札」に書かれている条文のひとつに「綿の商人以外は村に入ることを禁じる」というのがあって、沼村は商品作物の綿を栽培していたことがわかります。(沼村は、わたくしの住まいしているところで、今は岡山市東区沼という住所です)。
 江戸時代の綿栽培については、何十年かぶりに『カムイ伝』(白土三平著)を読み返し勉強しました。学生時代に読んでたいへん感激し、多くの友人に薦めた記憶があります。全巻を揃えていたのですが、あちこちに貸し出しているうちに、いつの間にか失くなってしまいました。いま読みかえしても凄い漫画、というか鋭い歴史書です。
 「倹約令」が江戸時代末期に何度も発令されたことは、ペリー来航と関係があることを初めて知りました。ペリー来航のようなことが、今後たびたび起こることを予想して幕府は各藩に対して三浦半島や房総半島の沿岸警備を命じたのです。各藩は兵隊を派兵するために出費を強いられますので、年貢の取り立てが滞ることを恐れたようです。それで 「倹約令」の頻繁な発令となったようです。
 「ペリー来航」は歴史で習いますが、「なぜペリーは日本に来たのか?」を習った人はいるのでしょうか? 
そのころ日本近海には200隻以上のアメリカの捕鯨船が操業していたが、目の前に見える日本列島の港に入港すれば水や食料が手に入るのに鎖国政策でそれが出来ない。アメリカの捕鯨業の利益のために、つまり当時のビッグビジネスのためにアメリカ政府がおこなった脅かしだったのです。
いまアメリカは日本が捕鯨をすることを非難していますが、当時は最大の捕鯨国だったのです。まぁ、そういうことをわたくしは小学校の日本史で語ったのでした。
 次の時間には、実際の糸紡ぎ体験です。綿から糸を紡ぎ、機織りで糸から布をつくり、布から衣服をつくる、という、江戸時代から昭和15年くらいまで行われていた村の暮らしの一部の「糸紡ぎ」を経験させました。
 各自にあらかじめ材料を渡しておいて自作した紡錘車(スピンドル)で糸紡ぎに挑戦しました。どのようにするのか実際にやって見せなければなりませんので、練習しましたが、コツをつかむまでけっこうたいへんでした。クラスで2,3人は初めての体験なのに上手にできる子がいて驚きました。
 江戸時代にこの辺りで綿を栽培したのは、綿から何を作るためなのか? 「綿飴をつくるためだと思う人?」と問うたら、ひとり手があがりました。冗談が通じる子だったのか、どうだか・・・・
 今年、はじめて畑に綿の種を蒔いてみました。いま1.5mくらいに成長し、花が咲き、実がなり、その実がはじけて、白い綿が出てきました。綿があらわれたときはなかなか感動的でした。
 綿の木を小学校の校舎横の花壇に移植して、綿が出来る様子を子どもたちが見ることが出来るようにしました。                                                

〔550〕読み応えのある、敵基地攻撃めぐる「腰越9条ニュース」(196号)が塚越敏雄さんから届きました。

2022年12月11日 | メール・便り・ミニコミ
 塚越さんのコメントと鎌田慧さんのコラムを合わせてお読みください。

◆腰越9条ニュース196号ができましたので添付します。
 今回、敵基地攻撃について書きました。読者からの投稿記事は読み応えがあり
ました。
                t417mabui@nifty.com 塚越敏雄





 ◆袴田事件の血痕鑑定
鎌田 慧(ルポライター)

 「袴田事件」についてはこのコラムで何度か書いた。8年前、静岡地裁
が死刑確定囚・袴田巌さん(86)に対し「これ以上拘置を続けるのは耐え
難いほど正義に反する」(村山浩昭裁判長)と再審開始、同時に死刑停止、
仮釈放の決定を出した。
 しかし、検察側が即時抗告して、いまだ再審は始まっていない。検察側
は袴田さんが犯行時に着ていた5点の衣類が、勤め先のみそ工場のみそ
タンクの底から発見され付着した血痕にはまだ赤みが残っていた、と主張
している。が、はたしてみそに漬かって1年以上がたっても血痕に赤みが
残っているものかどうか。
 弁護団側は、5点の衣類自体が証拠としては疑わしく、最近の検察側の
みそ漬け実験の観察によっても「赤みが残らないことが明らかになった」
と主張している。
 「袴田巌さんの再審無罪を求める実行委員会」は今月上旬、東京高裁に
対して「即時抗告を取り下げ静岡地裁の再審開始決定を確定せよ」と要請
した。
 この日の実行委員会のメンバー、日本プロボクシング協会袴田巌支援
委員会の横断幕は「時間がない」と大書されていた。
 袴田さんが逮捕された56年前、1日12時間以上の取り調べが勾留期間中
続いた。正当な取り調べ違反として、第一審裁判官だった熊本典道さんは、
無罪の心証を固めていた。が、この時は、無罪判決にならなかった。
    (11月22日「東京新聞」朝刊25面「本音のコラム」より)

◆トマホーク500発購入 戦争進備を止めよう

  鎌田 慧(ルポライター)

 「敵基地攻撃能力」と口走ってしまった。すぐに「反撃能力」と言い
換えた。
 露骨な言い方を和らげる話法というよりは、本質を隠すマヌーバー(
大衆操作)。11月下旬になって「政府有識者会議」は、「我が国の反撃
能力の保有と増強が抑止力の維持・向上のために不可欠」との報告書を
岸田首相に手渡した。
 そのあと首相は大手を振って「反撃能力は抑止力」というように
なった。
 敵基地攻撃能力は、そのものズバリ、直截(ちょくせつ)的な表現だっ
たが、これでは憲法ギリギリの「専守防衛」の枠を跳びだす。そこで
知恵者が「反撃能力」との糖衣剤。

 なにしろ、政府有識者会議は元駐米大使や元防衛次官などのほかに、
読売新聞社長、日経新聞顧問、元朝日新聞主筆などのマスコミ人で構成
されている。
 「侵略」が「聖戦」、「退却」が「転戦」、「敗戦」が「終戦」、
「臨時工」が「非正規社員」。現実の悲惨を言い換える報道が歴史を
突破してきた。

 「敵」のミサイル基地をたたくために導入されようとしているのが、
米軍需産業が製造する巡航ミサイル「トマホーク」。棍棒(こんぼう)に
石を括(くく)りつけた戦斧(せんぷ)が語源だが、いかにも恐ろしい。
 当面500発購入する。誘導する宇宙衛星も数10基必要になる。10兆円
以上に倍増する防衛予算で賄われる。
 日本は平和国家をやめ、戦争強国に変貌する。戦争進備を止めよう。
(12月6日「東京新聞」朝刊23面「本音のコラム」より)