江古田映画祭というイベントがあることを知りませんでした。会場になるギャラリー古藤は西武池袋線江古田駅から徒歩数分のところです。さらにそこから私の実家は数分という距離にあります。幼少の頃、私が遊び場にしていた武蔵大学の正門前に会場があるのです。そこですべての日本人必見の映画を2本観ました。
まずは「日本と原発 4年後」の紹介です。この映画は弁護士の河合弘之さんと海渡雄一さんが中心になって作った映画です。なぜ原発は全廃しなければならないかがわかりやすく描かれています。これに反論できる人は誰もいないでしょう。とにかく観てほしい映画です。
この日のゲストスピーカーは海渡さんでした。原発関連の訴訟を一手に引き受ける市民派の弁護士さんです。高浜原発勝訴の予想をこの日展開してそのとおりになりました。たしか4月6日の川内原発訴訟も勝算があるということで、期待したいと思っています。
●「日本と原発 4年後」
■ 2016/3/7 東京都練馬区(上映2回)
■ 主催:江古田映画祭実行委員会
○ 上映日時:2016年3月7日(月) 13 時~
○ 会場名:ギャラリー古藤 (練馬区栄町9-16)
●「日本と原発 4年後」 自主上映そのものが脱原発運動です。(公式サイトより)
「日本と原発 私たちは原発で幸せですか?」はおかげさまで大好評をいただき、この一年間で約1,000回(観客動員数約7万人)の自主上映がされました。その改訂版の「日本と原発 4年後」は、ここ一年の大きな出来事(高浜原発差止仮処分、元東電役員の強制起訴など)、被バクの問題、テロと原発の問題、推進派(近藤駿介氏、木元教子氏)の言い分等を入れました。日本の原発の全ての論点を論じ尽くしました。これを見た人は必ず脱原発を確信するようになります。
したがって、この自主上映そのものが脱原発運動になります。「脱原発運動のために何かしたいのだけれど何をしていいのか分からない」という方がいます。その様な方こそ自主上映運動をお願いします。
そして自主上映による上映料は次の映画「日本と自然エネルギー 未来からの光と風」の製作費に充てられます。その意味でも「日本と原発 4年後」の自主上映運動は「脱原発そして自然エネルギー」の推進そのものになるのです。皆様の強力なご協力をお願い申し上げます。
平成27年12月吉日
映画監督・弁護士 河合弘之
もう1本の映画は「太陽がほしい」です。班忠義監督が20年かけてつくった中国女性の「慰安婦」の映画です。彼女たちは売春婦でも「帝国の慰安婦」でもなく、まぎれもなく性奴隷であったことが、一目瞭然となる映画です。日本人は目を背けないで見続ける義務があります。
●「太陽がほしい」
〇作品紹介(公式サイトより)
太陽がほしい
「慰安婦」とよばれた中国女性たちの人生の記録
「(湖北省の「慰安所」では)生理のときも休めませんでした。妊娠したときは「紅花」という薬を飲まされました。そのあとお腹からどろどろの血が流れます。すると、体から力が抜けて、顔が黄色く痩せます。そんなことがあって、私は子どもを生めない体になってしまいました」 袁 竹林
「(山西省の日本軍の駐屯地の)真っ暗なヤオトンに監禁され、用をたすときだけ外に出られました。食べていないので何も出ないが、外に出たいのでトイレに行って背をのばす。
太陽の光がほしかった。」 劉 面換
班忠義監督は、1992 年より80 余名の、慰安婦とよばれた中国女性たちへの支援活動とともに、ビデオ記録をつづけてきました。
長い年月おさえてきた苦い水を突然一気に吐きだす苦しみ、その痛みに堪えて彼女たちは証言してくれました。
しかし、20 年の間に生存者は、10 名ほどとなってしまいました。
湖北省では「慰安所」が、山西省には「強姦所」が存在しました。
このふたつの地域を中心に、旧軍人の証言もまじえ、当時の事実を明らかにすると同時に、その後も心身の後遺症や周囲の無理解のなかで苦しんできた彼女たちの人生を映しだします。
その証言は、「私がいたことを忘れないでほしい」という痛切な願いです。
その願いは、現在も世界で発生しつづけている性暴力への警鐘となり、人間の尊厳、人権、とりわけ女性の人権、人間の罪とは何かを問いかけます。
当事者の証言は、日本と中国の共通認識をつくり、新たな関係を築いていくことにつながると信じています。
上演後1時間にわたる詩人の石川逸子さんのお話が心にしみました。武力と性暴力が一体となったのが戦争なのだということを膨大な資料から余すところなく語り尽くしてくれました。
読んでくださった自作の詩2編のうちの1つを紹介しましょう。
少女 石川逸子
戸外の椅子に すわりつづける少女
秋の日も 真冬にも
さらさらと雪は降り
少女の黒髪に 膝のうえに 降りつもる
あなたは 故郷からはるかに遠い南の地で
爆撃に倒れたのか 飢え死んだのか
あるいは だまされて連行された 中国の「慰安所」で
日本軍兵士に逆らい 斬られたのか
うつされた性病で病み死んでいったのか
―『慰安婦』ではない 性奴隷でしたー
辛くも生き残り 解放後も辛苦の生を送った
かつての少女たち 今 年老いたハルモニたちは
かつての自分のうら若い面影に
手をさしのべ 少女の髪の毛に降る雪をそっと払いのける
韓国・ソウル・日本大使館前
ものいわず すわりつづける 少女
二十万にもおよぶという 被害者たちの
悲憤を やわらかな胸に抱いて
すわりつづける 少女
なお 地球のあちこちで
起きつづける あまたの 少女たちへの凌辱に向かって
しっかと目を見開き
雪に濡れながら すわりつづける
少女の像
家に帰ってから、以前にいただいた『石川逸子詩集 定本 千鳥ヶ淵へ行きましたか』(影書房)を読み直しています。
まずは「日本と原発 4年後」の紹介です。この映画は弁護士の河合弘之さんと海渡雄一さんが中心になって作った映画です。なぜ原発は全廃しなければならないかがわかりやすく描かれています。これに反論できる人は誰もいないでしょう。とにかく観てほしい映画です。
この日のゲストスピーカーは海渡さんでした。原発関連の訴訟を一手に引き受ける市民派の弁護士さんです。高浜原発勝訴の予想をこの日展開してそのとおりになりました。たしか4月6日の川内原発訴訟も勝算があるということで、期待したいと思っています。
●「日本と原発 4年後」
■ 2016/3/7 東京都練馬区(上映2回)
■ 主催:江古田映画祭実行委員会
○ 上映日時:2016年3月7日(月) 13 時~
○ 会場名:ギャラリー古藤 (練馬区栄町9-16)
●「日本と原発 4年後」 自主上映そのものが脱原発運動です。(公式サイトより)
「日本と原発 私たちは原発で幸せですか?」はおかげさまで大好評をいただき、この一年間で約1,000回(観客動員数約7万人)の自主上映がされました。その改訂版の「日本と原発 4年後」は、ここ一年の大きな出来事(高浜原発差止仮処分、元東電役員の強制起訴など)、被バクの問題、テロと原発の問題、推進派(近藤駿介氏、木元教子氏)の言い分等を入れました。日本の原発の全ての論点を論じ尽くしました。これを見た人は必ず脱原発を確信するようになります。
したがって、この自主上映そのものが脱原発運動になります。「脱原発運動のために何かしたいのだけれど何をしていいのか分からない」という方がいます。その様な方こそ自主上映運動をお願いします。
そして自主上映による上映料は次の映画「日本と自然エネルギー 未来からの光と風」の製作費に充てられます。その意味でも「日本と原発 4年後」の自主上映運動は「脱原発そして自然エネルギー」の推進そのものになるのです。皆様の強力なご協力をお願い申し上げます。
平成27年12月吉日
映画監督・弁護士 河合弘之
もう1本の映画は「太陽がほしい」です。班忠義監督が20年かけてつくった中国女性の「慰安婦」の映画です。彼女たちは売春婦でも「帝国の慰安婦」でもなく、まぎれもなく性奴隷であったことが、一目瞭然となる映画です。日本人は目を背けないで見続ける義務があります。
●「太陽がほしい」
〇作品紹介(公式サイトより)
太陽がほしい
「慰安婦」とよばれた中国女性たちの人生の記録
「(湖北省の「慰安所」では)生理のときも休めませんでした。妊娠したときは「紅花」という薬を飲まされました。そのあとお腹からどろどろの血が流れます。すると、体から力が抜けて、顔が黄色く痩せます。そんなことがあって、私は子どもを生めない体になってしまいました」 袁 竹林
「(山西省の日本軍の駐屯地の)真っ暗なヤオトンに監禁され、用をたすときだけ外に出られました。食べていないので何も出ないが、外に出たいのでトイレに行って背をのばす。
太陽の光がほしかった。」 劉 面換
班忠義監督は、1992 年より80 余名の、慰安婦とよばれた中国女性たちへの支援活動とともに、ビデオ記録をつづけてきました。
長い年月おさえてきた苦い水を突然一気に吐きだす苦しみ、その痛みに堪えて彼女たちは証言してくれました。
しかし、20 年の間に生存者は、10 名ほどとなってしまいました。
湖北省では「慰安所」が、山西省には「強姦所」が存在しました。
このふたつの地域を中心に、旧軍人の証言もまじえ、当時の事実を明らかにすると同時に、その後も心身の後遺症や周囲の無理解のなかで苦しんできた彼女たちの人生を映しだします。
その証言は、「私がいたことを忘れないでほしい」という痛切な願いです。
その願いは、現在も世界で発生しつづけている性暴力への警鐘となり、人間の尊厳、人権、とりわけ女性の人権、人間の罪とは何かを問いかけます。
当事者の証言は、日本と中国の共通認識をつくり、新たな関係を築いていくことにつながると信じています。
上演後1時間にわたる詩人の石川逸子さんのお話が心にしみました。武力と性暴力が一体となったのが戦争なのだということを膨大な資料から余すところなく語り尽くしてくれました。
読んでくださった自作の詩2編のうちの1つを紹介しましょう。
少女 石川逸子
戸外の椅子に すわりつづける少女
秋の日も 真冬にも
さらさらと雪は降り
少女の黒髪に 膝のうえに 降りつもる
あなたは 故郷からはるかに遠い南の地で
爆撃に倒れたのか 飢え死んだのか
あるいは だまされて連行された 中国の「慰安所」で
日本軍兵士に逆らい 斬られたのか
うつされた性病で病み死んでいったのか
―『慰安婦』ではない 性奴隷でしたー
辛くも生き残り 解放後も辛苦の生を送った
かつての少女たち 今 年老いたハルモニたちは
かつての自分のうら若い面影に
手をさしのべ 少女の髪の毛に降る雪をそっと払いのける
韓国・ソウル・日本大使館前
ものいわず すわりつづける 少女
二十万にもおよぶという 被害者たちの
悲憤を やわらかな胸に抱いて
すわりつづける 少女
なお 地球のあちこちで
起きつづける あまたの 少女たちへの凌辱に向かって
しっかと目を見開き
雪に濡れながら すわりつづける
少女の像
家に帰ってから、以前にいただいた『石川逸子詩集 定本 千鳥ヶ淵へ行きましたか』(影書房)を読み直しています。