後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔103〕教師教育研究所の戦後教育実践セミナーで貴重な湯山厚さん、武藤啓司さんの話を聞きました。

2016年07月31日 | 講座・ワークショップ
 演劇教育の大先輩の湯山厚さんと武藤啓司さんの話が聞けるということで、早稲田大学に足を運びました。まずは早稲田大学教師教育研究所のホームページでその講演会の概要を見て下さい。

●2016年度 教師教育研究所 戦後教育実践セミナー
 2016年度の戦後教育実践セミナーでは2人の方をお迎えして戦後教育実践についてお話を伺います。
 今、教育が大きな曲がり角を迎える中で、戦後教育をふりかえり、その実践者から直接話を聞くことによって、現職の教員やこれから教職を目指す学生の、教育者としての資質の向上に資するばかりでなく、自分の進路を模索している学生や一般の皆さんにも、教育や教職への関心を高めていただくきっかけになるものと思います。
 多くの皆様の御参加をお待ち申し上げます。
日 時:2016年7月30日(土) 13時~17時30分
会 場:早稲田大学国際会議場 第三会議室
(JR山手線高田馬場駅下車20分、地下鉄東西線早稲田駅下車10分)
参加費:無料(先着50名)
懇親会:3000円(18:00~)
テーマ:ことば・授業・いのち -子どもとの出会いのなかで-
講 師・演 題:
13:00~14:30:「ことばと演劇教育」(仮)
湯山 厚氏 1924年~
国語教育から全員参加の学校劇の先駆的な実践者、教員を25年間、その後、75歳まで横浜国大等で教鞭をとる。さとの民話や伝説の収集・研究家でもある。
著書「学級づくりの仕事」「国語の授業」他
14:45~16:15:「同和教育に出会い楠の木学園へ」(仮)
武藤啓司氏 1935年~
横浜国大卒。都内小学校教員、同和教育に出会う。1995年フリースクール楠の木学園講師、園長、理事長。
著書「いのちが深く出会うとき」「巣立ちへの伴走」他。
16:30~17:30:鼎談
●主 催:早稲田大学教師教育研究所
●共 催:早稲田大学総合研究機構
●問い合わせ先:安達昇(教師教育研究所)
n.adachi@kurenai.waseda.jp

  行きなれていない早稲田大学の広い構内をうろうろしているうちに、定刻より10分過ぎの到着になりました。すでに湯山さんの講演「構成劇『コロの物語』誕生まで」は始まっていました。
  自己紹介として、出生、職歴、「演劇教育に関わるまで」などを語られた後、学芸会の話に進んでいきました。
 「当時、小学校では、学校行事の一環として、遠足、運動会、学芸会が定例行事として行われていたが、一般教師は、学芸会は負担だった。」
 そこで学芸会をどうしたら良いのか考えた結果、構成劇の誕生に繋がったというのです。
〔レジメより〕
・子どもたちは全員出演を希望(従来は有力者の子女が主役)
・子どもたちは一言でも台詞を言いたかった。
・拾ってきた捨て犬のことを劇化しようとしたが、子どもたちには書けなかった。
・子どもたちの作文や学級日記を参考に、湯山が脚本を書く羽目になった。
・従来ない形式なので、「構成劇」と名付けた。

『コロの物語』のあらましについては省略することにして、上演後どうなったかについて、やはりレジメから拾ってみましょう。
・それまでお客さんだった子が発言するようになり、教室が活性化する。
・『コロの物語』を「演劇と教育」(日本演劇教育連盟の機関誌)に送る。
・国語教科書(東京書籍)に採用される。
・劇中の音楽はすべて湯山が作詞・作曲し、山室かほるさんが手直ししてくれた。

 出席者は30名ほどだったでしょうか。演劇教育の仲間も二人ほど参加していました。会場から様々な質問や意見が飛び交いましたが、私の感想を箇条書き的に書き留めておきましょう。
・湯山さんの主著に『構成劇の作り方』(晩成書房、1985年)があり、『コロの物語』を筆頭に9本の脚本が掲載されている。巻頭論文「構成劇のすすめ」(冨田博之)が秀逸。
・『コロの物語』の実践は学級劇というところが素晴らしい。子どもの一人ひとりの表現を大切に考えると学級劇に行き着くだろう。
・子どもたちの日常生活の中から作られた子ども主体の劇づくりである。鶴見俊輔のいう限界芸術としての構成劇といっても良い。
・学級づくりの発表の場としての劇づくりともいえる。
・台詞中心ではない、身体表現を重視するミュージカル的なものであった。
・ここでの劇づくりが朗読を重視した授業や行事の改革にも繋がっていったのは必然である。

  それにしても、92歳で講演をこなす湯山さんに脱帽でした。
 もう1人の講演者は武藤啓司さんでした。私が教職をスタートさせた新卒の頃から彼は気になる存在でした。切っ掛けは私の師匠の村田栄一さんです。『飛びだせチビッコ』(エール出版社)や『戦後教育論』(社会評論社)ですっかり村田ファンになった私は彼の眼鏡で教育を見るスタイルを身につけていきました。そこに登場したのが村田さんの友人の武藤啓司さんでした。彼の名前を初めて発見した最初の本は『学校を告発する』(武藤啓司編、エール出版社、1970年)でした。さらに『教育闘争への模索』(社会評論社、1974年)で不動の地位を確立しました。
 武藤さんと初めて会ったのはフレネ教育者国際会議(リーデフ98)の実行委員会の席でした。國學院大學の里見実さんの研究室に2,30人で話し合ったのを記憶しています。村田さん、里見さんとともに武藤さんも参加されていました。
  今回の講演のレジメのもくじだけ紹介しましょう。

 「同和教育との出会い~フリースクール楠の木学園へ」
Ⅰ 同和教育との出会い
 1.1958年就職 教員勤務評定反対闘争、60年安保闘争に敗北
 2.同和教育との出会い 1975年~
 3.全国同和教育研究協議会(全同教)、第30回東京・埼玉大会(1978年)
 4.林竹二氏との出会い
5.自分の職場(大田区下町の小学校)での実践
『やさしさを学ぶということ』(御茶の水書房、1988年)
『子どもの心と響きあう』武藤啓司、榎本留美、社会評論社、、1990年
Ⅱ フリースクール楠の木学園で
1.『巣立ちへの伴走』2001年、『フリースクールの授業』2004年、いずれも社会評論社
2.「発達障がい」をめぐって

  一時間にわたって、実に丁寧に語ってくれました。武藤さんの基本的な構えとしては、様々な出会いからそれを避けて通ることなく、それの一番の高みを愚直に引き受け、しっかり己を総括して進む姿勢です。
  興味深かったのは最近のフリースクールの授業実践でした。実践集『異なる個性の出会いで創り出すもの』(NPO法人楠の木学園、武藤啓司編集、2016年)のもくじだけ紹介しておきましょう。
・聞くこと-それは世界に自分を開き委ねること 牛山了子
・「和太鼓の先生」 黒瀬雅左枝
・演劇教育の実践から 座馬智子
・ものが仕上がっていく楽しさを大事に  種岡三希子

 加藤彰彦(野本三吉)さんも見えていて、なかなか密度の濃い会になりました。

〔102〕至福の一日、三つの美術館(東博・藝大美術館・西美)を梯子しました。

2016年07月28日 | 美術鑑賞
  久しぶりに美術館に行きました。しかも一日で3箇所の美術館でした。
  欧米を旅行する時は一日で数カ所の美術館・教会巡りというのもけして珍しくはありません。今年の10,11月のドイツ・オーストリア旅行はそんな旅になりそうです。しかし、日本ではそんなことは本当にまれなことです。これはどうしても見ておきたいという美術展はそう多くないからです。すでに外国で鑑賞している美術作品が多いというのも食指が伸びない理由の1つです。
  ところが今回は3つもの美術館を梯子したのです。
  東京国立博物館の〔 特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」〕はラッキーでした。招待券が手に入ったからです。開館して間もなく会場に着いたのですが、まあまあの客足でした。

●東京国立博物館ホームページより
〔 特別展「古代ギリシャ―時空を超えた旅―」〕
平成館 特別展示室 2016年6月21日(火) ~ 2016年9月19日(月)
主催 東京国立博物館、ギリシャ共和国文化・スポーツ省、朝日新聞社、NHK、NHKプロモーション
 ギリシャの彫刻、フレスコ画、金属製品などを展示します。新石器時代からヘレニズム時代までの各時代、キュクラデス諸島、クレタ島ほかエーゲ海の島々や、アテネ、スパルタ、マケドニアなど、ギリシャ各地に花開いた美術を訪ねる旅に出発しましょう。ギリシャ本国の作品のみによるものとしては、かつてない大規模なギリシャ美術展です。

第1章 古代ギリシャ世界のはじまり
第2章 ミノス文明
第3章 ミュケナイ文明
第4章 幾何学様式~アルカイック時代
第5章 クラシック時代
第6章 古代オリンピック
第7章 マケドニア王国
第8章 ヘレニズムとローマ

 パンフレットには、「全325件 9割以上が日本初公開」「国内史上最大級のギリシャ展、奇蹟の開催!」「3600年前の色彩が目の前に。」「名品『漁夫のフレスコ画』日本初公開」という文字が躍ります。一番ピンと来たコピーは「時空を超えた旅」でした。陳列されたのは、いずれも数千年前のものばかりです。当時の日本は縄文時代か弥生時代でしょうか。そんなことをつらつら考えながら作品を眺めていました。

 食事を終えて次に向かったのはそこから徒歩数分の東京藝術大学美術館でした。
  〔観音の里の祈りとくらし展Ⅰ-びわ湖・長浜のホトケたち-〕は2014年でした。10年くらい前にレンタカーで琵琶湖の湖北を巡ったことが懐かしく思い出されました。第2弾の今回は、さらにパワーアップしていました。49作品のほとんどが仏像彫刻でした。
 
●東京藝術大学美術館ホームページより
〔観音の里の祈りとくらし展Ⅱ-びわ湖・長浜のホトケたち-〕
会期:2016年7月5日(火)- 8月7日(日)
主催:東京藝術大学、滋賀県長浜市

 長浜市には、130を超える観音をはじめとするたくさんの仏像が伝わり、古くは奈良・平安時代に遡るものも多くあります。また、この地域は、戦国時代には「近江を制する者が、天下を制す」と言われ、幾多の戦乱や災害に見舞われましたが、そのたびに、地域住民の手によって観音像は難を逃れ、今日まで大切に守り継がれてきました。
 これらの仏像は、大きな寺社に守られてきたのではありません。地域の暮らしに根付き、そこに住む人々の信仰や生活、地域の風土などと深く結び付きながら、今なお大切にひそやかに守り継がれています。
 この展覧会では、このようなホトケたちの優れた造形とともに、こうした精神文化や生活文化を「祈りの文化」として紹介し、長い歴史の中で守り継がれてきた地域に息づく信仰のこころを全国に発信していきたいと考えています。
 歴史・文化に彩られた北近江の長浜、この地に息づく「祈りの文化」と「観音の里」の魅力を通して、一人でも多くの方に、ホトケたちとそれを守る人びとの姿を感じ取って頂ければと考えています。

 やはり同世代が多いのは言うまでもありませんが、若い男女がかなり熱心に鑑賞していることに驚きました。
 医王寺の十一面観音立像、充満寺の伝薬師如来立像、石道寺の持国天立像・多聞天立像、宝厳寺の弁財天座像などには、やあやあ、お久しぶりでした、という懐かしい感じでした。嬉しかったのは観音寺の伝千手観音立像、正妙寺の千手千足観音立像、舎那院の愛染明王座像に会えたことです。とりわけ伝千手観音立像は素晴らしいですね。腕ががっちり太くて、ジャングルの大木を想起させられました。もっと迫力がありますが、東大寺の四月堂の千手観音立像を思い出しました(今は東大寺ミュージアムに納められていると聞きます)。どこから見てもバランスが抜群です。今回の展示作品の白眉と思います。
 いずれにして、これだけの仏像を現地に訪ね歩くとしたら大変です。非公開の仏像が多いので事前連絡が必要ですし、拝観料や足代も馬鹿になりません。もちろんお寺で拝観するというのも魅力がありますが。

  最後は国立西洋美術館です。ここに行く目的は2つです。一つ目は、ドイツ初期銅版画展を見ること、二つ目にフェルメール作品を見ることです。
  ドイツ初期銅版画を題材にした地味な展覧会を今よく開催するなと正直思いました。でも国立西洋美術館は人で賑わっていました。先日世界遺産になったことが理由でしょう。
 〔聖なるもの、俗なるもの メッケネムとドイツ初期銅版画〕はどうしても行きたかった展覧会です。リーメンシュナイダー、デューラー、グリューネヴァルト、ショーンガウアー、エーアハルト、パッハーなどは今年の旅のテーマです。そこに突然メッケネムが現れてきました。何者なのでしょうか。

●国立西洋美術館ホームページより
〔聖なるもの、俗なるもの メッケネムとドイツ初期銅版画〕
2016年7月9日(土)~2016年9月19日(月・祝)
主催:国立西洋美術館、ミュンヘン州立版画素描館、東京新聞
 イスラエル・ファン・メッケネム(c.1445-1503)は、15世紀後半から16世紀初頭にライン川下流域の町で活動したドイツの銅版画家です。当時人気のショーンガウアーやデューラーら他の作家の作品を大量にコピーする一方、新しい試みもいち早く取り入れました。また、作品の売り出しにも戦略を駆使するなど、その旺盛な活動から生まれた作品は今日知られるだけでも500-600点あまりにのぼります。
 メッケネム作品の多くはキリスト教主題をもち、人々の生活における信仰の重要性をしのばせます。もっとも、像の前で祈る者に煉獄での罪の償いを2万年分免除する《聖グレゴリウスのミサ》など、なかには当時の信仰生活の「俗」な側面が透けて見えるものも含まれます。また、当時ドイツの版画家たちは、まだ絵画では珍しかった非キリスト教的な主題にも取り組むようになっていましたが、メッケネムも、男女の駆け引きや人間と動物の逆転した力関係などをユーモアと風刺を込めて描いています。
 本展は、ミュンヘン州立版画素描館や大英博物館などからも協力を得て、版画、絵画、工芸品など100点あまりで構成されます。聖俗がまじりあう中世からルネサンスへの移行期にドイツで活動したメッケネムの版画制作をたどるとともに、初期銅版画の発展と受容や工芸との関わり、コピーとオリジナルの問題、作品に映された当時の社会の様相などにも目を向けます。

 かなり長いブログになったのでこれくらいにしておきます。これからゆっくり図録を楽しみたいと思います。
 あっそうだ、秋に国立西洋美術館で日本初のクラーナハ展がありますよ。楽しみにしています。それにしても、リーメンシュナイダー展はいつ実現するのでしょうか。嗚呼。
 最後にフェルメール作品について触れておきましょう。NHKのテレビドラマのモチーフにもなった「聖女プラクセデス」はかつて個人蔵ということで鑑賞できませんでしたが、現在は国立西洋美術館に常設展示されています。真贋論争の絶えない作品ですが、フェルメールゆかりの作品としては日本で唯一のものです。さすがに他の作品より注目度が高く、数人に取り囲まれていました。フェルメール作品としてはけっこう大きなものでした。ようやく鑑賞が適いました。そして、フェルメール作品は残すところあと2点、見損なったバッキンガム宮殿の「音楽の稽古」と盗難中の「合奏」のみです。はたして生きている間に「完全踏破」はなるのでしょうか。



〔101〕劇団X探偵社・渡辺茂追悼公演「薔薇星雲行きバスストップ 2016年版」に心が震えました。

2016年07月25日 | 語り・演劇・音楽
  2016年3月8日、渡辺茂さんが亡くなりました。私より1つ年上の67歳でした。同世代の突然の訃報にことばを失いました。
 2年前に重い胃癌の診断を受けたということで、昨年7月、彼や梶本暁代さんが主宰する劇団X探偵社の公演「アパート 青薔薇荘」を見に行ったところ、渡辺さんは一頃よりすこぶる元気で、嬉しくなって帰宅の途についたものでした。
 渡辺さんを知らない人のために、劇団X探偵社のホームページを紹介しておきましょう。

●ホームページより
〔劇団概要〕
 劇団X探偵社は1987年に創設された劇団です。それから毎年7月はじめの土・日に池袋小劇場で公演を続け、次回で30回目の公演となります。
 これまで上演して来た劇の脚本は、渡辺 茂、梶本 暁代、の2人が劇団全員で討論した構想を競作的に脚本にするという方法をとっているので、作演出に表記されている夢野 逍は劇団全員の総称です。
 渡辺 茂…『人形館』(70年代後半~80年代にかけて、全国の中学校で大ヒットしたミュージカル風劇)『仮面』『街あるいは少年Aの死』『LOVE』『時を超えて』など多くの中学生向けの劇の作者。
 梶本 暁代…『ぼくたちの象、ポチ』『遠足に行くんだ!』『女の子がいっぱい、男の子がいっぱい』『レッツ・プレイ【家出ゲーム】』(いずれも多くの小学校でよく上演されている劇)など多くの小学生向けの劇の作者。

  渡辺さんに出会ったのは1980年の春でした。日本演劇教育連盟主催の全国演劇教育研究集会での上演劇に正嘉昭さん作・指導の「しらけ仮面」が予定されていていました。私は練習を参観するために練馬区立大泉西中を訪れていました。その時同席していたのが渡辺さんでした。練習終了後、正さんが渡辺さんを生徒たちに紹介し始めると、彼らから大きな歓声が上がったのです。渡辺さんが1977年に発表された「人形館」の作者だということがわかったからでした。この時、中学校演劇の双璧のそろい踏みを私は初めて目撃したのです。
  その後、正さん、渡辺さんとは常任委員会で度々顔を合わせるようになります。渡辺さん、梶本さんとは「演劇と教育」編集部で、月に2回は会っていたでしょうか。若手の編集部員が秘密裏に渡辺さんの勤務校の図工室に集まって、雑誌改革について「密談」したことも懐かしい思い出です。
  全国演劇教育研究集会の夜、上演劇の評価を巡って、侃々諤々、口角泡を飛ばしていたのは正、梶本、渡辺といった面々でした。旅館の部屋の一角を会報「かもめ」の編集部としていたのですが、話足らない仲間がそこに続々集まってきていたのです。集会に1500人を数える時代でした。
  渡辺さんは全国演劇教育研究集会の実行委員長も務めますが、やがて常任委員会や編集部を去って行きました。私自身は、劇団X探偵社の公演には足が遠のいたこともありますが、最近では2年に一度ぐらいは足を運んでいました。池袋小劇場から池袋GEKIBAに劇場が移動しても、彼らの「持続する志」に常に励まされてきたのです。

〔公演記録〕
●池袋小劇場公演
1987 ロマン・エナジー
1988 イリュージョンNo.9
1989 ある街に一番星が光った
1990 望郷編~その夕日の街で~
1991 雨 -無限の街で
1992 イリュージョンNo.9~忘却編~
1993 青い薔薇は風の島に咲く
1994 ドロップス・微動夢
1995 続・青い薔薇は風の島に咲く
1996 ドロップス・微動夢~オルガン編~
1997 軍艦島に一番星が光る
1998 テロリストのタンゴ~軍艦島の月陰る時に~
1999 匂い林檎
2000 薔薇は碧空に溶ける
2001 櫻樹ゆらめく時
2002 夢国~蜻蛉飛び立つ日は~
2003 浪漫の蝶は夢路に飛ぶ
2004風の島に一番星が光る
2005 薔薇星雲行きバスストップ
2006 薔薇の記憶 水の記憶
2008 青薔薇症候群
2009 微動夢 -紙芝居屋の物語の向うに-
2010 続・微動夢外伝-羊くんの沈黙-
●池袋GEKIBA公演
2011 皆既月食の日に紙芝居を見た
2012 霧降り町一番地
2013 林檎と風と
2014 夢の記録 ~皆既月食の夜に紙芝居をみた~
2015 アパート 青薔薇荘
●小さな劇の会公演
1987 アンドロメダ星雲行きバスストップ(Ⅰ)
1988 カボチャのある風景
1989 夕暮れイリュージョン
1990 イリュージョン風の又三郎~バンド編~
1991 アンドロメダ星雲行きバスストップ(Ⅱ)
1992 ある街のある愛の風景
1993 薔薇・バラ・ばらの風景
1994 お菓子な愛の物語・微動夢
1995 ある街のある愛の物語~小手川さん追悼公演~
1996 微動夢~ちゃぶだい編~
1997 夕暮れに月が笑うとき
1998 微動夢~赤い夢玉~

  そして、2016年7月23日(土) 14時から、渡辺茂追悼公演「薔薇星雲行きバスストップ 2016年版」(池袋GEKIBA)の開演です。「2005 薔薇星雲行きバスストップ」のリメイク版でした。入場料は赤い薔薇一本。正さん、伊藤行雄さんの顔も見えました。
 

〔役者群〕
 門井 百合子 
 茂木 燐
 石沢 百理
 石本 真菜
 前原 武彦
 奥野 裕介
 梶本 暁代

 渡辺 茂

〔スタッフ群〕
 ・音響 長田 智晴
 ・照明 東原 光晴

 池田 春江
 山下 理宇
 田瀬 もも
 菊地 敬仁
 宮内 千津代

  〔役者群〕に渡辺さんの名前があるのが不思議でした。劇も残り3分の1といったところで、突然映像が流れ始めました。「2005 薔薇星雲行きバスストップ」のビデオです。喫茶店のマスター役の渡辺さんも映っているではありませんか。粋な演出に観客は固唾をのみました。
  劇が終わって照明が出演者を照らします。いつもなら渡辺さんが役者・スタッフ紹介をするのですが、今回は主演の門井 百合子さんがその役を担いました。最後に「渡辺茂!」とコールされて、ギターを抱えて歌う渡辺さんの映像が映し出されました。

  上演パンフレットの梶本さんのことばが優しく響きました。

●2016年劇団X探偵社第42回公演のタイトルは[紙芝居「薔薇星雲行きバスストップ」を見た]になるはずでした。                  
  X探偵社の劇のことばかり考えていました。
 「今までで一番おもしろい劇になると思う」と言っていました。
 最後の入院でも、運んだノートパソコン、
 「1日30分でも座って書く。」
 でもそれは適わなかった。                             
 渡辺茂は、文句なしのすごい人で、この上なくすてきな人で…。        
 今、X探偵社の人とみんなを、きっと微笑みつつ、見てくれています。 梶本暁代

*〔追悼〕渡辺茂さんを偲ぶ-「夢の共有としての劇」深澤直樹、「「面白い」を原動力に…」星幸典(「演劇と教育」2016年5月号)
*「一九八二年の学校劇-例えば『LOVE』の公演では」福田三津夫、『児童文学アニュアル1983』偕成社。1982年の全国演劇教育研究集会で渡辺茂作・指導「LOVE」(赤塚三中)が上演されことを報告したものです。故・遠藤豊吉さんからの依頼でした。この時の主演が門井百合子さんでした。この拙文は拙著『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』(晩成書房、2018年)に「渡辺茂の劇づくり『LAVE』」として再録しました。


〔100〕大冊『横浜事件と再審裁判』は、まさに「治安維持法との終わりなき闘い」を刻印したものです。

2016年07月19日 | 図書案内
  このブログも昨年から初めて約1年半になりますが丁度今回で100回目です。私にとっては、まあよくやって来たなという記念すべきブログに、渾身の魂を込めた大著を2冊紹介します。

  皆さんは、横浜事件のことを知っていますか。戦時下最大の言論弾圧事件と言われていますが、その内容を詳しく知る人はそう多くはないでしょう。私もそうでしたが、清瀬の市民運動(清瀬・憲法九条を守る会、清瀬・くらしと平和の会)で木村まきさんと出会うなかで関心を持ち始めました。まきさんは、冤罪事件に巻き込まれた故・木村亨さんのお連れ合いです。
 まきさんら2人の遺族は、「裁判記録が焼かれるなどして再審請求が遅れ、名誉回復ができなかった」として損害賠償を求めた訴訟を起こしていました。先日、敗訴の判決が降りたのです。しかし、原告は控訴しました。
 朝日新聞は次のように報道しました。

●横浜事件、国の賠償責任認めず 元被告遺族の請求棄却(朝日新聞、2016年6月30日)
 戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」をめぐり、再審で2008年に「免訴」が確定した元被告2人の遺族が、「裁判記録が焼かれるなどして再審請求が遅れ、名誉回復ができなかった」として、国に計1億3800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。本多知成裁判長は国の賠償責任を認めず、遺族の請求を棄却した。
 判決は、元被告らを逮捕した神奈川県警特別高等課(特高)が取り調べで拷問があったことを知りながら起訴した検察官や、有罪とした裁判官に「職務上、不十分で違法な対応があった」と認めた。だが、1947年の国家賠償法施行前の行為について国は賠償責任を負わない、と判断した。
 訴えていたのは、中央公論社の編集者だった木村亨さんと旧満鉄調査部員の平舘利雄さんの遺族。2人は1943年に「共産主義を宣伝した」として逮捕され、取り調べで過酷な拷問を受けた。終戦直後の45年9月に、治安維持法違反の罪で有罪とされた。
 86年に再審を請求したが、裁判記録が焼却されて存在しないことなどから横浜地裁が棄却。平舘さんは91年、木村さんは98年に死去した。
 遺族による第3次再審請求が認められて05年に再審が始まったが、横浜地裁は治安維持法の廃止を理由に、2人を含む元被告5人について、有罪か無罪かを判断しないで裁判を打ち切る免訴とし、08年に最高裁で確定。一方で横浜地裁は10年、実質的に「無罪だった」と判断し、5人で計約4700万円の刑事補償を認める決定を出した。
 だが2人の遺族は、無罪ではない免訴では、名誉が回復されないとして12年に提訴。拷問でうその自白を強いたり、裁判所が終戦直後に記録を焼却したりしたことの違法性を認めたうえ、43年から毎年100万円分の賠償をそれぞれの遺族に支払うよう国に求めていた。(千葉雄高)

〈横浜事件〉 1942~45年、中央公論や改造社、朝日新聞社などの言論・出版関係者約60人が「共産主義を宣伝した」などとして神奈川県警特別高等課に治安維持法違反容疑で逮捕された事件の総称。拷問による取り調べで4人が獄死したほか、約30人が有罪判決を受けた。元被告らが86年から4度にわたり再審請求したが1次、2次は棄却。3次と4次は再審を認めたものの、いずれも治安維持法の廃止などを理由に有罪、無罪を示さない「免訴」の判決が言い渡された。

 東京新聞では、原告や支援者の様子についてかなりリアルに伝えています。彼らの怒りが伝わってくるようです

●東京地裁「横浜事件」国賠認めず 「法施行前の責任なし」(東京新聞2016年7月1日
 戦時中最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で有罪判決を受け、再審で免訴が確定した元被告二人の遺族が、国に計一億三千八百万円の損害賠償を求めた国家賠償訴訟の判決が、三十日、東京地裁(本多知成裁判長)であった。判決は特高警察による拷問や、裁判記録の廃棄を「違法行為」と認定。一方で公務員の違法行為について、当時は国に賠償責任を負わせる法律の施行前だったことから「国が責任を負う根拠がない」として、請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
 訴えたのは、出版社「中央公論社」社員だった故木村亨さんの妻まきさん(67)と、南満州鉄道(満鉄)調査部員だった故平舘利雄さんの長女道子さん(81)。
 判決は、当時の特高警察による取り調べについて「竹刀で多数回殴りつけるなど拷問で自白を強制しており、違法行為だったことは明らか」と指摘。「拷問の事実を認識しながら、二人の有罪判決を確定させており、検察官や裁判官にも不十分で違法な対応があった」とした。
 また、保管が義務付けられた裁判記録が存在しないことについては「裁判所職員による何らかの関与の下、廃棄されたと推認できる」との判断を示した。
 その上で「当時は公務員の違法行為について国に賠償責任を負わせる法律が施行(一九四七年)前で、国が責任を負う根拠がない」として、国の賠償責任は認めなかった。
 原告側は、有罪、無罪を判断しないまま再審公判を打ち切った免訴判決の違法性も主張したが、判決は「再審で無罪判決を得ることで二人の名誉回復が実現できると考える遺族の心情は理解できるが、免訴判決で有罪判決は効力を失い、法律上不利益は回復された」と退けた。
 判決によると、木村さんと平舘さんは一九四三年五月、治安維持法違反容疑で神奈川県警察部特別高等課(特高)に逮捕され、有罪判決が確定。
 二人の死後、再審で免訴判決が二〇〇八年に確定し、横浜地裁は一〇年に刑事補償を認める決定を出した。
◆原告「生きている限り闘う」
 判決後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した木村まきさんは「司法の犯罪は、司法自らの手で裁かれなければならない。生きている限り闘っていきたい」と気丈に語った。
 二〇一二年十二月の提訴から三年半。計十八回に及んだ口頭弁論での準備書面や証人尋問の内容に自信を持っていただけに「勝訴を確信していたのに逃げられた。司法の姿勢を疑わざるを得ない」と憤った。
 「おかしいぞ」「ふざけるな」。午後一時十分、東京地裁六一一号法廷で請求を棄却する判決が言い渡されると、法廷内に怒号が飛び交った。地裁正門前では弁護士が「不当判決」と書かれた紙を掲げた。
<横浜事件> 雑誌「改造」に共産主義を宣伝する論文を掲載したなどとして、1942~45年、編集者ら約60人が神奈川県警察部特別高等課(特高)に治安維持法違反容疑で逮捕された言論弾圧事件。取り調べ中の拷問で4人が獄死し、終戦直後に約30人が有罪判決を受けた。

 『横浜事件と再審裁判』『資料集成 横浜事件と再審裁判』という2冊の大冊が発行されました。まさに「治安維持法との終わりなき闘い」を集大成したものです。

*『横浜事件と再審裁判』横浜事件第三次再審請求弁護団編著、インパクト出版社、306ページ、3000円+税、2015.2
〔オビ〕「治安維持法との終わりなき闘い」戦時下、未曾有の出版・知識人弾圧事件、特定秘密保護法下のいま、再審裁判をとおして検証する
 治安維持法違反容疑で作り上げられた「横浜事件」。獄死者四名。生き延びた被害者と家族は、事件を背負い続けた。特高の拷問による虚偽の自白を唯一の証拠として有罪判決。
 司法は、GHQの上陸による戦時中の人権抑圧の暴露をおそれ、横浜事件の判決など裁判記録のほとんどを焼却した。
 被害者は敗戦後から闘い開始。一九八六年の第一次再審では、判決文がないことで棄却され裁判が長期化。ついに第三次において再審開始決定が確定。
 司法とは、この国とは。九八年から十年余に及ぶ第三次再審請求弁護団の活動を、弁護士各人が冷静に分析しつつ、熱く、豊かに綴る。

*『資料集成 横浜事件と再審裁判』横浜事件第三次再審請求弁護団編、インパクト出版社、477ページ、4600円+税、2016.6
〔オビ〕「治安維持法との終わりなき闘い」あの時代の再来を防ぐために!
 第三次再審請求弁護団の十二年に及ぶ裁判闘争の重要書面(再審請求審、即時抗告審、再審公判、上告審、刑事補償請求)を時系列で掲載。年表や多数の写真によっても記録した。横浜事件における国家の権力犯罪と司法の責任を糺す必携の資料集。


〔99〕「野党共闘」の参議院選挙は反攻の切っ掛け・出発点になりそうですね。

2016年07月13日 | 市民運動
  7月10日(日)の参議院選挙の結果について皆さんはどうお考えでしょう。私は「野党共闘」の参議院選挙は反攻の切っ掛け・出発点になると思っています。
  改憲勢力が3分の2を越えたと報道されていますが、公明党は憲法九条を守って加憲を主張しています。おおさか維新の会は九条には触れず、やはり加憲的な物言いです。日本の心を大切にする党は自主憲法を主張していますが今回議席を獲得できませんでした。問題はやはり自民党です。自民党の「憲法改正草案」は、日本国憲法の3本柱と立憲主義を強く否定するものです。いずれにしても、私は今の状況を悲観はしてないし、闘いはいよいよこれからだと思っています。最後は国民投票で決着を付けてやろうではありませんか。これからは、九条の会を中心とした市民連合と日本会議の闘いになるのではないでしょうか。
  さて、参議院選挙の前に、同じ日に行われた鹿児島県知事選挙に触れておきましょう。野党統一候補の三反園訓氏が当選したことはとても大きな出来事でした。現在日本で唯一稼働しているのは鹿児島の川内原発の二基です。この原発が止まる可能性が出てきたのです。

●鹿児島知事に脱原発派の三反園氏 現職の4選阻む
* 東京新聞朝刊(2016年7月11日)
 任期満了に伴う鹿児島県知事選は十日投開票され、無所属で新人の元テレビ朝日コメンテーターの三反園訓(みたぞのさとし)氏(58)が、四選を目指した現職の無所属、伊藤祐一郎氏(68)を破り、初当選を果たした。投票率は56・77%で、二〇一二年の前回の43・85%を上回った。
 三反園氏は民進、社民両党のほか、伊藤氏に批判的な一部の保守層も加勢し、選挙戦を制した。全国で唯一再稼働している九州電力川内(せんだい)原発(同県薩摩川内市)に関しては、熊本地震を受けて一時停止して点検する必要があると主張。反原発団体も推していた。
 三反園氏は十日夜、鹿児島市の事務所で「原発のない社会をつくっていくのがトップの役割だ」と脱原発を訴えた。九電に川内原発の一時停止を申し入れるかについては「いろんな人と相談し、一番良い方法を検討したい」と語った。
 三反園氏は川内原発について「安全性が確保されていない原発を動かすわけにはいかない」と強調した。その上で「鹿児島を自然再生エネルギー県にしていくことで雇用を生み出したい」と抱負を述べた。
◆鹿児島知事選開票結果
当 425,893 三反園訓 無新
  341,695 伊藤祐一郎 無現
 開票99%
三反園訓(みたぞのさとし) 58 <1>
(元)テレビ朝日コメンテーター・政治部記者▽早大

 九電に川内原発の一時停止を申し入れるかどうか検討したいというのですが、何を今更という感じですよね。まあ、新知事を信じて待ちたいと思います。
 こんな記事も見つけましたよ。

 ◆原発と新知事 日本中が見守っている

 今国内で唯一原発が稼働する鹿児島県で、脱原発を掲げる新知事が誕生する。
三反園訓さん(58)。「原発のない社会をつくる」という言葉の通り、鹿児島を“
脱原発立県”のお手本にしてほしい。
 「安全性が確保されていない原発は動かせない」。初当選した三反園氏の主張
は明快だ。
 告示前、反原発団体との間で候補者を一本化する際に交わした政策合意にも
「熊本地震の影響を考慮し、川内原発を停止し、再調査、再検証を行うことを九
州電力に強く申し入れる」などとある。
 現職の伊藤祐一郎氏は福島原発事故のあと、全国に先駆けて、川内原発1、2
号機の再稼働に同意した。国内で稼働中の原発は、今のところこの2基だけだ。
 告示前の記者会見でも「1、2号機は、あと30年動かし、その後は別のエネル
ギー体系に」と、すでに運転開始後30年を過ぎた両機の“60年運転”の必要性を
示唆していた。
 同日投開票の参院選鹿児島選挙区では現職が3選された。地元紙の調査では、
「原発」への関心度は「医療・福祉」などに次いで第3位。しかし、県民は知事
の4選は認めずに、脱原発を掲げた「県政刷新」に軍配を上げた。
 4月14日の熊本地震。震度7の猛烈な揺れ、うち続く強い余震にもかかわらず、
九電は川内原発を動かし続け、有事の際の指令所になる免震施設の建設予定も取
り下げた。
 九電と、それらを看過し続けた伊藤氏に“被害地元”としての不信と不安を募
らせた結果だろう。
 三反園氏は「ドイツを参考に、鹿児島を自然エネルギー県に変身させ、雇用を
生み出す」と語っている。脱原発による雇用喪失の不安を抱える立地地域とよく
話し合い、情報を広く共有しながら、具体化を進めてもらいたい。
 日本で唯一原発が稼働中の鹿児島県を、日本で初めて脱原発へとスムーズに移
行したモデル県にしてほしい。
 三反園氏の言うとおり、知事に稼働中の原発を止める法的な力はない。しかし、
停止した原発を再稼働させるには、地元首長の同意を取り付けるのが慣例だ。
 川内1号機はことし10月、2号機は12月、それぞれ定期検査に入って停止する。
 検査が終わって再稼働という段階で、新知事はどのような判断を下すのか。他
の原発立地地域のみならず日本中が見守っている。
   (7月13日東京新聞朝刊5面「社説」より)

 ついでに原発関連で、嬉しいニュースが飛び込んできました。大津地裁の山本義彦裁判長、やりますねえ。

●高浜原発3・4号機 再び運転認めず 大津地裁
*NHK 7月12日 15時39分
 福井県にある高浜原子力発電所の3号機と4号機について、大津地方裁判所は「関西電力の説明では、原発の新規制基準が致命的な事故を避けるための対策として十分とは言えず、新規制基準で許可を受けたこと自体で安全性が確保されたとみることはできない」として、ことし3月に運転停止を命じた仮処分の決定に続いて、再び運転を認めない判断をしました。これにより高浜原発3・4号機は再稼働できない状態が続くことになります。
 福井県にある高浜原発3号機と4号機について、大津地方裁判所はことし3月、稼働中の原発では初めて運転の停止を命じる仮処分の決定を出しました。これに対し、関西電力は決定の取り消しを求めて異議を申し立て、大津地裁の同じ裁判長が改めて関西電力と運転停止を求めた住民の双方から意見を聞く手続きを行いました。
 12日の決定で、山本善彦裁判長は「災害のたびに『想定を超える災害だった』と繰り返されてきた過ちに真摯(しんし)に向き合うならば、致命的な事故を避けるための対策を講じることが必要だが、関西電力が説明した程度では、原発の新規制基準がこのような対策として十分とは言えない」と指摘しました。そのうえで、「福島の原発事故の原因に関する説明も不足しており、新規制基準で許可を受けたこと自体で安全性が確保されたとみることはできない」として、関西電力の申し立てを退け、3月の決定に続いて再び運転を認めない判断をしました。
 これで高浜原発3・4号機は再稼働できない状態が続くことになり、関西電力は今の状態が長期化する可能性があるとして、来月から核燃料を取り出す作業を行うことにしています。
 関西電力は決定を不服として、大阪高等裁判所に抗告する方針です。

〔関西電力 承服できるものではない〕
 異議の申し立てが退けられたことについて、関西電力は「当社の主張をご理解いただけず誠に遺憾であると考えており、到底、承服できるものではありません」というコメントを発表しました。そのうえで、関西電力は「速やかに不服申し立ての手続きを行い、早期に仮処分命令を取り消していただくよう、高浜原発3・4号機の安全性の主張・立証に全力を尽くします」としています。
〔今後の手続き〕
 関西電力の異議申し立てが退けられたことで、高浜原発は再稼働できない状態が続きます。
 仮処分の手続きは、正式な裁判をしていると時間がかかって間に合わない緊急の場合などに使われるもので、決定が出ると、ただちに効力が生じます。ことし3月の決定で高浜原発は運転を停止しなければならなくなり、今回、異議の申し立ても退けられたため、再稼働できない状態が続きます。
 関西電力が抗告すると大阪高等裁判所で改めて審理されますが、判断が覆らないかぎり、運転停止の効力は続きます。今後、大阪高裁が出す決定に対して、どちらかに不服がある場合、最高裁判所に抗告することができます。
 仮処分の決定は正式な裁判で結論が示されるまでの暫定的なものとされていて、今後の判断によっては、さらに裁判で争われる可能性もあります。

 参議院選挙で嬉しかったのは、沖縄と福島の1人区で、いずれも野党統一候補が現職大臣を破って当選したことです。さらに32の1人区で11人勝ちました。統一候補が立てられなかったら、惨敗だったでしょう。
 そして楽しみなのは、東京都知事選挙です。野党統一候補の鳥越俊太郎さんに対して、保守系2人の構図が出来上がりました。負けられませんね。