後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔155〕なぜか「五つの赤い風船」の藤原秀子(フー子)さんの声が聴きたくなったのです。

2017年09月16日 | 語り・演劇・音楽
  団塊世代の私にとっての音楽はビートルズ・フォークソング・グループサウンズといったものでした。とりわけ70年前後のフォークソングは、懐かしのメロディーということになります。私がLP盤を持っていた歌い手としてざっと思い出せるのは、五つの赤い風船・岡林信康・吉田拓郎・井上陽水・小椋佳・中島みゆき・松山千春・長渕剛・さだまさし・赤い鳥などです。特にその中でも五つの赤い風船と岡林信康はお気に入りで繰り返しレコードに針を落としていました。
  2,3年前にプレーヤーを買い換えて、LPを掃除しながら時たま聴いているのが五つの赤い風船(2枚)です。どれもこれも名曲ばかりですが、ここでは第一集だけ紹介しましょう。
 「遠い世界に」は日本の国歌にしても良いと今でも思っています。

●五つの赤い風船(第一集)
1. 遠い世界に
2. 遠い空の彼方に
3. 血まみれの鳩
4. もしもボクの背中に羽根が生えていたら
5. 一つのことば
6. 恋は風に乗って
7. まぼろしのつばさと共に
8. 時計
9. 母の生まれた街
10. まるで洪水のように
11. 青い空の彼方から
12. おとぎ話を聞きたいの


 新結成された五つの赤い風船を時折テレビで放送するのですが、何かサウンドが物足りないのです。ボーカルの青木まり子は確かに歌はうまいと思いますが、かつての五つの赤い風船とは何かが違うのです。70年安保時代の風が感じられないとでもいうのでしょうか。それもそのはず、一貫してグループの中心は西岡たかしですが、他のメンバーは随分代わっているのです。

●五つの赤い風船(いつつのあかいふうせん)は、日本のフォーク黎明期に現れたフォークグループ。1967年結成、1972年解散。1979年二度のライブのためだけに再結成。2000年再結成。数多くのヒットを出し、若者に絶大な人気を得た。 現在も全国でコンサートやイベントで活躍中 なお「五つの赤い風船'75」(1975年結成1976年解散)のメンバーやアルバムもこの項目に記しているが、事実上別グループである。(ウィキペディア)


  五つの赤い風船は西岡たかしの作詞・作曲と西岡と藤原秀子のハーモニーでもっていると考えています。とりわけ哀愁を帯びた独特の節回しの藤原のボイスは欠かせません。でもなぜか、彼女はグループから離れるのです。
  調べてみると、彼女がソロ・アルバムを1枚だけ残していることが分かりました。1971年、解散前年のことでした。どうしてもこれを聴きたいと思い、ネットで探したのですが、うまくヒットしませんでした。そこでアマゾンで購入に及んだというわけです。

■ 藤原秀子「私のブルース」
 CD (2015/7/29) レーベル: グリーンウッド・レコーズ 収録時間: 64 分
 五つの赤い風船の紅一点ヴォーカリスト、藤原秀子がURCに残した唯一のソロ・アルバム。その独自の音楽性は、ファンの間でも根強い支持を受けている。ソロ作ではあえて西岡たかしの手から離れ、元ジャックスの木田高介、赤い風船の東祥高のサウンドに身を任せている。五つの赤い風船とはまたひと味違い、彼女のクールな側面が強調されている。まさに隠れた名盤のひとつ。今回は、71年のフォーク・ジャンボリーの音源(未発表曲を含む)や、風船リサイタルのソロ曲など、7曲の貴重な音源をボーナス・トラックとして収録。

〔 曲目リスト〕
1. いつかはこの世も
2. 去りゆくものは
3. お前なんか
4. 別れ
5. 愛ある世界へ
6. 二人で歩けば
7. 私に電話を下さいネ
8. 一番星見つけた
9. 私のブルース
10. 明日に続く道
11. 私の唄
12. 私の大好きな街 (ボーナス・トラック)
13. 遠い世界に (Live) (ボーナス・トラック)
14. そんな気が (Live) (ボーナス・トラック)
15. 時の流れを (Live) (ボーナス・トラック)
16. 青い鳥 (Live) (ボーナス・トラック)
17. どこかの星に伝えて下さい (Live) (ボーナス・トラック)
18. 一番星見つけた (Live) (ボーナス・トラック)

  「今までの私の唄はわりと沈みがちな唄が多かったと思う。それと同時に私の心も沈んで行くような気がして…。それでこのLPでは、今までなかった明るい面をみなさんに知ってほしくて(また私の心をはらすためにもと思って)私なりに明るい唄をつくりたかったんです。」とCDにコメントを残しているのですが、全編を通して聴いてみると、彼女の短調的な色調は変わらないという印象でした。おそらくそれが何物にも代えがたい彼女の魅力であり個性なのでしょう。
 18曲のなかで、五つの赤い風船第二集にある「一番星見つけた」(藤原秀子作詞・作曲)が秀逸でした。さらに未発表の「青い鳥」(作詞・作曲者不詳)は完成度も高く、心がしびれました。でもこれは西岡が関わっていると音楽素人の私は大胆にも断定してしまうのです。

  武本比登志という方のブログに次のような記述を発見しました。かつては音楽を志し、現在は美術家であるそうです。
 〔フー子ちゃんは「あの頃の関西フォークは左翼思想の人たちのもので、私には戦争がどうのこうのは歌えない。」と言う話をしだした。それが『五つの赤い風船』を抜けた理由と言いたかったのだろう。〕
  さらにブログは次のように続いています。東祥高氏とは元・五つの赤い風船のメンバーで彼女のお連れ合いになります。お子さんが2人いたということですが。
 〔東祥高氏は2012年10月3日に。フー子ちゃん(東秀子)はその1年後、2013年11月29日に亡くなっていた。〕

 藤原秀子さんは大阪の藤原紡績のご令嬢だったということをどこかで読んだ記憶があります。庭にはプールもあったとか。そんな彼女がなぜフォークソングだったのか、そして、多くの人を虜にできたのか、興味は尽きません。
 このあたりの事情については次の本に書いてあるのでしょうか。
 久しぶりに五つの赤い風船を聴いて青春がよみがえりました。

■『五つの赤い風船とフォークの時代』なぎら 健壱、アイノア、269ページ、2012/7
〔「BOOK」データベースより〕
 西岡少年がギターを手にして55年。五つの赤い風船結成から45年。日本のフォーク黎明期から終焉まで、著者自身の持つ膨大な資料と西岡たかしなどへの数回に渡るロングインタビューにより解き明かされる。日本フォーク史の決定版。未発表写真も掲載。

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