下剋上からの脱却とは、「君足らざれば、臣、臣たらず」から「君、君足らずとも、臣、臣たれ」に!!
NHKの大河ドラマ「女城主 直虎」の最終回が放送された。(2017年12月17日) この全編に流れるテーマは、武士の戦いの中にあって、平和を希求する直虎の心の戦いであろう。そして、その心は、育てた直政を通じて、徳川家康の長期の安定政権へ引き継がれるという設定である。
徳川家康は、江戸の住む安くするための水路を廻らし、船を内陸へ付けさせという流通の要をつくり、江戸を大改革した。そういった、環境・条件を変え、住みやすい土地柄に変えただけではない、人そのものの「精神」を変えさせたのである。
戦乱の世の中、人が人を策略や戦い等によって、土地を奪い合い、その中で生まれた「君、君足らざれば、臣、臣たらず」<下剋上>という考え方が生まれたが、豊臣を滅びした今にあっては、新しい考え方が必要と家康は痛切に感じた。そこで、家康は、朱子学を奨励した。朱子学の基本は、「君臣の大義名分」であり、それは「君、君足らずとも、臣、臣たれ」という、主人が主人らしくなくとも部下は部下の責任を果たさなければならないという思想である。これが、後の武士道の精神ともなった。
「水は方円の器に従う」ということばがある。水は、丸いときはまるいなりに、四角張ったときは四角に、それなりに外の環境条件に従うのである。そして、家康は、新しい環境・条件の中で生きる「人の考え方」そのものをも変えさせたのである。そうでなければ、江戸の安定が260年も続くことはなかったであろう。
このドラマは、直虎自体があまり知られていないところがあって、その分創作できる部分が多くある。例えば、家康が明智光秀の謀反を知っていたにもかかわらず、織田信長の誘いに応じるという設定である。確かに、本能寺の変については、謎が多く、そのような説もあり、そのように直虎で描かれていても不思議ではないのであるが・・・。
いずれにしても、女城主 直虎は、徳川家康の「戦いはイヤ」という心を「見抜き」、この人ならと晩年は家康の支援に回るという設定であった。平和の世の中を築く戦いを最後までしたのである。その精神は、井伊の谷の小さな井戸から、直虎・直政と受け継ぎ、家康がその精神を日本中津々浦々まで浸透させたものであろう。
会社の仕える者としては、これをどう捉えるのか。まさか、君たらずとも殺しはしないだろうが、いずれ独立して見返してやるというのか、そういう覚悟がなければ、臣たれで、部下の責任を果たし、会社を支えるのか。どちらにすればいいのかの結論は、与えられた条件にもよるだろうし、チャンスをどうとらえるかにもかかっているが、どちらを取るにしても、相当の‘覚悟’(独立よりも臣たれは相当の覚悟を必要とするものと私のつたない人生では考える。)を必要とすることは言うまでもない。
参考;童門冬二 武蔵 p151~
NHKの大河ドラマ「女城主 直虎」の最終回が放送された。(2017年12月17日) この全編に流れるテーマは、武士の戦いの中にあって、平和を希求する直虎の心の戦いであろう。そして、その心は、育てた直政を通じて、徳川家康の長期の安定政権へ引き継がれるという設定である。
徳川家康は、江戸の住む安くするための水路を廻らし、船を内陸へ付けさせという流通の要をつくり、江戸を大改革した。そういった、環境・条件を変え、住みやすい土地柄に変えただけではない、人そのものの「精神」を変えさせたのである。
戦乱の世の中、人が人を策略や戦い等によって、土地を奪い合い、その中で生まれた「君、君足らざれば、臣、臣たらず」<下剋上>という考え方が生まれたが、豊臣を滅びした今にあっては、新しい考え方が必要と家康は痛切に感じた。そこで、家康は、朱子学を奨励した。朱子学の基本は、「君臣の大義名分」であり、それは「君、君足らずとも、臣、臣たれ」という、主人が主人らしくなくとも部下は部下の責任を果たさなければならないという思想である。これが、後の武士道の精神ともなった。
「水は方円の器に従う」ということばがある。水は、丸いときはまるいなりに、四角張ったときは四角に、それなりに外の環境条件に従うのである。そして、家康は、新しい環境・条件の中で生きる「人の考え方」そのものをも変えさせたのである。そうでなければ、江戸の安定が260年も続くことはなかったであろう。
このドラマは、直虎自体があまり知られていないところがあって、その分創作できる部分が多くある。例えば、家康が明智光秀の謀反を知っていたにもかかわらず、織田信長の誘いに応じるという設定である。確かに、本能寺の変については、謎が多く、そのような説もあり、そのように直虎で描かれていても不思議ではないのであるが・・・。
いずれにしても、女城主 直虎は、徳川家康の「戦いはイヤ」という心を「見抜き」、この人ならと晩年は家康の支援に回るという設定であった。平和の世の中を築く戦いを最後までしたのである。その精神は、井伊の谷の小さな井戸から、直虎・直政と受け継ぎ、家康がその精神を日本中津々浦々まで浸透させたものであろう。
会社の仕える者としては、これをどう捉えるのか。まさか、君たらずとも殺しはしないだろうが、いずれ独立して見返してやるというのか、そういう覚悟がなければ、臣たれで、部下の責任を果たし、会社を支えるのか。どちらにすればいいのかの結論は、与えられた条件にもよるだろうし、チャンスをどうとらえるかにもかかっているが、どちらを取るにしても、相当の‘覚悟’(独立よりも臣たれは相当の覚悟を必要とするものと私のつたない人生では考える。)を必要とすることは言うまでもない。
参考;童門冬二 武蔵 p151~