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最後の闘いー田中正造の臨終を想う

2023-06-11 10:53:28 | 日記
田中正造は幕末期に栃木の佐野の名主の家に生まれ領主との争いで捕まったり明治に入ると東北の江刺県で殺人の嫌疑がかかり投獄されたり多難な青年期をおくりました。
地元の佐野に戻ると自由民権運動が盛んな時期で人権思想に芽生え栃木県議会議員を皮切りに県会議長まで務め国会が設立されると国会議員にまでなりました。
ちょうど国会議員になる田中正造が50歳なるころに地元で足尾鉱毒事件が起こります。
田中正造は被害民の立場に立って足尾鉱毒事件を国会で追及します。
当時の鉱山開発は国策事業ですから明治政府はなかなか動きません。
足尾鉱山に明治政府の利権構造もからみ渡良瀬川流域の鉱毒被害民の苦しみは増大します。
田中正造は動きの鈍い明治政府に国会議員を辞職して明治天皇に直訴におよびます。
明治政府も重い腰を少し上げ鉱山開発のもとに手を付けず鉱毒で汚染された渡良瀬川流域の治水事業に目をそらせます。
それが渡良瀬貯水池の谷中村廃村です。そして田中正造は最後の闘いとして谷中村に入ります。
そこが田中正造の臨終の場所。最期まで被害民のために闘った田中正造の臨終の姿です。
田中正造に親近感を感じる今日この頃です。
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