勝海舟は慶応3年12月23日に上司である海軍総裁稲葉正巳に「憤言一書」を提出して退職を願い出ています。慶応3年は1867年、この翌年正月早々には鳥羽伏見の戦いを始めに戊辰戦争がはじまります。徳川家にとっても勝海舟にとっても最も苦しい立場に置かれた時、勝海舟は力強く日本のあるべき姿を上司にぶつけます。常に周りを気にせず正論をぶつける勝海舟は退職願を出して退いたはずの立場から、大坂から逃げ帰った徳川慶喜から徳川家の後始末を頼まれます。それは日本のあるべき姿、庶民を第一に考え厳しい立場に立たされながらも動きます。この勝海舟の生き方を学びながら活動を続けていきたいと思います。
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