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病気になっても病人にならないー勝海舟、いい覚悟で生きる

2015-10-11 13:04:58 | 日記
「さて、おれが咸臨丸に乗つて、いよいよ江戸を出帆せうといふ場合になると、幕府ではなかなかやかましい議論があつて容易に承知しない。そこでおれも、勝麟太郎が自ら教育した門生を率ゐて、亜米利加へ行くのは、日本海軍の名誉である、と主張して、たうとう万延元年の正月に、江戸を出帆することになつたのだ。
 ちやうどその頃、おれは熱病を煩つて居たけれども、畳の上で犬死をするよりは、同じくなら軍艦の中で死ぬるがましだと思つたから、頭痛でうんうん言つて居るをも構はず、かねて通知しておいた出帆期日も迫つたから、妻にはちよつと品川まで船を見に行くといひ残して、向ふ鉢巻で直ぐ咸臨丸へ乗りこんだよ。それから横浜へ行つて石炭を積み、いよいよ東へ向つて日本の地を離れたのだ。この咸臨丸といふのは、長さが三十間ばかりの極めて小さい船だつたよ。トン数はは今ちよつと忘れたが、乗組員は上下合わせて百余名もあつただらうよ。およそこの頃遠洋航海をするには、石炭は焚かないで、帆ばかりでやるのだから、咸臨丸も幾たびか風波に難船しかかつrたけれども、乗組員いずれもかねて覚悟の上の事ではあり、かつは血気盛りのものばかりだつたから左程心配かつた。おれの病気もまた熱のために吐血したこともたびたびあつたけれど、ちつとも気にかけないでおいたら、桑港(サンフランシスコ)へ着く頃には、自然に全快してしまつた」(勝海舟「氷川清話」より)

がん哲学外来の開設者である順天堂大学医学部教授の樋野興夫先生は、がん患者さんに「病気であっても、病人にならないと」と言われ、がんに罹ったことをきっかけに、これからどう生きるのか、死ぬまで何をなすべきか真剣に考える機会が与えられ「いい覚悟で生きる」と言われます。(「いい覚悟で生きる」<小学館>より)正に勝海舟の生き方は、病気であっても病人にならず、いい覚悟で生きた人物といえるでしょう。
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