1868年慶応4年(明治元年)の今頃は最後の将軍徳川慶喜が鳥羽伏見の敗戦で江戸に逃げ帰り上野寛永寺で謹慎をはじめた時期です。江戸の街は官軍が攻めてくると大騒ぎ。徳川慶喜から後始末を頼まれた勝海舟は敵である官軍の交渉もさることながら味方の幕府軍も抗戦派と恭順派に分かれまとまりません。こんな厳しい中で勝海舟は己を窮地に追い込みながらも和平を画策し身を捨てて事に臨みます。捨て身の策こそ最善の策と江戸庶民の平安を第一に奔走します。この姿勢こそが困難を乗り越える術なのではないでしょうか。コロナ渦中で今求められている姿勢こそ勝海舟の姿勢でしょう。
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