都電荒川線に乗って終点の三ノ輪橋で降りてちょっと歴史散歩してきました。
まずは隣駅の南千住近くにある小塚原回向院。この辺は江戸時代、死刑が執行された刑場で、その遺体を埋葬してきました。安政の大獄で処刑された吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎や2・26事件の磯部浅一の墓もあります。常磐線の線路をはさんで延命地蔵がありますが、昨年の東日本大震災で破損してしまったようです。
歩いて三ノ輪に戻って浄閑寺、別名、投げ込み寺。安政2年の大地震で新吉原の遊女が投げ込み同然で葬られたことによるそうで新吉原総霊塔があります。「生まれては苦界、死しては浄閑寺」。さて三ノ輪から土手通りをスカイツリーが見える方向江歩くと吉原大門。ここの交差点を右折して仲之町通りへ、蝶ネクタイのお兄さんが客引きしているのを横目に見て吉原神社へ。吉原神社のはす前に吉原弁財天。明暦の大火で日本橋の吉原遊郭がこの地に移され以来300年続いたそうです。池畔に遊女達の信仰をあつめて吉原弁財天があるそうですが、関東大震災の時に遊女が逃げないように吉原大門が閉められ逃げ場を失った遊女達が池に飛び込んで多くの死体があがったそうです。その写真を持っている親切なお爺さんが写真を見せてくれながら、いろいろ教えてくれました。いつの時代も弱い立場にいる人々は世の片隅に葬り去られる歴史を江戸の片隅を散歩しながら学びました。