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仁淀川日記

土佐を流れる清流・仁淀川や、高知の自然、身の回りのできごと、日常の風景を写真で紹介

カンガルー

2006-07-12 20:25:28 | 旅と出会い
オーストラリアの動物と言えばコアラとカンガルーがあげられます。野生のコアラを見つけることは困難だそうですが、カンガルーは沢山いるようです。
キャンベラでも早朝には、食料(草)を求めて民家の庭に出てくるという話を聞きました。


(遊歩道の入り口には、犬に紐を付けないと罰金150ドルの警告)

この日(6月15日)の朝は冷え込み(氷点下5度)、10時過ぎにホテルの近くの小山(エインズリー山)にキャンベラの町を見下ろしてみようと登ったときは、吐く息は白く、手袋が欲しいほどでした。これまではずっと、朝から快晴の日が続いていましたが、この日は桐がかかり、ぼんやりとした天気でしたのでよけいに寒かったのかも知れません。


ホテルから歩いて5分ほどのところに登山道があり、意外に広い道が続いていました。この山はあまり高くなく、地元の人たちの散歩道にもなっています。途中から狭い山道になりますが、それに交わるようにサイクリング用の道路も整備されており、ゆっくりと登ることができます。


その途中で、目の前を3頭のカンガルーが横切りました。最初は何かわからなかったのですが、ぴょんぴょんと跳んでいきましたので「カンガルーだ!」と叫んでしまいました。しかし、あっという間に林の中に消えてしまいました。
写真を撮る暇も無く、残念に思いながら飛び出してきた方を見てみると、イマシタ!
数頭が冬枯れた草を食べています。そしてよく見るとあちらにも、こちらにも、およそ10頭ほどの群れが食事中です。


震える手にカメラを構えて少しずつ近づいていきましたが、気配を感じて立ち上がり、こちらをじっと見ています。そして耳は前と後ろと、片方ずつ向いています。こちらが動かないとわかるとまた、草を食べ始めます。そしてまた、我々が近づくと立ち上がって警戒の姿勢を取ります。


およそ5分ほど、お互いが許容できる距離を保ちながら観察しましたが、野生のカンガルーをこれだけ近くで見ることができたのは感激でした。


その後、少しだけ高いところまで足を延ばしてから下山しましたが、少し離れた場所でまた、彼らを見つけました。


今度はもう少し近寄ってみようとしましたが、そのうちの1頭が突然、こちらに向けて跳んできました。カンガルーのキックボクシングは知っていましたので、さすがにこれは危ないと大急ぎで退却しました。やはり許容できる距離はあるようです。

戦争

2006-07-01 16:02:38 | 旅と出会い
キャンベラでオーストラリア戦争記念館を見てきました。宿泊したホテルから歩いて10分くらいのところにあり、キャンベラに着いた日に行ってきました。


キャンベラではほとんどの施設(国立、公立)が入場無料です。この日(6月12日)は「クイーンズバースデイ」という祝日で、多くの人で賑わっていました。
歩道を歩いていくと、快晴の空が眩しく、木々の紅葉も未だ残っており、なんとも清々しい気持ちになります。




そんな気持ちで館内に入りましたが、順路に沿って展示を見ていくうちに、改めて戦争という事実に直面しました。ご存じのようにオーストラリアは軍隊を持っており、イギリスと深い関係があります。このため、イギリスが参戦した全ての戦争にオーストラリアも参加しています。




展示は広範囲に渡っていますが、主として第二次世界大戦の資料が豊富にあります。その中には日本やイタリア、ドイツの資料も分け隔て無く展示されています。
見学している人はご地元の方や欧米人が多いように思いましたが、日本の資料(大日本帝国軍)の前に立つと、やはり日本人であることを意識してしまう自分がいました。




歴史的な資料とともに大きなスペースを取っているのが、航空機やタンク(戦車)、特殊潜行艇、軍用車両などの実物展示です。日本の”零戦”や、シドニー湾に侵攻した特殊潜行艇も展示されていて、驚きました。


日本では戦時中、勲章をもらった人を英雄視したことがあったと思うのですが、戦後は軍隊の放棄と言うことから表から消えてしまいました。しかし、ここオーストラリアでは戦功のあった、勲章をもらった英雄が沢山、掲示されています。いまでもイラクなどに派兵されていることを思えば、国のため(?)、世界の平和のために戦っている兵士を称えるのは当然かも知れません。




圧倒されるほどの資料や展示を見て最後のコーナーにはいると、そこは終戦(第二次世界大戦)を喜び、平和を喜ぶ人たちの展示スペースでした。写真や絵画などで終戦を喜ぶ人たちの模様が描かれており、日本の国旗にも英語で終戦の喜びや、捕虜になったものの、温かく接してくれたことへの感謝の言葉が書かれたりしています。
ここに来てこれらを見ているうちに、私の身体の中に熱いものがこみ上げてきました。誰もが戦争には反対するのですが、その恐ろしさを知らないまま過ごしてきたのに、戦争が終わったことにたいしての喜びの表現は絶対的に理解できたのでした。




キャンベラではいくつかの施設を回りましたが、どこにも次の世代を担う子どもたちがいました。そしてその横には両親がおり、祖父母がおり、また、引率の先生がいました。オーストラリアの歴史、そして悲惨な戦争と平和を具体的に教えていく、これが一番の教育ではないだろうかと思いました。
海外にはすばらしい美術館が多くあり、それを見ることを目的とする人もいます。でも、今回の旅行でこの戦争記念館を見ることができたことは、私にとっては美術品を見るよりもっと有意義な時間となりました。


シドニーの印象

2006-06-21 23:44:17 | 旅と出会い
初めて南半球に足をおろしたのがシドニーですが、あいにくの雨になりました。
季節が北半球とは逆になるこの時期、雨は少ないと聞いていたのですが、地元の人にとっては恵みの雨のようです。







シドニーと言えばやはりオペラハウスですね。今回は色々な角度からオペラハウスを眺めましたが、とにかくユニークな形をしています。屋根の形は帆であるとか、貝殻であるとか言われていますが、何でも感じたとおりでよいそうです。その屋根ですが、二つの色のタイルを組み合わせてできています。



ところで、外国であるのに街に出てあまり違和感を覚えませんでした。その理由を考えると、車が左側通行で、かつ日本車が非常に多いためと思いました。でも、タクシーは大きな看板を頭上に掲げているし、セダンタイプだけでなくバン形のものも多く走っています。そして水の町シドニーならではかも知れませんが、海上タクシーも活躍していました。



オーストラリアは新しい国と言われますが、歴史的な建造物も多く残っていました。その一つ、聖メリーズ教会を見学しました。ステンドガラスが美しいと言うことでしたが、この日は日曜日のミサが行われており、大勢の信者さんが祈っていました。祭壇では司祭が賛美歌を歌いながら説教をしていました。その声は高い天井に響き渡り、教徒でない私にも感動を与えてくれました。






ホテルにチェックインしたのち、夕方近くに街に出てみました。市庁舎も見学できるとのことで階段を上がってみましたが、中ではなにやら会議が行われています。のぞき込んでいると警備の人に「Political meeting」と言われてしまいました。
そのうち、黄金の光りが真横から差し込み、あたりのビルを赤く染めました。高い山が無く、空気も澄んでいるためか、太陽の光が横から降ってくるのも感動でした。

CANBERRA

2006-06-14 14:22:51 | 旅と出会い
Now I am in canberra and writing from the PC in national libraly of Australia.



to kaita monono mazushii eigoryoku deha murina hanashide, kokokara ha Romaji ni shimasu. Nihongo no fonto ha yomeru no-desuga kaku kotoga dekimasen. konotame kon-na bun ni natte shimaimasu.

12nichi ni Canberra ni tuki, sassokuno keiko de shiataga, saisyokara anpu de hurituke wo siji saremashira. ikura dokyou to-ha ie, anpu ha turaidesu.
kuchi-paku de tyousen shimasitaga, Nihon no gassyoudan ha huri wo syutai ni to iu-kotode, tekitou ni gomakashite imasu.

kyou ha nihon taishi-koutei de tyusyokukai wo hiraite itadakimashita. Hiruma-kara oishii saynpan to wain wo itadaite gokigendesu.

kochira ga huyu to iu-kotoha shitte imashitaga, asa ha -5c desu. demo hiruma ha atatakaku, sora-ha kaisei, kin-youbi no honban ni mukete ganbarimasu,

deha..... by

ローマ字もだいぶ酷かったので修正しました・・・・

成田

2006-06-10 19:49:43 | 旅と出会い
今日からオーストラリアに行ってきます。
いの町名誉町民であった平井康三郎先生の孫である平井秀明マエストロによる日豪交流年記念行事であるオペラかぐや姫の合唱団に参加します。


(シドニー行き:QF22便)

まもなく出発です。では・・

大雨による運休

2006-02-27 16:35:55 | 旅と出会い
土曜、日曜と大阪に行ってきました。


(ユキヤナギ)


今回は久し振りにJRを使いましたが、岡山での連絡も良くなり、およそ3時間半で到着します。
もっとも、高知~岡山間が2時間半、乗り換えが15分、岡山~大阪間が約40分ですので、ほとんどが土讃線に乗っている時間になります。



行きは時間通りで問題なく到着したのですが、帰りはトラブルに巻き込まれました。
日曜日(26日)の朝、繁藤駅の雨量計が規制値を超えたと言うことで4時間ほど、土讃線の運転が取りやめ(運休)となりました。
そのため、新幹線に乗ってから車内放送で、岡山発の南風は運休、多度津から臨時特急が出るので、そこまでは普通列車で行けとのこと。


(ツルニチニチソウ)


大勢のお客さんがその指示に従って移動したため、当然のことながら大混雑。私たちも結局、座れないまま坂出、多度津と移動しました。
さて、多度津駅では特急列車が待機していましたが、問題は特急券の取り扱いです。



岡山~多度津間は普通列車で移動したのに、その間に関して何の処置も取られませんでした。岡山~高知間と、多度津~高知間では当然、特急料金は違います。



ちょっと納得がいかないまま、改札をでました・・・・

臨時急行「ひめかみ」

2006-01-19 18:26:27 | 旅と出会い
探し物をしていて、目的とは別の懐かしい品物を見つけ出し
ました。
昭和36年(1961年)から登場した旧・国鉄時代の列車
愛称板と種別板です。



少し錆が出ていますが、いずれもホーロー仕上げの立派な
もので、昭和48年頃に東北旅行に行ったときに買ったもの
です。
この当時は特急列車は少なく、ほとんどが急行列車と準急
列車でした。



昭和39年(1964年)の時刻表(交通公社刊・復刻版)
によると、臨時急行「ひめかみ」季節列車で、上野と盛岡の
間を走っていました。
同時刻表では、上野を13:30に出発し、盛岡には23:10
に到着(下り・1033)します。



また、急行「陸中」は、上野を7:40に出発、常磐線を経由
して花巻、釜石を経由、宮古には19:03に到着(同、11D)
することになっています。



「ひめかみ」は昭和36年から47年までの運行でしたが、
「陸中」は何度も経路を変更して生き残り、平成14年まで
その愛称が使われていました。
列車の愛称名も地域に密着したものが沢山、使われていましたが、
最近はほとんどが特急列車に格上げされ、なおかつ「○○2号」
などと番号をふられるようになると旅情も無くなります。



因みに、前述の昭和39年は新幹線開業・東京オリンピックの年
ですが、四国では急行「道後」「浦戸」などが走っていました。

ワンマン列車

2005-12-16 12:17:44 | 旅と出会い
土讃線は一応、特急列車も走る幹線ですが、旅客の少ない時間帯
の普通列車は、1両だけのワンマン列車が多くなっています。
きょうは勤務先の忘年会があって久しぶりに、JRを利用しました。
夕方の無人駅で待っていると特急列車が轟音を立てて通りすぎて
いきます。


(上り「南風24号」54D)

普段は特急停車駅を利用することがほとんどですので、無人駅を
通過する列車の速度には驚きました。
さて、行きは2両編成の古い車両でしたが、帰りは1両のワンマン
列車でした。
行き列車は車掌もおり、なおかつ古いディーゼルカー特有のエンジン
音や振動を楽しみましたが、帰りのワンマンは何か、バスにでも
乗っている感じで、興をそがれました。


(下り「南風13号」43D)

思うに、エンジン音が甲高いこと、ステンレス製の軽い車体で鈍重
感がないこと、それに録音テープによる停車駅などの車内放送が
その要因であろうと思います。
普段に利用している人はどうでもいいのでしょうが、たまに鉄道を
楽しんで利用しようと思っている自分にとってはちょっと残念でした。

八栗ケーブルカー

2005-09-26 19:13:22 | 旅と出会い
高松には、屋島ケーブルカーと八栗ケーブルカーの二つが、
すぐ近くに隣り合ってあります。



屋島はご存じの通り、源平合戦のひとつの舞台となった所
です。
その屋島の東に、岩山をいただいた五剣山があり、その中腹
に昨日紹介した85番札所「八栗寺」と八栗ケーブルカーが
あります。



ここの開業は昭和5年頃とのことですが、戦中の鉄材供出に
よって廃線となっていました。
その後、昭和39年に流線型のモダンな車体で再開業し、
現在もその車両が使われています。
今回、その車両だけでも見たいと思って訪ねたのですが結局、
乗り込んで往復してきました。



このケーブルカーはお遍路さんの足としても利用されており、
なかなか賑わっていました。

讃岐うどん

2005-09-25 23:58:40 | 旅と出会い
四国二期会のオペラ公演(平井秀明氏の指揮、十川稔氏の演出)
を観に、高松に行ってきました。
公演自体は当然ですが、撮影禁止でしたので画像はありませんが、
すばらしい舞台を堪能してきました。



高松には何度か、平井先生の公演に合わせて行っているのですが、
その都度、おいしいうどんを食べることも目的のひとつになっていますが、
今回は牟礼町の山田家という店に行きました。



日曜日で混雑するため11時に予約しましたが、食事を終わって出てみる
ともう、店の前には沢山の人が席の空くのを待っていました。
ゆっくりと食事をされるのなら、早めの来店がお薦めです。



山田家は四国霊場第85番札所、八栗寺のすぐ近くです。レトロなケーブル
カーが境内近くまで運行されており、こちらも食後の腹ごなしにお薦め
です。