大麻(おおあさ)団地の開発事業とほぼ同時期、38年4月、雇用促進事業団による炭鉱離職者住宅の建設が始まりました。
同住宅は、エネルギー革命(石炭から石油への転換)により炭鉱を離れざるをえない人々の、第2の人生設計のためでした。
すなわち、石炭産業の合理化により多くの炭鉱離職者がうまれましたが、これらの人々の再就職や住宅の確保が労政上の課題となりました。
そこで、国は、雇用促進事業団により全国各地に当該の住宅建設を計画、38年度は全国で8,300戸、うち道内に600戸を建設することになりました。
道内600戸の内訳は、江別520戸、苫小牧80戸、その大半が江別建設となったのは、離職者の再就職の場となるであろう、札幌市に隣接した立地条件が大きな因とされます。
場所は、野幌駅の南側、歩いて約10分ほどの東野幌の一画、約7千坪の敷地に鉄筋コンクリート4階建アパート13棟(1棟40戸)が建設されることになりました。
建設費は、約5億8千万円でした。これは、全額国庫負担ですが、約2,500人の人口増と、それに伴う児童生徒数約750人の新たな転入は、小学校の新設、中学校の増築など、大麻(おおあさ)団地に比し規模的には劣るとはいえ、市財政の負担増も見込まれました。
39年春には、入居者も一気に増え(4月現在254戸入居)、そのため道路の改良、街路灯の設置など、地域課題として環境整備が急浮上しました。
例えば、同4月19日の住民有志と市議会議員らとの懇談会では、(1)新設された東野幌小学校の教員増加や施設、グランドなどの充実、(2) 団地から野幌町に出るまでの悪路の改修、(3)街路灯の新設、(4)地番改正、など多くの要望が出されました。
この炭鉱離職者住宅に隣接する上江別に建設中の北海鋼機株式会社の社員住宅350戸も、39-40年の2カ年計画でたてられることになりました。
こうした大麻(おおあさ)団地、炭鉱離職者住宅、北海鋼機株式会社社員住宅と続く大規模な宅地開発は、これまでの田園地帯が急激に都市化へ向かう前駆兆候といえます。
それらの地区には、学校が建ち、公園が造られ、商店街の形成なども進みました。
まさに、地殻変動を目にするような光景の展開となったのです。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」259-260頁.
写真:東野幌の炭鉱離職者住宅(昭和38年12月)
同上書259頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。