江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

アイヌのチャシ跡

2010年02月28日 | 歴史・文化
 道内には、アイヌ語で「柵」、「囲い」、「砦」を意味するチャシの跡(チャシコツ)が、主要河川の流域を中心に500カ所を超えるまで確認されています。この中には、10世紀頃の擦文時代にまで遡るものや中世の所産と考えられるものもありますが、その多くはシャクシャイの戦いに前後する17世紀頃に造られたものと推定されます。

 チャシ跡は、石狩川流域では支流を含めると40カ所以上が知られ、江別市内でも旧豊平川河畔の段丘上に2カ所確認(1カ所は消失)されています。
 河野広道は、チャシ跡を(1)岬や丘の異端を弧状の溝でもって区切った丘先式、(2)崖に面する台地の一部に半円状または四角形の溝を巡らした面崖式、(3)小丘の頂部に円形を周溝を巡らせた丘頂式、(4)湖中や湿地中に孤立している丘や島に立地する弧島式、に分類しています。江別チャシは、両方とも丘先式に相当します。

 チャシについては、祭場、談合場、漁撈、狩猟の見張り場などの機能も指摘されています。
 江別のチャシも寛文年間のアイヌの勢力間、あるいは和人との抗争の際に構築された可能性がありますが、それを裏付ける具体的な史料はまだ発見されていません。また、チャシを造ったアイヌの人々のコタン(集落)の場所も見つかっていません。
 近世アイヌの遺構としては、チャシの他では元江別1遺跡で漆器や直刀等が副葬された伸展葬と思われる墓が一基見つかっているだけです。
 この時代の江別のアイヌの状況は殆ど解明されていません。

(参考)
当ブログ2010年 2月27日(土)「ハウカセと石狩アイヌ」
当ブログ2010年 2月25日(木)「シャクシャインの戦い」
当ブログ2010年 2月24日(水)「商場知行制の成立」
当ブログ2010年 2月21日(日)「徳川家康黒印状」
当ブログ2010年 2月20日(土)「和人地の成立」
当ブログ2010年 2月16日(火)「アイヌ文化の成立」
当ブログ2008年10月 1日(水)「北海道三権分立制廃止」
当ブログ2008年 8月12日(火)「北海道の成り立ち」
当ブログ2008年 7月15日(火)「北海道三県一局の成立」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 6日(金)「アイヌの遺構江別チャシ」
当ブログ2008年 6月 5日(木)「アイヌ文化期のツイシカリ」

註:江別市総務部『新江別市史」62-65頁.
写真:江別チャシ
 同上書「図2-1江別チャシ」を複写掲載いたしております。
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ハウカセと石狩アイヌ

2010年02月27日 | 歴史・文化
 シャクシャインの戦いに際して、石狩アイヌの惣大将ハウカセは、中立を堅持していました。

 注目されるのは、このハウカセが松前藩に対し一貫して強硬姿勢を貫いている点です。
 シャクシャインが蜂起する直前の寛文9年2月、松前藩は藩の交易品の大幅値上げを承諾しなければ交易を途絶するとハウカセを脅迫しました。
 これに対して、ハウカセは、次ぎのように一蹴しました。

 松前殿は、松前の殿、我らは石狩の大将に候得は、松前殿に講可✓申様も無✓之候。又は、松前殿も此方え構申義も成間敷候。商船此方え御越可✓被✓成間敷にも別て構無(ニ)御座(一)候。
 惣て昔より蝦夷は米 酒不✓被✓下候。魚、鹿計被✓下、鹿の川を身に着、たすかり申ものに御座候。商船御越被✓成候義も御無用の由申、通路の者返し申候由。其上商船御越被✓成候はゝ、一人も通し申間銿候由と、物語仕候事。(『津軽一統志』)巻第十)

 我々は、昔から米も酒も食しないから、松前藩の商船は来なくても結構というのです。さらに、ハウカセは、翌10年6月、余市付近まで潜入した津軽藩隠密船に「我々先祖は高岡え参商仕候。松前殿御仕形は、唯今の様子に御座候はゝ、隠忍候ても高岡え参、能米と商仕たく由申候」(前掲書)と、津軽藩の城下高岡(現在の弘前市)での交易を申し入れています。
 ハウカセの希望が実現したかどうかは不明ですが、こうした動き自体が松前藩の存立基盤に関わることだったのです。

 シャクシャインの戦いを鎮圧した松前藩は、仕置(しおき)のために寛文12年までの間、余市・白老・国縫うに出兵し、各地のアイヌ勢力の大将層から、藩主に服従すること、金堀りや鷹侍の活動を妨害しないこと、松前藩以外の藩との交易をしないこと、米一俵=皮5枚または千鮭5束の比率で交換することなどを誓約する起請文を提出させました。
 余市まで侵攻した松前藩は、起請文を取っただけで引き返し、石狩までは進まなかったため、ハウカセ勢力との軍事衝突には至りませんでした。その後のハウカセの消息については、全く史料に残されていません。
 
 シャクシャインの戦いの後、松前藩は、蝦夷地への金属製利器流入と和人の往来を一層厳しく制限しました。
 こうして松前藩の蝦夷地隔離政策は、功を奏し、他藩との流通を断ち切られた惣大将勢力は解体され、商場知行制は蝦夷地に拡大していくことになりました。

(参考)
当ブログ2010年 2月25日(木)「シャクシャインの戦い」
当ブログ2010年 2月24日(水)「商場知行制の成立」
当ブログ2010年 2月21日(日)「徳川家康黒印状」
当ブログ2010年 2月20日(土)「和人地の成立」
当ブログ2010年 2月16日(火)「アイヌ文化の成立」
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当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 6日(金)「アイヌの遺構江別チャシ」
当ブログ2008年 6月 5日(木)「アイヌ文化期のツイシカリ」

註:江別市総務部「新江別市史」63-64頁.
写真:江別発祥の地「対雁番屋・駅逓所」があった旧豊平川河口左岸付近撮影(2006年)
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マイナビ就職セミナー2011開催のご案内!

2010年02月26日 | 労働・雇用
 このたび、マイナビ就職セミナー2011開催のご案内をいたします!

 マイナビ就職セミナーでは、2011年3月卒業予定者対象として面接対策や就職活動の基礎の確認講座等が設けられています。
 なお、受付票は、下記URLから入手可能です。

 マイナビ就職セミナーの日程については、下記のとおりです。
1.日時  2010年3月3日(水)11:00-16:00
2.場所  ロイトン札幌
3.対象  2011年3月卒業予定者内容  
4.内容  (1)一刀両断!面接徹底対策 10:30-11:00
(2)3月からの就職活動   15:00-15:30
      (3)その他、スタンプラリーやプレゼント等も用意されています。

 マイナビ就職セミナーについて、参加企業については、下記をご覧ください。
http://job.mynavi.jp/conts2/seminar2011/hokkaido/p1/173

写真:2010年2月札幌雪まつり模様(北の家族)
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シャクシャインの戦い

2010年02月25日 | 歴史・文化
 商場知行制の確立によって、アイヌの交易相手は特定の知行主だけに限定されることになったため、和人からの商品の意図的な粗悪化や価格の吊り上げが行われました。
 例えば、慣習化されていた米一俵二斗入(松前側)と千鮭五束・千本(アイヌ側)の交換比率が、一方的に米一俵の内容を7-8升に落として交換されることになりました。さらに、鷹打場、金堀などによりアイヌのイオロ(漁猟圏)が荒らされ、そのうえ鷹用の餌犬の飼育など労働の負担を課せられるなど、アイヌの生活圏が著しく侵害され不当な収奪を招くことになりました。

 こうした商場知行制下の和人の横暴に対してアイヌの不満が鬱積していた中、寛文9(1669)年、東西アイヌによる大蜂起が勃発しました。これが、江戸時代を通じて松前藩に対するアイヌの最大の蜂起となるシャクシャインの戦いであるが、ことの発端はアイヌ勢力同士の争いでした。

 寛文年間頃の蝦夷地には、次ぎのような惣大将に率いられたアイヌの五大勢力が存在していました。五大勢力は、(1)(内浦アイヌ)国縫以南の内浦湾西岸部に広がるアイコウインを惣大将とする勢力、(2)(余市アイヌ)余市を中心に利尻、天塩、宗谷の日本海沿岸に伸びる惣大将八郎右衛門の勢力、(3)(石狩アイヌ)石狩川流域を中心に石狩平野一帯から増毛に広がる惣大将ハウカセの勢力、(4)(シュムクル)アイヌ語で「西の衆」を意味し、新冠を拠点に、札幌と夕張を結ぶ線以南の石狩平野、新冠以北の日高、歌棄にわたる惣大将オニビシの勢力(江別やサッポロ川のアイヌを含む)、(5)(メナシクル)アイヌ語で「東の衆」を意味し、静内を拠点に厚岸方面まで、日高南部、十勝平野、釧路平野の広い地域に広がる惣大将シャクシャインの勢力、である。

 このうち、シャムクルとメナシクルとがシブチャリ川(静内川)一帯の漁猟圏を巡り慶安元(1648)年に戦争状態になりました。紛争が長引く中、シュムクル側に肩入れしていた松前藩は仲裁の形で介入し、明暦元(1655)年に福山城でオニビシとシャクシャインは一旦講話しました。しかし、寛文年間に入ると再び緊張が高まり、同7年には武力衝突となって翌年オニビシは戦死、シュムクルの拠点アツヘシチャシも陥落しました。追い込まれたシュムクルの残存勢力は松前藩に援助を求め、一方シャクシャインも松前藩との戦いを決意しました。しかし、松前藩は、シュムクルを見限り援助要請を一蹴したことから、シュムクルは矛先を松前藩に転じ、シャクシャインの下に合流しました。

 寛文9年6月、シャクシャインの檄に応え、各地のアイヌが和人勢力を襲撃しました。アイヌ勢力は、東蝦夷地ではクスリ(釧路)以西、西蝦夷地では増毛以南の各地で和人を襲撃し、松前を目指して進撃しました。しかし、松前藩は津軽、南部両藩から武器援助を受けるなどして、国縫でアイヌ勢を迎え撃ちました。7月28日から8月4日まで続いた国縫の戦いは、槍、弓によるアイヌ側の攻撃に対し松前藩側は鉄砲で応え、結局アイヌ側の参敗となりました。そして、10月、和議の場に呼び出されたシャクシャインはその祝いの場で謀殺され、蜂起は鎮圧されました。

(参考)
2010年 2月24日(水)「商場知行制の成立」
2010年 2月21日(日)「徳川家康黒印状」
2010年 2月20日(土)「和人地の成立」
2010年 2月16日(火)「アイヌ文化の成立」
2008年10月 1日(水)「北海道三権分立制廃止」
2008年 8月12日(火)「北海道の成り立ち」
2008年 7月15日(火)「北海道三県一局の成立」
2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
2008年 6月10日(火)「地名解」
2008年 6月 9日(土)「元禄御国絵図」
2008年 6月 6日(金)「アイヌの遺構江別チャシ」
2008年 6月 5日(木)「アイヌ文化期のツイシカリ」

註:江別市総務部「新江別市史」61-63頁.
写真:対雁学校アイヌの習字
 北海道開拓記念館にて撮影許可を得て、撮影・掲載いたしております。
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商場知行制の成立

2010年02月24日 | 歴史・文化
 松前城下における対アイヌ交易は、寛永年間(1624-1644)には、蝦夷地に設定される商場(あきないば)に和人が出向いて交易する形に変わっていきました。

 商場とは、上級家臣が藩主より知行として与えられた、蝦夷地での対アイヌ交易独占権を有する交易場のことです。藩士(知行主)は、夏商(なつあきない)といって年に一度、城下で購入した本州産品を300石内外の縄綴船(なわとじふね)に積んで商場に赴き、アイヌと交易で入手した蝦夷地の産物を松前で商人に売って利益を得ていました。藩士側の交易品は、米・酒・タバコ・塩・古着・ラッコやアザラシの獣皮・干鮭・串貝(鮑)・昆布などの乾物、熊の胆やオットセイ等の薬物でした。
 こうした対アイヌ交易独占権を有する藩主が、その交易券を藩士に知行として分与する仕組みを商場知行制と称します。

 商場知行制の目的は、松前藩のみが蝦夷地と交易できる体制を作り出すことにありました。そのためには、アイヌが城下交易のために松前へ出て来たり、本州方面に自由に往航することを抑制し、商場内のアイヌに知行主以外の和人との通商をさせないことが必要でした。そこで行われたのが、幕藩制国家の鎖国体制にも対応した国境の明確化でした。

 松前藩は、寛永10(1633)年から天保9(1838)年まで9回にわたる幕府巡検使の来藩二対応するかたちで、和人地の拡大を通じた藩領の明確化と安全強化に乗り出しました。すなわち、寛永10年に亀田までを東在に、同20(1643)年に熊石までを西在に設定し、それぞれの境界に番所を設けると共に、和人はもちろんことアイヌの往来も厳しく制限したのでした。
 これは、天文19年以来の城下交易体制の否定であり、松前藩が渡島半島の南半部を押さえたことでアイヌの本州方面との交易も断ち、アイヌを蝦夷地内に緊縛することを意味しました。
 こうして、商場知行制による松前藩の対アイヌ交易独占体制は、確立していったのです。

(参考)
2010年 2月21日(日)「徳川家康黒印状」
2010年 2月20日(土)「和人地の成立」
2010年 2月16日(火)「アイヌ文化の成立」
2008年10月 1日(水)「北海道三権分立制廃止」
2008年 8月12日(火)「北海道の成り立ち」
2008年 7月15日(火)「北海道三県一局の成立」
2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
2008年 6月10日(火)「地名解」
2008年 6月 9日(土)「元禄御国絵図」
2008年 6月 6日(金)「アイヌの遺構江別チャシ」
2008年 6月 5日(木)「アイヌ文化期のツイシカリ」

註:江別市総務部「新江別市史」61頁.
写真:江別市指定文化財開拓長官黒田清隆書「対雁学校」
 北海道開拓記念館にて2007年撮影許可を得て掲載いたしましております。
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札幌アーティストインスクールーおとどけアート第2弾!最終日ご案内!

2010年02月23日 | 地域
 このたび、札幌アーティストインスクールーおとどけアート第2弾最終日のご案内をいたします!

 当ブログでも既にお馴染みのAISプランニング漆崇博氏主催おとどけアート第2弾は、今月8日よりスタートし、いよいよ本日最終日を迎えます。
 漆氏は、トヨタアーティストインスクール事業で大きな実績をもち、現在札幌アーティストインスクールにて新たな発展的事業を展開されています。

本日最終日札幌アーティストインスクールーおとどけアート2009は、下記のとおりです。
1.最  終  日  2010年2月23日(火)
2.場    所  札幌市立北小学校
          札幌市東区北33条東四町目1-1
          地下鉄南北線北34条駅下車徒歩15分
          札幌市営バス北34条東5丁目下車徒歩3分
          011-731-8381
3.アーティスト  東方悠平(現代美術家・札幌市出身/東京都在住)
4.内 容  
 (1)タイトル 「サマーコレクション in 冬」 
 (2)活動内容 真冬のグラウンドが真夏のビーチに大変身!?
  アーティスト東方氏が2週間(2/8-2/23)札幌市立北小学校に滞在し、こどもたちや教師と交流しながら、同校グランドや余裕教室を夏一色に大変身させます!(漆氏ご案内文より)

 2月半ばを過ぎた北海道は、まだまだ銀世界です。この銀世界をどのように夏一色になるのか、とても興味深いですね!
 当たり前概念を脱し、豊かな発想で繰り広げれるアーティストインスクールは、漆氏はじめアーティストの方々の知の結晶といえるでしょう。
 
 なお、漆氏からのご案内文では当事業の詳細が記されていましたが、当ブログをご覧になって興味をもたれた方は、ぜひ本日夕刻開催のお披露目会にお出かけください。
お披露目会日程は、下記のとおりです!
1.お披露目会日程  2010年2月23日(火)17:00-18:00
2.開催場所     札幌市立北小学校
3.お披露目会参加申込 090-4313-8466

お届けアート2009については、下記をご覧ください。
http://inschool.exblog.jp/

写真:2008年5月北翔大学エクステンションセンター教養講座「人が集えば文殊の知恵袋講座第1回」ご講演中の漆崇博氏
 漆氏のご了解を得て、撮影掲載いたしております。       
 
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世界寺子屋運動ー書き損じ葉書収集のご案内!

2010年02月22日 | 地域
 このたび、世界寺子屋運動ー書き損じハガキ収集のご案内をいたします。

 札幌市立厚別通小学校では、社団法人日本ユネスコっ協会連盟の活動の一環である世界寺子屋運動支援をなさっています。
 昨年当ブログでもご案内いたしました書き損じハガキ収集の取り組みについて、本年も下記日程にて活動なさっていらっしゃいます。

 世界寺子屋運動とは、発展途上国の人たちに学ぶ機会の提供として寺子屋を作って支援する活動です。
 書き損じハガキ1枚で45円の募金になります。 
 寺子屋を作るためには、2万枚が必要です。
 ぜひ、ご協力ください。

 札幌市立厚別通小学校の書き損じハガキ収集の活動概要は、下記のとおりです。
1.収集期間  2010年2月24日(水)まで
2.収集内容  書き損じハガキ・未使用ハガキ
3.収集場所  厚別区役所回収箱
        札幌市立厚別通小学校
        その他下記回収箱設置場所
4.問合せ先  札幌市立厚別通小学校
        004-0064
        札幌市厚別区厚別西四条三丁目10番30号
        011-892-7555

札幌市立厚別通小学校「世界寺子屋運動」概要は、下記URLをご覧ください。
http://www.city.sapporo.jp/atsubetsu/oshirase/terakoya.html#1

(参考)
当ブログ2009年2月9日(月)「書き損じた葉書回収によりカンボジアに学校建設を!」

写真:2008年さっぽろホワイトイルミネーション撮影
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徳川家康黒印状

2010年02月21日 | 歴史・文化
 慶長3(1598)年8月、天下人秀吉が没し、実質的な権力を握っていた徳川家康は、翌年9月、伏見城から大阪城西の丸に移りました。
 大阪西の丸において、蠣崎慶広が家康に拝謁し累代の系譜および蝦夷地図を呈上したのは、その年の11月でした。このとき慶広は、従来の蠣崎から松前に氏を改めました。

 徳川秀吉亡き後の権力闘争の一応の決着は、慶長5年9月の天下分け目の関ヶ原の戦いでつきました。同8年2月、家康は征夷大将軍に補され、江戸に幕府を開き、以降徳川260年余の幕が切っておとされたのです。
 慶長9(1604)年1月、慶広は、家康から黒印状の交付を受けました。
内容は、(1)松前へ出入りするものは、松前氏の許可なくアイヌとの商売をできないこと、(2)松前氏の許可なく蝦夷地に渡り商売をできないこと。ただし、アイヌについては、どこへ行くのも自由であること、(3)アイヌに対する非分を堅く禁止させること、の三つを柱とするお墨付きでした。

 秀吉の朱印状が船役徴収だけを認めたものだったのに対し、家康の黒印状は松前地における交易全般に対して松前藩の流通統制権を保証しており、松前氏にとって大きく前進した内容になっています。
 もう一つ注目されるのは、和人の渡海を厳しく規制しているのに対し、アイヌの行動の自由を「夷(えぞ)次第」として保証している点です。アイヌは、以前から本州や千島・樺太方面を自由に往来し、交易活動を行っていました。そうした実態をふまえて、この規定はアイヌは基本的に幕藩制的秩序の外の人々であり、蝦夷地は原則的に異域であることを謳ったものでした。

 同年5月、慶広は従5位下・伊豆守に任ぜられました。
 こうして、松前氏は、幕藩制下において、大名に準ずる地位を確立し、黒印状を拠り所に蝦夷地の支配を固めていったのでした。

(参考)
2010年 2月20日(土)「和人地の成立」
2010年 2月16日(火)「アイヌ文化の成立」
2008年10月 1日(水)「北海道三権分立制廃止」
2008年 8月12日(火)「北海道の成り立ち」
2008年 7月15日(火)「北海道三県一局の成立」
2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
2008年 6月10日(火)「地名解」
2008年 6月 9日(土)「元禄御国絵図」
2008年 6月 6日(金)「アイヌの遺構江別チャシ」
2008年 6月 5日(木)「アイヌ文化期のツイシカリ」

註:江別市総務部「新江別市史」60頁.
写真:蝦夷記物語
 2007年北海道開拓記念館にて撮影許可を得て、撮影掲載いたしております。
 
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和人地の成立

2010年02月20日 | 歴史・文化
 『新羅之記録(しんらのきろく)』によると、一連のアイヌの蜂起の前までは「松前以東は陬川(鵡川)、西は與依地(余市)迄人間(和人)住する」ところでした。
 近年の余市町大川遺跡の発掘調査では、この記述を裏付ける15世紀前半の和人の住居跡や多数の国産・舶載陶磁器が発見されています。

 天文19年の講話は、それまで蝦夷地の広い範囲でアイヌと混在していた和人を渡島半島の先端部だけに集住させ、そこを和人地としてアイヌの生活圏と明確に分離したものでした(中略)。
 講話によって、交易の独占体制を確立すると共に、和人勢力の事実上の統一者となった蠣崎氏は、慶広の時代政略巧みに天下一統の豊臣秀吉に接近し、大名並みの待遇を受けることになります。すなわち、文禄2(1593)年1月、秀吉より志摩守(しまのかみ)に任ぜられるとともに念願の朱印状の交付を受けました。朱印状は、アイヌ・地下人(一般の生産者)に対する「非分」(不法行為)の禁止と諸国商船からの船役徴収権を保証したものでした。これより蠣先氏は安東氏の支配下から完全に独立し、統一政権に編入されることになりました。

(参考)
2010年 2月16日(火)「アイヌ文化の成立」
2008年10月 1日「北海道三権分立制廃止」
2008年 8月12日(火)「北海道の成り立ち」
2008年 7月15日(火)「北海道三県一局の成立」
2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
2008年 6月10日(火)「地名解」
2008年 6月 9日(土)「元禄御国絵図」
2008年 6月 6日(金)「アイヌの遺構江別チャシ」
2008年 6月 5日(木)「アイヌ文化期のツイシカリ」

註:江別市総務部「新江別市史」59-60頁.

写真:蝦夷記
 2007年北海道開拓記念館にて許可を得て撮影、掲載いたしております。
 
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ふるさと歴史講座「木製戦闘機工場」開催のご案内!

2010年02月19日 | イベント
 このたび、江別市郷土資料館ふるさと歴史講座「木製戦闘機工場」開催のご案内をいたします。

 昭和19(1944)年2月、陸寓航空本部は王子製紙江別工場に対し、木製航空機工場への転換を命じ、王子航空機株式会社が設立しました。
 王子航空機で制作されたのは、陸軍航空機の最新鋭四式戦「疾風」キ八四を木製かした試作戦闘機キ一○六でした。

 「木製戦闘機キ一○六を語る会」会長佐藤明氏が勤労動員であった頃に、自らが見た木製戦闘機キ一○六工場内の内部の姿をお話しなさいます。
 歴史書では伝わりにくい「現実」をお聞きする貴重な時間だと思います。

 江別市郷土資料館主催「ふるさと歴史講座ー木製戦闘機工場」の日程は、下記のとおりです。
1.日 時  2010年2月27日(土)13:30-15:00
2.場 所  野幌公民館
3.講 師  佐藤明氏(木製戦闘機キ一○六を語る会会長)
4.定 員  50人(先着順)
5.問合先  江別市郷土資料館
       011-385-6466

(参考)
当ブログ2009年 1月15日(木)「王子航空機の会社設立と江別飛行場建設」
http:blog.goo.ne.jp/ebetsusouzousha/d/20090115
当ブログ2008年11月 6日(木)「富士製紙株式会社江別工場建設」
当ブログ2008年11月 5日(水)「富士製紙株式会社の江別進出」

写真:木製戦闘機キ一○六
 江別市総務部著「新江別市史」93頁掲載写真を複写掲載いたしております。
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