江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

宅地開発ー大麻団地の起工

2009年01月31日 | 歴史・文化
 昭和39(1964)年8月12日、大麻(おおあさ)高台の中央部で、町村北海道知事、加畑団地開発事務所長、松川江別市長ら関係者約200人が出席し、道営大麻団地の起工式が行われました。

 この団地開発の目的は、札幌市とその周辺の住宅不足の受け皿とすることでした。同時に、都市外縁部への無計画な膨張に対処するため、都市施設の完備した住宅地を札幌市の周辺部に計画的に造成しようというものでした。
建設省が全国的に実施した「住宅開発計画樹立に関する調査結果報告」(昭和36年)に基づき、今後最も人口増が予測される札幌市に隣接し、かつ将来副都心として整備予定の厚別地区から至近の距離にある大麻地区に開発の白羽の矢が立ったのです。

 選定に至る経過には、立ち退き対象の交渉農家が少なかったことも大きな要因になったといいます。
 既に札幌市の人口は爆発的な人口増にあり、そのため平坦な地盤が良く、しかも札幌の都心まで15km前後という大麻周辺には、不動産業者の食指が伸びていました。このまま放置すれば、いずれ無計画・無秩序な蚕食状態となる恐れがあることから、整然とした計画のもと開発される道営住宅団地の誘致は、むしろ望むところだったのです。

 大麻団地の開発計画の全体像が明らかになったのは、昭和38(1963)年9月でした。約215ヘクタールの広大な土地に、分譲住宅・公団団地・公営住宅など7,200戸余を建設、27,000人の人口を見込んでいました。
 証言外も計画的に配置され、団地内に沢を生かした公園や多くの街路樹を配する等、全体として緑豊かな新しい街をつくろうというものでした。

 公共施設の整備については、昭和39(1964)年5月、北海道知事と江別市長との間で交わされた「大麻団地開発事業に係る協定書」の中で役割分担が示されました。市の役割は、小・中学校、上水道、道路、保健衛生施設、社会福祉施設、消防支所など各種施設整備でした。その他急激な人口増に対応する一般行政費の増加も相当なものになると予測されました。

 同年12月、早くも4階建てアパート120戸、平屋及び2階建156戸、計276戸が完成し、第一陣の団地入居者を迎えました。

(参考)
当ブログ2009年 1月 7日(水)「野幌煉瓦工場」
当ブログ2009年 1月 6日(火)「北海道製麻会社創立」
当ブログ2008年12月 8日(月)「江別市の学校と国民学校制度2」
当ブログ2008年12月 5日(金)「江別市の学校と国民学校制度」
当ブログ2008年12月 4日(木)「江別の商業」
当ブログ2008年11月24日(月)「行政の変遷ー戸長行政」
当ブログ2008年11月21日(金)「北海道自治制のはじまり」
当ブログ2008年11月19日(水)「北海道地主制のはじまり」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月24日(金)「旅館と飲食店」
当ブログ2008年 9月26日(金)「四つの映画館」
当ブログ2008年 9月25日(木)「富士見座」
当ブログ2008年 9月24日(水)「千歳座」
当ブログ2008年 9月 5日(金)「屯田学校の開設」
当ブログ2008年 7月 2日(火)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 6月22日(月)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」

註:江別市総務部「新江別市史」557-558頁.
写真:北海道江別市大麻駅
 大麻(おおあさ)駅は、札幌駅まで快速で15分足らずの位置にあることから、ビジネスマンや近隣大学北翔大学・札幌学院大学学生たちも利用しています。
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江別巨人軍の登場!

2009年01月30日 | 歴史・文化
 大正期、職場単位の野球チームはなかったようです。

 富士製紙にも正式名チームはなかったようです。
 大会があれば、その都度編成され、町内はもとより、道央でも名を馳せたという話が残っています。

 大正14(1925)年8月18日付北海タイムスにユニホーム姿の「江別富士製紙野球団」9選手が掲載されました。わざわざ新聞で紹介されるほどだったのです。内輪にみても、ある程度のチームではあったのでしょう。
残念ながら、目下のところ上記以外の資料は未見です。

 クラブチームとしては、「ギャラクシー」の名が残っています。このチームは、大正期末から昭和のはじめにかけ、当時、北大や一中などに通学していた学生たちのチームです。中心的な選手は、一番町の牛乳屋の息子渡辺茂男(北大生)、市街の蹄鉄屋の息子で、後年北海中学校の三番バッター(捕手)として甲子園に出場した筧智などでした。このギャラクシーは、富士製紙野球団と対戦しましたが、軽くあしらわれていました。
富士が強すぎたことも事実ですが、ギャラにはボール(硬式)が一個しかなく、試合前の肩ならしも満足にできず、そのうえ試合が始まるとレガース(捕手のすね当て)も相手から借りるという状況にありました。このようなクラブチームの悲哀が、勝利の女神を遠ざけていたようです。

 ギャラクシーに前後して、江別小学校教員の樺沢久蔵を中心とした「クローバー倶楽部」、それに獣医の伊藤泰重らの「江別巨人軍」などが生まれました。
「江別巨人軍」の登場は、まだプロ野球の巨人軍ができる前の話です。
「江別巨人軍」の名は、アメリカの野球雑誌をみてのチーム名であろうという謂れがありますが定かではありません。

 このように当時は、野球熱が江別の街全体を覆っていました。
昭和2(1927)年9月、海の向こうではベーブ・ルースが60本のホームランを打っていました。

(参考)当ブログ2008年9月27日(土)「江別イーグルス誕生!」

註:江別市総務部「新江別市史」270-271頁.
写真:「江別イーグルス」チームメンバー写真
   江別市役所総務部「えべつ昭和史」216頁掲載写真を複写掲載いたしております。
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北海道新聞江別支局取材御礼!

2009年01月29日 | 地域
 このたび、江別創造舎は、北海道新聞江別支局長より「江別カルタ制作」について取材を受けましたので、ご報告申しあげます。

 先週末(1/24)北海道新聞江別版にて、既に記事をご覧いただいている方もいらっしゃるかと存じますが、北海道新聞江別支局長中尾吉清氏より取材を受けました。
 江別創造舎の現在の中核事業と位置づけられる「江別カルタ制作」に関心を抱いていただきましたこと、江別カルタ完成後の地域活動に期待を寄せていただきましたことに対して、深く感謝いたしますと共に、今後の活動に大きな励みとなりました!
ありがとうございました!

 そして、こうした機会を得られたことは、江別カルタ図案化ポスター制作にご支援いただきました北海道労働金庫様のお陰と考えます。当ブログを通じ、あらためて御礼申しあげたいと思います。
ありがとうございました!

 江別カルタ制作に向けて、メンバー一同真摯に取り組んで参る所存です。
江別創造舎のメンバーは、江別市史に精通した方、高い映像技術力をお持ちの方、豊かなネットワーク力をお持ちの方等、力強いメンバーばかりです。
 また、広く地域の皆様に句を募集させていただくことによって、皆様と共に江別カルタ完成を目指していきたいと考えております。
 句の募集につきましても、新聞紙上等で公募させていただきます。その節には、何とぞご協力いただきますよう、宜しくお願い申しあげます!

 地域に生き、地域に活かされながら、一歩一歩進んでいきたいと思います。
今後とも江別創造舎を宜しくお願い申しあげます。

(メッセージ)
次回お越しいただきました際には、美味しい珈琲を煎れさせていただきます!

江別創造舎主催「市民・若者が講師!講座開講!」来月のご案内は、下記をご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/ebetsusouzousha/d/20081229

(参考)
当ブログ2008年10月 8日(水)「民間印刷業の出現と新聞の発行」
当ブログ2008年10月 7日(火)「新聞紙印行条例公布」
当ブログ2008年10月 6日(月)「江別市立中央中学校2年5組壁新聞最優秀賞おめでとうございます!」
当ブログ2008年10月 5日(日)「平成20年度江別市生涯学習推進協議会会員活動発表会ご報告」
当ブログ2008年 9月20日(土)「大麻東中学校2年4組壁新聞取材御礼!」
当ブログ2008年 9月 4日(木)「江別中央中学校2年5組壁新聞記者ご来校!」
当ブログ2008年 8月17日(日)「市民・若者が主役!ー個が生き、個が活かされる地域社会を目指して」
当ブログ2008年 6月21日(日)「江別カルタ図案化ポスター完成披露!」
当ブログ2008年 5月25日(日)「江別創造舎です!よろしく!」

写真:2009年1月24日発行北海道新聞「江別カルタ作ろう」記事
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北翔大短大部竹田選手ノルディック Jr.世界選手権出場決定!

2009年01月28日 | 教育・学校
 このたび、北翔大学短期大学部人間総合学科1年竹田歩佳さんが、世界選手権出場決定いたしましたので、ご報告いたします!

 北翔大学短期大学部人間総合学科1年竹田歩佳(あゆか)さんは、2009年1月スロバキアで開催される「2009ノルディックジュニア世界選手権大会」に出場決定いたしました。

 竹田歩佳さんは、昨年12月北海道で開催されました「2008FISHER CUP第12回朝日ノルディックスキー大会」で優勝しました!
今後の活躍が、大いに期待されます。

 北翔大学卒業生山田いずみ選手に継いで、宮武選手、竹田選手も頑張っています。
ぜひ、皆様ご声援よろしくお願いいたします!

(参考)
当ブログ2009年1月8日(木)「第36回HTBカップ国際スキージャンプ競技大会2009開催ご案内!」
当ブログ2009年1月8日(木)「北翔大学宮武選手!スノーボード競技世界選手権大会出場決定!
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番外編!モーツァルト生誕253年!

2009年01月27日 | 番外編
 本日1月27日は、モーツァルト(1756-1791)が誕生した日です。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wlofgang Amadeus Mozart)は、オーストリア ザルツブルク中心部にあるゲストライデ通りにて、1756年1月27日20時に誕生しました。
 モーツァルトの正式名は、ヨハネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツァルト(Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)です。

 モーツァルトは、宮廷音楽家であった父の影響を得て、3歳でピアノを弾き始め、5歳で作曲も手がけました。
6歳でウィーンシェーンブルグ宮殿オーストリア皇帝フランツ1世、女帝マリア・テレジアに初めて謁見しました。そして、7歳になったモーツァルトは、ザルツブルク大司教ジギスムント・クリストフ・フォン・シュラッテンバッハ伯爵の誕生日に初めて音楽家として演奏をしました。

(以下、"DECCA Piano Concertos K.466 & K.467" 付属解説書より)
 モーツァルトが生きた古典派の時代は、鍵盤音楽に関していえば、古典的なソナタの確立等と共に、楽器がチェンパロからフォルテピアノ(現代のピアノの前身)へと以降した時期でした。ハンマーによる打弦システムの開発による鍵盤楽器の発展は、やがて現代のピアノにまで繋がっていきます。
 モーツァルトにとって、クラヴィーア(以下便宜上ピアノと統一)は、演奏は勿論作曲に際しても、幼少の頃から生涯にわたって最も大切な楽器でした。5歳でメヌエットを作曲したのを皮切りに、ピアノに向かって作曲を続けていきました。

 モーツァルトの残した数々の作品の中で、全部で約27曲あるピアノ協奏曲は、質量共に特に重要なジャンルの一つであり、ここで古典派ピアノ協奏曲の様式を、完成へと導いていきました。特にウィーンに住んでいた時期には、数多くのピアノ協奏曲を作曲しました。

 ピアノ協奏曲第20番は、当時のウィーンの人々の好みや愛好家向けの親しみやすさを、はるかに超越したモーツァルト自身の創作意欲が顕著に表れた傑作として、特に注目すべきピアノ協奏曲の一つです。
 なお、モーツァルトのピアノ協奏曲の中で、短調による作品は、ニ短調第20番(K.466)とハ短調の第24番(K.491)の2曲のみが残されているだけです。
1785年2月10日に書き上げられた第20番は、その翌日2月11日ウィーンで初演されたピアノ協奏曲であり、三つの楽章から成っています。
第1楽章 アレグロ、ニ短調、協奏風ソナタ形式
第2楽章 ロマンス、変ロ長調、三部形式
第3楽章 ロンド、アレグロ・アッサイ、ニ短調、ロンド・ソナタ形式

モーツァルトについては、下記の「ザルツブルク国際モーツァルテウム財団」をご覧ください。
http://www.mozarteum.at/default.asp?SID=76008586517330&deflng=jp

(参考)2009年 1月 2日(金)「江別ニューイヤーコンサートのご案内!」
    2008年11月28日(金)「ミュンヘン・クリスマス in Sapporo!」
    2008年10月22日(水)「番外編!ウィーン楽友協会ホール」

写真:王宮庭園<ハプスブルク家が整備した緑豊かな庭園>撮影
 ナポレオン軍がその強さを誇示するために壊した城壁の跡は、美しい庭園に造り替えられました。この庭園は、1918年より一般公開されています。
 フランツ1世の騎馬像や、ティルグナー作のモーツァルト記念碑があります。
(以上、昭文社『個人旅行29オーストリア』133頁より)
 写真でもご覧いただけるかと思いますが、モーツァルト像の前には、お花で彩られたト音記号が大きく描かれています。
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『脳トレ!パッとブック』ご紹介!

2009年01月26日 | 地域
 このたび、加賀城匡貴著『脳トレ!パッとブック」をご紹介いたします!

 『脳トレ!パッとブック』は、当ブログでもご紹介いたしました漆崇博氏が事業展開されている「アーティスト イン スクール」でも活躍されていたアーティスト加賀城匡貴(かがじょうまさき)氏が執筆された書籍です。

 同書は、アーティストの豊かな感性から導かれた「国語・社会・算数・理科」の全4巻で、教育画劇から出版されています。
木目模様から動物の顔を探したり、タイル敷きの路面が迷路になっていたりと、アーティストならではユニークな発想が満載!です。

 なお、同書は、北海道図書館協会「子どもたちに読んでもらいたい優良図書」に選定されています。

執筆者より一言!
「大人も子どもも楽しみながら頭が柔らかくなる本です。ぜひ一家に1セットを!」

『脳トレ!パッとブック』は、国語・社会・算数・理科の各巻ごと購入することも可能です。
1巻3,150円/1セット12,600円です。

加賀城匡貴氏については、下記をご覧ください。
http://www.scherzosketch.com

『脳トレ!パッとブック』については、下記をご参照ください。
http://www.shift.jp.org/ja/archives/2008/06/putt_book.html

写真:漆崇博氏ご講演<人が集えば文殊の知恵袋講座第1回>の際に参加者が制作した作品
なお、当ブログ文面と写真は、関係ございません。
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火薬庫(屯田兵第三大隊本部跡)

2009年01月25日 | 歴史・文化
 明治11(1878)年、初めて江別に屯田兵が入地し、江別・野幌兵村に配備が完了する明治19(1886)年までに、総計445戸の屯田兵が入地しました。

 当初、江別の屯田兵は、札幌・琴似(ことに)に本部を置く第一大隊に所属していました。しかし、明治20(1887)年に第三大隊として独立し、江別・篠津の両屯田は第一中隊、野幌屯田は第二中隊として編成されました。

 この第三大隊本部は、現在の江別小学校がある萩ヶ岡に置かれ、明治24(1891)年江別の屯田兵が予備役に編入されて滝川に保温部を置く第二大隊の配属となるまで、その役割を担いました。

 大隊本部の建物は、屯田兵の解散後移築され、他の施設に利用されていましたが、昭和9(1934)年1月焼失し、火薬庫だけが残されています。
この火薬庫は、大隊本部の付属施設として明治19(1886)年頃建てられたと推定されます。
 火薬庫の建築面積は、約15平方メートル(4.5坪)の煉瓦造平屋建の建物です。使用された煉瓦は、「S」の刻印から白石の鈴木煉瓦製と思われます。
 火薬庫の建物は、明治32(1899)年、萩ヶ岡に江別尋常高等小学校(現江別小学校)が開校した際に御真影・勅語の奉置所(奉安殿)となり、戦後まで使用されていました。しかし、昭和27(1952)年から昭和30(1955)年の学校の改築工事二伴って、現在地に移築されました。

 この火薬庫は、数少ない屯田兵施設の中でも、唯一の煉瓦造建物として、昭和46(1971)年8月12日、江別市指定文化財第二号に指定されました。

江別市指定文化財第二号火薬庫については、下記をご覧ください。
http://www.city.ebetsu.hokkaido.jp/tonden/3.html

(参考)
当ブログ2009年 1月 7日(水)「野幌煉瓦工場」
当ブログ2008年11月14日(金)「被服庫」
当ブログ2008年10月30日(木)「のぼり窯と野幌」
当ブログ2008年 9月 5日(金)「屯田学校の開設」
当ブログ2008年 8月23日(土)「開拓使仮学校開設」
当ブログ2008年 8月 2日(土)「篠津兵村」
当ブログ2008年 7月29日(火)「北海道指定文化財 野幌屯田兵第二大隊中隊本部」
当ブログ2008年 7月23日(水)「野幌屯田兵」
当ブログ2008年 7月22日(火)「野幌兵村」
当ブログ2008年 7月 6日(日)「西洋式江別兵屋とロシア式篠津兵屋」
当ブログ2008年 6月13日(金)「江別指定文化財第二号ー江別屯田遺構第三大隊本部火薬庫」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市教育委員会「史跡が語る江別の歩み」11頁.
写真:火薬庫(屯田第三大隊本部跡)
   北海道江別市萩ヶ岡19(江別小学校体育館入口付近)
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公有財産取扱委員会の設置

2009年01月24日 | 歴史・文化
 明治29年6月、「屯田兵後備役公有財産取扱委員会規則」が定められ、これに基づいて公有財産取扱委員会が設けられました。

 これ以後は、この公有財産取扱委員会が後備兵村となった江別兵村の公的執行機関となり、兵村会がこれまで管理してきた公有財産の一切が公有財産取扱委員会に移管されました。
 兵村会は、これを機に取扱委員会を併合し、旧大隊本部の兵村会事務所を取扱委員会事務所として引き続いて使用することになりました。そして、新設された公有財産取扱委員会会長には、兵村監視の曹長飯島広治が就きました。
 飯島広治は、山形県出身で、明治17年に一番通りの45番地に入地しています。

 「殖民公報」第9号によると、明治35年現在の江別兵村の兵員給与地は、335万3750坪、公有財産地308万816坪、官有地520坪で、合計643万5156坪でした。
公有財産としての兵村公有地は、兵村公共事業の費途にあてて兵村維持を図るもので、墓地なども含まれていました。
なお、官有地520坪は、中隊幹部官舎敷地です。

 「殖民公報」第7号の「江別村概況」の「農業」欄に、兵村公有地に小作人20余戸がいたとあります。
1戸1万5000坪を配当し、鍬下年期二ヶ年を与え、別に保護をせずに4年目から1反歩につき30銭、あるいは1円の小作料を徴収していたとも記されています。
1万5千坪とありますから、土地没収の兵員跡地に小作人を入れたのでしょう。そうした収入も、全て兵村財産の積立金となりました。

(参考)
当ブログ2009年 1月23日(金)「戸長役場と屯田兵村」
当ブログ2008年10月 2日(木)「秩序を重んじた開拓行政」
当ブログ2008年10月 1日(水)「北海道三権分立制廃止」
当ブログ2008年 9月 9日(火)「北海道三県時代の教育」
当ブログ2008年 9月 5日(金)「屯田学校の開設」
当ブログ2008年 8月 7日(木)「北海道事業管理局の設置」
当ブログ2008年 8月 2日(土)「篠津兵村」
当ブログ2008年 7月23日(水)「野幌屯田兵」
当ブログ2008年 7月22日(火)「野幌兵村」
当ブログ2008年 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
当ブログ2008年 7月18日(金)「北海道三県の管轄区画と県庁の位置」
当ブログ2008年 7月15日(火)「北海道三県の成立」
当ブログ2008年 7月10日(木)「空知集治監の開設」
当ブログ2008年 6月24日(水)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(火)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」

註:江別屯田兵村遺族会「江別屯田兵村百三十年の歩み」69-70頁.
写真:「殖民公報第7号」
   江別屯田兵村遺族会『江別屯田兵村百三十年の歩み』66頁掲載写真撮影掲載.
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戸長役場と屯田兵村

2009年01月23日 | 歴史・文化
 明治15(1882)年2月、北海道行政は、札幌・函館・根室の北海道三県一局体制を分治し、それに伴い明治15(1882)年1月に十年計画を終了した開拓使が廃止されました。

 その頃、屯田兵は陸軍省の管轄となりました。
北海道三県一局体制は、北海道庁設置までの4年間程ですが、江別、野幌の両兵村に入地が続き、合計13戸を数えました。
 兵村に住む者にとっては、中隊本部の屯田事務局が役場の役割を果たしました。減益がいなくなり、予備役だけになっても、兵村会が組織され、役場以上の存在となりました。
 兵籍簿は、役場の戸籍より詳細であり、兵村監視は兵村民の日常生活まで立ち入るものでした(第三編第三章第三節)。

 こうした戸長役場を超える制度があっては、村の運営も円滑にはいきませんでした。煩雑な手続きを必要とした。例えば、屯田兵は入地後三か年、地方税戸数割が免除されていました。協議費についても同様の取り扱いでした。
 しかし、何しろ村の共益費です。改訂して賦課したいというのが戸長役場の意向でした。
そこで、戸長は、札幌県大書記官宛上申、「伺之通(うかがいのとおり)」の指令を受け、総代人会の議決を経て、賦課の運びに至りました。

 屯田兵村公有財産の問題といい、管轄の違いから困難を生じる場合があったようです。後年、「同村は、屯田兵の関係其他、村治上他村と趣を異にする事情もありて(中略)時日経過するも充分技量のある人物を任用せん」(明治30年7月17日付北海道毎日新聞)として、河野戸長退任後の戸長不在の事情を伝えていました。

 戸長役場の制度で、総代人は民意を反映する役割を担わされていましたが、一村2名の選出では、「時宜ニ寄り人民ノ利害得失ニ関スル事」(「総代人心得)」の民意の反映が充分でなくなっていきました。
これに加えて、兵村というもう一つの村の存在が、江別の地域形成や行政の施行に微妙に影響を与えていました。

(参考)
当ブログ2008年10月 2日(木)「秩序を重んじた開拓行政」
当ブログ2008年10月 1日(水)「北海道三権分立制廃止」
当ブログ2008年 9月 9日(火)「北海道三県時代の教育」
当ブログ2008年 9月 5日(金)「屯田学校の開設」
当ブログ2008年 8月 7日(木)「北海道事業管理局の設置」
当ブログ2008年 8月 2日(土)「篠津兵村」
当ブログ2008年 7月23日(水)「野幌屯田兵」
当ブログ2008年 7月22日(火)「野幌兵村」
当ブログ2008年 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
当ブログ2008年 7月18日(金)「北海道三県の管轄区画と県庁の位置」
当ブログ2008年 7月15日(火)「北海道三県の成立」
当ブログ2008年 7月10日(木)「空知集治監の開設」
当ブログ2008年 6月24日(水)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(火)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」

註:江別市総務部「新江別市史」355-356頁.
写真:北海道指定有形文化財 野幌屯田兵第二中隊本部(現屯田資料館)
   北海道江別市野幌代々木町38
北海道指定有形文化財野幌屯田兵第二中隊本部については、下記をご覧ください。
http://www.pref.hokkaido.co.jp/kseikatu/ks-bsbsk/bunkashigen/parts/10330.html
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アートプロジェクト"sapporo 2 project" ご案内!

2009年01月22日 | 地域
 このたび、アートプロジェクト"sapporo 2 project" をご案内いたします!

アートプロジェクト "sapporo 2 project" とは、札幌市が構築した除雪システムを北海道・札幌独特の文化財産と捉え直し、制作者が除雪の知恵を駆使し技術を取り込みながら、新たなアート活動ー作品制作へと展開させる創造的かつ実験的な「雪のミュージアム」です。
 "sapporo 2 project" 主催によるアートプロジェクトは、当ブログでもご紹介させていただいております地域活動若きリーダー漆崇博氏主催「アーティスト・イン・スクール事業」と札幌市博物館センターが共催となって実施されます。

 なお、アートプロジェクト開催期間は、さっぽろ雪まつりも開催しています。
ぜひ道内外の皆様、雪まつりと併せてご覧になってはいかがでしょうか

 "sapporo 2 project" の日程は、下記のとおりです。
1.期間  2009年2月6日(金)~2月8日(日)の3日間
      いずれも10:00~18:00
2.会場  リンケージプラザ 5階札幌市博物館センター
      同上       1階大通公園まちづくりセンター・ロビー周辺
      札幌市中央区北1条西九丁目
3.内容 (1)博物館による企画展示とレクチャー
     (2)プロジェクトルームにてワークショップ
       どなたでも参加可能です。
     (3)アーティストの作品展示
     (4)野外活動
        車場に並ぶ除雪車の見学コーナー
        雪を素材にしたアーティストの作品展示
 
 "sapporo 2 project”については、下記をご覧ください。
http://www.s-air.org/sapporo2/outline.html
        
漆崇博氏代表AISプランニングの活動については、下記をご覧ください。
http://ais-p.jp

(参考)
当ブログ2009年 1月19日(月)「第60回さっぽろ雪まつり!ご案内!」
当ブログ2009年 1月19日(月)「雪まつりスケートリンク!ご案内!」
当ブログ2008年12月30日(火)「2009年初日の出ツアーガリンコ号2初日の出クルーズ!のご案内」
当ブログ2008年12月 5日(金)「本日放映!おとどけアートテレビ放映ご案内!」
当ブログ2008年11月10日(月)「札幌アーティスト・イン・スクールおとどけアート開催!のご案内」
当ブログ2008年10月15日(水)「横内豪氏ご講演大盛況!ご報告」
当ブログ2008年10月11日(土)「'08十勝アーティスト・イン・スクール!ご案内!」
当ブログ2008年10月10日(金)「美術家岩井成昭氏個展ご案内!ー言葉を観る/映像を書く」
当ブログ2008年 5月28日(水)「漆崇博氏ご講演大盛況!幣のフィールドに向けたオブジェ制作と基調講演」

写真:2008年度さっぽろ雪まつり雪像撮影
   写真と当ブログ文面は関係ございません。
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