江別市の役割は、総合建設計画の構想と一致していたといえる。
当時江別市企画室長は、江別の役割として、第1に、札樽地帯の大きな消費地帯に隣接していることから食品等を中心とした高度な軽工業地帯としての役割、第2は、自然に恵まれた文教都市としての役割、第3は、高度な住宅地区としての役割、この3つが新産業都市建設促進法での江別の役割であり、かつ将来の江別の姿ではないか、と述べている。
この案は、本会議における活発な論議ののち、原案どおり可決されました。
その後の手続きを経て、39年4月、正式に江別を含む道央地区の区域指定がなされました。
以降、道の段階で策定する道央地区・建設基本計画へ、いかに江別の要望を反映させるか、が焦点となりました。
市は、早急に以下の構想をまとめ、同年6月、道との協議に入りました。
市の構想を大きくというと、基本的には工業の開発に重点をおきましたが、同時に教育、文化、保健、住宅などの生活環境を整備し、健康で住み良い都市づくりを目指そうというものでした。
一部の内容を述べると、工業開発は、酪農関連の食品工場等の誘致を図り、45年度の工業生産額を現状の3.5倍、約293億円。また人口は、大麻(おおあさ)団地の造成を視野に7万7千人、人口増に伴う住宅用地として約164ha(大麻団地を除く)と、それぞれ想定し、計画されました。
その他、主なものとしては、産業幹線道路の整備推進、都市計画事業の推進、道立高校の誘致、野幌原始林の公園化、などが挙げられます。
新産業都市の指定に伴い、江別市総合建設計画でいうところの広域都市圏的観点に立った都市づくりが加速されることになりました。
これは、さらに41年8月、札幌市を中心とする5市町村の札幌圏広域都市計画協議会の設立により、市町村の枠を超えた道路、住宅等の計画策定へと展開することとなりました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」246-247頁.
写真:昭和39年4月江別市(写真中央は、北日本製紙工場)
同上書246頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。