江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

制度の変遷

2010年05月31日 | 歴史・文化
 北海道に入地した屯田兵は、最終的には約7,300戸、3万9千900人余りでした。
これらは、明治8(1875)年5月の琴似屯田から同32年5月の士別屯田入地まで、札幌、江別、根室、室蘭などへと年を追って広がっていきました。
 また、屯田兵制度は、年を経ると共に国内状勢や対外関係の変化に伴い、その性格も変わっていかざるをえませんでした。

 制度変遷について、初期は、創設の8年から14年までの開拓使所管時代です。この時期は、屯田兵例則の緒言にみるとおり、兵の仕事は兵即農とはいうものの「専ら力を耕稼(註:開墾)」に注ぎ、二義的に有事の場合兵役につく義務があるとされました。
 この時期は、明治4年の廃藩置県を端緒とする明治政府の近代化(西欧化)政策が矢継早やに断行されました。これに不満の士族らは10年の西南の役を頂点に、各所で蜂起しました。いわば、いつ政権が転覆してもおかしくない時代でもあったのです。こうした中、屯田入地は、琴似、山鼻、江別、篠津の四つに過ぎず、「甚ダ不振」(『北海道屯田兵制度』)と言わざるをえなかったのです。

 第二期は、17年以降です。
 15年に開拓使が廃止され、北海道3県(札幌県・函館県・根室県)一局時代に移りました。
 屯田兵所管は開拓使から陸軍省にうつりました。屯田兵の増強を期待していた陸軍省は、18年2月増員五カ年計画を立てました。同年5月「屯田兵例則」が廃止され、新たに「屯田兵条例」が制定されました。
 この条例制定の意味は、例則の建前の兵則農から軍事専門集団である陸軍編成に組み込まれたという、質的な転換にありました。

 明治19年2月、北海道3県1局時代は終わり、北海道庁が設置されました。
 そして、明治21年5月、屯田兵本部長永山武四郎が第2代北海道長官に就任しました。この時期にかけて、江別では江別、篠津、野幌へ多くの屯田兵が入地しました。
 以降、23年8月の「屯田兵条例」の改正ー従来の歩兵に加え、騎兵、砲兵、工兵の新設、世襲制であった兵役期間の制定、そして、同年11月に「屯田兵召募規則」を定め、従来の原則士族を改め、族籍を問わず適格者を選ぶことになりました。
 これ以降、入地の屯田である永山、美唄、当麻などを平民屯田と呼びました。

(参考)
当ブログ2010年 5月30日(日)「屯田兵移住のみちのり」
当ブログ2010年 5月29日(土)「屯田兵設置の目的」
当ブログ2010年 5月26日(水)「屯田兵の設置」
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当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市総務部「新江別市史」146-147頁.
写真:北海道庁設置の布告
 北海道開拓の村記念館にて撮影許可を得て、掲載いたしております。
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屯田兵移住のみちのり

2010年05月30日 | 歴史・文化
 屯田兵の移住は、「厚キ保護」を受けたといはいえ一大決心でした。

 祖先伝来の孜々営々(ししえいえい)として築き上げてきた人と土地の関係を断ち切り、未知の地にダイビングするぎりぎりの選択でした。
 その移住までの道筋の大略は次のとおりです。
1.召募地域に公示し、希望者を募りました。
2.応募者の適否を決定し、
3.春に合格者に通知され、
4.当日集まった希望者を船で上陸地に運ぶ
5.上陸地で入地場所や家屋が決定され、
6.それに基づき隊が編成され、
7.集団で現地に入るました。

 屯田兵移住者心得は、まるで幼児を諭すような文言が続きました。
出発前の心得では、家屋敷を売り払い、背水の陣をひくように求めました。
そして、荷物については1戸に付8個以内、総重量は72貫まで、などです。
 乗船場及び乗船の心得では、船室は各県別に分かれ、病気になると医者に申し出る、子どもを甲板に出さない、などが記されていました。

 次に、明治18(1885)年7月入地の野幌屯田の移住の道のりをみていきましょう。
 石川、鳥取、佐賀、熊本、鹿児島の5県138戸が、佐渡丸にて小樽港に入ったのは、6月30日です。
 小樽で一泊し、そこで兵屋の番号くじを引きました。
 翌7月1日、幌内鉄道の運炭用無蓋貨車で手宮から江別駅(註野幌駅は未開設)に到着しました。
 週番所(中隊本部)のある現江別小学校の近くに集合し、宣誓式に臨みました。続いて、幹部からこまごました事項の注意がなされました。

 「式が終わると、新兵たちは、家族と一緒にまた長い不規則な列になって、一里もある野幌第四中隊の兵屋に向かって歩き出しました。(中略)物をさえぎる密林はいよいよ深くなっていきました。その薄暗い道を通って、やがて新兵たちは、野幌兵村に到着しました。(中略)村道から見る兵屋は、幾抱えもある大木と熊笹の間からわずかに屋根の一部が見えるだけである」(『士族屯田兵』)。

(参考)
当ブログ2010年 5月29日(土)「屯田兵設置の目的」
当ブログ2010年 5月26日(水)「屯田兵の設置」
当ブログ2010年 5月24日(月)「集団帰還の前後」
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当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市総務部「新江別市史」145-146頁.
写真:北海道指定文化財野幌屯田兵第二中隊本部
 江別市野幌代々木町38

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屯田兵設置の目的

2010年05月29日 | 歴史・文化
 屯田兵の設置目的を要約すると、(1)北辺の守り(国防)であり、(2)開拓であり、貧窮士族の救済、の三つの柱に、更に(4)道内の治安維持(警察)と、(5)兵即農の合理化による経費の節減など、政治的に、財政的に、多様な要求に応えようとしたものでした。

 屯田兵の資格の第一は、「強健ニシテ兵農ノ動作ニ堪フルモノ」(明治23年・屯田兵徴募規則)です。当然のこと応募者の体格(身体)検査に重点がおかれました。同検査は、「陸軍志願兵身体検査規則」によるが、家族の中に遺伝性の病気に罹った者の有無なども調べられました。

 年齢は、初期が18-35歳、明治18年に17-30歳、同23年以降は17-25歳までの者で、身長は5尺以上を目安としました。その他、身分や財産上に故障のないことでした。故障とは、「禁固刑を受けた」などの身分上の者や、「破産宣言を受けた」など、財産上のことを指していました。
 以上の他、重要なものとして二つが挙げられます。
一つは、兵員となる本人以外の家族の中に、本人を助け開拓に従事する身体強壮の者二人以上を求めました。妻や兄弟姉妹、あるいは父母がいなければならず、もしいない場合には、相当無理な、不自然な工作がなされました。例えば、にわか養子の縁組などで、公然と数合わせが行われたと伝えられています。

 もう一つは、族籍です。
 初期は、士族が原則でした。最も養子縁組などにより必要な編成を整えたため、家族全員が士族の系譜とは断言できませんでした。そして、何よりも募集法法を志願制とし、最初から平民を排除したものではなかったのです。事実、江別においては、明治14年入地の篠津屯田における養蚕得業者は士族ではありませんでした。しかし、原則士族であることには変わりありませんでした。

 明治23年、従来の「屯田兵徴募規則」を廃止し、新たに「屯田兵召募規則」を制定し、族籍を問わないことになりました。そのため、上川、北見など23年以降の入地屯田兵は、かなりの割合を平民が占めていました。
 その後の制度改正などえ、上記の括りから洩れる者もいました。

 最初の屯田兵入地は、明治8年5月の琴似屯田198戸、965人でした。更に翌9年5月山鼻屯田240戸、1千148人が入地しました。そして、第三次が11年8月の江別屯田10戸、56人の入地と続きました。
 江別村の設定は、この屯田入地をもってなされました。

註:江別市総務部「新江別市史」144-146頁.
写真:「屯田兵移住に関する達」
 北海道開拓記念館にて撮影許可を得て、掲載いたしております。
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江別創造舎江別カルタ制作中間報告

2010年05月28日 | 地域
 江別創造舎江別カルタ制作中間報告を申しあげます!

 5月26日(水)、江別創造舎は、定例会議を開催いたしました。
 現在、皆様よりご応募いただきました句と題材の照合・見直し等細かな作業を行っています。
 これまで当ブログで綴って参りました江別の歴史・文化の深さは、充分皆様に伝わっていることと思います。この中から、48枚のいろはカルタを制作することの重責を感じつつ、メンバー一同真摯に取り組んでおります。
 取り札についても、絵図の選択を同時進行で行っております。
 日本の四季も念頭において、新たに撮影をすることも検討いたしております。

 江別カルタ完成に向けて作業を続けながらも、完成後の話題で盛り上がる等、夢は広がります。
 江別文化・歴史を綴った江別カルタ完成をご期待ください。
 そして、完成まで温かく見守っていてください。

 江別カルタ完成まで、随時当ブログにて中間報告をさせていただく所存です。
 皆様のご支援、何とぞよろしくお願い申しあげます。
 
写真:江別市保存樹木樹齢100年ポプラ
 江別創造舎のシンボルとしている樹齢100年のポプラです。
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江別版百年物語ー地図から見る地域の移り変わりー講座のご案内!

2010年05月27日 | イベント
 このたび。江別版百年物語ー地域からみる地域の移り変わりー講座開講のご案内をいたします!

 江別創造舎カルタ制作プロジェクトリーダーでいらっしゃる渡辺良洪氏による江別版百年物語講座は、2009年度7月より連続講座として江別市民活動センターにて開講して参りました。
 また、渡辺氏は、これまでの江別カルタ制作の傍らで江別の歴史・文化を題材にして2008年度より同センターにて連続講座を開講され、今回の講座で通算60回を迎えます。

 歴史・文化に精通した方の講座は、各地で各種開講されております。渡辺氏の講座の特徴は、渡辺氏が情報収集された中で厳選された情報が盛り込まれた資料が配布される点です。 
 これまでに渡辺氏の講座をご聴講なさった方は、貴重な資料が随分増えたのではないでしょうか?
 研究熱心な渡辺氏のご講座にご期待ください!
 皆様のお越しをお待ちいたしております!

 江別創造舎渡辺良洪氏の江別版百年物語ー地図から見る地域の移り変わりー講座の日程は、下記のとおりです。
1.日時  2010年5月28日(金)10:00-12:00
2.場所  江別市民活動センター・あい 交流サロン
3.講師  渡辺良洪氏(江別創造舎)
4.題目  「江別版百年物語ー地図から見る地域の移り変わりー」
5.費用  無料

写真:「人が集えば文殊の知恵袋講座」渡辺良洪氏ご講演模様
 北翔大学エクステンションセンター教養講座「人が集えば文殊の知恵袋講座」は、毎回ゲストスピーカーをお招きして開講している講座です。
 
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屯田兵の設置

2010年05月26日 | 歴史・文化
 明治3(1870)年10月、開拓次官黒田清隆は、太政官に北地問題に関する建議書を提出しました。

 黒田清隆の意見の要旨は、旧体制依存による北海道の分領支配をやめ、政府が直接かつ緊急に開拓に全力投入をすべし、に尽きます。
 特に、幕府以来のロシア南下の恐怖を払拭できぬ現今、北海道開拓の伸展あってこし、「北門ノ鎖鑰(さやく)始メテ固カラン」(註:北方の戸締まりが強固になる)と力説しました。

 黒田の意見書提出があった同年1月、開拓使の内部に、初めて屯田兵制度の構想が浮上しました。その具体化までには、なお数年を要しましたが、黒田の意見はほぼ容認され、明治5年以降の開拓使定額金「10カ年、1千万両ヲ以テ総額トス」が決定しました。この年額は、これまでの5倍という飛躍的な増額となりました。

 かくのとおり、対ロシア問題を念頭に、早くから屯田兵設置の構想がありました。特に廃藩置県後の国内の社会不安が、これを加速しました。
 道内では6年5月に起こった福山、江差の粉擾が屯田兵設置を促す大きな因となりました。この時、海産税1割徴収の方針に対し、漁民約2千人が立ち上がりました。しかし、この鎮圧に向かった政府の在道治安力は、現地に駆けつけた黒田の目には、なきに等しく映っていました。

 黒田清隆は、6年11月、右大臣岩倉具視に宛、「屯田兵制の施行などの件につき建議」を提出しました。
 同12月、これが基本的に承認されました。
 なお、これが具体化されたのは、翌7年10月30日の屯田兵例則の制定をまたなければなりませんでした。この間、開拓使と陸軍省の間で屯田兵の指揮権を巡り調整が続けられました。特に、兵即農という特異な制度だけに、理論上、組織上の整備や関係方面の共通認識にも時間がかかりました。

(参考)
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当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市総務部「新江別市史」144頁.
写真:北海道指定文化財野幌屯田兵第二中隊本部
 江別市野幌代々木町38
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祝!江別創造舎ブログ開設2周年!

2010年05月25日 | 地域
 江別創造舎がブログを開設して、ちょうど2周年を迎えました!

 2008年5月25日(日)江別創造舎は、地域文化振興活動の一環としてブログを開設いたしました。
 そして本日、2周年を迎えました!
 江別創造舎のブログをご覧いただいております皆様、ありがとうございます!
 
 ブログ開設当初は、北海道労働金庫様のご支援を得て、江別文化・歴史カルタ図案化ポスターを手がけていた時期にあたります。
 そして、2周年を迎えた今、江別カルタ制作の最終章の年として、メンバー一同真摯に取り組んでおります。

 平素の皆様のご支援に際し、心より御礼申しあげます。
 ご覧いただいております皆様に感謝の意を表し、日々ブログを綴って参る所存です。
 今後共何とぞご支援の程、よろしくお願いいたします!

写真:江別創造舎製作「江別カルタ図案化ポスター」
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集団帰還の前後

2010年05月24日 | 歴史・文化
 明治30(1897)年、上野正は同15年の創立から3期15年にわたり務めた対雁移民共救組合の庁を辞任しました。

 対雁移民代表木下チコヒロたちから、あなたを親と思い、自分たち移民を子と認め、「組合永続或ハ独立窮民救助ノ方法一切委任スル」(既出「約定書」第二条)とまで頼りにされた組合事業から離れることになりました。
 労働力不足、加えて25年以降の連年の不漁、更に追い打ちをかける相次ぐ移民の樺太帰還などが重なり、共救組合の維持運営を極めて困難な局面にありました。
 上野の辞任は、大きな節目となりました。

 上野正辞任後、組合は組合員のみで運営することになりました。ところが、連年の不漁に追い打ちをかけるように、31年は全道を襲った大洪水に見舞われました。特に、石狩川に洪水被害は大きく、多くの組合員も漁船や漁具を流失するなどの打撃を受けました。不漁につぐ水害でした。

 明治38年9月、ポーツマス条約が調印され、日露戦争は終わりを告げました。
 戦後、南からふとは日本領土となりました。そのため、樺太アイヌの帰還の流れは、一気に加速しましたが、その流れは同年7月日本軍が樺太全道を制圧した頃から始まったようです。
 
 集団帰還に際し、当面した問題は、帰住後の生活設計と帰還費用の調達をどうするか、ということでした。
 帰還費用の調達については、組合の基本財産である現金、それに漁場や畑地などの売却が検討されました。
 対雁関係では、共有地50余町を担保に、拓殖銀行から1,20円を借り受けていました。
 この年10月、上野正が樺太に渡り、漁場付与の件について熊谷民政長官に請願していました。組合の長辞任から8年後の上野の登場は唐突な感じがしないわけではありませんでした。辞任後も何らかの形で共救組合との関係が続いていたのだろうか。それとも組合とは別に、彼自身の自己決算であったのだろうか。

 明治39年10月、強制移住樺太アイヌの最後の集団帰還は終わりました。
 「30年の歳月と多額の国費を投入し、しかも彼等の半数に近い同胞を失わせて再び元の地に帰したことになる。この移住は、一体何だったのだろう」(『対雁の碑』)。
 これは、歴史的な問であると共に、今日なお重く問い続けられています。

(参考)
当ブログ2010年 5月23日(日)「組合事業」
当ブログ2010年 5月20日(木)「共救組合設立」
当ブログ2010年 5月19日(水)「廃使置県・保護の打ち切り」
当ブログ2010年 5月15日(土)「海運の統一」
当ブログ2010年 5月13日(木)「石狩厚田の漁場」
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当ブログ2010年 5月10日(月)「小樽から対雁へ」
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当ブログ2010年 4月30日(金)「対雁の市街地的発展から農村村形成」
当ブログ2010年 4月28日(水)「豊平川の流れ」
当ブログ2010年 4月27日(火)「幌内鉄道と村の衰退」
当ブログ2010年 4月22日(木)「函館・福山・江差」
当ブログ2010年 4月21日(水)「室蘭の状況」
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当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市総務部「新江別市史」141-143頁.
写真:ツイシカリ番屋之圖「再航蝦夷日誌」
 同上書97頁掲載図2-8を複写・掲載いたしております。

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組合事業

2010年05月23日 | 歴史・文化
 上野正は、移民たちに全幅の信頼を寄せられ、白紙委任状を渡されたようなものでした。

 「対雁(ついしかり)の碑・樺太アイヌ強制移住の歴史」は、約定証の作成などの経緯は定かではありませんが、その内容は他に類を見ないものだとしたのは、この点を示しています。この申し入れを受け、上野が官途を辞したのは、彼36歳の時でした。

 明治15(1882)年9月1日、対雁村旧樺太移民供救組合の設立(認可)されました。組合資金1万5千余円、漁場は鰊漁場三カ所、鮭漁場四カ所、土地は対雁の共有地でした。
 組合の主な事業は、同共救組合文科章程第一条に「組合営業上ノ盛衰一点アリ」と挙げられた漁業でした。次いで、製鋼所における漁網製造、そして農業、でした。事業を円滑に展開するため、漁業科、製網科、農事科(その他庶務科、出納科)を置き、それぞれに担当役員を決めました。

 設立当時の戸数139戸、人口750余人、うち労働人口は約250人(男150人、女100人)で、その大方は厚田、石狩の組合漁場で汗を流しました。
 明治19(1886)年1月現在、組合員戸数134戸、人口700余人、うち厚田、石狩に100戸余、約600人が住み、対雁現在は約30戸、100人ほどであるとされています。既に対雁は、移民の生活と生産の本拠地とはいいがたい状態でした。本籍対雁、現住所は石狩か厚田というのが実態でした。特に来札(石狩)が多かったようです。

 こうした実態をふまえ、上野正は、札幌県勧業課宛に伺いを出しました。
 対雁から石狩、厚田の漁場へ通うのは不便であり、経済的損失は計り知れないものでした。この状態を解決するために、「石狩、厚田両漁場ニ近キ所ヘ 共有耕宅地ヲ拝借、銘々仮小屋ヲ免シ 漁業ノ余暇ニハ各自食物 或ハ自用製網等ノ農産ニ就カシムル方法ヲ設ケ度」(「供救組合石狩厚田方面ニ寄留営業ニ付御内訓伺」)と願い出ましたが、なぜか県の許可するところとなりませんでした。

 組合の経営は、はかばかしくありませんでした。
苦渋に満ちたっものとなりました。とりわけ、肝心要の漁業の不振が足を引っ張りました。明治17年後期決算では、漁獲品の下落により、「老幼の扶養」するのも難しい局面に逢着し、同18年下期では、【未曾有ノ薄漁ニテ 漁民一同9分通り収支ノ目処不相立」(決算損失ノ説明)云々と、目下の生活にする窮していました。不安と苛立ちは募る一方でした。

(参考)
当ブログ2010年 5月20日(木)「共救組合設立」
当ブログ2010年 5月19日(水)「廃使置県・保護の打ち切り」
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註:江別市総務部「新江別市史」139頁.
写真:宗谷からの再移住に先立ち石狩地方の実地見分を行った際の写真
 同上書133頁掲載「写真3-36」を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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江別クリーンウォーク大作戦!開催のご案内!

2010年05月22日 | イベント
 このたび、江別クリーンウォーク大作戦開催のご案内をいたします!

 江別青年会議所主催江別クリーンウォーク大作戦が開催されます。
 江別市野幌地区で開催されます江別クリーンウォークは、清掃ボランティアによって街のゴミ拾いを行うものです。

 地域に活かされ、地域に生きる私たち
 一つひとつの活動が
 地域の輪となっていくのです。

 美しい街づくり
 それは、そこに活かされている私たちの務めだと思います。

 江別青年会議所主催江別クリーンウォーク大作戦の日程は、下記のとおりです。
1.日  時  2010年5月23日(日)10:00-11:30(予定)
2.集合時間  9時50分
3.集合場所  野幌旭公園
4.持 ち 物  軍手・火ばさみなど清掃用具

写真:江別市野幌幸町所在やまほ電器店
 北翔大学短期大学部人間総合学科インターンシップで大変お世話になっているやまほ電器さんです!
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