戸長役場の設置に伴い、その管轄区域が地方団体の区域となりました。
最も「戸長役場ハ其町村ノ便宜ニ依リ私宅ニ於テ事務ヲ取扱モ妨ナシ」と定めにあるように、戸長役場は千徳の自宅です。
千徳は、天保11年(1840年)陸中国鹿角郡毛馬内村に生まれました。
慶応3年(1867年)北海道に渡り、翌年さらに樺太の久春古丹に入りました。
やがて開拓使樺太支庁の仕事をしたのち、内淵に住み着き、同地のアイヌ人女性を伴侶としました。
息子の千徳太郎治は、父の樺太時代を次のように伝えています。
明治4年11月在職中勉励に付金20両頂戴、以上樺太における遺歴にして、ナイプチ川のところに2階建の家屋を建設、移住民当時平右衛門、勘、徳次郎等の邦人がここの開拓に従事していたのです(『樺太アイヌ叢話』昭和4年)。
ところが、千島樺太交換条約の締結によって対雁への転居やむなきに至る。
ただ、これまでの経歴からいって、開拓使が村行政を委ねられる人材でもありました。
明治12年(1879年)には、旧制度の対雁・江別2カ村戸長に任命され、新制度発足により、改めて初代戸長となりました。
ただし、千徳の在任は6月で終わる。7月には新たに設置された篠津村戸長を兼ねて、7年に対雁村に自費移住していた新家孝一が任命されました。
地元からの任用はこの2人だけで、北海道庁が開庁してから北海道2級町村制発足までの約20年間、道庁の人事の一環として計6人の戸長が任命されました(別巻・歴代首長参照)。
註 :江別市総務部「新江別市史」349-150頁.
写真:開拓使時代の町村制度と対雁・江別村
江別市総務部「新江別市史」350頁掲載表6-1を複写・掲載致しております。
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はじめまして、
江別出身の落合と申します。
私の母方の6代前の先祖がその千徳瀬兵衛になります。
千徳太郎治も親戚にあたります。
一族を代表してお礼申し上げます。
ありがとうございました。