江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

50年代高齢者福祉の伸展

2013年02月26日 | 歴史・文化

 55年4月、市は静苑ホームに委託するかたちで寝たきり老人の短期保護と入浴サービスを開始しました。

 短期保護、いわゆるショートスティとは、寝たきり老人を介護している家族がやむを得ぬ理由で不在となる時、代わりに介護を引き受ける制度です。

 市の調査では、当時対象者は、65人前後でした。
それまでは、広島町の養護施設を利用せざるを得なかったため、地元での事業開始に、関係者の喜びは大きかったのです。
 また、入浴サービスについては、静苑ホームの搬送車で送り迎えすることで実現しました。これらはいずれも在宅福祉の柱であるショートスティ、ディサービスの先駆けをなすものでした。

 昭和61年3月刊の江別市老人クラブ連合会20年記念誌所載の記念座談会において当時の同連合会会長畑義知は、『江別市は老人医療は勿論、その他のいても老人福祉の施策が良かったので、老人になったら住むなら江別と江別に移動してきた者もいるほど有名』だと発言しています。
 当然異論はあるにせよ、全国、全道レベルよりも高い水準で実施された老人医療無料化は、江別における高齢者対策のひとつの華でした。
 老人の抱える悩み、不安の大半は、(1)健康、(2)経済問題、(3)家族関係、に集約されることから、医療福祉が歓迎されたのも当然であり、それが即福祉の江別を形象したといっても良いでしょう。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」404-405頁.
写真:昭和40年7月第1回江別社会福祉大会
 同上書402頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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高齢者事業団

2013年02月25日 | 歴史・文化

 53年4月道内初の高齢者事業団が江別に生まれました。

 これは、生きがいとしての就労に着目、経験の豊かな老人の技能を社会に活かすと共に、生活の安定をねらったものでした。
向ヶ丘の旧札幌法務局江別出張所を事務所に、会員160人でのスタートでした。
 市から補助金は出ましたが、運営は全て会員の自主性に委ねられました。
運営のしくみは、会員が事業団に自分の得意とする業種を登録し、事業団は受注した仕事を会員に割り振り、報酬は事業団から会員に配分されるというものでした。
 
 この事業団発足の引き金となったのは、52年7月、元・江別市職員藤川浩らが中心となり設立したホクセイ企画の成功です。
 藤川らは高齢者に働く場を開拓しようと、同企画を作り、住まいのリフォーム、石油ストーブのリフォーム、草刈りなど環境のリフォームを業務の中心に据え、定年退職者をスタッフに業務を開始、順調に事業を伸ばすことになりました。

 これが、高齢者福祉の観点から関係者の注目するところとなり、同事業団の誕生に結びつきました。
 その事情は、以下の52年9月開催議会における論議(抄)のとおりです。

Na 議員
 高齢者の豊かな経験や知識、技術を活かす働く場のないことが実態です。そうした中、この7月、民間の有志の方々が事業を起こしましたが、市は物心両面の援助をすべきです。また、近い将来、高齢者事業団の設立を考えたらどうか。
山田市長
 ホクセイ企画については、市においても援助したい。現に学校関係や建設関係などの一部を発注しています。また、事業団設立に関しても、藤川社長と、そういう方向で話し合ってみたい。

 事業団設立当時の会員である豊田武雄は、『当時は市の請負で公園や墓地の草刈りや管理が主でした。それに、学校の集合煙突掃除や窓ガラス拭きも一手に引き受けていました。最初の事業団は、貧乏世帯で、草刈り機も1台しかなかった。』といいます。
 また、10年間草刈りと庭の冬囲いを専門にしてきた本間義夫は、『昼休み、丸く輪になって、皆と昔の苦労話をするのが楽しみ。いろんな人生を歩んできた人たちですからね、体験談に花が咲いたり、慰め合ったり』と、事業団で働く楽しさを語りました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」403-404頁.
写真:山田市長
 同上書353頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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高齢者生きがい対策

2013年02月24日 | 歴史・文化

 55年の国勢調査においては対前回調査(50年)比、65歳以上の老人人口が1.1%高い6.8%となり、いよいよ高齢化社会に突入したことを印象づけました。
同時に、この時期一人暮らしの老人の増加が顕著となりました。

 江別市社会福祉議会が58年7月に実施の調査によると、一人暮らしの老人は、48年の66人から50年148人、53年207人、57年283人と年々上昇カーブを描いていきました。
さらに、52年度の道民生活白書が老後の諸問題の典型として寝たきり老人を挙げたように、これもまた50年代の老人福祉における一つの大きな問題として顕現したのでした。

 こうした中で、52年7月に策定された北海道発計画は、その老人福祉の向上の柱として、(1)保険医療の充実、(2)福祉施設の充実、(3)在宅援護の充実、(4)生きがい対策の推進、の4項目を挙げましたが、なかでも50年代に入り論議の中心となったのは生きがい論、生きがい対策でした。

 老人クラブは、孤独に陥りがちな高齢者にとって、孤独感からの解放と生活の中に明るさや積極性をもたらすサロンです。
江別においては、30年代後半からクラブの組織化が進み、45年で16、50年で38、55年で42、約3千500人の会員を持つ大世帯となりました。
 歌と踊りと旅行に偏っているとの批判がないわけではないですが、それもまた良しとしなければならないでしょう。
 なぜなら、弥生町老人クラブの本間義夫がいうように『私たち幸せですよ。昔の年寄りは、カラオケなんて、まして歌を歌うこともなかった。』のです。

 老人クラブの活動は、レクリエーションだけではありません。
健康診査の受信、交通安全の啓発、そして市教委の老人大学で学ぶなど、その活動の幅を広げていきました。
こうした活動の活発化に呼応して、市は48年に緑町、上江別、50年野幌、53年緑町(改築)、55年大麻(おおあさ)、にそれぞれ老人憩の家を建設、地域の高齢者が心おきなく手足を伸ばせる施設の充実に努めていました。

 また、在宅福祉の推進にとっては必須の住宅対策として、49年度から老人居室整備資金(道制度)の貸付を開始しました。
これは、高齢者と一緒に暮らすための老人専用の部屋を増、改築する場合、100万円を限度として貸付るものでした。
市内では、53年度までに74件、54年度以降61年度まで34件、約4,921万円の貸し出しとなりました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」402-403頁.
写真:昭和55年5月大麻(おおあさ)老人クラブの記念植樹
 同上書403頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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北海道開拓の村ひなまつり!

2013年02月23日 | イベント

 このたび、北海道開拓の村ひなまつり開催のご案内をいたします!

 北海道開拓の村では、恒例のひな飾り公開展示を行っています。
北海道開拓の村内7カ所にて、大正から昭和後期のひな人形16組と掛け図を公開展示しています。

 また、本日(2/23)より、折びなづくりが開催されます!
折り紙を使って内裏びなや三人官女などをつくります。
なお、会場では、甘酒とひなあられの無料試食が提供されますよ。

 北海道開拓の村ひなまつりの日程は、下記のとおりです。
1.ひな人形の公開展示
2013年3月24日(日)まで9:00~16:30

2.折びなづくり
2013年2月23日(土)~3月3日(日)まで10:00~16:00

3.入村料  一般680円・高校および大学生550円
       中学生以下および65歳以上は無料


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夢工房トンデンファームガーデンセール開催のご案内!

2013年02月22日 | イベント

 このたび、夢工房トンデンファームガーデンセール開催のご案内をいたします!

 トンデンファーム自社直営白老牧場生産和牛の販売をはじめ、ご自慢のソーセージや煮豚などがずらりと並びます。

 また、トンデンファームのアイドルとなったアルパカの赤ちゃんのお披露目タイムもあります!

 トンデンファームガーデンセールの日程は、下記のとおりです。
1.期間   2013年2月23日(土)~24日(日)
       10:00~17:30
2.場所   夢工房トンデンファーム
       江別市元野幌968−5
       011−383−8208

 夢工房トンデンファームについては、こちらをご覧ください。


写真:トンデンファーム

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民生委員と社会福祉協議会

2013年02月21日 | 歴史・文化

 50年代以降、保護率は全国、全道平均より低い水準で推移しました。

 しかし、世帯数でいうと53年に400台、57年には500台と漸増の傾向を辿っていました。
こうした保護世帯は、母子家庭や老人家庭、さらには傷病者、障害者家庭など社会的弱者の立場にあり、経済変動などにより全的にダメージを受ける層でもありました。
そのため、日常的に、しかも地域において生活自立安定を図る等の相談指導の活溌化が求められますが、その前線にあるのが民生委員です。

 民生委員は、戦前・戦中の方面委員です。
21年の生活保護法の施行と同時に名称を民生委員と改め、生活保護の要否を決定する市町村長の補助機関となりました。
 しかし、25年の生活保護法の全面改正により、それまでの補助機関から協力機関に改められ、生活保護のみでなく社会福祉全般について地域におき推進することになりました。

 42年12月から同委員として活躍した三井房子は、当時の生活保護活動について次のとおり語っています。
 『今と違い、毎月の生活保護支給額を記入したカードを1軒1軒家庭を訪問しながら配布して歩きました。受給者は、そのカードを持って福祉事務所にお金をもらいに行く仕組みでした(51年度から銀行口座振り込み)。
民生委員はプライバシーが大切ですから、カードを配る時も気を使いました。その家に私が盛んに出入りすれば、近所に保護を受けていると知れるから、自分で私の家にカードを取りにくる人もいました。』

 その他、20年代においては引揚者援護、30年代は世帯更正運動などに取組み、42年の民生委員制度50周年記念時に活動強化要綱が作成され、福祉相談、社会福祉モニター活動などを中心に日常活動の活発化が図られました。
 ちなみに、民生委員のモニター活動としては、居宅寝たきり老人実態調査(42年)、父子世帯実態調査(44年)、母子家庭と児童の実態調査(50年)、在宅障害児実態調査(55年)など、ほぼ毎年のごとく地域実態の把握につとめ、行政機関に反映させるなど福祉施設充実の一翼を担っているところです。

 26年4月、江別町社会福祉協議会が発足しました。
同協議会は同年の社会福祉事業法に基づく民間組織で、目的は社会福祉の事業に関する調査、総合企画、連絡調整などを通し、当面する諸問題の解決にあたろうというものです。
運営は、各部会を主体に行われますが、31年度においては奉仕者、青少年児童福祉、母子福祉、地域福祉、保護司、戦没家族福祉、身体障害者福祉の7部会構成となっています。

 その後、同協議会は、39年唐自治会の組織づくりに着手しました。
これは、37年の北海道社会福祉協議会の住民組織整備要項に基づくもので、同要項は地域福祉の増進をはかるためには、住民の自主的活動体制が必要とし、町内、部落を単位とした住民組織の整備を促したのでした。

 これを受けての自治会づくりであり、40年に自治会が誕生したのを皮切りに以降、44年65、50年91と、年々組織率を高めていきました。
そのため、同協議会は従前の民生委員、保護司、婦人団体など目的団体を中心としたものから、住民組織に立脚した地域密着型のものへと脱皮していきました。

 そして、45年2月には法人格を取得し、50年代の地域福祉の担い手としてさまざまな福祉施策を展開することになりました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」401-402頁.
写真:第1回江別市社会福祉大会分科会で意見発表する民生委員(昭和40年7月)
 同上書402頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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北翔大学短大部インターンシップ第2陣スタート!

2013年02月20日 | 教育・学校

 このたび、北翔大学短期大学部ライフデザイン学科インターンシップ第2陣スタートのご案内をいたします!

 本日(2/20)から北海道立図書館にてインターンシップがスタートいたします。
また、翌日2/21から、NPO法人えべつ恊働ねっとわーくにてインターンシップがスタートいたします。

 大学所在地である江別市において、本年北海道立図書館およびNPO法人えべつ恊働ねっとわーく、そして有限会社やまほの3カ所にて本年のインターンシップが展開します。
 江別市におけるインターンシップの先陣として本日道立図書館にてスタートです!

 江別市に位置し、
 市民の方々の大きな機能を果たされている道立図書館、えべつ恊働ねっとわーく、
 皆様のご支援を得ながら
 学生たちが豊かな感性と学びの心をもって大きく羽ばたいてくれることを願っています。

 皆様、大変お世話になります!
 何とぞご指導の程、よろしくお願い申しあげます!

写真:冬の道立図書館

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母子会と福利食堂

2013年02月19日 | 歴史・文化

 30年1月母子会が誕生しました。
市役所2階の会議室に約120人が集まり、設立総会を開設、会長には民生委員でもあった竹浪みよしが選ばれました。

 その後、会長となる陣内ひさしによれば、『(会員は)樺太の引揚者や戦争が原因の母子世帯が多かった。それと、あの頃、母子世帯に対する福祉的なものが皆無でしたから、心の拠り所というと、母子会しかありませんでした。それこそ、助け合い、慰め合い、励まし合い、という三つの合言葉で、そしてわが幸せは、わが手でというのがモットーの時代』であったといいます。

 その後、母子会は運営資金づくりに野幌名物の煉化もちなどの物資販売を行いながら懇談会、バス旅行、運動会、それに1日お父さんの集いなどの細やかな肩寄せ合う事業を展開、三つの合言葉を確認し合うのでした。

 1日お父さんの集いは、母子世帯を明るくする運動(5月1日~31日)の一環として、31年5月に第1回が開催されました。
市内有志に1日お父さんになってもらい、徒競走やリレー、クイズなどレクリェーションに終日楽しみました。
『市長さん、郵便局長さん、道会議員の大久保さん、そういう肩にお父さんになってもらうのですが、これが今でも子どもたちの印象に残っているんですね。おんぶしてもらったり走ったり、手をつないで走ったり・・・・』(前出・陣内ひさし)。

 こうした沈みがちな気持ちに活力を注いでいく一方、やはり生活の安定のためには就労の場の確保が不可欠でした。
 
 昭和41年6月、母子会は新庁舎に設置予定の食堂、あるいは売店に母子家庭の子女に就労の機会を与えてほしい、との陳情を出しました。
 『最近の物価上昇にひきかえ、婦人の稼働賃金の低いことは皆様のお認めいただけることと思いますが、その仕事の内容も雑役、掃除婦、または屋外労務など、期末手当、石炭のような仕事さえも就くには難しい現状であります(後略)』と、母子家庭を取り巻く厳しい労働、就労環境を訴えたのでした。

 『42年に大きな職場開拓ということで、庁舎内に食堂ができて、今でも続いていますが、母子家庭の人たちが何人働いたかわかりませんよ。報酬は、気の毒だと思う位安いけれども、皆さん自分たちの食堂という意識で張り切った』のでした。
 その後、46年には、文京台の福祉センター内にもレストラン福祉を経営するなど、母子会の就労の場拡大の努力は続きました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」398-399頁.
写真:母子会の一日お父さんの集い(昭和32年5月萩ヶ丘児童遊園地)
 同上書398頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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母子福祉の進展

2013年02月18日 | 歴史・文化

 昭和28年4月施行母子福祉資金の貸付等に関する法律が制定されました。

 これは、それまでの生活保護法を通じて行ってきた母子世帯の救貧的、防貧的なものから、積極的な自立更正を目的にしたものでした。
 また、同年、母子相談員が設置され、母子世帯の相談相手となり、各関係機関との協力のもと、自立更正を手助けすることになったのです。

 また、昭和30年11月、元江別母子寮が開設されました。
 建物は、旧王子航空機工場の独身工員寮を改善したものです。
 戦後は、王子更正協会が、夫が出征や徴用で出たまま帰還していない王子関係の母子世帯を入居させていたものでした。
 これを、市が改造し、母子寮としたのでした。
 
 また、31年度には対雁(現工栄町)に4棟(18戸)の集合住宅を建設しました。
これは、道営母子住宅(第二種公営住宅)を市が工事委託を受けたもので、10月末完成しました。

 入居を募集したところ18戸に対し、78世帯からの申込があり、母子世帯向けの住宅不足が歴然としたのでした。
 そのため、市は、32年12月、上江別に江別市母子寮を建設しました。
対雁が1戸当り7坪(14畳)に対し、上江別は1戸当り4畳半ないし6畳という狭いものでしたが、住宅不足の折柄、やがて満室となるのでした。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」397-398頁.
写真:昭和30年11月元江別母子寮(旧王子航空機工場の独身工員寮)
 同上書398頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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札幌盲学校

2013年02月16日 | 歴史・文化

 昭和49年4月、大麻(おおあさ)団地北側に北海道札幌盲学校が札幌から移転新築し、開校しました。

 総工費は、約8億5千万円、全国的にまれなほど整った施設となりました。
すなわち、5万9千m2の敷地の中に、鉄筋コンクリート3階建延べ4千400m2の校舎、その他体育館、寄宿舎も建設されました。

 施設面では、台所やトイレ、階段など一般家庭と同じ配置で作られた生活訓練室、その他視知覚機能室、直感訓練室、ステージ、レッスン室付き音楽室など、神経の行き届いた特別教室が設けられたのでした。

 同校の教育活動は、
(1)心身障害児に対する特殊教育、
(2)視覚障害児の教育、
(3)幼・小・中の教育指導、
(4)中学部卒業生の進路、でした。

 そして、特別指導として、
(1)空間、位置関係の学習、
(2)概念形成の学習、
(3)歩行の学習、などを行っています。


註:江別市総務部「えべつ昭和史」396頁.
写真:昭和49年4月札幌盲学校
 同上書396頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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