江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

対雁の市街地的発展から農村落形成

2010年04月30日 | 歴史・文化
 湧谷移民転出以後、開墾を目的に最初に対雁(ついしかり)に入植した和人は、安孫子助右衛門(明治18年及び同30-32年対雁村総代)といわれています。
開墾の傍ら、対雁渡船場付近で製菓、雑貨店兼宿場などを営んでいました。安孫子入植の頃、14年から16年にかけ13戸、29人、17年には8戸、29人の入植でした。

 明治20年代に入ると、明治23年且見留吉ら、26年に脇絹次郎、そして28年に砂川豊次郎が入植するなど、対雁の開墾は漸次進みました。
砂川が入植したのは、対雁川下(現篠津中島)と呼ばれていました。既に、石狩に通じる篠路街道もありましたが、石狩川が北へ馬蹄型に大きく湾曲する部分にあたり、水害常襲地でもありました。
「入植当時の対雁村川下には、既に数戸が入植していたようだ」(『砂川家同族史』)。同書で「ようだ」と表現されているのは、当時は街道を離れると一帯は密林(タモ、エンジュなど)で、隣家の様子など伺いようもありませんでした。

 明治22年2月、対雁村総代人小笠原長吉(21年-28年の総代人)は、道庁に対し、対雁学田用地28万2千225余坪(地目・樹林地)の貸下を出願、同年5月、許可を受けました。そして、これを甲区(川下・12万3千余坪)、乙区(角山・8万4千坪)、丙区(7万3千余坪)に分け、13年間で墾了の計画を立てました。
 23年、山名伊平は、乙区と丙区12区分のうち、5戸分を譲受け、24年に郷里徳島県から眷賊、知人を呼び寄せ、開墾に着手しました。27年に至り、山名の実績が認められ、道庁より貸し下げを受けました。ちなみに、28年度現在の山名名義の墾成実績は、乙区5万4千坪、丙区1万5千坪でした。

 対雁が農村地区として厚みを増すのは、30年代に入ってからでした。
そして、明治40年の在村土地所有者は40名であり、そのうち3町歩以上23名、3町歩未満17名でした。その他、村外の土地所有者は21名で、そのうち3町歩以上13名、13名の中には通い作が可能な者もいましたが、大半は、石狩、小樽、札幌、神居などで、小作地であったと考えられています。
 ちなみに、石狩町の所有者は、上野正の名となっており、これは大正14(1925)年に自作農創設により小作人吉川元吉他22名に譲渡したものです。

 つまり、樺太アイヌ所有地関係分だけで22名の小作人がいたのです。村外と地所有者の分についても、小作人が入っていたと推量されます。
 明治末期には70戸前後の農家(自作、自小作、小作)が存在していたと考えられます。
 明治42年江別村各部長実績弁償算出基礎(42年江別村会議事録)によれば、戸数81戸(非農家を含む)となっています。これは、大曲(大麻)の35戸、幌向太(豊幌)60戸、第三原野(美原)74戸を上回りました。

 学校についても、23年1月に村立対雁学校(地区の負担)となりました。当初は、学級数1、教員数1、の小さな小さな学校でしたが、42年には学級数2、教員数2となり、この年初めて運動会、修学旅行を実施、同校同窓会も発足しました。農村としての対雁が徐々に形成されていきました。

(参考)
当ブログ2010年 4月28日(水)「豊平川の流れ」
当ブログ2010年 4月27日(火)「幌内鉄道と村の衰退」
当ブログ2010年 4月22日(木)「函館・福山・江差」
当ブログ2010年 4月21日(水)「室蘭の状況」
当ブログ2010年 4月20日(火)「根室・釧路・厚岸の状況」
当ブログ2010年 4月19日(月)「小樽港の発展」
当ブログ2010年 4月18日(日)「札幌市街の発展」
当ブログ2010年 4月16日(金)「対雁駅逓所開設」
当ブログ2010年 4月15日(木)「対雁街道開設」
当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2009年 7月29日(水)「大麻駅開設」
当ブログ2009年 6月30日(火)「夕張鉄道接続駅ー野幌駅」
当ブログ2009年 1月13日(火)「郵便業務の開始」
当ブログ2008年12月19日(金)「人力軌道」
当ブログ2008年11月 9日(日)「通信の発達」
当ブログ2008年11月 3日(月)「野幌市街地」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月17日(金)「北海道炭礦鉄道会社から北海道鉄道株式会社へ改称」
当ブログ2008年10月 3日(金)「江別市章制定と江別市民憲章」
当ブログ2008年 9月11日(木)「最初の機関車 義経号.弁慶号」
当ブログ2008年 9月 3日(水)「要衝 江別港」
当ブログ2008年 8月 1日(金)「上川丸の就航」
当ブログ2008年 7月21日(月)「江別村商家」
当ブログ2008年 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
当ブログ2008年 7月10日(木)「空知集治監の開設」
当ブログ2008年 7月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市総務部「新江別市史」130-131頁.
写真:対雁学校校長の机と椅子
 北海道開拓記念館にて撮影許可を得て、掲載いたしております。
 
コメント

江別市市民植樹参加者募集のご案内!

2010年04月29日 | イベント
 江別市環境部主催市民植樹参加者募集のご案内をいたします!

 このたび、江別市環境部では市民植樹を開催いたします。
 個々の思いを記念日として、植樹してみませんか?
 広い天に向けて、徐々に枝を広げていく様は、自己投影され、大きな喜びと勇気となるのではないでしょうか。
 そして、お一人おひとりが植樹に参加することによって、環境保全という大きな社会的役割を担うこととなるのです。
 素晴らしい企画です。

 江別創造舎は、カルタ完成年記念として来年度植樹させていただこうと考えております。本年は開催日程が仕事と重なり、参加させていただけないのが残念です。それまで江別カルタ制作に真摯に取り組む所存です。

 江別市環境部主催市民植樹の日程は、下記のとおりです。
1.日  時  2010年5月16日(日)10:00-11:00(予定)
2.場  所  世田豊平川河川敷(工業町12)
3.定  員  家族・団体20組
4.費  用  無料
5.申 込 先  江別市環境部 
        011-381-1046
6.申込期限  2010年4月30日(金)
7.そ の 他 (1)服装・持参物について
          当日ご参加の際には、長靴やスニーカー等で作業のし易い
          服装で、スコップ持参でご参加ください。
        (2)植樹の種類
          桜の木など各種

写真:世界一の名桜岐阜県淡墨櫻
 上記内容と当ブログ掲載写真は、関係ございません。
コメント

豊平川の流れ

2010年04月28日 | 歴史・文化
 幌内鉄道の開通、江別駅の開業が、対雁村の市街的発展に待ったをかけました。それは、流通経路が水路から陸路に切り替わる、早い段階での江別における最初の現れでした。

 豊平川が「川の道」として注目されたのは、文化3(1806)年の幕府の西蝦夷地調査の時でした。
 「遠山村垣西蝦夷日記」によると、津石狩川と記され、「此所にて石狩川江落合申候右近年迄は小川に御座候処、45年以前大水にて、サッポロ川上に切所出来、其後ツイシカリ水深、船通路自由の川に罷成候由」と、交通の要衝であると、報告されています。
 ツイシカリヘイベツプトへ、更には千歳川を上り東蝦夷地へと至る。
以降、どれほど多くの人々が、この川の道を上り下りしただろうか。
江別駅の開業と共に、交通路としての豊平川の役割は、大きく後退しました。それは、村の近代的発展の位相で眺めると、対雁(ついしかり)村は鉄道の誘致ならずして、市街地的な発展の芽を摘まれたといっても良いでしょう。

 また、戸長役場が江別市街に移転後の対雁の景況を眺めてみると、「対雁は 樺太土人を移せし当時は なかなか見るべき一村落にて戸長役場あり郵便局もありしか 土人追々厚田方面へ転ぜしと 札幌炭田間の鉄道施設より俄に衰況を顕し 今では僅かに40戸未満の民家に 学校一カ所仏法教場二カ所にあるのみなり」(明治20年8月9日付北海道毎日新聞)と記されています。
 引用文中「仏法教場二カ所」とは、真願寺と法華寺にあたります。
 真願寺は、明治33(1900)年に、法華寺は同37(1904)年に、それぞれ江別市街へと移転しました。

 村の盛衰も町の繁閑も、人偽的なるもの全て、川の流れのように悠久ではありませんでした。

(参考)
当ブログ2010年 4月27日(火)「幌内鉄道と村の衰退」
当ブログ2010年 4月22日(木)「函館・福山・江差」
当ブログ2010年 4月21日(水)「室蘭の状況」
当ブログ2010年 4月20日(火)「根室・釧路・厚岸の状況」
当ブログ2010年 4月19日(月)「小樽港の発展」
当ブログ2010年 4月18日(日)「札幌市街の発展」
当ブログ2010年 4月16日(金)「対雁駅逓所開設」
当ブログ2010年 4月15日(木)「対雁街道開設」
当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2009年 7月29日(水)「大麻駅開設」
当ブログ2009年 6月30日(火)「夕張鉄道接続駅ー野幌駅」
当ブログ2009年 1月13日(火)「郵便業務の開始」
当ブログ2008年12月19日(金)「人力軌道」
当ブログ2008年11月 9日(日)「通信の発達」
当ブログ2008年11月 3日(月)「野幌市街地」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月17日(金)「北海道炭礦鉄道会社から北海道鉄道株式会社へ改称」
当ブログ2008年10月 3日(金)「江別市章制定と江別市民憲章」
当ブログ2008年 9月11日(木)「最初の機関車 義経号.弁慶号」
当ブログ2008年 9月 3日(水)「要衝 江別港」
当ブログ2008年 8月 1日(金)「上川丸の就航」
当ブログ2008年 7月21日(月)「江別村商家」
当ブログ2008年 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
当ブログ2008年 7月10日(木)「空知集治監の開設」
当ブログ2008年 7月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市総務部「新江別市史」129-130頁.
写真:現在の江別駅
コメント

幌内鉄道と村の衰退

2010年04月27日 | 歴史・文化
 明治9(1876)年以降、対雁村は、戸数と人口を増加させ、これから集約の充実に向かう勢いをみせていました。

 ところが、明治13(1880)年に手宮側から着工され、同15年11月に全線竣成の幌内鉄道(幌内ー手宮間約90キロ)が村の発展に待ったをかけました。
 明治15(1882)年11月に、江別駅が石狩川と江別川の合流点付近に開業したため、人と物と情報の流通経路が対雁の中心より約2キロ東南に離れた江別村の、江別川左岸に移ることになりました。
 当時の鉄道は、近代化の最先端であり、圧倒的物量と速度で経済と人びとの生活を結びつけ、刺激し、活性化させました。

 この幌内鉄道の施設に関し、対雁むらが拱手傍観していたわけではありませんでした。
「(戸長役場の設置以降)我ガ村ハ将来有望ナル発展トシテ衆目ノ見ル所トナリ 鉄道ノ如キモ此ノ村ヲ通過サスベク努力シ 尚土地所有権ノ獲得ニモ相当考慮ヲ要シタルモノ、如シ」(『対雁村史』)云々と、今日でいうところの「誘致運動」にも相当以上力を入れていたことが伺えます。

 しかし、誘致はならず、村況は衰退の節に入りました。
「江別ハ鉄道ノ開通ト共ニ漸次隆盛ノ域ニ進ミ 同19年役場位置ヲ江別ニ移転シ行末永キ町中心ノ基礎ハ既ニ此ノ時ニ樹立セシモノト言ハン」(前掲書)と、役場のみならず、郵便局の移転、さらには寺院や酒造業の移転なども続きました。この間に、樺太アイヌの来札(石狩)への移住もあり、対雁は開村以来の江別周辺の地を江別市街へ譲ることになりました。

(参考)
当ブログ2010年 4月22日(木)「函館・福山・江差」
当ブログ2010年 4月21日(水)「室蘭の状況」
当ブログ2010年 4月20日(火)「根室・釧路・厚岸の状況」
当ブログ2010年 4月19日(月)「小樽港の発展」
当ブログ2010年 4月18日(日)「札幌市街の発展」
当ブログ2010年 4月16日(金)「対雁駅逓所開設」
当ブログ2010年 4月15日(木)「対雁街道開設」
当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2009年 7月29日(水)「大麻駅開設」
当ブログ2009年 6月30日(火)「夕張鉄道接続駅ー野幌駅」
当ブログ2009年 1月13日(火)「郵便業務の開始」
当ブログ2008年12月19日(金)「人力軌道」
当ブログ2008年11月 9日(日)「通信の発達」
当ブログ2008年11月 3日(月)「野幌市街地」
当ブログ2008年10月28日(火)「野幌駅の開業」
当ブログ2008年10月17日(金)「北海道炭礦鉄道会社から北海道鉄道株式会社へ改称」
当ブログ2008年10月 3日(金)「江別市章制定と江別市民憲章」
当ブログ2008年 9月11日(木)「最初の機関車 義経号.弁慶号」
当ブログ2008年 9月 3日(水)「要衝 江別港」
当ブログ2008年 8月 1日(金)「上川丸の就航」
当ブログ2008年 7月21日(月)「江別村商家」
当ブログ2008年 7月19日(土)「北海道三県の諸事業分割」
当ブログ2008年 7月10日(木)「空知集治監の開設」
当ブログ2008年 7月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:江別市総務部「新江別史」128-129頁.
写真:大麻峡谷を走る弁慶号
 江別市郷土資料館資料を許可を得て複写し、当ブログ掲載いたしております。
コメント (1)

緊急企画!洞爺湖で感じる贅沢な時間!開催のご案内!

2010年04月26日 | 地域
 本年(2010年)7月25日、洞爺湖温泉誕生100周年を迎えます!

 本年100周年を迎える洞爺湖から緊急企画のご案内がございました。
 当ブログでも既にご案内をさせていただいていますアロマ・リフレクソロジーサロンtetote<てとて>事業を手がける若き起業家高臣氏より素晴らしい企画のご案内です!

 洞爺湖温泉の誕生日7月25日を前に、各種イベントが企画されています。
 このたびは、ゴールデンウィーク期間中開催のイベントをご案内いたします。

 「洞爺湖で感じる贅沢な時間」
  遊覧船エスポアールに乗船し、ワイン片手に、アコーディオンの生演奏を聞きながら贅沢な時間を感じちゃおう!というイベントです。
 たった一日1便だけという貴重な企画です!
 ワインは、月浦ワイン
 ワイングラスは、glass cafe glagla 制作
 おつまみはパン工房ゴーシュ+cafe・石窯パン&カフェギャラリーラムヤート

 また、日中同期間内「アコーディオンを探せ!in 洞爺湖」が開催されます。
 遊覧船エスポアールで生演奏をされるヤギさんこと青柳正太郎氏を洞爺湖のどこかで見つけたら、地域の見所を教えてもらえるそうですよ!
 そして、夕方は遊覧船にて贅沢な時間を過ごしてみてはいかがですか?

 「洞爺湖で感じる贅沢な時間」の日程は、下記のとおりです。
1.期  間  2010年4月28日(水)ー5月5日(水)
2.遊 覧 船  エスポアール
3.乗船時間  16時(一日1便限定)
  遊覧船エスポアール以外の遊覧船は当企画対象外です。
4.そ の 他  
 アコーディオン奏者探しには、出没予定時間が記載されている地図を頼りにされるといいかも、という耳寄りな情報が入っています。

 洞爺湖で感じる贅沢な時間については、高臣氏が運営されている下記URL、洞爺湖情報源サイトをご覧ください。
http://www.tsukiuran.net/evt/?No=71

 アコーディオンを探せ!in 洞爺湖については、下記をご覧ください。
http://www.tsukiuran.net/evt/?No=72
 アコーディオン奏者青柳正太郎氏については、下記をご覧ください。
 http:yagi55.web.fc2.com/

 遊覧船で味わえる美味しい時間提供者については、下記をご覧ください。
月浦ワイン
 http://www.tsukiurawine.jp/
glass cafe glagla
http://mimizu.net/gla_gla
パン工房ゴーシュ+Cafe
 http://isrm.co.jp/gauche

(参考)
当ブログ2009年9月3日(木)「洞爺湖有珠山ジオパークを知るフットパス巡りモデルツアーのご案内!」
当ブログ2009年5月6日(水)「洞爺湖アロマセラピー・リフレクソロジーサロンのご紹介!」
http://blog.goo.ne.jp/ebetsusouzousha/d/20090506
当ブログ2009年5月5日(火)「洞爺湖ホーストレッキングのご案内!」
当ブログ2009年3月2日(月)「TOYA~心の旅路」
当ブログ2009年3月1日(日)「支笏湖洞爺国立公園ご案内!」
 
写真:洞爺湖
コメント

開拓使初期における北海道の兵備

2010年04月25日 | 歴史・文化
 北海道屯田兵制度とは、辺境未開拓地の北海道の警備にあたり、さらにその地の開拓を図るため、枢要地域に土着兵を配置した特異な制度です。
 この制度は、明治6(1873)年12月に成立をしましたが、幕末以来樺太における日露関係の緊迫化に伴い、北方警備の必要性が叫ばれ、それにからんでこの屯田の制も早くから唱えられていました。

 開拓使の設立当初、北海道の兵備としては、箱館府兵一中隊があるだけでした。箱館府兵とは、幕府時代以来の在住隊(土民で編成した一隊と横浜戍兵一小隊からなる)と、明治元年箱館府で募集編制した新兵隊(砲卒52人を含む)とを総称したもので、函館警衛のためのものでした。明治2年8月開拓しは、この箱館府兵を引き継ぎ、函衛隊と改称して管轄することになりました。
 明治3年11月、開拓使は警備体制を整備するため、函衛隊中旧幕府以来の召募兵を解散し、さらに管下士民の2,3男を募集して一中隊を編成しました。この編成は、これまでのイギリス式を、兵部省にならってフランス式とし、さらに「往々至当ノ地を撰ミ、屯田土着法ニ可相成」(布令類聚)目処をもつものでした。明治4年2月に兵部省に請求して軍艦1名をおき、さらに翌月第二聯隊第一大隊の小隊司令官2名、同教授方法伝1名を採用して総員174名の編制とし、4月護衛兵と改称しました。

 しかし、開拓使としては、函館のみならず建設中の本府札幌および沿海の警備も必要としており、明治3年10月太政官に提出した北海道の開拓に関する10か条の伺の中でも、「札幌郡ヘ常備兵一小隊兵部省ヨリ被差出、開拓使得指揮候様御無沙汰有之度、且軍艦弐艘為海防平常北海道全道樺太ニ懸ケ廻航致シ、開拓之援備ニ相成候様仕度事」(公文書鈔録)と述べています。
 この伺いに対して、太政官は、翌4年1月「手薄ニ候節ハ近傍諸藩ヘ出兵可申付」(開拓使日誌)と達して、札幌へ常備兵をおくことを許可しませんでした。

 明治5年2月、杉浦権判官は、管内の治安維持のため護衛兵を全部解兵するわけにはいかない為このまま継続するか、あるいは現在のままの護衛兵を兵部省に移管し、同省出張の戍卒として巡邏取締などを開拓使管理下で行うか、という2案の決裁を求めました。これに対し、黒田長官は、いちおう従前のとおりと指令しました。しかし、開拓使は、6月に函館市中の警備を新たに設置した邏卒に担当させ、護衛兵は約40人の祝砲の発射要員を除いてここに解体するとしました。

 明治6年4月、仙台鎮台青森分営から函館港へ砲兵分遺の達があり、それを機に開拓使も残存していた砲兵の移管を願い出て、翌5月開拓使所属の砲兵・砲台はことごとく陸軍省に属することになりました。

(参考)
当ブログ2010年 4月22日(木)「函館・福山・江差」
当ブログ2010年 4月21日(水)「室蘭の状況」
当ブログ2010年 4月20日(火)「根室・釧路・厚岸の状況」
当ブログ2010年 4月19日(月)「小樽港の発展」
当ブログ2010年 4月18日(日)「札幌市街の発展」
当ブログ2010年 4月16日(金)「対雁駅逓所開設」
当ブログ2010年 4月15日(木)「対雁街道開設」
当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2008年 4月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:北海道「新北海道史第三巻通説二」367-368頁.
写真:北海道指定文化財野幌屯田兵第二中隊本部
  北海道江別市野幌代々木町38
コメント

野菜栽培講習会開催のご案内!

2010年04月24日 | イベント
 このたび、江別市「まち」と「むら」の交流推進協議会主催「野菜栽培講習会」開催のご案内をいたします!

 江別市「まち」と「むら」の交流推進協議会は、家庭菜園に適した野菜栽培の講習会を開催いたします。
 野菜栽培に必要な土づくりや栽培方法について、紹介されます。
 ぜひ、ご参加ください!

 野菜栽培講習会の日程は、下記のとおりです。
1.日    時  2010年4月24日(土)13:30-16:00
2.場    所  江別市民会館小ホール
3.参  加  費  無料
4.申 込 方 法  電話もしくはファックスにて住所・氏名・電話番号を記載
         先着150名ですので、お電話でご確認ください。
5.問合・申込先  江別市「まち」と「むら」の交流推進協議会
          (江別市農業振興課)
          TEL. 011-381-1025
          FAX. 011-381-1072

写真:江別市民会館
コメント

祝!のっぽろ7丁目放送局開局1周年!

2010年04月23日 | 地域
 北海道江別市野幌所在「のっぽろ7丁目放送局」開局1周年を今月迎えられました!

 のっぽろ7丁目放送局が今月(4月)17日に開局1周年を迎えられました。
 おめでとうございます!
 2009年4月18日、江別初インターネットテレビ生放送が放映されました。
 のっぽろ7丁目放送局局長は、のっぽろ印刷社長武田泰一氏、パーソナリティ江別市出身の芸術家原田ミドー氏により、さまざまな情報が発信されました。

 のっぽろ7丁目放送局開局1周年を記念して、のっぽろ印刷まつりパート2が開催されます!
 開局当時同様、江別の農産加工物が揃います。
 ぜひ、ご賞味ください!

 のっぽろ7丁目放送局開局1周年記念のっぽろ印刷まつりパート2の日程は、下記のとおりです。
1.日 時  2010年4月24日10:00-17:00
2.場 所  のっぽろ印刷
       北海道江別市野幌町2丁目
3.内 容  (1)江別農産加工物販売
       (2)似顔絵コーナー
          午前ユトウアツコ氏/午後原田ミドー氏
       その他、音楽演奏会等が開催されます。
4.問合先  のっぽろ7丁目印刷
       011-376-0510

 のっぽろ7丁目放送局については、下記をご覧ください。
http://www.e-betsu.jp/

写真:北翔大学エクステンションセンタ-「人が集えば文殊の知恵袋講座」にてご講演中の原田ミドー氏
 当ブログ掲載許可を得て、撮影・掲載いたしております。
コメント

函館・福山・江差

2010年04月22日 | 歴史・文化
 道南旧開地帯の集落の概況を函館等の市街地を中心にみると、明治以降道南地方の北海道における政治的経済的地位が相対的に低下したことは事実です。

 戸口・耕地面積の増加からも伺えるように、開拓使時代においては一部を除いて順調な成長を遂げていました。
 特に函館周辺では市街地、村落を問わず拡大発展し、場合によっては新開地方の開拓を促進する重要な役割を果たしていました。

 函館は、幕領時代は奉行所の所在地として、また幕末は神奈川・長崎・兵庫等と並ぶ開港場として栄え、松前藩の城下町・商業都市たる福山、漁業根拠地および商港としての江差とともに古くより三港と呼ばれていました。
 これらはいずれも明治以前既に都巴と称されるのにふさわしい発達を遂げていましたが、明治維新はこれら旧開都市に大きな変化を与えました。特に政治的中心地としての役割を失った福山の衰退と、全道政治の中心となり、かつまた海陸交通上の要地となった函館の興隆は、その最も顕著なものでした。
(中略)

 函館港が港湾として優れた天然の特性をもっていることは、良く知られたところです。
 この時代の港湾修築は小規模のものに留まっていましたから、この点では有利であり、また海面や湿地の埋め立て等により市街地の拡大も行われ、都市としての条件が整えられました。この他、公園・病院・育児院・学校・常備倉・新聞・出版・街区改正、等々の都市的設備・機能が着々と整備されました。

 札幌のような計画としと異なる函館の街区改正は、市街地の拡大につれ早晩行われるべきものでありましたが、明治11、12年の大火災を契機に断行されました。これ以前も2年、4年、6年、8年と火災が度重なり、その焼失戸数は7,800余戸にのぼりました。改正の要点は、主要道路の拡幅、道路の直線化、不燃質家屋の建築等を目的とし、その遂行にあたり、新路線該当の私有地買い上げ、不燃質家屋建築費の貸与、その他の施策を講じたのでした。
 このような意味で、函館は北海道における都市再開発の先達でもありました。

(参考)
当ブログ2010年 4月21日(水)「室蘭の状況」
当ブログ2010年 4月20日(火)「根室・釧路・厚岸の状況」
当ブログ2010年 4月19日(月)「小樽港の発展」
当ブログ2010年 4月18日(日)「札幌市街の発展」
当ブログ2010年 4月16日(金)「対雁駅逓所開設」
当ブログ2010年 4月15日(木)「対雁街道開設」
当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2008年 4月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:北海道「新北海道史第三巻通達二」360-364頁.
写真:函館東浜町(北海道蔵)
 同上書掲載写真を複写、掲載いたしております。
コメント

室蘭の状況

2010年04月21日 | 歴史・文化
 室蘭郡には、もと室蘭・絵鞆の2場所がありましたが、産物は少なかったようです。むしろ、室蘭場所が幕府の直轄地であり、明治元年11月より2年5月まで旧幕軍の支配下にあって開拓奉行所が置かれ、蝦夷地経営の根拠地と目されたりした事実にあらわれているように、交通の要衝、良港としての価値が高かったのです。

 室蘭郡は、開拓使時代に入ってから石川邦光の支配地となり、またまもなく片倉邦憲・伊達邦成の支配地に分割されましたが、移住・開拓の成績はふるいませんでした。室蘭地方の盛衰は、一に室蘭港の利用度遺憾にかかっていたのです。

 アンチセル、ワーフィールド、ケプロン等は、いずれも室蘭港の価値を極めて高く評価していました。それらの意見を採用した明治5,6年の札幌本道の開削、および新室蘭の築港は、室蘭発展の出発点となりました。
 市街振興のために、商人に対し資本貸付を行うなどの保護政策は、他都市の場合と同様でした。
 しかし、室蘭の立地条件が充分に活かされるには、この時代は時期尚早でした。有珠・幌別・室蘭の各郡移住村落を後背地として発達するには、あまりにそれら開拓地の経済力は小さすぎました。しかも、最も大きい人口を擁する有珠郡のごときは、直接函館の商家と取引きをしていたといわれます。

 札幌および内陸産炭地との連絡鉄道が小樽回りとなったため、本州・函館方面との交通も小樽経由が卓越し、室蘭は、衰微の兆しが見栄、北海道3県時代の初めには新室蘭200戸の市街に空き家が70~80戸もあったといわれる程でした。

 なお、当時これらと同様もしくはそれ以上に大きな集落を形成していた港は、道南地方以外にも特に日本海沿岸地方 岩内・古平・余市・石狩・増毛など多くが存在していました。

(参考)
当ブログ2010年 4月20日(火)「根室・釧路・厚岸の状況」
当ブログ2010年 4月19日(月)「小樽港の発展」
当ブログ2010年 4月18日(日)「札幌市街の発展」
当ブログ2010年 4月16日(金)「対雁駅逓所開設」
当ブログ2010年 4月15日(木)「対雁街道開設」
当ブログ2010年 4月14日(水)「ライマンが見た対雁」
当ブログ2010年 4月13日(火)「移民の挫折」
当ブログ2010年 4月12日(月)「最初の集団移民」
当ブログ2010年 4月11日(日)「従駕日録」
当ブログ2010年 4月10日(土)「開拓使の設置」
当ブログ2008年 4月 5日(土)「対雁郵便局から江別郵便局へ」
当ブログ2008年 7月 4日(金)「駅逓所開設」
当ブログ2008年 7月 3日(木)「教頭頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」
当ブログ2008年 7月 2日(水)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
当ブログ2008年 7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
当ブログ2008年 6月26日(木)「移民扶助規則2」
当ブログ2008年 6月24日(火)「石狩川沿岸」
当ブログ2008年 6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
当ブログ2008年 6月22日(日)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
当ブログ2008年 6月20日(金)「移民扶助規則設定」
当ブログ2008年 6月19日(木)「蝦夷地改称2」
当ブログ2008年 6月19日(木)「飛騨屋と石狩山伐木」
当ブログ2008年 6月16日(月)「蝦夷地から北海道へ改称ー蝦夷地は皇国の北門」
当ブログ2008年 6月12日(木)「村名選定ー江別村」
当ブログ2008年 6月11日(水)「江別屯田兵入地」
当ブログ2008年 6月10日(火)「地名解」
当ブログ2008年 6月 9日(月)「場所請負制の成立」
当ブログ2008年 6月 7日(土)「元禄御国絵図」
当ブログ2008年 6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註:北海道『新北海道史第3巻通説二』359-360頁.
写真:明治5年の新室蘭(北海道蔵)
 同上書360頁掲載写真を複写、掲載いたしております。
コメント