昭和36年2月、北海道鋼機株式会社が進出しました。
終戦後の物資窮乏、運輸機能の麻痺などの道内経済の不安の解消を目指して設立された富士製鉄系列下の北日本鉱機工業株式会社(昭和21年8月創立)と北海鋼機株式会社(昭和24年7月創立)の両社合併により、資本金6千万円で誕生しました。
創業時の36年は、まさに高度経済成長期の助走のときであり、鉄鋼増産は社会的要請そのものといえました。
同年は、西ドイツのシュミッツゼーネ社との技術提携を行い、10月にはツイストバー(高張力冷間ねじり棒鋼)設備を、国内では八幡製鉄株式会社についで導入するなど、意欲的な技術革新に取組むこととなりました。
問題は、当時同社は旧北日本鋼機工業の札幌工場と、旧北海鉄板の室蘭工場の二つで操業していたことです。
これは、生産性や技術的な問題は無論のこと、社員の交流などの面からも問題とされ、早急な統合工場の建設が求められていたのです。
統合工場の位置としては、当初苫小牧と江別とが候補にあがっていました。結果、営業政策上のことや、鉄道輸送の便などから江別に決定、38年9月から上江別に新工場の建設を開始することになったのです。
新工場は、約19万8千平方メートルの敷地の中に付帯施設を含め延べ29,528平方メートルの規模、従業員は約500人でした。
39年10月、江別新工場が完成しました。
亜鉛鉄板、カラートタンの第1工場と綿材製品の第2工場の操業を開始しました。
本社も札幌から江別に移転させました(9月)。
また、資本金も1億5千万円から3億円に増資、この地で新生北海鋼機のスタートをきったのです。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」250-251頁.
写真:昭和39年9月北海道農材工業株式会社野幌セラミック工場
同上書250頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。