昭和47年19社、48年19社、49年5社と、好調であった江別第一工業団地への企業進出も、50年2社、51年3社と停滞しました。
まさに、長期化した不況は、市民生活の足許へ、そして国をはじめ市町村自治体の台所をも直撃しました。
こうした状況を受け、50年9月、市役所内部に行財政改善合理化委員会が設置され、財政危機を打開する方策の検討がなされました。
この時点におき、50年度決算で約1億円の赤字が予測され、政策の実施に赤信号が灯りました。
そのため、人件費の節約、手数料、使用料の見直し、補助金交付の洗い直し、さらには市役所機構の在り方などについて徹底的に検討されることになったのです。
当然、議会においても活発な財政論議が展開されました。
国と地方の財政構造の問題、国の委任事務の問題、さらには国庫補助金における地方自治体の超過負担の問題などが論議の焦点となりました。(中略)
50年9月議会および翌51年3月議会におき、それぞれ地方財政危機打開に関する要望決議が採択されることになりました。
地方財政危機打開に関する要望決議
現在の地方財政は、経済の深刻な不況による影響を受け、未曾有の危機に直面し、きわめて憂虜すべき事態に立ち入っています。
よって、国においては地方財政の危機を打開するため、緊急に下記事項についてその実現を図られたい。
1.地方自治体の自主財源を確立するため、税源を委譲すること。
2.地方交付税を40%に引き上げ、単位費用の改善を図ること。
3.国庫補助制度を合理化し、生活関連施設整備及び福祉を中心に補助率の大幅引き上げを図ること。
4.地方超過負担を単位差、数量差及び対象差の実情に即応し、完全に解消すること。
5.地方債の枠の拡大、充当率の引き上げ、金利の引き下げ、償還年限の延長を図ること。
6.病院、水道事業など地方公営企業に対し、その公共性に鑑み、抜本的な国庫補助制度を創設すること。
以上、決議する。
昭和51年3月30日
(中略)
石油の高騰により、エネルギー多消費型の産業の生産は、停滞しました。
そのため、国家財政は、税収の大幅減に見舞われました。
政府は、50年12月国会に2兆2,950億円の赤字国債を発行するため、財政特例法を上程、成立させました。
そして以降、国の一般会計予算は、不況対策のため公共事業費に大きな比重がおかれました。
特に、53年度においては、臨時異例の財政運営である13ヶ月税収で予算を編成、公共事業費は前年比35.1%の増加となりました。
地方財政も国家財政に連動しました。
江別の公共事業費も増大しましたが、それらは、建設地方債に依存するところ大であり、そのため市債(起債)も前年比52年度88.2%、53年度66.2%と増加、53年度における歳入決算額に占める市債の割合は、14.3%となりました。
ちなみに、各年度における歳入決算の地方債の校正比率をみると、51年度7.7%(約7億4,600万円)、52年度10.5%(約14億400万円)、53年度14.3%(約23億3,200万円)と、この間、年々、地方債の占める割合が高くなり、財政運営の窮屈の度合いは増しました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」515-517頁.
写真:えべつ歴史創刊号
同上書512頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。