江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

天に向けてーありがとうございました!

2008年06月30日 | その他
江別創造舎結成当初からご尽力いただきました方が、天に召されました。
心より、ご冥福をお祈り申しあげます。

江別創造舎結成当初は、田口商店(仮名)として数ヶ月間活動した後、年明けと共に「江別創造舎」と改名し、企業活動助成を得ながら今日まで真摯に活動に努めて参りました。
江別創造舎の改名祝いと、今後の江別カルタ制作への意気込みを確認し合うために、ジンギスカンパーティをいたしましたね。 
ワインで乾杯!桜の木の下でメンバーが語り合う傍らで、一所懸命料理を作ってくださいました。
とても甚平がお似合いでしたよ。
「私は、気軽なのが好きだから」
「難しいことは苦手だから」
と、おっしゃりながらも野幌駅区画整理に関わる活動を一所懸命なさっていらっしゃいました。
研究室にも多種の資料をお持ちになって、お話しを聞かせていただきました。

江別創造舎結成時には、既にご病気を煩っていらっしゃたのですね。
精力的にご活動をなさっていたお姿からは、街づくりへのパワーしか感じ取ることができないほどでした。

天より私たちを見守っていてください。
江別カルタが完成いたしましたら、天に向けてご報告させていただきます。

良き出会いをありがとうございました。




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江別最初の学校ー対雁学校

2008年06月30日 | 歴史・文化
 江別の最初の学校は、対雁学校でした。
 対雁(ついしかり)学校は、児童生徒の教育・学校の場であると共に、村の寄り合いや儀式の施設であり、村民統合のシンボルとしての役割を担っていました。

 明治10(1877)年3月、係上野正の建議に基づき、同年12月、開拓使民事局勧業課によって製網所内に樺太アイヌ子弟の知識向上を図るために「対雁教育所」を併設、開所しました。これが、対雁学校の前身です。

翌11(1878)年1月、学務局の直轄となり、1月12日に開校式が行われました。開校式には、開拓使の大書記官堀基、同勧業課二等細川碧が臨席していました。同年10月、開拓使長官黒田清隆、同大書記調書広丈、これに前後して海軍卿川井純義、駐露特命全権公使榎本武揚ら顕官の来校が続きました。当時の対雁学校は、明治政府のn北海道経営上、ひいては領土問題がくすぶる対ロシア関係上、等閑視できぬものであったのです。
 明治13(1880)年6月、対雁教育所は、新築校舎となったのと同時に名称も「対雁学校」となり、20日に開業式が行われました。
新築校舎の当時の概要は、次のとおりです。
1.規模構造  木造平屋50坪(教室2、教員居間、台所など)
2.校  地  1万坪。内運動場を除く地は、実習畑でした。
3.教  員  氏家与三郎、工藤幹三郎(開校時)
        教育所時代には、大河内章三郎、遠藤椎名狩(教育見習い生)など。
4.生  徒  70名(4年制。8級45名、6級25名)
5.科  目  イロハ習字、綴り方、単語など

 なお、現在の対雁小学校は、昭和47(1972)年に見晴台へ新築移転しています。

(参考)当ブログ6月28日(土)「対雁学校の教育」

註)江別市「新江別市史」・江別市教育委員会「史跡が語る江別の歩み」参照。
写真:江別市指定文化財 開拓長官黒田清隆書「対雁学校」
   北海道開拓記念館にて2007年撮影許可を得て掲載いたしております。
追記:上記写真の「対雁学校」の「学」の文字にご注目ください。
   注視すると、「学」の冠の部分が、「日本」とも読み取れる文字が記載されているよ う見えます。北海道開拓記念館および江別市郷土資料館にてぜひ皆様もご確認ください。
★写真拡大してご覧になるには、当ブログ原文右上の原稿アップ日時箇所をクリックしてください。当日ブログ原稿のみが開かれます。
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人が集えば文殊の知恵袋講座第3回講演ご案内

2008年06月29日 | 教育・学校
 このたび、人が集えば文殊の知恵袋講座第3回「写真史面白エピソード~写真誕生と日本への渡来~」をご案内いたします。

 人が集えば文殊の知恵袋講座第3回は、江別創造舎映像プロジェクトリーダー 川守田順吉氏が講師を担い、下記のとおり開催いたします。
川守田順吉氏は、既に北海道立図書館にて「写真技術の歴史と北海道開拓の記録」企画・展示されています。
 このたびは、川守田順吉氏の巧みな言葉で、写真史のエピソードを聞くことができます。
皆様、お待ちいたしております!

1.テ ー マ  「写真史面白エピソード~写真誕生と日本への渡来~」
2.講  師  川守田順吉氏
3.日  時  7月15日(火)13:10~14:40
4.場  所  北翔大学538教室
5.申込期限  7月4日(金)

(ご参考)当ブログ5月26日(月)「北海道立図書館ー写真技術の歴史と北海道開拓の記録ー開催中!」

写真:2008年北海道立図書館企画展示「写真技術の歴史と北海道開拓の記録」(川守田順吉氏企画・展示)を撮影、掲載いたしております。
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G8サミット 先住民族環境映画祭

2008年06月29日 | イベント
 G8北海道洞爺湖サミット開催を機に、先住民族環境映画祭が現在開催されています。

 このたび北海道カナダ協会会員であるシアターキノにて上映されていますカナダ先住民族に関する映画「アベナキの人々」を下記のとおりご案内いたします。
 
1.上映映画  「アベナキの人々」  
2.日  時   6月30日(月)20:15~22:00 
         7月5日(土)10:00~11:00
         *開催期間中、上記日程にて2回のみ上映
3.場  所  シアターキノ
        狸小路6丁目南3条グランドビル2F TEL.011-231-9355

 なお、その他7月5日(土)まで多作品が上映されています。
詳細をお知りになりたい方は、下記をご参照ください。

シアターキノ
http://theaterkino.net/sakuhin.html

写真:2003年カナダナイアガラの滝撮影。
   写真と上記文面との関係性はございません。
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対雁学校の教育

2008年06月28日 | 歴史・文化
 対雁学校での教育は、読書・算盤・手習・地理・和言葉等を主として教えられました。教師は、最初、樺太開拓使の御雇医師であり、その縁故また開拓使御雇医師としてこの地に在勤していた大河内章三郎でした。
アイヌ語に通じていた為に適任者ではあったのですが、学校開設したばかりということもあり、重病人でもあると十日も休むこととなり、在学期間の半分くらいしか授業が行えない状況だったようです。

 対雁学校が創設されて間もない頃、海軍卿河村純義および露国公使榎本武揚が来校した際、道で立礼した生徒を呼び止めて砂の上に名前や数字を書かせたところ、直ちに書けたので、非常に賞揚したといいます。
また、7月には侯爵菊亭修季が来校してその進歩を讃える歌を残したと言われています。
 明治12(1879)年10月、開拓使長官黒田清隆、大書記官調書広丈が臨校した際、小学校令によらない変則の簡易教育をすることになりました。その学科は、農業・養蚕等の術も教えることとし、校内の空地三千坪を開墾し、毎日午後日課として農業を実地に行わせ、収穫物は給食にあて、春には養蚕を、秋には鮭漁を行わせていました。明治14(1881)年には、実習畑七千坪を数えるまでに至っていました。
 明治13(1880)年3月、大河内章三郎に代わって、札幌第一小学校伝受生氏家与三郎が赴任しました。9月氏家訓導に代わって、宮永計太が来任しましたが、後さらに西南戦争時に西郷方に属した経験を持つ道守栄一が赴任しました。

 こうして、学業も進み、皆淵宇之吉、安藤久吉の二人は師範学校に入学し、富之助および遠藤周蔵の両人は母校の助教見習いとなっています。その後、「樺太アイヌ叢談」を著わした内淵の千徳太郎治、白瀬中尉の南極探検に参加して偉業をなした富内の山辺安之助等もこの学校で学んでいます。
(参考)当ブログ6月26日「移民扶助規則2」
    当ブログ6月23日「北越殖民社の開拓」
    当ブログ6月20日「移民扶助規則設定」

註)北海道江別市役所「江別市史上巻」参照。
写真:対雁学校アイヌ生徒習字(複製)
   北海道開拓記念館撮影許可を得て掲載いたしております。
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「ワーク・ライフ・バランス元年2008」講演ご報告

2008年06月28日 | 労働・雇用
 昨日(6月27日)江別市企画政策部主催講演「ワーク・ライフ・バランス元年2008」を終了いたしましたので、ご報告いたします。

 わが国は、昭和47年7月男女雇用機会均等法第13号が制定され、本年(2008年)法律第26号(現時点未試行だが本年中改正予定)が改正する予定である。また、男女共同参画社会が平成11年6月23日法律第78号が制定され、翌年施行されました。また、女子差別撤廃条約が、昭和54(1979)年12月18日国際連合第34回総会で採択され、昭和56(1981)年に発効されました。女子差別撤廃の多国間条約です。その他、ジェンダー、ポジティブ・アクションなど時代変遷に伴い、社会的課題が制度化され、推進されて参りました。
 そして、複雑化、多様化した現代社会の課題(1)正規雇用者数の減少傾向および若年者層の就業意識の低下、(2)労働時間の二極化、(3)ライフスタイルの多様化(共働き世帯の増加、仕事と育児の二者択一の状況)に対応するために、昨年(2oo7年)「ワーク・ライフ・バランス憲章」および「仕事と生活の調和行動指針」が策定されました。
 男女共同参画推進は、今世界各国で政策が進められています。EUでは、ワーク・ライフ・バランスとエンプロイアビリティの関係性を重視したフレキシキュリティ(柔軟性と安全性)の浸透に努めています。
 何事も社会システム化していくためには制度化設計は不可欠です。しかし、全ての地域に即した手法、全ての企業に即した手法などは存在しません。制度化設計を基盤に、地域ごと、企業ごとに、どういう取組をするか、何ができるか、を試行していくことが大切なのです。そして、評価と改善の管理体系化を制度化設計に盛り込むことが健全性を導く重要事項であると考えます。
 
 これまで地域ごとに、さまざまな組織、団体が活動を通じて地域住民の支援をしていらっしゃいました。子育て支援、母親相談支援等・・・社会課題の一つひとつ地道な活動を続けられていらっしゃる団体が江別市にも数多くあります。こうした団体単体の活動を、教育機関、企業を巻き込み(どちらが主導になろうとも問題はないが)、その関係性を地域全体のダイバーシティプロジェクトとして体系づけていくことが、これまでの実積を踏まえた意義ある発展ではないかと考えます。
一つひとつの社会課題に真摯に取り組むこと、これは社会支援として重要なことです。ただ、複雑化、多様化した社会に対応するためには、単体では限界があるように思われます。

 2008年の現代、ワーク・ライフ・バランス元年を打ち出した意味、意義は、これまでの活動を土台に社会全体、地域全体であらたな仕組みづくりをすることにあると考えます。
 ワーク・ライフ・バランスの実効性をみるまでには、課題が山積しています。われわれ一人ひとりが取り組めること、企業との連携、大学教育機関との連携でできること、既存の他の政策との共同活動も加味して、今後皆様と豊かな生活の実現に向けて検討していきましょう!

写真:2007年撮影野幌公民館(江別市野幌町3-6)
   
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樺太・千島交換条約締結

2008年06月27日 | 歴史・文化
 特命全権公使としてロシアに派遣された元開拓史中判官の榎本武揚によって、明治8(1875)年5月、樺太・千島交換条約が締結されました。

 領土引き渡しである明治8年8月、樺太アイヌ族108戸・841名を北海道移住させることになったのです。しかし、開拓使は、一年後に故郷樺太が臨まれる宗谷(そうや)への定住の約束を破棄し、対雁(ついしかり)へ農業移民として移したのでした。
 強制移住させられた漁撈民族の樺太アイヌ族に対して、開拓使は移住と同時に居住地の中央に官吏詰所や貯蔵庫を設け、勧業課を常駐させて保護指導に関する一般事務を取り扱ったのでした。
しかし、農業地としての対雁(ついしかり)を捨てて、石狩に移住して漁業に従事す者が次第に増えていったのです。そして、明治18(1885)年以降、対雁に伝染病が発生して三百数十名が病死し、その恐怖からアイヌ族の人たちは、ことごとく石狩の浜辺に逃げたのです。この後、対雁には和人が小作農として入植しました。

(参考)当ブログ 6月26日「移民扶助規則2」
    当ブログ 6月23日「北越殖民社の開拓」
    当ブログ 6月20日「移民扶助規則設定」

註)北海道江別市「江別市史」・江別屯田兵村遺族会「江別屯田兵村百二十年の歩み」参照。
写真:「開拓期の農具」
   北海道開拓記念館2007年撮影許可を得て掲載いたしております。

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男女共同参画週間!講演「ワーク・ライフ・バランス元年2008」ご案内!

2008年06月26日 | 労働・雇用
 このたび、「ワーク・ライフ・バランス元年2008」の講演開催について、ご案内いたします。

 江別市企画政策部主催講演「ワーク・ライフ・バランス元年2008」と題し、江別創造舎代表でもある田口智子が講師を担います。
わが国の施策をはじめ、本年厚生労働省およびEU(欧州委員会)主催「第12回日・EUシンポジウム 雇用・就労形態の多様化」(2008年1月国連大学にて開催)を聴講した際のEUの取組等についてもお話しをいたします。
ワーク・ライフ・バランスについて興味のある方は、ぜひお聞きください。
会場で、お会いしましょう!

1.テーマ 「ワーク・ライフ・バランス元年2008~ワーク・ライフ・バランスって何だろう?~」
2・講 師 田口智子(北翔大学短期大学部教授・江別創造舎代表)
3.日 時 6月27日(金)18:00~20:00
4.場 所 野幌公民館研修室3・4号
5.入場料 無料

 6月23日(月)~6月29日(日)は、男女共同参画週間です!
本年のテーマは、「分かち合う 仕事も 家庭も 喜びも」です。
わが国では、昨年(2007年)「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」及び「仕事と生活の調和推進のための行動指針」が策定されました。
国民一人ひとりがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たすと共に、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる社会を目指しています。
 
写真:2006年11月取材にてドイツ連邦職業教育研究所撮影
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移民扶助規則2

2008年06月26日 | 歴史・文化

明治2(1869)年11月、政府は「移民扶助規則」を設けて、北海道移民を積極的に募りました。

 規則は、移住者には6千坪の未開地と共に家屋、家具、農具などが支給され、3ケ月間は米と塩噌料が与えられるというものでした。これによって、明治4(1871)年4月、対雁(ついしかり)をはじめ稲穂(いなほ)、丘珠(おかたま)、円山(まるやま)、平岸(ひらぎし)、白石(しろいし)、月寒(つきさむ)、豊平(とよひら),手稲(ていね)などに移住者が入地したのです。

 対雁第一次移住は、宮城県遠田郡群馬場村の農民21戸でした。
そして、第二次移住は、樺太アイヌ族でした。

(参考)当ブログ6月23日(月)「北越殖民社の開拓」
    当ブログ6月20日(金)「移民扶助規則設定」

註)北海道江別市「江別市史」・江別屯田兵遺族会「江別屯田兵村百二十年の歩み」参照。
写真:「屯田兵の招募移住に関する達(複製」
  北海道開拓記念館にて許可を得て撮影・当ブログ掲載いたしております。

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渡辺良洪氏ご講演大盛況!のご報告

2008年06月25日 | 教育・学校
 このたび、人が集えば文殊の知恵袋講座第2回「江別市の道路開削・開拓期・国道の変遷」と題し、渡辺良洪氏のご講演が大盛況のうちに終了いたしましたので、ご報告いたします。

 ご講話は、開拓初期時代の対雁(ついしかり)・江別(えべつ)兵村の街道・道路の状況から江別の幹線道路開削状況、江別の中央道、国道まで、日本国勢地図幕末・明治初版本より複写地図に基づいて、現代の地形と比較しながら詳細な説明がされました。
聴講者の方々は、ペンを片手に渡辺氏の言葉を書き込みながら興味津々に聞かれているお姿が印象的でした。
 当講演に際し、渡辺氏は30頁程の小冊子を準備され、聴講者に配布されました。まさに「貴重な知恵袋」のご提供となりました。
 今回のご講話にも、北翔大学短期大学部経営情報系の学生が聴講させていただきました。平成元年生まれの学生にとっては、道路の変遷に伴う町の形成について新たな驚きと興味をもたらしたようです。
 渡辺氏の溢れる知恵袋の一つひとつは、今後当ブログを通じてお伝えしていきたいと考えております。

 本日教室一杯になるほどご聴講いただきました皆様には、感謝申しあげます。またご聴講いただいた方から「江別カルタ完成を楽しみにいたしております」とお声掛けをいただきました。最高の激励のお言葉でした!
今週半ば開催の定例会議においてメンバーに、この有り難いお言葉を伝えさせていただきます。

(追記)
 北翔大学生涯学習センター教養講座「人が集えば文殊の知恵袋講座」(道民カレッジ連携講座)は、江別創造舎代表田口の企画により、5月から9月まで毎月火曜日一回ゲストスピーカーを招いて開講いたしております。来月(7月)のゲストスピーカーは、江別創造舎メンバー川守田順吉氏です。近日詳細をご案内いたします。ご期待ください!

(参考)当ブログ5月28日(水)「漆崇博氏ご講演大盛況!幣のフィールドに向けたオブジェ制作と基 調講演」
    当ブログ6月21日(土)「江別カルタ図案化ポスター完成披露!」
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