江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

人が集えば文珠の知恵袋講座第4回開講のご案内

2008年07月30日 | 教育・学校
 このたび、人が集えば文珠の知恵袋講座第4回開講のご案内をいたします。

 今週末(8/2)は、文珠の知恵袋講座第4回を開講いたします。
 既に皆様にご案内させていただいておりますが、講演2本と作品展示を予定いたしております。
 当講座は、北翔大学大学祭当日に開催いたしますため、市民の方々の生涯学習を考える機会のご提供と共に学部学科を越えたより多くの学生さんにもご聴講いただきたく、「職業観の形成」をテーマに設定いたしております。
 皆様のお越しをお待ちいたしております。

1.日  時  2008年8月2日(土)13:00~15:00
2.場  所  北翔大学731教室(8/1修正しました)
3.講  演  (1)「生涯学習における生きがいの創造
        講師 谷川幸雄氏(元浅井学園大学教授・現江別市生涯学習推進協議会会長)
        (2)「若者の職業観の形成」
        講師 高崎格氏(元札幌工業高等学校教諭・現同校非常勤講師)
4.作品展示  (1)「刺繍作品」 黒澤千代子氏制作
         一つひとつの作品は、黒澤千代子氏の制作当時の深い思いが込められています。
        (2)「紙粘土細工作品」 川守田順吉氏制作
         カメラのミニチュアが、時間をかけて丁寧に制作されています。
(ご参考)当ブログ7月16日(水)「人が集えば文殊の知恵袋講座第4回のご案内」
     当ブログ7月16日(水)「川守田順吉氏ご講演大盛況!のご報告」
     当ブログ6月25日(水)「渡辺良洪氏ご講演大盛況!のご報告」
     当ブログ5月28日(水)「漆崇博氏ご講演大盛況!幣のフィールドに向けたオブジェ制作と基調講演」
    
写真:江別北海道鳴子祭(野幌8丁目通り)にて北翔大学学生「友和(とわ)」の演舞模様撮影
 2008年7月26日16時より野幌駅前8丁目通り、かわなか公園(野幌公民館裏)にて、えべつ北海鳴子祭が開会いたしました。江別市所在4大学、北翔大学、札幌学院大学、酪農大学、北海道情報大学のYOSAKOIチームをはじめ道央参加チームが各会場を巡回し、演舞を披露いたしました。

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北海道指定文化財 野幌屯田兵第二中隊本部

2008年07月29日 | 歴史・文化
 野幌屯田兵第二中隊本部は、屯田兵入地直前の建築と推定され、野幌兵村のほぼ中央、棟兵場に隣接した二番通りに面して建っていました。

 建物は、洋風二階建て、建築面積150.72平方メートル(48坪)、屋根は切妻造りで柾茸(移築後亜鉛板茸)、小屋構造はバルーンフレームと呼ばれ、開拓当時のアメリカ風建築手法が用いられていました。
 内部は、中隊長室・下士官集会室・事務室・軍医室などに分かれ、屋根裏の2階は兵器・演習用具などの物品格納庫として使用されていました。
 大正12(1913)年、江別第二小学校側に移され、農業振興会事務所や教室などに使用していました。
平成6(1994)年、元の位置に近づけられ、可能な限り創建当時の形態に復元されたのです。

 現在は、「屯田資料館」として屯田兵関係資料が展示され、一般公開されています。
 当資料館の公開期間は、4月下旬から11月3日までの土曜日・日曜日・国民祝日(10:00~17:00)となっています。入場料は、大人100円、小中学生50円です。
 なお、屯田資料館へお出かけの際には、江別市郷土資料館(江別市緑町西一丁目38/入館料別途要・開館日か応日~日曜日)にもお立ち寄りになると、一層江別市史を深めることができます。
(ご参考)当ブログ7月23日(水)「野幌屯田兵」
     当ブログ7月22日(火)「野幌兵村」
     当ブログ7月15日(火)「北海道三県一局の成立」
     当ブログ7月10日(木)「空知集治監の開設」
     当ブログ7月 9日(水)「開拓使官有物払い下げ事件~開拓使廃止」
     当ブログ7月 6日(日)「西洋式江別兵屋とロシア式篠津兵屋」
     当ブログ7月 3日(木)「教師頭取兼顧問ケプロンの北海道開拓」

註:江別市教育委員会「史跡が語る江別の歩み」参照掲載いたしております。  
写真:北海道指定文化財 「野幌屯田兵第二中隊本部<現屯田資料館>」
   北海道江別市野幌代々木町38
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第24回消費者問題「わたしの提言」論文募集中!

2008年07月28日 | 教育・学校
 このたび社団法人消費者関連専門家会議(ACAP)が下記のとおり消費者問題「わたしの提言」論文募集いたしておりますので、ご案内をいたします。

以下、ACAP案内文書より
 商品やサービスのグローバル化・多様化、高度情報化、少子高齢化など社会環境が急速に変化し、真の豊かさを実感できる消費者・生活者重視の社会の実現が急務となっています。 
 今年は、下記のテーマで「わたしの提言」を募集し、今後の暮らしのあり方について共に考えたいと思います。
 「わたしの提言」は、ACAPが1985年より毎年行っている消費者問題に関する論文賞です。奮ってご応募ください。

1.テーマ   (1)わたしたちの暮らしとグローバル化
        (2)活かそう消費者・生活者の視点
        (3)消費者問題に関する自由課題(ご自身で自由にテーマ設定
         ★上記いずれか一つを選択
2.応募資格   
  一般・学生(18歳以上、グループ可)
  ★グループで研究成果を応募する場合は、グループ名・代表者名を明記のうえ、予めメンバーと統括者の了解を得ておくこと。
3.応募要領  
 (1)4,000字~8,000字
    横書き、パソコンによる原稿を歓迎します。
    パソコン書式 A4判40字×35行3枚~6枚(図表含む)
    日本語、未発表のもの
 (2)別紙記入事項
    テーマ・氏名・ふりがな・性別・年齢・住所・電話番号・商業または所属(会社名・学校名等)・募集をどこで知ったか
4.締切日   
  2008年10月15日(水)(当日消印有効)
5.送付先   
  〒160-0022 東京都新宿区新宿1-14-12 玉屋ビル5F ACAP事務局「わたしの提言」係
6.審査員   
  日本消費者教育学会会長
  (社)全国消費生活相談員協会理事長 
  (社)共同通信社編集局文化部部長
  内閣府国民生活局
  (社)消費者関連専門家会議理事長
7.発表    
  2009年1月14(水)ACAP東京例会・賀詞交換会席上にて発表、表彰
  なお、応募原稿は返却されません。

「わたしの提言」応募については、下記をご参照ください。
http://www.acap.or.jp/kyoiku/teigen/2008teigen-boshu.html

ACAPについては、下記をご覧ください。
http://www.acap.or.jp/sosiki/gaiyou.html

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第8回えべつ北海鳴子まつり&第9回YOSAKOIソーラン祭道央支部大会

2008年07月27日 | イベント
第8回えべつ北海鳴子祭&第9回YOSAKOIソーラン祭道央支部大会が開催されました!

 昨日(7/26~27)から二日間、第8回えべつ北海鳴子祭&第9回YOSAKOIソーラン祭道央支部大会が開催されました。
 良い天候に恵まれ、野幌商店街の方々に支えられて、地元大学のYOSAKOIチーム、地域市民と子どもたちでなるYOSAKOIチームをはじめ、道央支部のチームが集結し、演舞が披露されました。
炎天下の中、若さ溢れる演舞は、沿道の人たちを魅了していました。

 野幌公民館および8丁目通りには露店が複数あり、見物客に混じって演舞を終えたチームの面々がお腹を満たす場面があり、地域と若者でなるお祭りは、暑さを吹き飛ばす活気に満ちていました。
 以前当ブログでご紹介させていただきました「有限会社やまほ」さんをはじめ、八つ目鰻ソーセージを露店にて販売していらっしゃった「郷土料理小島本店」の方々にもお会いしました。
とても美味しかったですよ!
 
厳しい冬を乗り越えた北海道夏は、地域住民の熱い思いが込められたイベントで盛り上がり、一層暑い夏を迎えています!
皆様、お疲れ様でございました!

(ご参考)当ブログ7月11日(金)「地域密着店<有限会社やまほ>特夏祭!開催のご案内」
     当ブログ7月 8日(火)「江別名産を食す!」

写真:第8回北海鳴子祭&YOSAKOIソーラン祭道央支部大会会場露店
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第8回えべつ北海鳴子まつり~野幌太々神楽

2008年07月25日 | イベント
 このたび第8回えべつ北海鳴子まつりをご案内いたします!

 下記のとおり第8回えべつ北海鳴子まつりが3日間の日程にて開催されます。
 明日(7/26)は、野幌太々神楽(上記写真)をはじめYOSAKOIソーランチームの演舞も披露されます。
 会場でお会いしましょう!

 ★第8回えべつ北海鳴子まつり日程
 1.前夜祭 7月26日(土)16時~
    会場 : 野幌駅前8丁目通り、かわなか公園(野幌公民館裏)
    アトラクション: 野幌太々神楽(のっぽろだいだいかぐら)・ゴスペル・YOSAKOIチーム演舞
 2.本祭  7月27日(日)11時~
    会場 : 江別駅前本通「審査会場」、野幌駅前8丁目通り、かわなか公園
    アトラクション: 太鼓他
    開会式  姉妹都市グレシャム市長挨拶
 3.フリーマーケット・イン・えべつ北海鳴子まつり
    日時   7月27日(日)11時~15時 
    会場   かわなか公園(野幌公民館裏)    
 3.その他 会場へお越しの節は、公共交通機関をご利用ください。
   上記日程すべて駅前界隈が会場となっております。遠方からお越しの方は、駅にてお聞きいただければ、場所はすぐにお分かりいただけるかと思います。

写真:野幌太々神楽(以下 江別文化協会HP説明文引用)
   江別市郷土資料館より資料写真複写許可を得て、掲載いたしております。

 野幌太々神楽は、新潟県三条市八幡神社の三条神楽を受け継いだ伝統芸能です。
 明治31年に野幌神社祭典に奉納されたのが始まりです。神楽は、豊作を願うとともに、故郷を遠く離れ、西野幌の開拓に当たった人々の娯楽と団結を図るものでした。
 その後、地元の人々の熱意と努力により大正、昭和の時代へと引き継がれ、今日に至っている市内唯一の郷土芸能であり、江別市指定の無形民俗文化財でもあります。

野幌太々神楽についての詳細は下記をご覧ください。
http://www.ebetsu-bunka.net/kaiin/kagura/kagura.htm
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随想~アナログ生活

2008年07月24日 | その他
 いつも江別創造舎のブログをご覧いただきまして、ありがとうございます!

 このたび、当ブログ制作にも大いに力発揮してくれていたパソコンが悲鳴をあげ、ダウンしてしまいました。
只今技術者の手によって大解剖されているところです。
 購入以来、国内外の取材等研究活動全行程持参していたパソコンですが、後少しで一山越えるという時点で、持ち主の私に代わって?!ダウンしてしまいました。
 そのため、これまでどおり定時的にブログ掲載することが不可能となりましたことご報告申しあげますと共にお詫び申しあげます。遅くとも2週間内には、私の手元に戻って参ります。
 それまでは、不定期にブログ掲載をさせていただきます。
 いつもご覧いただいております皆様には、ご迷惑をおかけたいしますが、ご理解の程お願い申し上げます。
 当ブログが地域文化振興活動の一助となればという思いを込めて、真摯に取り組む所存でおります。
また地元地域に関わらず、地域活動交流のネットワークを広げていければという熱い思いを込めて、当ブログより情報発信していきたいと考えております。
今後共長いおつきあいをよろしくお願い申し上げます。

 これまでパソコンに向かう時間が多かった自らの生活から一変し、ほんの束の間ですがアナログ生活となりました。パソコンがない我が家で過ごす時空間で、大切なことをふと感じた私です。
パソコンが我が家から消えて「静かなる時間」を感じるのは、「パソコン=研究、仕事等」の構図が私の中で出来上がっていたということでしょう。
 予備パソコンが我が家のAir Mac環境(ワイヤレス)に対応していなかったことが幸い?して、アナログ生活の時空間を久しぶりに味わっている次第です。
静かな時の流れの中で、いつも聞いている音楽の響きにも重層感を感じます。
 ペンをとり、原稿を書くというのもいいものです。
 ほんの束の間ですが、少しアナログ生活を楽しんでみることにします。

写真:CIETT2005-Cape Town International Convention Centre South Africa
   ガラディナーにて日本から出席の淑徳大学佐藤教授とオーストリア人材派遣会社経営者と共に撮影
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野幌屯田兵

2008年07月23日 | 歴史・文化
 開拓使の廃止によって屯田兵に関する事務は陸軍省に属し、2月江別分隊には士官が派遣されて事務を執ることとなりましたが、開拓使の持っていた屯田兵殖民費および前年度繰越金などは、一時すべて国庫に返還されました。
 明治15(1882)年度は何ら積極的な動きはございませんでしたが、翌16年7月、その返還金をもってさらに屯田兵を募集し、江別に移す計画を立てて許可を得たのです。そこで早速準備に着手しましたが、それは第一次移住と平行に一線を設け、その西側に間口40間、奥行25間の宅地および道路を隔てて、東側にそれに対して奥行き75間の畑を区画し、兵屋の建築にかかり10月に完成しました。同時に、篠津にあった第二養蚕室や付属舎を、新屯田兵の蚕室その他の諸事業場に当てる為江別に移設したので、篠津太の養蚕室3棟は開拓使廃止と共に、1棟ずつ琴似・山鼻各中隊および篠津分隊の共有財産として保管されることになっていました。また、江別に中隊週番所を設けて江別、篠津の事務を処理することなり、屯田事務局派出所を廃したのでした。

 明治18(1885)年7月1日をもって、江別には第三次45戸、篠津村には第二次30戸共に、新たに野幌兵村を開いて138戸の入植がありました。この第二次第三次の入地場所は、第一次の入地場所とほぼ直角に、二百間おきに四本の道路をつけ、道路の両側に間口20間、奥行百間の宅地を区画されていました。また第二次篠津屯田30戸は、第一次に入った篠津太兵村の北部で篠津川沿いに土地を選び、間口50間、奥行百間に区画して道路の両側に配置されました。
 また、新たに設けられました野幌屯田の位置は、江別兵村と6丁目を境とし、一番通りから三番通りに至る九丁目までに、第一次の兵員が入地しましたが、土地は当初同じく間口40間、奥行百間に区画された4千坪でした。
 第四次江別屯田入地者は、4番通りの両側に配置され、第二次野幌屯田は第一次移住にそって十丁目以西および四番通り全部に入地、篠津第三次屯田は第二次入地場所に並行してそれぞれ移住しました。

 屯田兵も陸軍一般の編成と同じく、276名をもって一中隊を編成することになっていましたので、明治17(1884)年江別村は篠津村に第一大隊第三中隊に属しましたが、翌18年に移ったうち70戸を第三中隊に編入し、180戸をもって第四中隊を編成しました。すなわち、第三中隊は、江別ならびに篠津の175戸、第四中隊は6丁目で境された野幌併存で、その兵員も明治19年の移住をもって各々充員されたのです。

 江別および篠津兵村は、琴似・山鼻と共に第一大隊に属し、本部は札幌に置かれて処理されてきましたが、第三・第四の中隊が完成すると、第三中隊は江別駅付近に、第四中隊は野幌併存のほぼ中央にそれぞれ中隊本部が設けられ、士官・下士卒が日直して事務の処理に当たりました。
 しかし、兵員が充実するにおよび明治20年5月、第三・第四中隊を第一大隊から分割して第三大隊を編成し、第三大隊第一第二中隊と称して、大隊本部を江別村に置き、屯田兵大尉野崎貞次が第三大隊長心得に任命されましたが、その後同10日少佐に昇進すると共に大隊長になりました。

(参考)当ブログ7月21日(月)「野幌兵村」
    当ブログ7月 6日(日)「西洋式江別兵屋とロシア式篠津兵屋」
    当ブログ6月11日(水)「江別屯田兵入地」
    当ブログ6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註)「江別市史上巻」北海道江別市役所 247-256頁参照。
写真:野幌屯田兵屋説明看板
   北海道江別市野幌寿町19(湯川公園内野幌屯田兵屋)
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野幌兵村

2008年07月22日 | 歴史・文化
 明治18(1885)年5月、「屯田兵例則」が廃止され、新たに「屯田兵条例」が制定されました。その眼目は、(1)屯田兵が、「屯田憲兵」から「准陸軍兵」の一部に位置づけられ、(2)北海道全域に徴兵令を適用する時は、屯田兵制度を廃止する、の2点でした。同時に、屯田事務局を屯田兵本部と改め、本部長に陸軍少佐 永山武四郎が就任しました。

 明治18(1885)年に、野幌第一次屯田138戸が入地、翌(1886)年87戸、計225戸の士族屯田の兵村が形成されたのです。野幌追給地の大半は、現在の大麻です。
 野幌兵村の兵屋は、明治11(1878)年入地の江別屯田の北方寒冷地型住宅でも、明治14(1881)年の篠津屯田のロシア式でもなく、和式木造切妻平屋17坪5合(間口5間、奥行3.5間)・内部は四畳半に六畳の和室と炉を切った板の間、それに土間でした。

 この野幌兵村の場合、後に模範的な酪農村と言われました。乳牛が増加し、協同牧場や協同集乳場所ができ、さらに赤い煉瓦のサイロが目立ち始めていきました。
(参考)当ブログ7月18日(金)「北海道三県の管轄区画と県庁の位置」
    当ブログ7月15日(火)「北海道三県一局の成立」
    当ブログ7月 6日(日)「西洋式江別兵屋とロシア式篠津兵屋」
    当ブログ7月 1日(火)「榎本武揚 顕彰碑騎馬像」
    当ブログ6月27日(土)「樺太・千島高官条約締結」
    当ブログ6月26日(金)「移民扶助規則2」
    当ブログ6月11日(水)「江別屯田兵入地」
    当ブログ6月 9日(月)「場所請負制の成立」
    当ブログ6月 4日(水)「屯田兵制度の設置」

註)江別市教育委員会「新江別市史」参照。
写真:野幌屯田兵屋
   北海道江別市野幌寿町19<湯川公園内>
   明治19(1886)年に広島県から入地した湯川忠継(戸主千代吉)一家が生活していた和式兵屋を、修理回復した建物です。
   内部には、当時の生活用品や農具等が展示され、一般公開されています。

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江別村商家

2008年07月21日 | 歴史・文化
 江別村最初の商家は、江別屯田(明治11年入地)の樋口某の床屋という説がありますが、確認された訳ではございません。また、「北海開発事績(地方振興事績調査会/大正10年9月刊)に、明治16(1883)年頃、藤原由蔵が江別駅前で運送業を開始云々と記載されています。あるいは、市街には「4,5年前より34の商法家移りけり」(明治20年8月8日付北海道毎日新聞)とも報じられています。これらから推測すると、幌内鉄道の敷き設工事がこの地の商業の端緒となったといえます。

 当時の商家で名前が明らかにされている商家は、明治18(1885)年開業の松丸巳之助(江別まんじゅう)、同23(1890)年8月開業の雑貨商工越後屋、根元徳蔵の江別旅館等,数は少ない。これは、当時の商業の多くが寄留者としての営みであり、一部を除き泡沫のごとく消えた雑商であったからではないかという見方がされています。

 これらのうち、松丸商店が製造販売していた「江別まんじゅう」は、野幌駅の「煉化餅」(上部写真)と共に知られていました。
 明治36(1903)年、北海道史の泰斗河野常吉は、清国(現中国)から来日した家譲らを旭川、室蘭方面へ案内した時、江別駅で「江別まんじゅう」を買い求め、「これは、江別マンジュウと言います。お口に合うかどうか分かりませんよ」と褒めていました。(「評伝河野常吉」)。

 現在の江別市内には、「煉化餅」の「山サ煉化餅本舗株式会社」をはじめ江別製粉など、江別名物を生産し続けるモノづくり長寿企業が多数所在しています。
 なお、2002年7月、米津製菓さんが引退されたため、「江別まんじゅう」は「山サ煉化餅本舗株式会社」にて引き継がれています。
ぜひ、ご賞味ください。

(参考)当ブログ7月11日(金)「地域密着店<有限会社やまほ>特夏祭!開催のご案内
    当ブログ7月 8日(火)「江別名産を食す!」
    当ブログ7月 4日(金)「駅逓所開設」
    当ブログ7月 2日(火)「札幌ー対雁ー江別ー岩見沢道路開通」
    当ブログ6月22日(月)「国内3番目に開通した幌内鉄道ー江別駅の誕生」
    当ブログ6月14日(日)「江別市名産!ヤツメウナギ」
    当ブログ6月12日(木)「村名選定ー江別村」
    当ブログ5月29日(木)「江別文化」

註)「新江別市史」江別市教育委員会 参照。
写真:「山サ煉化餅本舗株式会社」
   江別市野幌町8-4

山サ煉化餅本舗株式会社「煉化餅」については、下記をご覧下さい。
http://www.nopporosyoutenngai.com/omise/renga/top.htm

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今日は何の日?アポロ11号月面着陸!

2008年07月20日 | その他
 本日7月20日は、アポロ11号月面着陸、第一歩!を踏み出した記念日です。

 1969年7月16日に午後1時32分(UTC:協定世界時)、フロリダケネディ宇宙センターからアポロ11号が打ち上げられました。
 地球を1.5周した後、ロケットのS-IVB段が再度点火し、アポロ11号は午後4時16分(UTC)、月の遷移軌道に乗り、月に向かいました。午後4時39分(UTC)、指令・機械船を収納したS-IVB段から切り離された後、方向転換し、4時56分(UTC)、月着陸船とドッキングしました。
 7月17日、アポロ11号は主エンジンを3秒間逆噴射させて中間軌道修正を行いました。19日主エンジンを377.5秒間逆噴射させた後、同日午後5時21分(UTC)、月の軌道に乗りました。この時、アポロ11号は、月の裏側を飛行中だったため、地球との交信が途絶えました。NASA官制センターにとっては、緊張の一瞬でした。その後,17秒間のエンジン噴射で、アポロ11号は月の円軌道に乗ったのです。

 7月20日、船長のニール A.アームストロングとパイロットのエドウィン E.オルドリン・ジュニアは、月着陸船イーグルに乗り移り最終点検を行いました。20日午後6時11分(UTC)、月着陸イーグルは指令・機械船コロンビアから切り離され、30秒間のエンジン噴射後、午後7時8分月面に向かって降下し、午後7時8分、月面の14.5km上空に達しました。
イーグルは下降エンジンを756.3秒の噴射をさせた後、月面に向かって降下を開始し、午後8時17分40秒(UTC)、米国東部夏時間の午後4時17分40秒、イーグルは静の海の北緯0度40分12秒、東緯23度29分24秒の地点に軟着陸しました。
"Houston, Tranquility Base here the Eagle has landed."
(ヒューストン、イーグル静かの海に着陸)
残りの燃料わずか4分という危険との背中合わせの中で、歴史的瞬間が生まれました。

 7月21日午前2時56分15秒(UTC)、米国東部夏時間20日午後10時56分15秒、アームストロング船長が月面に歴史的な第一歩を記しました。
アームストロング船長の第一声は、次のとおりです。
"That's one small for man, one giant leap for mankind."
(一人の人間にとっては小さな一歩ですが、人類のためには大きな飛躍である。)

註)日本惑星科学会説明文引用
http://www.planetary.or.jp/know_apollo11.html

★アームストロング船長月面第一歩足跡は、下記をご覧下さい。
http://history.nasa.gov/ap11ann/FirstLunarLanding/cover.html

★YouTube Video-1969 July20 NASA Apollo11 JFK & Neil Armstrong
http://jp.youtube.com/watch?v=AX3lf82gJ6M
 
なお、写真と文面は関係ございません。
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