昭和35年12月、新江別火力発電所は、第1期工事の着工から40年7月の第3期工事の完了まで5カ年近くの歳月をかけて完成しました。
昭和も30年代に入り、一般産業界の好景気を反映し、都市、農村を問わず建設ラッシュや家電製品の目覚ましい普及、さらには化学肥料、紙及びパルプ、鉄鋼、セメント、石油産業などの活況により電力需要は増加の一途を辿りました。
日本電力調査会の昭和34年から38年度需要年平均増加率によると、北海道は全国平均を上回ることが想定されました。
こうした道内の需要急増に対応する役割を担っての新江別火力発電所の着工となりました。
この新火力発電所の建設にあたり、北海道電力株式会社は、(1)冷却水の取水、(2)石炭輸送、(3)用地の取得が容易で補償問題がないこと、(4)既設発電所の専用鉄道が資材の輸送などに利用できる、などの理由から早々に江別建設を決めたのでした。
ところが、太平洋、雄別、明治の3炭鉱を抱える釧路市が低品位炭の利用による炭鉱不振の挽回策として火力発電所の誘致を通産省を中心に激しく陳情したため、第2期工事については、予断を許さぬ状況が生まれつつありました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」252-253頁.
写真:昭和38年2月新火力発電所
同上書253頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。