江別創造舎

地域文化振興活動・江別カルタ制作

イースタンリーグ公式戦日本ハムファイターズvsロッテマリーンズ戦ご案内!

2009年04月30日 | イベント
 このたび、イースタンリーグ公式戦「日本ハムファイターズvsロッテマリーンズ戦」開催のご案内をいたします!

 北海道立野幌総合運動公園野球場にて、イースタンリーグ公式戦「日本ハムファイターズvsロッテマリーンズ戦」が、下記の日程にて開催されます。
 なお、野幌総合運動公園野球場では当日券のみの販売となっています。ご注意ください。

1.日 時  2009年5月24日(日)13:00~
2.場 所  北海道立野幌総合運動公園野球場
       江別市西野幌481番地
3.料 金  (1)前売り券 
        内野自由席大人2千円/子ども1千円
        外野自由席大人1千円/子ども無料
       (2)当日券
        内野自由席大人2,500円/子ども1,500円
        外野自由席大人1,500円/子ども無料
       ★なお、大人料金対象は、中学生以上です。
        子ども料金対象は、4歳以上小学生までです。
4.購入先  (1)ファイターズステーション(JR札幌駅北口東西通路)
          前売り券のみ販売
       (2)野幌総合公園野球場(江別市西野幌)
          当日券のみ販売
5.問合先  日本ハムファイターズ
       011-857-3939

北海道立野幌総合運動公園については、下記をご覧ください。
http://www.makomanai.com/nopporo

写真:「江別イーグルス」(昭和26年誕生したノンプロチーム)
 江別市総務部『えべつ昭和史」216頁掲載写真を複写掲載いたしております。
(参考)当ブログ2009年1月30日(金)「江別巨人軍の登場!」
    当ブログ2008年9月27日(土)「江別イーグルス誕生!」
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ハーブで作るプレゼント講習会のご案内!

2009年04月29日 | イベント
 このたび、ハーブで作るプレゼント講習会のご案内をいたします!

 夢まち工房&野幌商店街振興組合主催「母の日プレゼント講習会ーハーブで作るプレゼント講習会」が、江別市野幌に所在する市民の活動フリースペース「ほっとワールドのっぽ」にて開催されます。

 ハーブで作るプレゼント講習会の日程は、下記のとおりです。
1.日 程  2009年4月29日(水)・5月6日(水)
       1回講習会10:00~
       2回講習会14:00~
2.場 所  ほっとワールドのっぽ
       江別市野幌55(JR野幌駅下車)
3.内 容  石鹸・香水
4.参加費  3千円(材料費)
5.申込先  夢まち工房
       090-8276-1170

 「ほっとワールドのっぽ」については、下記をご覧ください。
http://www.nopporosyoutengai.com/~noppo_np/index.html

 「夢まち工房」については、下記をご覧ください。
http://www.community.sapporocdc.jp/comsup/yumemachi/
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本日!漆崇博氏ご講演「イギリスの学校はアートがいっぱい」ご案内!

2009年04月28日 | 地域
 このたび、漆崇博氏ご講演「イギリスの学校はアートがいっぱい!」をご案内いたします!

 OYOYO美術部主催リレーレクチャー第2弾といたしまして、漆崇博氏(AISプランニング代表)によるご講演「イギリスの学校はアートがいっぱい!」が開催されます。
 漆崇博氏が現在北海道内で企画・コーディネートされていらっしゃいますアーティスト・イン・スクール事業の先駆的事例をイギリスで発見され、その記録を基に、「見て、感じたこと」、「日本にはない文化政策」、「アーティストのポジション」、「学校の運営体制」などについてご講話なさいます。
 なお、漆氏がロンドンの日常で発見した情報も盛り込まれています。興味深いですね。
 
 わが国で精力的に活動を推進なさっていらっしゃる漆崇博氏の豊かな感性と経験をベースにしたご講演です!ご期待ください!

 漆崇博氏のご講演日程は、下記のとおりです。
1.日 時  2009年4月28日(火)20:00ー21:00
2.場 所  OYOYO大通まち×アートセンター
       札幌市中央区南一条西6丁目第2三谷ビル6階
3.参加費  無料

漆崇博氏が主催されている「AISプランニング」については、下記をご覧ください。
http://ais-p.jp/

講演主催団体「OYOYO大通まち×アートセンター」については、下記をご覧ください。
http://www.oyoyo16.com/


写真:漆崇博氏が訪英された際の研修の模様
 漆崇博氏より貴重な写真をご提供いただきました。本日開催のご講演は、イギリスの文化事業政策や研修内容などがスライドを用いてご講話なさいます。
 
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市乳のはじまり

2009年04月27日 | 歴史・文化
 明治30(1897)年代に入ると、市乳の需要が函館、札幌などの都市を中心におこりました。

 明治35(1902)年以降になると、全道の主要な都市に搾乳業者が出現、市乳普及は駆け足となりました。
 明治42(1909)年7月の全道支庁長区区長会議における「勧業に関する注意事項」の一項には次のような一文があります。
「乳用牛は市街地付近にして牛乳需要者多き地方に於いて適当とするも 僻数(へきすう)なる農村は乳の利用者少なきを以て 肉用若くは乳肉兼用の種類を飼養するを利益とす」(殖民公報」第50号)

 『野幌屯田兵村史』によると、江別で本格的に乳牛販売を目的とした最初の市乳業者は、竹見堅蔵であると記されています。
 さらに、『篠津屯田兵村史』によると、「明治末期に現雪印種苗工場付近に山田某が牧場を持ち、十余頭の乳牛を飼育して生乳販売していましたが、直(註:名越)はこれを土地、畜舎を含めて買収し、獣医師を兼ねて営業した」と記されています。なお、名越の市乳業は、大正5(1916)年に渡辺三右衛門が引き継ぎ、その後長く江別小学校裏の牛乳屋さんとして親しまれていました。

 「勧業統計」によると、明治後期から大正期にかける江別の「搾乳」状況をみると、搾乳業者は2-6戸、搾乳牛は10頭から30頭台でした。搾乳量は百石前後で、意思当たり15円から20円でした。また、販売の牛乳屋は、大正4(1913)年で3軒、翌5年で6軒でした。

 なお、この頃町村敬貴(町村農場創業者)は、10年間のアメリカ修業を終えて帰国し、東京中野区で牛乳搾取販売に寧日のない日々を送っていました。雌伏機関でした。
 大正6(1917)年秋、敬貴は石狩・樽川へと足を踏み入れました。やがて江別に移り、ここに今日にいたる町村農場の第一歩が踏み出されたのです。

(参考)当ブログ2008年12月26日「北海道初の練乳製造民間会社」
http://blog.goo.ne.jp/ebetsusouzousha/d/20081226

註:江別市総務部「新江別市史」301-302頁.
写真:メグミルク(日本ミルクコミュニティ株式会社)札幌工場内
 メグミルク牛乳の製造工程を下記にてご覧いただけます!
http://www.megmilk.com/factory/virtual/index.html

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トンデンファーム工場直売市!ご案内!

2009年04月26日 | イベント
 このたび、トンデンファーム工場直売市をご案内いたします!

 江別市野幌トンデンファームでは、工場直売市「ガーデンセール」を開催しています。
 ハム・ソーセージ、石狩川ベーコンスライスや煮豚、セール特化のウインナー、ビーフハンバーグ、ジンギスカン、豚肉ロース味噌漬け、そして、白老牧場産白老牛(黒毛和牛)など特別価格で直売しています。

 レストラン「トンデン館」では、ジンギスカン・ソーセージ食べ放題開催中!です。また、ふれあい動物ランドや釣り堀なども楽しめます。

 野幌トンデンファーム工場直売市は、下記のとおりです。
1.期 間  2009年4月25日(土)~4月26日(日)
       セール   10:00-17:30
       トンデン館 11:00-20:00
2.場 所  野幌トンデンファーム
3.その他  レストラントンデン館60分食べ放題料金1,280円
       なお、4-6歳は400円、小学生は880円です。
4.問合先  トンデンファーム
       011-383-8226

写真:ビッグカツ(ドイツ)
 ガイドブックには掲載されていない、1度は召し上がっていただきたい一品!です。
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江別の米作

2009年04月25日 | 歴史・文化
 昭和35(1902)年の水田面積224町7反3畝は、以降、若干の増減はあるものの、大正10(1921)年頃までは大きな変動をみせていません。

 明治37(1904)年7月の大水害時は、畑作が壊滅状態であったのに比し、米作は稀有の豊作となりました。
 「米作ニ於テモ浸水ノ為メ多少ノ被害アリタルトイエドモ ソノ後気候ノ敵順ト欺業者ノ熱心ナル手入トニ依リ全然恢復(かいふく)シ 其結果ハ却ッテ良好ニシテ近年稀有ノ豊作ヲ見ルニ至リシハ 不幸中ノ幸ト云フヘシ」(「江別村事務概況明治37年)。

 明治41,42年は、それぞれ作況は良かったものの、明治41(1908)年は、「灌漑ノ便ナイヲ以テ 廃田ニ帰シタルモノ39丁(ママ)5反アリ」(「勧業統計」明治42年)。明治42(1909)年は、春先の低温のため移植期に苗木足となる。慌てて「直播方式ヲ試シタルモノ多キモ 尚種子不足ニシテ 終224丁9反余ヲ廃田トセリ」(「米収穫高予想報告」明治42年)となっています。

 農業の基盤整備は、遅れていました。それに、寒冷地米作の技術的未熟が、せっかくの水田を廃せざるをえない状況へと追いつめていました。特に、稲苗の不足は以降も続き、「大正3年度は稲苗不足ノ為メ空田ヲ生セシ」(「米収穫高予想報告」大正4年)と、この時期、米作は年ごと地域ごとに一喜一憂し、まだ軌道にのりきれない、足踏み状態が続いていました。

当ブログ2009年 4月 6日(月)「大正7年北海道食物百番附」
当ブログ2009年 3月12日(木)「明治日本産業の高度化と北海道」
当ブログ2009年 2月24日(火)「開拓使の洋食の奨励」
当ブログ2008年12月26日(金)「北海道初の練乳製造民間会社」
当ブログ2008年11月21日(金)「北海道自治制のはじまり」
当ブログ2008年11月19日(水)「北海道地主制のはじまり」
当ブログ2008年 9月 1日(月)「農話会と農談会」
当ブログ2008年 8月30日(土)「開拓使の官営工場設立」
当ブログ2008年 8月24日(日)「札幌農学校創立」
当ブログ2008年 8月22日(金)「開拓使廃止に伴う勧農政策の変化ー博覧会・共進会開催」
当ブログ2008年 8月19日(火)「北海道をめぐる商品の流通」
当ブログ2008年 8月 7日(木)「北海道事業管理局の設置」
当ブログ2008年 8月 6日(水)「耕馬の活躍」
当ブログ2008年 7月 9日(水)「開拓使官有物払下げ事件ー開拓使廃止」
当ブログ2008年 6月14日(日)「江別市名産!ヤツメウナギ」

註:江別市総務部「新江別市史」297-298頁.
写真:ブルックス教授農学ノート
 北海道大学総合博物館にて撮影許可を得て、撮影掲載いたしております。
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奏楽第1回モーツァルト協奏曲連続演奏会のご案内!

2009年04月24日 | イベント
 このたび、奏楽第1回モーツァルト協奏曲連続演奏会のご案内をいたします!

 札幌在住若手演奏家と札幌交響楽団首席オーボエ奏者岩崎弘昌氏によって、2008年発足したアンサンブルグループ「奏楽(そら)」による「第1回モーツァルト協奏曲連続演奏会が開催されます。
 
 奏楽第1回モーツァルト協奏曲連続演奏会の日程は、下記のとおりです。
1.日 程  2009年4月25日(土)開演19:00
2.場 所  江別市民文化ホール「えぽあホール」
       江別市大麻中町26-7
3.曲 目  モーツァルトピアノ協奏曲第1番~4番
             フルート協奏曲第1番
4.入場料  1,500円
       大丸プレイガイド等で販売
5.問合先  NPO法人えべつ楽友協会 木太(きた)氏
       011-386-7051

 NPO法人えべつ楽友協会については、下記をご覧ください。
http://e-gakuyu.org/

(参考)当ブログ2009年 1月27日(火)「番外編!モーツァルト生誕253年!」
http://blog.goo.ne.jp/ebetsusouzousha/d/20090127

    当ブログ2008年10月22日(水)「番外編!ウィーン楽友協会ホール」
http://blog.ne.jp/ebetsusouzousha/d/20081022

写真:ウィーン楽友協会(通称 Musikverein ムジークフェライン)撮影
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水産業の転換

2009年04月23日 | 歴史・文化
 北海道沿岸漁業は、次第に北上しつつありましたが、樺太の領有にいよって漁場は急速に広がりつつありました。

 漁業の中心は、道南を離れて道北に移り、従来の漁業で栄えた渡島・檜山地方は、出稼基地となっていきました。それと共に、漁法も急激に変わっていきました。網を張って魚群の群来をまつ沿岸漁業は、進んで沖合に乗り出して漁獲する沖合漁業にその席を譲りました。沿岸漁業権が飽和状態になったからです。
 したがって、漁船は、大型化し、これに動力がつくようになり、無電や冷蔵装置さえも持つようになりました。漁法も改良され、沖合に魚群を発見して捕える底曳網(そこびきあみ)・敷網(しきあみ)・流網(ながしあみ)等が採用され始めました。

 特に注目すべきは、北洋漁業の発達でした。
明治40年日露漁業協約により日本は露領東部海岸の漁業権が認められ、鮭・鱒漁の出稼が多くなりました。世界大戦によって缶詰が盛んに英国に輸出されるようになり、従来の塩蔵を上回るようになりました。
 ところが、戦争終了と共にロシア革命政府は、この方面の漁業権の回復を図り、日本企業を圧迫し始めました。必然的に、従来の海賊的漁業をやめて近代化する必要が生じ、その方面の漁業会社が合同して、大正10年新日魯漁業会社をつくり、函館を基地として鮭・鱒漁業を独占することになり、後には汽船に缶詰装置を積み込み、これを母船として小型機船による流網でとった魚を買い込んで缶詰を製造し、ただちに輸出する母船式鮭鱒漁業を生むに至りました。

 この頃、北千島を中心とした蟹缶詰もこの方式を採用して進出してゆくことになりました。それにいよって、新たにその基地である小樽・函館に大規模な製缶工場が生まれました。これらのために、漁船の避難のため船入澗をもった漁港が必要になり、さらにその中心には漁業基地となる港町が必要となりました。
 従来、こうしたものとして活動した函館・小樽の他に釧路、留萌、稚内などが登場し、従来鰊漁の中心として栄えた江差、寿部、岩内、古平、余市等は停滞をみせ始めました。

 沿岸漁業は次第に漁場を北東に移し、従来の漁獲物は不振となり、中心を鱈・烏賊(いか)等の沖合漁業に、さらに遠洋漁業にと移しつつありました。
 また、沿岸漁獲物も流網、底曳網を用いて、沖合で捕るようになり釣漁は、はえ縄等に代わって大きな漁船で大量の漁獲を上げるようなりました。

註:北海道「新北海道史第一巻概説」195-196頁.
写真:「鰊の沖揚」(記念写真帖 留萌所収)
 同上書196頁掲載写真を撮影掲載いたしております。
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林業の転換

2009年04月22日 | 歴史・文化
 大戦後の貿易拡大によって、ことに関東大震災によって、北海道の木材の市場も拡大されました。しかし、北海道では、大正6年北海道の国有林を内務省に移管し、全国を統一した林政の中におこうとする議が唱えられました。
 北方の林業は、府県のそれとは異なるとの理由から、道独自の林政を樹立し、ことに開拓と乱伐、山火事などによって損なわれた道内の森林を保護すると共に、生産力を高めようと、拓殖費によって森林経営を道庁自らの手によって行うこととし、従来の立木を払い下げ、民間業者の手によって伐採させる制度から、官自らの手によって木を選んで伐採し、木材として払い下げる官行斫伐方針をとり、監視を厳重にし、跡地には植林をして森林の保護を図り、運搬も河川を荒らす流送を陸上輸送に切り替え、林道を開き、森林軌道を敷設し、木材の輸送法を近代化しました。

 やがて、藪出しも機械化され、伐出しを冬期作業から解放し、労働者も農閑季出稼から専門の者に代わっていきました。常備化した労働者確保のための林内植民も行われました。一方、単に林木を保護するだけではなく、大規模な植林に力を入れることになりました。拓計改訂による鉄道敷設奨励は、主として林木輸送を目的としたものでした。

 北海道材の需要は、樺太村・沿海州材、後にはラワン材等に押されて振いませんでしたが、道庁は、この情勢を利用して森林の涵養を図る方針を採りました。
 林産物加工業も発達し、単なる製材工場から加工場に、それも製紙のみではなく、タンニン製造、やがてはベニヤ板の製造が開始され、大資本が進出し、原料確保のため広大な社有林を経営するものも出てきました。そして、道産建材が洋家具の材料として輸出され始めました。林積を吋(インチ)で示すよう製材されたのでこれをインチ材と呼んでいました。

註:北海道「新北海道史第一巻概要」194-195頁.
写真:北海道大学総合博物館内「ハルニレの風倒木」
 2004年9月8日本道に上陸した台風18号(札幌で平均風速15メートル)により、北大ポプラ並木のポプラをはじめ、北大内の大木が倒れました。この大木は、この台風によって倒れた倒木です(道館内説明文より)。
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北海道新聞の誕生!

2009年04月21日 | 歴史・文化
 北海道の新聞は、既に官報として「開拓使日誌」および役人が国内の事情に通ずるため東京の大新聞から記事を抜いた「新報節略」が刊行されました。

 やがて、民間でも明治11年「函館新聞」、13年「札幌新聞」が刊行されるようになりました。しかし、読者は極めて少なく、用紙も札幌新聞は和紙こより綴で、最初は週刊または日刊でした。

 今日のような新聞が生まれたのは、明治20年代で、函館新聞、札幌の「北海道毎日新聞』等であり、これも毎日新聞などは官庁から補助を受け、官報を掲載して息をつくありさまでした。

 しかし、やがて新聞の論説を通じて政論が戦わされるようになると、自己主張をもつ者が新聞発行を行い、多種類の新聞が刊行され、また廃されていきました。中で最も勢力を占めていたのが、北海道毎日新聞等札樽を中心とした3新聞合同の「北海タイムス」と、それが開拓と政論を中心とするに対して、小樽を中心に漁業、経済記事を主とする「小樽新聞」で、内容、事業を通じて他の諸新聞を圧していきました。

 第一次世界大戦後、今まで主として政党に支えられ、政論を主とした新聞が、新しい出来事を素早く知らせる報道に力点をおき、発行部数を増して広告収入を主として維持し、諸種の事業を興してその力を誇るに至りました。すると、経済力と経済がモノをいい、明治40年輪転機を入れた北海タイムスと小樽新聞とが覇を競うようになり、北海道の新聞は面目を一新するに至りました。

 大正11年、皇太子来道を機として、東京に本社をもつ新聞が相次いで支社を出し、また地方の中心都市にも地元新聞が育っていきました。そして、昭和17年、国の一県一社の方針により、全道11紙にも及ぶ日刊紙が合同となり「北海道新聞」が誕生したのです。

(参考)当ブログ2008年10月8日(水)「民間印刷業の出現と新聞の発行」
http://blog.goo.ne.jp/ebetsusouzousha/d/20081008

註:北海道「新北海道史第一巻概説」257-258頁.
写真:「函館新聞第1号<函館市渡辺熊四郎氏蔵>」
 新北海道史第三巻通説二973頁掲載写真を撮影掲載いたしております。
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