松川市長は、昭和35年9月の議会の行政報告で次のように述べています。
9月12日に上京し、北電の東京本社を訪問し、それから通産省に参った。そして分かったことは、釧路が非常に運動していることで、通産省に13回も来ているということだ。(通産省の)科学長は、北海道開発という大局からみて釧路に必要であり、1期工事は江別、2期工事は釧路となるよう釧路市長とよく話し合えないかという話しがあった。私は、非常にムッときた。北電が1期、2期、3期とも江別にと考えているのに、自治体の首脳者がどうこうはできないのでムッときた。
市長発言を受けて、議会内に新江別火力発電所誘致特別委員会が設置されました。
のんびり構えている情勢でへはなく、議会側においても、積極的に誘致促進に乗り出すこととなりました。
こうした波乱含みの誘致ではありましたが、新江別火力発電所は、既設の旧江別火力発電所に隣接した丘陵地帯(坊主山)を整地した用地役199千平方メートルを確保しました。
そして、出力375,000kw(125,000kw3基)の石炭火力発電所として建設されたのでした。
主な設備は、本館の他管理事務所、取水路、放水路、貯炭場などで、冷却用水約110万t/日、補給水は約1,800t/日でした。
また、使用燃料は、癧青炭4,500kcal/kg(高位発熱量)で、1日当たり使用石炭5,200t、年間133万t(利用率70%)、年間発生電力量は23億kwが見込まれました。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」253-254頁.
写真:昭和38年2月第1期工事完了し、1号機の運転が開始された新火力発電所
同上書253頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。