江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

江別ガス株式会社の創立(2)

2012年05月06日 | 歴史・文化

 江別ガス株式会社は、創立と同時に市に500万円の出資を陳情しました。
しかし、以外にこれが難航しました。

 この審議を付託された議会の総務文教委員会の意見は、大きく二つに分かれました。
(1)公共性を持つ事業であり、かつ、地元産業の育成の立場から積極的に市費を投ずべき(賛成派)
(2)株式会社への助成は、教育、文化、スポーツ団体へのものと異なり、のちのちまで責任が生ずる(反対派)
 以上のように真っ向から対立したのでした。

 賛否両派の主張は、平行線を辿り、容易に結論は出ませんでした。
都市ガス事業の公共性と文化都市形成の大きな要因であることが認められ、ようやく陳情が採択されたのは、昭和37年5月のことです。

 創業時同社専務森本正雄は、『所詮は、利益追求の私企業なんだから大切な市民の税金を出しては駄目だという意見は根強かった。血税の行方を監視しよう、というチラシをバラまかれたり、工事の道路脇に穴を掘っていたら「ここは絶対ガス管を通さないぞ」と待ったがかかったり』の、その草創は順風満帆という分けにはいきませんでした。

 しかし、陳情採択と時を同じくして、37年5月、野幌地区都市ガス誘致期成会が設立されました。
この年から野幌地区に上水道が敷設されるのを契機に、同時に都市ガスも導入して欲しいというものでした。

 江別ガス株式会社にとっては、いい風でした。
順風満帆というわけにはいきませんでしたが、方角がよかったといえます。
やがて、本格的な風は、大麻(おおあさ)団地の開発と共にやってきました。
『最初に大麻(おおあさ)団地の計画書を見せてもらったときは、7,166戸という数字をみて「やぁ~っ」って声を上げた程ですよ」これでいけるってネ.』同社にとり、大麻(おおあさ)団地の開発は、またとない事業拡張のチャンスであり、強力な援軍の到来だったのです。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」248-249頁.
写真:昭和35年8月創立の江別ガス株式会社
 同上書249頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。

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