江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

牛づくりは土づくり

2017年01月31日 | 歴史・文化

 町村敬貴は、全国に名を馳せた牛づくりの神様です。

 その前に彼の最大の功績として土地改良をあげたのは、酪農学園の創始者である黒沢酉蔵です。
黒沢曰く、『(町村敬貴の)日本農業に対する最大の貢献は、科学的土地改良事業の実践と普及に認めたい』(町村敬貴伝)と断言しています。
さすが、慧眼というべきでしょう。

 町村敬貴の土地改良は、土管暗渠排水と石灰散布に代表されます。
これらの技術は、昭和の初頭、知識としてはありましたが、実用化はまだでした。
町村敬貴が対雁の地でパイオニアとなるわけですが、それは容易なことではありませんでした。
なぜなら、肝心の土管がないのです。
そこで野幌の煉瓦工場に出向き、こんなものを作ってくれというところからのスタートだったのです。

 また、石灰散布にしても、彼の求める炭酸石灰が見当たりません。
結局、近くの富士製紙株式会社江別工場で屑が山となって捨てられていることが分かり、無償で手に入れることになりました。
そして、近郊の農家にも配る条件で道庁から粉砕機を1台もらい、バラックも建ててもらうのでした。

 しかし、近郊農家は、みな首を傾けていました。
荒れ地を買った、土管を埋めた、挙句にゴロゴロとした岩石のような石灰を撒いたのです。
噂を聞いて遠くの農家も、みな首を傾けました。
そのため、せっかく農家に配る予定の石灰も引き取り手が一人もなく、全量自分の農場に撒くはめとなりました。
 はめと言いましたのは、そのおかげで酸性土壌の改善はテンポを早め、暗渠土管排水の効果が歴然とするにつれ、首を傾げていた皆も色めき立ち、我も我もと追従することになりました。
やがて、15年、町村敬貴は土地改良を率先垂範した功績大であると道庁長官表彰を受けました。

 しかし、無論、土地づくりが到達点ではありません。
目標は、その先にありました。
彼の言葉でいうと、「良い牛をつくるには、良い草がいる。良い草を作るには良い土がいる。良い土を作るには土地改良だ」です。

 そう、土地改良は、牛づくりの長い道程の第一歩だったのです。


註 :江別市総務部「えべつ昭和史」848頁.
写真:昭和33年8月、町村農場で五島慶太が札幌急行鉄道の実現に向けて熱弁を振るった模様。
 同上書845頁掲載写真を複写し、江別創造舎ブログおよび江別創造舎facebookに掲載いたしております。

 

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本日から!夢工房トンデンファームガーデンセール開催!のご案内!

2017年01月28日 | イベント

 このたび、本日から!夢工房トンデンファームガーデンセール開催!のご案内をいたします!

 本日(1/28)から2日間!
 本日から!夢工房トンデンファームでは、
 月末恒例!
 ガーデンセールを開催します!

 炭焼きソーセージ、袋入りウイナー、
 石狩川ベーコンスライス、ベーコンソーセージ、
 自社白老直営牧場和牛肉、
 江別アースドリームポーク 等
 トンデンファームお馴染みの製品が揃っています。

 同敷地内レストラン「松の実」にてお食事もできますよ!

 夢工房トンデンファームガーデンセールの日程は、下記のとおりです。
1.期  間   2017年1月28日(土)〜1月29日(日)
          9:30〜17:00
2.場  所   夢工房トンデンファーム
          江別市元野幌968−5
          011ー383ー8208



写真:夢工房トンデンファーム



 
 

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おーろら号〜流氷初日

2017年01月27日 | 地域

 このたび、おーろら号〜流氷のご案内をいたします。

 2017年1月25日(水)オホーツク沿岸流氷初日を迎えました。
おーろら号公式HPによると、
流氷は、中国とロシアの国境を流れる極東最大の大河アムール河からオホーツク海に注ぐ淡水が氷結し、南下するにつれて大きく成長します。
肉眼で水平線に見えた日が、流氷初日と言われます。

 網走流氷観光砕氷船乗船日程は、下記のとおりです。
1.期  間    2017年4月2日まで毎日
2.料  金    沖合航路*流氷あり
          (1)個人 大人¥3,000ー/小学生¥1,650ー
          (2)団体(15名以上)
             大人¥2,970ー/小学生¥1,490ー
          (3)特別席  上記金額プラス¥400ー       
3.問合せ先    おーろら
          北海道網走市南3条東4丁目5−1道の駅(流氷街道)
          0152−43ー6000

 なお、運航状況および運航時間については、こちら公式HPをご覧ください。


 おーろら号体験動画については、こちらからご覧いただけます。



写真:網走流氷観光砕氷船乗船界隈の風景

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観察会「冬の森をかんじきで歩こう」開催のご案内!

2017年01月26日 | イベント

 このたび、観察会「冬の森をかんじきで歩こう」開催のご案内をいたします!

 自然ふれあい交流館では、
 スノーシューを履いて、およそ3.5kmのコースを歩く、
 冬の森をかんじきで歩こうを開催します。

 自然ふれあい交流館から北海道埋蔵文化財センターまでの約3.5kmの道のりを
 スノーシューを履いて、冬の森を観察しながら歩くというものです。

 スノーシュー経験者!
 先着10名です!
 事前申し込みのうえ、ご参加ください!

 自然ふれあい交流館 観察会「冬の森をかんじきで歩こう」の日程は、下記のとおりです。
1.日  程   2017年2月2日(木)10:00ー13:30
2.集合場所   自然ふれあい交流館
         *解散場所も同様
3.対  象   スノーシュー経験者  
4.定  員   先着10名      
5.持 ち  物   (1)昼食
        (2)防寒着 等
6.申込み先   自然ふれあい交流館
         011ー386ー5832



写真:自然ふれあい交流館



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対雁へ〜悪土との戦い

2017年01月25日 | 歴史・文化

 町村農場は、春から秋にかけて市内の幼稚園、小学校の遠足コースの定番であり、かつ親子写生会などの格好の場として長い間市民に親しまれてきました。

 特に、ナナカマドの赤い実のなる秋は、木の間に見える緑の屋根の母屋の尖塔、それにキング式の様式美溢れる牛舎、その背後に広がる起伏に富んだ放牧場とが織りなす景観は絶品といえます。

 この景観一朝にできたわけではありません。
 昭和3年9月、前農場主、町村町村敬貴が石狩村樽川の農場を引き払い、この地に踏み込んでからの土地との壮絶な格闘を経なければならなかったのです。
かつて、屯田兵司令官永山武四郎の所有地であった対雁の地は、明治初葉から半世紀にわたる収穫農場で地力は消耗していました。

 加えて、重粘土で強酸性、誰からも見向きもされぬ哀れな土地でした。
あえて、そこへ農場移転を決意した敬貴に、道庁の役人までも思いとどまらせようと意見しました。
しかし、敬貴には成算がありました。
樽川の泥炭地に比べれば、いかに劣悪であろうが、本物の土です。
改良できないはずはありません。
かくて対雁の地に、一反50円、約50町歩の荒れ地を買い込んだ敬貴の、悪土との戦いが始まりました。



註 :江別市総務部「えべつ昭和史」847頁.
写真:旧町村農場
 江別市総務部「新江別市史」51頁掲載写真を複写し、江別創造舎ブログおよび江別創造舎facebookに掲載いたしております。

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江別カルタ⑮ 「よ」の句!

2017年01月24日 | 江別カルタ詠み句と取り札

 このたび、江別カルタ⑮ 「よ」の句をご紹介いたします!

  洋風の 
  モダン建築
  石田邸


 旧石田邸は、昭和20(1945)年頃、北海道煉瓦に勤めていた石田惣喜知が会社のハネ品を使って建てた住宅です。

 この旧石田邸は、3階建で、延107坪(約353平方メートル)、正面玄関の右側が半円状に張り出す特異な形状をしています。

 平成6(1994)年4月、グリーンモール内にガラス工芸館として再生されました。
旧石田邸の外観はそのままに、内部をガラス工房とし、平成16(2004)年3月まで米原眞司がその後、柿崎均が常駐し、創作活動を続けています。


 *江別カルタメール問合せ先:江別創造舎事務所<北翔大学田口研究室>
              E-mail taguchi@hokusho-u.ac.jp




註 :江別カルタ<江別創造舎制作>「よ」の句解説書引用
写真:江別カルタ「よ」の句詠み札と取り札


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泡と消える

2017年01月23日 | 歴史・文化

 五島慶太の死後、御曹司の昇社長が東急を牽引することとなりました。

 しかし、社内事情は、極めて厳しい時でした。
特に、先に触れた伊豆鉄道の膨大な出費が問題となりました。
事実、運輸審議会においても、東急は当面の伊豆鉄道の建設に主力を注いでおり、札幌までは手が回りかねるのではないかとの危惧の声も上がりました。
そのため、8月下旬になっても依然認可にはなりませんでした。

 その後、程なく認可はおりましたが、東急本社の数次に亘る重役会議の大勢は、すでに中止に傾いていました。
伊豆急行のご参加ら財政事情も逼迫しているので、この際、先行投資となる札幌を見送ろうというものです。
 かくて、札幌急行鉄道の夢は泡と消えました。

 昭和35年8月、江別ガス株式会社が創立しました。
当時の資本金1,700万円のうち、東急からの出資が500万円ありました。
大久保によると、「五島社長は私の払った苦労や犠牲を気にされ、また政治的立場にも影響しないかなどの心遣いを下さい(中略)地元に何か公益性のある事業を興してはどうか、できるだけ応援をさせて貰う。」(江別文学NO.22)と、語りました。

 結果が前出の500万円であり、それは五島社長の大久保へのせめてもの労いでした。



(参考)
当ブログ 2012年  5月 6日(日)「江別ガス株式会社の創立(2)」
当ブログ 2012年  5月   3日(木)「江別ガス株式会社の創立(1)」



註 :江別市総務部「えべつ昭和史」846頁.
写真:昭和35年8月創立江別ガス株式会社
 同上書249頁掲載写真を複写し、江別創造舎ブログおよび江別創造舎FACEBOOKに掲載致しております。


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江別市大学連携学生地域活動支援採択事業「地域とつながる地域資源の活用」終了のご報告!

2017年01月21日 | 教育・学校

 このたび、江別市大学連携学生地域活動支援採択事業「地域とつながる地域資源の活用」終了のご報告をいたします!

 北翔大学短期大学部ライフデザイン学科1年、
 キャリアデザインコース ビジネスワークショップ・プロジェクトメンバーは、
 平成28年度江別市大学連携学生地域活動支援採択事業、
 「地域とつながる地域資源の活用」事業を、推進して参りました。

                                         
 
 学生たちは、講義がございますので、本事業に携われる時間が限られています。
そうした限られた時間の中で、企画の時期を交えると約9ヶ月間事業運営に携わって参りました。
入学当初、文京台地区を視察し、地域の特性・地域課題に取り組みました。

地元事業は、その地に住む人に根ざしてこそ成立するものです。
地方創生〜足元の改革〜と私は称しております。
この考えのもと、本事業がスタートしました。

 本事業を通じて、学生たちは、地域資源とは何かについて、体感して理解が深まりました。
 それは、今回の事業で起業家教育の一端を試みたわけですが、単なるビジネスを経験的に知るというのではなく、ヒト・モノ・カネ・情報(知・技術)の資源活用の仕組みとその重要性を体感することに繋がりました。

 一方で、採択の報告を受けたのが、8月下旬の日付、大学生は実質夏季休校日に当たる時期です。
実質の講義スタートまでに、運営に必要な事項を検討し、準備をし、11月から営業を開始しました。
しかし、この時期ではすでに冬野菜の時節を迎え、夏野菜を提供しようと準備してくださっている生産者の方との交流ができませんでした。
これは、時期的な問題が重なり、いたしかたないことではあったのですが、大変残念でした。
こうしたさまざまな課題が出ながらも、最終営業日まで、製品をいろいろ企画しながら出店できたことは、
本事業をご支援いただきました皆様のおかげであり、学生たちは最終日を迎えて、感謝の言葉しか出てきませんでした。

 製品を提供していただき、
 ご自身の店舗より格安納品価格を設定していただくなどご高配を賜りました。
 最終日の町村農場ドーナツは、2時間程で完売となり、
 みかんやリンゴなどの果実系も、学生や教職員を中心にほぼ完売となりました。

 本事業に関わってくださった全ての方に
心より御礼申しあげます。
来年度に向けて・・・
より地域に根ざした事業に近づくためには、
本事業を推進したからこそ判明した地域課題に取り組む必要があります。
来年度も今回の課題をふまえ、学生たちと検討を重ね、
第2回目の事業運営にチャレンジしていきたいと考えております。

 今後も皆様のご指導、ご支援をいただきながら、
 「地域とつながる地域資源の活用」事業を推進していく所存でございます。
 
 皆様、心より感謝申し上げます!
そして、今後ともよろしくお願いいたします!



写真:北翔大学〜冬の情景




 

 

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五島慶太の死

2017年01月20日 | 歴史・文化

 議会内においては、これら一連の動きに疑念をもつ議員も二、三にとどまりません。

 昭和33年12月の議会における一般質問の抄出は、次のとおりです。
 武田議員    
   札幌急行鉄道も一朝一夕にしてやるものではない。
  市民、議長名で、「(市民から)出資を募るならば、もう少し確実なものが欲しい。
  私は、海のものとも山のものともわからぬと思う。
  今度特別委委員会ができたが、運動して、どうしてもダメだという時がくるのでないかと思う。


 なにやあ、くすぶり続けるものがあったのでしょうか。
それにしても、この思い切った発言は、一部に不吉な予感を呼び起こさずにはおきませんでした。

 昭和34年春は、地方統一選挙の季節でした。
依然、認可のおりぬまま、鉄道問題は、しばらくお預けとなりました。
大久保も3期目の道議の椅子を賭けて戦うことになりました。
結果、大久保は、3選を果たし、道議会で商工労働委員長のポストを得ました。
これまた、江別との縁深い町村新知事の登場で、札幌急行鉄道の建設に向け、受け入れ側の事態は一層好転したかにみえました。

 ところが、その頃、肝心要の五島は糖尿病が悪化、自宅療養では間に合わず入院中でした
病状は好転せず、江別再訪どころではありませんでした。
そして、事態は一気に最悪の局面を抑えました。
34年8月14日、私鉄王五島慶太は帰泉し明日。

 先に、五島が動けば、全てが動く、と記しました。
すなわち、札幌急行鉄道の挫折と結びつくのは、ある意味では当然の帰結であったといえましょう。


(参考)
2012年 6月18日(月)「江別市財政負担」<江別市史275頁>



註 :江別市総務部「えべつ昭和史」845-846頁.
写真:昭和41年12月開業した大麻(おおあさ)駅
 同上書272頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。



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鉄道建設協力会の設立

2017年01月18日 | 歴史・文化

 昭和33年8月、五島は三たび来道、そして初めて江別を訪れました。

 町村農場で市民を前に「設立の認可は9月中旬頃までには下りると思うので、その時にもう一度来道し、皆さんに具体的な協力をお願いしたい」と挨拶しました。

 しかし、認可はなかなかおりませんでした。
やっと12月に至り、明春(34年春)早々には許可されるだろうとの情報が入りました。
これを受け、市議会内に札幌急行対策委員会が設置され、気分も新たに調査と建設促進にあたることになりました。

 この間、33年8月、札幌急行鉄道株式会社発起人準備会が開催され、並行して同鉄道建設協力会も設立されました。
この協力会は、一般公募株式2億円の一部を引き受けるために全市を網羅した組織です。

すなわち、「一般公募の株式2億円のうち1億円は東京で募集し、残る1億円中5千万円を札幌で公募すれば、江別、幌向、栗山、長沼、夕張で5千万円を引き受けねばならないことになります。
江別では、おそらくその大部分を引き受けねばならないでしょう。
しかし、そうすればそれだけ発言力は大きいものになります。
(中略<原書自体中略表記>)
株式は、一株5百円で最低10株を一人の引受額」(昭和33年8月15日付市政だより)と目論だのです。
そのため、以下のとおり全市をあげての組織となりました。
 会 長    古田島董平  視聴
 副会長    我孫子安雄  商工会議所副会頭
 参 与    後藤 邦義  江別市助役
        山田 利雄  江別市収入役
        中村幸佐久  江別市農協組合長
        岡  千尋  野幌農協組合長
        武藤  保  商工会議所会頭
        永倉 嘉治  商工会議所理事

 この役員のもと、町内会、部落会ごとに勧誘委員を委嘱し、3カ年は建設配当として年5分の配当が確保されること、4年目から黒字になる見込みであることなど、同鉄道が前途有望であることを説得材料に株の引き受けを願うことになったのです。
まさに、視界不良ながら、地元江別は建設に向け具体的に動き出したのです。


註 :江別市総務部「えべつ昭和史」844-845頁.
写真:昭和33年8月五島慶太(中央)は町村農場で江別関係者を前に実現への熱意を披歴しました。
 同上書843頁掲載写真を複写し、江別創造舎ブログおよび江別創造舎facebookに掲載いたしております。
 

 

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