コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

今夜は、イフアイハダハマー

2019-05-30 01:13:00 | 音楽
ピーター・ポール&マリーの代表曲として知られている「イフアイハダハマー」ですが、ピーター・ポール&マリーより、このトリニ・ロペスのヒット曲として日本に入ってきた記憶があります。

Trini Lopez - If I Had A Hammer (1963) -


Pete Seeger - If I Had A Hammer (The Hammer Song) (Live at Farm Aid 2013)


このとき御年94歳のピート・シーガーがつくった歌です。アメリカ人なら誰でも口ずさめる、アメリカの代表曲のひとつなのでしょう。

Ross McManus 'if I had a hammer' 1963


エルビス・コステロの父親がこんな突き抜けたエンターティナーだったとは。顔も似ていますね。言うまでもないですが、息子よりずっと歌は上手いです。

Sam Cooke - If I Had A Hammer [Live]


さすが、サム・クック先生は一味違いますね。原曲の意味や背景を損なわず、単調な歌をグレードアップさせています。

If I had a hammer
I'd hammer in the morning
I'd hammer in the evening
All over this land

I'd hammer out danger
I'd hammer out a warning
I'd hammer about the love between my brothers and my sisters
All over this land

もし、私がハンマーを持ったなら警鐘を鳴らすだろう。ベルを持ったなら、歌を歌えるなら、朝から晩まで国中を回って愛する兄弟姉妹に告げて歩くだろう。危険だぞ、気をつけろと。


(止め)

今夜はマヌ・チャオ

2019-05-28 21:52:00 | 音楽
今日、はじめて知ったバンドです。まずはご一聴あれ。

「めっちゃ」ってのは嫌な言葉になったので、ここでは「めっさ」を。めっさ楽しいバンドでしょう? 何を歌っているのか、ぜんぜんわかりませんが、最後の”Seeds of Freedom”(種子に自由を)は、種子を独占しようとするバイエルやモンサントを批判した歌だそうです。そういう政治運動にも参加する人のようです。

Manu Chao - Me llaman calle


Manu Chao - Welcome to Tijuana


「マリワナ!」って連呼してません?

Manu Chao ? Clandestino (Live)


Manu Chao - El Contragolpe


Manu Chao - Rumba de Barcelona


Manu Chao – Mr Bobby (Live)


懐かしいボブ・マーレイ時代のレゲエですね。

Seeds of Freedom feat. Manu Chao | Playing For Change | Song Around The World


(止め)

百人町を歩く

2019-05-25 23:26:00 | ノンジャンル
たとえば、新大久保の駅前に立ってみる。大久保通りに面して、ひとつしかない。まず、若い人がひしめいているのに驚くだろう。渋谷などを一部を除いて、東京も若者より高齢者の姿をみることの方が多い。

そしてすぐに、外国人の多さに気づくはずだ。はっきり、外見で日本人とわかるのは、制服を着た女子高校生くらいだ。彼女らは安価な韓流化粧品と珍しいスイーツがお目当てらしい。

耳に入ってくる会話や電話の声は日本語以外ばかり。圧倒的多数は学生や働きに来た、「在日」外国人たちとわかる。

韓国人も少なくないがバングラディシュやインドネシアなど、色の浅黒い、くどいくらい顔立ちの濃いアジア系が目立つ。

みな、こざっぱりした、おしゃれに気を遣った格好をしている。東京広しといえど、こんな外国人ばかりの町はほかにあるだろうか。

いっときの原宿や秋葉原、御徒町をまぜこぜにしたような雑踏の大久保通りから、てきとうに枝道に入ってみる。

駅前からなら、通りを挟んで右手に日拓のパチンコ屋とマツモトキヨシがみえるだろう。その間の道を10mほど進むと左手に「新宿八百屋」という繁盛してそうな店がある。

店頭にはキャベツやピーマンなどが並ぶ何の変哲もない小さな八百屋だが、働いている店員はすべて、眉や瞳が黒々として髭の剃り跡の濃い、浅黒い肌のアジア系の青年たちばかりだ。

その「新宿八百屋」の前を左折すると、その先の3階建てのボロビルの1階まで、八百屋の倉庫や荷捌き場になっているようだ。

バングラディシュ系と思われる店員たちが、野菜や果物の入った段ボールを運び、手早く箱を開き、空箱をたたんで積み重ね、寸暇も惜しむように、立ち働いている。

段ボール箱はすべて輸入品川のようで、英語表記の箱ばかりだ。たぶん、日本人には耳新しいさまざまな食材が来日して、いろいろな近隣や東京中の外国料理店に提供されているのだろう。

戦後すぐに建てられたくらいに築年数がかさんで、元は白かっただろうが今は黄ばんだモルタル造り、一見、廃墟のようなボロビルだが、その上階は集合住宅になっているようだ。

どの部屋のベランダにも洗濯物が干されて、物干し竿ではなく洗濯紐を張っている。それにインド更紗の布が止めてあったり、インド系と思われる母と娘が下の八百屋の青年のひとりに声をかけ、手を振ったりしている。もしかすると、八百屋とボロビルのオーナーは「在日」外国人なのかもしれない。

ボロビルの向かいはコインパーキングになっていて、なぜか、数台しか駐車されずガラ空きである。表通りからは入りにくいのか。その駐車場に、缶酎ハイや缶ビールを片手に昼間から酔っぱらっている、だらしない恰好の初期から後期高齢者が数人屯している。

毎日のことのようで、顔見知りらしく、いぎたなくしゃがみ込み、フェンスにもたれながら、つまらなさそうに言葉を交わしているが、握りこんだ酒の缶にしか関心がない風だ。

そこに、インドかバングラディシュか、スリランカかよくわからない、三輪車に乗った、男の子が通りかかり、「こら、坊主、危ないからそっちへいっちゃダメ、ダメだって!」とか、よろめいているジジイから叱られている。

貧民窟のような集合住宅の洗濯物が垂れたベランダにいた、髪の長い娘の幼い弟かもしれない。貧民窟のような、といっても新大久保駅から数分だから、家賃はけっして安くないはずだが。男の子は白髪頭に何か言い返して、忙し気に歩いている通行人の間を抜けて、三輪車をこいで消えていった。老人たちはたぶん昔からの住民なのだろう。

かつての新大久保は場末も場末。ラブホテルが目立つくらいで、狭い路地には「ドヤ」と呼ばれた安宿や安アパートがひしめいていた。歌舞伎町に勤めるホステスとバーテンが同棲するにはうってつけの、寂れて荒んだ昭和の町だった。

今は外国の都会暮らしに活性化された、こざっぱりとお洒落な、そして日本風のマナーを身につけた、お行儀のよい、若い外国人男女の町になっている。アジアの国々に旅したことも暮らした経験もないが、こんな町は世界のどこにもない気がする。ある日本の未来形を先取りした姿なのかもしれない。

芸術や文化はもちろん、たいした商売も生まれないかもしれない、たかだか安物買いとB級グルメの町に過ぎないだろう。しかし、デイストピアの兆候などここにはない。屈託のなさそうな笑みを浮かべた若い人々の行きかう町だった。

Buena Vista Social Club 'Chan Chan' at Carnegie Hall


Buena Vista Social Club のテーマ曲です。ハバナの旧市街を歩きたくなります。


(止め)









批判はさておき

2019-05-10 00:08:00 | 政治
先の地方選で「躍進」した「NHKから国民を守る党」の内紛から、驚愕の事実が出てきました。

佐々木千夏・杉並区議が「日本平和神軍」って本当? 電話で直接尋ねたら……
https://hbol.jp/191726

いわゆるネトウヨとはネット内の一部に生息する「情報弱者」の一類型と思われがちです。

が、先の香山リカ攻撃の「ネトウヨ」が世田谷年金事務所の所長だったり、実社会に深く広く根を張った、日本の「オルタナ・ライト」が背景にあることを知らしめる記事です。

マスコミ記者が政権への忖度記事を垂れ流している一方、こういう独自取材をものしている若手のフリー記者がいます。当事者に電話取材してみたら、「黒幕」まで出てきてあっさり答えてくれたわけです。

官邸と大手メディア記者たちとの質疑応答の暗黒面に比べ、なんという率直な対応でしょう。佐々木区議や中杉氏に少し好感すら抱いたほどです。

研究や啓蒙などを含めた広義の「表現活動」については、いわゆるリベラルはネトウヨなど反動勢力を圧倒しているように見えます。

ただし、大坂W選を勝利した大阪維新の会や多くの新宗教組織を足腰とする日本会議、この日本平和神軍まで、日々の実践活動や地道な組織づくりでは、少なからず凌駕されているように思えます。

2016年に解散した「SEALDs」(シールズ)を振り返れば、国会前デモを主導したり実践活動や組織づくりに目立てば、自称リベラルや中間派の親切ごかしの妨害や未熟と冷笑するなど、SNSを通じてさまざまな「表現活動」に晒されたのは記憶に新しいところです。

立ち上がろうとする若者の裾を引っ張ったり、肩を押さえつけようとする年長者ばかりでした。その程度のことで、挫けたり止めるくらいなら、それは「本物」ではなかったからに過ぎないという「冷徹な批評」も嬉し気にトッピングされたものです。

もちろん、「SEALDs」(シールズ)は敗北して消えたわけではなく、いわばセール期間を過ぎたので解散したのでしょうが、「素朴な好奇心」から、解散の「ほんとうの事情」を穿とうとしたり、彼らのネトウヨ顔負けの執拗な「表現活動」は続きました。

「冷徹な批評」や「素朴な好奇心」などが、ただの妬心や劣等感の裏返しの承認欲求であることは容易に推測できるのですが、あきらかにマスコミの報道姿勢に倣った「表現」であることにも気づかされます。

つまり、ネトウヨ・自称リベラルのいずれもが、「マスコミの子どもたち」であるわけです。ひきかえ、ネットメディアの一介のフリーライターが、「ダメ元」で電話取材をかけ、それに率直に答えた姿勢はどうでしょう。

佐々木千夏区議が中杉氏に電話を渡すとき、「ジャーナリストが」と伝えたことには興味深いものがあります。ジャーナリストは中杉氏の話を「わからない」と云い、そのまま書きました。

それでも電話の向こうとこちら、考えに大きな隔たりはあっても、人は人と交わろうとする。そんな世間の回路が、まだ脈々と息づいていることがうかがえる好記事でした。

(止め)




今週のBJかつGJ

2019-05-06 01:32:00 | 政治
TBSの日曜8時から放映のサンデーモーニングはよく視ている。張本勲が「アッパレ!」や「喝!」を入れるスポーツコーナーを楽しみにしているからだ。

この「サンモニ」はいわゆるネトウヨ諸君から、反日番組と目の敵にされているように、リベラルな見方や主張で知られている。

だが、私はかねてから、「反日」的な姿勢はもちろんのこと、リベラルとも思ったことは一度もない。せいぜいがリベラル層への「ガス抜き」効果を狙った番組作りと思ってきた。

その好例が以下のような名物企画<黒板解説>だろう。

サンデーモーニング 19年5月5日放送 黒板解説「女性天皇」


板書は、小泉政権や野田民主党政権で、「女系・女系天皇」や「女性宮家の創設」について「論議された」のすぐ下に、「⇒政治の不作為」とある。つまり、板書を読んだ人は小泉・野田政権の「決められない政治」という印象をまず抱くだろう。

付随するコメント解説では、<女系天皇>とは「母方が皇室の血筋」と解説しても、なぜか、<男系天皇>が「父方が皇室の血筋」とは教えてくれない。現在の皇室典範に則った<男系天皇>が「父方が皇室の血筋」なら、<女系天皇>とは「母方が皇室の血筋」という順序で解説する方がわかりやすいはずだ。印象はいささか違ってくるだろうが。

続けて、小泉政権や野田民主党政権で<女性・女系天皇や女性宮家の創設>について論議されたが、秋篠宮家に悠仁殿下が誕生されたことや安倍政権になったことから「立ち消えになった」、<女性・女系天皇>や<女性宮家の創設>には「安倍首相自身が消極的だ」と松原コメンテーターは云う。

ならばなぜ、そう板書しないのか? <女性・女系天皇>や<女性宮家の創設>の議論が立ち消えになった背景には、悠仁殿下の誕生と安倍首相の姿勢にあると。松原氏は記者のくせに、肝心なことは原稿に書かないのだろうか(ちなみに、TV記者も山ほど原稿を書くのである。放送局名が印刷された専用の原稿用紙に)。

14年も前の小泉政権や7年前の野田政権がどうだったかは書いても、現在の安倍政権の立場や姿勢については板書に出さない。「安倍首相自身は<女性・女系天皇や女性宮家の創設>には消極的だ」と断言しながら、安倍首相は反対している、男系天皇を維持したがっているとは云わない。なぜだろうか?

誰しもすぐに思い浮かぶのは、父方の血筋優先、男子継承に対する、女性視聴者、主婦層の反発に配慮したからではないかということだ。誰のため、何のために、反発を畏れるのか? 云うまでもないだろう。

また、黒板解説「女性天皇」とタイトルしながら、やはりかんじんなことは書きもしないし、云いもしない。世論調査で過半数の国民がイメージする<女性天皇>とは、現徳仁天皇の長女である愛子様以外にあり得ないのに、それについては一切触れない。

その一方で、冒頭で秋篠宮殿下の「兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです」という、およそ20年先について語った言葉を引く。あきらかに悠仁親王が実質的には第一位の皇位継承者であるという話だ。

徳仁天皇が即位したばかりだが、皇室典範に則った男系天皇としては実質的には次期天皇は悠仁親王に限られると印象させる談話でもある。とすれば、皇位継承者も一人しかいないということになり、それでは皇統が絶える恐れもあるから、<女性・女系天皇や女性宮家の創設>が必要だという理屈だ。

しかし、皇室典範を書き換えて女系天皇も可としなくとも、そのために女性宮家を創設しなくとも、男系の皇統を引く愛子様という女性天皇はあり得るのだ。第33代推古天皇以来、愛子様のような「父方が天皇の血筋」である男系女性天皇の先例はいくつもあった。

悠仁殿下の誕生と安倍首相の消極的姿勢のおかげで、「立ち消えになった」のは、何より誰より愛子様の「女性天皇」だった。そのことをまるで隠蔽したいかのように、まったく触れない。

14年前の小泉政権、7年前の野田民主党政権を「⇒政治の不作為」と批判し、秋篠宮殿下と共に20年先を憂い、<女性・女系天皇や女性宮家の創設>について、「早急に議論を始めるべきだ」といいながら、眼前の「女性天皇」候補についてはまったく言及しない。

なぜだろうか?
書いていて、話していて、おかしいとは思わないのだろうか? 
思わないのだ。

愛子様ではなぜいけないのかと提起すれば、マスコミの「不偏不党」「公正中立」な報道指針に反するからだ。同時に、安倍政権に波風立てたくないという忖度でもある。国民に議論の素材を与えて紛糾するより、国会内の議論に留めたい。松原耕二さんはよい仕事をしている。


(敬称を略すなんてとんでもない)